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神戸地方裁判所 平成元年(行ウ)5号 判決 1991年10月08日

原告

岡谷弘子

右訴訟代理人弁護士

清水賀一

被告

加古川労働基準監督署長和泉信一

右指定代理人上席訟務官

大下勝弘

同訟務官

前田正明

同労働事務官

奥春男

同労働事務官

伊達雄志朗

同労働事務官

宗光甫友

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告の原告に対する、昭和五九年五月二八日付けの労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  原告の主張

1  訴外岡谷重雄(以下「訴外重雄」という。)は、昭和八年八月二日生まれの男子で、昭和四七年二月一四日、明貨トラック株式会社(大型車両による三菱重工業の明石及び高砂製作所の製品を国内各所に運送する業務をしていた。以下「明貨トラック」という。)に雇用され、従業員として稼働していた者である。

2  訴外重雄は、昭和五八年六月六日午前八時に明貨トラックの本社事務所に出勤し、同一〇時頃、同社高砂営業所長宅へ給料計算のための資料を受取りに行ったが、その際、同人宅の階段を降りた所で気分が悪くなり、壁にもたれ掛かる様に倒れて、直ちに救急車で宗野病院に入院し、同日午後一時三一分、高血圧症に起因する脳出血により死亡した(以下「本件事故」という。)。

3(一)  そこで、訴外重雄と同居して生計を共にしていた妻である原告は、被告に対し、本件事故は業務上の疾病によるものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給請求をしたが、被告は昭和五九年五月二八日、右請求に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定(以下「本件決定」という。)をした。

(二)  原告は、右決定を不服として兵庫県労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は、昭和六一年六月九日、請求棄却の決定をした。そこで原告は、次いで労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六三年一二月一九日、その審査請求を棄却する旨の裁決をした。

原告は、平成元年一月九日、同裁決書の送達を受けた。

4  しかしながら、労災保険法上において、労働者が業務上死亡した場合とは、労働者が業務に起因して死亡した場合をいい、業務と死亡との間には相当因果関係の存在が必要であるが、労働者が高血圧症等の基礎疾病を有するときであっても、当該業務が基礎疾病を増悪させて基礎疾病と業務が共働原因となって発病し、死亡の結果を招いたと認められるときは、業務と死亡との間には相当因果関係があると解される。しかるところ、後記のとおりの事情によれば、本件事故は、労働者たる訴外重雄の業務に起因した疾病によって発生したものであることは明かであるので、本件決定は取り消されるべきでる。

5  訴外重雄の稼働状況は、次のとおりである。

(一) 訴外重雄は、明貨トラックに入社した当初は、同会社とその関連会社である明華工業株式会社の二社の経理事務等に従事していたが、昭和五一年頃からは、これに加えて関連会社である魚住自動車整備株式会社及び株式会社西神通商の、さらに昭和五五年六月からは同じく関連会社であるミカタ運送株式会社の経理事務等をも担当するようになった。

(二) 訴外重雄の仕事内容としては、種々の振替伝票の作成、金銭出納、運行業務点検等の日々一般的な経理業務の他、月単位で給料計算に必要な個人別勤怠の点検及び残業基礎資料、三菱重工業に対する請求書、各種試算表の各作成、取引先に対する支払い、経理関係の各元帳への記帳等の業務があり、その他年単位のものとして決算の業務があった。

そのため、その一か月平均の業務処理量は、振替伝票の作成は八五三件、運輸作業日報の点検は三〇七枚、三菱重工業に対する請求書の作成は三八六件、注文書の点検は九〇四件、下請け業者に対する支払いは一二〇六件等にも及んでいた。

(三) 右業務の内、従業員の給料は毎月一〇日が、下請代金は毎月一五日がその各支払い日であるところから、仕事は毎月二五日から翌月五日までが最も忙しく、特に六月は明貨トラックの決算期である上、昭和五八年四月からは、労働組合(全日本運輸一般労働組合)の賃上闘争に対する会社側の資料の作成が必要なため、特に多忙であった。

(四) このような状態にあったが、さらに明貨トラックの社長や常務取締役等の経営者は本社事務所に不在がちであったため、訴外重雄がこれらの者に代わって日常における会社の対外的折衝等に当たるなど会社業務の中枢的役割を担っていた。そのため、訴外重雄は定時勤務中は殆ど会社の対外的用務に費やさざるを得ず、自分の本来の仕事である経理関係の事務は、時間外及び平日、休日を問わず毎夜一一時、遅いときには午前三時頃まで自宅で行っていた。そのことから同訴外人の死亡時には、会社の帳簿類等が段ボール箱一五箱程も自宅に置かれている状態であった。

(五) 右のごとく訴外重雄の業務は、本件事故発生前の一週間をとっても著しく過重なものであったことは、明らかである。

3 訴外重雄の健康状態等は次のとおりであった。

(一) 訴外重雄は、入社当時は健康であったが、その後高血圧症となり、その結果動脈硬化症状態になっていた。このことは、本件事故により入院した当時には、その血圧は最高一八〇、最低一〇二の値であり、心電図によれば左室肥大、冠状動脈硬化を思わせる所見があって、高血圧症の基礎疾患があったものと診断されたことから明らかである。

(二) 訴外重雄は、本件事故の一か月前の五月頃から、コンピューターの画面の文字がちらついて見えにくくなったり肩凝りが酷くなったりした他、朝の洗面中に吐血をみたり、下血、血尿があったりした。さらに六月に入ると何もないのに頭痛があり、同月三日にはこれが酷いため一旦出社後昼食前に一時帰宅して服薬し、再度出社したもののその後も頭部、側頭部に疼痛が続いた。

7  訴外重雄の前記高血圧症及び動脈硬化症は、入社時から漸次累増した質量とも過重な仕事を処理するため、平日、休日を問わず昼夜身体を酷使したことにより罹患したものである。そこに、本件事故直前における過重な前記業務による肉体的負担が加わり、右基礎疾患を増悪させた結果によるものである。

8  また本件事故は、明貨トラックが質量共に過重な業務を訴外重雄に押し付けて酷使していたところ、訴外重雄が本件事故の一か月程前に仕事量が多すぎて限界であるので補助者を雇い入れて欲しいと苦痛を訴えているのに放置し、脳出血発症の前駆症状があるので、まづ第一に安静にするために休業が必要な訴外重雄に対し、平日、休日とも朝早くから夜遅くまで過重な業務を押し付けたために発生したものである。従って、本件事故は、明貨トラックの健康管理義務違反、労務管理上の欠陥に基づくものである。

明貨トラックにおいて、補助者を雇い入れて訴外重雄の業務を軽減し、さらに訴外重雄を休業させ、安静、治療をさせておれば脳出血は発症することはなかったのであるから、休業しないでした訴外重雄の業務と本件事故との間には、相当因果関係がある。

二  被告の主張

(認否)

1 原告の主張1、同2、同3の(一)、(二)、同5の(一)記載の各事実は認める。同4、同5の(二)ないし(五)記載の各事実は不知ないし否認。その主張は争う。

2 原告の主張6の(一)記載の事実のうち、訴外重雄は、かなり以前から高血圧症の基礎疾患があったことから、その結果動脈硬化症状態になっていたこと、同人が本件事故により入院した当時においては、その最高血圧は一八〇、最低血圧は一〇二の値であり、心電図によれば左室肥大、冠状動脈硬化を思わせる所見があったことは認めるが、訴外重雄の右高血圧症が明貨トラックに入社した後に発症したものであるとの事実は不知。同6の(二)、同7、同8記載の各事実は不知ないし否認。その主張は争う。

(反論)

1 労災保険法よ(ママ)って保険給付がなされるべき、同法第一条所定の「業務上の事由による疾病等又は死亡(以下「疾病等」という。)」とは、その疾病等が労働者が従事していた当該業務に起因するもの(業務起因性の存するもの)、即ち、その業務と疾病等との間に相当因果関係が存するものをいう。

2(一) そして労働者の罹患した疾病ないし死亡が、脳血管疾患及び虚血性心疾患ないしそれに基づく場合であるときは、被告においては、労働省労働基準局長の私的諮問機関である専門家会議の報告に基づいて定められた次の内容を有する「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」(昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号通達―以下「新認定基準」という。)によって、原則としてその業務起因性の判断を行っている。

(1) 次のイ又はロに掲げる業務による明かな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。

イ 発症状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る)に遭遇したこと

ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと

(2) 過重負荷を受けてから、症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること

(二)<1> 「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の基礎となる病態(血管病変等)を、その自然経過(加齢、一般生活において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいう。)を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいう。過重性の評価に当たっては、業務量のみならず業務内容、作業環境等を総合して判断する。

<2> 「異常な出来事」とは、極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、及び緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態並びに急激で著しい作業環境の変化をいう。

<3> 「日常業務に比較して特に過重な業務」とは、通常の所定の業務内容等に比較して、特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいう。

(三) 右負荷と症状出現までの時間的な妥当性のための判断においては、

<1> 医学経験則上、発症に最も密接な関連を有する業務は、発症直前から前日までの業務であるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否か、

<2> 次いで、しからざるとしても、発症前一週間以内に過重な業務が継続している場合には、医学経験則上、急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、その間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを順次検討する。

<3> 発症前一週間より前の業務については、発症前一週間以内における業務の過重性の評価に当たってその付加的要因として考慮するに留める。

3(一) 訴外重雄に発症した脳出血は、基礎疾病ないし既存疾病である心臓左室肥大及び冠状動脈硬化を伴う高血圧症、動脈硬化症が自然的に増悪した結果発症したもので、その発症時が偶然訴外重雄が業務を遂行中であったに過ぎないものである。そのことは、左の(二)以下に記載の事情から推認される。

(二) 訴外重雄の日常の業務の繁忙の程度は、月のうち何日かは深夜まで残業をする必要がある程忙しいことがあるとしても、その他の日は、せいぜい一時間ないし一時間半程度の残業をする程度のものであった。

即ち、訴外重雄の毎日の出勤時刻は午前八時頃であり、帰宅時間はほぼ午後六時か六時半ぐらいであった。そしてたまに忙しい日の帰宅時刻が、午後一〇時ないし一二時になることがあったに過ぎない。

(三) 訴外重雄の本件事故前の健康状態も、四~五日前から、「頭が痛いが、薬を飲めば直る。」と言っていた程度であり、原告が主張するるような重大なものではなかった。

(四) 訴外重雄が、自宅に持ち帰っていた書類等は、すぐには必要のない古い振替伝票や元帳等でその保存ないし整理のためであり、その数量もそれほど多くはなかった。

(五) また、訴外重雄の本件事故前一週間の業務についても、この期間に日常の業務に比較して、特に過重な業務を遂行したことはない。

特に明貨トラックは完全週休二日制であるところ、訴外重雄は本件事故の前日の六月五日は日曜日であり、また前々日の六月四日は土曜日であったことから休日として出勤していない。そして、本件事故日は週休明けの月曜日であったことから、訴外重雄は、通常どおり出勤し、欠勤した高砂営業所員の自宅から資料を受取った後、階段を降りる途中に発症したものであるから、その発症前に極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、及び緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、並びに急激で著しい作業環境の変化があったことはない。

(証拠等)

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりである(略)。

理由

一  原告の主張1に記載のとおり、訴外重雄は昭和八年八月二日生まれの男子であるが、昭和四七年二月一四日、明貨トラックに雇用され、従業員として稼働していた者であるところ、同2に記載のとおりの態様で昭和五八年六月六日、高血圧性脳出血による本件事故により死亡したこと、そこで同3の(一)に記載のとおり原告において労災保険法に基づく遺族補償給付等の給付を請求したのに対して、被告は本件決定をしたこと、そこで原告は同3の(二)に記載のとおり、それを不服として審査請求、次いで再審査請求をしたがいづれも棄却されたことは、当事者間に争いがない。

二  成立に争いがない(証拠・人証略)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、

1  訴外重雄は、貿易関係の会社に事務員として勤める傍ら、専門学校に二年間程通って経理の勉強をした後、妻の兄が社長でその弟が常務取締役をしている一般区域運送業を営む明貨トラック(従業員数約三六名、三菱重工業の明石製作所及び高砂製作所の製品を国内各所に大型車両で運送する業務を行なう。)に前記のとおり昭和四七年二月一四日入社し、総務部に所属して管理、労務、経理等を担当した他、その関連会社である明華工業株式会社(鉄製品製造業・従業員数約二五名、三菱重工業明石製作所のシャベル部品の製造、塗装等の業務を行なう。)の経理、管理等の事務を担当したこと、その後昭和五一年には同じく関連会社として順次設立された魚住自動車整備株式会社(自動車整備業・従業員数六名、明貨トラック等の車両の整備業務を行なう。)と株式会社西神通商(貨物取扱免許業・従業員無し、明貨トラックの帰り便の積荷斡旋の業務を行なう。)の各経理事務をも担当するに至ったこと、更に昭和五五年六月にはこれらに加えて設立されたミカタ運送株式会社(一般区域運送業・従業員数約一七名、明貨トラックと同じ業務を小型車両で行なう。)の同経理事務をも見るようになったこと、明貨トラックの本社事務所において実際に事務を担当していた従業員は約一〇名であったが、その内七名はいわゆる配車係であって、経理及び総務の事務を担当していたのは訴外重雄を含めた三名であり、訴外重雄が部長待遇の管理職としてこれを管掌していたこと、

2  そのため訴外重雄が管掌していた業務としては、通常の日々の業務としての、日常の経理事務、種々な振替伝票の作成、日々の金銭出納、運転手等の運行業務の点検であり、その他月毎に必要とされる業務としては、給料計算のための個人別勤怠の点検及び残業基礎資料の作成、月締の請求書の作成、下請け等に対する支払い業務、経理関係元帳の記帳及び関連企業五社の毎月の営業成績を把握するために毎月末頃に作成する試算表の作成並びに決算業務であったこと、

その各一か月平均の業務処理量は、月の一五日から二〇日前後にかけて作成が要求される振替伝票については八五三件、トラック労働者の運輸作業日報の点検は三〇七枚、月の二〇日から翌月五日頃までに行う必要のある三菱重工業明石工場に対する請求書の作成は三八六件及び同高砂工場に対する注文書の点検は九〇四件、納品書、注文書、月報等を基にして月の五日頃から一四日頃の間に点検して行う必要がある下請けその他の取引業者に対する支払いは一二〇六件ほどであったこと、但し、経理関係の一部並びに決算関係全般の事務については角会計事務所にこれを依頼し、またその指導を受けていたこと、

また、明貨トラック社長並びに専務等の経営責任者は、営業活動等のために前記本社事務所を明けることが多いため、その留守中は、訴外重雄が本社の責任者として同事務所における対外的事務の処理と得意先等の来客との応接等に当たっていたこと、さらに訴外重雄は、明貨トラックの労務担当者として労働組合との間のいわゆる春闘等の交渉等における資料の作成等の仕事に当たっていたこと、前記のとおり昭和五五年六月にミカタ運送株式会社の経理を見るようになってからは、訴外重雄その他の事務部門のものは、仕事が従前に比して忙しくなったと感じていたこと、

3  明貨トラックの所定労働時間は、平日においては午前八時三〇分から午後五時三〇分(但し、午前一二時から午後一時までは休憩時間)の実働八時間で、かなり以前から土曜、日曜は休みの完全週休二日制であって一週四〇時間労働であること、訴外重雄は、昭和五〇年に明貨トラック本社事務所のすぐ隣に家屋を所有して居住し、通勤時間を要しなかったこと、そのこともあって朝は午前八時一〇分頃には出社し、勤務が終了したときは直ぐに自宅に帰っていたこと、しかし、訴外重雄は、勤務日には通常ほとんど午後七時頃までは残業し、少なくとも月に二ないし三回は午後一一時過ぎ頃まで残って仕事をする必要があったこと、このような勤務実態等を考慮して訴外重雄に対しては、同人は管理職であってタイムカードによる勤務時間の管理はなされていなかったが、一か月三〇時間(月所定労働日数二〇日、一日当りの残業時間一・五時間の積算)に相当の早出残業手当が早出残業時間に関係なく一律に支払われていたこと、また、前記労働組合との会社側交渉資料の作成が要求される四月とか決算月等のように毎月の通常の経理や総務の仕事の他に更に仕事が加重される月には、月二回ほどの休日出勤が必要であったこと、

また、訴外重雄は、非常に几帳面な性格でよく言うところの何事も自分でしないと気が済まない質であったため、部下に任せれば足りるような仕事まで自己で担当する傾向にあったばかりでなく、前記のとおり自宅が本社事務所に近いこともあったことから、仕事の一部を自宅に持ち帰り、ときには深夜に及ぶまでその処理に当ることもあったこと、

但し、訴外重雄の部下の一人で会計事務を担当している訴外木下馨の昭和五八年四月から決算月である同年六月の三か月間の残業実績は、残業が午後八時を超えた日は六日に過ぎず、また他のもう一人の部下で主としてコンピュウーターへの入力作業を担当していた訴外片山裕子は殆ど残業はしたことがなかったこと、また、本件事故後、訴外重雄が担当していた経理事務については、前記角会計事務所の関与の度合を増加せしめたとはいえ、右訴外片山裕子が新たに月間一〇〇時間程度の残業をすることにより当座はしのげたこと、しかし、明貨トラックにおいては、その後訴外重雄のしていた仕事をさせるため、新たに訴外重雄とは異なり経理の専門家ではないが男子従業員一名と、その補助的仕事を担当させる女子従業員一名を雇う必要があったこと、

4  訴外重雄は、体格的にいわゆるスポーツマンタイプであったが、青年の頃から神戸綿業山岳同好会に加入するなど登山を趣味とする等していた、身体の頑健さを自負していた者で、訴外重雄は、そのためもあってか会社が実施する定期健康診断等その他の検診については、これを勧められても頑強に拒否して入社以来一度も受診したことがなかったこと、また、訴外重雄は、入社以来殆ど医者にかかったことはなく、健康保険の記録上においてはいずれも外科的治療の対象となる右臀部挫創と刺蟄症の治療のための二回を除いて受診の記録はないなど、高血圧症の発症をもたらす腎臓疾患等のいわゆる持病とつながる内科的な病歴、既応症、受診歴はなかったこと、また、血圧測定の記録は全くないこと、

しかし、本件事故発症の状況は、原告の主張2に記載のとおり、訴外重雄が本社事務所に出勤した後の午前一〇時頃、同社高砂営業所長宅へ給料計算のための資料を受取りに行った際、二階にある同人宅からの階段を降りた所で突然気分が悪くなって意識を失い、壁にもたれ掛かる様に倒れ(当事者間に争いがない。)、暫くして意識を回復したが、吐気、尿失禁があったことから直ちに救急車で宗野病院に搬送され入院したというもので、また、右病院における症状及び検査結果によれば、入院時には意識がほぼ正常であったが、両下肢にしびれ及び嘔吐があり、血圧は一八〇―一〇二と高かったばかりでなく、心電図上左室肥大及び動脈硬化の所見並びに血液検査上において高コレステロール症が見られたが、頭部X線検査上では外傷等は発見されなかったこと、そしてその後一時間程後には血圧は一九四―一〇〇との値が計測され、その頃意識を消失して昏睡状態に陥り、左上下肢麻痺が出現する等し、同日午後一時三一分に死亡したこと、そして訴外重雄の死因は、脳出血であると診断されていること、しかもこれらの事故状況並びに右診断結果等によれば、訴外重雄の脳出血は、外傷性ないし異常な出来事に遭遇したことによる極度の精神的負担に起因するものではなく、いわゆる高血圧性脳出血であると判断されたこと、また訴外重雄においては、前記血圧測定の結果等からみて、従前からかなりの進行した高血圧症状態(以下「本件疾病」という。)にあり、本件脳出血は前記のとおり右高血圧症が引き起こした動脈硬化症等の血管病変が増悪して発症したものと推測しうること、

一般的には、脳出血は、その発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤等の基礎的病態(以下「血管病変等」という。)が、加齢や生活上の諸種の要因によって増悪し発症に至るのが通常であり、動脈硬化等による血管病変の最大の因子は高血圧症にあること疑いがないこと、但し、このような自然経過中に著しく血管病変等を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷が加わると、その自然経過を超えて急激に発症することも良く知られているものであること、

5  訴外重雄の本件事故前の勤務ないし稼働状態は、本件事故当日である昭和五八年六月六日は、午前八時一〇分頃出社し、経理資料を受け取るため九時頃社用車で今村宅に到着し、前記のとおり用件を済ませた後一〇時頃倒れたものであって、その当日には何ら異常特別な事由は存しなかったこと、そして、その前一週間の勤務状況についても、特に従前の勤務状況と異なる過重な勤務がなされたことはなく、特に本件事故日の前日及びその前々日は明貨トラックの休日とされている日曜及び土曜日であって、訴外重雄も会社を休んで休養をとったものであること、

しかし、訴外重雄は、昭和五八年五月初め頃から物がちらついて見えると訴えたり、同月中旬には吐血及び下血したことがあり、さらに同月下旬頃には再度吐血があったばかりでなく血尿も二回あったこと(但し、吐血等の事実は通常医者でない普通人にとって驚愕的なことであってまず報告されるべき事実であろうと推測されるところ、訴外重雄からそのことを聞いたとする原告においては、当初、被告からの事情聴取においてその事実を述べなかったことが認められることを考えると、その出血の程度は、原告がその本人尋問において供述しているのに比してごく軽度のものであったと推測するのが相当である。なお、右吐血、下血及び血尿と訴外重雄の本件事故の発症原因との関係も明らかでない。)、また、訴外重雄は、本件事故日の三日前である同年六月三日には、高度の頭痛を訴える等その健康状態には通常では見られない異変があったこと、特に右の高度な頭痛は、本件脳出血の前駆症状とみられること、但し、訴外重雄は、右同日及びその前数日においてもその勤務状態に特に変わりがなかったことは、前記のとおりであり、その当時、肉体的ないし精神的に極度の疲労状態等にあったようには見受けられなかったこと、

6  訴外重雄についての業務外の健康に関連する事項としては、同訴外人は、一日約二〇本程の紙巻煙草の喫煙習慣と一日おきぐらいの間隔でウィスキーの水割り四ないし五杯の量程度の飲酒習慣があったこと、

以上の事実を認定することができ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

三  1 右一、二に判示の事実関係によれば、訴外重雄には、いわゆる基礎疾患として本件疾病としての高血圧症がかなり以前からあったことから、本件事故当時にはそれに基づく高度の血管病変状況にあったものであることが認められるところではあるが、本件においては、その血管病変につき加齢経過を超えて著しくそれを増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷が、本件事故の直前少なくとも一週間程度以内の近接した時期に存し、それによって本件脳出血が発症したものであるとは到底認められない。

2 しかしながら、同じく右事実関係によれば、訴外重雄の稼働状態は、少なくとも昭和五五年六月にミタカ運送株式会社の経理を見るようになってから昭和五八年六月六日に本件事故が起きるまでの約三年間ほどは、それ以前の稼働状況に比してばかりでなく、一般的見地から見ても客観的にかなり多忙であったことも認められる。

そこで、訴外重雄の右の長期に亘る多忙な稼働状況による肉体的あるいは精神的疲労がその基礎疾病自体を発症ないし進行させ、さらにそれに基づく血管病変を加齢その他の自然的経過に比して増悪せしめた結果、本件脳出血を惹起せしめたものであるか否かが検討されなければならない。

ところが、(証拠略)によれば、血管病変を惹起する高血圧性疾病を発症させ又は自然的経過を超えて増悪させる因子としては、医学上においても業務に基づく諸種の継続的な負荷との関連が疑われてはいるが、しかしこれらの継続的負荷(特に心理的負荷)については、それに対する生体反応には著しい個体差が存在することに加えて、それは業務外の一般生活にも同様に又は重複して存在すること等のことから、また、高血圧症自体並びに高血圧性脳出血の各発症のメカニズム自体も未だにその細部まで医学上確定されてはいない部分があることと相俟って、医学的にも未解決な部分があり、未だ右継続的負荷に関しては、高血圧症との相関関係の評価には困難なものがあると理解されている。

しかも、訴外重雄には、特に高血圧症を発症させるような特定の疾病の存在は窺われないことは前認定のとおりであるから、一般的な医学常識からすると訴外重雄の高血圧症は、その原因が明白でないことが多いいわゆる本態性高血圧症といわれるものであると推測しうるものである。

以上のような事実関係の下においては、前二において認定した事実をもってしても本件脳出血が訴外重雄の業務に起因したもの、換言すればその間に相当因果関係があること、即ち、本件においては、訴外重雄に存した本件基礎疾病が、主として前認定にかかる同訴外人の仕事がかなり多忙であったことによる肉体的ないし精神的負担により、その自然的経過を越えて増悪した結果であるものとは、未だ認定することができないものと言わなければならない。

そして、他に本件証拠上、訴外重雄の業務が本件疾病の症状の増悪にどの程度関連したかを、証するに足るものは存しない。

3 なお、原告は、明貨トラック等の会社側に訴外重雄の労働量及びその健康状態に対する労務管理に落ち度が存した旨主張しているが、前記二における認定事実からすると、訴外重雄は明貨トラックの形式的には従業員ではあったが、身分的には社長等と親族関係にあったばかりでなく、明貨トラックにおいては実質的には経営者の一員であって、その勤務時間及び仕事内容も会社就業規則ないし業務命令に基づくものではなく、会社の経営者の一員として自発的になされたものであったこと、また、訴外重雄は、自らの意思で会社側の実施している健康診断等の検診を受けることを正当な理由もなく拒否するなどして、被雇用者の雇用契約に付随する義務である、又は、一般社会人としての自己責任として自発的になされるべき健康管理を自ら怠っていたものであることが明らかであるので、原告の右主張は採用できない。

四  以上によれば、本件処分は正当であるから、原告の本件請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条に則って、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長谷喜仁 裁判官 廣田民生 裁判官 野村明弘)

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