神戸地方裁判所 平成11年(ワ)1935号 判決 2002年7月19日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告は,原告に対し,金735万9660円及びこれに対する平成7年6月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言。
2 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第2当事者の主張
1 請求原因
(1) 当事者
ア 原告は,昭和35年4月から日本国有鉄道広島鉄道管理局の職員として勤務し,同62年3月31日に退職した後,同年4月1日から不動産取引を目的とする会社の代表取締役として,同会社を経営している者である。
イ 被告は,兵庫県警察赤穂警察署(以下「赤穂署」という。)の警察官らを地方公務員として任用するものである。
A,B及びCは,平成7年当時,いずれも,赤穂署に警察官として勤務していたものであり,Aは警部補,Bは巡査部長,Cは巡査であった(以下では,Aを「A警部補」,Bを「B巡査部長」,Cを「C巡査」という。)。
(2) 本件刑事事件の概要
ア 原告は,平成7年5月22日,赤穂署において,別紙被疑事実の要旨に記載の被疑事実により,傷害被疑事件の被疑者として逮捕され,その後同月24日同被疑事実によって勾留され,勾留延長を経て,同年6月12日,姫路簡易裁判所に対し,同被疑事実を公訴事実とする傷害罪で起訴された(同簡易裁判所平成7年(ろ)第36号傷害被告事件。以下,傷害被疑事件及び同被告事件を「本件刑事事件」という。)。
イ 姫路簡易裁判所は,平成8年9月4日,本件刑事事件について原告を無罪とする判決を言渡し,同判決は同月19日に確定した。
(3) 赤穂署警察官らの違法行為
ア 違法逮捕
(ア) 逮捕の必要性の欠如
A警部補,B巡査部長及びC巡査ら赤穂署の警察官ら(以下「赤穂署警察官ら」という。)は,平成7年4月28日,本件刑事事件の被害者であると称するDの被害申告を受けて事情聴取し,Eから本件暴行の目撃状況につき聴取し,さらに医師F(以下「F医師」という。)作成の診断書の提出をDから受け,その結果,軽率にも原告に対する暴行傷害の嫌疑を固め,以後予断を抱いて原告に対処し,原告の人権に対する配慮をすることなく,原告逮捕を既定方針として,以下に詳述するとおり,逮捕の必要性がないにもかかわらず,その吟味を怠って原告を逮捕し,長期にわたる不当勾留の基礎を作った。
逮捕の必要性を判断する上で,被疑事実の態様,被害の程度は常に重要な基準となる。Dの被害申告によれば,その態様は,手で顔面を1回殴られたというものであり,被害結果も,診断書によれば,加療約3日を要する右顔面打撲に過ぎず,軽微な事案であり,「否認するときは逮捕」を既定方針としなければならないような事案ではない。任意捜査で十分その目的を遂げることができた事案である。
原告は,元国鉄職員で,前科前歴はなく,不動産取引を目的とする会社の経営者として,昭和62年8月から肩書住所地に居住し,相当の資産を保有して活動をしているものであり,呼び出しを受けても出頭が確保できないとか逃亡のおそれがあるといった状況には全くなかった。また,原告が,本籍地である下関市に住民票上の住所を置き,妻子を同地に置いて,倉敷市で別の女性と同棲しているからといって,出頭確保ができないとか逃亡のおそれがあるといったことにはならない。
証拠隠滅のおそれについても,事件発生から1か月が経過しているうえ,赤穂署警察官らは,Dから診断書の提出を受け,かつ,Eら目撃者からの事情聴取もしていたのであるから,原告が否認したからといって,警察の取り調べを経験したことがない者が罪証隠滅工作を行えるはずもない。
以上のとおり,赤穂署警察官らは,逮捕の必要性がないのに,原告を逮捕し,その後の長期にわたる不当勾留の基礎を作出した。
(イ) 逮捕状請求手続及び逮捕手続の違法
赤穂署警察官らは,本件の逮捕状請求手続及び逮捕手続に関し,以下のとおり,極めてずさんな事務処理をしており,この点からも同手続は違法である。
逮捕状請求書記載の被疑事実には,「告訴の取り下げをしなかったことに立腹し」たという動機及び「その顔面を3,4回殴打する暴行を加え」という暴行態様に関する記載がある。動機の部分については,原告がDに対し,従前告訴の取り下げを要求していたか,Dが原告に取り下げを約束していたことが前提となっているが,この先行事実を窺わせる記載は,Dの検察官に対する供述調書中には見当たらない。暴行態様についても,同供述調書中には3,4回殴打されたという記載は見当たらず,むしろ,Dは,本件刑事事件の公判廷では「1回顔面を殴られすぐその場から逃げた」旨を証言している。したがって,上記被疑事実の各記載は,いずれも証拠に基づかない事実記載である。また,Dの被害届は存在しないにもかかわらず,逮捕状請求書の「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」欄には「被害者Dの被害届」と記載されており,赤穂署警察官らの事務処理はずさんである。
赤穂署警察官らが原告を逮捕した年月日時は,逮捕状によれば,平成7年5月22日午後2時20分であると記載されている。しかし,原告が,同日午後1時10分ころ原告方を訪れ,GカントリークラブにおけるDとのもめ事について事情を聴きたいとして,強力に任意同行を求めるA警部補,B巡査部長及びC巡査の求めに応じ,原告方を出発したのは,同日午後1時30分ころであるところ,原告方から赤穂署までの所要時間は約1時間30分であり,途中の吉備サービスエリアで原告の昼食のため少なくとも20分は費やしたことに,赤穂署到着後逮捕までの時間も考慮すると,原告が逮捕された時刻は午後3時30分以降でしかあり得ず,赤穂署警察官らが,同日午後2時20分に原告を逮捕することは物理的に不可能である。
したがって,赤穂署警察官らは逮捕状に虚偽の逮捕時刻を記載したものにほかならない。
原告は,赤穂署において被疑事実を否認したところ,傷害の被疑事実で逮捕されたものであるが,その際,B巡査部長は,A警部補の指示により,原告にいきなり手錠をかけ,その後,原告の顔面に逮捕状を突きつけるようにして逮捕状を示した。原告は,逮捕状を突きつけられた位置があまりに近すぎて,その記載内容を確認しようにもすることができず,まともに逮捕状を見せられないままに逮捕された。
イ 違法な取り調べ
(ア) 取り調べの懈怠
逮捕・勾留という身柄拘束を伴う強制捜査は,必要最低限にとどめるべきであり,特に,本件のような単純軽微な暴行傷害被疑事件においては,逮捕期間内に取り調べを完了すべく努力すべきであるのに,赤穂署警察官らは,原告が事実を否認していることの一事をもって必要な取り調べをせず,漫然日時を費やし,検察官をして勾留請求及び勾留延長請求をさせた。
すなわち,赤穂署警察官らは,逮捕当日の平成7年5月22日から原告が勾留された同月24日までは原告に対する取り調べを行なわなかった。赤穂署警察官らが,原告に対する取り調べを行ったのは,勾留後の同年5月25日になってからで,その回数及び時間は,同日の午前及び午後を通じて約3時間,同月26日午後に1時間50分,同月29日午後に2時間35分,同月31日午後6時以降に1時間20分,勾留延長後の同年6月4日午後に2時間35分,同月6日午前及び午後を通じて4時間10分というものである。原告を立ち会わせての実況見分がなされたのも同年5月31日になってからであり,また,事件関係者らに対する補充捜査も勾留後半期に集中している。
以上のとおり,赤穂署警察官らは,原告に対する取り調べを含む捜査を怠り,原告に対する不当な身柄拘束を行い,これを継続させた。
(イ) 自白の強要
赤穂署警察官らは,何ら合理的な根拠がないのにDの被害申告を過信して,これに沿う自白を以下のとおり原告に強要した。
C巡査は,平成7年5月29日ころの取調において,犯行を自白しない原告に立腹し,「非番なのに調書を取っているんだ。」と言って机を叩いて,原告の弁明を聴こうとせず,また,「おまえのために,何人の署員が捜査に駆り出されていると思っているのか。真実は一つだ。正直に話せ。」と怒鳴るなどした。
そのほか,C巡査は,あるときは,調書作成後約30分にわたり,原告に対し,「真実は一つ」,「殴られた者がいる。見た者がいる。医者の診断書がある。これは動かぬ証拠だ。何を強情を張るのか,正直に言ったらどうか。」などと繰り返した。また,その際,B巡査部長が取調室に勢い込んで駆け込み,原告に対し,「何か,貴様のふてくされた態度は。おまえのためにみんながどれだけ迷惑しているかわかっておるのか。」,「おまえの態度はなんなら。」,「しぶといのお。」などと怒鳴り,恫喝した。
A警部補は,同月31日に実施された原告立ち会いの下での実況見分において,現場で何度も自ら被害者Dの供述どおりの殴打姿勢をとり,原告をしてそのように再現することを強要し,原告がこれに反論すると「真実は一つ。真実は一つ。」と繰り返し,原告の弁明を聴こうとしなかった。
さらにA警部補は,原告に接見に来た同人の内妻であるHに対しても,「真実は一つ。殴られた者がいる。それを見た者がいる。何で原告は意地を張って正直に認めないのか。2,3日の勾留で済み,3万円くらいの罰金で済むものを,何で意地を張るのか。」などと威迫的言辞を発した。
このような赤穂署警察官らの取り調べ態度は,身柄を拘束されている原告及びその家族にとっては,精神的拷問以外の何ものでもない。
(ウ) 供述調書の虚偽記載及び供述内容の恣意的な取捨選択等
C巡査は,以下に詳述するとおり,原告の供述調書(甲24ないし26)の作成日付を偽り,また,原告がDの刑事告訴について知ったのは,平成7年7月18日ころのことであるから,原告が「告訴を取り下げんと会社を潰すぞ。」などと言うはずがないのに,原告の供述に基づかずに供述調書(甲25)を作成し,かつ,自己の判断のみで一方的に原告の供述の取捨選択を行い,もって虚偽の公文書を作成した。
すなわち,C巡査は,原告を逮捕した平成7年5月22日から同月24日までの間は何ら原告に対する取り調べをしておらず,甲24号証の供述調書は,同月25日以降に原告を取り調べて作成した原告の供述調書であるにもかかわらず,その作成日付を偽って,同月22日作成の調書としたものである。甲25号証及び同26号証の供述調書も,C巡査において,作成日付を適宜に書き込んでいる可能性が濃厚である。
また,C巡査は,同月26日付の甲25号証の供述調書第5項において,原告の供述として「ところがDは,それに対抗するかのように,先程お話しした傷害の件で,私を平成6年12月岡山地方裁判所倉敷支部に訴え,更に不動産取引の件も含めて,平成7年1月岡山地方検察庁倉敷支部に私を告訴しているのです。」との記載をした。しかし,原告がDの刑事告訴について知ったのは,平成7年7月18日ころのことであるから,前記供述調書中の記載は,原告の供述に基づかない,C巡査の作文である。のみならず,C巡査は,原告が,赤穂国際カントリークラブの脱衣所でDと接触した際には,素っ裸であって殴るなどの行為に出るような状況ではなかったことを強調したにもかかわらず,これを記載せず,供述の取捨選択を自己の判断だけで一方的に行った。
(4) 損害及び因果関係
赤穂署警察官らが,その職務を行うにつき前記(3)記載の各行為をなし,これにより,検察官の誤った勾留請求による勾留,誤った公訴提起を導き,ひいては本件刑事事件の事実認定を誤らせ,また,早期に無罪判決が出されるところ,不必要に審理を長引かせ,原告に無用の訴訟追行の負担を強いた結果,原告は以下の損害を被った。
ア 慰謝料 金400万円
原告は,平成7年5月22日に逮捕され,同月24日から勾留され,同年6月12日に保釈されるまで,22日間にわたり身柄を拘束され,さらに,無罪判決が確定するまで,1年半の長期間の裁判を経なければならなかった。このために原告が受けた精神的苦痛は甚大であり,これに対する慰謝料としては,金400万円が相当である。
イ 休業損害 金12万0540円
原告は,本件刑事事件の公判期日に10回出頭したため,10日間休業を余儀なくされた。その休業による損害は,金12万0540円である。
計算式 1万2054円(給与日額)×10日(休業日数)
ウ 公判期日の出頭旅費 金9万4000円
計算式 9400円(往復電車運賃)×10回(出頭回数)
エ 本件刑事事件における弁護人費用 金194万5120円
原告は,本件刑事事件につき私選弁護人を依頼し,着手金,費用として94万5120円を支払ったほか,謝金として100万円を請求された。
したがって,弁護人に要した費用は,前記合計金194万5120円である。
オ 弁護士費用 金120万円
原告が,本件訴訟提起及び追行に当たった代理人弁護士に支払った着手金及び報酬金の合計額120万円は,本件の副次的損害である。
(5) 被告の責任
A警部補,B巡査部長及びC巡査は,被告の公権力の行使に当たる公務員であり,その職務を行うについて,故意又は過失により前記(3)記載の各違法行為をなし,前記(4)記載の損害を原告に加えたものであるから,被告は,国家賠償法1条1項により,同損害を賠償すべき義務がある。
(6) よって,原告は,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償として,原告に生じた損害合計金735万9660円及びこれに対する赤穂署警察官らによる不法行為の日の後である平成7年6月12日(原告が保釈された日)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否及び被告の主張
(認否)
(1) 請求原因(1)アのうち,原告が元国鉄職員であること及び不動産取引を目的とする会社の経営者であることは認めるが,その余の詳細は不知。
同(1)イは認める。
(2) 同(2)は認める。
(3) 同(3)ア(ア)のうち,赤穂署警察官らが,平成7年4月28日,Dの被害申告を受けて事情聴取したこと,Eから本件暴行の目撃状況につき聴取したこと,Dから医師作成の「加療約3日間を要する右顔面打撲」との記載のある診断書の提出を受けたこと,原告が元国鉄職員で,不動産取引を目的とする会社の経営者であること,赤穂警察署がした犯歴照会の結果では原告に前科前歴は認められなかったこと,原告が,本籍地である下関市に住民票上の住所を置き,妻子を同地に置いて,倉敷市で別の女性と同棲していることは認め,その余は否認ないし争う。
同(3)ア(イ)のうち,逮捕状請求書記載の被疑事実には,「告訴の取り下げをしなかったことに立腹し」たという動機及び「その顔面を3,4回殴打する暴行を加え」という暴行態様に関する記載があること,逮捕状によれば,原告が逮捕された年月日時は平成7年5月22日午後2時20分とされていることは認めるが,その余の事実は否認ないし争う。後記記載のとおり,原告に対する逮捕状請求手続及び逮捕手続に何ら違法な点はない。
同(3)イ(ア)のうち,C巡査が,原告に対する取り調べを,勾留後は,平成7年5月25日の午前及び午後の2回,同月26日午後に1回,同月29日に1回(ただし,午後ではなく午前である。),同月31日午後(ただし,1回ではなく2回),勾留延長後は,同年6月4日午後に1回,同月6日午前及び午後の2回,それぞれ行ったこと,同年5月31日に原告を立ち会わせての実況見分を行ったことは認め,その余は否認ないし争う。上記のほかに,C巡査は,原告を逮捕した当日の同年5月22日及び同年5月28日にも原告を取り調べているし,後記のとおり,本件刑事事件につき取り調べの懈怠といった違法は何ら存しない。
同(3)イ(イ)は否認する。
同(3)イ(ウ)のうち,C巡査が平成7年5月26日付の甲25号証の供述調書第5項において,原告の供述として「ところがDは,それに対抗するかのように,先程お話しした傷害の件で,私を平成6年12月岡山地方裁判所倉敷支部に訴え,更に不動産取引の件も含めて,平成7年1月岡山地方検察庁倉敷支部に私を告訴しているのです。」との記載をしたことは認めるが,その余は否認ないし争う。
C巡査は,逮捕当日(平成7年5月22日)に原告を取り調べ,原告の供述調書(甲24)を作成しており,同巡査が同供述証書の作成日付を偽った事実,原告の供述に基づかずに供述調書を作成した事実,自己の判断のみで一方的に原告の供述の取捨選択を行った事実はない。
(4) 同(4)はすべて争う。
(5) 同(5)のうち,A警部補,B巡査部長及びC巡査が,被告の公権力の行使に当たる公務員であることは認めるが,その余は否認ないし争う。
(被告の主張)
(1) 本件刑事事件捜査の概要
ア 赤穂署警察官らは,平成7年4月28日,Dから,「同年4月20日午後3時ころ,兵庫県赤穂市ab番地所在,Gカントリークラブ内風呂場脱衣所において,原告から暴行を受け,加療3日間を要する傷害を負わされた。」との本件刑事事件の被害届出及び診断書の提出を受けた。
イ 赤穂署警察官らは,同年5月18日,所要の捜査を行った結果,原告が傷害の罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由及び逮捕の必要性が認められたことから,原告を傷害事件の被疑者とする逮捕状を神戸地方裁判所姫路支部(以下「神戸地裁姫路支部」という。)裁判官に請求し,その発付を得た。
ウ 赤穂署警察官らは,同年5月22日午後0時50分ころ,原告に対し赤穂署に任意同行を求め,赤穂署到着後,同日午後2時20分,刑事課取調室において,C巡査が原告に逮捕状を示し,原告を本件刑事事件の被疑者として通常逮捕し,B巡査部長が弁解を録取した。同日,C巡査は,原告を取調べ,同日付被疑者供述調書を作成した後,午後5時05分,原告を赤穂署留置場に留置した。
エ 赤穂署長は,同年5月24日,本件刑事事件を神戸地方検察庁姫路支部(以下「地検姫路支部」という。)検察官に送致した。
同日,地検姫路支部検察官は,神戸地裁姫路支部裁判官に対し,原告に対する勾留請求を実施したところ,勾留状が発せられたので,原告は赤穂署附属代用監獄に勾留された。
オ C巡査は,同年5月26日,原告を取調べ,被疑者供述調書を作成した。
カ 赤穂署警察官らは,同年5月31日,Gカントリークラブにおいて,原告を立会人とする実況見分を実施し,その後,C巡査は原告を取調べ,被疑者供述調書を作成した。
キ 地検姫路支部検察官は,同年6月2日,姫路簡易裁判所裁判官に対し,原告に対する勾留延長請求を実施したところ認められたので,原告は引き続き赤穂署附属代用監獄に勾留された。
ク 姫路区検察庁検察官は,同年6月12日,原告を傷害罪で姫路簡易裁判所へ起訴した。同日,原告は保釈が許可され釈放された。
ケ 姫路簡易裁判所は,平成8年9月4日,原告を無罪とする判決を言い渡し,同年9月19日,同判決が確定した。
(2) 被告の責任の不存在
ア 逮捕の適法性
(ア) 原告の逮捕状請求までの捜査
a Dからの被害届出
赤穂署警察官らは,平成7年4月28日,Dから,本件刑事事件の被害届出及び診断書(甲7)の提出を受けた。
C巡査が,Dから事情聴取したところ,①Dと原告はゴルフを通じて知り合ったこと,②かつて,Dと原告は共同事業で土地の売買等を共に行っていたが,土地の売買関係のトラブルなどで原告と不仲になり,以後裁判で争っていること,③平成7年4月20日午後3時ころ,Gカントリークラブの風呂の脱衣所で,原告に「告訴を取り下げんと会社を潰すぞ」と言われ,殴られたこと,④同日,殴られたところを医者に診てもらったところ,右顔面打撲,約3日間休養加療を要するという診断を受けたこと,⑤本件以前にも原告から暴行を受けたこと等が判明した。
b 実況見分の実施
赤穂署のA警部補,警部補I(以下「I警部補」という。),B巡査部長及び司法巡査J(以下「J巡査」という。)は,平成7年4月28日,Gカントリークラブ内の浴場脱衣所において,D立ち会いの下実況見分を実施し,本件犯行状況を明らかにした(甲5)。なお,I警部補及びJ巡査は,上記実況見分以外に,本件刑事事件の捜査には関与していない。
c Eからの事情聴取
A警部補は,同年5月10日,Eから本件刑事事件の状況について事情聴取したところ,①原告がDの顔を殴ったところを目撃したこと,②Eは,原告の暴力を見てすぐに止めに入ったこと等が判明した。
d 原告の身上関係捜査
A警部補らは,原告の身上関係,居住関係及び前科前歴関係について捜査した結果,原告の戸籍の附票住居が山口県下関市になっていること,実際は女性とともに岡山県倉敷市内に住んでいるらしいことが判明したものの,居住の事実までは確認できなかった。
e 逮捕状の請求と発付
赤穂署警部K(以下「K警部」という。)は,前記捜査結果に基づき,平成7年5月18日,神戸地裁姫路支部裁判官に対して原告の逮捕状を請求し,その発付を得た。
(イ) 逮捕の適法性について
a 刑事事件において無罪判決が確定したからといって,これに先立つ捜査(逮捕・勾留)が直ちに国家賠償法上違法と評価されるものではない。そして,逮捕の理由及び必要性の程度については,捜査の動的・発展的性質に鑑み,逮捕状の請求又は逮捕の時点を基準として,警察官が有罪判決を期待しうる相当な根拠があり,かつ逮捕の必要性があると考えたことについて,通常考えられる個人差を考慮に入れても行き過ぎと認められ,経験則・論理則に照らして,その判断の合理性を首肯できないような特別な事由がない限り,逮捕状の請求又はその執行は適法と認められる。
b 本件においては,前記(ア)a~dの捜査結果から,原告が傷害の罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が存在したことは明らかである。
また,原告がDとの間で土地の売買関係のトラブルでもめており,Dが検察庁に告訴している事件があることや,同人が本件刑事事件以前にも原告から暴行を受けた事実があるなどの複雑な背景事情が存在していたことから,原告がDら関係者に圧力をかけるなどして本件刑事事件について証拠を隠滅するおそれがあり,さらに附票住居地である山口県下関市に妻子を置いたまま,岡山県倉敷市内において生活している状況が窺われるなど,居住関係が不明確で所在不明となるおそれが認められた。
c したがって,本件において,前記(ア)a~d記載の捜査結果に基づき,逮捕の理由及びその必要性を認め,K警部が神戸地裁姫路支部裁判官に対して原告の逮捕状の請求を行い,その発付を得たのであるから,その逮捕状請求行為に何ら違法は存在しない。
(ウ) 任意同行時の状況について
A警部補,B巡査部長及びC巡査は,平成7年5月22日午後0時50分ころ,原告に対し赤穂署へ任意同行を求めた。原告は,Hとゴルフに出かけるところであったが,GカントリークラブにおけるDとのもめ事について事情を聴きたいので赤穂署まで来て欲しい旨の要件を告げたところ,原告は「ああ,あのことか。」と言って特に異議を申し立てることもなくこれに応じた。
したがって,原告に対する同行は,赤穂署警察官らが同行理由及び同行先を告げた上,原告の任意の承諾に基づいて行ったものであり,何ら違法はない。
(エ) 逮捕時の状況と逮捕行為の適法性
C巡査は,赤穂署に到着後の同日午後2時20分,刑事課取調室において,原告に逮捕状を示し,原告を傷害事件被疑者として通常逮捕した。
そして,B巡査部長が,原告に対し,犯罪事実の要旨及び弁護人選任権を告げ,弁解の機会を与えたところ,原告は,傷害の事実を否認し,弁護人は,L弁護士に依頼する旨申し立てた。
B巡査部長が原告の弁解録取を行った後,引き続きC巡査が原告の身上関係等の取り調べを行い,供述調書(甲24)を作成した後,同日午後5時05分,原告を赤穂署留置場に留置した。
なお,L弁護士に対する連絡は,原告が自己所有の携帯電話で連絡をしたいと申し立てたので,原告自身に連絡させた。原告の携帯電話の通信履歴によれば,L弁護士に原告が連絡した時刻は午後4時50分となっており,結果として,弁解録取後直ちにではなく,引き続いて原告に対する取り調べがなされた後に連絡がなされたことになるが,赤穂署警察官らにおいて意図的にその連絡を遅らせたという事情はなく,かつ,逮捕・弁解録取からさほど時間が経過した訳でもないから,被疑者たる原告の防御権を侵害したとまではいえず,違法なものではない。
また,赤穂署警察官らが,原告に手錠を施したのは,取り調べが終了し,取調室から留置場に移動するためであり,原告が主張するようないきなり手錠をかけて逮捕し,その後に逮捕状を示したといった事実はない。
(オ) 以上のとおり,赤穂署警察官らが合理的な判断に基づき原告の逮捕状を請求し,適法かつ適正な方法により逮捕状を執行したこと,さらに,検察官の勾留請求に対しても,原告の勾留が裁判所に認められていることからも,本件逮捕は適法であり,何ら違法はない。
イ 取り調べの適法性
(ア) 取り調べ懈怠事実の不存在
本件刑事事件においては,原告に罪証隠滅及び逃亡のおそれが存在し,これを防止する必要があったし,また,原告とDとの間にトラブルなどの複雑な背景事情が存在し,本件刑事事件の動機や事実関係について所要の捜査を実施する必要があったのであり,原告主張のような単純軽微な事件ではない。
赤穂署警察官らは,上記事情から,いわゆる警察留置期間内に,原告の身上関係等を取り調べた上捜査書類とともに事件を検察庁に身柄付き送致したのであり,その後の捜査においても漫然と日時を費やした事実などない。
また,原告の取調官であるC巡査は,本件刑事事件に係る原告の取り調べを逮捕当日に1回,留置開始後から釈放までに10回,計11回実施し,その間に3通の供述調書を作成している。さらに,原告の取り調べと並行して実況見分,参考人の取り調べなどを行っていたのであり,本件刑事事件のみならず,他事件の捜査も行いつつ同捜査を推進していた赤穂署警察官らに取り調べや捜査の懈怠は存在しない。
(イ) 自白強要事実等の不存在
C巡査は,被疑事実を否認する原告に対し,目撃者の存在やDからの診断書の提出を説明し,供述の矛盾点を追及することはあったが,自白の強要などしていない。これは,傷害事実を否認する原告の言い分が供述調書に録取されていることからも明らかである(甲26)。また,C巡査は,原告に,Dを殴っていないのであれば,それを証明できる事実関係を明らかにすれば裏付けをとるとも申し向けたが,原告は黙考するものの何ら合理的な説明をしなかったため,原告が申し立てる本件刑事事件の事実関係について明確にするため,問答形式による供述調書(甲26)を作成している。
また,A警部補は,平成7年5月31日に実施された原告立ち会いによる実況見分において,原告の指示・説明に基づき実況見分を実施したのであり,原告に被害者が言う状況を再現することを強要したり,原告の弁明に耳を傾けなかったということはない。
さらに,原告は,B巡査部長が,取調中の原告を怒鳴ったり,恫喝したと主張するが,そもそもB巡査部長は,原告の取調べには関与しておらず,原告を怒鳴りつけたり,恫喝した事実はない。
(ウ) 虚偽内容の調書作成事実等の不存在
C巡査が作成した平成7年5月22日付の原告供述調書(甲24)は,同日,原告を逮捕し,弁解録取後,留置するまでの間に,C巡査が原告の身上関係を取り調べ,その供述内容を録取したものであり,同年5月24日,身柄付で事件を検察庁に送致する際,他の捜査書類とともに送致している。
また,C巡査が,原告の供述に基づかずに供述調書を作成した事実はない。本件刑事事件について,原告とDとの土地売買についてのトラブル,告訴事件,以前に暴行を受けた事実等の複雑な背景事情の存在を承知していたことから,取調官として,これらにつき原告を取り調べただけである。現に,当該事案について原告に確認したところ,供述調書記載のとおり供述した。原告には,供述調書の内容を読み聞かせ,誤りのないことを確認させた上で原告に署名・指印を求めたが,その際,原告から供述調書の加除・訂正の申立はなかった。原告は,赤穂署における逮捕直後の弁解録取の際,検察庁における弁解録取の際及び裁判官による勾留質問の際の少なくとも3回は,本件刑事事件の被疑事実を告げられているはずであり,取り調べを受けた当時,Dの告訴について知らなかったはずはない。
(エ) 供述調書の作成時期及び供述内容の取捨選択
実務上,被疑者供述調書の作成については,被疑者の取り調べ状況に応じて,取り調べたその日のうちに調書を録取する場合もあれば,複雑な事件や被疑者が否認している事件などは,数日間の取り調べ結果をまとめて一通の調書に録取することもあり得るのであり,本件刑事事件における原告の取り調べも同様である。
また,原告は,C巡査が原告の弁解に全く耳を貸さず,供述の取捨選択を自己の判断だけで一方的に行った旨主張するが,そのような事実はない。C巡査は,原告の言い分を録取すると共に,Dを殴っていないのであれば,それを証明できる事実関係を明らかにすれば裏付けをとるとも申し向けたが,原告は黙考し,何ら合理的な説明をしなかった。
仮に,原告が行った何らかの弁解が供述調書上に記載されていなくても,それのみをもって違法視される筋合いはない。すなわち,供述調書は,捜査官が作成する書面であり,捜査官は被疑者・参考人(供述者)に対して,特定の事項について質問し,その結果得た供述や供述者が進んでした供述の中から,犯罪事実及び情状の立証に必要であると考える事柄を選び出して構成し,書面を作成する。供述者が任意に供述した中から何を取捨選択するかの判断を行うのは捜査官であり,捜査官が録取事項に合理的な調整判断を加えて,供述調書を作成することが違法でないことは明らかである。
(オ) 以上のとおり,本件刑事事件の取り調べはすべて適法かつ適正に行われており,何ら違法はない。
ウ よって,本件刑事事件の捜査は,すべて適法かつ適正に実施されており,赤穂署警察官らが行った逮捕,取り調べ行為には,違法はなく,被告に国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任はない。
(3) 相当因果関係の不存在
原告主張の損害のうち,赤穂署警察官らによる本件刑事事件捜査を原因とした精神的損害の他は,起訴及び刑事裁判を受けたことにより生じたものであると解されるところ,これらには,検察官及び裁判官の判断がそれぞれの段階で介在している。
赤穂署警察官らが,検察官及び裁判官の判断を誤らせたような特別な事情は存在しないのであるから,同警察官らが行った捜査と原告主張の損害との間には,相当因果関係がない。
3 抗弁(消滅時効)
赤穂署警察官らが原告に係る本件刑事事件を捜査したのは,平成7年4月28日から同年6月12日までの間であって,その後,赤穂署警察官らが原告を取り調べたことはない。
したがって,仮にこれらの時期に赤穂署警察官らの行為によって原告の損害が生じていたとしても,原告は,その損害の発生及び加害者の存在をいずれも知り得たのであり,その時点から3年の経過をもって損害賠償請求権の時効は完成した(本件訴訟提起は平成11年9月16日)ので,被告は同時効を援用する。
4 抗弁に対する認否及び反論
赤穂署警察官らの捜査活動とその後の姫路簡易裁判所における刑事裁判の係属との間に相当因果関係があることは明らかであり,同簡易裁判所における無罪判決が確定するまで赤穂署警察官らの行為に起因する被害状況は継続していた。原告が屈辱と苦痛から初めて解放されたのは,無罪判決が確定した時である。
したがって,本件訴訟提起までに消滅時効は完成していなかった。
理由
第1請求原因について
1 請求原因(1)アのうち,原告が元国鉄職員であること及び不動産取引を目的とする会社の経営者であること,同(1)イの事実,同(2)の各事実,同(3)ア(ア)のうち,赤穂署警察官らが,平成7年4月28日,Dの被害申告を受けて事情聴取したこと,Eから本件暴行の目撃状況につき聴取したこと,Dから医師作成の「加療約3日間を要する右顔面打撲」との記載のある診断書の提出を受けたこと,原告が元国鉄職員で,不動産取引を目的とする会社の経営者であること,赤穂警察署がした犯歴照会の結果では原告に前科前歴は認められなかったこと,原告が,本籍地である下関市に住民票上の住所を置き,妻子を同地に置いて,倉敷市で別の女性と同棲していること,同(3)ア(イ)のうち,逮捕状請求書記載の被疑事実には,「告訴の取り下げをしなかったことに立腹し」たという動機及び「その顔面を3,4回殴打する暴行を加え」という暴行態様に関する記載があること,逮捕状によれば,原告が逮捕された年月日時は平成7年5月22日午後2時20分とされていること,同(3)イ(ア)のうち,C巡査が,原告に対する取り調べを,勾留後は,平成7年5月25日の午前及び午後の2回,同月26日午後に1回,同月29日に1回,同月31日の午後,勾留延長後は,同年6月4日午後に1回,同月6日午前及び午後の2回,それぞれ行ったこと,同年5月31日に原告を立ち会わせての実況見分を行ったこと,同(3)イ(ウ)のうち,C巡査が平成7年5月26日付の甲25号証の供述調書第5項において,原告の供述として「ところがDは,それに対抗するかのように,先程お話しした傷害の件で,私を平成6年12月岡山地方裁判所倉敷支部に訴え,更に不動産取引の件も含めて,平成7年1月岡山地方検察庁倉敷支部に私を告訴しているのです。」との記載をしたことは,いずれも当事者間に争いがなく,以上の争いのない事実,証拠(甲1ないし13,15,16,18ないし21,24ないし27,32の1・2,42の2・3,44の1ないし4,56の1・2,乙1,3,4,6,証人C,同B,同A,原告本人〔ただし,一部〕)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の各事実が認められる。これに反する原告本人の供述及び陳述書(甲28,29)の記載部分はいずれも採用できない。
(1) 原告逮捕に至るまでの経緯
ア 原告は,昭和35年4月から日本国有鉄道広島鉄道管理局の職員として勤務し,同62年3月31日に退職した後,同年4月1日から,不動産取引を業とする株式会社総合商社の代表取締役として同社を経営し,また,平成7年10月まで金融業を営んでいた。
原告とDは,ゴルフを通じて知り合い,平成2年から同6年1月ころまでは,共同で不動産売買をするなど,親密な関係にあったが,同共同事業上の金銭トラブル等から関係が悪化し,平成6年2月9日には,両者の間で傷害事件が発生し(双方とも略式命令により,原告は罰金15万円,Dは罰金10万円に処せられた。原告が略式命令を受けたのは,本件刑事事件で公訴を提起された日と同日の平成7年6月12日であり,同月27日に同略式命令は確定した。),同7年1月9日には,Dが原告を公正証書原本等不実記載,同行使,横領,傷害等の罪で告訴し,また,お互いが相手に対する民事訴訟を提訴するなど,険悪な関係になった。
原告は,Dと直接会うことを避けていたが,平成7年4月20日,Gカントリークラブで偶然出会い,同クラブ内風呂場及び脱衣所において言い合いになり,また,原告がDを追いかけ,Eがこれを制止する等のトラブルが生じた。
イ Dは,平成7年4月28日,赤穂署に赴き,同署警察官らに対し,「同年4月20日午後3時ころ,Gカントリークラブ内風呂場脱衣所において,原告から暴行を受け,加療3日間を要する傷害を負わされた。」という内容の被害届を提出するとともに,右顔面打撲で約3日間の休養加療を要するとの医師作成の診断書(甲7)を提出した。
上記被害届を受け,C巡査は,同日,被害状況や原告との関係についてDから事情を聴取した。さらに,同日,A警部補,I警部補,B巡査部長及びJ巡査は,D立ち会いの下,Gカントリークラブ内浴場及び脱衣所において実況見分を行った。
A警部補は,同年5月中旬ころ,赤穂署において,Eから本件刑事事件について事情聴取を行った。その際,Eは,本件刑事事件の目撃状況として,原告がDを殴打している状況を目撃し,これを止めに入ったこと等を供述した。
赤穂署警察官らは,原告の犯歴照会及び身上関係の捜査を行った。犯歴照会結果では,原告に前科前歴はなかった。身上関係については,原告の戸籍の附票住居は山口県下関市内であり,同市内に妻子があるが,原告自身は岡山県倉敷市内において他の女性と居住しているらしいことが判明した。A警部補は,倉敷市内の原告宅に何度か電話をかけたが連絡が取れず,原告が同所に現実に居住していることの確認はできなかった。
ウ K警部は,上記イの捜査の結果,原告が,別紙被疑事実の要旨に記載の傷害罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり,逃亡のおそれ及び罪証隠滅のおそれもあり逮捕の必要性があると判断し,平成7年5月18日,別紙被疑事実の要旨記載の被疑事実に基づき,逮捕状請求書の「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」欄には,「被害者Dの被害届1通,医師による診断書1通,参考人Eの目撃調書1通,実況見分調書1通」と,同請求書の「被疑者の逮捕を必要とする理由」欄には,「被疑者と被害者との間には横領被疑事件等で訴訟事件中に他の傷害事件も発生しており,さらに本件傷害事件が発生しているもので,これを放置すれば被害者に対し,加圧し証拠を湮滅するするおそれがあるため。」と各記載のうえ,神戸地裁姫路支部裁判官に対して逮捕状を請求し,同日,その発付を得た。
(2) 任意同行及び逮捕時の状況
ア A警部補,B巡査部長及びC巡査は,平成7年5月22日午後0時50分ころ,岡山県倉敷市の原告宅に赴き,原告に対し赤穂署へ任意同行を求めた。原告は,Hとゴルフに出かけるところであったが,A警部補が,原告に対し,GカントリークラブにおけるDとのもめ事について事情を聴きたいので赤穂署まで来て欲しい旨を告げたところ,原告は「ああ,あのことか。」と言って特に異議を申し立てず,これに応じた。
原告並びにA警部補,B巡査部長及びC巡査は,同日午後1時ころ,赤穂署に向かって出発したが,原告が昼食を取っていなかったため,A警部補は,赤穂署への途上,原告から現金を預かり,吉備サービスエリアでパンと牛乳を買って原告に渡し,すぐに発車した。
原告及び赤穂署警察官らは,同日午後2時過ぎころ,赤穂署に到着し,B巡査部長が,原告に対し,Dに対する傷害の事実の有無を確認したところ,原告が否認したため,A警部補がC巡査に対し逮捕状を執行するように命じ,同日午後2時20分,C巡査が原告に逮捕状を示して逮捕する旨を伝え,もって,原告を逮捕した。
イ 原告は,上記認定と異なり,逮捕の日時について,原告が原告方を出発したのは同日午後1時30分であるところ,原告方から赤穂署までの所要時間は約1時間30分であり,途中の吉備サービスエリアで少なくとも20分は費やしたから,赤穂署到着後逮捕までの時間も考慮すると,逮捕時刻は早くても午後3時30分以降でしかあり得ず,午後2時20分に逮捕することは物理的に不可能であると主張するが,以下のとおり,この点の原告主張は認めることができない。
まず,原告方を出発したのが同日午後1時30分であったとの点については,確かに,Hの陳述書(甲40)及び卓上ダイアリーのメモ(甲41)には,原告が赤穂署へ出発したのが午後1時30分である旨の記載がある。しかし,同陳述書によれば,Hは,原告が出発した時点では,赤穂署警察官らを原告のゴルフ仲間であり,原告と一緒に賞品を取りに出かけたものと誤解し,原告が赤穂署へ行ったとは知らなかったというのであって,そうすると,午後1時30分に赤穂署に出発したとメモに記載したというのは不自然である。もっとも,同陳述書及び証拠(甲44の1・2・4)によれば,Hは,午後4時50分ころ,原告から「今,Dを殴ったとして赤穂署で逮捕された。」という電話を受けたことが認められるから,原告逮捕の事実をメモに記載することは考えられるが,その場合,原告から逮捕されたという電話があった時刻を記録するのが通常であって,原告の出発時刻を後から思い出して書くというのは不自然であると考えられる。そうすると,上記メモは後になってわざと書き加えられた可能性が高く,その信用性は低いと言わざるを得ない。以上の次第で,上記各証拠(甲40,41)はこれをたやすく信用することができないし,その他,原告が原告方を出発した時間が前記認定の午後1時ころではなく,午後1時30分であったことを認めるに足りる確たる証拠はない。
次に,原告宅から赤穂署までの所要時間は1時間30分であるとの点及び途中の吉備サービスエリアで少なくとも20分は費やしたとの点については,原告の調査報告書(甲42の1)中には,原告が,原告宅から赤穂署までを実際に2,3回走行した結果の平均所要時間は,原告宅から玉島インターチェンジまでが17分,玉島インターチェンジから赤穂インターチェンジまでが62分,赤穂インターチェンジから赤穂署までの所要時間が9分で,合計所要時間は88分であったとの記載があり,また,原告は,自宅を出発した後,吉備サービスエリアでパンと牛乳を食べる等して約30分の休憩をとった旨を供述する(原告本人)。しかし,玉島インターチェンジから赤穂インターチェンジまでの所要時間が62分であったとの部分は,前記調査報告書に添付の道路時刻表(甲42の2)では,玉島インターチェンジから赤穂インターチェンジまでの所要時間は55分とされているのと大きく食い違っていることからして,その全体の所要時間が正確なものか疑問があるし,吉備サービスエリアでの食事のための休憩に関しても,A警部補は,原告にパン及び牛乳を手渡してすぐ,吉備サービスエリアを出発し,吉備サービスエリアで食事のための休憩を取ったことはない旨を明確に供述し(証人A),B巡査部長及びC巡査も同旨の供述をしていること(証人B,同C)に加え,原告自身も,赤穂署警察官らが時間を急ぎ,原告に代わってパン及び牛乳を買ってきて,自動車内で原告に手渡したものであったことは認める陳述ないしは供述をしていること(甲28,29,原告本人)にも鑑みると,吉備サービスエリアで食事のために20ないし30分の休憩を取ったとは認めがたく,せいぜい,パン及び牛乳購入のために数分を費やしたに過ぎないものと認められる。そして,前記道路時刻表によれば玉島インターチェンジから赤穂インターチェンジまでの所要時間は55分とされていることに,原告の自宅から玉島インターチェンジまでの距離は9キロメートル弱(甲42の1,3),赤穂インターチェンジから赤穂署までの距離は約6.4キロメートル(甲42の1)であることを考え併せると,途中吉備サービスエリアでパン及び牛乳の購入に要した数分を考慮しても,同日午後1時ころ原告方を出発して,午後2時過ぎに赤穂署に到着し,その後,午後2時20分に原告を逮捕したとの前記認定の事実経過は何ら不合理なものではない。
なお,C巡査及びB巡査部長の各陳述書(乙3,4)には,逮捕の日時が5月22日午後2時40分と記載されているが,証拠(乙5,証人C及び同B)によれば,上記各陳述書は,同人らによる下書き原稿を,兵庫県警察本部警務部監察官室警部補Mがワープロで清書した際に,逮捕時刻をタイプミスしたものであることが認められるから,この点は逮捕の年月日時に関する前記認定を左右するものではない。
また,証拠(甲44の1ないし4)及び弁論の全趣旨によれば,原告が,Dに対する傷害罪の容疑で逮捕されたことをL弁護士やHに原告の携帯電話を使用して連絡したのは,同日午後4時36分以降のことであったことが認められるが,この点の経緯は,後記(3)アで認定のとおりであり,原告がその携帯電話でL弁護士と連絡を取ったのは,逮捕後,弁解録取され,続いてC巡査の取り調べを受けた後であったものと認められるから,この点も原告が逮捕された時刻についての前記認定を左右するものではない(なお,なぜ,弁護人との連絡が弁解録取直後ではなく,その後の取り調べ終了後になったのかの経緯は定かではないが,赤穂署警察官らがその連絡をことさらに遅らせたことを窺わせるような証拠はなく,その遅れの程度も特に原告の防御権の侵害として違法となるほどのものとは考えられない。)。
その他,原告逮捕の時刻は早くても午後3時30分以降でしかあり得ず,午後2時20分に原告を逮捕することは物理的に不可能であるとの原告主張を認めるに足りる証拠はない。
ウ また,原告は,上記アの認定と異なり,逮捕状を示されずにいきなり手錠をかけられ,その後になって,原告の顔面に逮捕状を突きつけるようにして逮捕状を示されたが,逮捕状を突きつけられた位置があまりに近すぎて,その記載内容を確認しようにもすることができず,まともに逮捕状を見せられないままに逮捕されたと主張し,これに沿う陳述ないし供述(甲28,29,原告本人)をする。
しかしながら,もしそのような形で逮捕がなされたものであったとすれば,その旨を弁護人に訴え,これを弁護人が後の刑事事件で明らかにして逮捕の違法性を主張して然るべきであるのに,後記(3)アで認定のとおり,原告は,赤穂署において逮捕された後,L弁護士やHらに逮捕されたことを連絡するため電話をしているが,その電話の際には,赤穂署警察官らの逮捕行為の違法性を訴えるようなことはしていないし,証拠(甲3,4,16,54,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告及び原告の弁護人は,本件刑事事件の公判においても,逮捕状の執行時における赤穂署警察官らの行為の違法性を主張したり,逮捕の不当性を主張したりはしていないことが認められることからして,原告の前記陳述ないし供述はにわかに措信できず,他にこの点の原告主張を認めるに足りる証拠はない。
(3) 逮捕後の取調の状況等
ア C巡査は,原告に対する逮捕状執行後,平成7年5月22日午後2時23分,B巡査部長に対し,原告の身柄を引致した。B巡査部長は,引き続き,原告の弁解録取を行った。B巡査部長は,同弁解録取に当たって,原告に対し,弁護人選任権を告げたところ,原告は,L弁護士を弁護人に選任する旨を申し出た。原告は,同弁解録取においても,Dに対する傷害の事実を否認したため,B巡査部長は,その旨の弁解録取書を作成した。原告は同弁解録取書に間違いがないことを確認し,署名・指印した。同弁解録取及び同弁解録取書作成に要した時間は,約5分であった。
上記弁解録取終了後,C巡査は,原告に対する身上等の取調を行い,同日付調書(甲24)を作成した。
上記取調及び調書作成が終了した同日午後4時36分,原告は,自己の携帯電話でL弁護士に電話し,「赤穂署で,Dを殴ったと言われて今逮捕された。」と伝え,引き続き,同46分,倉敷市内の原告宅に,同49分,ピーチゴルフプラザ練習場にいたHに,同51分,山口市内の原告宅に電話をかけた。
C巡査は,同日午後5時05分,原告に手錠を掛けて,赤穂署留置場まで連行し,同留置場に留置した。
赤穂署警察官らは,逮捕翌日の平成7年5月23日,原告の指紋採取及び写真撮影を行った。同日は,原告に対する取調は行われなかった。
赤穂署長は,同月24日,本件刑事事件を地検姫路支部検察官に送致し,同日,地検姫路支部検察官は,神戸地裁姫路支部裁判官に対し,原告に対する勾留請求を行ったところ,勾留状が発せられ,原告は,赤穂署附属代用監獄に勾留された。なお,同日は,勾留請求手続のため,赤穂署警察官らによる原告の取調は行われなかった。
C巡査は,同月25日午前10時18分ころから同11時55分ころまで,及び,同日午後1時23分ころから同3時02分ころまで,原告を取り調べた。
C巡査は,同月26日午前10時ころから同11時50分ころまでの間,原告を取り調べ,同日付被疑者供述調書(甲25)を作成した。
同供述調書(甲25)は,同月25日及び26日の取調べの結果をまとめたものであり,原告とDとの関係が主に記載されている。
C巡査は,同月28日午後1時05分ころから同3時40分ころまでの間,原告を取り調べた。
C巡査は,同月29日午前10時20分から同11時40分ころまでの間,原告を取り調べた。
赤穂署警察官らは,同月31日午前,Gカントリークラブにおいて,原告を立会人とする実況見分を実施した。また,同日午後2時02分ころから午後4時57分ころまでの間は,勾留理由開示手続が行われた。
C巡査は,同日午後5時18分ころから同55分ころまで及び同7時06分ころから同55分ころまでの間,原告を取り調べ,同日付被疑者供述調書(甲26)を作成した。同供述調書には,同月25日から同月29日までの取調において原告が供述した内容も盛り込まれていたが,同日,C巡査が原告に内容を読み聞かせ,確認した上で,原告に署名・指印させた。同調書には,同年4月20日当日のGカントリークラブ風呂場及び脱衣所において,原告がDに対し,「毛むしってやろか」と大声で言ったり,Dを追いかけたり,タオルを床に叩きつけたりしたが,絶対にDを殴ったりはしていないとの原告の供述が録取されている。
地検姫路支部検察官は,同月2日,姫路簡易裁判所裁判官に対し,原告に対する勾留延長請求を行い,これが認められたことから,原告は引き続き赤穂署附属代用監獄に勾留された。
C巡査は,同月4日午後1時20分から同3時55分までの間,原告を取り調べた。
C巡査は,同月6日午前10時22分から同11時48分まで及び午後1時35分から同3時20分までの間,原告を取り調べた。
イ 原告は,上記認定と異なり,①甲24号証の供述調書は,25日以降作成したものであるにもかかわらず,作成日付を22日と偽ったものである旨,また,甲25号証及び同26号証の供述調書も,作成日付を適宜に書き込んでいる可能性が濃厚である旨主張し,また,②赤穂署警察官らは,原告に自白を強要し,Hに対しても威迫的言辞を発した旨を主張し,これに沿う陳述ないし供述(甲28,29,原告本人)をなし,Hもこれに沿う陳述書(甲40)を提出する。
しかし,①についてみると,証拠(甲3,4,16,54,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,本件刑事事件の公判において,原告及び同人の弁護人は,前記各供述調書の作成日付を偽ったことを何ら主張せず,各供述調書の証拠能力を争っていないことが認められる。また,原告は,その主張の日付の偽りの具体的内容について,最初は,5月22日付供述調書(甲24)は同月26日に,同日付調書(甲25)は同月31日に各作成された旨の陳述書(甲28)を提出したが,その後,5月22日付供述調書(甲24)は同月25日,同月26日付調書(甲25)は同日,同月31日付調書(甲26)は,同月28日,29日及び31日の取調べの結果をまとめて31日に各作成されたという内容の陳述書(甲29)を提出し,さらには,それら陳述書の提出後になされた原告本人尋問では,5月22日付供述調書(甲24)は同月25日,同月26日付調書(甲25)は同月28日ころ,同月31日付調書(甲26)は6月6日に各作成されたと供述して,その内容を次々と変遷させているが,その変遷に合理的な理由があるとは認めがたい。
以上の事実に照らすと,①の主張に沿うかのような原告の陳述ないし供述(甲28,29,原告本人)は信用できず,他に調書の作成日付の偽りを窺わせるような証拠はない。
次に,上記②についてみるに,証拠(甲24ないし27)によれば,捜査段階における原告の各供述調書には,Dに対する傷害の事実を否認する原告の供述がそのまま録取されていることが認められ,また,証拠(甲3,4,16,54,原告本人,証人A)及び弁論の全趣旨によれば,本件刑事事件の公判において,原告及びその弁護人は,原告が自白の強要を受けたとは主張せず,前記原告の捜査段階における各供述調書の任意性・信用性について何ら争っていないことに照らすと,自白強要や威迫的言辞があったとする原告の陳述ないし供述(甲28,29,原告本人)及びHの陳述書(甲40)はにわかに信用できず,他に自白強要等があったことを窺わせるに足りる証拠はない。
(4) 起訴後の経過
平成7年6月12日,姫路区検察庁検察官は,原告を傷害罪で姫路簡易裁判所へ起訴した。同日,原告は保釈が許可されて釈放された。
平成8年9月4日,姫路簡易裁判所は,原告を無罪とする判決を言い渡し,同年9月19日,同判決が確定した。
2 被告の責任原因の有無について
上記認定の事実に基づき,赤穂署警察官らの原告に対する逮捕及び取調の違法性を判断する。
(1) 赤穂署警察官らの逮捕の違法性について
ア 逮捕の必要性
原告は,本件逮捕は,被疑事実の態様及び被害の程度がともに軽微であること,原告の社会的地位,住居の安定及び前科前歴がないことからすれば逃亡のおそれがないこと,事件後1か月が経過して,目撃者の事情聴取が終了し,診断書も提出されている以上,たとえ原告が否認していても罪証隠滅行為を行えるはずがないから,証拠隠滅のおそれはないことからすると,逮捕の必要性がないのに原告を逮捕した点において違法がある旨を主張する。
逮捕状による逮捕(通常逮捕)については,被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由(刑訴法199条1項本文)及び逮捕の必要性(同条2項ただし書)が,逮捕状の発付の要件であるとともに逮捕行為の要件でもあると解される。そして,逮捕の必要性について,刑訴法は,これを明文をもって定めていないが,刑訴規則143条の3が「逮捕状の請求を受けた裁判官は,逮捕の理由があると認める場合においても,被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし,被疑者が逃亡するおそれがなく,かつ,罪証を隠滅するおそれがない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは,逮捕状の請求を却下しなければならない。」と規定していることからすれば,被疑者が逃亡するおそれ又は罪証隠滅のおそれがある場合には逮捕の必要性があると解するのが相当である。
そこで,本件について,前記1(1)及び(2)において認定の事実に基づき,赤穂署警察官らが,本件逮捕状を請求したこと及び同逮捕状執行当時,原告に逮捕の必要性があると判断したことが相当であったかについて検討する。
前記認定の事実によれば,原告が別紙被疑事実の要旨に記載の傷害罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由はあったと認められるが,Dの傷害の程度は,約3日間の休養加療を要するだけの軽微なものであったから,刑事事件としても処分は必ずしも重くないと予想されること,これに加え,赤穂署警察官らによる原告の犯歴照会の結果によれば,原告には前科前歴が認められなかったことを考慮すると,逃亡のおそれは必ずしも高くはなかったとも思われる。
しかし,他方,前記1(1)に認定のとおり,原告は,戸籍の附票住居が山口県下関市内にあり,同所に妻子がいるにもかかわらず,妻子を同所に置いたまま,他の女性と岡山県倉敷市内に居住していることが窺われたが,居住の事実を確認するまでには至らなかったことからすれば,その居住関係に不安定な面があることは否定できず,逃亡のおそれがなかったとはいえない。また,Dに対する事情聴取から,原告が,本件刑事事件以前にも,Dに対する傷害事件を起こしていたこと,原告とDは民事事件で紛争中であることが明らかであったこと,目撃者であるEがDの被害申告に沿う供述をしていたことを総合考慮すれば,原告が,被害者D及び目撃者Eを威迫するなどして罪証を隠滅するおそれがなかったとはいえない。
そうすると,赤穂署警察官らが,原告に逃亡又は罪証隠滅のおそれがあると考えて逮捕状を請求したことに違法はないし,また,逮捕状執行当時,上記認定の状況に変化があったとは認められず,逮捕状の執行についても違法はないから,この点についての原告の主張は理由がない。
イ 逮捕状請求手続及び逮捕手続の違法
原告は,本件逮捕手続について,本件逮捕状に記載された被疑事実のうち,暴行の動機として,Dが告訴の取下げをしなかったことに立腹した旨の記載があるが,原告がDに対して従前告訴の取下げを要求したこともなければ,Dが原告に取下げを約束したこともないのに,Dが告訴を取り下げなかったからといって,原告が立腹することはあり得ないとして,本件逮捕状の動機に関する記載は何ら証拠に基づかない旨を主張する。
しかしながら,証拠(甲20)によれば,Dは,検察官の取調べに対して,平成7年5月30日,原告から,風呂場において,「告訴を取り下げろ,取り下げんかったら会社をつぶすぞ。カツラを取り外すぞ。」と言われたので,「裁判所で話さんかい」とだけ答えて逃げるように風呂場から出たところ,その後,脱衣所において,原告から再度「告訴を取り下げろ,取り下げんかったら会社をつぶすぞ」と文句を言われた旨供述している事実が認められる。そうとすれば,赤穂署警察官らにおいてもDから同様の供述を得ていたことは容易に推認できるところであり,同警察官らは,それに基づき,本件暴行の動機に関する記載をしたものと認められる。したがって,その記載が証拠に基づかないとの原告の主張は失当である。
また,原告は,本件逮捕状の暴行の態様に関する記載も証拠がない旨主張する。しかしながら,証拠(甲20)によれば,Dは,平成7年5月30日,検察官に対し,小走りで近づいてきた原告にいきなり右手拳で右顔面を力一杯殴られ,逃げようとした際に後頭部を2,3回殴られたと供述していることが認められ,このことからすれば,Dは,赤穂署警察官らに対しても同内容の供述をしていたことが容易に推認できるというべきである。したがって,本件逮捕状の暴行態様に関する記載が証拠に基づかないとの原告主張もこれを認めることはできない。
さらに,原告は,逮捕状請求書の「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」欄に,存在しない被害届の記載がある旨主張する。しかし,Dから平成7年4月28日に被害届があったことは前記1(1)イで認定のとおりであるし,そもそも被害届が存在しないにもかかわらず,それを,「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」の疎明資料として逮捕状請求書に記載するなどといったことは,まずあり得ないところであり,被告の前記主張は採用しがたい。なお,証拠(甲60)及び弁論の全趣旨によれば,当裁判所が,同被害届について,地検姫路支部に送付嘱託をしたところ,平成13年5月24日,見当たらない旨の回答があった事実が認められるが,上記回答から,被害届が当初から存在しなかったとするのは飛躍が過ぎるといわざるを得ない。
のみならず,原告は,本件逮捕状には,逮捕の日時について実際より少なくとも1時間10分遡らせた虚偽の記載がある旨主張するが,前記1(2)ア,イで認定・判断したとおり,本件逮捕の日時は逮捕状に記載の5月22日午後2時20分であったと認められるから,この点の原告主張は採用できない。
以上に加えて,原告は逮捕状をまともに示されずに逮捕された旨主張するけれども,これが認められないことは,前記1(2)ウで判断したとおりである。
以上の次第で,本件逮捕手続の違法に関する原告の主張はいずれも理由がない。
(2) 取り調べの違法性
ア 取り調べの懈怠
前記1(3)アに認定の事実に加え,証拠(甲17ないし19,乙3,4,証人C,同B,同A)によれば,C巡査は,平成7年5月22日の逮捕から同年6月12日の起訴に至るまで,原告に対する取調べを合計11回行ったこと,その他に赤穂署警察官らは,原告立ち会いの実況見分,D及びE外本件刑事事件の関係者らの取調べ及び裏付け捜査等を行ったことが認められ,これらの事実に照らせば,赤穂署警察官らが殊更に原告の取調を懈怠させたとは認められず,以上の認定を覆すに足りる証拠は認められないから,この点についての原告の主張は理由がない。
イ 自白強要
前記1(3)に認定のとおり,赤穂署警察官らが原告の取調の際に原告に自白を強要した事実は認められないから,この点についての原告の主張は理由がない。
ウ 供述調書の虚偽記載及び供述内容の恣意的な取捨選択等
原告は,C巡査が,(ア)原告の供述調書(甲24ないし26)の作成日付を偽り,(イ)原告の供述に基づかずに供述調書(甲25)を作成し,(ウ)自己の判断のみで一方的に原告の供述の取捨選択を行い,もって虚偽の公文書を作成したと主張する。
(ア) 供述調書の作成日付の偽りについて
これが認められないことは,前記1(3)で認定・判断したとおりである。
なお,前記1(3)アに認定のとおり,平成7年5月26日付供述調書(甲25)は,同月25日及び26日に取り調べた結果をまとめて同日作成されたものであること,同月31日付供述調書(甲26)は,同月25日から同月31日までに取調べた結果をまとめて同日作成されたものであることが認められるけれども,数日に亘る取調の場合は,各日ごとに供述調書を作成しなければならない義務はなく,数日にわたって供述者をして供述させた後,これを一括録取して調書を作成すること,即ち調書作成の日が供述の日より遅れることも当然許されるものと解すべきであるから,上記のような各供述調書の作成方法に違法はないというべきである。
(イ) 供述調書の虚偽記載について
原告は,同人がDによる刑事告訴の事実を知ったのは,平成7年7月18日ころのことであるから,同年4月20日当時,原告が「告訴を取り下げんと会社を潰すぞ。」などと言うはずがなく,同年5月26日付の被疑者供述調書(甲25)に原告の供述として「ところがDは,それに対抗するかのように,先程お話しした傷害の件で,私を平成6年12月岡山地方裁判所倉敷支部に訴え,更に不動産取引の件も含めて,平成7年1月岡山地方検察庁倉敷支部に私を告訴しているのです。」との記載があるのは,原告の供述に基づかないC巡査の作文であると主張し,これに沿う陳述ないし供述(甲16,28,29,原告本人)をする。
しかしながら,証拠(甲25)によれば,前記供述調書の同記載部分は,その前後も含め,告訴をされるに至った経緯等,原告とDとの関係が詳細かつ具体的に記載されており,その内容,体裁からしてこれがC巡査による作文であるとはにわかに認めがたい。また,原告は,前記記載が同供述調書に記載されるに至った経緯につき,告訴のことは知らないと言ったが,C巡査は,告訴のことは今度の事件とは関係がないからとの一点張りで,聞き入れてくれなかったと陳述ないし供述(甲16,28,29,原告本人)するが,本件刑事事件の動機として,逮捕の当初から,Dの告訴が被疑事実中に明示されていたことは別紙被疑事実の要旨に明らかなところであることからすると,C巡査が「告訴のことは今度の事件とは関係がない」などといった発言をするとは考えられないし,また,仮にそのような発言があったとしても,原告は,逮捕された時点で,告訴のことが本件刑事事件の動機とされていることは了知していたはずであること(加えて,勾留時点でも再度読み聞けを受けているはずである。)からすれば,真実,告訴について知らず,その部分がC巡査の作文であったのであれば,そのような供述調書の署名・指印に原告が応じるとは認めがたいことにも照らすと,前記原告の陳述ないし供述(甲16,28,29,原告本人)は信用できず,他に原告の前記主張を認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 供述内容の取捨選択について
供述調書は,供述者の供述したところを取調官が録取するという性格のものである以上,供述内容いかんによっては,これを詳細に録取することもあれば,その要旨にとどめることもあるのであって,供述者が述べたことをそのまま全部記載する義務はない。したがって,本件において,C巡査が,取調官としての合理的な判断に基づき,原告の供述のうち,本件刑事事件の立証について必要と思われる部分に限局してこれを録取し,その他の部分についてはこれを要約等して供述調書を作成したとしても,何ら違法ではないし,同巡査が,その権限を濫用して恣意的な供述内容の取捨選択を行ったことを認めるに足りる証拠もないから,原告のこの点に関する主張は理由がない。
(エ) 以上の次第で,原告の供述調書の内容及び作成方法について,原告が主張するような違法な点があったことは認めることができない。
第2以上によれば,赤穂署警察官らに違法な逮捕行為及び取調があったとして,国家賠償法1条1項に基づきその損害賠償を被告に求める原告の請求は,その余について判断するまでもなく理由がない。
よって,原告の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上田昭典 裁判官 太田敬司 裁判官 島田環)
別紙被疑事実の要旨
被疑者は,平成7年4月20日午後3時00分ころ,兵庫県赤穂市ab番地のcGカントリークラブ内風呂場脱衣所において,自己が被告訴人となっている事件について,告訴人であるD(当51歳)が告訴の取り下げをしなかったことに立腹し,同人に対し,「告訴を取り下げんと会社を潰すぞ」と叫ぶなり,その顔面を手拳で3,4回殴打する暴行を加え,よって,同人に加療約3日を要する右顔面打撲の傷害を負わせたものである。