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神戸地方裁判所 平成11年(ワ)1800号 判決 2002年1月29日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告に対し,平成11年5月1日から平成12年4月30日まで毎月25日限り月額39万2000円の割合による金員及びこれに対する各支払期日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告に対し,205万4400円及び内金90万2400円に対する平成11年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員,内金115万2000円に対する平成12年1月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告の設置するA大学(以下「本件大学」という。)の助教授である原告が,本件大学の理事長から停職1年の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)を受けたが,本件懲戒処分は無効であるとして,本件懲戒処分により支給を受けられなかった報酬及び賞与の支払を求めた事案である。

1  争いのない事実

(1)  当事者等

ア 被告は,広島県福山市a町bc番のd所在の本件大学及びB大学を設置する学校法人である。

イ 原告は,平成6年4月1日,本件大学経営学部経営法学科の助教授として被告に採用され,平成11年4月の時点における月額報酬は,39万2000円であった。

また,平成10年度の賞与は,6月に90万2400円が,12月に115万2000円がそれぞれ支給された。

しかし,原告は,本件懲戒処分により,被告から平成11年5月分から平成12年4月分までの月額報酬等の支給を受けられなかった。

(2)  本件の経緯

ア 本件大学経営法学科及び同経営福祉学科は,平成11年4月9日から同月11日までの3日間,eにおいて,新入生の合宿オリエンテーションを実施し,その学生リーダーの一人である経営福祉学科4年生の女性(以下「本件学生」という。)のほか,本件学生のクラス担任であるC助教授(以下「C」という。)らがこれに参加した。

イ 原告は,同月9日の行事終了後,飲酒をしていた。

ウ 本件学生は,同日の夜,個室で休んでいたところ,原告は,経営福祉学科D助手(以下「D」という。)とともに本件学生の部屋に入った。原告は,本件学生の身体に触れたり,Dに日本酒を取りに行かせたりした。

エ 原告は,本件学生に対し,二度にわたり,口と口を付けて,息を吹き込んだり,「ファーストキスをうばってしまった。俺でごめんな。」と言ったりした。

(3)  懲戒処分

ア 被告設置大学の就業規則(乙2)においては,教員についての人事は,学長と議して理事長が行うものとされている(4条)。また,懲戒処分をする場合,本件大学の教員については,教授会にはからなければならないとされている(9条2項)。さらに,A大学教授会細則(乙3)においては,教員の人事を審議事項とする場合には,教授のみをもって構成する教授会で審議することとされている(2条2項)。

また,同規則においては,「両大学の教職員としての適確(格)性を欠き又はふさわしくない非行のあった場合」には,懲戒処分として免職,停職,減給又は戒告の処分をすることができることとされている(9条1項2号)。

イ E(経営福祉学科教授),F(同),G(経営情報学科教授)の3名の学長補佐は,同月28日,原告から事情を聴取した。

ウ 同日,各教授に対して教授会の招集が通知された。同月30日,緊急臨時教授会が開催され,教授25名中19名が出席した。同教授会において,別紙「新入生合宿オリエンテーション時におけるH助教授による不祥事件について」と題する書面(乙9)が配布された。同教授会においては,質疑はなかった。

エ 本件大学の理事長であるI(以下「I」という。)は,原告に対し,平成11年5月1日,本件懲戒処分を発し,本件大学の学長であるJ(以下「J」という。)が原告に辞令を交付した。

2  争点

懲戒処分の効力,すなわち

(1)  懲戒処分事由の存否

(2)  懲戒処分手続の適法性

3  当事者の主張

(1)  懲戒処分事由の存否について

(原告の主張)

ア 原告は,不調を訴える学生に対して市販薬を与えるなどするため,救急箱を管理する立場にあったことから,Dから本件学生が肉体的疲労及び精神的不安定から気分が悪いということで部屋で休んでいる,本件学生は低血圧であると聞かされ,本件学生の容態を確認するため,Dを伴って本件学生が休んでいた部屋に赴いたものである。

イ 本件学生は,額に濡れたタオルがかけられていたが,息苦しそうにしており,先にDから熱はないと聞いていたので,額に濡れたタオルをかけても意味はなく,応急処置としては不適切であると判断して,「大丈夫か。」と声をかけながら,そのタオルを首筋に当て,タオルの上から首筋をマッサージしたところ,息苦しさは収まった。

さらに,原告は,本件学生は低血圧であると聞いていたので,熱があるのではなく,低温状態になっていないかを確認するため,額及び頬に手を当ててみたところ,やや冷たく感じられた。そこで,体を温めさせること及び精神安定をさせなければならないと考えて,ワインを飲ませてみようと思ったが,ワインはなかったので,Dに日本酒を本部から持ってくるように指示し,Dが日本酒を持ってくるまでの間,原告は,子供をあやすように本件学生の髪をなでて,気分を落ち着かせるようにしていたものである。

ウ 本件学生は,いったん落ち着いたように見え,原告は,「私の妹も低血圧だけれども,小学校の先生をしてがんばっている。君もがんばれ。」と声をかけると,本件学生は,「はい。」と答えた。ただ,もう少し様子をうかがう必要があると考え,観察していると,しばらく落ち着いた息づかいが聞こえ,安心しかけたところ,突然に息づかいが聞こえなくなり,緊急事態が生じたと思い,人工呼吸をしたものである。

そして,二度目の人工呼吸を終えたところで,本件学生が目を開けたのを確認し,「大丈夫か。」と声をかけたところ,「大丈夫です。」と返事が返ってきた。

ところで,原告としては,本件学生が精神的に不安定であること及び気の弱い性格であることも聞かされていたことから,息が止まったとの緊急事態を教えることは,そのときの本件学生にとってはよりショックを受けるのではないかと考え,軽く受け止めさせるため,冗談めかして「ファーストキスをうばって,俺でごめんね。」と言ったものである。

エ その後,原告は,本件学生を病院に連れて行こうと進言したが,様子を見ることになった。

翌朝,原告は,本件学生のことが心配で,部屋の前まで行き,大丈夫かと声をかけながら戸を開けて(入室はしていない。),様子をうかがうと,寝ていた本件学生は,原告に振り向いて「大丈夫です。」と返事をしたので,戸を閉めて,本部に戻った。

オ 以上のとおり,原告は,本件学生の呼吸困難状況に対処するため,マウス・トゥ・マウスを行ったにすぎず,これは性的嫌がらせ(セクシュアル・ハラスメント,以下「セクハラ」という。)といえるものではないから,懲戒処分事由は存在しない。

(被告の主張)

ア 治療・看護能力がなく,そのようなことをする立場にない原告が,相当量飲酒の上,大学4年生の女子学生が静養している部屋に入り,同女に寄り添うように横になり,髪,首,頬,唇,歯等を触り,「ファーストキスをうばってしまった。俺でごめんな。」などと言い,同女に不快な気持ちを抱かせたことは,就業規則(乙2)9条1項2号に規定する「両大学の教職員としての適確(格)性を欠き又はふさわしくない非行のあった場合」に該当することは明らかである。

イ 当時の本件学生の状況は,頭痛と吐き気がするが,寝ていれば調子がよくなるであろうというようなもので,第三者から見ても医者に連れて行かなければならないような状況ではなく,原告がマウス・トゥ・マウスと称する行為をした後も,チアノーゼが出ていたわけでもなく,体調が特に変わっていないような状態であった。本件学生自身,当時の様子を明確に記憶しており,人工呼吸を必要とするほど呼吸が困難な状態になかったことは明らかである。

(2)  懲戒処分手続の適法性

(原告の主張)

ア 告知及び弁明の機会の不存在

(ア) 本件大学の学長補佐F外2名が,平成11年4月28日,原告と面談したが,これは,告知及び弁明の機会に該当するものではない。

(イ) 告知とは,被懲戒者に対し,懲戒事由をあらかじめ通告することをいい,それは被懲戒者が十分な反論を検討する準備の機会を与える趣旨のものである。

本件では,被告が原告に対し,前記日時までに懲戒事由を告げ,反論準備の機会を与えた事実は認められないにとどまらず,原告は,事前に被告のDからの聞取内容の開示を求めたが,被告はこれを拒否したものである(甲6)。

(ウ) 弁明の機会を与えたというためには,被懲戒者の弁明に虚心に耳を傾け,公正な立場で聞き取りをして,そのことにより主張の異なる部分に対するさらなる検討を行う必要がある。

しかし,K事務局長の陳述書(乙20)によれば,その面談の直後の被告面談担当者の報告は,原告が「セクハラであることは認めず,自己の行為の正当性を主張するもの」であるというものであって,原告の主張を踏まえた検討など一切されていない。

すなわち,一方当事者である原告の主張を聞く前から,原告の行動はセクハラであると断定して,前記面談に臨み,原告がそれを認めなかったと非難するものにしかすぎない。

したがって,被告は,原告の主張に虚心に耳を傾けて,検討を行おうとすることは考えていなかったといえるから,前記面談は,糾弾にすぎず,弁明の機会に値するものではなかったのである。

イ 教授会の審議の不存在

(ア) まず,臨時教授会の招集は,その2日前に,議題を「人事について・その他」とするだけの通知書によるものであり,人事問題の具体的内容は全く明らかにされていない。しかも,それさえ今回の教授会のメンバーである各教授の手に渡らないおそれがあったことから,電話連絡をしたにすぎない。

教授会構成メンバー25名のうち,学長,学長補佐3名及び学科長3名の合計7名は,学科長・学長補佐会議のメンバーであったり,本件のオリエンテーションの参加者であったことから,本件の経過を知っていると認めるにはやぶさかでないが,それ以外の3分の2以上の者は,教授会まで本件の経過を知らなかった。

すなわち,これでは議題内容の事前開示に欠けており,内容次第では万難を排して出席することがあり得るのに,臨時教授会に対する出席の機会を奪ったものである。臨時教授会には6名の欠席者がいて,全員の出席がない以上,この瑕疵は治癒されないものである。

(イ) 教授会において,本件懲戒処分を審議するに至る経緯についての説明は,別紙「新入生合宿オリエンテーション時におけるH助教授による不祥事件について」と題する書面(乙9)を読み上げた程度にすぎず,前記のとおり,本件の経過を知らない出席者約12名が知り得た内容はこれのみである。原告が本件学生の状態を心配して出向いたことなど,その主張は一切省みられることなく報告されたにすぎない。

また,前記書面には懲戒処分内容を停職1年とすると記載されているが,相当性の原則(懲戒処分は,具体的事情の下で,客観的に合理的で,社会的に相当でなければならず,したがって,第一に違反行為と処分結果の重さが釣り合ったものでなければならないこと)に従った検討内容は一切記載されていない。これは,臨時教授会招集以前においても,そのような相当性の原則に従った検討がされなかったからである。これでは,原告の懲戒処分を審議するに十分な資料ではないことは明らかである。

そして,前記臨時教授会では質疑及び討議はなかったことは被告も認めており,それは,質疑及び討議をさせるだけの調査結果などを開示しなかったことによるものであり,懲戒処分の相当性の検討もされなかったのである。

教授会は,質疑するような間も与えず,有無を言わさない進行であったということであり,そうであるからこそ,原告は,出席者らの教授会室への入室から退出までの時間を入れても約10分にすぎないことを見届けているものであり,被告が主張するように二,三十分もかかっていない。

(ウ) 懲戒処分権者は,理事長であるが,就業規則において教授会の審議を経なければならないと定めている以上,その審議において,懲戒処分の適法要件を検討しなければならないものであることから,以上の臨時教授会の内容では,本件懲戒処分に関する審議とは評価し得ないことは明らかで,教授会の審議は不存在である。

ウ 相当性原則違反等

(ア) 本件の懲戒処分権者である被告の理事長は,本件懲戒処分の適法要件である相当性の判断について検討をしていない。

しかも,被告が経営するB大学では,すでに理事長であるIが,女性教師へのセクハラにより6か月の減給処分という本件懲戒処分より軽い処分がされている(証人K)以上,同じ法人であるのだから,その処分との比較検討もすべきであるのに,それがされた証拠が一切なく,平等性の原則にも反する。

証人Kは,「他大学のことも検討してません。」と証言するように,処分時にはなんら比較検討作業をしていないことは明らかである。

したがって,本件懲戒処分手続に違法があり,無効である。

(イ) また,前記減給処分と本件懲戒処分とを比較すると,到底均衡がとれず,本件懲戒処分は,権利濫用で,無効である。

(被告の主張)

ア 本件学生及び関係者からの本件に関する事情聴取の結果がJ学長に報告され,平成11年4月28日,3名の学長補佐が原告から事情を聴取するとともに,質問に対して原告が答弁する方式で,原告に弁明の機会を与え,学科長・学長補佐会議は,審議を重ねて,結論をまとめた。

学長は,同日,教授のみを構成員とする緊急臨時教授会を文書及び電話で招集し,同月30日午後2時40分から,教授25名中19名出席の上,教授会を開催した。教授会においては,別紙「新入生合宿オリエンテーション時におけるH助教授による不祥事件について」と題する書面(乙9)を配布して,事務局長がこれを読み上げた後,議長(学長)が補足説明をし,続いて再三にわたって質疑を求めたが,質疑がないため採決に移ったところ,全員異議なく本件懲戒処分を承認した(乙10)。審議時間は,二,三十分であった。その後,J学長と理事長が議した上,同年5月1日付けをもって,理事長より本件懲戒処分が行われ(乙1),同日,J学長が簡単な説示とともに辞令を交付した。

イ 教授会の審議については,十分に質疑の時間は与えられていたのであり,質疑がなかったため,結果的に長時間にならなかっただけである(証人K)。議案については,当日説明しており,また,当日の出席者19名中12名は,事前に学科長・学長補佐会議での議論や学科内での連絡によって内容を熟知していたのであり(証人K),審議に値しないとの原告の主張は正当ではない。

仮に,教授会決議に何らかの瑕疵が存するとしても,教員の懲戒については,理事長が学長と議して行うとされており(乙2,4条),教授会の審議は諮問機関としてのものであって(乙2,9条2項),その決議に拘束力はないから,処分を無効とするほどのものではない。

ウ 本件は,労働法を専門とし,セクハラ問題についても識見を持つように心がけ,学生に対して適切な指導を行うべき立場にある原告が,本件学生に,口を切り取ってしまいたい,原告には一生会いたくない,大学をやめてもらいたい(証人C),自分の記憶を消してしまいたいなどと考えるほど,不快な気持ちを抱かせたという重大なセクハラ事案であって,原告が反省せず,セクハラでないと主張していること,本件学生と原告を会わせない配慮をする必要があること,旧労働省からセクハラに対しては厳罰で臨むように求められていたこと(乙21),他の処分事案(乙7)との比較等の諸事情を考慮すると,1年の停職処分を選択したことに裁量権の濫用も逸脱も存しない。

原告は,被告において本件以前にされた女子講師に対するセクハラ事件についての減給6か月という懲戒処分と比較すると,本件懲戒処分は,均衡がとれないと主張する。

しかしながら,労基法の減給に関する規定(同法91条)との関係からみて,減給6か月というのは,懲戒処分というよりも自主的な返上と考えるべきであるし,対象事実自体も本件とは教員と学生ということで異なっているし,相手方との間で和解が成立している(証人K)点でも本件とは異なっているから,単純な比較はできないものである。

第3当裁判所の判断

1  懲戒処分の効力

思うに,使用者の懲戒権の行使は,当該具体的事情の下において,それが客観的に合理的理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合に初めて権利の濫用として無効になると解するのが相当である(最高裁判所昭和56年(オ)第284号同58年9月16日第二小法廷判決・判例時報1093号135頁)。

このような見地に立って,以下検討する。

2  懲戒処分事由の存否(争点(1))について

(1)  前記争いのない事実に加え,証拠(甲6,乙15,18,19,証人D,証人C,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。これに反する原告本人の供述部分及び同人作成の陳述書(甲6)の記載部分は,前掲各証拠及び弁論の全趣旨に照らし,信用することができない。

ア 本件大学経営法学科及び同経営福祉学科は,平成11年4月9日から同月11日までの3日間,eにおいて,新入生の合宿オリエンテーションを実施し,その学生リーダーの一人である経営福祉学科4年生の本件学生がこれに参加した。

イ 本件学生は,同月9日,バスで到着後,熱はないものの,吐き気と頭痛がして気分が悪くなり,部屋で休んでいた。本件学生は,頭痛や吐き気はよくあることで,寝ていれば調子がよくなるだろうから,様子を見たい,薬は飲んでも吐くから,飲まなくていいと言った。そこで,Dらは,30分から1時間おきに,他の女子の学生リーダーとともに部屋に様子を見に行っていた。その後も,本件学生は,眠れないまま同じような状態が続いていた。

ウ 原告は,同日の食事の後,本部となっていた部屋で相当量のウイスキーを飲み,酔いが回っていた。Dは,本件学生のことが気になって同部屋を出ようとしたとき,原告に呼び止められ,車酔いのせいか,頭痛と吐き気がするという本件学生の様子を見に行くと伝えたところ,原告は,自分は詳しいから,一緒に行って様子を見ると言い,Dとともに本件学生の部屋に入った。

エ そのころ,本件学生の息づかいは静かであった。原告は,目を覚まして横になっていた本件学生に寄り添うように横になり,その額,頬,髪,首などを触り,ひんやりしているな,水不足か,低血圧ではないか,妹も低血圧だなどと言って,Dにミネラルウォーターを取りに行かせた。

オ Dがミネラルウォーターを持って部屋に戻ると,原告は,本件学生に寄り添う形で,足を伸ばし,ひじをついてやや上半身を起こした体勢になっていた。本件学生は,少量の水を飲んだが,嘔吐するような様子で,「あまり欲しくないんです。」と言った。その後,原告は,本件学生の顔や手などを触り,「寒いか。そうでもない。これはちょっと冷たいぞ。これは単なる車酔いとか,偏頭痛じゃないぞ。ちょっと違うぞ。」と言った後,やはりひんやりしているので,ワインを飲んだ方がいいと言ったが,Dにワインはないと言われたので,Dに日本酒を取りに行かせた。

カ Dは,原告が部屋を出ていく様子がなく,また,日本酒と言われて心配になり,講師であるL(以下「L」という。)に相談して,日本酒を持ってLとともに部屋に戻った。本件学生が日本酒を少しなめる程度口にした後,原告,D及びLは,部屋の電気を消して本件学生の様子を見ていたが,多くの人がいると本件学生が気を遣うだろうということで,Dが部屋に残り,原告及びLが部屋から出ていった。

キ 本件学生は,眠れなかったので,Dと話をしていたところ,Dは,自分も偏頭痛になることがあり,少し冷やすことで楽になることもあるという話をし,濡れたタオルで本件学生の額を冷やした。

ク そうしているうちに,原告が部屋に入ってきて,「電気を消せ。俺が責任者なんだ。俺が責任を取るんだ。」と言ったり,低血圧のときに冷やすのはよくない,Dには任せられないと言って,タオルを入口付近に投げつけたりした。その後,Lが部屋に入ってきた際,原告は,Dには任せられないから,自分が本件学生に付いておくと言い,Lに自分で飲むためのウイスキーを取りに行かせた。Lは,ウイスキーの入った紙コップをドアの近くにあったテレビ台のようなものの上に置いた。Dは,同月10日午前1時27分ころ,経営法学科の講師であるM(以下「M」という。)に助けを求めに行き,簡単に事情を説明した。D及びLが部屋から出ていった際,部屋の電気は消えていた。

ケ 原告は,本件学生の枕元で,枕を脇に挟む形で横になり,ウイスキーを飲んだ。本件学生が寝入りそうになったとき,原告は,本件学生の頬,鼻,唇,歯を触った後,口と口を付けて,息を吹き込んだが,気道を確保することはしなかった。原告は,「おい,大丈夫か。」と言った。本件学生が黙っていると,原告は,もう一度同様の行為を行った。原告は,「大丈夫か。」と言って,本件学生の肩をたたいた。本件学生が「はい,大丈夫です。」と言うと,原告は,「びっくりさせるなよ。」と言った。原告は,部屋の電気を付け,部屋から廊下に出て,「おーい,おーい。」と言った後,走っていった。

コ 原告は,同日午前1時30分ころ,本部に飛び込んで,呼吸が止まった,救急車を呼べ,マウス・トゥ・マウスをしたと言った。Dは,L及びMとともに,本件学生のいた部屋に入ったところ,本件学生は,驚いていたが,体調は変わっておらず,顔にチアノーゼが出ていたわけでもなかった。Dが本件学生に対して救急車を呼ぶ必要があるかなどと聞いたところ,本件学生は,大げさにしてほしくないし,病院に行く必要もないと答えた。原告は,部屋に入ってきて,救急車を呼べと強く言っていた。その後,原告は,本件学生にかけられていた布団の上に乗りかかるような形で寄り添って,本件学生の顔,髪,腕を触りながら,「ファーストキスをうばってしまった。俺でごめんな。」と言った。原告は,Mに触るなと言われて,本件学生から離れた。原告は,その後も,「ファーストキスをうばってしまった。俺でごめんな。」と何度か言った。原告は,経営法学科の教授であるN(以下「N」という。)らに促されて,部屋から出ていった。本件学生は病院に行く必要がないと判断され,本件学生の希望もあって,結局,救急車を呼ばず,様子を見ることになった。なお,ウイスキーが紙コップからこぼれて,原告が使っていた枕にしみていた。

サ 原告は,本部に戻って,他の学生リーダーや教官らに対し,「おまえら言うなよ。呼吸が止まってびっくりしたよ。ファーストキスをうばったんだ。」などと言った。

シ 原告は,同日午前6時30分ころ,本件学生の部屋に来て,本件学生に対し,ドアの前で「大丈夫か。」と聞いた。また,Nが原告に対し,同日の朝,「昨日呼吸が止まった子がいたけど,どうやったかな。」と尋ねたところ,原告は,「とにかく呼吸が止まったので,マウス・トゥ・マウスを施しました。」と答えた。

ス Dは,同日の朝,本件学生を自宅まで車で送っていった。その際,本件学生は,悔しくてたまらない,思い出したくもないし,つらいと言った。

セ Dは,同月13日,2時間強かけて,本件学生から事情を聴取した。本件学生は,Dに対し,泣きながら原告による被害を訴え,口を切り取ってしまいたい,寝る前に思い出すので,眠りたくない,原告には一生会いたくないし,顔も見たくない,自分の記憶を消してしまいたい,テレビでひげの人を見ると思い出す,潔癖性の人のように口の中と唇を洗ってしまう,普段周りにいる男性のことも信じられなくなるなどと言った。

ソ 本件学生は,原告の前記行為によって精神的なショックを受け,しばらく大学を休んだ。Dが事情聴取をしてから約2週間後,本件学生は,Cに対し,テレビで鼻ひげのある顔の人を見ると思い出す,口を切り取ってしまいたい,すぐうがいをしてしまうなどと言った。本件学生は,原告にされたことを姉には話したが,両親に対しては,数か月間,打ち明けられなかった。また,本件学生は,大学4年生であったところ,原告の前記行為による精神的動揺もあって,就職活動を始めるのが遅れたり,就職活動に本腰が入らなかったりしたため,平成12年3月になって,ようやく就職が決まった。

(2)  前記のとおり,原告は,本件学生に対し,二度にわたり,マウス・トゥ・マウス(口と口を付けて息を吹き込んだ行為)を行ったところ,これは,後記のとおり,客観的に人工呼吸を必要とする状況でなかった本件においては,相手方に著しい性的な嫌悪感を抱かせるものであるのみならず,その行為の性質に,その前後の原告の対応等,すなわち,原告が酒を飲みながら休んでいた本件学生に寄り添ってその身体を触っていたこと,原告がマウス・トゥ・マウスを行った際,部屋には原告と本件学生の二人しかおらず,電気が消えていたこと,原告が本件学生の気道を確保することはしなかったこと,原告が本件学生に対し,「ファーストキスをうばってしまった。俺でごめんな。」と何度も言ったことを総合すると,学生に対して優越的地位にある大学助教授が,学校の公式行事である新入生合宿オリエンテーション時に学生に対し,性的意図をもって,性的な嫌悪感を及ぼす行為に至ったもので,いわゆるセクハラに該当するものというべきである。

そして,原告の前記行為により,前記のとおり,本件学生は,精神的なショックを受け,大学を休んだり,就職活動が遅れるなどの影響を受けたのであるから,原告の前記行為は,懲戒処分(停職処分を含む。)事由として就業規則(乙2)第9条1項2号に定められた本件大学の教職員としてふさわしくない非行に該当するものというべきである。

(3)  これに対し,原告は,本件学生の呼吸困難状況に対処するため,マウス・トゥ・マウスを行ったにすぎず,これはセクハラといえるものではないと主張する。

しかしながら,前記認定のとおり,本件学生が頭痛や吐き気はよくあることで,寝ていれば調子がよくなるだろうから,様子を見たいと言っていたこと,原告が本件学生の部屋に入った際,本件学生の息づかいが静かであったこと,本件学生が眠れずにDと話をしていたこと,原告がマウス・トゥ・マウスを行った際,本件学生は寝入りそうになっていたこと,その後,原告に「大丈夫か。」と聞かれて,本件学生が「はい,大丈夫です。」と言ったこと,本件学生の体調は変わっておらず,顔にチアノーゼが出ていたわけでもなかったこと,結局,救急車を呼ばず,様子を見ることになったことからすると,本件学生が当時呼吸困難な状況にあったとは考え難く,客観的にそのような状況にあったことを窺わせる証拠もないから,原告が本件学生に対してマウス・トゥ・マウスを行うことが必要な状況であったとはいえず,原告がこれが必要であると誤信していたとも認め難い。

また,原告は,本件学生が精神的に不安定であること及び気の弱い性格であることも聞かされていたことから,息が止まったとの緊急事態を教えることは,そのときの本件学生にとってはよりショックを受けるのではないかと考え,軽く受け止めさせるため,冗談めかして「ファーストキスをうばって,俺でごめんね。」と言ったものであると主張するが,前記のとおり,本件学生の息が止まったとは考え難い上,原告の上記発言内容は,原告の主張するような緊急事態にそぐわないものであり,むしろ当時そのような緊急事態ではなかったことからすると,その点は,上記のとおり,原告に性的な意図があったことを示すものといえる。

したがって,本件学生の呼吸困難状況に対処するためマウス・トゥ・マウスを行ったにすぎない旨の原告の主張は理由がない。

3  懲戒処分手続の適法性(争点(2))について

(1)  前記争いのない事実及び前記認定事実に加え,証拠(乙1,8の1,2,乙9,10,15,16,20,証人K)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア Cは,平成11年4月11日,約1時間にわたり,原告の前記行為についてL及びDから事情を聴取し,その内容を申し立て書(乙15)の2枚目と3枚目の文書にまとめた。

イ Dは,同月13日,2時間強かけて,本件学生から事情を聴取し,その内容を同申し立て書の4枚目と5枚目の文書にまとめた。

ウ 本件大学の経営福祉学科長・教授であるO(以下「O」という。)は,本件大学の学長であるJに対し,同月15日の朝,前記アイの文書を別紙とする同申し立て書を提出した。

エ 同日午後2時40分ころ,定例の学科長・学長補佐等連絡会議が開催され,同申し立て書に基づき,議論が行われた。その際,原告を懲戒解雇にすべきであるとの意見や原告に依願退職を求めるべきであるとの意見などが出された。

オ 本件大学の経営法学科長であるP(以下「P」という。)及び学長補佐であるEは,原告に対し,同日,依願退職をするように求めたが,原告は,これを拒否した。

カ Oを中心とする経営福祉学科の教員らは,Jに対し,早く原告の処分を決定するように求め,Jは,同月中に原告を処分することとし,同月27日,同会議が開催された。Pは,原告を停職1年とする処分案を示したが,結論が留保され,原告に弁明の機会を与えるため,3名の学長補佐が同月28日に原告から事情を聴取することが決まった。

キ E(経営福祉学科教授),F(同),G(経営情報学科教授)の3名の学長補佐は,同月28日午後1時30分ころから午後2時30分ころまでの間,原告から事情を聴取するとともに,原告に対して質問をし,答弁を求める形で,原告に弁明の機会を与えた。

ク 同日,同会議が開催され,前記キの事情聴取の結果報告に基づき,議論が行われ,全員が前記カの処分案に同意し,これを教授会にはかることとした。

ケ 同日,各教授に対して緊急臨時教授会の招集が電話及び文書で通知された。その文書(乙8の2)には,議題として,「1)人事について」,「2)その他」の記載があった。

コ 同月30日午後2時40分ころから,同教授会が開催され,教授25名中19名が出席した。同教授会において,別紙「新入生合宿オリエンテーション時におけるH助教授による不祥事件について」と題する書面(乙9)が配布され,事務局長であるKがこれを読み上げた。その後,Jが出席者に意見を求めたが,出席者から意見は出なかった。そして,Jは,原告に対する停職1年の懲戒処分を提案し,出席者に意見を求めたが,出席者から意見は出ず,全員異議なく前記懲戒処分を承認した。

サ 本件大学の理事長であるIは,Jと議した上,原告に対し,同年5月1日,本件懲戒処分を発し,Jが原告に辞令を交付した。

(2)  前記のとおり,被告は,原告に対し,弁明の機会を与えたものであり,また,本件懲戒処分は,就業規則(乙2)及びA大学教授会細則(乙3)所定の手続に従って,教授のみをもって構成する教授会(構成員である教授の3分の2以上が出席して開かれた。)にはかった上,理事長が学長と議して行ったものであるから,懲戒処分手続の適正に欠けるところはないものというべきである。

また,前記のとおり,原告の前記行為がセクハラに該当すること(しかも,これは,性的意図のもとに,口と口などの身体の接触を伴う行為であり,強制わいせつにも比すべき悪質なものである。),その後の本件学生の言動からして,原告の前記行為によって本件学生が受けた精神的なショックが大きいものであったと推認されることからすると,原告の前記行為は強い非難に値するものであることが明らかであるから,決して原告に対する停職1年の本件懲戒処分が重きに失して相当性を欠くとはいえない。

(3)ア  これに対し,原告は,被告が原告に対し,平成11年4月28日の3名の学長補佐との面談までに懲戒事由を告げ,反論準備の機会を与えた事実は認められないのみならず,原告は,事前に被告がDから聞き取った内容の開示を求めたが,被告はこれを拒否したものであるとか,3名の学長補佐は,原告の主張を聞く前から,原告の行動はセクハラであると断定して,前記面談に臨んだものであり,被告は,原告の主張に虚心に耳を傾けて,これを踏まえた検討を行おうとすることは考えていなかったといえるから,前記面談は,糾弾にすぎず,弁明の機会に値するものではなかったなどと主張する。

しかしながら,懲戒処分事由を告知した上で引き続き弁明の機会を与えていれば,被懲戒者においてこれに反論することは十分可能であり(証拠(乙16)によれば,現に原告が3名の学長補佐からの質問に対して縷々反論していることが認められる。),あらかじめ懲戒処分事由を告知したり,調査して収集した資料を開示するなどして,被懲戒者に事前に反論の準備をする機会を与えなければ,的確な反論をすることができないというものではない。

また,前記のとおり,原告の前記行為はセクハラに該当すると判断されることからすると,被告側が前記面談までになした調査の結果をもとに,原告の前記行為がセクハラに該当するとした判断は正当であるし,原告の弁明によってもその判断を揺るがすまでには至らなかったであろうということが容易に推認されるところであるから,原告の行動がセクハラであると断定したことを捉えて不当ということはできない。

したがって,原告の上記主張は理由がない。

イ  また,原告は,臨時教授会の招集に当たっては,議題内容の事前開示に欠けており,内容次第では万難を排して出席することがあり得るのに,臨時教授会に対する出席の機会を奪ったものであること,教授会における説明は,別紙「新入生合宿オリエンテーション時におけるH助教授による不祥事件について」と題する書面(乙9)を読み上げた程度にすぎず,これには原告の主張や相当性の原則に従った懲戒処分の検討内容が記載されていないから,原告の懲戒処分を審議するに十分な資料ではないこと,前記臨時教授会では質疑及び討議はなかったことなどから,教授会の審議が不存在であると主張する。

しかしながら,前記認定のとおり,教授各位宛の緊急臨時教授会の開催通知(乙8の2)に議題として「1)人事について」,「2)その他」と記載されているところ,教員の人事はその性質上重要なものであることは明らかであるから(A大学教授会細則(乙3)第2条2項参照),同通知に上記の記載があれば,同細則第6条1項に定められた教授会の重要議題の通知として欠けるところはないものというべきである。

また,前記書面(乙9)に記載された「本学教員としてふさわしくない非行と認めた事実」は,前記2(1)記載の認定事実に沿うものであって,かつ,本件懲戒処分の是非を判断するに足りる詳細なものであるところ,被告が原告の弁明によっても前記事実を覆すには至らないと判断した以上,原告の弁明を記載しなくても不当とはいえないし,前記のとおり,原告に対する停職1年の本件懲戒処分が相当性を欠くとはいえないのであるから,これが相当かどうかの検討内容を記載していないからといって不当ということはできない。

さらに,緊急臨時教授会において質疑がなかったことは当事者間に争いがないところ,これは,前記認定のとおり,Jが出席者に意見を求めたのに対し,出席者から意見が出なかったことによるものである。出席者が仮に前記書面(乙9)だけでは判断資料として不十分であると考えれば,質問したり,さらなる情報の開示を求めたりすることもできたのであるし,同教授会において特段の質疑及び討議がなかったのは,その必要がなかったことによるものとみるのが相当であって,調査結果などを開示しなかったことによるものとはいえない。

したがって,原告の上記主張は理由がない。

ウ  さらに,原告は,本件の懲戒処分権者である被告の理事長は,本件懲戒処分の適法要件である相当性の判断について検討をしていないとか,被告が経営するB大学では,すでに理事長であるIが,女性教師へのセクハラにより6か月の減給処分という本件懲戒処分より軽い処分がされている以上,同じ法人であるのだから,その処分との比較検討もすべきであるのに,それがされた証拠が一切なく,平等性の原則にも反するなどと主張する。

しかしながら,前記のとおり,原告に対する停職1年の本件懲戒処分が相当性を欠くとはいえないのであり,そうである以上,懲戒処分権者が相当性の判断について検討をしていないとか,他の処分との比較検討をしていないとして非難するのは当たらない。

また,原告主張の前記減給処分は,教員に対するセクハラに関するものである点,被害者との間で和解がされている(証人K)点で,学生に対するセクハラが問題となっている本件とは事案を異にするものであるから,本件懲戒処分が前記減給処分と比較して均衡を失すると断ずることはできない。

したがって,原告の上記主張は理由がない。

4  結論

以上によれば,被告が原告に対して本件懲戒処分に及んだことは,客観的にみても合理的理由に基づくものというべきであり,本件懲戒処分は社会通念上相当として是認することができ,懲戒権を濫用したものということはできない。

したがって,本件懲戒処分は有効であるから,これが無効であることを前提とする報酬及び賞与の支払請求はいずれも理由がない。

第4結語

よって,原告の本訴請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松村雅司 裁判官 水野有子 裁判官 増田純平)

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