大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 平成元年(ヨ)423号 決定 1990年4月10日

債権者 モハメッド・ワシ・サイガル

右代理人弁護士 小原望

同復代理人弁護士 東谷宏幸

同 叶智加羅

債務者 有限会社ジャパン・トレーデング・カンパニー

右特別代理人弁護士 永田徹

債権者が金一〇万円の保証を立てることを条件として、次のとおり決定する。

主文

債務者会社は、別紙目録(二)記載の帳簿、書類を、債務者会社本店において、営業時間内に限り債権者又はその代理人に閲覧謄写させなければならない。

債権者のその余の申請を却下する。

申請費用は債務者の負担とする。

理由

第一申立

一  債権者

債務者会社は、別紙目録(一)記載の帳簿、書類(以下「本件文書」という。)を、債務者会社本店において、営業時間内に限り債権者又はその代理人に閲覧謄写させなければならない。

二  債務者

債務者の本件仮処分申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

第二主張

一  債権者

1  申請理由

(一) 債務者は、貿易及び物品の販売等を目的として昭和三六年五月一九日設立された資本の総額三〇〇〇万円(三万口―出資一口の金額一、〇〇〇円)の有限会社である。

(二) 債権者は、債務者会社の資本の一〇分の一以上に当る八、九一三口の出資口数を有する社員である。

債務者は、仮に債権者への持分の移転があったとしても社員名簿に記載がないから持分を会社に対抗できないと主張する。しかし、社員総会議事録に債権者への持分移転が記載され、債権者の持分が明白であるにもかかわらず会社の側で不当に債権者の持分を否定しているのであるから、本件では社員名簿の記載がなくとも社員権を会社に対抗しうるというべきである。

(三) 債務者には、昭和六〇年四月五日付で社員総会を開き、エム・ユソフ又はエム・コースフ(以下「ユソフ」という。)を議長とし、代表社員ユソフの辞任等の案件について議決した旨の議事録(以下「本件議事録(一)」という。)が存在する。

しかし、ユソフは、すでに同年二月一四日に死亡していた。債権者は、有限会社法第三六条による招集通知を受けておらず、本件議事録についての債権者の署名も、債務者会社の従業員高瀬順子や税理士飯山正二等の巧みな誘導により錯誤によってなされたものであるから、右決議は不存在かつ無効である。

(四) また、債務者には、昭和六一年四月七日付で社員総会を開いた旨の議事録(以下「本件議事録(二)」という。)が存在するが、右社員総会についても所定の手続を履践しておらず、しかも、右議事録には社員総会の決議事項ではない持分権の存否について決議をした旨記載されている。

すなわち、昭和五九年九月二九日開催された社員総会において、債権者がファターマ・ベグムよりその持分六、九〇〇口を正当に譲受けているにもかかわらず、その事実を否定し、マタ、ユソフの有していた持分を一方的に分割して各社員の出資口数を変更すると決議した旨の記載が存在する。また、この決議は、定款の変更を伴うものであるが、定款変更決議の要件である社員の四分の三以上の同意も存しない。

(五) さらに、取締役たる債権者を正当な理由なく解任し、「今後は、当社の取引銀行すべてに対する関係で、エム・ワシ・サイガルの署名なしに各取締役が単独で会社のために預金の引き出し、小切手の振出しその他すべての取引を行うことができる。」という不当な社員総会決議をした。

(六) 右のような種々の社員総会決議は、会社の創業者であるユソフの死亡後、同人の第二妻である高瀬順子が他の相続人と共謀のうえ、自らの個人的な利益の追求のために会社の機関を利用した著しく不公正な行為で無効というべきである。

(七) また、昭和六一年一月二〇日ユソフの相続財産に関する仲裁判断(以下「本件仲裁判断」という。)がパキスタン国においてなされたが、この仲裁判断の中で、債務者会社所有の土地(神戸市中央区山本通二丁目五番の一)が相続財産として扱われているのにもかかわらず、債務者は何らの法的措置もとらないばかりか、これを追認するかの如き態度を示している。しかも、右高瀬は、債権者の正当な代理人による社員として当然認められるはずの債務者の定款・会計帳簿等の閲覧・謄写請求をもかたくなに拒絶している。

(八) 本件仮処分申請を審理するにあたっては、債権者の求めている仮処分の内容が、本来法によって認められている当然の権利の行使を内容としているという点を十分考慮すべきである。すなわち、本来有限会社の社員は会社の所有者として会社の経営の監督、経理処理の監視をなしうるのは当然のことであり、法もかような趣旨のもとに社員の帳簿閲覧権を認めているのであって(有限会社法第四四条の二)、ただ濫用を避けるため出資口数による制限を課したに過ぎないものである。本件の場合、債権者が資本の一〇分の一以上に当たる出資口数を有する社員である以上、債務者会社は債権者からの閲覧権行使を拒みえないはずであり、これを拒み続けていること自体異常な事態であることを認識すべきである。

もっとも、法は会社が閲覧請求を拒否しうる場合を規定しているが(有限会社法第四六条、商法第二九三条ノ七)、右例外規定に当たる事由が存することは会社がこれを立証せねばならないものであって、この立証がない以上、会社は閲覧請求を拒みえないのである。従って、出資口数の要件を満たす本件債権者からの閲覧請求は直ちに認められるべきである。

(九) 右のように、債権者の求めている本件仮処分の内容は本来当然に認められるべき社員の権利の行使であるにもかかわらず、債務者会社は何ら正当な理由なく債権者の請求を拒み続けているのであるが、債務者会社が社員総会決議の手続や定款変更の手続において重大な違法をおかしているという過去の事実からすると、債権者が会社会計帳簿等の閲覧を求めて本訴を提起したとしても、判決言渡までに書類の隠匿、改ざんがなされるおそれは極めて高い。

(一〇) そこで、債権者は、有限会社法第四四条の二及び同法第四六条第一項により準用される商法第二九三条の六第二項により、前記公私を混同した種々の不当な会社運営を是正し、社員の不当な損害を避け、その利益を保護する目的をもって、債務者会社に対し、その所持する本件文書の閲覧謄写の仮処分を求める。

(一一) かような仮処分申請は、本来本訴でなすべき会計帳簿等の閲覧請求を仮処分により実現してしまうもので一旦執行がなされたら原状回復は不可能との見解もあろうが、本件仮処分の目的は、会社帳簿等の閲覧それ自体にあるのではなく、それにより不正行為の事実ないしそのおそれが明らかになった場合に、これを是正、防止することに本来の目的があるのであって、本件仮処分は、右本来の目的の実現の前提手段に過ぎない。従って本件仮処分がたとえ断行の仮処分的性格を有するとしても、これを認容することにより債務者に損害が生ずるおそれは存しないのである。会計帳簿の閲覧の結果何らの不正のないことが明らかになれば、それは債務者会社の社員たる債権者にとっても望ましいことで何ら問題はないのであり、閲覧の結果不正が発覚した場合には、しかるべき是正措置ないし責任追及がなされるべきは当然なのであって、かような措置の前提手段としての本仮処分を認めても何ら債務者会社に損害が生ずることはないのである。なお、債権者は、本件仮処分申請を債権者の社員としての権利の確保ないし行使の前提として求めているもので、右債権者の社員としての権利としては、総会招集権や取締役解任請求権、代表訴訟提起権等の他に総会における議決権の行使等が含まれるものであって、債権者は単に個人的利益追求のために本件仮処分を求めているのではないのである。

(一二) なお、本件仮処分申請は、債務者会社の創業者であるユソフ死亡後にその相続人高瀬順子等がなした業務執行ないしは公私混同した不正行為を是正するためになされたものであるが、保全の必要性の認められる書類は単にユソフ死亡後のものに限られず、それ以前の書類についても保全の必要性がある。けだし、ユソフ死亡後の会社の業務執行においていかなる不正がなされたかはユソフ死亡前後の書類を比較して始めて明らかになるものであり、ユソフ死亡後の書類のみでは会社の業務執行が適正になされたか否かを確かめるため会社社員たる債権者に認められている監督是正権の実効性を確保しえないからである。

(一三) なお、本件仮処分申請の前に先行仮処分決定がなされ、右決定に対する異議事件の審理がなされたといった経緯があるが、右異議申立は何ら会社を代表すべき権限のない者によって、しかも単に引き延ばしの目的でなされた不当なものであった。

(一四) 債務者は、債権者が会社の経営に実質的に関与していないことをもって本件仮処分の被保全権利がないと決めつけているが、債務者が経営に関与したことがあるか否かと、被保全権利の存否とは直接関係がない。そもそも、有限会社法により認められた社員の帳簿閲覧権は、社員が会社の実質的所有者であることに基づくものであって、経営に関与したことに基づくものではないのである。従って、債務者会社の社員たる債権者がその所有する会社の経営に関して有する監督是正権を実効あらしめるために本件の如き仮処分をなしうるのは当然のことである。

(一五) また、債務者は、債権者が本件仮処分と関連する別訴を提起していることから本件仮処分も右訴訟を有利に進めるための個人的目的のためなされたものであると決めつけている。しかし、右訴訟は、高瀬順子ほかユソフの相続人等間で合名会社オリエンタル・エキスポートインポートコンパニー(以下「本件合名会社」という。)名義の預金をユソフ個人の遺産として勝手に引き出して分割費消するという暴挙に出たため、右高瀬等の行為に対する防御として提起されたもので、本件とは直接関連するものではなく、本件仮処分申請と相矛盾するものではない。

(一六) また、債務者は、債権者が閲覧謄写を求めている文書それぞれについて、仮処分の必要性についての疎明が不十分もしくはなされていないと指摘するが、別紙目録(一)の一ないし三については、会社の社員であれば無留保で閲覧謄写をなし得べき文書ばかりであり、同目録四の会計帳簿についても商法二九三条ノ七による一定の制限はあるものの、原則的に閲覧謄写が認められるべき文書なのである。従って、同目録一ないし三の文書については、たとえ疎明が必要としても、債権者が債務者者会社の社員であること、債権者が閲覧謄写を求めたにもかかわらず債務者がこれを拒んでいることの疎明があれば十分なのである。また、同目録四の文書についても不当な総会決議の存在や前記本件合名会社名義の預金を高瀬順子が勝手に引き出し費消した事実等に照らし、債務者会社においても不正な経理処理がなされている蓋然性が極めて高いことから、疎明は十分になされているというべきである。

2  抗弁に対する認否

(一) 債務者主張の抗弁事実は否認する。

(二) 債務者は、債権者が会社の経営に実質的に関与していないことをもって本件仮処分に被保全権利がないと決めつけているが、債務者が経営に関与したことがあるか否かと、被保全権利の存否とは直接関係がない。そもそも合名会社においては各社員に業務執行権限が与えられており、他の社員のした業務執行についての検査権を有している。従って、仮に債権者がこれまで業務執行に現実的に関与したことがなかったとしても、そのことをもって債権者の業務執行権及び検査権を否定することはできない。

(三) 債務者は、本件仮処分申請は債権者がユソフの遺産の分割問題を有利に進めるという個人的目的のためになされたもので権利の濫用として許されないと主張している。しかし、債務者が債権者の仮処分申請を権利の濫用であると主張する根拠は本件会社名義の預金をめぐる別訴が係属中であるということ及び債権者がユソフ死亡前は会社の業務に直接関与していなかったということにすぎず、何ら債権者の仮処分申請が権利の濫用に当たることを基礎付けるに足るものではない。

また、債務者は債権者の本件仮処分は商法二九三条ノ七の趣旨にも反する旨主張する。

しかし、債権者の求めている会計帳簿等の閲覧謄写請求は、合名会社の社員には当然認められる権利の内容なのであり、右権利行使が明らかに権利の濫用と認められる場合以外は、これを制限すべき根拠は何ら存在しないのである。

すなわち、合名会社の社員は、会社債権者に対し無限責任を負うことの反面、社員資格を有すれば当然に業務執行権限や他の社員のなした業務執行に対する検査権が与えられているものであり、社員の無限責任と業務執行権限・検査権限とは表裏一体の関係にある。もし、債務者の主張するがごとく、債権者の検査権に基づく会計帳簿の閲覧謄写が制限され、ないしは認められず、会社債権者に対する無限責任のみを負わされるとするならば著しく正義に反することは明らかである。かような観点からしても、債務者会社の社員たる債権者が閲覧謄写を求めている以上、債務者は直ちにこれを許さなければならないのであり、権利実現に際しその必要性の疎明を厳格に要求することは本末転倒というべきなのである。債務者は保全の必要性を厳格に要求すべきであるとの学説等を引用しているが、それらはいずれも株式会社の社員等有限責任社員からの請求の場合であり、会社の業務執行権限につき何らの制限も課せられていない債権者からの請求には当てはまらないものである。

二  債務者

1  申請理由に対する認否

(一) 申請理由(一)は認める。

(二) 同(二)は否認する。

債権者は、次のとおり、有限会社法第四四条の二に基づいて会計帳簿および会計書類の閲覧謄写に必要な資本の一〇分の一に当たる出資口数を有しない。

(1) 債務者会社の資本は金三〇、〇〇〇、〇〇〇円である。その出資口数は、三〇、〇〇〇口である。債権者がこのうち出資口数を有するとしても、ユソフから相続によって取得した二、〇一三口を有しているに過ぎない。

(2) 債権者は、この点に関し、昭和五九年九月二九日の社員総会においてファターマ・ベグムより持分六、九〇〇口を譲受けた旨主張するけれども、その根拠となるべき譲渡契約の主張立証をしない。

ファターマは、右社員総会に出席していないのは勿論、後に至るまで右総会および右総会での決議を知らなかったのである。もとより、ファターマの持分譲渡に関する委任状も存しない。当該出資口数を有する社員の全く関与しないところで他の社員がその社員の持分の譲渡決議をしたところで、右持分の譲渡契約は成立しない。

債権者は、ファターマ・ベグムが右六、九〇〇口の譲渡人であると主張し、同人が右持分の所有者であることを認めているが、右ファターマは、かかる持分を何人にも譲渡していない。

(3) 仮に何らかの持分を債権者が何者かから承継取得したとしても、有限会社法第二〇条は、持分の移転は取得者の氏名等を社員名簿に記載しなければこれを会社に対抗できないと規定しているところ、債権者は、かかる社員名簿への記載を一切主張立証していないから、かかる承継取得を債務者に対して主張することができない。

(三) 申請理由(三)のうち、本件議事録(一)が存在すること、エム・ユソフが昭和六〇年二月一四日に死亡したことは認めるが、その余は否認する。

(四) 同(四)のうち、本件議事録(二)が存在することは認めるが、その余は否認する。

(五) 同(五)のうち、債権者主張の社員総会決議がなされたことは認めるが、その余は否認する。

(六) 同(六)は否認する。

(七) 同(七)のうち、本件仲裁判断の内容は認めるが、その余は否認する。

(八) 同(八)ないし(一六)は否認する。

(九)(1) 本件仮処分申請は、帳簿の閲覧謄写の断行の仮処分を求めるものであり、かかる仮処分は、原状維持の仮処分等とは異なり、一旦閲覧謄写がなされると債権者はその本来の目的を達し、仮にその後の本案訴訟で債務者が勝訴したとしても十分な損害の回復は不可能である。

従って、仮にこの種の仮処分が許容される余地があるとしても、保全の必要は、債権者が閲覧謄写を求めている各書類毎に厳格に解さねばならない。

この点について、学説は、「請求者についての緊急切実な保全の必要と会社が仮処分によって受ける不利益とを比較して、閲覧等をなさしめることもやむをえないと認められる程度に被保全利益が重大かつ緊急な場合(実際そのような事例は少ないであろうが)には、その仮処分をなしうるとするのが妥当であろう」としており、判例も同旨である。

(2) 債権者は、昭和六二年七月一〇日付で本件仮処分申請と同旨の仮処分申請(昭和六二年(ヨ)第二九八号)を行ない、同月一三日付で仮処分決定を得た。その後、かかる仮処分決定に対する異議申立(昭和六二年(モ)第九九三号)がなされたが、右仮処分事件は、約二年の審理を経た後平成元年六月六日債権者の申請取下により終了した。

かかる債権者の態度からも、本件仮処分には、右(1)記載のような緊急性または重大性がないことが明らかである。

(3) また、先行仮処分申請は、債務者会社の取締役である高瀬順子を相手方として債権者が自ら起こしたものであるから、債権者には、先行仮処分申請事件における右高瀬の代表権を云々する資格がなく、従って、これに対する異議申立が引き延ばしであったと主張する資格もない。

(4) 債権者は、昭和六〇年四月五日付の債務者会社の社員総会決議の瑕疵を主張するけれども、本件議事録(一)は、債権者が全事情を了解した上で作成されたものであって、債権者がその瑕疵を主張することはできない。

しかし、仮にかかる瑕疵があったとしても、債権者がかかる瑕疵について債務者会社の経営を是正しようとするならば、社員総会議事録及びその他社員総会に関連する書類を閲覧謄写すれば十分である。

(5) また、債権者は、昭和六一年四月七日付の債務者会社の社員総会決議の瑕疵を主張するけれども、これらはすべて本件文書についての保全の必要を基礎付ける事実にはなりえない。

(6) また、債権者は、定款変更決議の要件である社員の四分の三以上の同意も存しないと主張するけれども、ファターマと債権者との間にはファターマの持分に関する譲渡契約は存在しないから、同意した議決権数は、二七、九八七個(総議権二、〇一三個を除いた残余)であって、これは右の四分の三をこえているので、有限会社法第四八条第一項の要件を充たしている。

2  抗弁

債権者が本件仮処分申請をなすに至った背景には、ユソフの遺産をめぐる問題がある。

ユソフは、昭和六〇年二月一四日神戸市で死亡したので、その相続人らは、右ユソフの遺産分割について、単独仲裁人をシャイク・ラシド・アマドとする仲裁契約を締結し、その後、昭和六一年一月二三日、右仲裁人は、本件仲裁判断をした。

債権者は、右仲裁手続に一貫して関与していたが、仲裁判断の結果を不服として、昭和六一年四月二八日、パキスタン国のジンド高等裁判所に訴訟を起こした。債権者は、ついで日本で、昭和六二年三月三日に神戸地方裁判所に所有権移転登記抹消手続請求事件(昭和六二年(ワ)第二九八号)を提起し、昭和六二年三月二日付で右ユソフの遺産に関連して債務者に対し帳簿等の閲覧を求めた後、同年七月一〇日には神戸地方裁判所に本件仮処分申請の前身である会社帳簿等の閲覧・謄写仮処分事件(昭和六二年(ヨ)第二九八号事件)を申請し、同年八月三日に神戸家庭裁判所に遺産分割調停(昭和六二年(家イ)第七五六号)を申立てるというように、矢継ぎ早に争訟を提起した。この他にも、右遺産相続に関連する租税の問題について国税不服審判所に申立てをし、また債務者会社取締役である高瀬順子を刑事告訴している。このように、債権者は、およそ考えられるだけの方法を用いて右仲裁判断を覆さんとしている。

債権者は、右所有権移転登記抹消登記手続等請求事件において、債権者主張の銀行預金について他の相続人に対して訴訟を提起している。これは、右銀行預金がユソフの個人遺産であることを前提とするものである。本件仮処分申請は、右訴訟と関連し、会社財産とは別個のユソフ個人の遺産についての情報を得るためになされたものである。債権者が、かかる情報を得たいのであれば、右所有権移転登記抹消等請求事件においてその解決を図るべきである。

債権者は、閲覧請求書には遺産をめぐって相続人間で争いがあるとし債権者にも相続人として相当な金員を支払うことを要求する旨記し、そのために各種書面の写しの交付を求めるとしている。これによれば、同人の権利行使は、明らかにもっぱら相続人としての遺産の要求の手段としてなされているに過ぎない。

しかし、債権者は、これまで債務者会社の業務を社員として行ったことは一度もなく、その業務の実際についても何らの知識を有しない。本件仮処分事件や先行仮処分事件の係属後も会社の経営に参加しようとしたこともない。

そして、そもそも閲覧権がなく故ユソフの遺産を巡る争いに利用するために各種書類の閲覧を求めている債権者が、しかも仮処分という仮の手段によって各種書類を閲覧することによって、債務者ないしその債権者以外の持分権者が重大な損害を被ることが明白である。

このように、債権者の本件仮処分申請の目的は、債務者会社の経営の是正ではなく、故ユソフの遺産を取得するための個人的な資料収集であり、商法二九三条ノ七第一号の趣旨に違反するかないしは権利濫用であり、かかる債権者には、被保全権利は存しない。

よって、債権者の本件仮処分申請は被保全権利及び保全の必要性存在の疎明がないので、却下さるべきである。

第三当裁判所の判断

一  被保全権利について

(一)1  申請理由(一)は、当事者間に争いがない。

2 右1の認定事実によれば、債務者会社の資本の一〇分の一は、三〇〇万円(三、〇〇〇口)に当ることが明らかである。

3 《証拠省略》によれば、債権者が本件仲裁判断により二、〇一三口の出資持分を認められていることが一応認められるので、債権者が右持分を有するものと推認するのが相当である。

4 《証拠省略》によれば、債務者会社の昭和五九年九月二九日開催の社員総会議事録に、同総会において、社員ファターマが出資口数六、九〇〇口を債権者に譲渡して退社し、債権者がこれを譲受けて新たに入社することを異議なく承認可決し、その旨定款変更することも異議なく承認可決された旨記載されていることが一応認められる。

右事実によれば、債権者がファターマから右六、九〇〇口の持分の譲渡を受けたことが推認できる。

5 ところで、有限会社法第二〇条は、「持分ノ移転ハ取得者ノ氏名及住所並ニ移転スル出資口数ヲ社員名簿ニ記載スルニ非ザレバ之ヲ以テ会社ニ対抗スルコトヲ得ズ」と規定している。

6 しかし、会社が正当の事由なくして譲受人の名義書換請求に応じない場合には、会社は、名義書換のないことを理由として持分の譲渡を否認することができないものと解するのが相当である(大審院昭和三年七月六日判決、民集七巻五五三頁、最高裁判所昭和四一年七月二八日第一小法廷判決、民集二〇巻六号一二五一頁参照)。

7 審尋の全趣旨によれば、債権者が右決議後債務者に対し右譲受にかかる持分(出資口数六、九〇〇口)につき名義書換請求をしたのに正当な事由もないのに拒絶されていることが一応認められる。

8 そうすると、右6の法理により、債務者は、右六、九〇〇口の譲受を否認しえないものというべきである。よって、この点に関する債務者主張の抗弁は理由がない。

9 そうすると、債権者は、前記3の二、〇一三口と右六、九〇〇口の合計八、九一三口の持分を有し、これが前記2の三、〇〇〇口をこえることが明らかである。

10 従って、債権者は、有限会社法第四四条ノ二第一項の債務者会社の資本の一〇分の一以上に当る出資口数を有する社員に該当することが明らかであるから、債務者は、同法第四六条第一項で準用される商法第二九三条ノ七の拒絶事由がない限り、会計帳簿及び書類の閲覧謄写請求権が認められるといわなければならない。

11 審尋の全趣旨によれば、債務者(履行補助者高瀬順子)が本件文書を現に所持していることが一応推認される。

(二)  債務者は、債権者の本件文書閲覧謄写請求が商法第二九三条ノ七第一号所定の拒絶事由の存在により許されない旨主張するので検討する。

1 ところで、本件仮処分申請の趣旨は、前記のとおり本件文書を債務者会社において営業時間内に限り閲覧謄写させることを求めるものであるから、閲覧謄写権の行使方法により債務者会社の営業に支障を与えるものではない。

2 債務者は、債権者の本件仮処分申請の目的が会社経営の是正ではなく、ユソフの遺産を取得するための個人的な資料収集にあると主張する。

しかし、仮に債権者の目的が債務者主張のとおりであったとしても、それだけでは本件文書を閲覧謄写させることにより債務者会社の業務が妨害され損害を被るとは考えられず、その他企業秘密の漏洩等の損害を被るとの点につき何らの疎明がない。

3 さらに、後記二(二)の2ないし5認定のとおり債務者会社の業務執行に不正があったと推認され、それ故に債権者は、会社経営を是正し、社員としての権利を確保する目的で本件仮処分申請に及んだものと認められる。

4 よって、債権者の本件文書の閲覧謄写請求については商法第二九三条ノ七第一号所定の拒絶事由は存在せず、それ故債務者主張の抗弁は失当であって、本件仮処分申請については、被保全権利存在の疎明があるといわなければならない。

二  保全の必要性について

(一)  債務者は、本件仮処分申請は帳簿の閲覧謄写の断行の仮処分を求めるものでその後に本案訴訟で勝訴しても損害の回復が不可能であるから許されない旨主張する。

しかし、満足的仮処分は、一般に保全の必要が存する限り原状回復の事実的可能性の有無に拘らず認められていることに徴し許されるべきであると解すべきであるから、右主張は失当である。

しかし、右仮処分は、請求権者につき著しい損害、急迫な強暴等緊急な保全の必要性がある場合に限って認めるべきである。

(二)  以下この見地に立って保全の必要性の有無について検討する。

1 債務者は、先に債権者が先行仮処分決定(昭和六二年(ヨ)第二九八号)を得ながらその申請取下をしたから緊急性又は重大性がない旨主張する。

しかしながら、債権者が先行仮処分の申請取下をしたのは、当該仮処分決定の債務者の代表者が代表権限を有しなかったためであることは、当裁判所に顕著であるから、右申請の取下げがあったからといって、緊急性又は重大性がないとはいえないので、右主張は失当である。

2 また、債務者は、本件議事録(一)が債権者の了解を得て作成された旨主張するけれども、これを認めるに足りる疎明はなく、却って、審尋の全趣旨によれば、その了解を得ずに作成されたものと認められるので、右主張は失当である。

3 さらに《証拠省略》によれば、代表社員ユソフが昭和六〇年二月一四日に死亡しているのに、本件議事録(一)には同人が同年四月五日の社員総会で代表取締役を辞任した旨明らかな虚偽事実が記載されていると推認することができる。

4 申請理由に徴すると、債権者が本件仮処分申請に及んだ直接の動機は本件合名会社名義の銀行預金三億三四五万円の不正な支出費消による社員たる債権者の損害の回復にあることが明らかである。

5 《証拠省略》によれば、右4の預金は、ユソフの遺産であるが預金名義人が本件合名会社となっているところから、同会社の財産であると解すべき余地があり、これを処分する場合には同会社の社員たる債権者にも応分の利益分配があって然るべきであるのに、他の社員(相続人)にのみ分配されたことが一応認められる。

右事実によれば、本件合名会社の業務執行に不正があったと解せられる。

6 ところで、前記会社登記簿謄本と審尋の全趣旨によれば、債務者会社と本件合名会社とは、代表者としてユソフが就任していたもので、その他の社員も共通であり、実質的には同族会社として同一の経営体であったと一応認められる。

7 そうすると、本件合名会社の経営に不正があったとすれば、債務者会社の経営にも不正があったと疑われてもやむを得ないものがあるといわなければならない。

8 そうすると、本件仮処分申請については、ユソフ死亡の昭和六〇年以降本決定送達の日までのユソフの銀行預金に関連する文書として、定款・社員名簿社員総会議事録、銀行預金出納帳に限り、保全の必要性があると認められる。

その余の文書については、右の文書の閲覧謄写により不正が発覚する等した場合にあらためて第二次仮処分の申請をすれば足り、現時点においては保全の必要性がないといわなければならない。

三  結論

よって、本件仮処分申請は、主文第一項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを却下し、申請費用の負担について民訴法第八九条、第九二条但書、第二〇七条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 辰巳和男)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例