神戸地方裁判所 平成11年(ワ)224号 判決 2003年9月30日
原告
甲野春男
同
甲野夏子
原告ら訴訟代理人弁護士
泉公一
被告
○○産婦人科こと 乙山太郎
同訴訟代理人弁護士
藤原忠
主文
1 被告は,原告甲野春男に対し,2283万8956円及びこれに対する平成9年7月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告甲野夏子に対し,2243万8956円及びこれに対する平成9年7月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用はこれを5分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。
5 この判決は,主文第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求及び申立
1 被告は,原告甲野春男に対し,2830万円及びこれに対する平成8年5月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告甲野夏子に対し,2786万円及びこれに対する平成8年5月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 仮執行宣言
第2事案の概要
本件は,原告甲野夏子(以下,「原告夏子」という。)及び原告甲野春男(以下,「原告春男」という。)が,被告との間で,原告夏子が,その胎児(以下「本件胎児」ないし「秋子」という。)を分娩するに際し,被告が適切な診療行為を行う旨の診療契約を締結し,その後被告が開設する○○産婦人科(以下,「被告病院」という。)に入院し,秋子を出産したが,秋子は仮死状態で生まれ,その後も自発呼吸ができない状態が続いた結果,転院先の病院において肺炎により死亡したところ,秋子の死亡は,被告病院医師ないし看護婦らの過失によるものであると主張して,被告に対し,診療契約上の債務不履行ないし不法行為(被告自身の不法行為及び使用者責任)に基づき,秋子が死亡したことにより同人及び原告らが被った損害の賠償及び不法行為日である分娩日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 前提事実
以下の事実は,当事者間に争いがないか,証拠上容易に認められる事実である(末尾に証拠を掲記しない事実は,当事者間に争いがない。なお,以下,平成8年5月24日及び同月25日については,「5月24日」及び「5月25日」などと月日のみで表記することがある。)。
(1) 原告ら
原告春男は,秋子(平成8年5月25日出生,平成9年7月16日死亡)の父であり,原告夏子は,秋子の母である(甲1)。
(2) 診療契約の締結
原告夏子は,平成7年9月25日,妊娠の徴候を感じたため,被告病院で診察を受けたところ妊娠が確認され,分娩予定日が平成8年5月24日ころであることが告げられた。そこで,原告らは,平成7年9月25日,被告との間で,原告夏子及び本件胎児について,被告が本件胎児の分娩にあたり,適切な診療行為を行う旨の診療契約を締結した。
(3) 被告病院への入院と出産
原告夏子は,平成8年5月24日午後11時ころ,前期破水したことから被告病院に入院した。
被告病院では,被告,A医師(以下,「A医師」という。),B,C及びDの各看護婦(以下,それぞれ「B看護婦」「C看護婦」「D看護婦」という。)ならびにE(旧姓E')補助婦が原告夏子の診療を担当することになった。なお,なおC看護婦及びD看護婦は,いずれも准看護婦であった(弁論の全趣旨)
原告夏子は,同月25日午後4時20分ころ,被告病院で帝王切開により秋子を出産したが,秋子は泣き声を上げず,新生児のアプガースコアは0点であり重症仮死状態であった。
秋子は,出産後すぐに加古川市民病院に転送された。
(4) 秋子の死亡
秋子は,平成9年7月16日,加古川市民病院で,低酸素性虚血性脳症を原因として発症した肺炎によって死亡した(甲1,2)。
(5) 礒田幸太郎医師(以下,「礒田医師」という。)作成の平成12年10月13日付病理組織学的検査報告書(乙8,以下「礒田意見書」という。)及び証人礒田の証言
ア 総論
原告夏子の臍帯は,胎生期の組織形成異常による先天性組織奇形であった。
組織奇形は,主として臍帯の血管系に認められ,その結果,胎児に強い血行障害を来したものと考えられる。
イ 臍帯一動脈欠損
臍帯内の血管は,正常な場合には,臍動脈が2本,臍静脈が1本存在している。
しかし,2パーセント程度の頻度で臍動脈が1本の場合があり,しばしば胎児の奇形や死亡を伴う。
この場合,動脈には静脈血が通り,内腔へ突出するヒダの存在,肉弾性板の欠如,発達した筋層,外膜栄養血管の不存在,外面のところどころにおける拡大部の存在などの特徴がみられる。
また,静脈には動脈血が通り,半月状のヒダ,内腔が広く中膜が薄い,肉弾性板の存在などの特徴が見られる。
ウ 本件胎児の臍帯
(ア) 数の異常
a 標本<1>―1(胎児との接合部付近)
臍動脈2本,臍静脈1本
いずれの血管周囲にも,血腫が形成されていた。
この部分に最も強い外圧が加わったと考えられる。臍動脈に血管腔がなかったことに加え,血管が収縮したことにより破れて出血し,さらに血腫が細い血管の周りを締め付けて血行障害,血液の途絶が起こったと考えられる。血管の閉塞による循環障害は1か月以上前から生じていたと考えられる(証人礒田)。
血腫は,血液そのものが固まっているため,その形成は分娩の直前に起こったと考えられる。子宮の収縮によって生じた場合,3本の血管の周り全てに血腫が生じることは考えられず,点状に出血するものと考えられる(証人礒田)。
b 同<1>―2(胎児との接合部から約9センチメートル付近)
臍動脈1本,臍静脈2本
尿膜管が遺残していた。
なお,尿膜管は,通常,妊娠後4か月程度で消失するとされている。
c 同<1>―3(胎児との接合部から約14センチメートル付近)
臍動脈1本,臍静脈2本
血管の周囲に出血が認められる(証人礒田)。
d 同<2>―1(胎盤との接合部から約13センチメートル付近)
臍動脈2本,臍動脈か臍静脈かが区別できない血管1本
後者は,筋層が非常によく発達しており,動脈のように見えるが,静脈の特徴である肉弾性板が見られるので動脈か静脈かを区別できない。
e 同<2>―2(胎盤内臍帯)
臍動脈不完全2本(癒合性,あるいは分離異常),臍静脈1本
f 同<2>―3(胎盤内臍帯)
臍動脈2本,臍静脈1本
(イ) 構造異常
a 臍動脈
(a) 内腔が閉塞性
生後臍動脈が閉塞する際に役立つとされている肉腔へ突出するヒダがよく発達しており,中膜筋層の発育も著明である。
(b) 不完全な肉弾性板を伴う肉膜(ヒダ部)の弾性繊維増生
通常臍動脈には肉弾性板がみられない。これが原因で内腔狭窄を来している。
b 臍静脈
(a) 半月ヒダが判然としない。
(b) 筋層構築の異常
局所で急に肥厚したり,極めて菲薄化したところが同一血管でみられる。
(c) 肉弾性板の消失や断裂,分布異常
筋層が著明に発育している点は動脈的であるが,よく発育した肉弾性板は静脈的である。
エ 結論
発育異常により,主として血管系を中心として,臍帯の組織奇形を示している。
血管の狭窄,血腫形成,数の異常により強い血行障害を来したものと考える。(乙8)
(6) 当事者双方の私的意見書
ア 原告ら提出の田中啓一医師作成の鑑定意見書(甲35,以下「田中鑑定書」という。)
(ア) 妊娠期間中の問題について
臍帯における異常以外にとくに認められない。
出生児体重は2750グラムと正常範囲にあったから,胎児の成長も特段の問題はなかった。
臍帯奇形の秋子の成長への影響については,明らかではない。
臍帯が通常よりも細い場合,それは妊娠中のエコーによって確認することは可能かもしれないし,臍帯が細いことに気づくことは大いにあり得る。ただ,ルーチンとして臍帯の太さを計測することは大学病院以外では通常行われない。
(イ) 胎児仮死ないし低酸素血症の発生について
a 5月25日午後3時30分以降の状態
5月25日午後3時30分以降の分娩監視記録からは,100bpm以下の徐脈が60秒以上持続しており,しかも80bpm以下の時間帯が多く,重症の遷延性徐脈の所見であって,胎児仮死の末期状態と考えられる。
同日午後3時33分から34分にかけて心拍数が多くなっているが,基線細変動に乏しく,一過性頻脈とみることはできない。
b 胎児仮死の発生時期
胎児仮死ないし低酸素血症の発生時期は,5月25日午後3時30分の以前には始まっていたと考えられる。
同日午後3時30分以降には胎児仮死の末期状態にあったといえるが,いきなり胎児仮死の末期状態になるわけではなく,それよりかなり前に胎児仮死に陥り始めていたと考えられる。
後記cのとおり,前期破水,羊水減少及び臍帯奇形や臍帯巻絡があいまって胎児仮死をもたらした場合には,胎児仮死は急激に進行したのではなく,時間をかけて徐々に進行したはずである。
したがって,胎児仮死の始まりは同日午後3時30分よりも数時間前から1時間ほど前の時点であると考えられる。
頭位で,児頭が骨盤内で固定している場合には,臍帯脱出は起こらない。
また,メトロの脱落に伴う急激な子宮収縮は,仮に起きていたとすれば,数回だけ起こるということはなく,子宮収縮の強度の変化はかなり長いスパンで起こるものであり,同日午後3時30分以降にも起きているはずであるが,分娩監視記録上急激な子宮収縮の発生を認める所見はない。
5月25日午後3時30分以降の分娩監視記録を考慮すれば,40分前の同日午後2時50分に胎児の状態が正常であったとは考えにくく,同時点において測定された胎児心拍数の数値には疑問がある。
ただ,同日午後2時50分の胎児心拍数が150bpmだったというだけでは情報として不完全である。基線細変動や一過性頻脈についての情報が欠如しているからである。胎児の状態が良ければこれら二つの所見が揃うことになる。
c 胎児仮死の発生原因
胎児仮死ないし低酸素血症は,前期破水により大量の羊水が流出した結果,胎児及び臍帯が子官収縮による圧迫を直接受けやすくなっており,その結果,臍帯が圧迫されて臍帯血管が押しつぶされたような形態になり,臍帯奇形や臍帯巻絡が存在していたこともあって,血液循環が阻害され,胎児仮死や低酸素血症が生じやすくなっていた。
通常は陣痛そのものによって胎児仮死や低酸素血症が生じることはないが,上記のような機序により,本件においては胎児仮死や低酸素血症が生じたものと考えられる。
臍帯下垂,臍帯脱出ないしは子宮壁と児頭との間での臍帯圧迫は,本件では発生していなかった。
d 胎児心拍数の一時的な改善について
5月25日午後3時30分からの分娩監視記録によれば,一旦徐脈が出現したものの,その後ごく一時的にではあるが胎児心拍数が回復しているが,胎児心拍数が回復しているのみで基線細変動は乏しく胎児の状態が回復したとみなすことはできない。
酸素投与により胎児心拍数が回復したと見ることはできるが,メイロンは即効性の薬物でなく,またその効果は疑問視されているから,メイロンの投与は関係ない。
ごく一時的な胎児心拍数の回復が見られても,それを胎児仮死が発生したのがその直前であることを示す所見であると判断する文献的根拠もなく,それは,むしろ胎児仮死の末期的な状態を示していると考えられる。
仮に,母体への酸素投与やメイロン投与で,胎児心拍数が一時的にせよ改善したのだとすれば,臍帯は正常な循環機能を果たしていたということになる
(ウ) 帝王切開までの経過観察,監視について
a 5月25日午前5時台の分娩監視記録を見る限り,胎児仮死の疑いのある状態なのか,あるいは胎児が睡眠・覚醒サイクルにおける睡眠サイクルにいるのかを断定しがたいので,それを鑑別するために,引き続き分娩監視装置をつけておくべきであった。そうしていれば,胎児の状態に関して,より厳密な根拠をもって,分娩誘発を行うか,行わないかの判断ができたであろう。
ただ,そうしたフォローを欠いているけれども,分娩誘発を行ったことは間違いであったとまではいえない。しかし,前期破水があること及び分娩誘発を行ったことから,分娩監視装置を装着して,胎児及び母体を観察すべきであったことは,確実にいえる。
b 陣痛促進剤であるプロスタグラディンE2(以下,「PGE2」という。)を投与した時の分娩監視は,分娩監視装置をつけて分娩監視するのが産科臨床の通常の姿であった。
c 実際に行われた経過観察ないし分娩監視は適切ではなかった。
仮に,分娩監視装置を分娩誘発開始時から継続して装着していれば,基線細変動の消失,遅発一過性徐脈の持続,変動一過性徐脈の持続,遷延性徐脈などの出現を早期に発見し,胎児仮死ないし低酸素血症の発生を知ることは可能であった。
d 5月25日午後3時30分ころからの分娩監視装置記録を見た後の措置については,同日午後3時30分に分娩監視装置を装着し,いきなり胎児心拍数80bpmの徐脈が現れたのであるから,胎児仮死ではないかと考えるのは当然のことである。1分過ぎても徐脈のままであるから,1分経過後には酸素投与を開始するのが通常であり,3分経過後に開始された酸素投与は遅かった。
(エ) 秋子の脳障害について
a 秋子に脳障害が発生した機序は,胎児仮死→新生児仮死→低酸素性虚血性脳症→脳性麻痺と考えられる。
b 分娩誘発を行った時点で分娩監視装置を装着し,分娩監視記録に基線細変動の消失,遅発一過性徐脈の持続,変動一過性徐脈の持続,遷延性徐脈などの所見が出現した時点で胎児仮死と診断し,その時点から30分以内に緊急帝王切開術を行っていれば,新生児仮死を防ぎ得て,低酸素性虚血性脳症の発症を防ぐことができたと考えられる。
c したがって,5月25日午前に分娩誘発を始めたときから,継続して分娩監視装置をつけていれば,胎児仮死をより早く診断できたであろうと考えられる。
同日午後3時30分以降の分娩監視記録では胎児仮死の末期であるので,その時点よりも早くに胎児仮死の所見は分娩監視記録上に現れたはずである。
イ 小辻文和医師の鑑定意見書(補充意見書1,2を含む。乙15,17,19,以下,これらをあわせて「小辻鑑定書」という。)
(ア) 妊娠中の問題について
妊娠中の胎児の発育には特段の異常はなかった。臍帯奇形は,本件胎児の成長に影響を及ぼさなかった。
臍帯の異常を全長にわたって検索することは極めて困難である。
(イ) 胎児仮死ないし低酸素血症の発生について
a 5月25日午後3時30分ころ以降の分娩監視装置記録からは,持続性徐脈が認められ,低酸素状態である。
本件の胎児仮死は,同日午後3時30分ころのメトロ脱出時に,胎児と子宮壁との間での臍帯圧迫による臍帯血流障害が生じ,突発的に発症したものであり,その背景には臍帯の異常があったと考えるのが最も合理的である。
b 胎児仮死状態の発生時期
同日午後3時30分からの分娩監視記録は,遷延性徐脈であるが,その40分前の同日午後2時50分の観察では胎児心拍数は毎分150回と正常域にある。本件では,40分間にこのような変化が徐々に進行したとは考えにくく,メトロ脱出の時点で急激に胎児仮死に陥ったと考えることが自然である。
c 胎児仮死状態の発生原因
本件胎児は,メトロの脱出により生じた子宮容量の急激な減少により足首との間に巻絡していた臍帯が子宮壁との間に挟まれて圧迫を受け,急激に胎児仮死状態に陥ったと考えられる。
急激に胎児仮死状態に陥る原因としては,<1>臍帯血流障害,<2>急激で広範な胎盤早期剥離,<3>子宮破裂があるが,<2><3>は,帝王切開時の所見から否定される。
メトロが脱出する時には,メトロと同時に子宮内にあった羊水も突然に流出する。原告夏子の子宮からは羊水が流出しやすかったようであり,メトロの脱出により突発的な羊水腔の消失が生じた結果,臍帯圧迫が突発する可能性が,本件では最も考えやすい。
本件胎児には,臍帯が圧迫を受けたときに通常に比べ容易に臍帯血流障害に陥る原因としての臍帯異常があったため,胎児と子宮壁との間に臍帯が挟まれ,臍帯血行不全が突然起こることは大いにあり得る。
生体は血圧により血流を維持しており,血流を妨げる要因が存在する場合には,血圧を上昇させることで血流を維持する仕組みが作動する。従って,例えば臍帯に外圧が加わった場合,あるレベルまでは臍帯血流を維持できるが,外圧がこの仕組みの調節限界を超えた時に,血流遮断が突発する。臍帯ワルトンゼリー(臍帯血管を包み外圧から守る役目を果たす)が欠損する症例は,全例(小辻医師が検索した限りでは4例)が急性胎児ジストレスで死亡している。
また,臍帯血管周囲に新鮮な血腫が存在することも急激な血流不全が生じたことと矛盾しない。
最後のPGE2が5月25日午後0時55分に投与されたことからすれば,5月25日午後2時から同日午後3時30分ころは,最も強い子宮収縮が観察される期間である。
d 胎児仮死状態をもたらしたと考え得る他の要因
前期破水は,本件の胎児仮死とは関係がないが,羊水過少は,子宮壁と胎児との間で臍帯が圧迫されやすくなるので,本件の胎児仮死と関係がある。
メトロの挿入により,羊水の流出を防止するとともに,産生された羊水を子宮内に溜めることで羊水腔を確保し,子宮壁と胎児による直接の臍帯圧迫を妨げる効果がある。妊娠末期には胎児,羊膜上皮,卵膜が1日に450ないし500ミリリットルもしくは800ないし1200ミリリットルの羊水を産生し,この量は妊娠末期の子宮内に存在する羊水量に匹敵する。そして,羊水が減少し,羊水腔が狭くなった場合には,生体防御機構が働き,羊水腔を確保すべく,羊水を貯留するためにその産生と吸収のバランスを調整する。
メトロを挿入してもDry-Labor(羊水が殆どなく,胎児と子宮壁が密着する状態で陣痛が発来すること)の危険性には変わりがないとの見解は,胎児生理学を無視するものである。むしろ,頭位で破水し,羊水流出が多く,Dry-Laborが懸念される場合に,羊水流出を防止しながら分娩に導く唯一の方法がメトロ挿入により羊水流出を防止しながら頚管の熟化を図ること(但し,児頭が小骨盤腔内に進入している必要がある。)であり,本件でもメトロの挿入は,羊水の流出の防止を目的とするものである。
また,臍帯脱出や臍帯下垂は本件では生じていないと考えられる。
さらに,過強陣痛や強直性子宮収縮も生じたとは考えられない。仮に生じていたとしても,その後の遷延性徐脈の原因とはなりえない。
5月25日午後3時29分以降の分娩監視記録では,過強陣痛や強直性子宮収縮は認められず,5分間隔の軽度の子宮収縮が観察されるのみであり,また,それまでの看護記録に陣痛が5分ごとと記録され,同日午後2時50分までの胎児心拍数が正常範囲内にあったこと,もし過強陣痛や強直性子宮収縮が生じていたとするなら,患者が自力でトイレに立ち排尿することは極めて困難であったはずであることなどからすれば,メトロが脱出する以前に胎児仮死を誘発するような過強陣痛などがあったとは考えにくい。
そして,メトロ挿入中は,過強陣痛や強直性子宮収縮がない限り,産生された羊水が貯留されるため,子宮内環境は安定しており,本件では羊水流出もなかった以上,子宮内環境は安定していたと考えられる。
(ウ) 5月25日午後3時30分ころの胎児心拍数の一時的な回復について体位変換により一時的に臍帯圧迫が緩み,遮断されていた血流が再開した結果及び酸素投与の効果と見ることができる。
一時的な胎児心拍数の回復は,臍帯血流の一時的な再開及び胎児の中枢神経系が酸素濃度の上昇に反応できる状態であったと考えられる。
体位変換により身体を側臥位にして揺り動かすことにより子宮壁と胎児との臍帯圧迫が一時的に緩んだものの,その姿勢を維持していると再び圧迫され,再び血流が遮断されたものと考えられる。
酸素投与に対して反応することができる状態であった胎児が,1分後に何の理由もなく酸素に反応できなくなり心拍数が低下したことは事実経過及び医学的真実に合致しないから,酸素投与のみによって胎児心拍数が回復したとは考えられない。むしろ血流が再び遮断されたと考えるのが自然である。
もし,胎児ジストレスが同日午前9時30分ころにより始まり,徐々に進行して同日午後3時30分ころには末期的症状であったならば,体位変換によってこのような心拍数の改善を認めるとは考えられない。
この所見は,分娩監視装置が装着される直前に突発的に臍帯血行が遮断されたことを示すものであり,臍帯が突発的に強く圧迫された場合にはしばしば観察されるものである。
なお,メイロンの効果と考えるには時間が短すぎるので,メイロンの投与の効果とみることはできない。
これらの一時的な効果によって,胎児仮死の発生時期を特定することはできない。
(エ) 帝王切開までの経過観察,監視について
a 被告病院での経過観察は,本件当時に求められていた医療水準での適切な経過観察,監視であった。
PGE2の添付文書に記載されている「分娩監視装置等」には,ドプラーを用いた胎児心音・触診・問診による経過観察も含まれる。その後の平成12年1月に日本母性保護産婦人科医会より発行された看護要員のためのマニュアルにも,破水時の胎児心拍数の監視には,「分娩監視装置の使用が望ましい」とされており,分娩監視装置の使用が必要不可欠とはされていない。
PGE2の使用に際して分娩監視装置による連続観察が必要であることが添付文書に記載されたのは平成13年11月であり,日本産婦人科医会誌に陣痛促進剤使用時の注意として分娩監視装置を用いた連続監視が必要であることが記載されたのも平成14年2月号が始めてであった。
したがって,平成8年5月の時点では,被告らが行ったPGE2の投与開始前にまず分娩監視装置を用いて胎児の状態を把握し,その後はドプラーを用いた心音聴取・腹部触診・問診により経過を観察し,必要と判断した折りに分娩監視装置を使用するという管理行為(方針)は,適切な経過観察,監視であった。
分娩監視装置装着による連続モニターにより,体位変換が制限されることとなるから,母体には非常に大きな負担となる。したがって,現実には分娩監視装置の使用は,リスクと母体の負担とを考慮した医師の裁量によって決められる。
b 5月25日午後3時30分ころからの分娩監視装置記録の波形を見たときの医療関係者の対応は,直ちに母体の体位変換を行い,酸素投与,メイロン投与,子宮収縮抑制剤投与がなされており,また,帝王切開決定から35分後に胎児が娩出され,迅速に対応されている。さらに,この間に小児科医の応援を要請すると同時に新生児集中治療室に連絡を入れており,万全の措置がなされていたといえるから,これらの対応は適切であった。
(オ) 秋子に脳障害が生じた原因
胎児仮死・新生児仮死が原因と考えられる。臍帯血管の異常が胎児に及ぼした影響は不明である。
5月25日午後3時30分以前に臍帯血行不全の発症を回避すること及び診断することは不可能であり,その後の処置が適切であったことからすれば,本件では胎児の脳障害を回避することが可能であったとはいえない
(7) PGE2及びメトロの添付文書の記載
ア 平成8年5月当時におけるPGE2の添付文書
(ア) 冒頭部分
本剤を妊娠末期における陣痛誘発,陣痛促進の目的で使用するにあたっては,母体及び胎児に対する安全性を十分に考慮して必要最小限の使用にとどめ,陣痛誘発効果,分娩進行効果を認めた場合には投与を中止すること,分娩監視装置等を用いて十分な監視のもとで使用することなどと記載されている。そして,同記載部分は赤枠で囲まれている(甲7の7)。
(イ) 使用上の注意
本剤は点滴注射剤に比べ,調節性に欠けるので,原則として妊娠母体及び胎児の状態を分娩監視装置等により常時監視できる条件下で使用する。
本剤投与開始後は過強陣痛や強直性子宮収縮により,胎児死亡,頚管裂傷,子宮破裂,羊水塞栓を起こす可能性があるので,分娩監視装置等を用いて子宮収縮の状態及び胎児心音の観察を行い,投与間隔を保つよう十分注意し,陣痛誘発効果,分娩進行効果を認めたときは使用を中止し,過剰投与にならないように慎重に投与する(甲7の7)。
なお,平成4年1月1日付社団法人日本母性保護医協会(以下,「日母」という。)医療事故対策部発行の日母医報によれば,上記「分娩監視装置等を用いて」とは,分娩監視装置を用いることが望ましいが,使用しないときでも,それに近い状態で頻繁に胎児心拍を観察し,子宮収縮を確認するという意味であると解説している(甲8)。
(ウ) 重大な副作用
a 過強陣痛
ときに過強陣痛が現れることがある。また,それに伴い,子宮破裂,頚管裂傷を来したとの報告があるので,観察を十分に行い,異常が認められた場合には,投与を中止し,適切な処置を行うこと(甲7の7)。
b 胎児仮死徴候
ときに胎児仮死徴候(徐脈,頻脈,羊水の混濁)を来すことがあるので,観察を十分に行い,異常が認められた場合には,投与を中止すること。投与を中止してもこのような症状が現れた場合には,急速遂娩等の適切な処置を行うこと(甲7の7)。
イ 平成8年当時のメトロの添付文書
(ア) 頭位の場合は150ミリリットルくらいの滅菌水を注入する。頭位の場合,注入量が多いと臍帯脱出や胎位変換が助長されるので注意する必要がある。
(イ) 子宮口が全開大になるとメトロが膣内に脱出する。この時点で陣痛は一旦弱くなるので,内診してメトロを除去し,臍帯下垂のないことを確認して分娩室に移す。陣痛が弱ければオキシトシンなどの陣痛誘発剤の点滴静注を行う。再び陣痛が増強したら,内診して子宮口がほぼ全開大であることを確認し,人工破膜を行えば,以後分娩は急速に進行する(甲51)。
(8) 文献等の記載
ア 産科医療の救急医療性
産科医療に特徴的なことは,胎児や母体に異常が出現した場合,異常を察知してから数分から10数分の間に的確に対処する必要があり,時間的には救急医療の最たる領域である。したがって,産科管理のみならず検査機能や手術室及び麻酔科に至るまで,十分な24時間体制が不可欠である。母児の生死に関わったり大きな障害を引き起こすような危機は,陣痛開始後,産褥に至るまでの時期に生じることが多い。
胎児心拍が持続的に徐脈を呈したり,周期的に一過性の徐脈を呈していて陣痛などのストレスが軽減されても脈拍数の回復が遅れたりする際は,それぞれ異常事態の典型的なパターンと考えられており,胎児が低酸素状態にあると診断しうる(甲3(日本における産科診療の現状と今後(1)))。
イ 母体及び胎児の経過観察の方法
分娩第1期(陣痛発来から子宮口全開大まで)において,母体側では,血圧,脈拍,体温,陣痛の状態などを必要に応じてチェックし,胎児側では,胎児心拍数,リズム,先進部の下降度,回旋状況,頚管開大度,頚管展退度などを経時的にチェックし,分娩の進行に伴いより頻回にチェックするべきである(甲4[日母のテキスト「産婦人科医療事故防止のために」(改定版(下巻))(昭和63年9月発行)]・18頁)。
そして,その記録を分娩経過表ないしパルトグラム(分娩経過図)に記載すべきである(甲4・14頁)。
胎児仮死発生の診断法としては,分娩監視装置があれば連続的監視が可能であり最も望ましい(甲4・19頁)。
経過観察において,胎児仮死の徴候である遅発一過性徐脈や変動一過性徐脈を認めたときは,母体の体位変換,酸素吸入,陣痛抑制などの経母体治療を行い,それでも仮死所見が不変もしくは増悪するときは,急速遂娩を要する(甲4・20頁)。
ウ 胎児心拍数の定義と経過観察
(ア) 胎児心拍数について
a 胎児心拍数基線
胎児心拍数には比較的小さな範囲での上下の変動があるところ,その中心付近を通る直線をいう。
b 頻脈
胎児心拍数基線が160bpm以上である場合をいう。
c 徐脈
胎児心拍数基線が120bpm以下である場合をいう(甲9[胎児心拍数モニタリング(改訂第3版・平成6年3月25日発行)]・75頁によれば,110ないし120bpm以下が徐脈であるとされている。)。このうち,100bpm以下の場合を高度徐脈という。
d 一過性頻脈
子宮収縮,胎動,触診,音刺激などと関連して発生する胎児心拍数の一過性の変動のうち,胎児心拍数基線から15bpm以上のピークのある頻脈が15秒以上のものをいう。
e 早発一過性徐脈
一過性徐脈の起始や終了が陣痛波と同時期である場合をいう。
心拍数最減少点と陣痛ピークがほぼ一致しており,一過性徐脈と陣痛波はほぼ上下逆の鏡像を示す。
f 遅発一過性徐脈
心拍数減少開始は常に陣痛波起始より遅れ,心拍数最減少点は陣痛ピークよりも大きく遅れる場合をいう。
g 変動一過性徐脈
変動幅が大きく,陣痛波ごとに一過性徐脈の形が変わる場合をいう。陣痛波があっても一過性徐脈が起こらない場合があり,心拍数の減少開始と陣痛波の起始の関係が定まっていない。心拍数減少波形は急峻でU字型であり,心拍数減少部に早い振動を伴うことがある。心拍数減少波形は陣痛の鏡像でない。
h 軽度変動一過性徐脈
一過性徐脈の持続時間が60秒未満であり,最減少心拍数が60bpm以上である場合をいう。
i 高度変動一過性徐脈
一過性徐脈の持続時間が60秒以上であり,最減少心拍数が60bpm未満の場合をいう。
j 胎児心拍数基線細変動
胎児心拍数基線細変動に重なっている速い変動
k LTV
胎児心拍数図上で読みとれる1分間2ないし6回の比較的緩やかな胎児心拍数基線細変動である。
l 胎児心拍数基線細変動の変動ないし消失
LTVの変動幅が小さくなり,5bpm未満となった場合をいう。
(イ) ノンストレステスト(陣痛その他の負荷のない状態で記録した胎児心拍数曲線図による測定)による診断
a リアクティブ
一過性頻脈が20分間に2回以上観察される場合
b ノンリアクティブの出現とリアクティブへの回復
一過性頻脈が消失し,触診による胎児刺激を加えると一過性頻脈が出現する場合
c ノンリアクティブ
一過性頻脈が消失し,刺激によってもリアクティブとならない場合
d 胎児仮死の疑い
持続性頻脈,軽度変動一過性徐脈,持続的な胎児心拍数基線細変動の減少がみられる場合
e 胎児仮死
高度徐脈の持続,遅発一過性徐脈,高度変動一過性徐脈,胎児心拍数基線細変動の消失がみられる場合
(以上,甲10[日母の研修ノート「周産期胎児管理のチェックポイント」(昭和56年8月発行)]・40ないし49頁)
(ウ) 胎児仮死徴候の発生順序
胎児が仮死から死亡に至る場合には,胎児心拍数曲線において,上記(イ)cないしeの順序でそれぞれの所見がみられる(甲9・99頁)。
胎児仮死の原因となる低酸素症は,妊娠中には分娩時のように急激に進行するのではなく,比較的長期間(数週間以上)にわたって緩やかに進行する。
胎児仮死症状が発現した後は,数週間以内に胎児死亡が発生する。弱い陣痛でも胎児死亡を来すが,分娩に移行するとさらに死亡しやすい。
分娩が進行して強い子宮収縮が起こるようになると,母体側の子宮胎盤循環血流量が減少し,絨毛間腔を流れる血流量が減少する。このため,胎盤におけるガス交換不全を起こし,胎児への酸素供給の低下,炭酸ガスの蓄積を起こす。また,臍帯が子宮壁と胎児の間に挟まれ,子宮収縮の度に種々の程度に圧迫されて,胎児側の臍帯・胎盤血流量が低下することもあり,循環不全や胎児低酸素症の原因となる。
これらの変化がある限度を超えてくると,徐脈という臨床症状を示すようになる(甲10・49頁及び50頁)。
分娩時の胎児仮死の原因としては,胎盤循環不全が生じている場合には遅発一過性徐脈が,臍帯圧迫が生じている場合には変動一過性徐脈が,児頭圧迫が生じている場合には早発一過性徐脈がそれぞれ生じるとされている(同・52頁)。
(エ) 胎児心拍数基線細変動
胎児心拍数基線細変動の有無は,原則的には,胎児心電図で測定した胎児心拍数図をもとに判断すべきであるが,ドプラーの性能が向上したことから,超音波ドプラーで測定した胎児心拍数図をもとに判断することも可能である(甲13・79頁)。
外測法での超音波ドプラーを使用した胎児心拍数モニタリングを行ったところ,胎児心拍数パターンは130bpmの基準胎児心拍数を維持していたが,胎児心拍数基線細変動が完全に消失している事例があった。当該胎児は,その後経膣分娩されたが脳死状態になっており,無呼吸,筋弛緩で心拍数のみが残り,アプガースコアは1点であった(同・85頁及び86頁)。
(オ) 変動一過性徐脈の発生原因
原因は臍帯圧迫とされている。臍帯は,特に異常がなくても子宮収縮時にしばしば胎児と子宮壁の間に挟まれ圧迫される。それによる臍帯血行の障害(多くは部分的遮断)が心拍数の低下を引き起こす。必ずしも物理的な圧迫だけではなく,刺激により臍帯血管が収縮する場合も考えられている。破水後など羊水が少ない場合や何らかの臍帯の異常(卵膜付着,過長・過短,過捻転,巻絡など)があれば臍帯圧迫とそれによる臍帯血行の遮断が生じやすい(乙15・資料2)。
(カ) 分娩時の陣痛(子宮収縮図)の読み方
陣痛には,周期,間欠及び持続がある。
周期とは,前の山の立ち上がりから,次の山の立ち上がりまで,間欠とは,前の子宮収縮が始まってから終わるまで,持続とは,子宮収縮が始まってから終わるまでをいい,周期とは持続の最初の時点から間欠の最後の時点をいう(甲39・99頁及び100頁)。
(キ) 急速遂娩
高度変動一過性徐脈から持続的な徐脈への移行の傾向,遅発一過性徐脈と胎児心拍数基線細変動の消失,正常状態から急激な徐脈への移行などのような重症で急激な胎児仮死所見では経母体治療を行いながら,直ちに急速遂娩を行う必要がある(甲10・55頁及び56頁)。
比較的緩慢で軽症であっても,経母体治療が無効で悪化に向かうときは急速遂娩を行う。重症の胎児仮死では10分以内に,それ以外は30分以内の娩出であれば胎児死亡を起こしにくいので,判断を迅速に行うことが最も大切である(甲10・56頁)。
エ 前期破水と胎児仮死との関係
前期破水が生じた場合には,胎児仮死が高頻度で発症する。
羊水の流出によって子宮腔が狭小化するため,臍帯圧迫が生じやすくなり,ノンストレステスト上に変動性一過性徐脈が出現しやすい(甲5(産婦人科医療66号(平成5年5月発行)・前期破水とその対策)・701頁)。
オ PGE2による分娩誘発の方法とその危険性
PGE2は,子宮収縮効果を有するため,陣痛誘発ないし促進に用いられる(甲6[日母の研修ノート「分娩誘発法」(平成4年3月発行)]・26頁)。同薬剤は点滴注射に比べ調節性に乏しいので,母体及び胎児の状態を観察しながら使用する。常時母体及び胎児の状態を監視できるときに使用する(甲6・48頁)。
過強陣痛とそれによる子宮破裂,頚管裂傷,羊水塞栓,弛緩出血,胎児仮死など重大な副作用が生ずることがある(甲6・14頁)。
カ メトロによる分娩誘発法
(ア) メトロによる分娩誘発を行った場合,まれに臍帯下垂・臍帯脱出が起こることが欠点であり,メトロに注入する生理食塩水(滅菌水)の量を150ミリリットル,200ミリリットル,250ミリリットルとして,それぞれ分娩誘発を行ったところ,200ミリリットルでは154例中臍帯下垂が2例,250ミリリットルでは292例中臍帯下垂が2例,臍帯脱出が3例発生したが,150ミリリットルでは臍帯下垂及び臍帯脱出は全く発生しなかったとの研究報告がある(甲14・110頁及び111頁)。
メトロ使用時にトイレで起立歩行していたところ,陣痛が生じてメトロが急速に脱出したため,挙上していた先進児頭より先に臍帯が下垂した例があることから,メトロの急速な脱出を防ぐため,メトロの牽引や産婦の起立歩行などはせず,仰臥位や側臥位で自然脱出を待つべきである(甲16・213頁)。
(イ) メトロ脱出後の陣痛と挿入による副作用等
メトロが膣内に脱出すると陣痛が急激に弱まるとされている。
メトロの挿入による副作用ないし続発合併症として,臍帯下垂・臍帯脱出,先進部の転移,上肢脱出,胎児損傷及び既破水でのメトロ使用による感染の危険などが指摘されている(甲14・111頁,甲15・298ないし300頁,甲16・212頁及び213頁,甲47・41頁及び44頁,甲49・450頁,甲50・94頁)。
頭位の場合,150ミリリットルを超える滅菌水を注入しなければ臍帯下垂の心配はない。
また,前期破水の場合は,臍帯脱出など万が一の事態に備え,PGE2の内服など他の方法とし,メトロを使用しないこととする(甲15・32頁)。
(ウ) メトロの使用による羊水の貯留効果
a 昭和51年3月30日に発行された産科学提要には,次のように記載されている。
メトロを挿入することによって,羊水の流出を防止しながら分娩の誘発あるいはその促進を図る。
メトロイリンテルは,これを胎児先進部の下方に挿入することにより,クサビ状に子宮下部,頚管を圧迫し,産道を直接開大する。また,その機械的刺激によって陣痛を誘発あるいは促進する。一方,破水後であれば羊水の流出を防止する。バルーンの大きさは,使用目的によっても異なるが,通常100ないし300ミリリットル程度のものを使用する(乙19・参考資料2)。
b 昭和54年4月1日に発行された総合産科婦人科学によれば,前期破水により羊水の漏出が持続していた際には,漏出の防止と陣痛の催起を兼ねてメトロの挿入を行い,場合によりプロスタグランディンなどにより陣痛誘発を行い,児頭の陥入を図るものとされている(乙20)。
(エ) メトロの使用と臍帯脱出について
先進部が嵌入した時点でメトロを使用することが原則とされている。
また,メトロは自然脱出するのを待期するから,メトロが脱出した時点では先進部は少なくとも嵌入ないし固定しており,このため,メトロの合併症の一つである臍帯脱出は発生しないと考えられる(甲48・1552頁)。
キ 臍帯異常について
(ア) 臍帯一動脈欠損という血管異常は,胎児の先天異常と合併する率が高く,先天異常は,胃腸系,骨格系,尿・生殖器系,心・血管系,神経系などの広範囲に及んでいる。
臍帯一動脈欠損があれば,胎児の血行状態の上でも低酸素血症などの障害が生じることも考えられる。また,一般に臍帯一動脈欠損児の体重は小さく,その死亡率は高いとされているが,死亡率が高いのは多発性の奇形によるものであると考えられる(乙3(現代産婦人科学体系)・151頁ないし153頁)。
(イ) 臍帯一動脈欠損の場合の死産ないし胎児仮死の合併の有無
臍帯一動脈欠損の場合,死産や胎児仮死を合併することが多く,新生児には先天奇形の合併率が高いといわれており,報告例による先天奇形合併率は,18.4パーセントから44.7パーセントと報告によって異なっている。
甲24の報告では,臍帯一動脈欠損が認められた10例のうち,9例に胎児仮死徴候が現れ,6例が緊急帝王切開となった。また,出生後の診断で臍帯以外に奇形が認められなかった胎児は4例あり,うち1例は在胎26週で出産し死産であったが,その他の胎児には特段の異常は認められなかった(甲24・120頁ないし122頁)。
(ウ) 臍帯を被覆するワルトンゼリーが欠損していた事例
ワルトンゼリーが欠損していた場合,胎動による圧迫や捻転などにより,血流を閉ざす可能性があるとされており,胎児の子宮内死亡例が多いとされている。
同文献で報告されている症例では,著しい子宮内胎児発育遅延などは認められず,臍帯動脈血流波形でも異常を認めなかったが,分娩した際の胎児の状態は,肉眼で腹壁破裂とそれに伴う腸管脱出が認められ,臍帯の一部から臍帯動脈が露出していた。また,その後手術により肛門側の腸管に腸閉鎖が認められるなど,消化管閉鎖を合併していた(乙15・資料1)。
ク 臍帯脱出,臍帯下垂及び臍帯巻絡について
臍帯下垂とは,破水前に先進胎児部分の側方または下方に卵膜を隔てて臍帯を透視ないし触知するものをいい,臍帯脱出は破水後で産道内または陰裂間に臍帯が懸垂してきた状態をいう。また,破水前後にかかわらず,胎児の先進部を超えて下降しているが,内診や視診では分からない状態を潜在性臍帯脱出という(乙10・926頁)。
臍帯巻絡は,臍帯異常の中で最も多く認められる病態で,その発生頻度は全分娩の約25ないし35パーセントであり,そのうち胎児仮死を引き起こす症例は約10ないし30パーセントくらいであって,臍帯巻絡による分娩時胎児仮死が必発するものではない。
巻絡回数が多い症例ほど胎児仮死の出現頻度は高く,その原因は巻絡のきつさにあると考えられるが,実際の臨床の場では3重巻絡があっても胎児仮死が出現しない症例やたった1回の巻絡であっても胎児仮死となる症例もある(乙10・908頁及び909頁)。
ケ 子宮腔内の羊水について
羊水は,胎児尿がその主たる産生源であると考えられており,妊娠の後半3分の1の期間の胎児の尿量は,ヒトの胎児の膀胱容量を超音波で観察した成績では1日1000ミリリットル,羊を用いた実験では450ないし1200ミリリットルと報告されている。
これに対し,羊水の主たる消費経路は,胎児による嚥下と考えられており,ヒトでの観察では妊娠末期には1日210ないし760ミリリットル,羊の実験では1日500ないし1000ミリリットルを消費すると報告されている。また,羊膜も1日200ないし250ミリリットルの羊水を吸収することが羊の実験で報告されている。
子宮腔内の羊水量は,産生量と吸収量とのバランスにより調節される(乙19・参考資料1)。
コ 出生直後(生後1分目)の新生児の健康状態についての指標
皮膚色,心拍数,鼻腔カテーテルまたはこより反射,筋緊張及び呼吸状態の各要素ごとに,それらの状態に応じて0ないし2点の点数が付され,それらの合計点数で新生児の状態を判断するとされており,これをアプガースコア(指数)という。
アプガースコアは,0ないし2点の場合は第2度仮死,3ないし6点は第1度仮死,7ないし10点は正常とされている。
このうち,0点となるのは,上記各要素の全てが悪い場合であり,皮膚色が全身チアノーゼ,蒼白の場合,心拍数が聴取できない場合,鼻腔カテーテルまたはこより反射に無反応な場合,筋緊張が完全に弛緩している場合,呼吸状態が無呼吸の場合の全てを満たした場合である(甲11・171頁)。
サ 分娩時の仮死
分娩時の胎児仮死には,亜急性胎児仮死と急性仮死とがあると考えられる。
このうち,亜急性胎児仮死は,急激かつ一過性で生じる子宮循環障害(遮断)が,子宮,胎盤,羊水,胎児全体をヒポキシアに陥らせ,胎児化学受容器反射,交感神経興奮・カテコールアミン分泌,末梢血管攣縮,胎児血圧上昇,胎児受容器反射,遅発性の緩徐な徐脈との機序で典型的な遅発性徐脈に至る場合をいう。この場合,陣痛発作の強さや間欠の長さ,母体への酸素投与や子宮循環の確保等の状態により大きく左右され,数十分ないし数時間の経過で回復したり,悪化したりする。
これに対し,急性仮死とは,急激な胎児PCO2の上昇による呼吸性アシドーシスとPO2の低下を来し,完全な遮断は10分間でも致命的な脳障害を起こしうるといわれている。この場合,分娩監視装置による所見上は,典型的なU字型の乱発性徐脈が頻発するのみならず,突然それから70bpm以下といった高度の遷延性徐脈に移行する。ただ,これはまた,本来迷走神経反射による第1次生体防御機構を表しているので,回復もまた極めて早い(甲40・6頁ないし9頁)。
シ 低酸素性徐脈の持続時間と胎児仮死の発生率の関係
低酸素性徐脈が60分以上持続した30例中,胎児仮死の発生率は30例中17例と56.1パーセントであったが,60分以内の場合には113例中6例と5.3パーセントであった(甲45・33頁及び34頁)。
遅発一過性徐脈が例え重症でなくても,60分を過ぎると重症新生児仮死率が著しく増大する(甲10・56頁)。
2 本件の争点
本件においては,5月24日及び5月25日における被告病院での診療経過についても争いがあるところ,診療経過に関する当事者双方の主張は,別紙診療経過一覧表のとおりである。
そして,本件の主な争点は,次の5点である。
(1) 胎児仮死が発生した時点及び原因(争点1)
(2) 経過観察義務違反の有無(争点2)
(3) 臍帯脱出の防止義務違反の有無(争点3)
(4) メトロの脱落による子宮容量の縮小をもたらした過失の有無(争点4)
(5) 損害額(争点5)
3 争点1(胎児仮死が発生した時点及び原因)についての当事者の主張
(原告らの主張)
(1) 原告らの主張する胎児仮死の発生時期及び発生原因
ア 本件胎児の胎児仮死については,5月25日午前9時30分ころより生じ始めた陣痛によって臍帯が圧迫され始めた結果,徐々に胎児仮死状態が進行し,同日午後3時30分の数時間前には重篤な胎児仮死状態に陥っていたと考えられる。
確かに,これを直接に裏付ける検査結果は存在しないが,それは被告が母体及び胎児の厳重な監視義務を負っていたにもかかわらず,それを怠っていたためであるから,かかる被告の注意義務違反によって生じた真偽不明の不利益を原告らに負わせるのは正義に反し,妥当ではない。
イ 胎児の状態からの考察
そもそも,胎児心拍数における胎児仮死徴候の現れ方(前記前提事実(8)ウ(ウ))からは,持続性徐脈の出現は胎児仮死の末期を示すものである。そして,本件では,分娩監視記録上5月25日午後3時30分ころから午後3時47分ころまでの間に著明な持続的徐脈が認められ,この時点では既に胎児仮死の末期状態にあったと考えられる。
また,5月25日午前5時12分ころからの胎児心拍数曲線上はバリアビリティーが消失しており,既にこの時点で胎児仮死徴候が現れていると見えないわけではない。ただ,このころは,就寝前に比べ多少腹部緊満感が強まったという程度にすぎず,本格的な陣痛は始まっていなかったから,子宮収縮による本件胎児への影響は生じていないかそれほど強くはなかったと考えられる。
さらに,本件胎児は,5月25日午後3時30分ころに持続性徐脈が認められ,母体に酸素投与及び体位変換がなされた後,一時的に徐脈が改善しており,これは母体に投与された酸素が母体循環血中に入り,酸素が胎盤を介して本件胎児の循環系に入り,本件胎児の低酸素血症がごく一時的,かつわずかながら改善したことを意味する。
そうすると,この時点では,臍帯を含む本件胎児の循環系がまだ維持され,完全には遮断されていなかったことになるから,上記時刻に本件胎児が急激に胎児仮死状態に陥ったとはやはり考えられない。
その上,秋子が帝王切開により取り出された際には,全身のチアノーゼがあり,心拍数はなく,鼻腔カテーテルもしくはこよりによる反応もなかった。そして,筋緊張については完全な弛緩状態でかつ無呼吸であり,アプガースコアは0で,重篤な仮死状態であった。その後,加古川市民病院に搬送された後も,秋子は危険な状態が続き,死亡するまで自力呼吸ができない極めて重篤な脳機能障害をきたしていた。
かかる胎児の状態からすれば,本件胎児が胎児仮死に陥ったのは,分娩監視装置が装着され持続性徐脈が看取できた5月25日午後3時30分に近接した時間ではありえず,陣痛が発来した同日午前9時30分ころから胎児仮死徴候が出始め,本件胎児が長時間にわたって低酸素血症の状態に置かれていたというべきであり,ただ,陣痛発来時点においては,ドプラーで知りうるほどの顕著かつ決定的な胎児仮死には陥っていなかったと考えられる。
なお,分娩監視装置によって記録されたグラフ上では,5月25日午後3時30分ころに胎児心拍数が一旦130bpm程度に上昇しているが,上記のような本件胎児が胎児仮死に陥った機序からは,一旦持続性徐脈が発生していても酸素投与などの何らかの刺激によって上昇等の変動が見られることはありうるものであり,それ以前から徐脈に陥っていたことと何ら矛盾するものではない。
ウ 胎児仮死の原因からの考察
(ア) 胎児仮死の原因
そもそも,母体及び胎児に特段の異常が見られない場合でも,陣痛が発来し,強い子宮収縮が起きるようになれば,母胎側の子宮胎盤循環血液量が減少して胎盤におけるガス交換機能が低下し,胎児への酸素供給の低下と炭酸ガスの蓄積を起こすとともに,臍帯が胎児と子宮壁との間に挟まれ,子宮収縮の度に圧迫されて胎児側の循環血液量が低下する結果,胎児仮死に陥る危険がある。
さらに,本件においては,前期破水,羊水減少,臍帯奇形,臍帯巻絡等の臍帯圧迫要因が数多く存在しており,陣痛による胎児仮死の発生の危険性も指摘されている(前記前提事実(8)エ,オ,キ及びク)。
すなわち,本件胎児の臍帯は,臍帯一動脈欠損等の異常により脆弱であったため,ストレスに対する耐性を有していなかった上,臍動脈が1本でしかも細かったために,胎児側が圧力をかけて静脈血を送り出そうとした結果,娩出の1か月以上前から臍動脈の筋層が肥厚して狭小化し,血行障害が生じていた。
また,臍帯巻絡は,過長臍帯や活発な胎動が誘因となって生じるものであるが,本件においては臍帯の長さは通常であったし,また,原告夏子が被告病院に入院していた時点で児頭が固定・嵌入していたから,それ以降に胎児が活発に動くことも考えられない以上,臍帯巻絡は陣痛が発来する前から生じていたと考えられる。
さらに,原告夏子は,前期破水を来して被告病院に入院した後も漏出を続けていたから,陣痛が発来する前から羊水は過度に減少し,子宮収縮による圧迫が直接胎児に加わる状況になっていた。
このような状況の下で,脆弱な臍帯に対し,5月25日午前9時30分ころから生じ始めた分娩時の陣痛が加わったことにより,臍動脈の周囲に血腫が生じ,さらに循環を阻害したと考えられる。
(イ) そして,上記(ア)のような要因が相まって胎児仮死が生じた場合には,胎児仮死は急激に進行するのではなく,時間をかけて徐々に進行するとされている。
(2) 被告の主張に対する反論
ア 分娩監視装置により記録されたグラフ上は,記録が開始された5月25日午後3時30分ころの直前に突然の重篤な低酸素血症,胎児仮死を生ぜしめる原因となるイベントが起きた痕跡が全く見られない。
イ 本件胎児の状態について
仮に,5月25日午後3時30分ころから短時間のうちに急激に胎児仮死に陥ったとするのであれば,胎児循環系が完全に遮断されていたことを意味することになる。
しかし,前記(1)イで述べたとおり,この時点では,臍帯を含む本件胎児の循環系がまだ維持され,完全には遮断されていなかったと考えられるから,上記時刻に本件胎児が急激に胎児仮死状態に陥ったとは考えられない。
変換した体位を元に戻したという事情はないから,上記胎児心拍数の改善が体位変換により臍帯圧迫により途絶されていた血流が一時的に緩んだことにより回復したとの考えによっては,改善が一時的なものにとどまったことを説明できない。
ウ 胎児仮死の発生原因について
(ア) 臍帯脱出,臍帯下垂ないし潜在的臍帯下垂について
臍帯脱出,臍帯下垂ないし潜在的臍帯下垂の発生を確認できる所見はない。
また,原告夏子が被告病院に入院した時点で,すでに本件胎児の先進部は頭位で固定しており,その時点で児頭と子宮壁との間に臍帯が挟まっていたとの所見は認められていない以上,その後に臍帯が挟まったり,脱出したりすることは物理的に考えにくい。メトロも,児頭に乗っかるように挿入されていたのであるから,脱落したとしても臍帯が挟まるような隙間ができるわけではない。
さらに,臍帯の長さが通常の長さであった上,本件胎児の足首に巻絡していたから,その長さで臍帯が児頭と子宮壁との間に挟まる可能性は低い。
よって,臍帯脱出,臍帯下垂ないし潜在的臍帯下垂が発生し,臍帯が児頭と子宮壁との間に挟まれたとは考えられない。
(イ) 急激な子宮収縮の発生について
本件胎児の児頭は,メトロが脱落した際,すでに固定・嵌入していたから,メトロが脱落しても児頭がほとんど動かなかったと考えられる。だとすれば,メトロの脱落が刺激となって急激な子宮収縮が生じたとするのは非医学的である。
また,急激な子宮収縮が生じたとの所見はないし,原告夏子が陣痛による痛みを訴えた事実もない。
仮に,急激な子宮収縮が生じたとすれば,2,3分で収まることはないと考えられるが,グラフ上急激な子宮収縮は認められない。また,急激な子宮収縮が生じたとすれば,陣痛の周期のパターンがかき乱されることになると考えられるが,メトロが脱落してから分娩監視装置によって測定された胎児心拍数が,グラフに記載された5月25日午後3時30分ころまでの間には,わずかの時間しかなかったにもかかわらず,グラフ上の陣痛周期は6分程度で安定していた。
(ウ) メトロの脱出による子宮容量の急激な減少について
そもそも,臍帯異常及び臍帯巻絡はメトロの脱落の前から存在していたにもかかわらず,メトロの脱出以前は,臍帯血流障害を来す方向に全く機能せず,メトロが脱出した途端に一転して臍帯血流障害から胎児仮死が生じる重要な要因になったとするのは矛盾している。メトロの脱出前にも陣痛は生じていたのであるから,何も起こらないはずがない。
メトロ挿入中の子宮内環境については,5月24日に生じた前期破水以降の羊水の漏出により,メトロ脱出のはるか以前に臍帯圧迫を生じやすい羊水過少の状態が生じていたために,メトロ挿入中に羊水の流出がみられなかったにすぎず,かかる事実を無視してメトロ挿入中の子宮内環境が安定していたとはいえない。
メトロを挿入していたとしても,挿入前に破水していれば羊水の漏出を防止することはできない。メトロが羊水貯留機能を果たすのであれば,前期破水例では羊水流出によって臍帯圧迫が生じることを危惧する必要はないはずであるが,現実には,かかる危険の存在が指摘されており,日母の研修ノートや現在の代表的な産科の教科書にも,メトロの羊水貯留機能について触れられていない。本件においても,被告は,羊水の流出防止目的でメトロの挿入を指示していない。また,メトロ脱出時に羊水が流出した事実もない。
胎児と子宮壁との間で臍帯が圧迫されることによる臍帯血流障害が一定時点を境に生じ始めたとすれば,それは子宮壁が収縮し,胎児及び臍帯を締め付けるという動きによるとしか考えられないが,むしろ,メトロの脱出後より脱出前の方がメトロが子宮内にあり,子宮壁は無理に押し広げられた状態になっていたのであって,内側に縮もうとする力すなわち胎児及び臍帯を締め付ける力が働いていたのであるから,メトロの脱出後に臍帯圧迫が生じたというのなら,それより遥かに強い臍帯圧迫が脱出前に生じていたと考えなければならないことになる。しかしながら,そのような所見は認められていない。
また,メトロが脱落することにより子宮容量は減少するものの,200ミリリットルもの容積を持つメトロが子宮内に挿入されていたことにより伸展していた子宮壁が一定程度元に戻ることによってその空きを埋めるにすぎず,メトロの脱落によって直ちに子宮壁がメトロ挿入前の状態に復するものではない。むしろ,メトロの脱落により子宮内圧は低下して陣痛・子宮収縮が弱まるとされているのであるから,メトロ脱落後は臍帯への圧迫は緩和されていたはずであり,にもかかわらず,メトロ脱落前には生じていなかった臍帯への圧迫が,脱落後に生じたとは考えがたい。
文献上も,メトロの脱落による子宮容量の減少によって臍帯が圧迫される危険性を指摘するものは存在しない。
エ 5月25日午後2時50分及び同日午後3時30分の胎児心拍数について
(ア) 胎児心拍数を測定した事実の有無について
5月25日午後2時50分及び同日午後3時30分に,看護婦がドプラーで胎児心音を測定した事実は否認する。したがって,上記各時刻の胎児心拍数を根拠として,本件胎児が,同日の数時間前から胎児仮死状態に陥っていたことを否定することはできない。
a カルテの信用性
(a) 分娩経過表を作成し始めると,通常同じ内容を看護記録に記載することはないにもかかわらず,被告病院においては看護記録及び分娩経過表に同内容の記載がある。しかも,分娩当日は被告病院で出産が相次ぎ多忙であったのであれば,同内容の記載を複数の記録にする必要性及び余裕はなく,いずれの記載も分娩後に意図的に記載されたのではないかとの疑問がある。
(b) 仮に両記録を同時並行的に記載したとしても,通常分娩経過表に詳細な記載がなされ,その後看護記録に記載がされるはずであり,実際5月25日午前8時40分における記載は分娩経過表の記載が詳細である。
しかしながら,同日午前9時30分及び同日午後2時50分の各時点において,看護記録に記載がある事実について,分娩経過表には記載がない事実が存在し,後から作成されるべき看護記録の記載内容が詳細なものになっている。
また,上記各記載はいずれもC看護婦が作成したものであるところ,同一人がある時点では看護記録に記載し,別の時点では分娩経過表に記載するといったことが行われているはずがない。
かかる不自然な記録内容からは,被告病院の医療記録は,人為的な操作の下に作成された疑いがある。
(c) C証言によれば,原告夏子は,出産予定日に破水して被告病院に入院したにもかかわらず,5月24日午後11時から5月25日早朝にかけての経過を,夜勤担当者が看護記録に全く記載しなかったため,同時間帯に全く関与していなかったC看護婦が,5月25日朝に引き継いだ後,夜勤担当者から経過を聞いた上で看護記録を記載したとしている。
しかし,そのようなこと自体が異常なことであるばかりか,看護記録に経過を全く記録しない夜勤担当者が,入院当時の検査結果等を克明に記憶し,C看護婦に対して申し伝えることなどできるはずもない。
C看護婦は,5月25日午前7時40分以前の記載をまとめて記載し,同時刻以降同日午後2時50分ないし同日午後3時30分までの経過はその都度記載し,同日午後2時50分ないし午後3時30分以降の経過は,帝王切開が終わった後に記載したと証言するが,看護記録上は,そのような事実は見受けられない。
したがって,C看護婦が,上記時間帯の経過について,分娩後に事実に基づかず,まとめて看護記録を作成したとしか考えられない。
(d) また,被告病院では,何らかの処置をした際にも,それを行った者以外の者が記録することが頻繁に行われており,個々の出来事を正確に記録するという基本的なことが行われていなかった。
(e) メトロの挿入時期について,カルテによれば5月25日午前7時30分に,被告が挿入を指示したとされているところ,看護記録によればバルーン挿入は同日午前8時40分であるとされている。また,分娩経過表では,同日午前8時40分に内診が行われ,子宮口開大度が1センチメートルだったと記載されている。
内診がメトロを挿入するかどうかを決定するために行われたことからすれば,医師の指示がなされてから1時間以上経過してメトロを挿入したとは考えられない。C看護婦が,分娩当時の細かな時系列的経過についての記憶が薄らいできた時期に,看護記録または分娩経過表を作成したか,何らかの意図の下に記載を行ったと考えられる。
(f) 転院先の加古川市民病院で測定された秋子の体重を,あたかも被告病院で5月25日午後4時20分に測定したかのように看護記録に記載されているのは,被告病院における原告夏子及び秋子に関する記録全体が,体重,身長のデータを入手し得た5月26日以降に作成されたことを示している。
(g) 加古川市民病院への「新生児紹介用紙」には,陣痛発来時期は5月25日午前11時,誘発による発来と記載されているが,上記記載は原告夏子の記憶と異なっている。また,看護記録上も同日午前9時30分の頃に「陣痛7~8分変わらず」と,同時点の以前から陣痛が発来していたかのように記載されており,特に陣痛の様子が変わったとは書かれていない。実際に,同日午前4時に「不規則な陣痛あり」という記載が看護記録と分娩経過表に記載されており,同日午前5時30分には分娩経過表に陣痛の間欠5分くらい,発作30から35秒という意味と思われるマークが付けられていて,上記紹介用紙の記載内容とは全く異なっている。これらの記載は,分娩後に,症状経過等に関する医療記録の記載を書き換えたことにより,事実経過について混乱していたことを示しているものと考えられる。
(h) 浣腸の時期が全く医療記録に書かれておらず,実施したとされるC看護婦は,浣腸について記憶がないと述べており,被告がこれを認識するためには,本件で提出されている記録とは別の記録が存すると考えるほかない。
(i) 被告の主張によれば,5月25日午後3時30分ころにC看護婦が胎児心拍数を測定したことになるが,同時刻の記録については,カルテには記載があるのに,看護婦が記載すべき分娩経過表や看護記録には記載がなく,極めて不自然である。
b 5月25日午後2時50分の胎児心拍数の測定
そもそも,分娩経過に関する事実は,分娩経過表に記載した後に,看護記録に記載されるが,上記時刻における胎児心拍数の測定の事実は,分娩経過表に記載されておらず,したがって,後から作成されるべき看護記録に記載がなされていても,当該事実の存在を示すものではない。測定したD看護婦ではなく,同看護婦から報告を受けたC看護婦が看護記録に記載したという回りくどいことを行ったことについて合理的な説明がなされていない。
また,田中鑑定書によれば,5月25日午後3時30分ころ以降の分娩監視記録を前提とすれば,それからわずか40分ほど前の時点で胎児心拍数が正常であったことには矛盾があるとされている。
以上からすれば,上記事実があったと認めることはできない。
c 5月25日午後3時30分の胎児心拍数の測定
上記a(i)のとおり,上記事実は,分娩経過表及び看護記録には記載されていない。
また,証人C及び同Aの各証言ならびに分娩監視装置のグラフが5月25日午後3時30分から記録されていることを総合すれば,次のとおりの事実経過が認められる。
すなわち,トイレに行った後ベッドに横になった原告夏子をC看護婦が内診し,その後,分娩監視装置ないしドプラーで胎児心音を聴取したところ,徐脈になっていることにすぐ気づいた。しかし,その後一時的に心拍数が回復したため,分娩監視装置を装着して1~2分はグラフを出す操作をしないまま,音だけで胎児心音を聴いていた。その後,グラフが出るようにして,同日午後3時33分から同日午後3時34分にかけて,胎児心拍数の回復と再度の徐脈を確認し,A医師に通報した。
上記事実経過によれば,C看護婦は,徐脈を一旦察知してからA医師に通報するまで,約5分間,胎児の様子を見ていたことになる。しかし,緊急性を有する産科医療において,かつ80bpmないし90bpmと顕著な徐脈が確認された上,同日午後3時30分から午後3時32分までの分娩監視装置のグラフによれば,子宮収縮が認められなかったにも拘わらず徐脈が継続しており,胎児の生命に関わる重大事が発生していたことからすれば,上記C看護婦の対応は,医療関係者の行動としてありえない。
むしろ,同日午後3時30分ころにC看護婦が原告夏子に分娩監視装置を装着し,すぐにグラフを出すスイッチを入れたところ,顕著な徐脈を発見して,慌ただしく行動を開始したと考えるべきである。
だとすれば,上記C看護婦の証言は,カルテ上の同日午後3時30分の時点における胎児心拍数がメトロ脱落後130bpmないし140bpmとなったとの記載と整合性を維持したいと考え,無理に無理を重ねたものであるというべきであるから,到底信用できない。
さらに,分娩監視装置が同日午後3時30分に始まったことがグラフ上明らかであったにもかかわらず,看護記録には,同日午後3時35分に分娩監視装置が装着されたかのような記載となっており,看護婦が上記分娩監視装置のグラフの記載を無視するとは考えられないから,結局看護記録は,真実の経過から乖離した事実経過を作出する意図で記載されたものであることを強く疑わしめる。
よって,5月25日午後3時30分ころに,C看護婦がドプラーで胎児心拍数を測定した事実は認められない。
(イ) 仮に,上記日時に胎児心拍数をドプラーで測定した事実があったとしても,ドプラーで測定できるのは持続性の頻脈及び徐脈の有無のみであり,胎児心拍数曲線と陣痛曲線との相関関係を見ることはできない以上,ノンリアクティブ,胎児心拍数基線細変動の減少ないし消失,遅発一過性徐脈,変動一過性徐脈などその他の胎児仮死を診断するため情報を得ることはできない。
しかも,ドプラーによる測定は,極めて短時間の「点」としての測定にすぎない上,本件では,1分間連続して胎児心拍数を測定したものではなく,5秒ずつ3回測定してそれを4倍したというにすぎず,このような方法では胎児仮死の徴候である一過性徐脈を聞き落とすことなく発見することはできない。
したがって,5月25日午後2時50分及び同日午後3時30分の時点での胎児心拍数が頻脈ないし徐脈でなかったとしても,それをもって本件胎児が胎児仮死状態に陥っていたことを否定することはできない。
(被告の主張)
(1) 被告の主張する胎児仮死の発生時期及び発生原因
ア 本件胎児は,5月25日午後3時30分ころに急激な胎児仮死状態に陥ったものであり,亜急性ではなく急性の胎児仮死であると考えられる。そして,その原因は臍帯脱垂ないしこれに近い状態が発生したか,メトロ脱出に伴う子宮容量が減少したことにより臍帯圧迫が生じたためであると考えられる。
<1>臍帯血流障害,<2>急激で広範な胎盤早期剥離,<3>子宮破裂などの原因により,急激に胎児仮死に陥る場合があり,本件は<1>に該当する。
イ 胎児の状態からの考察
(ア) 本件胎児には著しい臍帯異常があったことから,臍帯圧迫による血流障害から胎児仮死が生ずるとすれば,急性の経過をたどるものと考えられる。
(イ) 5月25日午後3時30分ころの胎児心拍数の一時的な回復は,体位変換により一時的に臍帯圧迫が解除され,遮断されていた血流が再開した結果である。この所見は,臍帯が突発的に強く圧迫された場合にしばしば観察されるものである。
すなわち,本件胎児のメトロ脱出時の胎児心拍数は130bpmないし140bpmであったが,その直後に90bpm前後に低下した後,一時的に140bpmまで回復し,その後同日午後3時34分には再び80bpmないし100bpmの持続的な徐脈の状態となっており,このような急激な胎児心拍数の低下は,かかる時点において,本件胎児が急激な胎児仮死状態に陥ったと考えるほかない。
原告らは,C看護婦がドプラーで胎児心音を測定した事実を否認するが,分娩経過表には「ドプラー」と記載され,カルテにもA医師がC看護婦から受けた報告として,胎児心拍数が130bpmないし140bpmであった事実を記載している。
また,5月25日午後2時50分の時点で,ドプラーにより本件胎児の胎児心拍数が正常値である150bpmであったことが測定・確認されており,この時点以前に本件胎児が胎児仮死に陥っていたとは考えられない。原告らは,上記測定の事実を否認するが,看護記録には,胎児心音を聴取した事実が明記されている。
ウ 胎児仮死の原因
本件胎児に急激な胎児仮死が発生した原因は,次のいずれかであると考えられる。
(ア) 臍帯下垂
5月25日午後3時30分ころにメトロが自然脱出したのに伴って胎児の臍帯圧迫が生じたものと考えられるが,本件胎児の臍帯には奇形が存在し,極端に細かったために,通常であれば回復が可能な弱い圧迫に対しても回復することができず,急激に末期的な胎児仮死に陥ったと考えられる。
このうち,臍帯圧迫は,メトロが脱出した際に当然に生じる臍帯下垂ないし潜在的臍帯下垂により,臍帯脱垂に近い状態(臍帯脱垂が子宮口までにとどまった状態)が生じ,臍帯が頚管と下降した児頭との間に狭まれて生じたものと考えられる。
また,本件胎児の臍帯は,太さが正常の約2分の1と極端に細く,かつ臍帯一動脈欠損という血管異常が存在し,しかも血管周囲に血腫形成が認められたことにより,血行が悪かったため,臍帯脱垂に近い状態となったために生じた臍帯圧迫に耐えることができなかったと考えられる。実際に,臍帯一動脈欠損の場合には,児の先天異常と合併することが多いとされ(前記前提事実(8)キ),低酸素血症などの障害が生ずることも考えられるほか,死亡率は高いとされている。
本件胎児は,上記時刻に急激に胎児仮死状態に陥ったと考えられ,その原因はメトロの脱出による臍帯下垂ないし潜在的臍帯下垂であったと考えられる。
(イ) 分娩に際しての臍帯の緊張
胎児頭部の下降によって一時的に臍帯が圧迫されるとともに,分娩に際して臍帯が緊張したことにより臍帯に負荷が生じた結果,臍帯一動脈欠損の障害があり,正常の臍帯が有する抵抗力・回復力を有していなかった本件胎児の臍帯が,急性の循環不全(胎盤血行不全)を発生させ,急速な胎児仮死に陥った。
(ウ) メトロの脱出時における急激な臍帯圧迫
本件の胎児ジストレスは,メトロが脱出したときに胎児と子宮壁との間での臍帯圧迫による臍帯血流障害が生じて突発的に発症したものであり,その背景には,臍帯の部位によって臍動脈と臍静脈の数が異なっていたこと,臍帯内の血管が極端に狭窄していたこと及び血腫が形成されていたことなどの極端な臍帯異常があったと考えられる。
極端な臍帯異常と機械的な臍帯圧迫により血流が妨げられた場合,それを維持するために,血圧を上昇させる機構が働くが,圧迫による外圧があるレベルを超えた際に,血流遮断が突発したと考えられる。
メトロ挿入時のトラブルは,メトロの脱落時に発生が集中しているところ,メトロが脱出する際には,メトロと同時に子宮内にあった羊水も突然に脱出するから,本件でも,突発的な羊水腔の消失があり,それによって臍帯圧迫が突発したとするのが,本件における胎児仮死の原因として最も考えられる。
突然の臍帯血流遮断があれば,血圧が急上昇し,特に臍帯血管壁に異常がある本件胎児の場合には,血管壁が破綻して血腫を形成する可能性があり,メトロの脱出時に生じた急激な臍帯圧迫により,急激に胎児仮死状態に陥ったとする考えと矛盾しない。
(2) 原告らの主張に対する反論
ア 胎児の状態について
(ア) 5月25日午後3時30分ころの胎児心拍数の一時的な回復は,体位変換により一時的に臍帯圧迫が解除された効果と考えても矛盾はない。この場合,子宮壁と胎児との間で臍帯が圧迫された状態で子宮壁を揺り動かすことをイメージすれば容易に理解できることであり,揺り動かすことで一時的に圧迫がとれるが,じっとしていると再び圧迫される状態となる。
(イ) また,5月25日午後3時30分ころの胎児心拍数の一時的な回復は,酸素投与から30秒後に回復していることから,酸素投与の効果とも考えられ,この場合,胎児の中枢神経系が酸素濃度の上昇に反応できる状態であったと考えられる。
ただ,胎児心拍数の改善は一時的なものにとどまっているところ,胎児心拍数が改善を始めた時点と再び低下した時点とでは,1分間の時間の経過以外には事情に変化はないから,胎児心拍数の改善が酸素投与のみであるとすれば,一旦酸素に反応できる状態にあった胎児が,その後時間の経過のみをもって酸素に反応できなくなったことを説明できない。
(ウ) 胎児仮死の発生時期が原告らが主張するとおりであったとすれば,上記のように体位変換によって心拍数の改善が認められないと考えられる。
(エ) 5月25日午前5時12分ころの分娩監視記録上は,バリアビリティーの消失は認められず,胎児仮死徴候は認められない。
(オ) 本件で行われたメトロの挿入は,羊水の流出を目的として行われたものである。
子宮腔内の羊水量は,産生と吸収とのバランスによって決められており,何らかの異常が発生して羊水腔が消失し,胎児に危険が迫る場合には,羊水腔を確保しようとする生体防御機構が作動し,羊水が産生される。
そして,メトロの挿入は,羊水流出を防止し,産生された羊水を子宮内に溜めることにより,羊水腔を確保し,子宮壁と胎児による直接の臍帯圧迫を防止する効果があることは産科医にとって周知の事実である。メトロの挿入中は,過強陣痛や子宮強直収縮がない限り子宮内環境は安定し,臍帯への圧迫は生じない。そして,本件では,過強陣痛や子宮強直収縮は認められていない。
仮に,メトロ挿入前の段階で羊水がほとんどなく,胎児と子宮壁が密着する状態であれば,臍帯奇形を有していた本件胎児は,5月25日午後3時30分よりはるかに早い段階で突然死していたと考えられる。
イ 胎児仮死の発生原因について
原告らが主張する胎児仮死状態の出現の過程は,慢性的な変化の場合は正しいが,メトロの脱出に伴う臍帯脱出ないし臍帯圧迫による場合などの急性的な変化の場合には,正常な状態から一挙に持続性徐脈が出現することもありうる。
ウ 5月25日午後2時50分及び同日午後3時30分の胎児心拍数の測定について
(ア) 胎児仮死の判定基準は,持続的な徐脈,遅発一過性徐脈,高度変動一過性徐脈,胎児心拍数基線細変動であり,このうち胎児心拍数基線細変動以外はドプラーによる測定の結果,異常値があれば直ちに分娩監視装置を使用することにより早期に胎児仮死の診断をすることが可能である。
そして,5月25日午後2時50分及び同日午後3時30分の胎児心拍数は,それぞれ150bpm及び130bpmないし140bpmと正常値であって徐脈は認められていない。また,5月24日午後11時の分娩監視記録における胎児心拍数基線細変動は良好であり,同月25日午前5時20分の分娩監視記録における胎児心拍数基線細変動も胎児仮死を疑わせるものではない。
(イ) カルテの信用性について
a 看護記録と分娩経過表に同内容の記載があることは診療機関によっては珍しいことではない。多忙を極める医療現場では,看護記録と分娩経過表との記載が時によって順序を逆にすることもある。
夜勤担当者は検査結果などをメモに取っていたのであり,それに基づいて報告を受けたC看護婦が申し送りに従って記載したに過ぎない。極めて多忙の際にたまたま記載の代行がなされたことによって直ちに看護記録の信頼性が乏しくなることはない。
バルーンの挿入時期は,カルテの記載どおりである。原告夏子の記憶は必ずしも信頼できない。
出生児体重は,看護記録等に記載すべきものであり,看護記録作成時に未測定の場合は,数字の部分のみを空白として後から記入することも格別異とするものではない。
新生児紹介用紙の記載は,陣痛発来時は5月25日午前11時であり,それ以前の陣痛はいまだ本格的でない前駆陣痛に過ぎないと認めた被告の判断を示したものである。
浣腸の時期については,C看護婦が尋問の際には正確な時刻を思い出せなかったに過ぎない。
b 5月25日午後2時50分の胎児心拍数の測定について
分娩経過表の5月25日午後2時50分の記載については,被告が分娩経過表を点検した際に,看護婦記録にはドプラーによる胎児心音測定結果の記録があるのに分娩経過表には記載漏れになっていることを発見したので,追加記入したにすぎない。
c 5月25日午後3時30分の胎児心拍数について
分娩経過表の5月25日午後3時30分の欄には「メトロ自然除去(トイレ)」のほかに「ドプラー」と記載され,ドプラーによる胎児心音を聴取した事実を明らかにしているし,また,入院カルテの胎児心拍数の記載も,前記(1)イ(イ)のとおり,A医師がC看護婦から聞いた報告の内容を記載したものであって,何ら信用性を損なうものではない。
また,ドプラーと分娩監視装置を併用することは決して稀ではない。
4 争点2(経過観察義務違反の有無)についての当事者の主張
(原告らの主張)
(1)ア そもそも産科の診療については,十分な24時間体制が本来不可欠であり,日母のテキスト及び研修ノートによれば,分娩第1期において,母体及び胎児の状態を経時的かつ頻回にチェックし,その記録を分娩経過表ないしパルトグラム(分娩経過図)に記載すべきであるとされ,分娩監視装置による経過観察が最も望ましいとされている。
特に,前期破水が出現した場合は過強陣痛が生じる場合が多いとされ,さらに陣痛誘発剤を使用する場合には,細心の注意を払う必要があるとされている。
また,オキシトシンなどの点滴で投与される陣痛誘発剤に比べ,内服用で調節性が乏しい陣痛促進剤であるPGE2を投与した場合には,過強陣痛,子宮破裂や胎児仮死などの重大な副作用が生ずる危険があるとされ,分娩監視装置等を用いて十分な監視のもとで使用し,陣痛誘発効果,分娩進行効果を認めたときは使用を中止し,過剰投与にならないように慎重に投与することなどが,日母の研修ノートや同剤の添付文書にも記載されており,異常が認められた場合には,投与を中止し,なおも異常症状が出現する場合には,急速遂娩等の適切な処置を行うことなどが記載されている。
さらに,前期破水及びメトロ注入例では,臍帯脱出の危険が高いとされており,被告がそのような危険性をあらかじめ認識していたのであれば,より厳重な監視が求められた。
そして,上記内容を記載した文献が,本件当時いずれも存在していたから,本件当時においても,前期破水が生じた場合で,かつ,調節性の乏しいPGE2を使用する場合には,分娩監視装置による厳重な経過観察を行う義務があり,もし分娩監視装置が使えない事情があるときは分娩監視装置で観察するのと同等の頻繁な胎児心拍及び子宮収縮の観察を行うべき義務を負っていた。
そして,胎児仮死は,胎児死亡または新生児仮死から死亡ないし脳機能障害を招来する危険性があるから,胎児仮死徴候(一過性頻脈の消失等)が確認された場合には,ノンストレステストを頻回に行うなどして監視・観察するとともに,母体の体位変換,酸素吸入,陣痛抑制などの経母体治療を行い,それでも胎児仮死所見が不変ないし増悪するときは直ちに急速遂娩を行うなどの迅速な対応を行わなければならず,胎児仮死所見が重篤である場合には,経母体治療を行わずに,直ちに急速遂娩を行う必要がある。特に,5分間V字が持続した場合には,急速遂娩を行うべきであり,胎児の死亡や障害を防止するために,30分以内で娩出する必要がある。
イ 本件における過失の有無の検討
(ア) 原告夏子は,5月24日に前期破水を来して被告病院に入院し,入院後も羊水の流出は継続していた。
その後,翌25日午前5時12分ころからの分娩監視装置の胎児心拍数曲線は基線細変動に乏しく,早くも胎児仮死徴候が現れているように見えなくもなかったから,引き続き分娩監視装置を装着して,胎児心拍数曲線上の懸念材料について鑑別する必要があった。
また,原告夏子には,同日午前7時40分以降少なくとも6度にわたりPGE2を投与していた。
しかも,被告は,禁忌とされている前期破水例でのメトロを挿入しただけでなく,その注入量も,本来150ミリリットルとされるべきところ,200ミリリットルのメトロを使用していたため,一般論としては臍帯脱出の危険が大きかった。
したがって,被告病院医師は,5月25日午前5時12分以降,遅くともPGE2の使用を開始した同日午前7時40分以降,原告夏子に分娩監視装置を装着して,胎児及び母体の状態を常時観察すべきであった。前期破水,PGE2の投与,メトロの挿入と胎児及び母体に重篤な危険が及ぶ危険性があったのであるから,母体の負担を考慮に入れても,本件においては,分娩監視装置を装着することが医学的に合理性のある診療行為であった。
分娩誘発剤は,投与が一通り終われば強い陣痛の発来が予測されるし,投与が終わっても薬剤の作用がなくなるわけではないから,一旦投与された以上,分娩監視装置による連続監視を行うべきであった。
仮に,分娩監視装置による観察が行われないとしても,ドプラーによる胎児心音の観察を頻回に行って胎児異常の徴候を的確に把握できるよう努める義務を負っていた。
そして,本件胎児にV字型の重症胎児仮死の所見が現れた場合には,遅くとも60分以内には急速遂娩によって本件胎児を娩出させなければならなかった。
(イ) 本件においては,陣痛の発来から3時間以上が経過した5月25日午後1時ころには,既にV字型の重症胎児仮死が生じていた可能性は十分にあり,同日午後2時ころには,原告夏子の陣痛は増強し,5分間隔にコンスタントに生じていることから,この時点では確実にV字型の重症胎児仮死に陥っていたと考えられる。
したがって,被告は,遅くとも5月25日午後2時30分(分娩監視装置での記録により胎児仮死の末期状態が確認された時点の1時間前)までには,急速遂娩を要するV字型の重症胎児仮死に陥っていたことは確実であるから,それまでの時間帯において母体及び胎児の経過観察を十分に行い,V字型の重症胎児仮死状態を確認し,速やかに緊急帝王切開を行って本件胎児を娩出させる義務を負っていた。
しかしながら,被告は,被告病院には分娩監視装置が設置されており,同装置を装着することは可能であったにもかかわらず,原告夏子に対し,5月25日早朝に分娩監視装置を装着した後,帝王切開の直前まで同装置を装着せず,常時監視どころか間欠的な監視さえも行わなかった。
また,原告夏子に対する医師による診察は,同原告が入院した際に行われたほかは,5月25日早朝に同原告のベッドサイドで看護婦から報告を受けた以外に全く行われなかった。
さらに,被告病院には,助産婦がおらず,准看護婦であったC看護婦及びD看護婦が原告夏子の経過観察を行っていた。このように,准看護婦だけが経過観察にあたる場合には,胎児の異常の徴候を早期に把握することは望むことはできず,医師ないし助産婦が経過観察を行うべきであった。
しかも,上記両看護婦による経過観察も,5月25日午後1時前ころに,C看護婦がドプラーで胎児心音を聞き,子宮口の開大度を確認した後,原告夏子が陣痛室へ移動した同日午後3時30分ころまで,全く行われなかった。
前期破水,羊水の漏出,メトロの注入及びPGE2の投与など胎児仮死の危険が大きかった本件においては,上記のような経過観察は,分娩第1期における経過観察としては到底許されるものではなく,その結果,胎児仮死状態が末期に至るまで発見されず,重症仮死状態が長時間にわたるまで急速遂娩が行われなかったものであるから,被告に経過観察義務・急速遂娩義務違反があることは明らかである。
ウ 因果関係について
(ア) 胎児仮死に陥った時期及び原因について原告らの主張を前提とした場合
本件胎児が胎児仮死に陥ったのは,同日午後3時30分よりはるか数時間前であり(争点1の原告らの主張(1)ア),秋子に不可逆的な脳機能障害が発生したのは,秋子が,帝王切開の数時間前から胎児仮死状態に置かれ,それに続く新生児仮死により低酸素性虚血性脳症を合併したためであった。
そして,本件胎児は,妊娠期間中を通じて順調な経過をたどって成長し,出生児の体重は2750グラムと在胎40週1日の出生児の体重としては正常値の範囲内であったから,母体から胎児に対し酸素及び栄養は供給されていた。
したがって,臍帯奇形が存在していたものの,それは発育を阻害するほどのものではなく,他に,脳障害を来すべき先天的素因や奇形は見られなかった。また,子宮内胎児発育遅延を示す所見も認められなかった。
だとすれば,被告病院医師らが原告夏子の母体及び胎児について常時厳重な観察を行っていれば,胎児心拍数曲線の所見等から胎児仮死の徴候やその程度を知ることができ,それに応じてまずは経母体治療を施し,それでも改善しなければ,60分間以上も徐脈の状態を放置することなく,急速遂娩の方法により娩出することで,秋子に不可逆的な脳機能障害が発生することを防止することができた。臍帯異常があったとしても,急速遂娩の施行及び出生後の適切な治療により,良好な予後が得られるとされている。
よって,経過観察義務違反と秋子の死亡との間には因果関係がある。
(イ) 胎児仮死に陥った時期及び原因がメトロ脱落時の臍帯脱出によることを前提とした場合
仮に,本件で臍帯脱出が生じたとしても,胎児の状態を厳重に監視していれば,臍帯脱出による異常をいち早く察知し,超急速に帝王切開を行うことにより,秋子に脳障害が発生するのを防止することができたはずであるから,因果関係は否定されない。
(2) 被告の主張に対する反論
分娩一般について,母胎及び胎児の状態を的確に把握するため,経時的に頻回の観察,診察が必要とされ,またそのうちの重要な観察手段として分娩監視装置が位置づけられているから,分娩監視装置を装着していたとしても急激な胎児仮死の発生を防止できなかったとの主張は理由がない。
(被告の主張)
(1) 本件では,原告夏子が前期破水によって入院した時点及び破水から6ないし8時間経過後にそれぞれ分娩監視装置による検査を行い,その後PGE2を投与するにあたっては,分娩監視装置の装着はしなかったが,ドプラーによる胎児心拍数の聴取・測定を行い,それによって異常が認められたときは直ちに分娩監視装置を装着して継続検査を行っていたから,必要にして十分な経過観察であった。
医師による診察は,必要に応じてなすべきものであり,通常の場合における経過観察などは看護婦らによってなされるのが一般である。
そして,5月25日午前7時30分には被告が原告夏子の診察を行っており,その後,同日午後2時50分に,ドプラーによって胎児心拍数が150bpmと正常値が測定され,また,同日午後3時30分ころにメトロがトイレで自然脱出した際には,看護婦が直ちに原告夏子の内診を行い,ドプラーにより胎児心音を聴取したものの正確な測定が困難と認められたので,直ちに分娩監視装置を装着したものである。
したがって,被告には,経過観察義務違反はない。
(2) 原告らの主張に対する反論
ア 分娩監視装置の装着が義務づけられるとの主張について
PGE2が点滴と比べてその調節性が乏しく,かつ,前期破水の場合に慎重な経過観察が必要であることは認めるが,PGE2の投与が開始された時点から,分娩監視装置を常時装着して,母体及び胎児の状態を観察することが必須とされるものではない。
分娩監視装置による連続モニターにより体位変換が制限されることから,母体には大きな負担となるため,同装置の使用は,リスクと母体負担とを考慮した医師の裁量によって決められる。
PGE2を使用した際に分娩監視装置による連続観察が必要とされたのは,平成13年11月以降であり,本件が発生した平成8年5月の時点では,上記(1)の被告病院における経過観察は適切であった。
また,メトロを注入した場合に臍帯脱出が生じる危険が極めて高いとはいえない。
イ 急速遂娩について
原告らの主張によれば,いつ急速遂娩を行うべきであったかが明らかではない。
ウ 因果関係について
分娩監視装置を常時装着していたとしても,本件のような急激な胎児仮死の発生を防止することはできない。
メトロが脱出した際に急激に胎児仮死に陥ったとすれば,トイレに立つ際には分娩監視装置は外されるから,同装置を装着して胎児心音を連続監視していたとしても,胎児ジストレスの発症を未然に防止し,あるいは実際より早い時点で診断することは不可能であった。
5 争点3(臍帯脱出の防止義務違反の有無)についての当事者の主張
(原告らの主張)
争点1の被告の主張(1)を前提とすれば,原告夏子は前期破水を来しており,メトロを挿入されていたから,臍帯脱出の生ずる危険が極めて大きかった。
だとすれば,被告は,臍帯脱出を防止するために,メトロを挿入すべきではなかった。仮に,挿入するとしても,メトロの使用説明書の使用上の注意欄には,頭位で使用する場合には,150ミリリットルくらいで使用することと書かれており,「頭位の場合,注入量が150ミリリットルを越すと臍帯脱出や胎位変換が助長されるので注入量を守るべき」との注意書きもあったから,メトロへの滅菌水の注入量を150ミリリットルとすべきであったし,急速なメトロ脱出を避けるために,産婦の起立歩行を禁じ,仰臥位ないし側臥位での自然脱出を待つべきであった。
しかし,被告は,原告夏子に対し,分娩を誘発するためにメトロを挿入しただけでなく,200ミリリットルの滅菌水を注入したメトロを挿入した上,原告夏子に起立歩行を許した結果,メトロが自然脱落したものであり,被告には,臍帯脱出の防止義務を怠った過失がある。
仮に,上記臍帯脱出の防止措置を講じていれば,臍帯脱出は発生せず,秋子に脳障害が発生するのを回避することができたはずであるから,かかる過失と秋子の出生後の脳障害及び死亡との間には因果関係がある。
(被告の主張)
原告夏子を歩行させたことが原因となって臍帯脱出,臍帯下垂ないし潜在的臍帯下垂が生じたものではない。
6 争点4(メトロの脱落による子宮容量の縮小をもたらした過失の有無)についての当事者の主張
(原告らの主張)
そもそも,前記争点3の原告らの主張のとおり,本件においてはメトロを挿入すべきでなかった。
また,争点1の被告の主張(1)ウ(ウ)を前提とすれば,メトロが脱出すると子宮容量が減少して胎児に危険が及ぶのであるから,なおさらメトロを挿入すべきではなかったし,そのような危険を冒してまでメトロを挿入する必要はなかった。
さらに,メトロへの滅菌水を増やせば臍帯圧迫の程度は強くなることになるのであるから,過大な滅菌水を注入したメトロを挿入すべできはなかったし,メトロの急激な脱出を避けるために,産婦の起立歩行やトイレでの用便を禁ずるべきであった。
にもかかわらず,被告は,メトロを挿入しただけでなく,本来150ミリリットルとすべき滅菌水の注入量を200ミリリットルとし,さらに起立歩行を許すなどメトロの急激な脱出を防止する措置を何ら講じなかったため,メトロが急激に脱落したことにより子宮容量が減少し,臍帯が圧迫されて本件胎児が重篤な胎児仮死状態に陥ったものであるから,被告にはメトロの脱落による子宮容量の縮小をもたらした過失がある。
(被告の主張)
(1) メトロを使用したことについて
本件は,前期破水のため分娩所要時間の短縮を図る必要があったが,被告病院に入院した後も自然陣痛は発来せず,かつ,羊水の流出が通常よりも多かったことから,分娩誘導を図るとともに羊水の流出を防いで正常時であっても突然死が予想される危険な乾燥分娩(Dry-Labor)を回避する必要があったため,被告は,帝王切開手術を除く唯一の手段であるメトロを使用したものである。メトロの使用を決定した時点で,臍帯の異常については全く予見することができなかった。
仮に,メトロの使用が過失であるとすれば,今後破水例には全て帝王切開が適応とされることとなり,妥当ではない。
(2) メトロへの滅菌水の注入量について
メトロの使用説明書によれば,頭位分娩の場合の注入量は「150ml位」として裁量の余地を認めている。また,甲49によれば,ビショップスコアが5点ないし6点の場合,200ミリリットルの滅菌水を注するとしているところ,メトロ注入時の原告夏子のビショップスコアは6点ないし7点であり,しかも本件では羊水の流出を確実に止め,乾燥分娩を防止することが絶対必要であったから,許容量を200ミリリットルと判断したとしても過失はない。
(3) 起立歩行やトイレでの用便を行わせたことについて
甲48によれば,メトロ挿入中は患者の運動を制限せずに,歩行も自由であり,排尿も容易にできるという方針を採用していることが報告されているから,原告夏子に起立歩行やトイレでの用便を制限しなかったとしても過失はない。
7 争点5(損害額)についての当事者の主張
(原告らの主張)
(1) 秋子の損害(原告らが相続により,それぞれ以下の損害賠償請求権を各2分の1ずつ相続)
ア 逸失利益 2467万円
(算出式)
210万8700円(平成8年度産業計企業規模計女子労働者学歴計の18ないし19歳平均年収額)×(1-0.3(生活費控除率))×16.7156(死亡時1歳の場合の新ホフマン係数)=2467万3730円
イ 慰謝料 2000万円
(2) 原告らの損害
ア 慰謝料 各300万円
イ 葬祭費 40万円
原告春男が支出した。
ウ 弁護士費用
(ア) 原告春男 257万円
(イ) 原告夏子 253万円
(被告の主張)
いずれも争う。
第3当裁判所の判断
1 事実認定
前記前提事実及び証拠[甲1,2,18ないし23,28,30,32,乙1,2,5の1ないし3,同7,証人C(一部),同D,同A(一部),同礒田,同石田,原告夏子本人(一部)]ならびに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,これに反する甲27(原告夏子の陳述書)ならびに証人C,同A及び原告夏子本人の各供述は,上記掲記の各証拠に照らし,採用できない。
(1) 被告病院での診療経過
ア 5月24日(在胎40週0日)午後10時25分ころ,原告夏子は,自らが破水していることに気づいたため,原告春男とともに被告病院へ向かい,同日午後11時ころ,同診療所へ入院して被告の診察を受けた。
その際,原告夏子には陣痛はなく,羊水に混濁は認められなかったが,その後も羊水は流出し続けたため,その量は相当量に達した。
子宮口内診の結果,子宮口は1センチメートル開大し,下降度はプラス1であり,ドプラーによる胎児心音測定の結果,胎児心拍数は144bpmであった。
胎児の先進部は,頭部で固定していた。
被告は,原告夏子に対し,原告夏子の子宮口が固くてまだ開いていないから分娩までにはまだ時間がかかると説明した。
原告夏子に対して抗生剤が投与され,分娩監視装置を装着してノンストレスレストが行われ,胎児の状態が良好であることが確認された(乙1・15頁,乙2・2頁,13頁,18頁,乙5の1,原告夏子本人,弁論の全趣旨)。
イ 5月25日(在胎40週1日)午前4時00分
不規則な陣痛があった(乙2・13頁及び18頁)。
ウ 同日午前5時20分
分娩監視装置を約40分間装着した(乙5の2)。
エ 同日午前5時30分
B看護婦が胎児心拍数を測定したところ,胎児心拍数は140bpm,陣痛間隔は5分程度,陣痛発作は30秒ないし35秒程度であり,一過性頻脈が認められなかった。
看護婦が子宮口の開大度を診察した(乙2・18頁,乙5の2,弁論の全趣旨)。
オ 同日午前7時30分
被告が診察した。羊水の混濁はなく流出は少量であった。
外子宮口は1.0センチ開大し,下降度はプラス1であった。
胎児は頭位であり,児頭の先進部が固定されていることが確認された。
被告は,原告夏子に対し,前期破水であり,陣痛が開始していないこと,子宮口の開大成熟度が未熟なため,頚管軟化剤,分娩誘発剤及びメトロの使用が必要であることを説明した。
被告は,C看護婦に対し,同日午前7時30分以降,上記分娩誘発を行うよう指示した(乙2・2頁)。
カ 同日午前7時40分
C看護婦がドプラーで胎児心音を測定したところ,胎児心拍数は150bpmであった。
プロスタルモン(PGE2)を投与した。
プロスタルモンの投与は50分おきになされることとなっており,タイマーを使用して50分を測定していた。
C看護婦は,原告夏子にメトロを挿入し,メトロ内に生理食塩水(滅菌水)を200ミリリットル注入した(乙2・13頁及び18頁,証人C,弁論の全趣旨)。
キ 同日午前8時30分
CないしD看護婦が,プロスタルモン(PGE2)を投与した(乙2・13頁及び18頁,証人C,弁論の全趣旨)。
ク 同日午前8時40分
C看護婦が,ドプラーで胎児心音を測定したところ,胎児心拍数は150bpmであった。
ケ 同日午前9時ころ
被告は,出勤したA医師に対し,原告夏子に破水があったことを伝え,同原告の経過観察を引き継いだ。
原告夏子に対し,行動の制限等は特に行わなかった(証人A,弁論の全趣旨)。
コ 同日午前9時30分ころ
陣痛が起き始めたが,陣痛間隔は7,8分であった。
CないしD看護婦が測定したところ,胎児心拍数は150bpmであった。
プロスタルモン(PGE2)を投与した(乙2・13頁及び18頁,弁論の全趣旨)。
サ 同日午前10時ころ
被告は,外出した(証人C)。
シ 同日午前10時25分
CないしD看護婦が,プロスタルモン(PGE2)を投与した(乙2・13頁及び18頁,弁論の全趣旨)。
ス 同日午前10時30分ころ
C看護婦は,原告夏子に対して,陣痛間隔が5分程度になったら知らせるようにと指示した(弁論の全趣旨)。
セ 同日午前11時05分
陣痛間隔7分ないし8分,陣痛発作30秒(乙2・18頁)。
ソ 同日午後0時05分
CないしD看護婦が,プロスタルモン(PGE2)を投与した(乙2・13頁及び18頁,弁論の全趣旨)。
タ 同日午後0時30分ころ
CないしD看護婦が,浣腸を施行した(原告夏子本人,弁論の全趣旨)。
チ 同日午後0時55分
CないしD看護婦が,プロスタルモン(PGE2)を投与した(乙2・13頁及び18頁,弁論の全趣旨)
ツ 同日午後2時過ぎころ
原告夏子の陣痛間隔が5分程度になった(甲28,原告夏子本人)。
テ 同日午後2時11分
別の産婦が出産した。出産はA医師が担当した(乙7,弁論の全趣旨)。
その後,同日午後2時38分には,別の産婦が出産した。出産はA医師が担当した。上記の出産と重なったため,被告病院内は非常に慌ただしい状態であった(乙7,証人C,弁論の全趣旨)。
ト 同日午後2時50分ころ
D看護婦が,C看護婦からの依頼で,原告夏子の胎児心拍数をドプラーで約10秒間測定したところ,25回であったことから,これを6倍し,1分間当たりの心拍数が150回程度であると判断して,その旨をC看護婦に伝えた(乙2・13頁及び18頁,証人C,同D)。
ナ 同日午後3時28分ころ
原告夏子は,訪室したC看護婦に対し,陣痛間隔が5分程度になり,痛みが強まってきたことを伝えると,同看護婦は,原告夏子に対し,陣痛室に移るよう促すとともに,陣痛室に移るまでにトイレに行っておくように指示した。
原告夏子がトイレを使用していたときに,挿入されていたメトロが自然脱出したため,同原告は陣痛室へ移動し,C看護婦にそのことを伝えた。
C看護婦は,原告夏子を陣痛室のベッドに寝かせて,分娩監視装置を装着し,そのスイッチを入れて心拍音を出したところ,90bpmくらいの徐脈となっていた。
メトロが脱出してから,この間,原告夏子は,特段強い痛みを訴えてはいなかった。
そのため,C看護婦は,ドプラーを原告夏子の腹部に当てて,さらに胎児心音を聞いていたところ,一旦胎児心拍数が1分間あたり130ないし140bpm程度に回復したと判断した。その際,同看護婦は,5秒ごとに合計3回胎児心拍数を測定し,これを4倍して1分間あたりの胎児心拍数を計算したが,その際に,時計などを使って時間を測定することはしなかった。
そのため,同看護婦は,少し様子を見て胎児心拍数を確認していた。また,この間,内診を行ったところ,子宮口の開大度は約5.0センチメートルであった。
その後,再度,胎児心拍数が90台に低下し,徐脈状態となった(乙2・3頁,13頁及び18頁,証人C,同D,同A,原告夏子本人,弁論の全趣旨)。
ニ 同日午後3時30分ころ
C看護婦は,A医師に連絡し,胎児が徐脈状態になったことを報告し,陣痛室に来てもらうよう求めた。
その後,C看護婦は,ナースステーションへ向かい,分娩監視装置のグラフを記録するスイッチを入れた。
A医師は,上記報告を受けて陣痛室に駆けつけ,直ちに原告夏子に仰臥位から側臥位へと体位変換を施すとともに,内診を行った。
また,原告夏子に酸素投与を行うよう指示し,C看護婦が直ちに原告夏子の鼻にカニューレを挿入して酸素を投与した。
さらに,A医師の指示で,子宮収縮抑制剤であるメイロン(アシドーシスの改善を目的として投与される薬剤)20ミリリットルを静脈注射の方法による点滴によって投与を開始した。
同時に,マルトース500ミリリットルを点滴の方法で投与し,ウテメリン1アンプルも投与した(乙2・3頁及び13頁,乙5の3,証人C,同A)。
ヌ 同日午後3時32分
胎児心拍数が回復し始め,同日午後3時33分には,130bpmないし140bpm程度に回復した(乙5の3)。
ネ 同日午後3時34分(C及びD看護婦)
再び毎分80bpmないし100bpmの持続的な徐脈状態となった。
A医師は,緊急帝王切開手術により急遂分娩を行うことを決定し,加古川市民病院へ電話をして,小児科医師の応援を求めた(乙2・3頁,13頁及び18頁。乙5の3,証人A,弁論の全趣旨)。
ノ 同日午後4時00分ころ
A医師が原告春男に,胎児が危険な状態なので帝王切開する旨の説明をした(弁論の全趣旨)。
ハ 同日午後4時12分
脊椎麻酔を開始した(乙2・3頁及び13頁,弁論の全趣旨)。
ヒ 同日午後4時16分
執刀を開始した(乙2・3頁及び13頁,弁論の全趣旨)。
フ 同日午後4時20分
帝王切開手術により秋子が頭位で出生したが,秋子は泣き声を上げず,自発呼吸が不可能な状態であった。また,羊水の流出は少量であった。
新生児のアプガースコアは0点であり,重症仮死状態であった。
分娩の際,秋子の足首に臍帯が1回巻絡していたのが確認された。また,巻絡していた臍帯の太さは,通常の臍帯の半分程度しかなかったことが確認された。
応援のため到着していた加古川病院の松井医師が秋子に対して挿管して蘇生措置を行ったところ,全身ピンク色となったが,自発呼吸はなかった。
加古川市民病院の石田明人医師(以下,「石田医師」という。)付き添いの下,秋子は救急車で同病院のベビーセンターに送られた(乙2・3頁,13頁及び18頁,甲23,証人C,同A,同石田,弁論の全趣旨)。
ヘ 同日午後4時54分
手術が終了した(乙2・3頁及び14頁)。
(2) 加古川市民病院への搬送後の経過
ア 秋子は,5月25日午後5時ころ,保育器に収められ,気管内挿管をされた状態で,救急車によって加古川市民病院に搬送され,入院した(証人石田)。
秋子は,新生児集中治療室に収容され,血圧測定,超音波検査などを受け,低酸素性虚血性脳症による重症仮死状態であると診断された(甲18・1頁及び3頁,証人石田)。また,体重は2750グラムと在胎40週1日の出産の場合における体重としては,下限に近いものの正常体重の範囲内だった。
筋肉は,完全に弛緩しており,レントゲン撮影の結果,脳以外の部分については,特段の異常は認められず,慢性的な発育不全はなかったことが確認された。また,染色体異常や奇形も特段認められなかった(甲18・3頁,甲30,証人石田)。
イ 被告は,加古川市民病院に対して提出すべき新生児紹介用紙(甲23)を作成した。
被告は,同用紙に,送院理由は新生児仮死によるものであること,分娩経過,検査結果に特記すべき異常所見がなかったこと,前早期破水であったこと,羊水の量が過少であったこと,帝王切開による分娩であったこと,分娩監視モニターを使用し,異常所見が認められたことなどを記載した(甲18・2頁,甲23)。
なお,新生児科の医師にとっては,羊水過少とは,一般的に,破水などとは関係なく,妊娠の途中から羊水量が減少している場合をいう(証人石田)。
ウ 5月30日に行われた秋子の脳のCT検査の結果,大脳皮質の水分が多く,壊死状態になっていることが確認され,石田医師は,低酸素性虚血性脳症により脳の壊死が生じたと診断した(甲32,証人石田)。
エ 入院後は,脳の浮腫を抑えるために,尿量を増加させるなどして体内水分量の減少に努め,その後脳の状態が安定してきたことから,水分を補給させた(甲20・1頁,証人石田)。
入院後1週間を経過した6月1日からミルクを摂取することが可能となり,その後も,肺炎にかかり10日間程点滴を打ったほかは,新生児集中治療室にいる間はほとんど点滴もせずに済んでいた(甲19・5頁ないし10頁,甲21,証人石田)。
しかしながら,低酸素性虚血性脳症によって脳の一部が壊死したことにより自発呼吸ができなかったことから,人工呼吸器を外すことができずにいたため,平成9年3月13日に気管切開を行った。
オ 同年7月ころ,気管内挿管していた部分から細菌が侵入して肺炎に罹患し,同月16日午後7時40分,低酸素性虚血性脳症による肺炎によって死亡した(甲1,2,甲22・25頁,証人石田)。
2 争点1(胎児仮死が発生した時点及び原因)について
(1) 訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最高裁昭和50年10月24日判決・民集29巻9号1417頁参照)。
そして,このことは医師の不作為という過失と患者に生じた不幸な結果との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく,経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し,医師の不作為が患者の当該時点における不幸な結果を招来したこと,換言すると,医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者に不幸な結果が発生するのを防止することができたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば,医師の不作為と患者に生じた不幸な結果との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである(最高裁平成11年2月25日判決・民集53巻2号235頁参照)。
(2)ア そこで,上記のような考え方に従って,本件胎児が仮死状態に陥った時点及びその原因について検討するに,前記前提事実及び前記1で認定した事実によれば,そもそも,臍帯は,特に異常がなくても子宮収縮時にしばしば胎児と子宮壁の間に挟まれ圧迫され,それにより,臍帯血行の障害が心拍数の低下を引き起こすものとされ,必ずしも物理的な圧迫だけではなく,刺激により臍帯血管が収縮する場合も考えられる。そして,そのような場合には,胎児仮死の徴候である変動一過性徐脈が出現するものとされている(前記前提事実(8)ウ(オ))。
イ 特に,本件においては,本件胎児の臍帯は非常に細かった上,臍動脈及び臍静脈の本数の異常及び中膜筋層の発育や肉弾性板の消失等による血管腔の狭窄などの奇形が存在したことから,母体と胎児との間の血液の循環が極めて悪い状態となっており,これらの臍帯の異常は,分娩時である1か月以上前から存在していた(前記前掲事実(5))ものであり。証人礒田及び弁論の全趣旨によれば,臍帯への圧迫が弱い段階では,血圧の上昇によってかろうじて血液の循環を確保することができていたが,強い外力が加わると,血管が,上昇した血圧に耐えることができなくなって破綻する危険性を有しているなど,臍帯が極めて脆弱であったことが認められる。
ウ また,本件胎児には足首に1回臍帯が巻絡していたことが認められたところ(前記1(1)フ),臍帯巻絡が認められた症例のうち胎児仮死を引き起こす症例は,約10ないし30パーセント程度あるとの報告もある(前記前提事実(8)ク)が,弁論の全趣旨によれば,臍帯巻絡は臍帯の過長ないし活発な胎動を原因として生じるものと認められるところ,乙8,証人礒田によれば,本件胎児の臍帯の長さは通常の長さであったと認められ,また,原告夏子が被告病院に入院した時点で,胎児の児頭は頭位で固定していた(前記1(1)ア)ことからして,被告病院に入院した後に活発な胎動が存在したとは考え難い。だとすれば,本件胎児に生じていた足首への臍帯巻絡は,メトロを挿入する前から発生していたものと推認するのが相当である(このことは,証人Aも認めている)。
したがって,メトロ挿入前からの臍帯巻絡による臍帯圧迫が本件胎児の仮死に関与していた可能性があるといえる。
エ さらに,原告夏子は,5月24日午後11時ころに,前期破水によって入院したものであるところ(前記1(1)ア),前期破水が生じた場合には,羊水の流出によって子宮腔が狭小化するため,臍帯圧迫が生じやすくなり,胎児仮死が高頻度で発症するとされている(前記前提事実(8)エ)。また,弁論の全趣旨によれば,破水によって羊水が過少な状態となれば,クッションの役割を果たす羊水が欠如しているため,臍帯が子宮壁に直接接触し,より強く圧迫されるおそれがあることが認められる。
そして,被告病院から加古川市民病院への紹介用紙の羊水過少欄にチェックが入っており(甲23),羊水過少とは,一般的に,破水などとは関係なく,妊娠の途中から羊水量が減少している場合をいう(前記1(2)イ)ことからすれば,帝王切開による本件胎児の分娩の際にも,羊水はそれほど流出しなかったものと推認される(証人Aの供述は採用できない。)。そうとすると,破水後,羊水が過少な状態が継続していたと推認するのが相当であり,本件においては,臍帯と子宮壁との間でクッションの役割を果たす羊水が欠如し,臍帯が子宮壁と直接接触することによって強く圧迫される危険性が破水後継続していたと認められる。
なお,被告は,羊水については,妊娠末期の羊水の生産量が1日あたり450ミリリットルから1000ミリリットルであること(前記前提事実(8)ケ),メトロの挿入により羊水の貯留効果が認められること(前記前提事実(8)カ(ウ))などから,メトロ挿入後の子宮内環境は安定しており,臍帯の圧迫はなかった旨主張し,小辻鑑定書上もこれに沿う記載がある。しかしながら,原告夏子は,5月24日午後10時25分ころに前期破水し(前記1(1)ア),被告病院に入院した後も羊水の流出が続いていたこと(原告夏子本人),そして,メトロが注入されたのが破水後9時間以上経過した5月25日午前7時40分ころであったこと(前記1(1)カ),羊水の主たる産生源が胎児の尿であるのに対し,その主たる消費源が胎児による嚥下であること(前記前提事実(8)ケ)からすれば,メトロの挿入以降も,本件胎児の体内水分保有量が十分であったとは考え難く,本件胎児に通常の場合におけるのと同量の排尿がみられ,十分な子宮腔を確保するための羊水が産生された蓋然性は低いものと考えざるを得ず,メトロ挿入後の子宮内環境は安定しており,臍帯の圧迫はなかった旨の被告の主張は理由がない。
オ そして,5月25日午前7時40分ころに200ミリリットルの生理食塩水(滅菌水)が注入されたメトロが挿入された(前記1カ)ことにより,胎児及びメトロによって子宮壁を外側へ押し出す力が強くなったことが推認され,逆に子宮壁が内側へ向かって胎児を押し戻そうとする反発力も強まったことが推認されるから,メトロの挿入によって臍帯を圧迫する力がより強まったものと推認される。
カ そのような中で,原告夏子に,5月25日午前7時40分以降,6度にわたって投与されたPGE2の効果により陣痛が発来し始め,同日午後0時55分に投与されたPGE2の効果が現れ始めた同日午後2時過ぎころ(前記1(1)ツ)以降,最も強い陣痛が現れていたものと推認することができる。
キ ところで,胎児仮死の発生機序は,通常の場合,<1>ノンリアクティブ(一過性頻脈が消失し,刺激によってもリアクティブとならない場合)から<2>持続性頻脈,軽度変動一過性徐脈,持続的な胎児心拍数基線細変動の減少がみられる場合に胎児仮死が疑われ,<3>高度徐脈の持続,遅発一過性徐脈,高度変動一過性徐脈,胎児心拍数基線細変動の消失がみられる場合には,胎児仮死状態に陥ったものとされる。そして,遷延性徐脈が認められるに至り,重度の胎児仮死に陥ったものと判断されることになる。そしてまた,分娩時の胎児仮死の原因としては,臍帯圧迫が生じている場合には変動一過性徐脈が生じるとされている(前記前提事実(8)ウ(イ)(ウ))。
本件では,乙5の3によれば,分娩監視装置によって胎児心拍数が記録され始めた5月25日午後3時30分以降,同日午後3時33分から34分にかけて一時的に胎児心拍数が改善したほかは,100bpm以下の徐脈が続いており,遷延性徐脈の状態に陥っていたと認められ(前記前提事実(6)ア(イ)a,(6)イ(イ)b及び(8)ウ(ア)c),したがって,この時点では重度の胎児仮死状態に陥っていたものと認められる。だとすれば,上記胎児仮死の発生機序からは,胎児仮死徴候が現れ始めてから,長時間にわたって臍帯が圧迫されていたものと推認することができる。
ク さらに,臍帯一動脈欠損が認められる場合には,血行状態が悪化し,低酸素血症などの障害が生じることが考えられるとされるところ,実際の症例の報告によれば,先天奇形が存する場合や子宮内発育不全の場合には,死亡率が高いものと認められるが,先天奇形が存せず,臍帯一動脈欠損のみが認められる場合には,特に異常なく分娩している(前記前提事実(8)キ(ア)(イ))。
そして,本件においては,本件胎児に奇形などの異常は認められておらず,また,体重も在胎40週の胎児としては,下限に近いものの子宮内発育不全もみられなかったものであり(前記1(2)ア),妊娠期間を通じて順調に成長してきたものと推認される。そしてまた,臍帯一動脈欠損の事例においても異常なく分娩している事例も少なくないこと(証人石田)からすれば,本件においては,急激な経過ではなく,上記キのとおり,通常の経過を経て胎児仮死に至ったものと推認することができる。ただ,体重が正常範囲内の下限に近かったことからすれば,分娩時に近づくにつれ,循環機能の低下が徐々に進行していたものと推認することもできる。
ケ 加えて,メトロが脱出して胎児心拍数が一旦徐脈状態となった後,一時的に改善しており(前記1(1)ナ),その時点では循環状態か完全に途絶していたのではなく,わずかながらも維持されていたものと推認される。また,5月25日午後3時30分ころに酸素投与及び体位変換が施されているところ(前記1(1)ニ),その後に胎児心拍数が一時的に回復していることからすれば,臍帯内の血管における血流が弱いながらも維持されていたものと推認される。
コ その上,乙5の3によれば,同日午後3時34分ころから陣痛が弱くなり始め,同日午後3時35分以降午後3時38分ころまで胎児心拍数が80bpmから100bpmへとわずかながらも改善していることが認められ,この時点に至っても臍帯内の血管における血流が残存していたものと推認される。
サ しかも,本件胎児の分娩後の状態は,発育不全等が特に認められなかったにもかかわらず,アプガースコアが0と極めて重度の仮死状態に陥っていたものであり(前記1(1)フ及び(2)ア),かかる胎児の状態からは,長時間にわたって循環不全状態にさらされていたものと推認される。
シ そして,本件では,陣痛発来後,過強陣痛などの急激な臍帯圧迫要因が生じたとの事情は証拠上認められず,弁論の全趣旨によれば,田中鑑定書の記載内容は信用することができる上,A医師や石田医師も徐々に胎児仮死状態に陥った可能性もあるとの証言をしている。
ス 以上の諸事情を総合すれば,本件においては,陣痛が発来し始める以前から,本件胎児の循環機能が臍帯の異常によって弱まり始めていたものの,臍帯への圧迫が弱かったため,臍帯内の血流を上昇させることによって循環機能を維持することができていたが,陣痛が発来し始めた時点から臍帯への圧迫が徐々に強まり,最も陣痛が強まった5月25日午後2時30分ころの時点において臍帯に強い圧迫が加わった結果,メトロが脱出した同日午後3時28分ころの時点では,本件胎児が仮死状態に陥っていたとの経過が,高度の蓋然性をもって認められるというべきである。
(3) 被告の主張及び小辻鑑定書の検討
ア これに対し,被告は,<1>5月25日午後2時50分に胎児心拍数が150bpmと測定されたこと,同日午後3時30分ころに胎児心拍数が一時的に回復したことを理由として,本件胎児の胎児仮死が,メトロ脱出後急激に臍帯血流が途絶し,発症したものであること,<2>その原因としては,臍帯下垂ないしこれに近い状態(潜在的臍帯下垂),分娩に際しての臍帯の緊張,
イ しかしながら,臍帯下垂ないしこれに近い状態(潜在的臍帯下垂)については,そもそも原告夏子が被告病院に入院した5月24日午後11時ころの被告の診察によって,本件胎児の児頭が頭位で骨盤内に固定していることが確認されており(前記1(1)ア),それ以降の時点において臍帯が下垂して骨盤と児頭との間に挟まる間隙が存在した可能性は低いといえる。また,本件では,臍帯巻絡が確認されており,臍帯が過長であったなどの事情は認められないことから,臍帯下垂ないしこれに近い状態が発生する可能性も低かったと認められる。そして,乙5の1によれば,被告病院に入院した際に分娩監視装置によって測定された胎児心拍数曲線上は,胎児心拍数基線細変動が認められるとともに,一過性頻脈も認められることから,その時点での本件胎児の状態は正常であったと認められるのであり,かかる胎児の状態からすれば,児頭が骨盤内で固定する以前に臍帯下垂ないしこれに近い状態が発生して臍帯が圧迫されていたとの事実も認められない。
したがって,本件において,臍帯下垂ないしこれに近い状態が発生したと認めることはできない。
ウ また,分娩に際しての臍帯の緊張は,通常の分娩でも当然生じるものであると考えられるから,これをもってメトロの脱出後急激に胎児仮死に陥ったとの原因たりえないというべきである。
エ(ア) なお,メトロの脱出時に伴う子宮容量の縮小による臍帯の圧迫については,小辻鑑定書によっても裏付けられている。
また,本件においては,臍帯の周囲に新鮮な血腫が生じていたところ(前記前提事実(5)),その形成過程は,臍帯の圧迫に対し,循環機構を維持するために血圧の上昇で対処していたものの,より強度な圧迫が加わったために,循環を維持しようとしてさらに上昇した血圧に血管が耐えきれなくなって破れ,出血した血液が固まって生じたというものであり,血腫の存在によってさらに循環を阻害する結果となったものと推認される(証人礒田)。そして,証人礒田はかかる血腫の形成時期について,分娩の直前であると供述するところ,かかる供述が真実であるとすれば,分娩の直前に形成された血腫によってさらに臍帯が圧迫されるということになり,急激に胎児仮死状態に陥ったとの推論に沿うものである。
だとすれば,メトロの脱出時に伴う子宮容量の縮小による臍帯の圧迫により,急激な胎児仮死状態に陥ったとの主張も一定の合理性を有しているかもしれない。
(イ) しかしながら,確かに,メトロが脱出すると子宮容量が減少すると考えられないではないが,同時に注入したメトロの容積分の物体が子宮腔から消失するのであり,伸展した子宮壁が直ちに元通りに戻るものとは考え難く,メトロの脱出の前後で臍帯に対する圧迫の程度に著しい差異があることについては疑いを容れないではない。実際,文献によれば,メトロの脱出により陣痛が急激に弱まるとされている(前記前提事実(8)カ(イ))ところである。
さらに,酸素投与及び体位変換が行われた後,5月25日午後3時32分から同日午後3時33分にかけて胎児心拍数が改善し,すぐに低下していることについて,被告は,改善の前後では,酸素投与及び体位変換が行われた以外に何らの事情の変化もなく,にもかかわらず徐脈状態に戻るのは,急激な胎児仮死状態に陥る場合にしかみられないと主張するが,乙5の3によれば,同日午後3時33分ころから陣痛が発来していることが認められ,その圧迫によって臍帯内の血管が圧迫され,循環が阻害されたとも考えられるから,かかる事実をもってしても,本件胎児がメトロ脱出時に急激に胎児仮死状態に陥ったことの証左とみることはできない。
加えて,5月25日午後2時50分ころにおける胎児心拍数が150bpmであったとの事実についても,その測定方法は,原告夏子の胎児心拍数をドプラーで約10秒間測定したところ,25回であったことから,これを6倍し,1分間当たりの心拍数が150回程度であると判断したというものであって(前記(1)ト),わずか約10秒間測定したにすぎず,その正確性には疑問がある上,胎児心拍数の変化を把握することができないことから,それによっても胎児が健康であったことの証左とは認め難い(変動一過性徐脈の場合にも,正常な脈拍数は当然に出現する。)。
その上,血腫の形成時期についても,証人礒田によれば,血腫の原因となる出血については,ホルマリン漬けがなされた時点から24時間以内に生じたものであることが認められ,乙4によれば,採取された時期については5月25日との記載しかないことが認められることからすれば,臍帯の血管が破れて出血した時刻及び血腫が形成された時刻がメトロの脱出の前後のいずれかであるかを決することはできず,新鮮な血腫の存在をもってしても,メトロの脱出によって急激に胎児仮死状態に陥ったとの事実を裏付けるには不十分である。
(ウ) 以上検討したとおり,本件においては,メトロの脱出に伴う子宮容量の減少により,臍帯に対する圧迫が強まった可能性を否定できないものの,メトロの脱出前は健康であった本件胎児が,メトロの脱出によって急激に胎児仮死状態に陥ったとまでは認めることができず,メトロの脱出前に既に胎児仮死徴候が現れていたところに,子宮容量の減少による圧迫が加わって,胎児仮死状態が重度のものに増悪したとの蓋然性の方がより高いということができる。
よって,被告の主張は理由がない。
(4) 小括
以上のとおり,本件胎児は,メトロが脱出した5月25日午後3時28分より前の時点で既に胎児仮死状態に陥っていたと認めるのが相当であり(それが不可逆的なものであったとまで認めるに足りる証拠はない。),その原因は,メトロの挿入やPGE2の投与によって発来した陣痛によって,脆弱であった臍帯が圧迫されたことによると認めるのが相当である。
3 争点2(経過観察義務違反の有無)について
(1) そもそも,産科医療においては,胎児や母体に異常が出現した場合,異常を察知してから数分ないし10数分の間に的確に対処する必要があるとされている。そして,母児の生死に関わったり大きな障害を引き起こすような危機は,陣痛開始後,産褥に至るまでの時期に生じることが多いことから,分娩第1期においては,胎児心拍数,リズムなどを経時的にチェックし,分娩の進行に伴い,より頻回にチェックすべきであるとされており,胎児仮死発症の診断法としては,分娩監視装置があれば連続的監視が可能であり最も望ましいものとされている(前記前提事実(8)ア及びイ)。
そして,経過観察中に,胎児仮死の徴候である遅発一過性徐脈や変動一過性徐脈を認めたときは,母体の体位変換,酸素吸入,陣痛抑制などの経母体治療を行い,それでも仮死所見が不変もしくは増悪するときは,急速遂娩を要するものとされている(前記前提事実(8)イ及びウ(キ))。
特に,前期破水が生じた場合には,前記2(1)エのとおり,胎児仮死が高頻度で発症する危険があるとされている。
また,本件では分娩誘発法としてPGE2の投与がなされ,さらに,滅菌水を200ミリリットル注入したメトロが使用されているところ(前記1(1)カ,同キ,同コ,同シ,同ソ及び同チ),PGE2を投与した場合には,過強陣痛とそれによる子宮破裂,頚管裂傷,羊水塞栓,弛緩出血,胎児仮死など重大な副作用が生ずることがあるとされ,また,同薬剤は内服用であり,点滴注射に比べ調節性に乏しいことから,常時,母体及び胎児の状態を監視できるときに使用するものとされ(前記前提事実(8)オ),同薬剤の添付文書においても,冒頭部分に分娩監視装置等を用いて十分な監視のもとで使用することと記載され,使用上の注意欄にもPGE2が点滴注射剤に比べ,調節性に欠けるので,原則として妊娠母体及び胎児の状態を分娩監視装置により常時監視できる条件下で使用することと記載されている。そして,日母の定義上は上記「分娩監視装置等を用いて」との記載の意味は,分娩監視装置を用いることが望ましいが,使用しないときでも,それに近い状態で頻繁に胎児心拍を観察し,子宮収縮を確認するという意味であるとされている(前記前提事実(7)ア)。
さらに,メトロを使用する場合についても,頭位の場合,150ミリリットルを超える滅菌水を注入しなければ,臍帯下垂の心配はないとされているが,200ミリリットルないし250ミリリットルの滅菌水を注入した場合には,臍帯脱出や臍帯下垂が発生したとの報告例があり,しかも,前期破水の場合は,臍帯脱出など万が一に備えてPGE2の内服など他の方法とするとされ,原則としてメトロを使用すべきではないとされており(前記前提事実(8)カ(ア)及び(イ)),メトロの添付文書においても,頭位の場合は,注入量が多いと臍帯脱出や体位変換が助長されるので,150ミリリットルくらいの滅菌水を注入することとされている(前記前提事実(7)イ)。
そうすると,本件においては,本来行うべきでない前期破水例において,頭位の場合であるのに,臍帯脱出や体位変換が助長されやすい200ミリリットルの滅菌水を注入したメトロを使用したものであるから,臍帯脱出や臍帯下垂による仮死状態が出現した際に直ちに対応できるよう,より厳重に胎児の状態を観察すべき義務があったといえる。
すなわち,本件においては,臍帯脱出や臍帯下垂,もしくは過強陣痛などにより胎児仮死が出現する危険性が極めて高かったということができるから,被告は,原告夏子の母体及び胎児の状態について厳重に監視すべき義務を負っていたというべきであり,原則として,分娩監視装置によって経時的に監視する義務を負っていたというべきである。
しかも,被告病院には,分娩監視装置が設置されていたのであるから,これを装着することについて何らの支障もなかったと認められるし,また,5月25日午後2時ころ以降,原告夏子とは別に2人の産婦が分娩するなど,被告病院内が極めて慌ただしい状態であったことからすれば,ドプラーによって頻回に胎児心拍数を測定するとの方法によって胎児の状態を監視することは,およそ不可能であることは十分に予見することが可能であったといえ,だとすれば,原告夏子に対しては,分娩監視装置を装着して記録をグラフに打ち出し,間欠的にでも胎児心拍数曲線の状態を確認すれば,胎児の状態をより正確に把握することができ,胎児仮死徴候が現れた際にも,より早期にそれを発見して,対応することができたということができる。
以上からすれば,本件においては,被告は,原告夏子に対し,遅くともPGE2の効果により陣痛が最も強まったと推認される5月25日午後2時過ぎ以降は,分娩監視装置を装着して胎児の状態を経時的に観察する義務を負っていたというべきである。
なお,被告は,分娩監視装置を装着することは当時必ずしも義務づけられていなかったこと,同装置の装着により母体の可動が制約されるとの負担があることから,その装着は医師の裁量に委ねられる旨主張するが,本件においては,上記のとおり,胎児仮死が発生する危険性が極めて高かったといえるから,そのようなリスクと母体の負担を比較考慮すると,本件では胎児仮死の発生を防止すべく,母体に可動の自由の制約を課してでも分娩監視装置を装着する義務があったというべきであって,これを行わなかった被告は明らかに裁量を誤ったものというほかなく,被告の主張は理由がない。
(2) しかして,被告病院においては,5月25日午前11時05分に陣痛間隔を確認した後,同日3時28分ころにメトロが脱出するまで,同日2時50分にドプラーで胎児心拍数を測定したことが1回あった以外には,分娩監視装置の装着はおろか,ドプラーによる胎児心拍数の測定がなされた事実さえも認められず,かかる経過観察が上記(1)の義務に違反することは明らかである。
そして,原告夏子に対する厳重な経過観察が行われなかった結果,遅くともメトロが脱出するまでに発生していたと推認される胎児仮死徴候の発生に気づくことができず,メトロの脱出によって胎児仮死状態が不可逆的なものとなり,秋子に出生後自発呼吸ができないほどの不可逆的かつ重篤な脳障害(低酸素性虚血性脳症)を発生させたと認めるのが相当である。
仮に,5月25日午後2時過ぎ以降に原告夏子に対して分娩監視装置が装着されていれば,より早期に変動一過性徐脈が現れ,しばらく経過観察がなされた後に本件胎児に不可逆的な異変が発生したことに気づくことができたはずである。その時点がいつであるかを確定することはできないが,同日午後3時30分過ぎに遷延性徐脈が出現したことからすると,少なくとも数十分程度はより早期に本件胎児に不可逆的な異変が発生したことに気づき,上記経母体治療ないし急速遂娩を行って,その時点まで順調に成長していた本件胎児に出生後重篤な脳障害が生じさせることを防止できたものと推認することができる。この点,確かに厳密にいかなる時点までに胎児仮死徴候を発見していれば重篤な脳障害の発生を防止することができたかは必ずしも明らかではないが,その原因は原告夏子に対する厳重な経過観察を怠ったという被告の過失によるものであり,かかる場合に真偽不明の不利益を原告らに負担させることは条理上許されないことから,本件においては,被告の過失と出生後に秋子に生じた重篤な脳障害との間には因果関係が認められるものと判断すべきである。
(3) 被告の過失と秋子の死亡との因果関係
前記1(2)エによれば,秋子は,出生後も低酸素性虚血性脳症によって脳の一部が壊死したことにより,自発呼吸ができず,人工呼吸器を外すことができないでいたため,気道を確保するために気管内挿管を行ったものの,挿管部分から細菌が侵入したために肺炎に罹患して死亡したものである。そして,証人石田によれば,秋子は重症の子供が多数在室している部屋に在室しており,二次的に感染する危険が高く,しかも気管内挿管を行っていたために細菌が気管の中に定着してしまうことにより細菌に感染する危険が高かったものの,自発呼吸をすることができない状態であったことから,気管内挿管を行うことはやむを得ない措置であったことが認められる。
以上の事実からすれば,秋子に出生後低酸素性虚血性脳症が生じたことと,肺炎による死亡との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。
そうすると,本件胎児の状態についての経過観察を怠った被告の過失と秋子に出生後生じた低酸素性虚血性脳症との間の因果関係及び上記脳障害と死亡との間の因果関係をいずれも認めることができるから,結局,被告の過失と秋子の死亡との間には因果関係があるというべきである。
(4) 小括
以上のとおり,被告の過失と秋子の死亡との間には因果関係が認められるから,被告は,秋子が死亡したことによって生じた損害を賠償する義務を負うというべきである。
4 争点5(損害額)について
(1) 秋子の損害
ア 逸失利益 1887万7912円
前記前提事実(4)のとおり,秋子は,平成9年7月16日に死亡したものであるところ,平成9年度賃金センサスの産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者・全年齢平均年収額は340万2100円であるから,生活費控除を30パーセント,稼働可能期間を18歳から67歳まで49年間とし,死亡時の年齢1歳から67歳までの66年に対応するライプニッツ係数19.2010から稼働開始時の18歳までの17年に対応するライプニッツ係数11.2740を差し引いた7.927により中間利息を控除すると逸失利益は1887万7912円となる(1円未満切り捨て)。
イ 慰謝料
秋子の死亡時の年齢,注意義務違反の態様,出生後死亡までの症状の経過,家族関係その他本件に現れた一切の事情を総合すれば,秋子が被った精神的苦痛に対する慰謝料としては,1800万円が相当であると認められる。
ウ 相続
原告らは秋子の父母であるところ,秋子が平成9年7月16日に死亡したことにより,原告らが相続により上記秋子の損害賠償請求権をそれぞれ2分の1ずつ相続したことが認められる(1843万8956円)。
(2) 原告らの損害
ア 慰謝料 各200万円
上記(1)イと同様に,本件に現れた一切の事情を総合すれば,原告らの慰謝料は,それぞれ各200万円であると認めるのが相当である。
イ 葬祭費(原告春男の損害) 40万円
弁論の全趣旨によれば,原告春男は,秋子の葬儀費用として,少なくとも40万円を下らない額の金員を支出したものと認められる。
ウ 弁護士費用
本件訴訟の難易,認容額その他本件訴訟に現れた一切の事情を総合すれば,被告の過失と相当因果関係のある損害として認められる弁護士費用は,原告らそれぞれについて200万円をもって相当と認める。
5 結論
以上のとおり,被告は,使用者責任に基づき,原告春男に対し2283万8956円,原告夏子に対し2243万8956円及びそれぞれに対する不法行為日(秋子の死亡日である平成9年7月16日を遅延損害金の起算日とするのが相当である。)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金について,これを賠償する義務を負うというべきである。
6 結語
以上の次第で,原告らの請求は主文掲記の限度で理由があるから認容し,その余の請求は理由がないからいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,64条を,仮執行宣言につき同法259条1項を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 前坂光雄 裁判官 野中百合子 裁判官 窪田俊秀)
別紙診療経過一覧表<省略>