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神奈川簡易裁判所 昭和53年(ろ)74号 判決 1981年3月23日

主文

本件公訴を棄却する。

理由

一  本件公訴事実は、

被告人は、昭和五二年四月二二日午前〇時四三分ごろ、神奈川県公安委員会が道路標識によって最高速度を五〇キロメートル毎時と定めた横浜市鶴見区東寺尾北台一一番一号付近道路において、右最高速度を超える七六キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転したものである。

というものである。

よって、右について審究する。

二  本件は、いわゆる覆面パトカーによる追尾測定の事件であるから、先ず覆面パトカーの意義及びこれによる追尾測定方法についての検討から始めることとする。

1  覆面パトカーの意義

覆面パトカーは、外見上は一般の乗用車と同じ形態であるが、緊急自動車の要件を満すために、前面に赤色灯二灯を、屋根には、運転席でスイッチを操作すると飛出す仕掛けになっている赤色廻転灯をそれぞれ備え、更にサイレン及び速度測定用のストップ針付速度計(以下単に測定用メーターと称する)を装備し、かつ、緊急自動車の指定を受けている車両であり、右の形態については、当裁判所の検証の結果により、また、緊急自動車の指定については、司法警察員作成の緊急自動車指定書謄本により、又、本件取締が右覆面パトカーによるものであることは、被告人及び取締担当者であった証人増田博政、同清水茂平の当公判廷における供述によってこれを認めることができる。

2  追尾測定の方法について

追尾測定は、速度違反車両と認められる車両を発見したときは、これを追上げて車間距離をつめ、目測で被追尾車両との車間距離を一定に保つように、速度を被追尾車両に合せて調整し、一定の距離を追尾して、この間の走行速度を測定し、測定終了の際、測定用メーターの針を固定し、しかる後に、屋根の赤色廻転灯を出して点灯し、サイレンを鳴らして、被追尾車両の運転者に追尾車がパトカーであることを気付かせて停止せしめ、測定用メーターの針の指示する速度を被疑者である運転者に示してこれを確認させ、被疑者の車両の速度(厳格に言えば、追尾車であるパトカーの速度)を記載した速度測定カードの確認者氏名欄に、被疑者の氏名を記載させてこれを立件する方法であり、追尾測定中は、被追尾車両の運転者である被疑者に、追尾を気付かれないようにするため、屋根の赤色廻転灯は出さず、サイレンも鳴らさないが、緊急自動車の最少限度の要件を満すため、前面の赤色灯二灯のみを点灯して追尾走行する方法である。

《証拠省略》を総合すると、本件の追尾測定における被告人車両との車間距離は約一五メートル、追尾測定区間(測定開始から測定終了までの走行距離)は約一三五・五メートル、測定結果の被告人車両の速度として、右測定カードには、七六キロメートル毎時と記載されていることが認められた。

三  被告人・弁護人の主張

1  本件公訴事実について、被告人は、起訴状記載の日時にその場所を走行したことは認めたものの、その速度は五〇ないし六〇キロメートル毎時であって、起訴状記載のような速度ではなかったと主張し、被告人が、七六キロメートル毎時と記載された速度測定カードの確認者氏名欄に署名したのは、これを否認すると、その遣取りに時間がかかり、乗車中のお客が他のタクシーに乗替えてしまうからそれを避けるために止むなく署名したものであると主張し、又、弁護人は、覆面パトカーによる追尾測定は、道路交通法の基本精神や警察庁次長通達(昭和四二年八月一日庁乙交発第七号)に違反しており、憲法第三一条の法定手続の保障規定に反するものであり、かつ、追尾測定は不正確であるから、被告人に対し、無罪又は公訴棄却の判決をなすべきであるとして、その理由を、左の通り主張している。

2  覆面パトカーによる追尾測定を違法とする理由

(ア)  夜間、閑散な道路を、交通の流れに乗って安全に走行していた被告人車両を、覆面パトカーによる追尾測定で検挙したのは、道路交通法の精神に反し、かつ、警察庁次長通達で禁止した、「いわゆる点数主義に堕した検挙のための検挙」に当り、「危険性の少ない軽微な違反であるにも拘らず、警告による指導を積極的に行うこと」もせず、「ことさら身を隠して取締りを行ったり、予防または制止すべきにも拘らず、これを黙認してのち検挙した」りしたことに当り、適正手続の保障規定である憲法第三一条に違反する取締である。

(イ)  覆面パトカーは、追尾測定の際、前照灯の外、前面の赤色灯を点灯しているに過ぎず、しかも、その赤色灯は、フロントグリルの内部に設置されているため見えにくく、緊急自動車として要求されるところの、前方約三〇〇メートルから確認しうるものとの、道路運送車両の保安基準第四九条に違反している。

(ウ)  交通の流れに乗って走行している車両を追尾測定する際に、サイレンを吹鳴しないのは、緊急自動車に対して求められる道路交通法施行令第一四条但書の、「特に必要があると認めるときは、サイレンを鳴らすことを要しない」との規定の要件を満さないものである。

(エ)  追尾測定車であるパトカーは、自らも速度違反を犯して危険を増幅し、かつ、道路交通法第二六条の車間距離義務に違反した違法な取締である(同法第三九条、第四一条、第四一条の二は、第二六条の適用除外を規定していない)。

(オ)  前記三2(ア)ないし(エ)の違法な取締によって得られた速度測定の結果は、違法に収集された証拠であって、採証法則に違反しているので排除されるべきである。

3  追尾測定を不正確とする理由

(ア)  追尾測定をするパトカーの測定用メーターは、一般車両のメーターと基本的に異るものではないから、不正確であり、しかも、取締の直前の検査すらなされていない状態である。

証人池田邦明は、測定用メーターの読取りで、「絶対にプラス・マイナス零という読みはできない」と明言し、タイヤの磨耗や警察官の見る角度により誤差があり、しかも、自動車検査用器具精度試験成績表によると、誤差は、いずれもプラス誤差であることが認められ、更に測定用メーターの針にぶれがあり、その許容度(許容振巾)は一キロメートル毎時であることが認められる。

(イ)  追尾測定は、車間距離を目測によって等間隔に保つように運転し、追尾車両であるパトカーの速度を、被追尾車両の速度として測定するものであるから、機械による測定と異り、測定開始から測定終了までの間、車間距離を等間隔に保って走行したという点については、全く、追尾車両の運転者の経験と勘に頼っているに過ぎず不正確である。

被告人・弁護人の主張の要旨は凡そ右のとおりである。

四  右被告人・弁護人の主張三1、2(ア)ないし(オ)についての判断

1  被告人・弁護人主張三1について、

被告人は、起訴状記載の七六キロメートル毎時の速度を争い、本件当時、五〇ないし六〇キロメートル毎時で走行したと主張しているが、《証拠省略》を総合すると、被告人の車両は、その主張するような五〇ないし六〇キロメートル毎時の速度ではなく、七〇キロメートル毎時を超えた速度で走行していたことが明らかであるから、この点に関する被告人・弁護人の主張は理由がない。

2  被告人・弁護人の主張三2(ア)ないし(オ)について

これについては、検察官の論告要旨記載の理由が妥当であると考えられるので、その要点を記載すると共に、若干の補足説明を加えることとする。

(ア)  覆面パトカーによる追尾測定を違法とする主張について、

弁論要旨記載のとおり、従来の取締第一主義の道路交通取締法が、道路交通の基本原則を定めた道路交通法に改正され、その目的が第一条に掲記されたこと、又、昭和四二年八月一日付の警察庁次長通達が、取締に関して弁護人主張のような内容を規定していることは認められる。

弁護人は、覆面パトカーが、外見上一般の乗用車と同一の形態をなしていることから、「ことさらに身を隠した取締」であり、右通達に反する違法な取締であると主張しているが、右通達は、その適用の前提条件として、「軽微な違反に対しては……」と規定しており、悪質な運転者に対しては、これが適用を除外する趣旨であることを明言している。

交通の流に従って安全に走行している運転者は、その走行が規制速度を上廻っても軽微な違反であるから、右通達の適用がある旨弁護人は主張しているが、一般的に交通三悪とされているもののうちに、無免許、酒酔運転のほかに、速度違反が含まれていることを考慮するならば、規制速度を二〇数キロメートル毎時も上廻る運転は、仮令交通の流れに乗って走行していたとしても絶対に安全であるとはいえず、事故発生時における被害の拡大に思を致すならば、悪質な危険な運転といわざるを得ないのである(スピードの上昇化は、事故発生率を加速度的に高め、かつ、運動エネルギーの急騰化と相まって、動く物体の運動エネルギーがE=1/2mV2で表わされるように、速度の自乗に比例するものである―詳解道路交通法木宮、岩井共著六一頁)。

そして、悪質な違反者を取締るためには、覆面パトカーを使用して取締る必要があり、これが適法であることは、検察官新井仁の論告要旨摘示のとおりである。

なお、この点に関しては、《証拠省略》に示されるように、悪質運転者の例としては、規制速度を無視して大幅にこれを上廻って走行したり、交通の流れを撹乱して追越をする者がこれに当り、又、取締の実情を熟知し、これを免れようとする悪質運転者を取締るためには、覆面パトカーは止むを得ない手段であって、「ことさらに」身を隠して取締をしているものではないから、覆面パトカーによる追尾測定は、道路交通法の精神や前記通達に違反するものではなく適法であり、法定手続の保障規定違反の問題は生じないこととなる。

又、弁護人は、前記通達が、「軽微な違反については、警告による指導を行うべきこと」と規定していることから、深夜交通閑散な道路において、流れに乗って安全に走行していた被告人の場合には、仮令規制速度に違反したとしても、それは軽微な違反であり、これに対して、警告もせず検挙したのは、違反を黙認しての検挙のための検挙であると主張しているが、前述の如く、被告人は、公安委員会の規制速度である五〇キロメートル毎時は勿論のこと、法定速度である六〇キロメートル毎時を一〇数キロも上廻る高速で走行していたものであるから、到底軽微な違反とはいえず、警告による指導の範囲外にあり、予防又は制止すべき場合にも当らないから、本件取締は、検挙のための検挙にも当らないものと解される。

なお、弁護人は、交通の流れに乗って走行するときは、規制速度を上廻っても、軽微な違反に過ぎないと主張しているので、規制速度と交通の流れとの関係、及び取締状況等について一言することとする。

如何なる道路において、如何なる車種の車両をどのような速度で走行させるのが交通の安全と円滑の面で最もよいかの問題は、立法を含めた広義の交通政策の問題であり、一般の道路において乗用車の最高速度を六〇キロメートル毎時と定めているのは、この程度の速度が、自他共に安全、かつ、円滑な走行速度と認められるからに外ならない。

又、どの道路をどのような速度規制にするかは、当該道路を管轄する公安委員会の告示に委ねられているのは、当該公安委員会が、その道路についての具体的交通事情を知悉し得る立場にあると考えられているからである。

そして、その公安委員会の道路規制が著しく適切を欠き、交通渋滞や危険性を増大するような場合には、その規制は、具体的妥当性を欠くものとして、改善のための手続(行政上の措置)が取られるべきものとなる。

そして、事情によっては、証人大平一男が当公判廷で供述しているように、五〇キロメートル毎時の規制道路を、夜間の交通閑散な時間帯に限り、規制を解除して、法定の六〇キロメートル毎時にするという細かい配慮のある規制をすることが必要な場合もあろう。しかし、右特段の事情のない本件道路の場合には、昼夜の別なく五〇キロメートル毎時に規制していることが、直ちに、交通の渋滞を来たすような不当な規制であるとみることはできないから、本件道路についての右規制は、一応妥当なものと考えられる。

ところで、現実の道路における交通状況をみるに、車両が少くて、道路が閑散としている場合には、規制速度を若干上廻って走行するのが常態であり、これが弁護人の主張する自然に形成された交通秩序―交通の流れ―であるが、この流れを形成する各車両の運転者の殆んどが、規制速度を認識したうえで、それを若干上廻って走行しているのであるから、若し、規制速度五〇キロメートル毎時を解除して、法定の六〇キロメートル毎時にした場合には、更に、それを上廻って走行する可能性があり、速度規制の枠は、緩めれば緩める程、速度はエスカレートし、それに比例して危険性は増大することになる。

従って、安全にして、しかも、円滑な交通秩序を維持するためには、道路事情に適応した速度規制と、これを守ろうとする運転者の遵法精神を涵養することが急務となるわけである。

そして、流れに乗って走行する自動車が規制速度を上廻っている場合、その走行は違法であるが、規制を上廻る程度が小さく、数キロメートル毎時という場合には、可罰的違法性を有しないものとして、取締の対象外となる。しかし、本件のような規制速度を二〇数キロメートルも上廻る場合には、到底、可罰的違法性を有しないものということはできない。

そこで、現実の交通取締の状況について一言すると、規制速度を数キロメートル毎時を超えた程度の場合は、前記の如く、その運転は可罰的違法性を有しないから、これを取締ることは、社会的妥当性を欠くと考えられるが、本件道路のような五〇キロメートル規制の場合をみるに、凡そ超過速度一〇キロメートル毎時程度迄は、軽微な違反として、警告するに止め、それを上廻って走行する場合に限って取締の対象としているのが常態である。このことは、《証拠省略》によっても認められ、そしてこの取締方法は、前記次長通達にも適合した極めて妥当な取締というべきである。

(イ)  被告人・弁護人の主張三2(イ)について、

フロントグリルの赤色灯は、検証の結果、弁護人主張のとおり、外部に露出して装備されておらず、前面からやや内部に入った箇所に装備されていることが認められる。

これは、一見外部から確認しにくい状態にあり、車体の外部に装備するのが望ましいが、道路運送車両の保安基準第四九条の前方三〇〇メートルの距離からその点灯状態の確認は可能であり、特に本件のような夜間には、昼間に比して確認し易く、右基準に適合しているものと認められる。

又、フロントグリルの赤色灯の点灯のみで、緊急自動車としての最少限度の要件は満たされているから、この赤色灯の点灯のみで追尾測定をした場合であっても、違法ではないと解される。

(ウ)  被告人・弁護人の主張三2(ウ)について、

追尾測定の最中にサイレンを鳴らさないのは、緊急自動車の要件を満たさないものと弁護人は主張するが、規制速度である五〇キロメートル毎時を約五〇パーセントも上廻って走行している速度違反車は、前記2(ア)記載のとおり、「予防又は制止すべき軽度の違反」ではないから、これを追尾する際、サイレンを鳴らさなかったとしても、道路交通法施行令第一四条但書に規定する速度違反取締の場合の「特に必要あると認める場合」に当るものと解され、違法ではない。

(エ)  被告人・弁護人の主張三2(エ)について、

速度違反取締のため、追尾測定車自らも、速度違反を犯し、かつ、車間距離を無視して行う追尾測定は違法であり、危険を増幅するものであるというが、速度違反取締のための緊急自動車には、道路交通法第四一条第二項により、速度制限の規定である同法第二二条は適用されない。

道路交通法上、緊急自動車と雖も、車間距離保持義務は、第三九条、第四一条によって解除されていないと弁護人は主張するが、追尾測定による速度測定のためには、正確を期する必要上、車間距離を或る程度つめて測定開始から測定終了までの間、同一の車間距離を保って走行する必要がある。

そして、追尾測定における衝突の危険を避けるために、特別の訓練を経た、いわゆる熟練者がこれに当り、事故の発生のないよう十分配慮されており危険性は少ない。

又、追尾測定は、速度違反車両の速度の測定という目的のため、証拠保全の捜査であって、刑法第三五条の法令による正当な行為として、違法性が阻却されるものと解され、これが適法であることは、検察官の論告要旨記載の判例(大阪高裁昭和五三年六月二〇日、高裁判例集三一巻二号一〇九頁)の示すとおりである。

(オ)  被告人・弁護人の主張三2(オ)について、

弁護人は三2(ア)ないし(エ)において述べた理由により、覆面パトカーによる追尾測定の結果収集された証拠は、違法に収集された証拠であって排除されるべきであると主張しているが、前記四1、2(イ)ないし(エ)において述べた理由により覆面パトカーによる追尾測定は適法であり、これによって得られた速度測定結果は、適法に収集された証拠であるから、弁護人の主張は何れも採用することはできない。

3  追尾測定の正確性について(被告人・弁護人・検察官の主張に対する判断)

(ア)  追尾測定は、追尾車両であるパトカーの速度を被追尾車両である被告人の速度と推定するものであるから、追尾測定の正確性の要件としては、追尾測定の際、パトカーが被追尾車両である被告人の車両と等しい車間距離を保って走行して速度を測定したこと、追尾車両であるパトカーの速度測定用のメーターが正確であることが挙げられる。

検察官は、本件追尾測定は、十分な訓練と経験を積んだ警察官(増田博政、小林一郎)が、通常と変らぬ順序方法で等間隔追尾をして速度の測定を行ったもので、被測定車両である被告人車を取違える等の誤認はなく、追尾測定の正確性、信用性は極めて高く、これは経験則上、明らかであって、証拠として採用済みの裁判例によって裏付けられている旨主張している。

しかしながら、弁護人主張の如く、本件追尾測定における車間距離約一五メートルは、パトカーの運転者及び助手席に同乗しているオペレーターの経験と勘(主として運転者の経験と勘)により、目測によって、等しく保たれるように運転されたものであって、機械で測定して車間距離を等しく保って走行しているわけではないから、等しい車間距離を確実に維持して走行したと断言することはでき難く、しかも、本件の場合には深夜であり、昼間に比して被追尾車両を正しく捕促し、肉眼で車間距離を等しく保って走行することは困難な状況下にあり、このことは生理学的にみても、夜間は昼間に比して視力が低下すること、また、走行中の車両から物を見る場合は、動態視力の理論(法務省刑事局・検察資料一二〇号、昭和三八年八月、交通医学に関する諸問題所収)にみられるように、視力一・五の人も一・〇或は〇・六に視力が低下するという生理現象は避け難く、これらを総合考慮するならば、或る程度の誤差の発生は免れ得ないと考えられ、追尾測定における目測による車間距離の不正確―測定結果の不正確―を主張する弁護人の主張は、検察官の主張立証に対して合理的な疑を入れる余地があると考えられる。

しからばどの程度の誤差が生ずる可能性があるかについては、パトカーの測定用メーターの正確性について論じた後に検討することにする。

(イ)  検察官は、本件パトカーの測定用メーターは、毎月定期的に試験機による検査を受け、精度の適正が証明されているし、本件違反日より三日前の、四月一九日に実施した検査において、六〇キロメートル毎時と八〇キロメートル毎時の走行状態において、マイナス二キロメートル毎時の数値を示しており、これは被告人に不利益な測定結果が生じないように調整されていることを示すものであると主張し、更に、測定用メーターの試験機も、その精度確保のため、毎月定期的に資格を有する民間業者が較正器を使用して電気的な検査を実施して、精度の適正であることが証明されているから、その正確性は科学的に証明されていると主張している。

そこでパトカーの測定用メーターの正確性について検討する前に、先ず、被告人運転の車両に設置されたタコグラフチャート紙の検査結果および鑑定について触れることとする。

科学捜査研究所鑑定技術吏員高尾忠利、同戸叶和夫作成のチャート紙の検査結果によると、本件被告人車両の速度は七四・四キロメートル毎時であり、鑑定人杉浦留男作成の鑑定補充書では、被告人車両の速度は、下が七四・六で上が七六・一キロメートル毎時で、一三五・五メートルの測定区間(測定開始地点から測定終了地点までの距離)に一・五キロメートル毎時加速された状態になっていることが認められる。

右チャート紙は、タコメーターに設置する際に「ずれ」があるため、零点を何処で調整して解析するかによって、速度の読みに若干の違いが生ずることが、証人高尾忠利の当公判廷における供述によって認められ、右証人の供述によると、チャート紙の表示する速度七九・二キロから四・八キロ分だけ零点の修正をし、七四・四キロメートル毎時の速度を出したものである(79,2-4,8=74,4)ことが認められる。

そして、零点を何処に求めるかについては確定的な基準がなく、チャート紙を解析をする人の主観によって速度の読みに若干の差の生ずることが証人杉浦留男の当公判廷における供述によっても認められる。

それに、タコグラフは、道路運送車両の保安基準第四八条の二の第2項により、三五キロメートル毎時で、プラス一五%、マイナス一〇%までの誤差が許容され、更に製造の実質規格は、六〇キロメートル毎時位の所で、プラス・マイナス三キロメートル毎時であることが、証人高尾忠利の供述によって認められるので、タコグラフは、速度認定の資料としては不正確なものであると認められる。

しかし、これは、運行管理という行政上の目的から装備されているものであり、この点は、検察官赤羽英行追加論告要旨記載のとおりである。

従って、本件のような一キロか二キロメートル毎時の速度が論点となる事案においては、右タコグラフのチャート紙の解析による速度は、これによって、事案の帰趨を決するだけの証明力は期待し得ないことになるが、ここで注目すべきは、前記杉浦留男の鑑定補充書にみられる、追尾測定の開始から終了迄の一三五・五メートルの間に、被告人の車両が一・五キロメートル毎時の加速状態にあったという事実である。

(ウ)  そこで、上記のチャート紙解析を基礎としたうえで、本裁判の焦点とも言うべきパトカーの速度測定用メーターの正確性を検討する。

検察官は、パトカーの測定用メーターは、測定結果が被告人に不利益にならないように、実際の走行速度よりも、指示速度の方がマイナス値に表示されるようになっているとし、その証拠として、警察署でメーターの検査を担当している証人藤原昭司の当公判廷の供述、司法警察員稲岡邦夫作成の交通取締用自動車のストップ斜付速度計検査結果書(二通)、同藤原昭司作成の自動車検査用機械器具精度試験成績表(二通)を引用している。

しかしながら、測定用メーターも一般乗用車のメーターも基本的構造においては差異がなく、唯、測定用メーターの方が、速度指示が正確に出るように作られているに過ぎないことは、測定用メーターの製作販売会社(関東精器株式会社)の社員である証人永田郁男の当公判廷における供述によって認めることができる。

関東精機株式会社のストップメーター構成仕様書によると、指示公差は、四〇キロないし一〇〇キロメーター毎時の際、マイナス一ないし三となっているが、右証人永田の供述によると、測定用メーターは構造上、マイナスの誤差になるように特別作られてはおらず、又、測定用メーターの針の振れについては、ケーブルを使っている関係で、揺れて読みにくい状態、即ち、針の振巾があり、その許容振巾は、一キロメートル毎時であることが認められ、前記仕様書にも、四〇ないし一六〇キロメートル毎時の間、許容振巾が一キロメートル毎時である旨記載されている。

そして、右証人永田は、実際にメーターの指針が六〇キロメートル毎時を指している走行状態で、スイッチを押してメーターの針を止めた瞬間に、六一キロメートル毎時のところで針が停止することもあると述べているから、測定用メーターと雖も、若干の誤差の発生は避け難いものであることが明らかである。

更に、測定用メーターを毎月定期検査している証人池田邦昭は、常に揺れているメーターを、絶対にプラス・マイナス零の状態で読むことはできない。例えば、〇・一なり〇・五なり……数字はいくらとはいえないが、読取る際に誤差が出ると述べ、測定用メーターのテストの場合でも、一キロメートル毎時迄はないが、多少の誤差はあり、メーターを見る人の位置によっても若干の違いがあり、正確に読むのは難しいと述べている。

以上を総合すると、メーターの読みの誤差は〇・五キロメートル毎時前後の幅で出る可能性があること、測定終了時の針を停止させる場合、一キロメートル毎時程度の指示誤差の可能性のあることが認められる。

(エ)  そして、右に関連して問題となるのは、パトカーの乗務員らが、前記杉浦留男の鑑定補充書記載の、被告人車両が追尾区間の一三五・五メートル走行する間に一・五キロメートル毎時の加速状態にあった点を認識していなかったと思われる事実である。

むしろこれは、前記のような認識し得なかった読取りの誤差というべきであるかも知れない。

追尾測定の場合、パトカーの乗務員は、目測で被追尾車両との間隔を一定に保って、被追尾車両の速度に合せて走行し、等速で走行している状態で測定するのが通常であり、等間隔で、かつ、等速で走行している限り、両車両の速度は当然同一である筈である。そして、車間距離が等しく保たれていれば、被追尾車両が加速状態になると、追尾車両も当然のこととして加速状態になっていなければならないわけである。

ところが、本件の場合、パトカーの測定用メーターの指針は、七六キロメートル毎時で固定したことになっており、前記の如く、被追尾車両の加速状態は、パトカーの乗務員には何故か認識されていなかったわけである。

従って、パトカーの測定用メーターにこの一・五キロメートル毎時の加速状態が出ていなかったとすれば、測定用メーターが不正確であるということになるし、メーターが正確であったとすれば、この測定時間である約六秒四前後(約七五キロメートル毎時は、秒速約二一メートルであり、追尾区間は一三五・五メートルであるから135.5/21÷6.4)の間に一・五キロメートル毎時分だけ測定用メーターの指針が上昇している状態を、パトカーの乗務員は正確に読取ることができなかったものとなるし、或は又、司法警察員作成の実況見分調書によって認められるように、百分の二の上り勾配という微妙な道路での追尾区間、車間距離を等しく保って走行したつもりであったが、それが困難であって、被告人車両が加速状態となっているのを正確に追尾できず、パトカーのみが、七六キロメートル毎時の速度を維持したままで走行(即ち、被告人車両との車間距離が僅かずつ開いた状態)したものか、その何れかの可能性がある。

そして、右測定時の差異が、前記のように測定用メーターの不正確さによるものか、読取りの誤差か、車間距離の不正確さかの何れに起因するのか、或はその総てに起因するのか詳らかではないが、何れにしても、一・五キロメートル毎時という差は、追尾測定の誤差であることは明らかである。そして、その外に、前記のメーターの針を停止させた際の誤差分として、一キロメートル毎時の可能性もある。

これらを総合すると、追尾測定の結果には、二ないし二・五キロメートル、少くとも二キロメートル程度の誤差の存在は否定し得ないところであり、従って、被告人の車両の速度は、パトカーの速度測定用のメーターの指示速度である七六キロメートル毎時から二キロメートル毎時を差引いた七四キロメートル毎時であると認められる(仮に、右誤差二キロメートル毎時がプラス・マイナスの双方に出る可能性があるとした場合、被告人車両の速度は、76±2=78~74即ち七八ないし七四キロメートル毎時となるが、刑事裁判においては、このような誤差の生ずる場合には、特段の事情の認められない限り、被測定者たる被告人の利益に斟酌すべきであると考えられる)。

五  以上審究の結果、検察官主張の、覆面パトカーによる本件追尾測定は、適法であるが、測定結果の七六キロメートル毎時の正確性については、弁護人主張のとおり疑問があり、被告人車の速度は、規制速度である五〇キロメートル毎時を二四キロメートル毎時超過した七四キロメートル毎時であったと認められる。

ところで、《証拠省略》を総合すると、本件被告人の速度違反の所為は、道路交通法第一二五条の反則手続に付するにつき何ら障害はないから、本件について、被告人に対し反則通告手続を経るべきところ、この手続を経ていないことが明らかである。

従って、本件公訴提起は、道路交通法第一三〇条に違反してなされたものであって無効であるから、刑事訴訟法第三三八条第四号により公訴棄却すべきものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤巻純雄)

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