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知財高等裁判所 平成28年(行ケ)10113号 判決 2016年12月26日

原告兼原告引受参加人

浜松ホトニクス株式会社

訴訟代理人弁護士

尾関孝彰

弁理士

長谷川芳樹

阿部寛

柴山健一

久村吉伸

脱退前原告

国立研究開発法人 産業技術総合研究所

被告

特許庁長官

指定代理人

中村達之

伊藤元人

山村浩

三島木英宏

田中敬規

主文

1  原告兼原告引受参加人の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告兼原告引受参加人の負担とする。

事実及び理由

第1原告の求めた裁判

特許庁が不服2015-15661号事件について平成28年3月28日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

本件は,特許出願拒絶査定に対する不服審判請求を不成立とした審決の取消訴訟である。争点は,手続補正における独立特許要件(進歩性)判断の是非である。

1  特許庁における手続の経緯等

原告兼原告引受参加人(以下,単に「原告」という。)及び脱退前原告は,名称を「レーザ着火装置」とする発明について,平成23年4月5日,特許出願(特願2011-83920号,本願)をしたが(甲6),平成27年5月20日付けで拒絶査定を受けた(甲9)。

原告及び脱退前原告は,同年8月24日,上記拒絶査定に対する不服審判請求(不服2015-15661号)をするとともに(甲7),同日,明細書及び特許請求の範囲を補正する手続補正(本願補正)をした(甲8)。

特許庁は,平成28年3月28日,本願補正を却下した上で,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同年4月12日,原告及び脱退前原告に送達された。

原告及び脱退前原告は,本件訴訟を提起したが,原告は,脱退前原告の本願の特許を受ける権利の持分を承継し,平成28年5月20日,特許庁長官に対してその承継の届出をした。原告は,同年11月25日,脱退原告の訴訟の引受けを命じられ,脱退前原告は,同年12月14日,本件訴訟から脱退した。

2  本願発明及び本願補正発明の要旨

本願補正前の特許請求の範囲の請求項1に係る発明(本願発明)及び本願補正後の同請求項1に係る発明(本願補正発明)は,次のとおりである(以下,本願補正後の本件特許の明細書及び図面を「本願明細書」という。)。

(1)  本願発明

「 燃焼室内の混合気に着火するためのレーザ着火装置であって,

前記燃焼室内に配置されたターゲット部と,

前記燃焼室外に配置され,前記ターゲット部に照射するためのレーザ光を出射するレーザ光源と,

を備え,

前記レーザ光源はマイクロチップレーザであることを特徴とするレーザ着火装置。」

(2)  本願補正発明

「 燃焼室内の混合気に着火するためのレーザ着火装置であって,

前記燃焼室内に配置されたターゲット部と,

前記燃焼室外に配置され,前記ターゲット部に照射するためのレーザ光を出射するレーザ光源と,

を備え,

前記レーザ光源は,半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えているマイクロチップレーザであることを特徴とするレーザ着火装置。」(下線部は,補正個所を示す。)

3  審決の理由の要点

(1)  本願補正発明について

ア 引用発明の認定

特開2010-101266号公報(甲1,引用文献)には,次の引用発明が記載されている。

「 燃焼室Rへと導かれた混合気に着火するレーザ着火装置であって,

燃焼室R内に配置されたターゲットTと,

燃焼室R外に位置し,ターゲットTに照射するためのレーザ光を出力するレーザ装置1と,

を備え,

前記レーザ装置1は,パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置であるレーザ着火装置。」

イ 一致点の認定

本願補正発明と引用発明とを対比すると,両者は,次の点で一致する。

「 燃焼室内の混合気に着火するためのレーザ着火装置であって,

前記燃焼室内に配置されたターゲット部と,

前記燃焼室外に配置され,前記ターゲット部に照射するためのレーザ光を出射するレーザ光源と,

を備えるレーザ着火装置。」

ウ 相違点の認定

本願補正発明と引用発明とを対比すると,両者は,次の点で相違する。

本願補正発明においては,レーザ光源が「半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えているマイクロチップレーザである」のに対し,引用発明においては,レーザ装置1が「パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置である」点。

エ 相違点の判断

① 相違点に係る本願補正発明の構成(「半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えたマイクロチップレーザ」)は,本願出願前に周知の技術(以下,単に「周知技術」という。)である(特開2006-73962号公報〔甲2〕の【0007】【0020】【0021】,平等拓範著「高輝度マイクロチップレーザーとエンジン点火」レーザー研究2010年8月576~584頁〔甲3〕の「2.2 受動Qスイッチ型マイクロチップレーザー」〔577~578頁〕参照)。

② 「マイクロチップレーザは,小型化が可能で,エネルギー効率が高い」ことは,本願出願前に周知の事項(周知事項1)である(甲2の【0017】,本越伸二著「マイクロチップ固体レーザーの開発研究」LASER CROSS,財団法人レーザー技術総合研究所ニュース2001年7月,No.160〔甲4〕参照)。

③ 低消費電力で安定した着火性能を発揮するレーザ着火装置を提供するという課題を有する引用発明において(引用文献の【0006】参照),その「パルス信号によって駆動される一般的なその半導体レーザ装置」に代えて,周知事項1を斟酌しつつ,周知技術の「半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えているマイクロチップレーザ」を用いることによって,相違点に係る本願補正発明の発明特定事項のように特定することは,当業者が容易に想到し得た。

④ また,一般的に,機械装置において装置の小型化や効率化といった課題は,普遍的かつ継続的な技術課題であるといえるところ,引用発明において,装置の小型化及び効率化のために,その「パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置」に代えて,周知技術の「半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えているマイクロチップレーザ」を採用することは,当業者の通常の創作能力の発揮にすぎない。

⑤ さらに,「自動車用エンジンやコジェネレーションシステムに用いられるガスエンジンのレーザ着火装置にマイクロチップレーザを用いること」は,本願出願前に周知の事項(周知事項2)である(特開2006-329186号公報〔甲5〕の【0007】【0037】,甲3の「4.まとめ」〔582~583頁〕参照)。そうすると,引用発明において,周知事項2を斟酌することで,引用発明の「パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置」に代えて,周知技術の「半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えているマイクロチップレーザ」を採用する動機付けがあった。

⑥ 本願補正発明は,引用発明,周知技術,周知事項1及び周知事項2から予測される以上の格別の効果を奏すると認めることはできない。

⑦ そうすると,本願補正発明は,引用発明,周知技術,周知事項1及び周知事項2に基づいて当業者が容易に発明することができたから,特許法29条2項の規定により,独立して特許を受けることができない。

オ 小括

本願補正は,特許法17条の2第6項において準用する同法126条7項の規定に違反するので,同法159条1項の規定において読み替えて準用する同法53条1項の規定により却下すべきものである。

(2)  本願発明について

本願補正は,本願発明の発明特定事項を更に限定するものであるところ,本願発明の発明特定事項を全て含む本願補正発明が,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,本願発明も,同様の理由により,引用発明,周知技術,周知事項1及び周知事項2に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものである。

そうすると,本願発明は,特許法29条2項の規定から,特許を受けることができない。

第3原告主張の審決取消事由

1  取消事由1(引用発明認定及び相違点認定の誤り)

審決は,引用発明の「ターゲットT」が本願補正発明の「ターゲット部」に相当するとした上で,相違点を認定している。

しかしながら,引用発明における「ターゲットT」は,「酸化触媒(五酸化バナジウム又は白金)を含むターゲットT」であり,これを,単に「ターゲットT」とした審決の引用発明の認定は誤りであり,その結果,本願補正発明が「酸化触媒を含まないターゲット部」を備える点で引用発明と相違するという相違点を看過している。

すなわち,引用発明は,「ターゲットT」が酸化触媒を含むことで,熱による燃焼ガスの酸化燃焼を促進する点を特徴としており,この構成は,引用発明の課題解決に不可欠な構成である(引用文献の【0027】~【0029】)。

一方,本願補正発明の「ターゲット部」は,五酸化バナジウム又は白金のような酸化触媒を含まないものである。このことは,本願補正発明の「ターゲット部」が酸化触媒を含むことについて本願明細書に何ら記載されておらず,かつ,「ターゲット部」に酸化触媒を含ませることが本願出願時の技術常識といえないことから,明らかである。

そうすると,審決の引用発明の認定及び相違点の認定には,誤りがある。

2  取消事由2(相違点の判断の誤り)

(1)  取消事由2-1

審決は,甲2及び甲4から,「マイクロチップレーザは,小型化が可能で,エネルギー効率が高い」との周知事項1を認定し,引用発明に周知事項1を斟酌しつつ周知技術のマイクロチップレーザを用いることは,容易に想到し得たと判断する。

ア 周知事項1の認定の誤り

甲2には,「本発明の受動Qスイッチレーザ装置によれば,小型化が可能であって,ピーク強度の低下を抑制しつつ偏光方向が安定したパルス状のレーザ光を出力することができる。」(【0017】)との記載が,甲4には「マイクロチップ固体レーザーは,固体レーザーの高ビーム品質,短パルスの特徴を活かすとともに,LD並みの小型化,アラインメントフリーを実現する装置である。」(6313頁右欄4~6行目),「マイクロチップレーザーの課題は出力の安定性にある。」(6313頁右欄16行目)との記載があるだけであり,これらの記載からでは,周知事項1は,本願出願前に周知の事項であるとはいえない。

なお,マイクロチップレーザは,励起光源の外にレーザ共振器及びパルス化手段を備えており,これらレーザ共振器及びパルス化手段によって,例えば,ビーム品質を考慮した制御が施される。このような制御がマイクロチップレーザのエネルギー効率に及ぼす影響を考慮することなく,マイクロチップレーザが,LD並みにエネルギー効率が高いものであるということはできない。

イ 容易想到性の判断の誤り

仮に,周知事項1が認められるとしても,相違点に係る本願補正発明の構成は,当業者が容易に想到できるものではない。

すなわち,相違点に係る本願補正発明の構成は,マイクロチップレーザから出射されるレーザ光が,「混合気に着火するためのプラズマをターゲット部において発生させることができるレーザ光の強度範囲を広く確保することが可能となる」との知見に基づくものであるが,これについては,引用文献,甲2及び甲4のいずれにも記載がなく,示唆もされていない。

なお,ターゲットに酸化触媒を含めるという引用発明の基本的技術思想に係る引用文献の記載から,「パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置」が引用発明におけるレーザ装置の一例にすぎないとはいえないし,また,後記乙2の7頁中欄16~19行目の記載から,マイクロチップレーザーのレーザー点火内縁機関への応用が提案されていることが技術常識であるとはいえない。

ウ 小括

以上から,本願補正発明が,引用発明と周知技術及び周知事項1から容易想到であるとした審決の認定判断には,誤りがある。

(2)  取消事由2-2

審決は,甲5及び甲3から,「自動車用エンジンやコジェネレーションシステムに用いられるガスエンジンのレーザ着火装置にマイクロチップレーザを用いること」との周知事項2を認定し,周知事項2を斟酌すれば,引用発明に周知技術のマイクロチップレーザを用いる動機付けがあると判断する。

ア 周知事項2の認定の誤り

引用文献に記載されているのは,「ターゲットにレーザ光を集光させて着火するターゲットブレイクダウン方式のレーザ着火装置」であるのに対し(引用文献の請求項1),甲5及び甲3に記載されているのは,いずれも,「混合気にレーザ光を集光させて着火するガスブレイクダウン方式のレーザ着火装置」である(甲5の請求項1,甲3の580頁)。

そして,ターゲットブレイクダウン方式のレーザ着火装置では,レーザ光の集光点位置を固体ターゲットに高精度に位置合わせしないとプラズマを発生させて混合気に着火することができないおそれがある一方で,ガスブレイクダウン方式のレーザ着火装置では,混合気に着火するために大きなレーザパワーが求められるという点で,両者は,技術的な課題が異なり明確に区別されるものである。

そうすると,ガスブレイクダウン方式のレーザ着火装置とターゲットブレイクダウン方式のレーザ着火装置とを区別することない周知事項2を認めることは,誤りである。

イ 容易想到性の判断の誤り

仮に,周知事項2が認められるとしても,引用発明に周知技術のマイクロチップレーザを用いる動機付けはない。

すなわち,引用発明及び周知事項2には,ターゲットブレイクダウン方式において,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができるとともに,着火に必要なレーザ光のエネルギーを低減するという点に着目して,レーザ光源としてマイクロチップレーザを用いることの示唆がされているとはいえないから,上記課題に着目して,引用発明の半導体レーザ装置に代えて,相違点に係る本願訂正発明の構成を採用する動機付けは生じないからである。

ウ 小括

以上から,引用発明において,周知事項2を斟酌することで,周知技術を採用する動機付けがあったとする審決の判断には,誤りがある。

(3)  取消事由2-3

審決は,本願補正発明が,引用発明,周知技術,周知事項1及び周知事項2から予測される以上の格別の効果を奏すると認めることはできないと判断する。

しかしながら,本願補正発明は,「レーザ光の強度範囲を広く確保することが可能となるので,レーザ光の集光点位置がターゲット部からずれたとしても,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる」との格別顕著な効果を奏する上に,この効果は,引用文献,周知技術,周知事項1及び周知事項2を開示する各文献(甲2~甲5)のいずれにおいても,記載も示唆もない。

なお,本願明細書には,実施例として,具体的な実験条件及び実験結果についての詳細な説明が記載されており(【0037】~【0044】),当業者であれば,これらの詳細な実験条件及び実験結果から,本願補正発明が,「マイクロチップレーザから出射されるレーザ光は,単位面積当たりのエネルギーが大きいので,混合気に着火するためのプラズマをターゲット部において発生させることができるレーザ光の強度範囲を広く確保することが可能となる。したがって,レーザ光の集光点位置がターゲット部からずれたとしても,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる。」という作用効果を奏することを十分に理解できる。これら作用効果は,周知事項1や周知事項2からでは,当業者が予想することができない。

したがって,審決の上記判断には,誤りがある。

第4被告の反論

1  取消事由1に対して

原告は,本願補正発明の「ターゲット部」が,酸化触媒を含まないと主張する。

しかしながら,本願補正発明の「ターゲット部」を構成する材料は,レーザ着火装置に適したものであることを当然に要するとしても,それ以上の限定がされているものではない。また,本願明細書をみても,「ターゲット部」から酸化触媒が含まれる態様が排除されるとの明記はなく,さらに,そのように解すべき技術常識もない。本願補正発明の技術的意義は,レーザ光の強度が大きい範囲を広く確保することにより,着火を確実にするものであるから(本願明細書の【0007】),そのためには,「ターゲット部」を構成する材料がレーザ着火装置に適したものであればよく,それ以上に限定されることはない。

そうすると,引用発明の認定及び相違点の認定は,ターゲットが酸化触媒を含むか否かには関係しない。

したがって,審決の引用発明の認定及び相違点の認定には,誤りはない。

2  取消事由2に対して

(1)  取消事由2-1に対して

原告は,周知事項1は本願出願前に周知の事項であるとはいえない,仮に,周知事項1が認められるとしても,相違点に係る本願補正発明の構成は,当業者が容易に想到できるものではないと主張する。

ア 周知事項1の認定の誤りに対して

審決が周知事項1として認定した技術事項は,マイクロチップレーザが,半導体レーザ(LD)並みに,小型であり,エネルギー効率が高いことであり,このことは,甲4の6313頁右欄,甲2の【0021】,及び,平等拓範著「マイクロチップ固体レーザー」レーザー研究1998年12月847~854頁(乙1)の847頁左欄17~22行目の記載から,明らかに把握されることである。

イ 容易想到性の判断の誤りに対して

引用発明は,「低消費電力で安定した着火性能を発揮するレーザ点火プラグ,及びレーザ着火装置,及びエンジンを提供する」(引用文献の【0006】)という課題を解決するものであり,その半導体レーザ装置は単なる一例にすぎないから,これに代えて,半導体レーザ(LD)並みに,小型であり,エネルギー効率が高い周知技術のマイクロチップレーザを用いることは,当業者にとって格別困難なことではない。このことは,平等拓範著「マイクロチップレーザーの開発」総研大ジャーナル2005年秋8号6~7頁(乙2)によれば,小型堅牢性があるマイクロチップレーザのレーザー点火内燃機関へ応用が提案されていることが技術常識と認められること(7頁中欄16~19行目)を踏まえれば,更に明らかである。

ウ 小括

以上のとおり,審決の相違点の判断には,誤りはない。

(2)  取消事由2-2

原告は,周知事項2を認めることはできない,仮に,周知事項2が認められるとしても,引用発明に周知技術のマイクロチップレーザを用いる動機付けはないと主張する。

ア 周知事項2の認定の誤りに対して

審決が周知事項2として認定した技術事項は,レーザ点火内燃機関においてマイクロチップレーザを用いることが周知ということであり,このことは,原告自身が,甲5及び甲3において,レーザ点火内燃機関にマイクロチップレーザが用いられているのを認めていることからも明らかである。

そして,乙2には,着火の方式に依存することなく,小型堅牢性というマイクロチップレーザの特徴に着目したレーザ点火内燃機関への応用についての記載があること(7頁中欄16~19行目),特開2008-291832号公報(乙3)には,レーザ点火型内燃機関において,レーザビームを照射する対象によらず(【0009】【0027】参照),レーザビームの品質(BPP値:焦点でのレーザビーム半径ωmm とレーザビームの広がりの半角度θmradの積)を所定値よりも小さくすることによりプラズマの範囲を広くして,着火しやすくしたものが記載されていることからすれば,レーザ点火内燃機関の技術分野においては,ガスブレイクダウン方式なのかターゲットブレイクダウン方式なのかなどといった着火の方式の違いにより光源の種別を殊更に異ならせているものとはいえず,むしろ,同種の光源を用いることも通常なされているといえる。

イ 容易想到性判断の誤りに対して

引用発明もレーザ点火内燃機関に係るものである以上,周知事項2を斟酌すれば,相違点に係る本願補正発明の構成を得ることは,当業者にとって格別困難なものではない。

仮に,引用発明のレーザ着火装置がターゲットブレイクダウン方式であるのに対して,甲5及び甲3に記載されたレーザ着火装置がガスブレイクダウン方式であることを考慮するとしても,ガスブレイクダウン方式のレーザ着火装置にマイクロチップレーザを用いるという技術を,ターゲットブレイクダウン方式の引用発明のレーザ着火装置に採用することは,やはり,当業者にとって格別困難ではない。すなわち,引用発明で用いられる半導体レーザ装置と周知技術であるマイクロチップレーザとは,小型であること及びエネルギー効率が高い点で,同様のものであり,また,ガスブレイクダウン方式であるとはいえ,甲5及び甲3に記載されたレーザ着火装置と引用発明とは,レーザ点火内燃機関として共通するからである。

ウ 小括

以上のとおり,審決の相違点の判断には,誤りはない。

(3)  取消事由2-3

原告は,本願補正発明は顕著な効果を奏するものであり,その効果は,甲2~甲5のいずれの文献において,記載も示唆もないと主張する。

しかしながら,本願明細書には,「このレーザ着火装置では,レーザ光源にマイクロチップレーザを用いている。マイクロチップレーザから出射されるレーザ光は,単位面積当たりのエネルギーが大きいので,混合気に着火するためのプラズマをターゲット部において発生することができるレーザ光の強度範囲を広く確保することが可能となる。したがって,レーザ光の集光点位置がターゲット部からずれたとしても,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる。」(【0007】)と記載されているだけであり,この記載では,レーザ光の単位面積当たりのエネルギーの大きさや強度範囲の広さが,従来技術のものに比してどの程度のものとなっているのかが具体的に示されているとはいえない。また,本願明細書によれば,レーザ光の単位面積当たりのエネルギーが大きいとは,同じエネルギーでありながら光径(集光用レンズに入射する直前のレーザ光Lの光径)が小さいことを意味すると解されるが(【0030】【図3】参照),本願明細書には,光径が具体的にどの程度小さいのかについての特定もない。

そうすると,本願補正発明が奏する作用効果の程度は,格別顕著なものとはいえない。

したがって,審決の相違点の判断には,誤りはない。

第5当裁判所の判断

1  認定事実

(1)  本願補正発明について

本願明細書(甲6,8)によれば,本願補正発明は,次のとおりのものと認められる。

ア 技術分野

本願補正発明は,燃焼室内の混合気に着火するためのレーザ着火装置に関する。(【0001】)

イ 背景技術及び解決課題

ガスエンジンの効率を向上させる装置として,レーザ光を用いて燃焼室内の混合気に点火するレーザ着火装置が注目されている。

しかしながら,エンジンのピストン上面に設置された固体ターゲットにレーザ光を集光させてプラズマを発生させ,燃焼室内の混合気に着火するターゲットブレイクダウン方式のレーザ着火装置では,レーザ光の集光点位置を固体ターゲットに高精度に位置合わせしないとプラズマを発生させて混合気に着火することができないという問題がある。また,混合気にレーザ光を集光させて着火するガスブレイクダウン方式のレーザ着火装置は,混合気に着火するために大きなレーザパワーが求められるという問題がある。

そこで,本願補正発明は,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができるとともに,着火に必要なレーザ光のエネルギーを低減することができるレーザ着火装置を提供することを目的とする。

(【0002】~【0005】)

ウ 課題解決手段

本願補正発明のレーザ着火装置は,燃焼室内の混合気に着火するためのレーザ着火装置であって,燃焼室内に配置されたターゲット部と,燃焼室外に配置され,ターゲット部に照射するためのレーザ光を出射するレーザ光源と,を備え,レーザ光源は,半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えているマイクロチップレーザであることを特徴とする。(【0006】)

本願補正発明のレーザ着火装置では,燃焼室内に配置されたターゲット部にマイクロチップレーザから出射されるレーザ光を照射してプラズマを発生させることにより混合気に着火する。マイクロチップレーザから出射されるレーザ光は,単位面積当たりのエネルギーが大きいので,レーザ光の強度範囲を広く確保することができ,そのため,レーザ光の集光点位置がターゲット部からずれたとしても,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる。また,ターゲットブレイクダウン方式を用いていることから,ガスブレイクダウン方式よりも小さいエネルギーのレーザ光により着火できるので,着火に必要なレーザ光のエネルギーを低減することもできる。(【0007】)

また,本願補正発明のレーザ着火装置において,強度範囲がターゲット部を含み,かつ,集光点位置がターゲット部の手前に位置するように,光学系が強度範囲及び集光点位置を調節すれば,強度範囲にターゲット部が含まれるので,プラズマを発生させて混合気に着火することができることに加えて,集光点位置において混合気に直接に着火することもできる。したがって,ターゲットブレイクダウン及びガスブレイクダウンの双方を発生させることができるので,より確実に混合気に着火することができる。(【0009】)

エ 発明の効果

本願補正発明によれば,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができるとともに,着火に必要なレーザ光のエネルギーを低減することができる。(【0010】)

オ 発明を実施するための形態

本願補正発明の実施形態において,エンジン装置100は,燃焼部50とレーザ着火装置1とを備えている。レーザ着火装置1は,レーザ光源11,コリメータ12,ミラー13,レンズ14,レンズ駆動部16,ターゲット部20,レーザ光制御部15を備えている。(【0013】【0014】)

file_2.jpg【図1】

レーザ光源11は,燃焼部50の外に配置されており,ターゲット部20に照射するためのレーザ光Lを出射する機能を有し,マイクロチップレーザが用いられる。マイクロチップレーザは,励起光源に半導体レーザ(LD)を用いた固体レーザである。レーザ光源11は,励起光源11a,レーザ共振器11b及びパルス化手段11cを備えている。(【0015】)

①コリメータ12は,平行光線であるレーザ光Lを形成するために用いられ,②ミラー13は,レーザ光Lの光路を制御して,レーザ光導入部84を介してターゲット部20にレーザ光Lを導光する機能を有し,③レンズ14は,レーザ光Lの強度範囲(混合気に着火するためのプラズマをターゲット部20に発生させることができる範囲)及びレーザ光Lの集光点位置Pの位置を調整する光学系であり,④ターゲット部20は,副燃焼室85内に設けられ,レーザ光Lが照射されることによりプラズマを発生させる機能を有し,⑤レーザ光制御部15は,レンズ駆動部16を制御してレンズ14をレーザ光Lの光路に沿った方向に移動させることにより,レーザ光Lの強度範囲及び集光点位置Pを調整する。(【0016】~【0020】)

レーザ光Lの集光点位置Pは,副燃焼室85内においてターゲット部20の表面上に調整されてもよいし,ターゲット部20の手前に調整されてもよいし,又は,レーザ光Lの光路上における所望の箇所に調整されてもよい。また,レーザ光Lの強度範囲は,強度範囲がターゲット部20を含むように調整される。(【0020】)

主燃焼室67内及び副燃焼室85内には,所望の混合比を有する混合気がガス導入制御部92により導入されており,レーザ光Lが集光されたターゲット部の20の表面でプラズマが発生すると,このプラズマにより,副燃焼室85に導入された混合気が着火され,燃焼ガスが生成され,この燃焼ガスは,貫通孔86を介して主燃焼室67へ噴出される。この噴出された燃焼ガスにより,主燃焼室67内に導入された希薄予混合気が着火され,急速に燃焼する。(【0028】)

図3(a)は,従来のレーザ光源から出射されるレーザ光LHが有する強度範囲I1を,図3(b)は,本願補正発明の実施形態に係るレーザ光源11から出射されるレーザ光Lが有する強度範囲I2を,それぞれ示している。レーザ光LHと同じエネルギーを有するレーザ光Lであっても,レーザ光Lはレーザ品質を示すM2値を1.2以下にできるので,レーザ光Lの光径を,例えば,数 mm に設定できる。そのため,レーザ光Lの単位面積当たりのエネルギー量を高めることができる。このため,混合気に着火するためのプラズマをターゲット部20に発生させることができるレーザ光Lの強度範囲I2を広く確保することが可能となる。したがって,レーザ光の集光点位置Pがターゲット部20からずれたとしても,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる。(【0030】)

file_3.jpg(a) ppm (b) yi【図3】

カ 実施例

①エネルギーを1パルス当たり0.94mJ及び0.21mJに設定したレーザ光Lをターゲット部20に照射して燃焼を発生させた実施例1(【0037】~【0039】【図4】【図5】),②焦光点位置Pをターゲット部20のレーザ光Lの照射面から2mm 手前に調節してエネルギーを0.15mJまで低減して着火をさせた実施例2(【0040】【0041】【図6】),③長さが12mm の強度範囲が確保されていることを確認した実施例3(【0042】【図7】,④ガスブレイクダウンによる着火が可能であることを確認した実施例4(【0043】【0044】【図8】)が示されている。

(2)  引用発明について

引用文献(甲1)によれば,引用発明は,次のとおりのものと認められる。

ア 技術分野

引用発明は,レーザ点火プラグ,レーザ着火装置及びそれらを用いたエンジンに関する。(【0001】)

イ 背景技術及び解決課題

近年,従来の点火プラグに代わるものとして,レーザ着火装置を用いたエンジンの開発が進められているが,レーザ着火装置を用いるに当たっては,着火性能の安定化という特有の問題があり,これに対し,レーザ光を常に所定位置に集光させる技術や,レーザ光を広範囲に揺動させることによってレーザ光の焦点位置であるターゲットの磨耗を低減する技術が開示されている。しかしながら,これらの開示技術では,いずれにせよ,レーザ光をピストン自体に集光させるために,ターゲットの磨耗の問題が根本的には解決されていない。

引用発明の課題は,低消費電力で安定した着火性能を発揮するレーザ点火プラグ,レーザ着火装置及びこれらを用いたエンジンを提供することである。(【0002】~【0006】)

ウ 課題解決手段

引用発明に係るレーザ点火プラグの特徴は,ターゲットが酸化触媒を含む点にある。この酸化触媒は,燃焼ガス雰囲気内でレーザ光をターゲットに集光して熱を発生させたときに,この熱による燃焼ガスの酸化燃焼を促進するため,大きな爆発力を生み出すことができる。また,酸化触媒は,一般的に消耗しにくく,半永久的に使用できるという性質を持つため,実質的に経年劣化とは無縁である。

(【0008】)

エ 最良の実施形態

引用発明のレーザ着火装置は,レーザ装置1と伝送路である光ファイバ2とレーザ点火プラグGとを含み,このレーザ点火プラグGは,レンズ装置3とターゲットTとを含む。(【0015】)

レーザ装置1は,パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置であって,レーザ光を出力して光ファイバ2に入射させる。(【0016】)

レンズ装置3は,光ファイバ2に接続され,入射したレーザ光をターゲットTに集光させる。(【0017】)

file_4.jpgLee a _ al Se Vn at eS【図1】

レーザ装置1,伝送路2,レンズ装置3及びターゲットTという構成は,従来技術に見られるが,引用発明のレーザ着火装置の特徴は,ターゲットTが酸化触媒を含む点にある。酸化触媒としては,エンジンへの適用を前提とすると,五酸化バナジウム又は白金が好適である。(【0027】【0028】)

オ 別の実施形態

図2は,引用発明に係るレーザ着火装置を適用したエンジンを示す。

エンジンは,レーザ着火装置と燃料噴射制御部10とシリンダCとを含んでおり,このシリンダCは,シリンダヘッド5とピストン71とピストンロッド72と吸気バルブ61と排気バルブ62とを含む。

レンズ装置3は,従来の点火プラグが設けられている位置と同様に,シリンダヘッド5上部のプラグ穴53に螺子固定されている。レンズ装置3から出射したレーザ光は,光路Lに沿ってターゲットTに集光される。ターゲットTは,シリンダヘッド5の燃焼室Rに配置されている。

レーザ装置1は,エンジン制御装置からパルス波の同期信号Sを受信し,これに基づき,エンジンの回転に同期してレーザ光を出力する。ターゲットTは,燃焼室Rに設けられているので,燃焼室Rにおいて,エンジンの回転に同期して着火し,混合気を酸化燃焼させることができる。

(【0030】~【0035】)

file_5.jpg【図2】

2  取消事由1(引用発明認定及び相違点認定の誤り)について

(1)  検討

上記1(2)の認定によれば,審決が引用発明として認定するところに誤りは認められず,その認定する引用発明を前提とした相違点の認定にも,誤りはない。

(2)  原告の主張について

原告は,本願明細書に「ターゲット部」が酸化触媒を含むとの記載がない以上は,本願補正発明の「ターゲット部」は,酸化触媒を含まないものであると主張する。

しかしながら,本願補正発明は,その「ターゲット部」が酸化触媒を含むものを除くと特許請求の範囲に記載されているわけではなく,原告の主張は,失当である。

仮に,本願明細書の記載を参酌するとしても,積極的に酸化触媒を含むと特定しない限りは,酸化触媒は除かれていると当業者が理解するとの技術常識があることは認められず,また,上記1(1)のように,「確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができるとともに,着火に必要なレーザ光のエネルギーを低減する」ためにレーザ光源としてマイクロチップレーザを用いたことを特徴とする本願補正発明において,着火により有利な構成となる,酸化触媒を含む「ターゲット部」を採用することが阻害されるとみるべき理由もない。そうであれば,「酸化触媒を含むターゲット部」を除くとの記載が本願明細書にない以上,本願補正発明の「ターゲット部」には,酸化触媒も含まれているというほかない。

そうすると,本願補正発明の「ターゲット部」は,引用発明の「ターゲットT」のような態様を含むものであって,両者は一致点であるから,引用発明の認定に当たり,「ターゲット T」が酸化触媒を含むと認定することが必須であるとはいえず,また,そのような認定をしないからといって本願補正発明と引用発明との相違点が看過されることにもならない。

以上のとおり,原告の上記主張は,失当である。

(3)  小括

したがって,審決の引用発明の認定及び相違点の認定に誤りはないから,取消事由1は理由がない。

3  取消事由2(相違点の判断の誤り)

審決には,「本願補正発明は,引用発明,周知技術,周知事項1及び周知事項2に基づいて当業者が容易に発明することができた。」「本願発明も,同様の理由により,引用発明,周知技術,周知事項1及び周知事項2に基づいて,当業者が容易に発明をすることができた。」との記載があるが,その相違点の判断の内容を見ると,進歩性を欠如するとした理由は,前記第2,3(1)エにて整理するとおり,本願補正発明につき,第1に,引用発明と周知技術及び周知事項1に基づいてその構成は当業者において容易に想到でき,顕著な作用効果も認められない(同①②③⑥),第2に,引用発明と周知技術に基づいてその構成を当業者において容易に想到でき,顕著な作用効果も認められない(同①②④⑥),第3に,引用発明と周知技術及び周知事項2に基づいてその構成は当業者において容易に想到でき,顕著な作用効果も認められない(同①②⑤⑥)との,独立した3つのものであることは明らかであり(本願発明についても上記同様である。なお,当事者の主張も,おおむね,この区分に沿ったものとなっている。),引用発明に,周知技術と周知事項1及び周知事項2の双方を適用して初めて本願補正発明が進歩性を欠如する,としたものではないと理解される。

以下,このことを前提に,当裁判所の判断を加える。

(1)  取消事由2-1について

ア 周知事項1の認定の誤りについて

原告は,「半導体レーザである励起光源,レーザ共振器及びパルス化手段を備えたマイクロチップレーザ」,以下,単に「マイクロチップレーザ」という。)が本願出願前の周知の技術(周知技術)であることを特に争っておらず,審決の説示に照らしても,審決が周知技術を認定したことは首肯できる。そして,周知事項1(「マイクロチップレーザは,小型化が可能で,エネルギー効率が高い」)は,それを目的に開発されている装置であるマイクロチップレーザが有する客観的性能にすぎず,当業者が新たに見出した技術思想ではないから,マイクロチップレーザが広く知られているならば,周知事項1もこの周知技術とともに当業者に広く知られていることに帰する。

しかも,次の記載によれば,周知事項1を認めた審決の認定には,誤りはない(なお,下記にある「受動Qスイッチマイクロチップレーザ」は,本願補正発明の「マイクロチップレーザ」に含まれる態様のものである。)。

① 甲2

「 本発明の受動Qスイッチレーザ装置によれば,小型化が可能であって,ピーク強度の低下を抑制しつつ偏光方向が安定したパルス状のレーザ光を出力することができる。」(【0017】)

② 甲3

「 …実験に用いた受動 Qスイッチマイクロチップレーザ…(は)太陽の1016倍もの輝度温度光が手のひらサイズ,パルス当り消費電力12mWで非常な低消費電力で達成できたことになる」(578頁右欄18~20行目)

「 自動車におけるフォトニクスとの観点から,特にそのエンジン点火を目指し受動Qスイッチ型マイクロチップレーザーの高性能化を図ったところ,4パルス列動作による12mJ出力を( パルスエネルギー3mJ,尖頭出力6MW),また7パルス動作では合計20mJを達成した。縦横モードも良好で輝度0.3PW/sr-cm2,輝度温度にして0.46ZK(4.6×1020K)を得ており回折限界に近い集光が可能となる。また輝度が高いからこそ,大気中でのブレイクダウンも確認でき,定容容器静止場における混合ガス点火実験においては,通常のスパークプラグを上回る性能が検証できた.また,実際の自動車エンジンに適用しその優れた点火特性も実証できた。一方,マイクロチップレーザーの小型化も進んでおり励起集光光学系,Cr:YAG/Nd:YAGなど一式を全長57mm のプラグ型筐体に造り込む事も行った…。」(582頁右欄8~22行目)

③ 甲4

半導体レーザ(LD)は,「固体レーザーよりも小型化が可能で,エネルギー効率も約2倍向上し,理想的にはアラインメントフリーとなる。」(1頁左欄9~11行目),「マイクロチップ固体レーザーは,固体レーザーの高ビーム品質,短パルスの特徴を活かすとともに,LD並みの小型化,アラインメントフリーを実現する装置である。」(1頁右欄4~6行目)

④ 乙2

「 分光学的な基礎に立ち返った研究の結果,共振器長が15mm の受動 Qスイッチマイクロチップレーザーにおいて,単一周波数,基本横モードでパルスエネルギー0.96mJ,時間幅480ピコ秒,すなわち,尖頭値で1.7MWに達する高輝度出力特性が実現できた。輝度にして0.14PW/sr-cm2とサブペタワットの特性が,手のひらサイズの装置により,バッテリー駆動も可能な低消費電力で得られたことになる。」(7頁左欄2~12行目)

これに対して,原告は,マイクロチップレーザのエネルギー効率は,レーザ共振器及びパルス化手段の制御によって左右されるから,これら制御が及ぼす影響を考慮することなく一概に周知事項1のようにいうことはできないと主張する。

しかしながら,たとえ,レーザ共振器及びパルス化手段の制御によってマイクロチップレーザのエネルギー効率が左右されるとしても,それを制御することによって「小型化可能で,エネルギー効率が高い」マイクロチップレーザが製作されていたのであり,そのことが周知であればよいのであるから,原告が上記に主張するような事項は,周知事項1を認定することの妨げとはならない。

以上のとおりであるから,周知事項1を認めた審決の認定には,誤りはない。

イ 容易想到性の判断の誤りについて

引用発明は,「低消費電力で安定した着火性能を発揮するレーザ点火プラグ,及びレーザ着火装置,及びエンジンを提供する」(引用文献の【0006】)という課題を解決するものであるから,その構成の「パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置」に代えて,「半導体レーザ(LD)並みに,小型であり,エネルギー効率が高い」周知技術のマイクロチップレーザを用いることは,装置の小型化及び効率化という普遍的な技術課題の解決に当たって,広く知られた技術事項を適用したというだけであって,当業者の通常の創作能力の発揮にすぎない。

原告は,本願補正発明は,マイクロチップレーザから出射されるレーザ光が,「混合気に着火するためのプラズマをターゲット部において発生させることができるレーザ光の強度範囲を広く確保することが可能となる」との知見に基づいてされたものであるところ,この知見は,引用文献,甲2及び甲4のいずれにも記載がなく,示唆もされていないと主張する。

しかしながら,相違点に係る本願補正発明の構成は,レーザ光源として周知技術のマイクロチップレーザを用いたということであって,上記知見を反映した構成ではない。したがって,当業者は,そのような知見がなくても,普遍的な技術課題に従って相違点に係る本願補正発明の構成を採用することを動機付けられる。上記知見が引用文献,甲2及び甲4に記載されているか否かは,容易想到性の判断を左右しない。

また,原告は,引用発明の基本的技術思想を述べる記載から,レーザ装置が変更できると解することはできないと主張する。

しかしながら,引用発明は,ターゲットに酸化触媒を含める構成をとり,これを特徴点とする一方で,レーザ光源としては,「パルス信号によって駆動される一般的な半導体レーザ装置」と一般的なものでよいとしているから,引用発明は,レーザ光源としては,パルスを発生させ着火に適するならばどのようなものを用いてもよいと当業者に理解される。したがって,原告の上記主張は,採用することができない。

そのほかの原告の主張も,採用することができない。

ウ 小括

以上のとおりであるから,引用発明と周知技術及び周知事項1から本願補正発明が容易想到であるとした審決の認定判断には,誤りはない。

(2)  取消事由2-3について

原告は,本願補正発明は,「レーザ光の強度範囲を広く確保することが可能となるので,レーザ光の集光点位置がターゲット部からずれたとしても,確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる」との格別顕著な効果を奏し,この作用効果は,引用文献,周知技術,周知事項1及び周知事項2を開示する各文献(甲2~甲5)のいずれにおいても,記載も示唆もないと主張する。

しかしながら,強度範囲(レーザ光が混合気に着火するためのプラズマをターゲット部に発生させることのできる範囲)は,マイクロチップレーザを含む全てのレーザ装置が有するものであり,これが,レーザのエネルギーやレンズの焦光点距離などによって左右されるのは自明のことであるから,マイクロチップレーザを採用した場合のその強度範囲の広さは,それ以外のレーザ装置を採用した場合のそれと対比して異質なものとはいえない(なお,本願明細書には,本願補正発明がガスブレイクダウンを生じさせることができるとの記載があるが,これは,単に,マイクロチップレーザが有する客観的な性能を確認したにすぎず,ターゲット部の存在を発明特定事項とする本願補正発明の顕著な作用効果として主張できるものではない。)。

そして,本願明細書には,本願補正発明で用いるマイクロチップレーザについて,一般的なものが記載されているだけで,これを具体的に特定するものではないから【0015】参照),本願補正発明で用いるマイクロチップレーザの強度範囲の広さは具体的に把握できるものではない。また,本願明細書における強度範囲についての記載は,前記1(1)ウ(【0007】),オ(【0020】【0030】)のほか,次のようなものにとどまっている。

「 また、レーザ光Lの強度範囲I2を広く確保することが可能となるので、中心軸61cに沿った方向に移動するピストン62の上面62aにターゲット部20を配置したときでも、上面62aの移動範囲がレーザ光Lの強度範囲I2に含まれていれば、確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる。また、複数の集光点位置Pにおいて同時に着火させる方法と同等の効果を有する。」【0031】

「 また、ターゲット部20の損耗により集光点位置Pとターゲット部20の位置とに徐々にずれが生じる。そのため、従来のターゲットブレイクダウン方式を用いた着火装置では、レーザ光の集光点位置の調整、又はターゲット部の交換が必要である。一方、本実施形態に係るレーザ着火装置1では、レーザ光Lの強度範囲I2を広く確保することができるので、集光点位置Pを頻繁に調整したり、ターゲット部20を交換することなく、確実にプラズマを発生させて混合気に着火することができる。」【0033】

「 <実施例2>

次に、着火可能なレーザ光Lのエネルギーについて確認した。ここでは、レーザ光Lの集光点位置Pを所望の位置に調節し、レーザ光Lのエネルギーを変化させて主燃焼室67の混合気に着火できるか否かを確認した。レーザ光源11から出射されたレーザ光Lをコリメータ12によりコリメートし、レンズ14により集光してターゲット部20に照射した。集光点位置Pは、ターゲット部20のレーザ光Lの照射面から2mm手前に調節された。

図6は、ターゲット部20に照射されたレーザ光Lの1パルスあたりのエネルギーと着火の成否との関係を示す。点D1から点D8の各点は、着火が成功したことを示す。点D1から点D7の各点はレンズ14が有する焦点距離が100mmである場合の結果を示す。点D8はレンズ14が有する焦点距離が150mmである場合の結果を示す。図6の点D1から点D7を確認すると、焦点距離が100mmのレンズ14を用いた場合には、1パルスあたりのエネルギーが0.21mJから0.94mJの範囲において着火が成功していることがわかる。さらに、図6の点D8を確認すると、焦点距離が150mmのレンズ14を用いた場合には、1パルスあたりのエネルギーが0.15mJの場合でも着火が成功していることがわかる。これは、レーザ光源11にマイクロチップレーザを用いており、且つ長い焦点距離を有するレンズ14を備えているので、レーザ光Lのエネルギーを例えば1パルスあたり0.15mJまで低減しても着火が可能であることを示している。」【0040】【0041】

file_6.jpg(a6) Anat xaN— lod,上記各記載は,マイクロチップレーザを用いた場合の作用効果につき,そもそもマイクロチップレーザを用いない場合と対比していないか,あるいは,その場合と対比してはいるものの,その差異を具体的に把握できないものである。したがって,本願明細書から引用発明と異なる本願補正発明の顕著な作用効果を確認することは困難である。

そうすると,本願補正発明の作用効果は,引用発明に周知技術を適用したものから当業者において予想できる作用効果を超えたものと認められず,そうであれば,結局,当業者において予想できる範囲内のものというほかない。

以上のとおりであるから,原告の上記主張を採用することはできず,取消事由2-3は,理由がない。

第6結論

以上のとおり,取消事由1,取消事由2-1及び取消事由2-3は,いずれも理由がなく,本願補正発明は,当業者において容易に発明をすることができたものといえるから,取消事由2-2について判断するまでもなく,原告の請求は,理由がない。

よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水節 裁判官 中村恭 裁判官 森岡礼子)

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