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知財高等裁判所 平成26年(行ケ)10052号 判決 2014年11月20日

原告

ザ プロクター アンド ギャンブル カンパニー

訴訟代理人弁護士

吉武賢次

宮嶋学

高田泰彦

柏延之

大野浩之

訴訟代理人弁理士

勝沼宏仁

中村行孝

末盛崇明

被告

特許庁長官

指定代理人

木村敏康

瀬良聡機

内山進

井上雅博

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1請求

特許庁が不服2010-21124号事件について平成25年10月17日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

1  特許庁における手続の経緯等(証拠の記載のない事実は当事者間に争いがない。)

原告は,発明の名称を「一種,またはそれ以上の有効成分を含んでなるアミン反応化合物」とする発明につき,1999年(平成11年)7月12日を国際出願日とする特許出願(特願2000-559213号,パリ条約に基づく優先権主張外国庁受理・1998年7月10日及び同年10月28日,欧州特許庁(EP)。出願時の請求項の数は28である(甲1)。以下「本願」という。)をした。

原告は,平成21年10月13日付けで拒絶理由通知を受けたので,平成22年4月16日,意見書を提出するとともに手続補正をしたが,同年5月17日付けで拒絶の査定を受けた。

原告は,同年9月21日,拒絶査定に対する不服の審判(不服2010-21124号)を請求するとともに,手続補正をしたが,平成24年6月13日付けで上記補正につき却下の決定及び拒絶理由通知を受けたので,同年12月17日,意見書を提出するとともに手続補正をした。原告は,平成25年1月9日付けで最後の拒絶理由通知を受けたので,同年7月11日に意見書を提出し,手続補正をした。

特許庁は,平成25年10月17日,上記手続補正を却下するとともに(なお,原告は同却下決定につき争っていない。),「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同年10月29日,原告に送達した(出訴期間90日附加)。

原告は,平成26年2月26日,上記審決の取消しを求めて,本件訴えを提起した。

2  特許請求の範囲の記載

平成24年12月17日付け手続補正後の本願の特許請求の範囲(同補正後の請求項の数は9である。)の請求項1ないし9の記載は,以下のとおりである(甲3。以下,本願に係る発明をまとめて「本願発明」といい,本願に係る各請求項を「本願請求項1」,「本願請求項2」のようにいう。また,本願の明細書を「本願明細書」という。)。

「【請求項1】

1重量%~80重量%の柔軟化化合物ならびに,第一及び/又は第二アミン化合物と,香料ケトン,香料アルデヒド,及びそれらの混合物から選ばれる有効成分との間の反応生成物,を含んでなる柔軟化組成物であって,

前記組成物は少なくとも50重量%の水からなる液体キャリアをさらに含み,

前記アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く,かつ,前記アミン化合物が,ポリエチレンイミン,2,2’,2’’-トリアミノトリエチルアミン;2,2’-ジアミノ-ジエチルアミン;3,3’-ジアミノ-ジプロピルアミン,1,3ビスアミノエチル-シクロヘキサン;2-エチル-2-(ヒドロキシメチル)-1,3-プロパンジオールとのポリ[オキシ(メチル-1,2-エタンジイル)],α-(2-アミノメチルエチル)-ω-(2-アミノメチルエトキシ)エーテル;2-エチル-2-(ヒドロキシメチル)-1,3-プロパンジオールとのポリ[オキシ(メチル-1,2-エタンジイル)],α-ヒドロ-)-ω-(2-アミノメチルエトキシ)エーテル;C12スターンアミン;及びそれらの混合物であるポリアミンから選ばれたものであり,

該組成物はpH2.0~5を有し,さらに,前記反応生成物は,該組成物に配合する前に予め生成させておくことを特徴とする,柔軟化組成物。

【請求項2】

前記アミン反応生成物が5より高い乾燥表面臭気度を有している,請求項1に記載の組成物。

【請求項3】

前記反応生成物が,組成物の0.001~10重量%の量で存在している,請求項1または2に記載の組成物。

【請求項4】

前記有効成分が,1-デカナール,ベンズアルデヒド,フロールヒドラール,2,4-ジメチル-3-シクロヘキセン-1-カルボキサルデヒド;シス/トランス-3,7-ジメチル-2,6-オクタジエン-1-アール;ヘリオトロピン;2,4,6-トリメチル-3-シクロヘキセン-1-カルボキサルデヒド;2,6-ノナジエナール;アルファ-n-アミルケイ皮アルデヒド,アルファ-n-ヘキシルケイ皮アルデヒド,P.T.ブシナール,リラール,シマール,メチルノニルアセトアルデヒド,ヘキサナール,トランス-2-ヘキセナール,及びそれらの混合物から選ばれるものである,請求項3に記載の組成物。

【請求項5】

前記有効成分が,アルファダマスコン,デルタダマスコン,イソダマスコン,カルボン,ガンマ-メチル-ヨノン,イソ-E-スーパー,2,4,4,7-テトラメチル-オクト-6-エン-3-オン,ベンジルアセトン,ベータダマスコン,ダマセノン,メチルジヒドロジャスモネート,メチルセドリロン,及びそれらの混合物から選ばれるものである,請求項3に記載の組成物。

【請求項6】

前記香料が,10ppb以下の臭気検知閾を有するものである,請求項3に記載の組成物。

【請求項7】

前記香料が,ウンデシレンアルデヒド,ガンマウンデカラクトン,ヘリオトロピン,ガンマドデカラクトン,p-アニスアルデヒド,パラヒドロキシ-フェニル-ブタノン,シマール,ベンジルアセトン,アルファヨノン,p.t.ブシナール,ダマセノン,ベータヨノン,及びメチル-ノニルケトン,並びに/又はそれらの混合物から選ばれるものである,請求項6に記載の組成物。

【請求項8】

残留フレグランスを布地の表面に移す方法であって,請求項1~7のいずれか一項に記載の組成物に前記表面を接触させる工程と,その後の,アミン反応生成物から有効成分が放出されるように処理済みの表面を特定の物質に接触させる工程とからなることを特徴とする,残留フレグランスを布地の表面に移す方法。

【請求項9】

前記特定の物質が,水である,請求項8に記載の方法。」

3  審決の理由

審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。その要旨は,① 本願請求項1に記載された「臭気度」という発明特定事項の技術的内容は不明確であるから,本願請求項1ないし9の記載は,特許法36条6項2号に適合しない,② 本願請求項1に記載された多数の「アミン化合物」の選択肢の各々が,本願請求項1の「アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低」いとの発明特定事項を満たすことにつき本願明細書の発明の詳細な説明に裏付けがなく,本願明細書の発明の詳細な説明に実質的に記載されているとは認められないから,本願請求項1ないし9の記載は特許法36条6項1号に適合しない,③ 本願請求項2に記載された「5より高い乾燥表面臭気度」という発明特定事項の技術的内容が不明確であるから,本願請求項2ないし9の記載は,特許法36条6項2号に適合しない,④ 本願請求項1及びその従属項に記載された事項により特定される「アミン化合物」の全てが,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとは認められず,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも認められないから,本願請求項1ないし9の記載は,特許法36条6項1号に適合せず,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は,本願請求項1ないし9に記載された発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載しているものではないから,特許法36条4項の要件を満たさない,⑤ 本願請求項1に記載された「pH2.0~5」との発明特定事項につき,実施例においてpHの数値範囲が示されておらず,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願請求項1ないし9に係る発明の具体例が実質的に記載されていると認められないから,本願請求項1ないし9の記載は,特許法36条1項1号に適合しない,⑥ 本願請求項1に記載された「前記組成物は少なくとも50重量%の水からなる液体キャリアをさらに含み」との発明特定事項につき,特許を受けようとする発明が明確でないから,本願請求項1ないし9の記載は,特許法36条6項2号に適合しない,というものである。

第3原告の主張

審決には,臭気度に係る明確性要件についての判断の誤り(取消事由1),アミン化合物の臭気度に関するサポート要件についての判断の誤り(取消事由2),乾燥表面臭気度に係る明確性要件についての判断の誤り(取消事由3),多数のアミン化合物の選択肢に関するサポート要件違反及び実施可能要件違反についての判断の誤り(取消事由4),pHに関するサポート要件違反についての判断の誤り(取消事由5)及び「水からなる液体キャリア」に関する明確性要件違反についての判断の誤り(取消事由6)があり,これらの誤りは審決の結論に影響を及ぼすのであるから,審決は取り消されるべきである。

1  取消事由1(臭気度に係る明確性要件についての判断の誤り)

(1)  審決は,本願明細書【0026】において,5名の熟練したパネリストによる絶対値としての臭気度が示されているところ,同【0024】ないし【0026】に明確に規定されていない温度や湿度の条件や浸漬手順や浸漬される媒体の親和性の条件などの変動によって,相対的な臭気度の大小関係が逆転する場合も生じ得るという蓋然性は否定できないから,本願請求項1に記載された臭気度という発明特定事項の技術的内容は不明確であると判断した。

(2)  しかし,特許請求の範囲の記載が明確であるかどうかは,その記載がそれ自体で明確であるかどうかを問題とするものであり,解決課題や作用効果の内容に左右されるものではない。そして,本願請求項1の「前記アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く,」という発明特定事項は,本願発明において規定されたアミン化合物の臭気度がジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液の臭気度よりも低いことを意味していることは明らかであるから,明確性要件を満たすためには,本願発明のアミン化合物の臭気度とジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液の臭気度の大小関係を判定できれば足りる。そして,本願明細書【0025】及び【0026】に記載された手法に基づいて,熟練したパネリストが温度条件や浸漬条件などの諸条件をそろえて実験を行い,両者を比較することは,当業界ではごく一般的な方法であり,これにより臭気度の大小関係を判定できることは明らかである。

(3)  また,審決は,温度や湿度の条件や浸漬手順や浸漬される媒体の親和性の条件などの変動によってどれほどの変化が生じ得るのか全く明らかにしていない。

さらに,本願発明の目的や使用が想定される場面から常識的に判断して,その比較は通常の室内の条件(気温,湿度で言えば概ね20℃,50%程度)で行われるべきことは明らかであるが,それに近似した条件下での比較において両者の大小関係に実質的な影響を与えるほどのぶれが発生するとは到底考え難い。加えて,熟練したパネリストであれば,どのような条件によって判断が異なり得るかを十分に熟知しているはずであるから,わざわざ判断のぶれが生ずるような条件で両者を比較するとは到底考えられず,その正確さは十分に担保されるはずである。

(4)  したがって,審決の判断には誤りがある。

2  取消事由2(アミン化合物の臭気度に関するサポート要件についての判断の誤り)

(1)  審決は,本願請求項1に記載されたアミン化合物の選択肢全てが本願請求項1に記載された「アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低」いという発明特定事項を満たすことの具体的な裏付けが存在しないので,本願請求項1及びその従属項の記載はサポート要件を満たすものではないと判断した。

(2)  しかし,本願請求項1の記載からも明らかなとおり,「臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低」いという発明特定事項と「前記アミン化合物が,ポリエチレンイミン,・・・及びそれらの混合物であるポリアミンから選ばれたものであ」るというアミンの種類を規定する発明特定事項は,それぞれ並列の関係にある別個の発明特定要素である。したがって,各々のアミン化合物の全てが「臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低」いという要件を充足しなければならないものではない。

なお,上記のとおり解したとしても,アミン化合物の選択肢のうちどれが臭気度の規定を満たすかは,本願明細書【0025】や【0026】の記載に基づいてアントラニル酸メチルよりも低い臭気度を有するか否かを試験して判断すれば足りるから,サポート要件違反とはならない。

(3)  よって,審決の判断は本願請求項1の誤った解釈に基づくものである。

3  取消事由3(乾燥表面臭気度に係る明確性要件についての判断の誤り)

(1)  審決は,本願請求項2に記載された5より高い乾燥表面臭気度という発明特定事項につき,使用する布地の種類などが特定されなければ,柔軟化組成物としての絶対的な乾燥表面臭気度を特定できないから,特許を受けようとする発明が明確ではないと判断した。

(2)  しかし,本願発明の目的及び用途(本願明細書【0002】ないし【0008】)に照らすと,使用される布地は概ね特定されており,芳香の付与という点において,洗濯・クリーニングの対象となる布地により乾燥表面臭気度の値に実質的な差異が生ずるとは考え難い。少なくとも,審決においては,どのような布地であればその値が変わるのか全く説明がなされておらず,そのような判断を裏付けるような証拠も一切提示されていない。

なお,被告は,特開2001-11485号公報(乙4)に基づき,使用する布地の種類に応じて乾燥表面臭気度の値に差が生じる旨主張するが,本願明細書【0136】の記載に照らすと,乾燥表面臭気度は,基本的には乾燥表面の臭気度の差によって算出される相対的な概念であり,アミン反応生成物で処理した乾燥表面と香料の原料のみで処理した乾燥表面の臭気度を(用いられる布の種類を含めて)同一の条件で測定して算出されるものであることは明らかであるから,上記公報の記載内容は本件には当てはまらない。

(3)  また,審決の判断は,乾燥表面臭気度につき,実験によって全くぶれが生ずる余地のない絶対的な数値で特定しなければならないことを前提とするものである。しかし,特に化学分野の発明では,数値範囲により発明が特定されることが多いところ,その測定条件をいくら厳密に規定しても測定誤差等により絶対的な数値を把握しきれないことは珍しいことではない。そのため,仮に審決の前提とする上記の内容の特定が必要であるとすると,多くの化学分野の発明において発明の特定自体が不可能となり特許権を取得することが不可能となってしまう。したがって,この点においても審決の判断は誤りである。

(4)  後記第4の3(2)の被告の主張は,使用する布地の種類の特定がないとの点を除き,審決において指摘されておらず,被告の主張は失当である。

その点をおくとしても,本願発明においては「前記アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く」という発明特定事項によってアミン化合物臭が十分に抑えられているので,香料臭を妨げる要因にはならないし,熟練したパネリストが布地を注意深く嗅いで評価するのであるから,性質の異なる臭気を嗅ぎ分けることは十分に可能である。

布地,シリコーン系消泡剤及び少量成分の具体的な種類・内容は明らかにされていないという点に関しても,乾燥表面臭気度が,アミン反応生成物で処理した乾燥表面と香料の原料のみで処理した乾燥表面の臭気度を(布地,シリコーン系消泡剤及び少量成分の具体的な種類・内容を含めて)同一の条件で測定して算出されるものであることは明らかであるから,それらが具体的に特定されていないとしても発明が不明確になることはない。

周囲条件に関しても,本願明細書【0142】の記載からも明らかなとおり乾燥工程における条件であって,その際の温度18~25℃,空気の湿度50~80%という範囲の幅によって結果が大きく変わるとは到底考えられない。

4  取消事由4(多数のアミン化合物の選択肢に関するサポート要件違反及び実施可能要件違反についての判断の誤り)

(1)  審決は,① 本願請求項1に記載されたアミン化合物に関し,本願明細書【0010】の記載にあるように,アミン化合物の種類によっては,香料ケトンや香料アルデヒドの香りを打ち消す蓋然性があり,例えば,本願請求項1に列挙された2,2’-ジアミノ-ジエチルアミンのような化合物(別名:ジエチレントリアミン)は,危険有害性のある化合物としても知られているものである,② 本願明細書【0129】の記載及び特開平3-205495号公報(甲19)の記載を引用し,香料成分の遅延放出のメカニズムは,専ら反応生成物のイミン結合の分解のしやすさに依存しており,本願請求項1に列挙されたアミン化合物の選択肢の中にはエポキシ樹脂の硬化剤として常用される物質も含まれているところ,これらの選択肢の全てが香料成分の遅延放出を為し得るような分解のしやすさを有していると認めるに足りる技術常識はなく,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願請求項1に記載された反応生成物の具体例の香り又は匂いについての特徴ないし実験データが示唆を含めて記載されていないから,本願請求項1及びその従属項に記載された事項により特定されるもの全てが,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとは認められず,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも認められない,とし,本願請求項1及びその従属項に記載された事項により特定されるもの全てが,本願明細書の発明の詳細な説明にサポート要件及び実施可能要件を満たし得る程度に記載されているとは認められない,と判断した。

(2)  しかし,本願請求項1の「前記アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く」という他の発明特定事項により,強い香気を発し香りが混ざり合うようなものは除かれており,香料ケトンや香料アルデヒドの香りを打ち消す蓋然性があるアミン化合物は本願発明の対象とはならないのであるから,審決の上記①の認定は誤りである。また,アミン化合物の選択肢のうちどれが臭気度の規定を満たすかは,本願明細書【0025】や【0026】の記載に基づいてアントラニル酸メチルよりも低い臭気度を有するか否かを試験して判断すれば足りる。なお,危険有害性の有無は本願発明の作用効果を奏するか否かの問題とは無関係であるから,審決の上記①の認定は本願のサポート要件を否定する要因とはなり得ない。

(3)  また,本願明細書【0125】ないし【0131】において,香料成分の基となるイミンの生成過程からそれが分解して芳香物質が生成するまでの反応の技術的説明がなされており,この反応は本願請求項1に記載されたアミン化合物で共通して起こる反応であるから,本願明細書の発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度の開示がなされているといえる。なお,特開平3-205495号公報(甲19)の記載についても,同公報の「発明の一般的な説明」(3~4頁)の項においてそのメカニズムが説明されており,そこでも香料成分の遅延放出反応が進行しないことが示されていないばかりか,むしろアミン化合物の種類によらず上記公報の4頁右上欄で記載されたような反応が進行して芳香物質の放出がなされることが示唆されているので,上記公報の記載は,本願発明に示されたアミン化合物において当該発明の課題を解決できることと何ら矛盾するものではない。したがって,審決の上記②の認定判断は誤りである。

(4)  被告は,後記第4の4(3)のとおり,原告の平成24年1月16日付け回答書(甲13)を引用し,アミン化合物の種類によって反応の仕方などが異なるのが技術常識であって,どのようなアミン化合物であっても反応が進行して芳香物質の放出がなされるとは認められない旨,及び,株式会社日本触媒のウェブサイト中の「ポリエチレンイミン(エポミン®)2」について記載されたウェブページ(乙3)を引用し,ポリエチレンイミンの一種であるエポミン®はエポキシ樹脂架橋剤であってアルデヒド類を強固に吸着するから香料アルデヒドを必ず放出するとはいえない旨を主張する。

しかし,上記回答書において原告が述べたのは,アミン化合物は,インドール,アントラニル酸やポリエチレンイミンと構造も性質も異なることにすぎず,本願請求項1に記載されたアミン化合物が同様の機序の反応を起こすこととは矛盾しない。化合物によって,反応の仕方や香料成分を放出する速度に差があるのは当然であり,それらが全て記載されなければ記載要件を充足しないとする理由はない。

また,上記ウェブページには,エポミン®がエポキシ樹脂架橋剤として使用されることは記載されているが,アルデヒド類を強固に吸着するとも,カルボニル基と強固な共有結合を形成するとも記載されていない。

さらに,化合物の置かれた環境によってアルデヒドとの結合のしやすさや放出のしやすさは異なるのであるから,程度の差こそあれ,化合物によって反応の仕方や香料成分を放出する速度(本願発明の作用効果)に差が出ることは当然であり,そのことをもってポリエチレンイミンが本願発明の作用効果を発揮し得ないことの根拠にはなり得ない。

5  取消事由5(pHに関するサポート要件違反についての判断の誤り)

(1)  審決は,本願請求項1の「pH2.0~5」との発明特定事項に関して,本願明細書【0167】に一般的な記載があるものの,同【0258】ないし【0262】に記載された例1ないし5の布地柔軟化組成物等については,そのpHの数値範囲が示されていないから,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願請求項1ないし9に係る発明の具体例が実質的に記載されているとは認められないと判断した。

(2)  しかし,本願明細書【0167】において,組成物の最適加水分解安定性を得るための適切な数値範囲に限定するために規定されたものであることが明確に記載されており,またその調整方法も記載されているのであるから,その技術的意義は極めて明白である。したがって,実施例においてpHの数値範囲が示されているか否かにかかわらず,本願明細書には十分な技術的裏付けの記載が存在するのであるから,審決の判断は誤りである。

なお,後記第4の5の被告の主張は,審決において指摘されておらず,被告の主張は失当である。この点をおくとしても,本願明細書【0167】記載の最適加水分解安定性を得るためのpHが系によって大きく変わるとは考え難く,同段落には「これらの組成物は6.0未満のpHで作業可能である」と記載され,同【0175】において「但し,最終組成物のpHは6以下である」という整合した記載がなされていることからしても,「pH2.0~5」という条件がアミン布地柔軟化化合物というエステル系とは別の場合に及ぶことは明らかである。

6  取消事由6(「水からなる液体キャリア」に関する明確性要件違反についての判断の誤り)

(1)  審決は,① 本願請求項1の「前記組成物は少なくとも50重量%の水からなる液体キャリアをさらに含み」との発明特定事項に関し,当該「50重量%」という百分率は,組成物に対する百分率を意味するのか,液体キャリアに対する百分率を意味するのか明確ではない,② 本願請求項8ないし9につき,特定の物質(水)に接触すると,アミン反応生成物から有効成分が放出されるとされているので,本願請求項1ないし7の組成物は,水を必須成分とする組成物に特定された結果,香料ケトンなどの有効成分が容易に蒸散してしまい,香気の持続性が保ち得なくなるという点において技術的に意味不明であるとし,本願請求項1ないし9の記載は,特許を受けようとする発明が明確ではない,と判断した。

(2)  しかし,上記①については,本願請求項1の「少なくとも50重量%の水からなる液体キャリア」という記載や,本願明細書【0234】の記載に照らすと,「前記組成物は少なくとも50重量%の水からなる液体キャリアをさらに含み」との発明特定事項の文言は,液状キャリア中に占める水の配合割合が少なくとも50重量%であることを意味することが明らかである。

上記②についても,そもそも明確性要件の判断は特許請求の範囲の記載がそれ自体で明確であるかどうかに尽き,解決課題や作用効果いかんに左右されるものではないのであるから,この点において審決の判断は失当である。また,「前記組成物は少なくとも50重量%の水からなる液体キャリアをさらに含み」という発明特定事項の技術的意義については,上記のとおり本願明細書【0234】の記載から明らかであるし,請求項9に係る方法の発明において特定の物質として水が用いられているからといって,「(本願請求項1~7において)香料ケトンなどの有効成分が容易に蒸散してしまい,香気の持続性が保ち得なくなる」と判断するのは明らかな論理の飛躍であり失当である。

第4被告の反論

以下のとおり,審決の認定判断に誤りはない。

1  取消事由1(臭気度に係る明確性要件についての判断の誤り)について

(1)  原告は,アミン化合物の臭気度は,基準となる「ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液」の臭気度との大小関係が判定できれば足り,臭気度に関する記載は明確である旨主張する。

しかし,本願請求項1に記載されたアミン化合物のうちポリエチレンイミンや2,2’-ジアミノ-ジエチルアミンのような危険有害性があるとされるアミン化合物につき,本願明細書に記載された人間の官能による臭気度法の等級付けが実施できるか疑問である。また,官能検査は人間の感覚による検査である上,測定方法の違い等の種々の要因による不可避の誤差により,基準の臭気度との大小関係の判断が常に同じになるとはいえない。

(2)  原告は,条件の相違により両者の大小関係に実質的な影響を与えるほどのぶれが発生するとは到底考え難く,熟練したパネリストであれば,どのような条件によって判断が異なり得るかを十分に熟知しているはずである旨主張する。

しかし,用いられる布地の種類が臭気度の評価に影響を及ぼすことは当業者に自明である(乙4)。また,本願明細書【0025】及び【0026】には,「ちょっと浸し」の程度や,0~5の尺度における1,2,3,及び4の定義も明確に規定されていないから,臭気度法の内容の説明としては不十分であって,臭気度を正確に測定することはできない。

2  取消事由2(アミン化合物の臭気度に関するサポート要件についての判断の誤り)について

(1)  本願の出願当初の特許請求の範囲(甲1)では,請求項1に「該アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く」と記載され,それを引用する請求項9に「該ポリアミンが,ポリエチレンイミン,・・・C12スターンアミン;及びそれらの混合物である」と記載されていたことに照らすと,臭気度に係る発明特定事項と,アミン化合物の選択肢に係る発明特定事項とが並列の関係にある別個の発明特定事項であるということはできない。そもそも臭気度に係る発明特定事項を満たさないアミン化合物を列挙して記載するのは不自然である。また,本願明細書中に,好ましいポリアミンや,本願発明で用いるのに適したその他のポリアミンとして本願の特許請求の範囲に列挙されたアミン化合物が記載されていることとも矛盾する。

(2)  仮に,臭気度に係る発明特定事項と,アミン化合物の選択肢に係る発明特定事項とが並列の関係にある別個の発明特定事項であるとしても,本願明細書には,どのアミン化合物が臭気度の規定を満たすのかについて記載されていないから,サポート要件を満たさないこととなり,審決の判断に誤りはない。

(3)  なお,原告は,本願の特許請求の範囲に記載されたアミン化合物の選択肢が臭気度に係る発明特定事項を満たすことについて発明の詳細な説明には裏付けがない旨の平成25年1月9日付け拒絶理由(甲17)に応答して,同年7月11日付けの手続補正(甲2)によりアミン化合物の種類を限定し,同日付け意見書(甲18)で,アミン化合物を特定のものに限定し拒絶理由を解消した旨述べている。そして,上記手続補正後の請求項1に記載されているのはポリエチレンイミンのみであることから,原告は,本願請求項1に記載されたアミン化合物のうちポリエチレンイミン以外についてはサポート要件が満たされないことを自認していたといえる。

3  取消事由3(乾燥表面臭気度に係る明確性要件についての判断の誤り)について

(1)  絶対値で定義される乾燥表面臭気度が,使用する布地の種類に応じて異なることは当業者にとって自明である(乙4)。したがって,使用する布地の種類などが特定されなければ,絶対的な乾燥表面臭気度を特定できないとした審決の判断に誤りはない。

(2)  本願明細書【0136】ないし【0144】には,乾燥表面臭気度の測定方法が記載されているが,本願明細書にはその香料臭の具体的内容の記載はなく,例えば,香料成分のみで処理した場合と香料成分とアミン化合物の反応生成物で処理した場合とでは匂いが異なり同列視できず単純に比較できないので,臭気度又は香料臭が人間の官能試験でどのように評価され,等級付けできるのか明らかでない。また,本願明細書では,乾燥表面臭気度の測定に用いる布地,シリコーン系消泡剤及び少量成分の種類や,アミン反応生成物又は香料原料の配合量が明確に記載されておらず,周囲条件についてもかなり広範囲な条件が設定されている(【0142】)から,当業者といえども乾燥表面臭気度の値を求めることができない。

したがって,審決の判断に誤りはない。

(3)  なお,原告は,審決の判断について,乾燥表面臭気度に関し,実験によって全くぶれが生ずる余地のない絶対的な数値で特定しなければならないことを前提とするもので失当である旨主張するが,「5より高い乾燥表面臭気度」という絶対的な数値は,特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項として原告が本願請求項2に記載したものであるから,原告の主張は不当である。また,原告が,平成25年1月9日付け拒絶理由通知(甲17)に応答して,同年7月11日付けで「5より高い乾燥表面臭気度」を削除する手続補正(甲2)を行い,同日付の意見書(甲18)で記載不備を釈明した旨釈明していることに照らすと,原告は,「5より高い乾燥表面臭気度」の記載が不明確であることを自認していたといえる。

4  取消事由4(多数のアミン化合物の選択肢に関するサポート要件違反及び実施可能要件違反についての判断の誤り)について

(1)  原告は,本願請求項1の「アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く」という発明特定事項により,香料の香りを打ち消す蓋然性があるアミン化合物は本願発明から除かれている旨主張するが,前記2(1)のとおり,臭気度に係る発明特定事項とアミン化合物の選択肢に係る発明特定事項とは並列で別個の発明特定事項であるとはいえず,原告の主張はその前提において失当である。仮に,両者が並列な別個の発明特定事項であるとしても,本願請求項1に記載されたアミン化合物及びそれらの混合物について,強い香気を発するものとして除外されないものがどれなのか明らかにされておらず,本願発明を実施するためには,臭気度を測定するための過度な試行錯誤が必要となるから,本願明細書の記載は実施可能要件を充足しない。また,上記除外されないものにつき,これを裏付ける実験データや技術常識の存在が原告により示されておらず,本願請求項1及びその従属項の記載はサポート要件を充足しない。

(2)  原告は,本願明細書に香料成分の基となるイミンの生成やそれが分解して芳香物質が生成することが記載されているから,サポート要件は満たされている旨主張する。

しかし,本願明細書には,「H2NR’’」という一般式で表されるアミン化合物についての説明があるのみで,本願請求項1に記載された具体的なアミン化合物について実際に試験した結果は記載されていないし,本願請求項1の記載が本願所定の課題を解決できると認識できる範囲にあることを具体的に裏付ける記載は見当たらない。そして,化学分野では,発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難である。したがって,本願に係る特許請求の範囲の記載はサポート要件を,発明の詳細な説明の記載は実施可能要件をそれぞれ満たさない。

(3)  さらに,原告は,特開平3-205495号公報(甲19)を引用して,本願明細書に記載された反応はアミン化合物で共通して起こる旨主張する。

しかし,原告の平成24年1月16日付け回答書(甲13)にも記載があるように,アミン化合物の種類によって反応の仕方などが異なるというのが技術常識である。また,原告は,上記公報に記載された反応がどのようなアミン化合物にも共通して起こるという技術常識を示す証拠を提出していないし,上記公報にはアミン化合物のうち不適切なものに関する記載もある。さらに,本願請求項1に記載されたポリエチレンイミンの1種であるエポミン®は,エポキシ樹脂架橋剤として常用される物質であって,悪臭成分のアルデヒド類を強固に吸着する消臭成分としても知られている(乙3)。このため,香料アルデヒドとの反応生成物はアルデヒドを強固に吸着・消臭する蓋然性が高く,芳香成分を放出し,清々しい香りをもたらすとは認められない。

(4)  なお,原告は,本願請求項1に記載されたアミン化合物の香り放出についてのサポート要件及び実施可能要件違反の平成25年1月9日付け拒絶理由に応答して,同年7月11日付けの手続補正(甲2)によりアミン化合物の種類を限定し,同日付け意見書(甲18)で,アミン化合物を特定の物に限定し拒絶理由を解消した旨述べている。そして,上記手続補正後の請求項1に記載されているのはポリエチレンイミンのみであることから,原告は,本願請求項1に記載されたアミン化合物のうちポリエチレンイミン以外についてはサポート要件及び実施可能要件が満たされないことを自認していたといえる。

5  取消事由5(pHに関するサポート要件違反についての判断の誤り)について

本願明細書【0167】の記載は,あくまでエステル布地柔軟化化合物の場合に好ましいpH範囲を記載したにすぎないから,同【0172】及び【0175】に記載されたアミン布地柔軟化化合物というエステル系とは別の場合にまで技術思想を一般化できる根拠にはなり得ない。

6  取消事由6(「水からなる液体キャリア」に関する明確性要件違反についての判断の誤り)について

原告は,本願請求項1における50重量%は液体キャリア中に占める水の割合であることが明らかである旨主張するが,本願請求項1の記載からは,上記記載は,組成物に占める液体キャリアの割合であるとも解される以上,明確性要件は満たされない。

第5当裁判所の判断

当裁判所は,少なくとも原告の取消事由4の主張には理由がないから,その余の取消事由について判断するまでもなく,審決にはこれを取り消すべき違法はないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

1  取消事由4(多数のアミン化合物の選択肢に関するサポート要件違反及び実施可能要件違反についての判断の誤り)について

(1)  前提となる本願請求項1記載の発明の要旨認定について

取消事由4について判断する前提として,原告と被告との間において,以下のとおり,本願請求項1記載の発明の要旨認定について争いがあるので検討する。

すなわち,原告は,本願請求項1の「前記アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く」との発明特定事項と,「前記アミン化合物が,ポリエチレンイミン,・・・及びそれらの混合物であるポリアミンから選ばれたものであ」るとの発明特定事項とは,それぞれ並列の関係にある別個の発明特定要素であり,したがって,各々のアミン化合物の全てが「臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低」いという要件を充足しなければならないものではなく,香料ケトンや香料アルデヒドの香りを打ち消す蓋然性があるアミン化合物は本願発明の対象とはならない旨主張する(前記第3の4,2)。これに対し,被告は,上記の臭気度に係る発明特定事項とアミン化合物の選択肢に係る発明特定事項とは並列で別個の発明特定事項であるとはいえない旨主張する(前記第4の4,2)。

そこで検討すると,本願請求項1の文言上,上記の臭気度に係る発明特定事項とアミン化合物の選択肢に係る発明特定事項は「かつ」の語により結び付けられている。そうすると,本願請求項1の文言において,上記二つの発明特定事項は並列の関係にある別個の発明特定事項であるというべきであり,同項の規定するアミン化合物は,上記二つの発明特定事項の両方を満たすものに限定されることは明らかであって,このことが一義的に明確に理解できる。

したがって,被告の上記主張は採用することができず,以下,上記の認定を前提に検討する。

(2)  本願明細書の記載事項

本願請求項1ないし9の記載は前記第2の2のとおりであるところ,本願明細書の【発明の詳細な説明】には以下の記載がある(甲1)。

ア 「【0001】

技術分野

本発明は,アミンと有効成分,特に活性アルデヒドまたはケトン,より好ましくはアルデヒドまたはケトン香料との間の反応生成物に関するものである。より詳しくは,本発明は,柔軟化組成物に用いる為の,このような反応生成物に関するものである。」

イ 「【0002】

背景技術

付香製品は,当該技術分野で良く知られたものである。しかしながら,柔軟化製品といったこのような付香製品に対する消費者の受けは,これらの製品の性能だけでなく,それらの感じの良さによっても左右される。その為,香料成分は,このような市販の製品を効果的に配合する為の重要な点である。

【0003】

消費者は,処理した布地に心地よい香りが長期間保たれることも望んでいる。実際,香料添加剤は,このような組成物を消費者にとってより感じ良くするものであって,幾つかの場合においては,香料が,それを用いて処理した布地に心地良い香りを与えている。しかしながら,水性の洗濯浴から布地に移る香料の量は限界ぎりぎりであることが多く,布地上に長く留まることはない。また,芳香物質は大抵非常に高価であって,洗濯用・クリーニング用組成物へのそれらの非効率的な使用や,布地への非効果的な送出は,消費者にとっても,洗濯・クリーニング業者にとっても,非常にコストがかかることになる。その為,業界では,洗濯用・クリーニング用製品におけるより効率的で効果的な芳香の送出,特に布地への長持ちする芳香の付与についての改良が,引き続き急務となっている。

【0004】

一つの解決法は,香料の送出に,カプセル封入によるようなキャリア機構を用いることである。これは,先行技術において教示されており,また米国特許第5,188,753号明細書に記載されている。

【0005】

また別の解決法は,香料そのものを用いるよりも長い期間にわたる香料の遅延放出をもたらす化合物を配合することである。このような化合物の開示は,国際特許出願第95/04809号や第95/08976号,及び同時係属中のヨーロッパ特許出願第95303762.9号の各明細書中に見出すことができる。

【0006】

しかしながら,当該技術分野における進歩にも拘わらず,有効成分,特に香料成分の遅延放出をもたらす化合物が,未だに必要とされている。

【0007】

その必要性は,清々しい香りを特徴とする香料成分,すなわちアルデヒド類やケトン類の香料成分に対しては,より深刻である。実際,これらの香料は清々しい香りをもたらす一方,揮発性も非常に高く,布地のような処理しようとする表面上での残留性は低い。

【0008】

従って,本発明の更なる目的は,清々しい香りをもたらし,しかも処理した表面に対して残留性のある香料成分を含んでなる柔軟化組成物を提供することである。

【0009】

本出願人は今回,アミン化合物と活性アルデヒドまたはケトンとの,イミン化合物のような特定の反応生成物も香料のような有効成分の遅延放出をもたらす,ということを見出した。」

ウ 「【0019】

発明を実施するための最良の形態

・・・

【0125】

方法

成分の調製は,以下の合成例のようにして行う。一般的に,ケトン,及びアルデヒドの窒素類似体はアゾメチン,シッフ塩基,またはより好ましい名前であるイミンと呼ばれている。これらのイミンは,第一アミンとカルボニル化合物を,水を除去して縮合させることにより,容易に作ることができる。

【0126】

典型的な反応プロファイルは,以下の通りである。

【化41】

file_2.jpg° g + ROR ke + m0α,β-不飽和ケトンはアミンと縮合してイミンを生成するだけでなく,競合的な1,4-付加を受けてβ-アミノケトンを生成することがある。

【化42】

file_3.jpgこの単純な方法により,有効成分の遅延放出を実現できる化合物,及び該化合物を含有する組成物が得られる。

【0127】

確認できるように,反応を起こしてアミン反応生成物をもたらすことができるよう,香料成分は,アミン官能基と等モル量で存在させるのが典型的である。勿論,それより多い量が排除されるというわけではなく,アミン化合物がアミン官能基を二つ以上含んでいる場合には,むしろ好ましい。アミン化合物が遊離第一及び/第二アミン官能基を二つ以上有している場合には,幾つかの異なる香料原料をアミン化合物に連結させることができる。

【0128】

放出のメカニズム

本発明により,香料成分,すなわちケトン,またはアルデヒドの遅延放出が得られる。理論に拘泥するわけではないが,この放出は,以下のようなメカニズムによって生じるものと考えられる。

【0129】

イミン化合物の場合には,香料成分はイミン結合が分解する際に放出され,香料成分の放出,及び第一アミン化合物の放出につながる。これは,加水分解,光化学開裂,酸化開裂,酵素開裂のいずれによっても成し得るものである。

【0130】

β-アミノケトン化合物の場合には,空気中の水分,及び/又は水で処理することにより,香料成分とアミン化合物が上手く放出される。しかしながら,加水分解,光化学開裂,酸化開裂,または酵素開裂といった他の放出手段が排除されるものではない。

【0131】

イミン,及びβ-アミノケトン化合物を放出させる為には,処理済みの布地にアイロンをかけて蒸気を当てる工程,タンブル乾燥,及び/又は着用といった,別の手段が考えられる。」

エ 本願明細書【0243】以下には,本願発明によるとされる化合物の合成例が,同【0257】以下には,本願発明によるとされる布地柔軟化組成物等の具体的な配合例がそれぞれ記載されている(ただし,布地柔軟化組成物等において用いられる化合物のうち,ARP1,ARP2及びARP4のアミン化合物は本願請求項1に列挙されたアミン化合物には含まれないものである。)。

もっとも,上記の布地柔軟化組成物等の具体的な配合例において,本願発明の反応生成物からの香料成分の放出がどの程度遅延するのかや,本願発明の組成物で処理した布地における香りの残留性等,本願発明の課題に関連する香りに関する効果については何ら具体的な記載がない。

(3)  検討

ア 特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。

イ 本願発明の課題について検討すると,前記(2)イのとおり,洗濯用・クリーニング用製品におけるより効率的で効果的な芳香の送出,特に布地への長持ちする芳香の付与についての改良が,引き続き急務となっているところ(【0003】),いまだに有効成分,特に香料成分の遅延放出をもたらす化合物が必要とされており(【0006】),かつ,清々しい香りを特徴とする香料成分,すなわちアルデヒド類やケトン類の香料成分については,揮発性も非常に高く,布地のような処理しようとする表面上での残留性は低いことから,その必要性がより深刻であった(【0007】)。そこで,本願発明は,このような香料成分の遅延放出をもたらし,布地における清々しい香りの残留性を改良するという課題を解決することを目的として,アミン化合物と活性アルデヒド又はケトンとの,イミン化合物のような特定の反応生成物が香料のような有効成分の遅延放出をもたらすことを見いだした(【0008】,【0009】),というのである。

そして,前記第2の2のとおり,本願請求項1には,上記反応生成物に関し,「第一及び/又は第二アミン化合物と,香料ケトン,香料アルデヒド,及びそれらの混合物から選ばれる有効成分との間の反応生成物」と特定され,さらに上記アミン化合物についてその種類が列挙されて特定され,かつ,上記アミン化合物のうち,その臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低いものに限定されている(前記(1))。他方,香料ケトン及び香料アルデヒドの種類については何ら特定されていない。

一般に,化合物の分解速度は,化合物が置かれた温度,湿度等の環境条件のみならず,化合物自体の構造や電子状態等に複合的に依存して,化合物ごとに,分解を受ける部位や分解の機序に応じて異なるものであるから,通常,当業者といえども,実際に実験をしない限り予測し得るものではない。このことは,本願請求項1の反応生成物からの香料成分の放出についても同様であると解され,本願請求項1のアミン化合物が様々なものを包含するものである以上,一定の環境下であっても,本願請求項1に列挙されたアミン化合物を用いて生成されるイミン化合物につき,その一般式においてR,R’,及びR’’がどのような基であるかに応じてC=N結合が分解を受けて香料成分を放出する速度はそれぞれ異なるし,本願請求項1に列挙されたアミン化合物を用いて生成されるβアミノケトン化合物についても,その一般式においてR,R’,及びR’’がどのような基であるかに応じてCH-NH結合が分解を受けて香料成分を放出する速度はそれぞれ異なるものと解される。

しかし,本願明細書の【発明の詳細な説明】には,前記(2)エのとおり,本願発明によるとされる布地柔軟化組成物等の具体的な配合例の記載はあるものの,成分の記載があるにとどまり,これらの組成物等の香料成分の遅延放出の程度や香りの残留性の程度等,本願発明の課題の解決に必要な程度に望ましい香料成分の遅延放出をもたらすことや,布地における清々しい香りの残留性を改良できることを示す具体的な記載はされていない。

また,前記(2)ウのとおり,本願明細書【0125】ないし【0130】には,香料成分の基となるイミン等の生成過程,及び,それが分解して芳香物質を生成するまでの反応の一般的な説明は記載されている。しかし,上記の一般的な説明のほかには,本願明細書の【発明の詳細な説明】には,本願請求項1の発明特定事項である列挙された特定のアミン化合物で,かつ,その臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低いものにつき,任意の香料ケトン又は香料アルデヒドと反応させて得たイミン化合物又はβアミノケトン化合物であれば,望ましく遅延した速度で香料を放出し,清々しい香りの残留性を改良するという本願発明の上記課題を解決できることについては何ら理論的な説明はされていない。

以上によれば,当業者といえども,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,本願請求項1において規定された反応生成物の全てが,望ましく遅延した速度で香料を放出し,清々しい香りの残留性を改良するという本願発明の課題を解決できるものであると認識することはできないものというべきである。

(4)  原告の主張について

ア 原告は,本願請求項1の「前記アミン化合物の臭気度が,ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低く」という他の発明特定事項により,強い香気を発し香りが混ざり合うようなものは除かれており,香料ケトンや香料アルデヒドの香りを打ち消す蓋然性があるアミン化合物は本願発明の対象とはならないのであるから,サポート要件違反はない旨主張する(前記第3の4)。

しかし,本願明細書の記載や他の各証拠によっても,アミン化合物の臭気度と,アミン化合物と香料ケトン又は香料アルデヒドとの反応生成物からの香料の放出されやすさとの間に関連性があることは認められない。また,臭気度が「ジプロピレングリコールに溶かしたアントラニル酸メチルの1%溶液のそれよりも低」いアミン化合物と香料ケトン又は香料アルデヒドの反応生成物が,たとえ清々しい香りを呈するとしても,そのことにより直ちに,本願発明の課題を解決し得るほどの香りの残留性等がもたらされるといえることにもならない。

よって,原告の上記主張は採用することができない。

イ 原告は,本願明細書【0125】ないし【0131】において,香料成分の基となるイミンの生成過程からそれが分解して芳香物質が生成するまでの反応の技術的説明がなされており,この反応は本願請求項1に記載されたアミン化合物で共通して起こる反応であるから,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度の開示がなされている旨主張する(前記第3の4)。

しかし,前記(3)イの説示のとおり,本願発明の課題を解決するには,香料成分生成の速度がほどよく遅延して,香りの残留性が改良されることが必要であると解されるところ,本願明細書【0125】ないし【0131】には,芳香物質の生成の機序が記載されているにとどまり,その機序に従って反応生成物が分解され芳香物質を生成する速度等に関しては何ら記載されていない以上,本願明細書【0125】ないし【0131】の記載をもって,当業者が本願発明の課題を解決できると認識できる程度の開示があるものということはできない。

よって,原告の上記主張は採用することができない。

2  まとめ

以上によれば,原告の取消事由4の主張は理由がない。そうすると,その余の取消事由について判断するまでもなく,本願請求項1ないし9の記載は特許法36条6項1号に適合しないとする審決の結論に誤りはない。

第6結論

よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井忠雄 裁判官 西理香 裁判官 神谷厚毅)

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