知財高等裁判所 平成28年(ネ)10083号 判決 2017年5月18日
控訴人(一審被告)
株式会社東京オリジナル・カラー・シール・センター
訴訟代理人弁護士
岩永利彦
補佐人弁理士
安瀬正敏
被控訴人(一審原告)
株式会社中部メディカル
被控訴人(一審原告)
合資会社ヤスイペイント工芸所
被控訴人ら訴訟代理人弁護士
青山學
井口浩治
平林拓也
福井秀剛
出口敦也
滝恵美
細川俊輔
内海智直
岸田航
篠田篤
服部ひかり
被控訴人ら補佐人弁理士
森泰比古
主文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
事実及び理由
用語の略称及び略称の意味は,本判決で付するもののほか,原判決に従う。原判決中の「別紙」を「原判決別紙」と読み替える。
第1控訴の趣旨
主文同旨
第2事案の概要
本件は,発明の名称を「治療用マーカー」とする本件特許権(第3609289号)を有する被控訴人らが,控訴人の製造・販売等する被告各製品が,本件発明の技術的範囲に属すると主張して,控訴人に対し,特許法100条1項及び2項に基づき,被告各製品の製造,譲渡等の差止め及び廃棄を求める事案である。
原審は,被告各製品は本件発明の技術的範囲に属し,本件特許権は特許無効審判により無効にされるべきものではないとして,被控訴人らの請求を全部認容した。
1 前提事実
原判決の「事実及び理由」欄の第2,2に記載のとおりである。
2 争点
本件の争点は,原判決の「事実及び理由」欄の第2,3に記載のとおりである。
3 当事者の主張
当事者の主張は,以下に,(1)控訴人の控訴理由とそれに対する被控訴人らの主張及び (2)当審における新たな主張を加えるほか,原判決の「事実及び理由」欄の第3に記載のとおりである。
(1) 控訴理由及び反論
(控訴人の控訴理由)
ア 被告各製品の構成についての事実誤認
原判決は,被告各製品について,顔料層が直線等のマークを形成しており,台紙の表面には,顔料層のマークと同一の位置に直線等が印刷されていると認定した。
しかし,台紙の表面の直線等は,あくまで台紙にあるから,顔料層と同一の場所に存在しない。原判決の認定は誤りである。
イ 構成要件Aの充足性についての事実誤認
(ア) クレーム解釈の違法
原判決は,構成要件Aの「治療用の目印となるマーク」の意義について,「インク層に形成される治療用のマークと同一のマーク」と認定した。
しかし,このような解釈は,「インク層に形成される治療用のマークと同一の」という構成要件にない文言を付加し,構成要件にある「治療用の目印となる」という文言を無視し,また,「同一のマーク」とは「同一の位置にあるマーク」を意味すると拡大解釈したものであって,不当である。構成要件Cは,構成要件Aの「前記基台紙に印刷されたマーク」を受けて,それと「同一のマーク」をインク層にて形成するという趣旨であるところ,原判決の解釈によると,「該保護シート層の裏面に積層され,前記「インク層に形成される治療用のマークと同一のマーク」と同一のマークを形成するインク層と,」となってしまう。本件明細書等【0011】の記載によると,「同一」とは同一の形状の意味である。
(イ) 当てはめの違法
原判決は,上記のとおりの誤った解釈に基づいて,被告各製品の構成要件A充足性を判断したから,誤りである。
ウ 構成要件Cの充足性についての事実誤認
(ア) クレーム解釈の違法
原判決は,構成要件Cの「同一のマーク」とは,「台紙の表面に印刷されているマークと同一の位置にある治療用のマーク」を意味すると認定した。
しかし,上記解釈によると,上記イ(ア)のとおり,構成要件AとCとは論理的な矛盾を起こす。「同一のマーク」とは「同一の形状のマーク」を意味すると解すべきである。
(イ) 当てはめの違法
原判決は,上記のとおりの誤った解釈に基づいて,被告各製品の構成要件C充足性を判断したから,誤りである。
エ 構成要件Fの充足性についての事実誤認
原判決は,被告各製品においては,接着層,インク層に当たる「顔料層」,及び,保護シート層に当たる「高輝度反射層」又は「シート層」が転写されるのであるから,構成要件Fの「前記接着層,インク層及び保護シート層を皮膚側に転写して」を充足するというべきである,と認定した。
しかし,被告各製品には,「シート層」なる層は存在しないから,原判決の上記認定は誤りである。
オ 明確性要件違反についての事実誤認
構成要件Aの「治療用の目印となるマーク」とは,「インク層に形成される治療用のマークと同一の位置にあるマーク」を意味すると理解した場合,構成要件Cとの矛盾を生じることになる。また,「同一の位置」という語も,日本語の辞書的意味からすると,層の違いから矛盾を生ずるし,他方,日本語の辞書的意味ではない特別な意味があるかどうか不明であり,不明確なものである。
構成要件Aの「基台紙」は,治療前に剥がされることから,基台紙上のマークは治療用の目印となりえない。
したがって,本件発明には,明確性要件違反がある。
カ 進歩性欠如についての事実誤認
(ア) 発明の要旨認定の誤り
構成要件 A の記載は,「表面に治療用の目印となるマークが印刷されている基台紙と,」であり,極めて明瞭で,明細書の記載等を参酌しなければ理解し得ない性質のものではなく,一義的に明確に理解できる。すなわち,基台紙の表面に,治療に用いる目印となるマークが印刷されている基台紙,という意味である。原判決が,「治療用の目印となるマーク」を,「インク層に形成された治療用の目印となるマークと同一の位置にあるマーク」であると認定したのは,誤りである。
(イ) 容易想到性判断の誤り
構成要件 A のうち,「治療用の目印となるマーク」は,貼り付ける時に位置を確認できる合わせ用の目印となるマークという意味である。そして,この点について,乙2文献には,転写シール等の貼付目標位置の目印として,その転写シールの基台紙などに予めマークを行うことが記載又は示唆されている。
そうすると,転写シールの基台紙などに予めマークを行うということが乙2文献に記載されているのであるから,位置決めを正確にするという本件発明の課題を解決するために,治療用のマーカーにおいても,貼り付ける時に位置を確認できる合わせ用の目印とすることは,全く同じ課題であってその課題解決方法自体も全く同じと評価できる。その上で,その基台紙のマークの形状と転写されるものの形状を同じにするということは,当業者にとっては試行錯誤なく実施できる単なる設計事項にすぎない。
したがって,少なくとも相違点2については,乙2文献を組み合わせることができ,容易想到である。
そして,乙2文献には,転写シール等の貼付目標位置の目印として,その転写シールの基台紙などに予めマークを行うことの記載があるから,乙1発明に相違点1に係る構成を採用することは,容易想到である。相違点3については,被告が争っておらず,相違点4は,上位概念・下位概念の関係にあるものにすぎない。
したがって,乙1発明に乙2文献を組み合わせて,本件発明を想到することは容易である。
(被控訴人らの主張)
ア 「被告各製品の構成についての事実誤認」について
控訴人は,被告各製品の台紙の表面にある直線等は,顔料層が全く同じ場所に同時に存在し得ないにもかかわらず,これらが「同一の位置にある」と認定した原判決を非難する。
しかし,「同一の位置」とは,全く同じ場所に同時に存在することを意味するのではなく,台紙表面の直線等が,顔料層に形成された直線等と被告各製品との関係で位置関係が同じであることを指摘するものである。
イ 「構成要件 A の充足性についての事実誤認」について
控訴人は,構成要件 A の充足性についての原判決の判断を批判する。しかし,構成要件 A の「治療用の目印となるマーク」とは,インク層に形成される治療用のマークと同一の位置にあるマークを意味する。
ウ 「構成要件 C の充足性についての事実誤認」について
控訴人による構成要件 C の充足性についての主張の論拠は,上記ア及びイに関する主張と同じであるが,いずれも理由がない。
エ 「構成要件 F の充足性についての事実誤認」について
控訴人は,被告各製品に「シート層」は存在しないと主張する。
しかし,被告各製品においては,皮膚に転写されたマークを覆って保護するシート状のものが存在する。
オ 「明確性要件違反についての事実誤認」について
控訴人の主張の論拠は,上記ア及びイと同じであるが,上記ア及びイのとおり,いずれも理由がない。
カ 「進歩性欠如についての事実誤認」について
乙1発明に乙2文献の記載を組み合わせたとしても,転写シールを治療用に用いて,インク層に治療用のマークを形成することを容易に想到できるとはいえない。
(2) 当審における新たな主張
(控訴人の主張)
ア 無効理由4(乙9発明に基づく進歩性欠如)
本件発明は,米国特許第5743899号(乙9の1。乙9文献)に記載された発明(乙9発明)に乙1発明及び乙3公報に記載された発明(乙3発明)を組み合わせることにより,本件特許出願時の当業者が容易に想到し得たものであるので,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないから,本件特許は,同法123条1項2号に該当し,無効とされるべきものである。
(ア) 乙9発明は,以下のとおりである。
a「表面に台紙裏面側のインク層と同じ形状で同じ位置にマークが形成されている台紙と,」
c「該台紙の裏面側に積層され,前記台紙に形成されたマークと同じ形状で同じ位置にマークを形成するインク層と,」
d「該台紙の裏面側に積層されている接着層と,」
e「該台紙の裏面側に剥離可能に積層されている支持ライナーとによって構成され,」
f「前記支持ライナーを剥がして,位置決めし,接着層を患者の皮膚に当てることにより,台紙,接着層及びインク層を皮膚側に転写して,放射線治療の際の目印となる放射線治療用スキンマーカー。」
(イ) 本件発明と乙9発明との対比
(一致点)
「表面に治療用の目印となるマークが印刷されている基台紙と,
該基台紙側の裏面に積層され,前記基台紙に印刷されたマークと同一のマークを形成するインク層と,
該基台紙側の裏面に積層されている接着層と,
該基台紙の裏面に剥離可能に積層されている保護紙とによって構成され,
前記保護紙を剥がして,前記接着層を皮膚に押し当てることにより,少なくとも,前記接着層,インク層を皮膚側に転写して,各種の治療の際の目印となる治療用マーカー。」
(相違点)
① 相違点5
本件発明では,基台紙の裏面側に剥離可能に積層されている透明な保護シートが存在するのに対し,乙9発明にはそのような開示はない点。
② 相違点6
治療用マーカーの転写の際,本件発明では,基台紙に水分を含ませると共に,皮膚に押し当てるのに対し,乙9発明では皮膚に押し当てることの開示しかなく,水分を含ませるかどうか不明な点。
③ 相違点7
治療用マーカーの転写の際,本件発明では,基台紙は転写されないのに対し,乙9発明では台紙まで転写される点。
④ 相違点8
転写後,本件発明では,前記保護シート層,インク層及び接着層が皮膚に対して柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものであるのに対し,乙9発明では柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものであるかどうか不明な点。
(ウ) 各相違点についての容易想到性
a 相違点5について
乙1発明は転写シールの発明ではあるが,治療用マーカーの技術とは,下位概念と上位概念の関係にある。本件特許と乙1発明の国際特許分類は,「B44C 1/17」と一部共通する。
また,皮膚に転写した場合,インク層が露出したままだと剥がれやすくなるというのは当業者にとって極めて自明なことであるから,それを保護するための層が必要であることは容易に想到でき,インク層の視認のしやすさも自明な課題である。
さらに,乙9文献には,台紙がインク層を透視するのに十分に透明である場合,透明な台紙がインク層を覆っているとの記載があり,インク層を覆う透明な保護シート層の技術的思想が開示されている。
したがって,乙9文献に触れた当業者にとって,相違点5について,乙1発明の透明な保護層を組み合わせる動機付けがあり,本件発明を想到するのは極めて容易である。
b 相違点6について
水転写タイプは,転写シールの技術分野において,技術常識に属するものといえる。乙9発明が水転写タイプかどうか不明であるが,乙9発明は特段水転写タイプを排していない。
また,転写シールの技術分野において,転写のタイプが限られていることから(水転写かそうでないかくらいのタイプしかない。),当業者であれば,高品質な転写を得るために水転写タイプを採用することは,適宜選択できる設計事項である。
したがって,乙9文献に触れた当業者にとって,相違点6について,乙3公報や乙1公報の水転写タイプを採用する動機付けがあり,本件発明を想到するのは極めて容易である。
c 相違点7について
乙9発明では,台紙まで転写されるが,これは保護シートの役割がある。そうすると,台紙を保護層として残すか,それとも別途保護層を設けるかは,技術の具体的適用に伴う設計事項といえる。
したがって,乙9文献に触れた当業者にとって,相違点7について,乙1発明の保護層を設けて台紙を残さないとする動機付けがあり,本件発明を想到するのは極めて容易である。
d 相違点8について
乙9発明では,台紙が実質的に保護層としての機能を果たすため,柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものであることは自明である。したがって,相違点8は,実質的には相違点ではない。
(エ) 被控訴人らの主張に対する反論
a 被控訴人らは,乙9発明と本件発明とは,インク層と接着層の位置関係が逆である,と主張する。
しかし,乙 9 発明は,支持ライナーを剥がして位置決めし,その後,基材,接着層,インク層を皮膚に転写して放射線治療の目印とするものである。基材が本件発明の保護シート層を兼用しているので,患者の皮膚に転写後に剥離はされないが,皮膚に残存し,治療の際の目印になるという構成からすると,本件発明と実質同一の構成といえる。
b 被控訴人らは,相違点5及び7について,乙9文献にいう「substrate」は「基材」であって「基台紙」ではない,と主張する。
しかし,検討すべきは,「substrate」と「基台紙」の実質同一性を「substrate」の機能等から判断することである。乙9発明の「substrate」は,患者の皮膚の表面に7日は貼りつくことが期待されていたのであるから,「保護シート層」の役割を果たすことについての黙示の記載又は示唆がある。したがって,乙9文献の「substrate」は,本件発明の「基台紙」又は「保護シート層」に相当する。乙9文献の「substrate」は患者の皮膚に接着したままにするものであり,本件発明の「基台紙」は接着後すぐに皮膚からはがされることになることは,構成要件Fにいう使用法の違いにすぎない。
c 被控訴人らは,相違点6について,乙9発明のマーカーは「絆創膏タイプ」であって,「水転写タイプ」ではない,と主張する。
しかし,被控訴人らがその根拠とする乙9文献の記載は,一実施例中のものであるから,乙9発明が専ら絆創膏タイプのものであるということはできない。また,乙9発明は,様々な材料,用途に適合できるものである。したがって,乙9発明について,水転写タイプを採用する動機付けがあり,何らの阻害要因もない。
d 被控訴人らは,相違点8について,乙9発明の基材は,インク層に対する保護層の役割はなく,柔軟性に富み摩擦に強いものではない,と主張する。
しかし,乙9発明の「substrate」は,患者の皮膚の表面に7日は貼り付くことが期待されていたのであるから,柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものであることは自明である。
イ 無効理由5(乙1発明及び乙9発明に基づく進歩性欠如)
本件発明は,乙1発明に乙9発明を組み合わせることにより,本件特許出願時の当業者が容易に想到し得たものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであって,本件特許は,同法123条1項2号に該当し,無効とされるべきものである。
(ア) 乙1発明
原判決「事実及び理由」欄の第4,3(3)アに記載のとおりである。
(イ) 本件発明と乙1発明との対比
原判決「事実及び理由」欄の第4,3(3)イに記載のとおりである。
(ウ) 各相違点についての容易想到性
相違点4の治療用マーカーについては,乙9文献に記載がある。
また,相違点3が実質的に乙1公報に記載されていることについては,被控訴人らは争っていない。
さらに,相違点1及び相違点2については,乙9文献には,台紙が皮膚表面にインク層によって描かれた放射線治療導入領域の輪郭を透視するのに十分に透明でない場合には,台紙の表面に台紙裏面側のインク層と同じ形状で同じ位置にインク層を形成することも,開示されている。
そうすると,乙9文献に接した当業者にとって,乙1発明に乙9文献の記載を組み合わせることにより,位置決めを正確にするという課題を解決するためにインク層と同一の位置のマークを基台紙に印刷することや,転写シールを治療用に用いることとしてインク層に治療用のマークを形成することは,容易に想到できることである。
(エ) 被控訴人らの主張に対する反論
a 被控訴人らは,相違点4について,乙1発明と乙9発明とは構造を全く異にするから,乙1発明に乙9発明を組み合わせたとしても本件発明を想到するのは容易ではない,と主張する。
しかし,乙9文献には,「しかし,一方の面に対して接着層を設けることができれば,あらゆる基材用の材料を本発明の目的達成に用いることができる。」との意味の記載があるから,乙9発明は様々な材料・用途に適合できる。したがって,乙9発明は乙1発明に組み合わせることができる。
b 被控訴人らは,相違点3について,乙1発明は「水転写タイプ」を動機付けるものではなく,むしろ不具合あるものとして排除したものであり,また,乙9発明のマーカーは「絆創膏タイプ」であって「水転写タイプ」ではないから,乙1発明に乙9発明は組み合わせられない,と主張する。
しかし,相違点3については,乙1公報に黙示の記載があり,そのことについて,被控訴人らは原審から争っていなかったから,自白が成立している。したがって,当審において相違点3を争うのは,時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきであり,訴訟行為の信義誠実義務違反でもある。乙1公報は,水転写タイプを含む1995年当時の転写シール技術全般の課題解決を図るものであり,水転写タイプの構成そのものを不具合あるものとして排除するものではない。
c 被控訴人らは,相違点1及び2について,乙9発明には「基台紙」がないから,乙1発明に乙9発明を組み合わせても,インク層と同一の位置のマークを基台紙に印刷することを容易に想到できない,と主張する。
しかし,乙9文献には,「substrate」の表面にインク層と同一の形状で同じ位置に第2のインク層を配置することの記載がある。また,乙9発明の「substrate」が皮膚から外れた後も,皮膚表面にはインクが転写されているから,「substrate」は実質「基台紙」と同一の構成といえる。さらに,乙9文献の「substrate」が「基台紙」に相当しなかったとしても,乙1発明には「基台紙」が存在する。
そして,乙1発明と乙9発明とは,人間の皮膚に人為的模様を付するという技術分野で関連しており,皮膚の追従性よく簡単に剥がせるようにしたいという課題が共通し,共に皮膚用のマーカーであるという作用機能も共通しているから,乙1発明に乙9発明を組み合わせる動機付けがある。
したがって,相違点1及び2は容易想到である。
ウ 無効理由6(明確性要件違反)本件特許に係る特許請求の範囲は,いわゆるプロダクト・バイ・プロセスクレームである。そして,本件特許に係る物には,出願時において当該物をその構造又は特性により直接特定することが不可能であるか,又はおよそ実際的でないという事情が存在せず,明確性要件違反である。
(被控訴人らの主張)
ア 無効理由4について
(ア) 乙9発明の認定について
控訴人が「台紙」と訳している「substrate」は「基材」と訳されるものである(甲22の1・2)。この「基材」は,患者の皮膚に転写したままにされるものであり,治療用の目印となるインク層を皮膚に接着させた後すぐに皮膚からはがされる本件発明における基台紙(構成要件A)とは,根本的に異なるものである。
乙9発明は,基材及びその裏面の方向に接着層,インク層,支持ライナーの順に積層されている放射線治療用スキンマーカーであり,支持ライナーを剥がして位置決めし,接着層を患者の皮膚に当てることによって基材,接着層,インク層を皮膚に転写して放射線治療の目印とするものである。したがって,その構成は本件発明とは全く異なる。
(イ) 本件発明と乙9発明の対比について
本件発明と乙9発明との一致点は,接着層とインク層を備えること(ただし,その積層の順は逆である。)と治療用の目印となるマーカーであることくらいであり,そのほかの点は全く異なるものである。
乙9文献記載のマーカーは,患者に貼り付けた透明な台紙を通してインキが見える「絆創膏タイプ」のものである。乙9文献は,「治療の前に剥がされてなくなってしまう基台紙」に対して何らかの印刷をしておくべきことを記載も示唆もしていない。したがって,控訴人が一致点と主張する,「表面に治療用の目印となるマークが印刷されている基台紙」及び「該基台紙側の裏面に積層され,前記基台紙に印刷されたマークと同一のマークを形成するインク層」は,乙9文献には記載されているとはいえない。この点は,相違点として認識すべきである。乙9発明と本件発明の間には,控訴人主張の相違点以外にも,①乙9発明には,本件発明の基台紙(構成要件A)が存在しない(相違点9),②乙9発明と本件発明とでは,インク層と接着層の位置関係が逆になっている(乙9発明では,基材の裏面の方向に接着層,インク層,支持ライナーの順に積層されるが,本件発明は,基台紙の裏面に,保護シート層,インク層,接着層,保護紙の順に積層される。相違点10),といった相違点が認められる。
(ウ) 相違点の判断について
a 相違点5について
乙9発明は,基材を皮膚に圧着させる絆創膏タイプであって,皮膚に圧着される時点でインク層は基材に覆われており,露出しないことになる。そのため,乙9発明には,基材とは別のものでインク層を保護する必要性はなく,インク層を保護するために保護シート層を設けるという動機付けはない。また,乙9文献にも,インク層を保護する必要性は全く示唆されていない。
したがって,乙9発明に触れた者には,これに乙1発明の透明な保護層を組み合わせるという発想は生まれない。
b 相違点6について
乙9発明には「水転写タイプ」についての記載はなく,かつ,感圧接着方式の市販品を素材として推奨しているから,「水転写タイプ」を想起させる記載は一切存在しない。
c 相違点7について
乙9文献には,基材がインク層の保護シートの役割を果たすなどということや,そもそもインク層を保護する必要があるということは,全く記載されておらず,これらを想起させる記載もない。
かえって,乙9発明の基材は,偶発的に外れてしまうことが想定されているものであり,保護シートの役割を期待されるものではないことは明らかである。
d 相違点8について
乙9発明の基材は,インク層に対する保護層の役割はなく,これが柔軟性に富み摩擦に強いものであるということも,乙9文献からは想起されるものではない。
e 相違点9について
乙9発明は,水転写タイプの治療用マーカーに関するものではなく,基材は患者の皮膚に貼り付けられたままとされるマーカーそのものであるから,基材の上面に線を印刷することが記載されていたとしても,本件発明の構成要件Fによって特定される構成要件Aを記載し,あるいは示唆したものではない。
f 相違点10について
乙9発明は,患者の皮膚にインクの痕跡を残すことを要点とし,接着剤層の裏面側にインク層を形成したものであるから,本件発明の構成要件Cと構成要件Dの関係を記載し,あるいは示唆したものではない。
イ 無効理由5について
(ア) 本件発明と乙1発明との相違点の認定について
乙1公報には,「治療用マーカー」について何らの記載も示唆もないから,本件発明が「治療用マーカー」であるのに対し,乙1発明は「治療用マーカー」ではない点も相違点として認定すべきである。
(イ) 乙9発明の認定について
乙9発明につき,控訴人が「台紙」と訳している「substrate」は「基材」と訳されるものである。この「基材」は,患者の皮膚に接触したままにされるものであり,治療用の目印となるインク層を皮膚に接着させた後すぐに皮膚からはがされることになる本件発明における基台紙(構成要件A)とは,根本的に異なるものである。
(ウ) 相違点の判断について
a 相違点4について
乙1発明は,被着物に圧接してから基台紙を取り除くことでインク層等を被着物に転写するのに対し,乙9発明は,基材そのものが治療用の目印として皮膚に転写されるのであって,構造を全く異にする。したがって,乙1発明に乙9発明を組み合わせたとしても相違点4に係る本件発明の構成を想到するのは容易ではない。
b 相違点3について
乙1発明は,従来の入れ墨転写シール(水転写タイプ,有機溶剤転写タイプ,粘着転写タイプ等がある)の課題(絵柄がひび割れる,剥離が非常に困難など。)を解決するために,「透明弾性層の特性」を「破断伸度が50~1000%,100%モジュラスが5~150kg/平方cm,厚みが3~50μm」とし,「透明弾性層が比較的強靱であるので,ゆっくり剥がすと綺麗に剥がすこと」ができるようにした「粘着転写タイプ」の転写シールを記載したものであり,「水転写タイプ」を動機付けるものではなく,むしろ,「不具合あるもの」として排除した文献というべきである。また,乙9発明は,「基材」そのものが治療の目印として転写されるから,水転写タイプを想起させるものではない。
なお,被控訴人らが,相違点3について原審で明示的に争っていなかったのは,乙1文献が「治療用マーカー」に関する技術を開示するものではないことを理由に容易想到性を否定できるため,乙1文献に水転写タイプが実質的に記載されているか否かを争う必要がなかったからである。被控訴人らは,当審において新たに,乙1文献が水転写タイプを排除した文献である旨を主張し,これに対して控訴人は当審において反論したから,被控訴人らが相違点3について争うことによって訴訟の完結を遅延させることにはならない。したがって,被控訴人らの上記主張は,時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきものではない。
c 相違点1及び2について
乙9発明には「基台紙」がないから,乙1発明に乙9発明を組み合わせても,インク層と同一の位置のマークを基台紙に印刷することを容易に想到できない。
ウ 無効理由6について
本件特許の特許請求の範囲の記載は,いわゆるプロダクト・バイ・プロセスクレームに該当しない。
第3当裁判所の判断
1 事案に鑑み,無効理由5(乙1発明及び乙9発明に基づく進歩性欠如)から判断する。
(1) 本件発明の意義等
本件発明の意義等は,原判決「事実及び理由」欄の第4,1記載のとおりである。
(2) 乙1発明の認定
ア 乙1公報には,以下の記載がある(乙1)。
【特許請求の範囲】【請求項1】剥離性シート上に,破断伸度が50~1000%,好ましくは250~800%,100%モジュラスが5~150kg/平方cm,好ましくは15~80kg/平方cm,厚みが3~50μm,好ましくは8~25μmである透明弾性層をスクリーン印刷により設け,その上面に単色又は多色の着色印刷インキ層を平版印刷,凸版印刷,凹版印刷又はスクリーン印刷により設け,更にその上面に粘着剤層を印刷により設け,更にその上面に剥離性シートを貼着して構成されることを特徴とする転写シール。
【請求項3】前記透明弾性層,前記着色印刷インキ層,前記粘着剤層に,好ましくは前記粘着剤層のみに1以上の空気孔を設けたことを特徴とする請求項1又は2に記載の転写シール。
【発明の詳細な説明】【0001】【産業上の利用分野】本発明は・・・屈曲性及び/又は伸縮性(以下,「屈曲・伸縮性」とする)を有する被着体に貼って好適な転写シールに関する。詳しくは,貼り易く,特に屈曲・伸縮性被着体に貼り付けた後の該被着体の屈曲や伸縮による転写後シールのひび割れや剥がれを無くすことができ,更に使用後は剥がれ易くするために,特定の特性を有する伸縮可能の透明弾性層をスクリーン印刷により剥離性シート上に設け,該透明弾性層の上面に着色印刷インキ層,粘着剤層,剥離性シートを順次設けたことを特徴とする皮膚用の入れ墨転写シールを含めた各種用途の転写シールに関する。
【0002】【従来の技術】各種の転写シール,例えば入れ墨転写シールは,水転写タイプ,有機溶剤転写タイプ,粘着転写タイプ等のものが知られている。・・・
【0003】【発明が解決しようとする問題点】・・・従来の入れ墨転写シールは,インキ・接着剤層等が適切な特性を有しないため,皮膚への追随性が悪く絵柄がひび割れしたり,皮膚に貼着・使用後にこれを剥がそうとする時・・・皮膚を痛める原因となっていた。
【0004】このため,皮膚に貼着する場合も貼る場所を制限され,近年流行の顔に貼り付けたりする場合なども,使用後の「剥がし」が問題となり,非常に剥がし難いため,溶剤やクレンジングクリーム等の薬剤の使用やゴシゴシ擦る必要があり,果ては,皮膚の破壊にもつながっていた。・・・
【0005】本発明は,転写後に着色印刷層を保護する透明印刷層を有し,且つ,上述したような従来技術の欠点を解消することができる優れた皮膚を被着体とする入れ墨転写シールや屈曲・伸縮性物品等を被着体とする転写シール等の各種用途の転写シールを提供することを目的とするものである。
【0006】【問題点を解決するための手段】本発明によれば,剥離性シート上に,破断伸度が50~1000%,好ましくは250~800%,100%モジュラスが5~150kg/平方cm,好ましくは15~80kg/平方cm,厚みが3~50μm,好ましくは8~25μmである透明弾性層をスクリーン印刷により設け,その上面に単色又は多色の着色印刷インキ層を設け,更にその上面に粘着剤層を印刷により設け,更にその上面に剥離性シートを貼着して構成されることを特徴とする転写シールが提供される。
【0018】本発明の転写シールは,透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に,1以上の空気孔を設けてもよい。・・・かかる空気孔は,本発明の転写シールを入れ墨転写シールとして用いた時,皮膚の呼吸を可能とし,空気孔が無い場合に粘着剤層と皮膚との間で密閉された状態となることによるあせもやかぶれの発生を少なくする。・・・
【0019】本発明の転写シールの被着体への貼着手順は,先ず,セパレーターとしての剥離性シートを剥がし,粘着剤層により皮膚,その他の被着体に圧接・貼着し,透明弾性層上の剥離性シートを剥がす。
【0020】【作用】本発明の転写シールは,透明弾性層が,着色印刷インキ層の保護層として役割を果たすと共に,その伸縮作用により,皮膚や屈曲・伸縮性物品等の被着体に転写シールを貼着後,転写された各層を皮膚や屈曲・伸縮性物品等の屈曲や伸縮に追随可能とし,絵柄のひび割れや崩れが無く,使用中に剥がれ落ちることも無くする。使用後は,透明弾性層が比較的強靱なため剥離が容易である。・・・
【0022】また,本発明の転写シールの透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に,好ましくは粘着剤層のみに空気孔を設けた場合,かかる空気孔は,本発明の転写シールを入れ墨転写シールとして用いた時,皮膚の呼吸を可能とし,空気孔が無い場合に粘着剤層と皮膚との間で密閉された状態となることによるあせもやかぶれの発生を少なくし,更に,転写シール使用後の剥離を容易にする作用も期待できる。
【0024】実施例1
剥離性を付与するシリコーン系化合物を塗布処理したポリエチレンテレフタレートフィルム(剥離性シート)1の上に・・・約15μm厚みの透明弾性層2を形成した。この透明弾性層2の上に・・・着色印刷インキ層3を形成した。この着色印刷インキ層の上に・・・乾燥厚み約15μmの粘着剤層4を形成した。この上にセパレーターとしての剥離紙5を重ね,「図1」の断面構造のような本発明の転写シールとした。・・・
file_2.jpg【0026】実施例2
アクリル系粘着剤印刷用のスクリーン印刷版を,「図2」に示される粘着剤層4に多数の直径約1~1.5mmの空気孔4aを形成できるような版とした以外は,実施例1と同様の手順により本発明の転写シールを製造した。「図2」において,1,2,3,4,5の各符号は,「図1」の各部分に対応する。
file_3.jpg(2)【0027】【発明の効果】本発明の転写シールは,被着体に貼り易く,皮膚や屈曲・伸縮性物品等の被着体に貼着後,該皮膚や屈曲・伸縮性物品等の屈曲や伸縮に追随可能であり,絵柄のひび割れや崩れが無く,使用中に剥がれ落ちることも無い。使用後は,剥離が容易である。・・・
【0029】また,本発明の転写シールの透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に,好ましくは粘着剤層のみに空気孔を設けた場合,かかる空気孔は,本発明の転写シールを入れ墨転写シールとして用いた時,皮膚の呼吸を可能とし,空気孔が無い場合に粘着剤層と皮膚との間で密閉された状態となることによるあせもやかぶれの発生を少なくし,更に,転写シール使用後の剥離を容易にする効果も期待できる。
イ 以上から,乙1発明の概要は,以下のとおりと認められる。
乙1発明は,皮膚用の入れ墨転写シールを含めた各種用途の転写シールに関する(【0001】)。
従来,各種の転写シール,例えば入れ墨転写シールには,水転写タイプ,有機溶剤転写タイプ,粘着転写タイプ等のものがあることが知られている(【0002】)。従来の入れ墨転写シールは,インキ・接着剤層等が適切な特性を有しないため,皮膚への追随性が悪く絵柄がひび割れしたり,皮膚に貼着・使用後にこれを剥がすとき,剥離が非常に困難で,皮膚を痛める原因となっていた(【0003】【0004】)。
乙1発明は,転写後に着色印刷層を保護する透明印刷層を有し,かつ,従来技術の欠点を解消することができる,皮膚を被着体とする入れ墨転写シール等の,各種用途の優れた転写シールを提供するものであり(【0005】),具体的には,剥離性シート上に,破断伸度が50~1000%,好ましくは250~800%,100%モジュラスが5~150kg/平方cm,好ましくは15~80kg/平方cm,厚みが3~50μm,好ましくは8~25μmである透明弾性層をスクリーン印刷により設け,その上面に単色又は多色の着色印刷インキ層を平版印刷,凸版印刷,凹版印刷又はスクリーン印刷により設け,更にその上面に粘着剤層を印刷により設け,更にその上面に剥離性シートを貼着して構成されることを特色とする転写シールである(【請求項1】【0006】)。乙1発明の転写シールには,透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に,1以上の空気孔を設けてもよい(【請求項3】【0018】)。乙1発明の転写シールの被着体への貼着手順は,まず,セパレーターとしての剥離性シートを剥がし,粘着剤層により皮膚,その他の被着体に圧接・貼着し,透明弾性層上の剥離性シートを剥がす(【0019】)。
乙1発明の転写シールは,透明弾性層が,着色印刷インキ層の保護層として役割を果たすと共に,その伸縮作用により,皮膚や屈曲・伸縮性物品等の被着体に転写シールを貼着後,転写された各層を皮膚や屈曲・伸縮性物品等の屈曲や伸縮に追随可能とし,絵柄のひび割れや崩れがなく,使用中に剥がれ落ちることもなく,使用後は,透明弾性層が比較的強靭なため剥離が容易である,という作用効果を有する(【0020】【0027】)。また,乙1発明の転写シールの透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に空気孔を設けた場合,この空気孔は,皮膚の呼吸を可能とし,あせもやかぶれの発生を少なくし,転写シール使用後の剥離を容易にする作用も期待できる(【0022】【0029】)。
ウ したがって,乙1発明は,以下のとおりに認定される。
「A’剥離性シートと
B’該剥離性シートの裏面に剥離可能に積層されている透明弾性層と,
C’該透明弾性層の裏面に積層された着色印刷インキ層と,
D’該着色印刷インキ層の裏面に積層されている粘着剤層と,
E’該粘着剤層の裏面に剥離可能に積層されているセパレーターとによって構成され,
F’前記セパレーターを剥がして,前記粘着剤層を皮膚に押し当てることにより,前記粘着剤層,着色印刷インキ層及び透明弾性層を皮膚側に転写して,前記透明弾性層,着色印刷インキ層及び粘着剤層が皮膚に対して柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものである転写シール。」
(3) 本件発明と乙1発明との対比
本件発明と乙1発明とを対比すると,乙1発明における剥離性シート,透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層,セパレーターは,それぞれ,本件発明における「基台紙」「保護シート層」「インク層」「接着層」「保護紙」に相当すると認められ,また,本件発明における「治療用マーカー」は「転写シール」の一種であるということができるから,一致点及び相違点は,以下のとおりに認定される。
(一致点)
「基台紙と,
該基台紙の裏面に剥離可能に積層されている透明な保護シート層と,
該保護シート層の裏面に積層されたインク層と,
該インク層の裏面に積層されている接着層と,
該接着層の裏面に剥離可能に積層されている保護紙とによって構成され,
前記保護紙を剥がして,前記接着層を皮膚に押し当てることにより,前記接着層,インク層及び保護シート層を皮膚側に転写して,前記保護シート層,インク層及び接着層が皮膚に対して柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものである転写シール。」
(相違点1)
本件発明では,基台紙の表面に治療用の目印となるマークが印刷されているのに対し,乙1発明にはそのような開示はない点
(相違点2)
本件発明では,インク層のマークが基台紙のマークと同一であるのに対し,乙1発明にはそのような開示はない点
(相違点3)
本件発明では,転写する際に基台紙に水分を含ませているのに対し,乙1発明では,水分を含ませるかどうか必ずしも明らかではない点
(相違点4)
本件発明が,治療用マーカーであるのに対し,乙1発明では皮膚用の入れ墨転写シールを含めた各種用途の転写シールである点
(4) 乙9発明の認定
ア 乙9文献には,以下の記載がある(記載箇所は,乙9の2の抄訳記載のものである。)。
① 「患者の皮膚面に放射線治療導入域の輪郭を描くのに用いられる,放射線治療用皮膚マーキング装置である。この装置は,患者の皮膚表面に剥離可能に取付けられる接着面を有し,支持ライナーに剥離可能に取付けられる一組の放射線治療用皮膚マーカーを含む。このマーカーは,放射線治療導入域の輪郭をより明瞭に示すことによって放射線治療処置を容易にするように,接着面にインク印刷線を含む。インクは,インクを皮膚に付着するか,あるいは皮膚中に吸収させることによって皮膚表面に転写され,マーカーが剥離されたときでもマーキング線が皮膚表面に表示される。・・・」(アブストラクト)
② 「従来,放射線治療導入の境界線,アイソセンタ及びセットアップポイントは,マジックマーカー,ファクシア色及び又は入れ墨マーキングにより患者の皮膚にマークされる。」(1欄28行~31行)
③ 「従来技術の皮膚マーキング装置は,安全かつ有効であるが,装置が患者の皮膚から故意に取り外されるか,さもなければ剥がされたとき,限界があることを実際の経験から発明者に教えている。従来装置は最高7日間粘着して保持されるが,一般には放射線治療処置中,また処置の間で患者の皮膚から取り外されるか剥がされ,その結果,放射線導入領域のマーキングを失い,再度位置決めして再度マーキングすることが求められる。」(1欄48行~56行)
④ 「本発明の目的は,患者の皮膚に剥離可能に貼着されるマーカーからマーキング・ラインを付着させる新規な装置を提供することにより,放射線処置を受けている患者の放射線治療導入領域の輪郭を描くのに使用される,装置を改善することである。本装置は,接着片が剥がされたかあるいは取り外された後に,導入ラインマーキングが患者の皮膚に残留するのを許容する。」(1欄58行~65行)
⑤ 「本目的は,放射線治療を受けている患者の皮膚上で放射線治療導入部の周辺域や複数のアイソセンター及びセット・アップ・ポイントを表示するのに使用される,平坦で,接着剤が塗布された,いろんな形状のテープ状構造体を備えた装置によって達成される。」(2欄1行~5行)
⑥ 「放射線導入領域のマーキングを構成する,インク・ラインは,接着面及び頂面の双方に配置し得る。あるいは,インク・ラインは,接着層を含むマーカーの面に単独で配置し得る。この代替案では,マーカー材料として,患者の皮膚に当てている間に,マーカーを介してラインが観測可能なままに維持し得るのに十分に透明であることが必要である。」(2欄11行~17行)
⑦ 「マーカーが支持ライナーから剥離され,且つ接着層が患者の皮膚に装着され,これにより,接着層の両面又は接着層の底面に単独に配置された所望のポータルマーキングの輪郭が皮膚に描かれ,マーカーを介して表示される。」(2欄17行~22行)
⑧ 「マーカーの接着層面に配置されたインク線は,少なくとも部分的に患者の皮膚に転写浸透し,マーカーが意図的または偶発的に外れたとしてもライン・マーキングはポータル領域を描き続ける。」(2欄22行~27行)
⑨ 「インク・ラインマーキング66は,接着剤層64に配置され,マーカーが患者の皮膚に位置決めされて,取り付けられたとき,患者の皮膚に接触する。これにより,インク・ラインマーキング66が,マーカー18の接着面から患者の皮膚に沈着して受け入れるのを許容する。」(5欄13行~18行)
⑩ 「要求されないが,好ましくは,各マーカーが作られる台紙材料は実質的に透明であり,これにより接着被覆64内又は被覆64上に配置されたインクは,マーカーが一旦患者の皮膚に貼り付けられると,接着層及び台紙を介して観測される。
あるいは,もしこの目的を達成するために十分に透明でない台紙材料が選択された場合には,要求されないが,好ましくは,ライン・マーキング66が,各マーカーの頂面に,同一の形状で同じ位置に再度再現される。」(5欄29行~38行)
⑪ 「1.皮膚表面にマークを付ける装置にして
第1面と第2面を有する台紙と,
前記台紙の前記第2面に配置された接着層と,
前記接着層に配置された第1インク層であって,前記皮膚表面に接触して置かれたときに前記皮膚表面上に転写可能なパターンを形成する,該第1インク層と,
前記接着層と前記第1インク層を剥離可能に覆う支持ライナーと,を備え,
・・・。
2.クレーム1記載の装置にして,前記パターンを形成する第2インク層が前記台紙の第1面に更に配置される,装置。
・・・
5.クレーム1記載の装置にして,前記台紙は実質的に透明で,前記台紙が患者の皮膚に接している間,前記パターンの輪郭を示す前記インク層が観測可能である,装置。
・・・
16.クレーム1記載の装置にして,前記インク層は,前記台紙が取り除かれたとき,少なくとも部分的に患者の皮膚上に付着する,装置。」(特許請求の範囲)
⑫file_4.jpg
イ 以上から,乙9発明は,以下のとおりと認められる。
乙9発明は,患者の皮膚面に放射線治療導入域の輪郭を描くのに用いられる,放射線治療用皮膚マーキング装置に関する(①)。
従来技術の皮膚マーキング装置は,放射線治療処置中,又は処置の間で患者の皮膚から取り外されたり剥がされたりした場合に,放射線導入領域のマーキングを失い,再度位置決めして再度マーキングする必要があった(②③)。
乙9発明の目的は,従来技術の上記装置を改善することであり,接着片が剥がされたか又は取り外された後に,導入ラインマーキングが患者の皮膚に残留することを許容するものである(④)。
乙9発明は,皮膚表面にマークを付ける装置にして,第1面と第2面を有する台紙と,前記台紙の前記第2面に配置された接着層と,前記接着層に配置された第1インク層であって,前記皮膚表面に接着して置かれたときに前記皮膚表面上に転写可能なパターンを形成する,該第1インク層と,前記接着層と前記インク層を剥離可能に覆う支持ライナーと,を備え,前記パターンを形成する第2インク層が前記台紙の第1面に更に配置される装置である(⑪)。
ウ したがって,乙9発明は,以下のとおりと認定される。
「皮膚表面に放射線治療用のマーキングを付ける装置であって,第1面と第2面を有する台紙と,前記台紙の前記第2面に配置された接着層と,前記接着層に配置された第1インク層であって,前記皮膚表面に接着して置かれたときに前記皮膚表面上に転写可能なパターンを形成する,該第1インク層と,前記接着層と前記インク層を剥離可能に覆う支持ライナーと,を備え,前記パターンを形成する第2インク層が前記台紙の第1面に更に配置される装置。」
(5) 乙2文献には,原判決「事実及び理由」欄の第4,3(3)ウ(ア)記載のとおりの事項が記載されていると認められる。
(6) 特許第2891256号公報(乙3。乙3公報)記載事項の認定乙3公報には,次の記載がある。
【0002】【従来の技術】各種の転写シール,例えば,入れ墨転写シールは,水転写タイプ,有機溶剤転写タイプ,粘着転写タイプ等のものが知られている。いずれの転写シールも,転写される図案層部分(着色印刷層,着色塗膜層等)を印刷等の方法で設けるための被印刷体等としての転写基板(糊層を塗工した転写紙やシリコーン樹脂等で処理した転写剥離紙又はフィルム等),印刷や塗布で設けた図案層,水又は溶剤活性接着剤や粘着剤の接着層,必要に応じてブロッキング防止用のセパレーター(剥離紙や剥離フィルム等)を含む構成である。
【0003】水転写タイプ入れ墨転写シールの貼着操作は,まずセパレーターを取り除き,転写シールを水で湿し,転写紙の糊層を水で膨潤・溶解させると共に,水活性接着剤や粘着剤の接着層を皮膚に宛がって押さえ付け,転写紙と図案層・接着層が離れる頃合を見計らって,ずらすようにして転写紙を分離し,図案層・接着層のみを皮膚に貼着する。有機溶剤転写タイプの入れ墨転写シールの場合は,上記の「水」で湿す工程を「有機溶剤」で湿し,他は上記と同じ手順で操作し,貼着を行う。
【0004】接着層として粘着層を設けた粘着タイプ入れ墨転写シールは,セパレーターを取り除いた後,水や有機溶剤を使用しないで直接的に粘着層を皮膚に貼り付け,最後にシリコーン樹脂等で処理した転写剥離紙又はフィルムを捲るように剥がせばよい。・・・
(7) 相違点についての判断
ア 相違点1,2及び4について
乙1発明は,皮膚用の入れ墨転写シールを含む各種転写シールであり,乙9発明は,皮膚表面に放射線治療用のマーキングを施すシールであって,皮膚に線などの図柄を描く技術であるという点で共通する。
また,前記(5)で引用した原判決「事実及び理由」欄の第4,3(3)ウ(ア)のとおり,乙2文献には,基台紙,インク層,接着層,保護紙からなる転写シールについて,インク層に形成されたマークの貼り付け位置を正確にするために,基台紙を透明又は半透明とした上で,位置決め用のラインを印刷しておくことが記載されている。一方,乙9発明は,支持ライナーを剥離して台紙の第2面(皮膚に対向する面)に配置された接着層と第1インク層を皮膚に接着する際に,台紙の第1面(外側から見える面)に配置された第2インク層によって放射線治療導入域が画定されるように,位置決めをするものであり,台紙が皮膚に接着された状態では,第2インク層によって放射線治療導入域が画定される一方,台紙が皮膚から剥がれた場合でも,第1インク層を皮膚表面上に転写可能とし,第1インク層のパターンを第2インク層と同一とすることにより,同一形状の放射線治療導入域を皮膚表面上に転写した第1インク層によって画定できるようにしたものであるから,第2インク層が,台紙が皮膚に接着された状態では,それ自体で放射線治療導入領域を画定することに加え,台紙が皮膚から剥がれた場合には,第1インク層の位置決めを正確にするための指標としても機能することが予定されていたと認められる。これらのことからすると,本件特許の出願当時,転写シールをマーキングに用いることは知られており,さらに,そもそも転写シールにおいてマークをする際にその位置決めをしなければならないことは,マーキングという事柄の性質上,自明のことであるということができる。
そうすると,乙1発明に接した当業者が,これに乙9発明を組み合わせて,治療用マーカーとして用い,位置決めのための着色印刷インキ層に形成されるマークと同一のマークを表面に印刷すること,すなわち,①乙9発明では,台紙の第1面に第1インク層の位置決めを正確にするための指標としての第2インク層が配置されているから,乙1発明の剥離性シートの表面に治療用の目印となるマークの位置決めのためのマークを印刷する構成を採用し(相違点1),②乙9発明では,第2インク層のパターンは第1インク層と同一であるから,乙1発明の剥離性シートの表面に印刷するマークを着色印刷インキ層に形成されるマークと同一にする構成を採用し(相違点2),③乙9発明は,皮膚表面に放射線治療用のマーキングを付ける装置であるから,乙1発明の転写シールを治療用マーカーとして用いること(相違点4)を容易に想到することができたというべきである。
イ 相違点3について
入れ墨転写シールを含む各種の転写シールには,従来から,水転写タイプ,有機溶剤転写タイプ,粘着転写タイプ等のものが知られているから(乙1公報【0002】,乙3公報【0002】~【0004】),皮膚用の転写シールを水転写タイプとすることは,周知技術であると認められる。また,乙1発明の転写シールには,透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に,1以上の空気孔を設けてもよいのであるから(乙1公報【請求項3】【0018】),粘着剤層の粘着剤を溶解して基台紙を剥離するために水転写の方法を採用することも技術的に可能であり,これを妨げる特段の事情も認められない。
したがって,乙1発明に相違点3に係る構成を採用することは容易想到であると認められる。
(8) 以上より,乙1発明に乙9発明及び周知技術を適用して,本件発明とすることは,容易想到である。したがって,本件特許権は,特許無効審判により無効にされるべきものと認められる。
2 被控訴人らの主張に対する判断
(1) 相違点の認定について
被控訴人らは,乙1公報には「治療用マーカー」について何らの記載も示唆もないから,本件発明が「治療用マーカー」であるのに対し,乙1発明は「治療用マーカー」ではない点も相違点として認定すべきである,と主張する。
しかし,前記1(2)ウのとおり,乙1発明は,皮膚用の入れ墨転写シールを含めた各種用途の転写シールである。乙1公報には,乙1発明の転写シールが治療用マーカーに用いられることは明示されていないものの,皮膚用の入れ墨転写シールの用途については限定を設けていないから,乙1発明が治療用マーカーではないとはいえない。本件発明と乙1発明との相違点4として,「本件発明が治療用マーカーであるのに対し,乙1発明では皮膚用の入れ墨転写シールを含めた各種用途の転写シールである点」と認定するのが相当である。
(2) 相違点1,2及び4の判断について
被控訴人らは,乙9発明の「台紙」は「基材」と訳されるべきものであり,患者の皮膚に接触したままにされるから,治療用の目印となるインク層を皮膚に接着させた後すぐに皮膚から剥がされることになる本件発明の「基台紙」とは,構造を全く異にし,乙1発明に乙9発明を組み合わせたとしても,本件発明との相違点4に係る構成に想到するのは容易ではなく,また,乙9発明には「基台紙」がないから,乙1発明に乙9発明を組み合わせても,インク層と同一のマークを基台紙に印刷することを容易に想到できない,と主張する。
しかし,前記1(4)イ,ウのとおり,乙9発明の装置は,被控訴人ら主張のとおり,「台紙」を患者の皮膚に接触したままにしておく使用方法もあるが,「台紙」が剥がれた場合のことをも想定しており,「台紙」が剥がれた場合には,「台紙」は,本件発明において同じく皮膚から剥がされる「基台紙」と同様の機能を有するということができる。したがって,乙9発明の「substrate」を「台紙」と訳すことは誤りとはいえず,また,本件発明との相違点1,2及び4についての容易想到性についての被控訴人らの上記主張を採用することはできない。
(3) 相違点3の判断について
ア 被控訴人らは,乙1発明は,「水転写タイプ」を含む従来の入れ墨転写シールの課題を解決するために,「粘着転写タイプ」のシールを記載したものであって,「水転写タイプ」を動機付けるものではなく,むしろ「水転写タイプ」を不具合あるものとして排除している,と主張する。
しかし,乙1文献に明示的に記載されている実施例は「粘着転写タイプ」であるものの,「粘着転写タイプ」と「水転写タイプ」との違いは,セパレーターを取り除いた後に,転写シールの粘着層をそのまま皮膚に貼り付けるか,転写シールを水で湿してから皮膚に押さえ付けるかの点にある(乙3)にすぎないから,乙1文献記載の従来技術の問題点である「絵柄がひび割れる,剥離が困難」といった点は,水転写タイプに特有のものとは認められない。また,乙1発明が課題解決の方法として採用した特性を持つ透明弾性層が,転写シールの粘着層を皮膚に貼り付ける前に水で湿すことによってその効果を発揮しないとか,その他乙1発明を水転写タイプとすることが技術的に困難である事情は認められない。したがって,乙1発明が水転写タイプを排除しているとはいえず,被控訴人らの上記主張を採用することはできない。
イ 被控訴人らは,乙9発明は「基材」そのものが治療用の目印として皮膚に転写されるから,水転写タイプを想起させるものではない,と主張する。
しかし,前記(2)のとおり,乙9発明の装置は,「台紙」が剥がれた場合のことを想定しており,「台紙」が剥がれる場合には,「台紙」の皮膚に接着する側に配置された第1インク層が皮膚に転写され,「台紙」は治療用の目印ではなくなり,インク層のみが皮膚に転写されることとなるところ,水転写タイプもこのような構成を採用するものである(乙3)から,被控訴人らの主張を採用することはできない。
ウ なお,被控訴人らが相違点3について明示的に争っていなかったとしても,自白が成立したと認めることはできず,また,被控訴人らが相違点3について争うことが訴訟の完結を遅延させることになるとは認められないから,被控訴人らの相違点3に係る主張を民訴法157条により却下することはしない。
3 よって,その余の点を判断するまでもなく,被控訴人らの請求には理由がないから,原判決を取り消し,被控訴人らの請求をいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第2部
(裁判長裁判官 森義之 裁判官 片岡早苗 裁判官 古庄研)