神戸地方裁判所 平成11年(行ウ)3号 判決 2002年6月11日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告が原告に対し平成7年12月27日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による障害給付を支給する旨の処分を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告がその就業場所から帰宅する途中に交通事故に遭い,労災保険法による障害給付の請求をしたところ,被告が原告の後遺障害の程度は同法施行規則別表第一障害等級表に定める障害等級(以下「障害等級」という。)第12級の12(局部にがん固な神経症状を残すもの)に該当するものと認定し,同等級に応ずる障害給付を支給する旨の処分(以下「本件処分」という。)をしたのに対し,原告がその後遺障害の程度は少なくとも障害等級第5級の1の2(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの)に該当すると主張して,本件処分の取消しを求める事案である。
1 争いのない事実
(1) 平成2年3月9日午後10時40分ころ,兵庫県姫路市a区bc番地先交差点において,原告が保有し運転していた原動機付自転車(以下「原告車」という。)が信号待ちで停止していたところ,訴外A(以下「A」という。)が保有し運転していた軽四輪貨物自動車(以下「A車」という。)が左折した際,反対車線に進入して,原告車に正面衝突し(以下「本件事故」という。),原告が負傷した。
(2)ア 原告は,頸部捻挫,左臀部打撲・挫傷,腰部打撲症の各傷害を負った。
イ 医療法人味木会太子病院(以下「太子病院」という。)の医師B(以下「B」という。)作成の平成3年6月17日付け自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙27)の傷病名欄には,外傷性頸椎椎間板傷害,頭部外傷後遺障害と記載されている。
ウ 国立姫路病院(以下「姫路病院」という。)の医師C(以下「C」という。)作成の平成4年2月21日付け自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙29)の傷病名欄には,左外傷性肩関節拘縮と記載されている。
エ C作成の平成5年2月26日付け障害診断書(乙30)の傷病名欄には,左大腿部挫傷と記載されている。
オ 医療法人ひまわり会八家病院(以下「八家病院」という。)の医師D(以下「D」という。)作成の平成6年5月16日付け自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙31)の傷病名欄には,左上下肢知覚運(動)不全麻痺と記載されている
(3) 原告は,次のとおり,入通院をした。
ア 坂本病院
平成2年3月10から平成3年3月11まで 通院(実日数296日)
同年2月23日から同年3月11日まで 入院(17日間)
イ 太子病院
① 同月12日から同年6月5日まで 入院(86日間)
② 同月7日から同月17日まで 通院(実日数5日)
ウ 八家病院
① 平成4年8月22日から同月28日まで 通院
② 同月29日から同年10月30日まで 入院
③ 同月31日から平成5年1月27日まで 通院
④ 同日から同月28日まで 入院
⑤ 同月29日から同年4月8日まで 通院
⑥ 同月9日から同年5月1日まで 入院
⑦ 同月2日から平成6年5月16日まで 通院
(入通院の日数を合算すると,入院88日間,通院実日数256日となる。)
(4)ア 坂本病院の医師E(以下「E」という。)は,原告の後遺障害について,次のとおり診断した。
① 左手握力低下。握力右33キログラム,左10キログラム。
② 日常・運動時の頭頸部痛,左肩痛,腰部痛。
③ 左上下肢しびれ感,知覚障害,左上下肢腱反射減弱。
④ 頸椎・左肩関節運動障害。
頸椎運動障害は,前屈~40度,後屈~20度,右屈~40度,左屈~40度,右回旋~40度,左回旋~40度。
左肩関節機能障害は,屈曲で他動90度,自動80度,伸展で他動30度,自動30度,外転で他動90度,自動70度,外旋で他動60度,自動50度,内旋で他動60度,自動50度。
イ 太子病院のBは,原告の後遺障害について,次のとおり診断した。
① 握力右40キログラム,左5キログラム。
② 左肩~上肢のしびれ,疼痛。左下肢の軽度の麻痺。
③ 頸部痛及び運動障害。
頸部運動障害は,前屈60度,後屈30度,右屈45度,左屈30度,右旋50度,左旋50度。
左肩関節機能障害は,前方挙上自動90度,他動90度,側方挙上自動90度,他動90度。
ウ 姫路病院のCは,原告の後遺障害について,次のとおり診断した。
① 左肩~上肢痛。
② 左肩運動制限。
屈曲で自動60度,他動65度,伸展で自動15度,他動20度,外転で自動75度,他動75度,外旋で自動20度,他動70度,内旋で自動90度,他動90度。
③ その余の症状は,太子病院の診断と同じである。
エ 八家病院のDは,原告の後遺障害について,次のとおり診断した。
① 握力右42キログラム,左6.0キログラム。
② 時々,頭がファーとする(1日3回位)。
頸部を前屈で20分もすると,常時,頸がファーとする。
頸部右側屈時,頸部痛あり。
③ 頸椎運動障害
前屈25度,後屈15度,右屈15度,左屈15度,右回旋40度,左回旋25度。
④ 頸部を背屈すると,左頸~肩,上肢及び左3,4,5指がしびれる。
頸部の背屈時に左上肢外側部に神経痛様しびれがあり,ぴりぴりと痛くなる。
左上下肢に外傷性の頑固なしびれがあり,左握力が極端に弱い。
左肩関節は,機能障害があり,挙上不十分であり,両上肢前方挙上90度位にて両手を合わすと,約3センチメートルの差がある(左肩関節障害の結果)。
左肩関節機能障害は,前挙で他動100度,自動95度,後挙で他動30度,自動25度,側挙で他動85度,自動80度。
⑤ 左片足立ちはほとんど不可能で,跛行を呈し,約500メートルしか歩けない。
⑥ 以上の障害は,ほとんど治癒し難く,身障者となろうとされている。
(5) 原告は,平成5年9月7日,頭部外傷,左上肢の著しい機能障害及び左下肢の軽度の機能障害の傷病名で,身体障害者福祉法に基づく身体障害者3級の障害者手帳の交付を受けた。
(6)ア 坂本病院のE作成の平成4年6月16日付け診断書(甲8の1の29頁)には,「事故以前の就労(両手,ヘルメット着用,長時間立ち仕事)は不可能と思われるが,右手のみ,ヘルメット不着用の軽作業については,就労可能と思われる。」と記載されている。
イ 原告は,本件事故前,関西製作工業有限会社(以下「関西製作工業」という。)に研磨工として勤務していた。
(7)ア 原告は,被告に対し,平成7年10月23日,労災保険法による障害給付の請求を行ったところ,被告は,原告の本件事故による後遺障害の程度は,障害等級第12級の12(局部にがん固な神経症状を残すもの)に該当するものと認定し,同年12月27日付けで,本件処分をした。
イ 原告は,本件処分を不服として,平成8年2月19日,兵庫労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが,同審査官は,平成8年6月24日,これを棄却する旨の決定をしたので,原告は,これを不服として,同年9月4日,労働保険審査会に対して再審査請求をしたが,同審査会は,平成10年10月5日付けでこれを棄却する旨の裁決をした。
2 主要な争点
(1) 頸椎椎間板障害が外傷性のものであるか,経年性のものであるか。
(2) 左肩関節拘縮の有無及び本件事故との因果関係の有無
(3) 心因性反応の有無
(4) 原告の後遺障害の程度
3 当事者の主張
(1) 頸椎椎間板障害が外傷性のものであるか,経年性のものであるか。
(原告の主張)
ア 本件事故の状況及び程度
本件事故は,Aが酒気帯び運転の状態で(甲6の3),かなりの速度を出して南進し,本件事故現場の交差点で合図も出さずに急に左折し(甲6の6),その際,速度の出しすぎから膨らんで,反対車線に進入し,信号待ちで停止していた原告車に正面衝突し,原告はその衝撃で衝突地点から約2.4メートル先にはね飛ばされ,負傷したというものである。
Aは,上記衝突時の速度について,時速約45キロメートルと供述しているものの(甲6の6),カーブが膨らんで反対車線に進入したという事故態様からみて,上記供述は信用できず,それ以上の速度を出していたとみるべきである。
さらに,略式命令の起訴状(甲6の1)において,Aの過失が「深夜で交通閑散に気を許し,減速することなく前記速度のまま右側にふくらんで左折通行した過失」と記載されていること,同年3月15日付け実況見分調書(甲6の5)添付の交通事故現場見取図にはスリップ痕の記載がないこと,同見取図のAの指示説明において,本件事故の衝撃により原告車も原告とともに約2.4メートル先にはね飛ばされたとされており,原告も被害者供述調書(甲6の6)において,「事故後,私とオートバイはとばされた」と供述していること,原告が同調書において,事故状況について,「相手の車がかなりのスピードを出して南進し,直進するのかなと思っていたところ,急に左折を始め,私の方に接近してくるため,危ないと思いましたが,どうすることもできず私のオートバイ前輪に相手の前部があたった」,「この事故の原因について思いあたる点は相手の人が黄色点滅信号で左折するに際し,徐行していなかったことだと思います。合図も出ていなかったように思います」と説明していることの諸点をも併せ考えれば,本件事故による衝撃はかなり強度のものであったと考えるべきである。
イ 原告が本件事故によって受けた衝撃の程度及び受傷部位
(ア) 上記の事故態様及び衝突地点から約2.4メートル先にはね飛ばされて道路に激突したという事実からみて,原告は,本件事故によって,全身のかなりの部分を強打したとみるのが自然である。
原告は,Aらを相手方とする債務不存在確認等請求訴訟(1審神戸地方裁判所姫路支部平成4年(ワ)第21号,同年(ワ)第378号,控訴審大阪高等裁判所平成8年(ネ)第2786号,同年(ネ)第2853号。以下,原審及び控訴審を併せて,「別訴」という。)において,本件事故によりヘルメットの角で首を打ったほか,左半身の肩,腰,足等を打撲したと供述しているが(甲24),上記の事故状況に照らして,上記供述に不自然な点はなく,むしろ,臀部もしくは腰部の打撲しかなかったという坂本病院の診断の方が不自然である(原告は,初診当時,一番痛みが激しい部分のみを訴えたとも考えられる。)。
また,原告によれば,本件事故直後からすでに腰以外に頭,首,肩,足にも痛みとしびれがあったが,夜間の11時近い時間帯でもあり,そのうち治るだろうと思って,一旦は帰宅したものの,痛みは治まらず,翌平成2年3月10日に坂本病院に通院したというのである(甲24)。
さらに,原告は,本件事故直後の同月15日付け被害者供述調書(甲6の6)において,「事故後,私とオートバイはとばされたのですが,あとのことは覚えていません。」と供述し,別訴の本人尋問において,気がついたら道路の上に転がっており,そのときにはすでに警察官が現場に来ていたとも供述しており(甲24),これらの供述からみて,原告は,本件事故後一定時間,意識障害を起こしていたと考えられる。
前記のAの無謀な運転状況及び原告が衝突地点から約2.4メートル先にはね飛ばされ,意識障害も起こしていたこと等からみて,原告が本件事故によって受けた衝撃はかなり強度のものであったことが推認されるのであり(乙35),この点からみれば,本件事故後原告に発生した様々な症状が本件事故に起因するものと解しても,少しも不自然ではない。
(イ)① 被告は,この点に関して,本件事故が当初物件事故として届出がされていたことを問題とするが,本件事故を物件事故として届け出たのは原告ではなくAであり(甲6の6),原告が本件事故の当日に怪我は大丈夫と言ったというような事実もなく(甲24),現に,原告は,夜が明けた翌同月10日に直ちに坂本病院に診療を受けに行った。
② また,被告は,本件事故直後の坂本病院における診断結果を根拠として,原告の本件事故による受傷部位は左腰部及び臀部のみであり,頸部,頭部その他の受傷はなかった旨主張する。
しかし,原告が本件事故当日から右頸部,左脚,肩等の症状があったと訴えていたことは前記のとおりである。
仮に,これらの症状が坂本病院診療録記載の日時に初めて生じたものであるとしても,そのことだけでこれらの症状が本件事故とは無関係のものであるということはできない。この点については,Eも,本件事故に起因する症状が10日程度で出てきてもおかしくはない旨証言している(甲21)。
書籍「交通事故訴訟の理論と展望」の抜粋の写し(甲3)においても,症状発現の時期が多様なのが本損傷(むち打ち損傷)の特徴であり,問題を複雑にしていると指摘されている。事故と症状発現時期との間に多少のずれがあっても,そのことはなんら事故と症状との因果関係を否定する証明となるものではない。
ウ 頸部の症状
(ア) 坂本病院の診断結果
右頸部等の症状の出現後,坂本病院において,同月30日に頸椎レントゲン撮影がされたが,その結果は,坂本病院診療録(甲8の2)においては,異常なしとされている。
しかし,異常なしというのは,いかなる変形も生じていないという趣旨ではない。第4ないし第6頸椎に変形が認められることはEも別訴における証言で認めており,ただ,Eは,これを経年性の変化と見ていたのである(甲21)。しかも,Eは,別訴における証言において,上記頸椎の異常が経年性の変化によるものであるという所見を撤回するかのような証言もしている(甲22)。
また,上記レントゲン写真に頸椎の変形が認められることは,鑑定書(乙16)も認めている。
そして,Dは,上記頸椎レントゲン写真には頸椎椎間板に異常があることを指摘し,症状からみて上記異常は外傷性のものである旨証言している(甲26)。
このように,本件においては,上記頸椎レントゲン写真の読み取り方自体について,すでに各医師の意見が対立しているのであって,上記頸椎レントゲン写真の結果のみをもって,異常なしと簡単に認定できるようなものではない。
(イ) 太子病院,姫路病院,八家病院の各診断結果
原告がその後に入通院した太子病院の診断によれば,頸椎レントゲン写真では異常を認めなかったものの(この点では坂本病院診療録上の所見と一致する。),頸椎MRI検査の結果,C5~6を中心として,C4~5,C6~7に明らかな圧迫所見,ミエログラフィー(脊髄造影)によりC5~6に圧迫所見を認めるとされ(甲11,乙27,28),この検査結果を踏まえて,外傷性頸椎椎間板障害(ヘルニア)と診断された。
そして,この太子病院の診断内容は,後の姫路病院の診断においても(乙30),八家病院の診断においても(乙31),そのまま踏襲されており,Eを除く他の医師が一致して原告の外傷性頸椎椎間板障害(ヘルニア)を認めている。
さらに,原告の八家病院入院後の平成4年11月7日に実施された石川病院におけるMRI検査においても,「第5/6椎間板レベルで椎間板膨隆と後縦靱帯肥厚。第5/6頸髄前面で椎間板ヘルニア,印象・・・第5/6頸椎椎間板ヘルニア」の所見が得られている。
上記経過から当然推論されるべきは,もし坂本病院が当初の段階でMRI,ミエログラフィー等の検査を行っていれば(坂本病院においては,これらの検査を行っていない(甲22)。),頸椎レントゲンでは発見できなかった原告のヘルニアを発見できており(甲28),その結果,これに対する適切な治療(頸部の固定等)がされて,原告のその後の症状の悪化はある程度防げたのではないかということである。
すなわち,単純レントゲン写真では,頸椎の骨の部分しか写らず,頸椎と頸椎との間の椎間板の異常は発見しにくいからである。
Dは,原告の症状が日を追うに従って悪化していったことについて,Eの当初の措置が必ずしも十分なものではなかったことを示唆している(甲26)。また,Eも,その証言において,太子病院の検査結果のような所見が認められていたとすれば,カラー等による頸椎の固定等の措置が必要な症状であったことを認めている(甲22)。
ちなみに,書籍「交通事故訴訟の理論と展望」の抜粋の写し(甲3)及び書籍判例タイムズNo.737「むち打ち症に関する医学・工学鑑定の諸問題」の写し(甲4)においては,むち打ち損傷の難航例において,単純レントゲン写真では異常が発見できず,従来ならば他覚的所見がない心因性のものと片づけられていたものがMRI検査や脊髄造影(ミエログラフィー)の実施によって椎間板障害(ヘルニア)等の他覚的所見が発見された例について言及されているが,本件はまさにこのような事例であったのである。
エ 頸椎椎間板損傷と本件事故との因果関係
(ア) 原告に頸椎椎間板障害が存在することは,太子病院において撮影された平成3年5月18日付けミエログラフィー写真並びに石川病院において撮影された同年3月20日付けMRI写真及び平成4年11月7日付けMRI写真により明らかである(甲28)。
(イ) 現在の医学水準下においては,頸椎椎間板障害のMRI写真等からだけで,それが事故によるものか,経年性のものかを判断することは極めて困難であり,結局,障害が何の原因で,どの時点で生じたかは,症状を手掛かりに推認するしかない(甲5)。
したがって,法律的には,①事故前には無症状であった被害者が,②事故後に発症したという場合には,事故と症状との因果関係は,別途反証がない限り,「一応の推定」を受けると解すべきである(甲4)。
そして,本件事故当時,原告には既往症はなく(甲9,乙27),平成元年10月4日実施の健康診断の結果では異常なしとされ,本件事故直前である平成2年2月13日実施の検診においても,握力も左右とも正常の結果が出ていた(甲7)。
また,坂本病院診療録の写し(甲8の1)の本件事故前の記載には,本件事故後の症状とは無関係な風邪や腰痛の記載があるだけで,上肢,肩,頸部の症状は一切現れていない。
以上によれば,本件事故前には,原告には,本件事故後に現れたような症状が一切見られなかったのである。したがって,本件事故後に初めて原告に出現した頭部痛,左肩痛,腰部痛,頸椎・左肩運動障害,左上下肢シビレ感・知覚障害,左手握力低下(甲9),左下肢の軽度の麻痺,小けいれん発作(乙27),頸肩痛,左上肢の神経痛様症状,左上下肢の頑固なしびれ,左握力の極端な低下,左肩関節の機能障害,挙上不十分,左下肢跛行(乙31)等の諸症状は,本件事故に起因するものではないかと考えるのがごく自然な推論過程である(乙28,甲13,28)。
以上の事実関係の下で,原告を診察した主治医は,Eを除いて,いずれも上記頸椎椎間板障害を外傷性のものと診断している(乙27ないし29,31,甲26ないし29)。
なお,原告は,本件事故前,関西製作工業に勤務し,平成元年12月には計25日,平成2年1月には計23日,同年2月には計23日,それぞれ勤務していた(甲16)。原告が詐病により保険金の取得をもくろむような人物でないことは,このことから容易に窺える。
(ウ) また,Dは,坂本病院で撮影したレントゲン写真でも頸椎の異常が認められる,この頸椎のずれを経年性のものと考えることは無理である,このずれが「日常の体操とか運転とか,その他長年の軽い衝撃の積重ね」,「そういう日常の衝撃の積重ね」によって生じた可能性は「絶対ないとは言えない」が,「日常生活における程度の衝撃の長年における積重ね」で生じたと解するには,ずれの程度がひどすぎる,Eの見解にもかかわらず,頸椎椎間板に異常があり,これが外傷性のものであることは症状から明らかである旨証言しており(甲26),主として症状の程度を根拠として,原告の頸椎の異常は経年性のものではなく,事故による外傷性のものであるとの見解を明確にしている。
Dは,考えられる椎間板障害の発症の原因として,車による事故及び転落事故等不意打ちの頭頸部外傷又はジェットコースターの急停車などを挙げている(甲14の2)。原告の発症について,上記原因にあてはまるのは,本件事故以外に存しない。
被告は,Dの証言は信用できないと決めつけているが,Dは,長年の経験を有する整形外科の専門医であり,特にむち打ち症については6000例に及ぶ治療経験を有しているものであり(甲26),この点において,外科専攻であって,整形外科医ではないE(甲22)や法医学者であって,これまでむち打ち損傷の患者を診察したことも,むち打ち損傷や頸椎椎間板障害を専門に研究したこともない別訴の鑑定人である医師F(以下「鑑定人」という。)(甲23)とは比較にならない豊富な臨床経験を有している。
(エ) さらに,姫路病院のCも,別訴(控訴審)において,頸椎レントゲン写真,MRI写真,ミエログラフィー等の検査結果を踏まえて,坂本病院と太子病院において撮影された原告の頸椎レントゲン写真では経年性変化以外の異常は認め難いが,MRI写真,ミエログラフィー写真においては,単純レントゲン写真では発見できない頸椎椎間板障害が認められ,本件事故後に症状が発現したことから,外傷性のものと判断する旨証言している(甲28)。
なお,Cは,単純頸椎レントゲン写真について,椎間と椎間との間の間隔が狭くなっていて,そこに異常がある可能性自体は否定していないのであり,ただ,この写真だけでは椎間板に異常があるとの確定診断はできないと述べているにとどまる。このCの証言と「五と六,六と七の椎間板が狭いです。」とするDの証言とは,被告が主張するほど隔たった内容のものではない。
そもそも,MRI写真等で交通事故患者の頸椎椎間板障害が発見された場合,その障害が事故によって発症したか,それとも経年性のものであるかをその写真等だけから断定するのは,整形外科専門医であっても不可能に近い。したがって,患者の症状が事故によるものか経年性のものかを認定するためには,事故前の患者の症状の有無等に依拠して総合判断せざるを得ない。Cの診断について,本件事故前と本件事故後の症状の変化についての原告の申述から外傷性と判断したにすぎず,医学的合理性がないとする被告の主張は,原告に対して医学的に不可能な事項の立証を要求するに等しく,到底公平な主張とはいえない。
前記のとおり,本件事故前,原告には既往症はなく,本件事故後に原告に発現したような症状は一切見られなかったのである。そうだとすれば,本件事故後に現れた原告の諸症状は,本件事故に起因するものではないかと考えるのがごく自然な推論である。
また,被告は,原告がCに対して,坂本病院における愁訴とは異なる申述をしたとも主張するが,原告は,本件事故前にも坂本病院に通院し,腰痛や風邪による咽喉痛を訴えていたものの,頸部痛,肩痛等は全く訴えていなかったのに対し(甲8の1),本件事故後に頸部痛,左脚痛,肩痛が次々と発現している(甲8の2)。そして,これらの本件事故後の坂本病院における愁訴は,Cが診察した際の内容と何の齟齬もないのであって,坂本病院診療録の記載から原告の本件事故後の症状が本件事故に起因するものであることを疑わせる事情は何もない(甲29)。
(オ) そして,本件処分の再審査請求に対する平成8年労第247号裁決書謄本(甲2)においては,「請求人(原告)の頸部痛については,本件負傷により頸椎椎間板の神経根への圧迫等が生じ,神経症状が出現しているものと考えられるが,これに加え,加齢に伴う頸椎の退行性変化に起因する症状も併せて出現しているものと考えられる。」と認定されている。
上記認定中,加齢性変化に起因する症状も出現しているという部分は,原告の症状が本件事故前には一切なく,本件事故後に初めて出現していることを看過している点で不当であるが,原告の頸椎椎間板障害が本件事故による外傷性のものであることを認めている点は,これまで述べたところに照らして,正当である。
このように,本件訴訟に先立つ再審査請求においても,原告の頸椎椎間板障害が本件事故に起因するものであること自体は認定されているのである。
オ 原告の頸椎椎間板障害と他覚所見との整合性
本件事故後に原告に現れた諸症状のうち,左手のしびれ,握力低下等の諸症状は,C5/6頸椎椎間板による神経根圧迫によって発症したものである(甲28)。
原告の頸椎椎間板障害の損傷の程度自体は,軽度から中程度のものといえるが,軽度もしくは中程度でも,具体的な神経の圧迫の具合により,症状が強く出ることはあり得るから,原告に出ている重度の症状が出ても,なんら不自然ではない(甲28)。
カ 被告の主張に対する反論
(ア) 被告は,本件事故による衝撃が軽微なものであることの根拠の一つとして,衝突車両の損傷の軽微さを挙げ,原告車は前輪泥よけ部分が損傷したものの,A車には損傷がなかったことを指摘している。そして,この点は,判決(乙15)及び鑑定書(乙16)も指摘している。
鑑定書(乙16)の作成者である鑑定人は,上記鑑定書において,本件事故によるA車の損傷がないとされ,原告車の損傷が前輪泥除け損傷程度であるという一事のみを根拠に,本件事故においてA車が原告車に衝突した瞬間の速度は小さなもので,衝突による衝撃も大きなものではないという結論を導き出している。また,鑑定人は,上記鑑定書において,頸部捻挫は,頸椎に過屈曲,過伸展が生じた際に発症するとし,本件事故において原告の頸椎に生理的範囲を超えるような屈曲や伸展が強いられたことはほとんどなく,したがって,原告に頸椎捻挫が発症することもほとんどあり得ないなどとも述べている。そして,このような見解を踏まえて,「本件被告(原告)に頸椎捻挫が発症することもほとんどあり得ず」,「本件被告(原告)は,本件事故当時,少なくとも第三者から確認されるほどの意識障害を起こした事実がないのは明らか」,「本件被告(原告)は本件事故で少なくとも,後遺障害を残すほどの頭部外傷は受傷していないのは明白」,「この程度の事故で外傷性頸椎椎間板障害などは発症することはあり得ず」,「本件被告(原告)は左臀部をものすごく打った事実もなく」,「本件被告(原告)は,本件事故で左肩を強打した事実はなく」などといった帰結を次から次へと引き出している。
被告は,上記のような鑑定書(乙16)の意見をそのまま自己の意見として援用し,原告の頸椎椎間板障害は経年性変化によるもので,本件事故に起因するものではないと主張している。
このように,事故時の車両の変形状態をもとに衝突車両の速度と衝撃度を推定し,また,頭頸部に加わった外力が過屈曲,過伸展を生じるような程度のものであったか否かによって,むち打ち発生のメカニズムを捉える手法は,いわゆる賠償医学特有の「無傷限界値理論」に依拠したものである(甲4)。もっとも,本件においては,「無傷限界値理論」の前提となる工学鑑定すらされていないから,上記鑑定書は,「無傷限界値理論」の水準にすら達していないといった方が正確ではある。
しかし,賠償医学特有の「無傷限界値理論」は,人体の個別性を捨象したものであり,これを軽視した上記理論はそれだけで非科学的との批判を免れない。また,「無傷限界値理論」は,整形外科の臨床的経験にも合致しない。症状の強弱が必ずしも物損の程度と比例しない例があるからである。整形外科の立場からは,無傷限界値を定めることなど到底不可能であるとの見解が大勢である(甲4)。
(イ) また,被告は,鑑定書(乙16)に依拠して,外力によって複数の椎間板ヘルニアを発症することは通常あり得ないか又は仮にあるとしてもまれである,原告の頸椎の加齢変化は,レントゲンからも読み取れる明らかなものであることを併せ考慮すれば,原告の頸椎の変形は,加齢変化による変形性脊椎症である旨主張する。
しかし,原告の本件事故後の頸椎椎間板障害が経年性のものであるならば,本件事故前に左上肢の強い症状が発現していてしかるべきであるのに,前記のとおり,本件事故前には頸椎椎間板障害に起因する症状は一切なく,本件事故後に初めて症状が発現したのであるから,被告の上記主張は,原告の現実の症状の推移と整合しない。
そして,「外傷性椎間板ヘルニアは,通常は一箇所の椎間に起こるもので,二箇所もの椎間で同時に発症することはあり得ない。本件被告(原告)の頸椎のように,二箇所の椎間で同時に椎間板の膨隆が見られる場合は,経年性変化としての変形性椎間板症によるものである。」という鑑定人の意見は,整形外科の一般的見解に反する鑑定人独自の見解にすぎない。実際には,外傷によって2箇所で障害が起こった臨床例が報告されている(甲28)。鑑定人は,別訴において,上記見解の根拠について,「整形外科医に言わせると,それは一箇所だというんですね。」,「(それは整形外科での確定した見解なのかという趣旨の質問に対して)ええ,そう私は取ってます。」などと証言している(甲23)。しかしながら,整形外科専門医である姫路病院のC及び八家病院のDは,いずれも鑑定人の上記見解とは異なり,上記頸椎椎間板障害を外傷性のものと判定しているのである。
しかも,原告の椎間板障害は,C5~6の障害が中心であって,実質的には1箇所の障害といってもよいから,この点からしても,鑑定人の鑑定内容は的外れなものとなっている(甲28)。
Cは,原告の単純レントゲン写真に関して,頸椎の骨の形状について経年性変化が読み取れること,椎間板の異常の有無については,C5/6の間隔が狭小となっているため,椎間板の異常の推定はできるが,同写真だけでは確定的な診断はできないこと,同写真では椎間板は写らないため,椎間板の異常は発見できないことを証言している(甲28)。
上記証言によって,同写真において頸椎に経年性変化が認められるからといって,そのことだけから原告の頸椎椎間板障害が経年性のものといえないことは明らかであり(頸椎に経年性変化が生じている者が事故に遭って頸椎椎間板障害を来せば,原告のような病像になるのは当然の理である。),「原告の頸椎の加齢変化は,レントゲンからも読み取れる明らかなものであることを併せ考慮すれば,」原告の頸椎椎間板障害は経年性変化によるものと考えられるとする被告の上記主張の不当性も明らかである。
(ウ) 鑑定人は,前述のいわゆる賠償医学的見解の下に,これまで各地の交通事故損害賠償訴訟において,もっぱら保険会社側から依頼されて,保険会社に一方的に有利な鑑定書を多数作成してきたことで著名であり,書籍「交通事故紛争とむち打ち症の診断」の抜粋の写し(甲5)において,鑑定人等の実名を挙げて,「これらの者は被害者側からすると賠償医学的鑑定人グループを形成しているかの感を呈しており,また同一人が多数の鑑定書を作成している点からすると,「鑑定請負業者」ともいえる。」と評されている人物である。すなわち,鑑定人は,公平な見地から裁判所が選任した鑑定人という立場にはおよそふさわしくない人物であり,その実質は保険会社側の証人ないしは代弁者に等しい立場にあるものであって,その鑑定書(乙16)の意見は,著しく信用性を欠くものである。
(被告の主張)
ア 本件事故の状況及び程度
(ア) 原告は,本件事故によって,原告車とともにはね飛ばされた結果,転倒し,腰部を打ったが,すぐに自力で立ち上がり,「けがは大丈夫」ということで,救急車,病院受診を要請することなく,一人で帰宅した。本件事故によって,原告車の前輪泥よけ部分が損傷したものの,A車に損傷はなかった。そして,本件事故は,たまたま警察官が見ている前で起こったものであるところ,警察官は,車両の損傷の程度及び原告の対応状況から,当初は物損事故として処理した。(以上につき,乙17ないし20)
(イ) 原告は,本件事故及び負傷の状況について,衝突のはずみで原告車とともにとばされ,ヘルメットの角で首を打ったとか,肩もその際に打ったなどと供述している(甲24,原告本人)。
しかしながら,原告は,本件事故の6日後である平成2年3月15日付け被害者供述調書(乙17)において,本件事故における負傷の状況につき,「腰部を打ち,怪我をしたのです。」とのみ述べており,首や肩を打ったとは述べておらず,上記供述内容は,ずっと後になってから言い出したことにすぎない。
また,後記のとおり,原告は,当初Eに訴えた症状の内容について,Eの証言や坂本病院診療録(甲8)の記載と異なる供述をしていること,後遺症の固定診断が近づくたびに興奮状態となって,症状の増悪を訴えることを繰り返していたこと,原告は,本件事故により現在残っている症状として,本件事故とは明らかに関係のない眼や耳の症状まで訴えていること(乙39),当審における原告本人尋問のため出廷した際,裁判所内で被告指定代理人に左手でかばんを提げていたところを目撃されていながら,法廷においてはこれを否定する供述をしていること等の各事実からすれば,原告の供述は,到底信用できないものというべきである。
(ウ) 以上によれば,本件事故による衝撃も,原告が転倒した際の衝撃も,それほど大きなものではなかったし,原告が頭,首,肩を打ったという事実があったとは認められないというべきである(乙15,16)。
イ 本件事故による受傷部位及び程度
(ア) 原告は,本件事故の当日である同月9日は,けがはないと言っていたが,その翌日,Aが原告の自宅を訪ねたところ,原告は,Aに対し,腰などの調子が悪いので病院に通院する旨伝え,同日から坂本病院に継続的に通院するようになった。同病院における初診時の所見は,臀部に軽い痛み,圧痛(+-)があったのみであり,腰椎及び骨盤部のレントゲン写真は異常がなく,皮下出血や擦過傷などの打撲の痕跡もなかった。その結果,原告は,約10日間の治療を要する臀部打撲・挫傷,腰部打撲傷と診断された。なお,原告は,昭和61年ころから同病院において,時々腰痛の治療を受けていた。
(以上につき,甲21,22,乙21ないし23)
また,坂本病院のEは,「御照会」と題する書面(乙24)においても,原告の頸椎椎間板に外傷がなかった旨明確に意見している。
(イ) その後,原告は,本件事故の10日後である平成2年3月19日に初めて頸部痛を訴え,同月30日にも再度頸部痛を訴えたので,レントゲン検査が実施され,加齢変化が認められた以外に異常はなかったが,Eは,一応頸部捻挫の診断を追加した(甲21,22)。
(ウ) Eは,本件事故の約2週間後から原告に職場復帰を勧め,本件事故の半年後には原告の症状が固定していると考えていた(甲21)。
しかし,原告は,これに納得せず,Eが同年末に症状固定の診断をしようという話をしたところ,原告は,痛みの増悪やめまいなどを訴え,興奮状態となった。そのため,Eは,やむなくこれを2回延期したが,原告は,その期限が近づくたびに興奮状態で症状の増悪を訴えることが重なった。この間,Eは,原告の訴える症状が本件事故に基づくものでないことを前提とする治療を示唆したが,原告は,これを一切聞き入れることがなかった(甲22)。
3回目の症状固定の期限が近づいた平成3年2月23日には,原告は,自宅において,意識障害,構音障害,左上下肢知覚障害,尿失禁等を発症し,坂本病院に入院した(甲8の3)。
その際,Eは,脳血管障害の疑いで精査したが,異常がなく,この症状について一過性脳虚血発作として,本件事故とは関係がないと判断し,原告を退院させ,退院の日である同年3月11日に,同年2月28日付けで症状固定(治癒)と診断した。Eは,前記の症状経過から,原告の症状には心因性に基づくものが存在することを指摘している(乙24)。また,鑑定書(乙16)も同旨である。
(以上につき,甲21,22,乙16,24,35)
原告は,上記退院の翌日である同年3月12日,太子病院に入院し,その後,姫路病院,八家病院において,転々と長期にわたり,入通院を繰り返した。
(エ) 以上のような本件事故の状況並びに本件事故後1年間の原告の症状及び治療経過等を総合すれば,原告が本件事故によって受傷したのは,左臀部と腰部の軽い打撲であったものというべきであり,仮に頸部の症状があったとしても,軽い頸椎捻挫にとどまったものというべきである。
ウ 頸部の受傷の有無
(ア) 原告は,本件事故により,外傷性頸椎椎間板障害を負い,これにより様々な神経症状が生じたと主張する。
(イ) しかしながら,原告が首を打ったとする供述が信用し難いのは,前記ア(イ)のとおりであり,本件事故の状況は,前記ア(ア)のとおりであって,椎間板障害を生じるような強い外力が原告の頸部に加わったものとは考え難い。
(ウ) また,原告は,坂本病院における受診当初から首が腫れており,これをEに訴えたが,取り合ってくれなかったなどと供述しているところ,Eは,これを否定しており,明らかな症状があるのに,医師がこれを無視し,診療録にも記載しないことは通常考えられないこと,Eは,原告が後に頸部痛を訴えた際には直ちに診療録に記載していることなどの事実に照らし,Eの証言は信用できるものであって,これに反する原告の供述は信用できないというべきである。
(エ) 原告の頸椎の異常については,各医師によって,見解が分かれているが,レントゲン検査等によっても,原告の頸椎には明らかに加齢による変形が認められ,これを否定する見解はない(乙16,甲21,22,28)。原告については,MRI,ミエログラフィーによる検査が実施されているが,これらの検査結果に基づき,いずれの医師も,原告の頸椎については,複数の椎間に異常所見が認められるとしている(甲29,乙16,26ないし28,31)。
外力によって,複数の椎間板ヘルニアを発症することは,通常あり得ない(乙16,甲23)か又は仮にあるとしてもまれである(乙29)ことからすれば,上記椎間板の障害が外傷によるものである可能性は低いものというべきであり,これが外傷性である蓋然性は認められないというべきである。
また,原告の頸椎の加齢変化は,レントゲンからも読み取れる明らかなものであることを併せ考慮すれば,むしろ,原告の頸椎の変形は,加齢変化による変形性脊椎症であると認められるというべきである。
(オ) 原告の頸椎の変形を外傷性であるとした診断は,いずれも本件事故の状況や本件事故後1年間の原告の心身の症状,治療の経緯等を知らないでしたもので,原告本人の言い分をそのまま真実として,それのみを根拠に診断したものであって,信用性がないものというべきである。
すなわち,太子病院の医師G(以下「G」という。)は,診断書(乙28)において,上記症状が本件事故によるものか否かについて,「(肩関節拘縮の所見も含め)今回受傷した以前は上記症状が無かったとのことで,これを信ずるなら今回受傷により症状発現をみたと思われる。」と記載している。このことから,「外傷性」という判断は,単に原告の申述に基づいてされたことが窺える。
また,姫路病院のCも,自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙29)において,「頭部外傷後遺障害」と「外傷性頸椎椎間板障害」の診断名に「太子病院傷病名」とわざわざ付記していることからすると,姫路病院において改めて検査をし,診断したのではなく,太子病院の診断名をそのまま踏襲したものと考えられる。
Cは,障害診断書(乙30)においては,5欄の「4(傷病名を指す。)の原因」を「交通事故」としながらも,その根拠として,「医師確定」欄を丸で囲むのではなく,「患者申告」欄を丸で囲んでいることからすれば,外傷性か否かの判断及び本件事故との因果関係の判断は,臨床医学的に行ったものではなく,原告の申告に基づくものであることが明らかである。
なお,上記診断書(乙30)には,「左大腿部挫傷」の傷病名が付加されているが,そもそも挫傷程度の傷病が負傷してから2年近くも残存していることは通常考えられず,原告の申告のみによって付した診断名であることを強く推認できる(さらにいえば,原告は,本件事故により左大腿部を受傷していないから,これは原告の記憶違いである。)。
さらに,Cは,坂本病院における診療経過を知らなかったことを自ら証言している(甲29)。
そして,原告の供述の信用性,坂本病院における診療経過は,前記アイのとおりであり,また,原告主張の症状の存在自体疑わしいことは後記のとおりであって,原告の供述する症状等のみに依拠した診断が信頼できないことは明らかである。
なお,Cは,原告の椎間板の変化は実質的には1箇所とみてよく,外傷性であることと矛盾しない旨の供述をしているが,これは,同人自身,原告の複数の椎間に変形がみられると診断していることと矛盾するばかりでなく,仮に,同人の指摘するC5~6間の異常が外傷性であるとすれば,それ以外の椎間の異常は加齢によるものであるという趣旨の供述と理解するほかないが,同人は,程度の違いにすぎない複数の椎間の異常が,あるものは外傷性で,あるものは加齢によるものであると区別できるとする根拠を何ら述べておらず,そのような医学的根拠もなんら見あたらないから,同人の上記見解は採用できないものというべきである。
(カ) 以上の各事実によれば,原告の椎間板の変化は,経年性変化によって生じた「変形性椎間板症」と判断すべきであり,「外傷性頸椎椎間板障害」とは認められないというべきである(乙16)。
エ 原告の主張に対する反論
(ア) 原告は,原告の症状がむち打ち損傷の難航例に該当すると主張する。
しかし,外傷性頸部症候群(いわゆるむち打ち損傷)は,まず頭頸部が過伸展し,次の瞬間には過屈曲が起こり,その結果,頸部の筋肉,靱帯,椎間板,血管,神経などの組織が損傷されるという機序で発症するものであるところ(乙40),前記のとおり,本件事故の状況からみて,上記の受傷機転のような状況は存在せず,原告がむち打ち損傷を受けたとは考えられない。
仮に,原告が頸部に何らかの衝撃を受けたとしても,ごく軽度のものにすぎず,むち打ち損傷を前提として,その難航例であるという原告の主張には理由がない。
なお,原告が引用している文献(甲3)においても,「重症はその場で頸部痛,四肢への放散痛,脱力を発症し,なかには下肢の運動麻痺まで出て骨傷なき頸髄損傷を疑わせるものがある」,「直後からの発症は長期化,難航化しやすい傾向がある。」,「一〇日過ぎてから頸部疼痛が出てくるのは滅多にない。」と記載されている。
(イ) 原告は,原告の頸椎椎間板障害が本件事故に起因するものであると主張し,別訴において,八家病院のDが「坂本病院で撮影したレントゲン写真でも頸椎の異常が認められる」,この頸椎のずれを「「日常生活における程度の衝撃の長年における積重ね」で生じたと解するには,ずれの程度がひどすぎる」旨証言したことや「これが外傷性のものであることは症状から明らかである」旨証言したことを援用している。
しかし,単純レントゲン写真に加齢的な変化以上の異常が認められないことは証拠上明らかであり(乙16,26,27,35),このことは姫路病院のCも認めているところである。
加えて,Dが原告の頸椎の変化を外傷性であるとする証言は,医学的根拠が明確ではなく,そもそも信用できない。
また,原告は,Cが別訴において,MRI写真,ミエログラフィー写真においては,単純頸椎レントゲン写真では発見できない頸椎椎間板障害が認められ,本件事故後に症状が発現したことから,外傷性のものと判断する旨証言したことも援用している。
しかし,Cは,本件事故の受傷機転から上記症状が医学的に合理的なものであると判断したのではなく,ただ本件事故前と本件事故後の症状の変化についての原告の申述から上記のように判断したにすぎず,原告の主張の裏付けとはなり得ない。しかも,原告は,Cに対し,坂本病院における愁訴とは異なる申述をしているのであって(甲29),これがCの判断に影響を与えたものと考えられる。
(2) 左肩関節拘縮の有無及び本件事故との因果関係の有無。
(原告の主張)
ア 原告の左肩の症状(運動制限)については,姫路病院において,平成4年2月13日付けで左肩関節造影術(関節造影のレントゲン写真)が施行されて左肩関節拘縮と診断され,原告の左肩運動制限は,外傷性関節炎の結果,関節包の狭小拘縮に起因するものと診断された(乙29)。
具体的には,原告の頸椎椎間板障害に基づく肩の痛みから,肩の運動が十分に行われず,このために肩関節の拘縮を生じ,その結果として,肩の運動機能制限に至ったものである(甲28)。
そして,肩の痛みによって運動が十分に行われず,その結果として運動機能制限に至ることは,本件事故による頸椎椎間板障害の帰結として,通常起こり得る事態といえるから,結局,原告の左肩運動機能制限の症状も,本件事故と相当因果関係の範囲内にある後遺障害であるというべきである。
イ この点について,被告は,E及び鑑定人の各意見に依拠して,原告の肩の症状は五十肩によるものである旨主張するが,五十肩の場合に痛みが続くのは,長くても1ないし2年程度であるのに,原告の痛みは,異常に長期間持続していることから,原告の肩の症状が五十肩によるものでないことは,その症状自体から明白である(甲28)。
ウ Eは,左肩の症状について,左肩関節造影術はおろか,レントゲン検査すら行っていない。したがって,他覚的所見も得られるはずがない。Eは,単純に症状が一致するからというだけの理由で,原告の左肩の症状を経年性変化による肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)と診断したにすぎないのである(甲22)。
エ 被告は,原告が左肩部痛を訴えたのは,平成2年5月29日からであるとのEの回答を根拠に,原告の左肩関節受傷を否定している。
しかし,坂本病院診療録(甲8の2)には,本件事故直後の同年3月22日に「肩痛」の記載が出ている。また,Eは,同診療録の同年4月9日欄の「頸痛 強直」の記載は肩凝りの意味であると説明している(甲22)。さらに,Eは,「三月から大体症状がずっと続いてるわけですね。肩の痛み,首の痛み,それは同じような状態で」とも証言している(甲22)。
前記のとおり,Eは,原告の肩の痛みの訴えに対して,五十肩と速断して,原告の訴えに取り合わなかった。「そういう判断をして患者さんにそういう話をすると,結局,事故としか結びつけられないので,一応治療は同じなので,一応対症療法で経過を見たということですよね。」というEの証言(甲22)のニュアンスからは,同人が原告の訴えを,症状を大げさに訴えているものと捉えて,多分に聞き流していた経過が窺える。このことは,原告の肩以外の他の症状についても同様である。したがって,坂本病院診療録には,原告が通院時にEに訴えていたこと全てが記載されているかどうかは甚だ疑問であり,Eが経年性もしくは心因性のものと理解した訴えは記載されないままに聞き流されていた可能性が高い。被告や鑑定書は,坂本病院診療録の記載を根拠に,原告の症状の心因性を云々しているが,同診療録自体,原告の症状を心因性のものと疑っていたEの先入見の下に書かれたものであることを看過してはならない。
また,被告は,原告の肩の症状が平成3年2月の意識消失発作の際の外傷によるものであるかもしれない旨主張するが,前記のとおり,原告の肩の症状がすでに本件事故直後の平成2年3月22日から発現していたことを無視した議論である。
オ 被告は,兵庫労働基準局地方労災医員のH(以下「H」という。)が平成4年8月28日撮影のレントゲン写真及び同年5月2日撮影の造影写真のいずれにも異常所見なしと判定していることを根拠に,原告の左肩の症状は本件事故に起因するものではないと主張する。
しかし,Hの意見書(乙26)の記載は,どの診療機関のどのような検査結果を指しているのか判然としない上,「造影所見(姫路国立病院)」という記載が前述の同年2月13日付け左肩関節造影レントゲン写真を指すのだとすれば,主治医のCの所見に反するもので,到底信用できない。
(被告の主張)
ア 原告は,平成4年2月13日に受診した姫路病院において左外傷性肩関節拘縮と診断された(甲12)とし,Cが別訴において,その原因は,頸椎椎間板障害による肩の痛みのため,肩の運動が制限され,その結果,関節包が収縮したものである旨証言したことを援用し,これが本件事故により生じた後遺障害であると主張する。
イ しかし,前記(1)アのとおり,本件事故の状況に照らし,原告が左肩や頸部を受傷した事実はないというべきである。
また,前記(1)イのとおり,原告は,本件事故の翌日から受診した坂本病院においても,当初全く症状を訴えていない。
原告が肩痛を訴えたのは,本件事故の13日後の平成2年3月22日が最初で,その後は,それから更に2か月余後の同年5月29日である。その後は,同年6月30日で,左肩痛が頻繁に訴えられるようになったのは,Eから症状固定を示唆された後である同年11月半ばすぎころからである(甲8の2)。
原告が症状を訴えるに至った上記経緯や原告の供述の信用性について述べた上記各事実を総合すると,そもそも原告にそのような症状があるのかどうかは疑わしいものといわなければならない。
ウ Cは,平成4年2月13日,左肩関節造影術を施行し,肩関節腔の狭小化を認め,左外傷性肩関節拘縮と診断している(乙29,30)。
しかしながら,上記診断は,本件事故から2年近く経った後の時点において,本件事故の状況や坂本病院における治療経過を知らず,原告の言い分をうのみにして,それのみを根拠に診断されたものであって,到底採用することができないものというべきである。
Cは,原告が本件事故の約1年後である平成3年2月23日に意識消失発作により転倒したときの肩の外傷によるものかもしれない旨証言している。したがって,仮に上記撮影日時の時点において左肩関節拘縮の症状が認められるとしても,それにより上記症状と本件事故との因果関係が明らかになるものではない。
なお,Dは,レントゲン所見で左肩鎖関節亜脱臼と診断している(乙31)。
しかし,仮に本件事故により左肩が亜脱臼したのであれば,受傷直後に強い痛みなどの症状が出現するはずであるところ,そのような症状は全くなかったのであり,また,同人以外の医師は,いずれも前記の診断をしていないのであるから,本件事故により左肩を亜脱臼したとの診断は到底採用できるものではない。
一方,Eは,原告を長期間継続して診察した経緯を踏まえて,姫路病院において「外傷性左肩拘縮」とされた症状は,経年性の肩関節周囲炎(五十肩)に随伴する症状であると診断しており,上記に述べた事情を総合すれば,同人の見解が相当であるというべきである。
(以上につき,甲21,22,乙16)
エ なお,Hは,平成4年8月28日撮影のレントゲン写真及び同年5月2日撮影の造影写真のいずれにも異常所見はなく,左肩関節の障害は,今次外傷に起因する補償の対象とはなり得ないと判断している(乙26)。
(3) 心因性反応の有無。
(原告の主張)
ア 被告は,坂本病院における診療経過を主たる根拠として,原告の症状の大部分は心因性反応によるものである旨主張する。
しかし,従来,症状が「心因性」,「詐病性」のものとされたのは,患者の多様な訴えがあっても,これに対応する他覚的所見がない場合を指していたはずである。本件のように,坂本病院以外の医療機関において,原告の訴えに対応する他覚的所見が次から次へと発見されているのに,なおかつ,症状が心因性のものであるなどと決めつけるというのは,心因性概念の途方もない濫用である。
イ 前記のとおり,太子病院及び石川病院において,頸椎椎間板障害の所見が得られたし,姫路病院において,左肩関節拘縮が発見され,太子病院において,頭部外傷性後遺障害(脳挫創后)と診断された。
以上のとおり,本件事故後に出現した原告の諸症状には,いずれも検査によって明らかにされた他覚的所見の裏付けが得られている。
ウ また,Eは,別訴において,初診の段階で原告の頸椎MRI写真に見られる圧迫所見があった場合,かなり強い左上肢の症状が出てくると思う旨の意見を述べた後,「頸椎の椎間板ヘルニアというのは外傷が原因でできることも多いから,それが原因で後で少しずつ出てくるような場合としては,初めに症状がない可能性もあるかも分かりません。」と証言している(甲21)。すなわち,Eは,MRIの所見と原告が訴えている左上肢の強い症状(握力の極端な低下やしびれ)が符合する(したがって,原告の左上肢の症状は,真実のもので,心因性のものではない。)旨明確に述べている。
原告のMRI写真で確認できる圧迫所見は,かなり顕著なものである。原告の症状が心因性のものであるとする被告の主張は,このような明確な客観的所見を無視するものである。
エ 被告は,Eが本件事故後2週間目から就労指導を始めたことを根拠に,原告の症状は心因性のものである旨主張する。
しかし,Eは,回答書(乙36)において,原告の症状が強くて就労ができなかったことを明らかにしている。要するに,Eの就労指導は,原告の症状を十分に把握しないままにされた,早きに失したものでしかなく,この就労指導の存在をもって,原告の症状が心因性のものとするのは,本末転倒である。
オ また,原告は,坂本病院通院中の平成2年6月22日にめまいの症状が現れており,その後次第にめまいの訴えの回数と程度を増して,平成3年2月23日の意識障害に至った(甲8の1,2)。
被告は,Eが同年2月末日を症状固定日として予定していたこととの関連性を問題としているが,上記のとおり,原告の上記症状は,同月23日に突然出現したものではなく,それ以前から出現していたものであり,したがって,症状固定日予定日との直接の関連はないものである。
カ 被告は,原告の症状が心因性のものであることの根拠として,太子病院におけるスパーリングテスト等の検査結果を援用している。
しかし,姫路病院におけるスパーリングテスト等の検査結果が原告の訴える症状と整合している(甲28)ことは,被告が自認しているとおりであるし,何よりも,被告の主張は,MRI検査によって明確に認められている頸椎椎間板障害の他覚的所見を無視する暴論である。
キ 被告は,Cも原告が訴えている頸部から左肩,左上肢についての障害について,頸神経根が圧迫されていることが直接の原因であるとは述べていないとするが,Cが頸椎椎間板障害との直接の因果関係に消極的な見解を述べているのは,後遺障害診断書(甲9)に記載されている人体図のうちの頭部・顔面にかかる症状についてであって,問題になっている頸部から左肩,左上肢についてまで否定しているものではない。
(被告の主張)
ア 原告の上肢腱反射の検査結果は,各病院によって一定していない。すなわち,姫路病院においては,スパーリングテスト(+),上肢腱反射低下とされているが,太子病院においては,左上肢腱反射亢進とされたり,上肢腱反射は異常ないとか,左右とも低下とされたりしており,まちまちである(甲10ないし12)。
そして,下肢腱反射については,HもCもほとんど異常ないと診断している。
しかし,頸椎の椎間板膨隆で上下肢に症状を起こすのであれば,頸髄の圧迫によるものであるから,上下肢の腱反射は亢進するはずであるが,原告の上記症状はこれと矛盾する(乙16)。
イ 次に,原告の下肢に神経症状が出る場合,両足に出ることが通常であり,原告に好意的な診断をしているCでさえ,左だけに出て,右に出ないことは,医学的に説明がつかないと供述している(甲28)。
なお,左下肢のしびれは,変形性脊椎症によって起こることも考えられるが,原告の腰椎には退行性変性の所見が認められるものの軽度であり(乙26),左下肢のしびれの原因を腰椎の変形性脊椎症とすることもできない(乙16)。
ウ また,Dは,第5ないし第7頸椎周辺からの頸神経と原告の訴える症状が合致するとするが,同人が聞いた原告の訴えは,左上肢前後面全体に知覚鈍麻としびれがあるというものであり,上記症状は,第5頸椎神経ないし第2胸椎神経の麻痺であるから,神経の部位と症状が合致しない(乙16)。
さらに,Cは,原告の訴える頭部から左肩,左上肢全体にかけての知覚障害や麻痺(甲9)について,頸神経根が圧迫されていることが直接の原因であるとは述べていない(甲29)。
以上のとおり,原告が頸椎椎間板障害によると主張している症状については,頸神経根圧迫によるとする根拠もなく(乙16),他覚的所見が存在するとはいえない。
なお,Eは,「初診のときにMRIと同じようなものがあったとしたら,今の症状がMRIで示している症状とある程度一致してあるとすれば,初診のときに今と同じような症状があってしかるべきだと思います。」とも証言している(甲21)ところであって,仮に坂本病院における初診のときにおいて,太子病院において撮影されたMRIの所見があったとすれば,そのときにすでに症状が発現しているはずであり,原告の症状経過とは一致しないことになる。
エ 原告は,そのほか,眼や耳の症状まで訴えているが,これらと頸椎との関係がないことは明らかである(乙39)。
オ また,原告主張のその余の症状は,いずれも他覚的所見を伴わないものであって,前記(1)アイのとおり,原告の供述は信用性の乏しいものであることを考慮すれば,原告の供述のみをもって,原告主張の症状が存在すると認めるには足りないものというべきである。
カ 原告が上記症状を訴えた時期は,本件事故の直後ではなく,いずれもその後相当期間が経過した後のことである。また,前記(1)イ記載のとおり,坂本病院においては,原告の症状は軽度のものと判断し,受傷後2週間目から就労指導を始めたが,症状固定の期限が近づくにつれて,原告の愁訴も当初の内容に加え,左肩痛,めまい,頭痛,頸部の運動障害,左上下肢のしびれ,左上下肢の運動障害とかえって多様になり,しかも長期にわたっている。
原告は,本件事故直後から首の痛み,しびれ等を感じ,これをEに伝えたと供述するが,坂本病院診療録(甲8の2)上もそのような記載はなく,原告自身,本件事故後の状況,車体の状況等をあまり覚えていないにもかかわらず,首の痛みだけを強調するのはいかにも不自然である。また,原告は,坂本病院における通院歴もよく覚えていないと供述するが,同診療録によれば,本件事故の3年以上前から坂本病院において受診しており,しかも腰痛の治療を断続的に受けていたことが分かる。
このように,原告の供述は,現在の症状を全て本件事故と結びつけようとするもので,信用するに足りないというべきである。
キ そうだとすれば,原告主張の症状は存在すると認めるに足りる証拠がないというべきである。
仮に,上記症状の一部が存在するとしても,前記(1)イ(ウ)の坂本病院から退院する前後の原告の行動,状況に照らし,これは心因性のものであると考えられ,いずれにしても,本件事故との相当因果関係は存在しないものというべきである。
(4) 原告の後遺障害の程度
(原告の主張)
ア 原告の後遺障害のうち,原告の労働能力に最も影響を及ぼしているのは,左手の握力の極端な低下及び左肩運動機能制限(90度以上上がらない。)に基づく左上肢の著しい機能障害である(原告本人)。
イ この点について,E作成の平成4年6月16日付け診断書(甲8の1の29頁)においては,本件事故以前の就労(両手,ヘルメット着用,長時間立ち仕事)は不可能と思われるが,右手のみ,ヘルメット不着用の軽作業については,就労可能と思われるとされている。
また診断書(乙28)においては,左上肢を使用する労働は困難であると思われるとされている。
このように,坂本病院も含めて,原告を実際に診断した医療機関が原告の左手機能低下に伴う労働能力の顕著な低下を認めている。
ウ 原告は,本件事故前,関西製作工業圧延課研磨係に勤務し,鉄棒の一種である丸棒の傷をグラインダーという器具で削り取る仕事に従事していた。この仕事は力仕事であり,グラインダーの重さもあるため,腕や手の力が必要となる(甲24,25,原告本人)。原告は,この仕事によって,本件事故前である平成元年度は355万2572円の年収を得ていた(甲15)。
原告は,本件事故後,本件事故による症状のため,会社を休業せざるを得なかった(甲16)。その後,幾たびか就労を試みたが(甲10,25,乙36),症状が強いためにいずれも長続きせず,結局,平成4年8月25日付けをもって,就労不能の理由により勤務していた関西製作工業に解雇された(甲17)。
原告は,失業後,職業安定所に通って職を探したが(甲25),本件事故による症状により,就労が困難な状態にあるため,職を紹介してもらえなかった(甲25)。
エ 原告は,面識のあるハリマ工業株式会社(以下「ハリマ工業」という。)のI社長に声をかけられて,平成8年10月から,ハリマ工業において働き始めた。
その仕事内容は,本件事故前と同様,丸棒のグラインダーによる傷取りであった。身分はアルバイトであり,社会保険もなく,平成9年1月から同年6月までの給与額合計は38万8000円,同年10月から平成10年4月までの給与額合計は26万円にすぎなかった(甲18の1,2)。
このように,原告は,ようやく就労先を見つけることができたが,左手の握力低下のため,グラインダーを左手にひもでくくりつけて作業をしている状態であり,同社長の好意で職場に置いてもらっていたのが実情であった。
そして,この職場も,不況によって仕事が減ったことから,原告は,再び失業したため,現在は無職であり,厚生年金を受給して生活している(原告本人)。
オ 原告の後遺障害については,平成5年9月7日付けで,頭部外傷,左上肢の著しい機能障害,左下肢の軽度の機能障害の障害名で,身体障害者福祉法に基づく身体障害者3級の障害者手帳が交付された。3級認定の根拠となった障害は,左上肢の著しい機能障害である。
カ 以上のとおり,原告の後遺障害,とりわけ左手握力の極端な低下を伴う左上肢の著しい機能障害,身体障害者福祉法施行規則に基づく身体障害者3級の認定を受けていること及び本件事故前に比しての減収の程度等を考慮すれば,原告の後遺障害は,少なくとも,障害等級第5級の1の2(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの)に該当するものと解すべきである。
キ 被告は,原告の主張する握力低下は,他覚的所見とは見做し難い旨主張する。
しかし,そもそも,原告が訴えている握力の低下は,原告だけが一方的に述べ立てているものではない。各病院において原告の握力検査が行われ,それぞれの担当医によって一致して握力低下が「他覚的に」認められているのである。そして,Cは,原告が握力検査の際にわざと偽って握力を低く見せかけている素振りは見られなかったとも証言している(甲28)。しかも,本件においては,MRI,ミエログラフィー,造影術等の賠償医学的見地からしても他覚的所見と認めざるを得ない検査結果が存在しているのである。
(被告の主張)
ア 前記のとおり,原告の多様な愁訴は,頸部捻挫にかかるもの以外は,心因性反応によるものであり,本件事故との因果関係はない。
イ ただ,頸部捻挫については,本件事故の状況及び症状の経過から,受傷の事実を認めることは困難であるが,他方,頸部に全く衝撃を受けなかったとも断定しきれない。
しかし,仮に頸部を受傷したとしても,頸部捻挫は軽度であり,考えられる後遺障害は,頭痛及び頸部痛程度であると思われる(乙34)。
したがって,原告の頸部の後遺障害としては,障害等級第12級の12(局部にがん固な神経症状を残すもの)と認定すべきものであって,上記等級以上の後遺障害は存しない(乙26)。
ウ 原告は,頸椎椎間板障害により,左手の握力が低下した旨主張する。
しかし,原告の訴える左上肢のしびれや知覚鈍麻が頸神経根の圧迫によるものとする根拠はなく,原告の訴える握力低下も他覚的所見を欠くものといわざるを得ない。
加えて,現在のところ,医学的に握力障害の程度を客観的に測定することは不可能である上,握力低下は,一般に手部の神経又は筋の傷害として起こるものと考えられるので,それをもたらす神経系統の傷害や器質的・機能的傷害の評価に含まれることから,労災保険法上,握力そのものについて障害等級を定める建前にはなっていない(乙11,12)。
第3当裁判所の判断
1 頸椎椎間板障害が外傷性のものであるか,経年性のものであるか(争点(1))について
(1) 前記争いのない事実,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 原告は,本件事故前,坂本病院を受診した際,腰痛等を訴えたことはあったが,頸部,肩,上肢等の痛みを訴えたことはなかった(甲8の1)。もっとも,原告の頸椎には,第4ないし第6頸椎体の後部に軽い骨棘の形成があるなど,変形性脊椎症があった(甲21ないし23,乙16)。
イ 平成2年3月9日午後10時40分ころ,原告が就業場所から帰宅する途中,兵庫県姫路市a区bc番地先交差点において,原告車が信号待ちで停止していたところ,A車が時速約60キロメートルで南進した後,減速して時速約45キロメートルで左折した際,反対車線に進入して,原告車に正面衝突し,A車には損傷がなかったが,原告車の前輪泥よけが損傷した(甲6の1,2,4ないし6,乙17,18,20,21)。原告は,本件事故により,約2.4メートル飛ばされて転倒した(甲6の5)。なお,原告は,本件事故当時,52歳であった(甲1等)。
原告が怪我は大丈夫と言ったので,Aは,警察官に対し,本件事故を物件事故として届出をし,警察官も本件事故を物件事故として受理し,原告車及びA車の状況を確認するなどしたにとどまり,本件事故現場の実況見分は行わなかった(甲6の2,4,6,乙18,20,21)。
ところが,Aが同月10日に原告宅を訪れた際,原告が腰等の調子が悪いので通院すると言ったので,原告及びAは,同月15日,本件事故を人身事故として届出をし,その際,原告は,病名欄に「左殿部打撲・挫傷,腰部打撲症」と記載されたE作成の診断書(甲6の7,乙23)を持参した(甲6の2,6,7,乙17,21,23)。そこで,原告及びAの立会いのもと実況見分が行われ,その際,Aが指示説明をした(甲6の5)。原告は,同日の取調べの際,車に当たって転び,腰部を打ち,怪我をした旨供述した(甲6の6,乙17)。
ウ 原告は,坂本病院において,同月10日,左臀部や腰部の圧痛等を訴えたので,腰椎及び左骨盤のレントゲン検査を受けたところ,「骨折なし」と診断された。原告は,同月12日,腰痛を,同月13日,腰の疼痛をそれぞれ訴えた。原告は,同月17日まで,腰痛に対する処置を受けていた。ところが,原告は,同月19日になって,左脚痛及び頸痛を訴え,同月22日,頸痛及び腰痛のほか,肩痛を訴えた。原告は,同月30日にも,頸痛を訴えたので,頸椎のレントゲン検査を受けたが,「異常なし」と診断された。原告は,同年4月9日,頸痛,強直及び腰痛を,同月18日,頸部強直及び頭痛をそれぞれ訴えた。原告は,同月23日及び25日,同年5月2日及び7日,それぞれ頸痛を訴えた。原告は,同月10日,頸痛及び頭痛を,同月14日,後頭部痛及び頭痛を,同月15日,頭痛及び頸痛をそれぞれ訴えた。原告は,同月21日になって,頸痛のほか,知覚異常を訴え,同月29日,頸痛のほか,左肩痛を訴えた。原告は,同年6月2日,5日及び9日,それぞれ頭痛及び頸痛を訴え,同月16日,頸痛を訴えた。原告は,同月22日になって,頸痛のほか,めまいを訴えた。原告は,その後も,たびたび頸痛,肩痛,頭痛,腰痛及びめまい等を訴えた。原告は,同年9月17日になって,頸部強直のほか,左手知覚異常を訴え,同年10月12日になって,頸痛及び頭痛のほか,左上肢知覚異常を訴えた。原告は,同月13日にも,左上肢知覚異常を訴え,同月15日,全身けん怠を訴えた。原告は,その後も,たびたび頸痛,頭痛,左肩痛,左脚痛及びめまいを訴えた。原告は,同年12月22日,左脚痛,知覚異常,頭痛及び頸痛を訴えたので,頸椎及び腰椎のレントゲン検査を受けたところ,「異常なし」と診断されたが,他方,原告の握力は,右34キログラム,左12キログラムであった。原告は,その後も,たびたび頭痛,頸痛,左肩痛,左上肢知覚異常及びめまい等を訴えた。(甲8の2,甲22,乙22)
エ 坂本病院の医師Eは,平成3年3月11日,同日をもって原告の症状が固定したと診断した(甲8の1及び2,9)。E作成の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲9)の「傷病名」欄には,「腰部打撲症,左殿部打撲・挫傷,頸部捻挫」と記載され,「各部位の後遺障害の内容」の「①他覚症状および検査結果精神・神経の障害」欄には,「頸椎,腰椎,骨盤部X線検査 異常認めず」,「頸椎・左肩関節運動障害」,「左手握力低下(右33kg,左10kg)」,「左上,下肢腱反射減弱」,「左上下肢シビレ,知覚障害」,「以上,局部に頑固な神経症状あり」と記載されている(甲9)ほか,前記争いのない事実(4)アの頸椎運動障害及び左肩関節機能障害の記載がある。
オ 原告は,同月12日,太子病院に入院し,原告の訴えに基づき,外傷性頸椎椎間板障害等と診断され,また,原告の握力は,右35キログラム,左5キログラムであった(甲10)。
カ 原告は,同月20日,姫路市内の石川病院において,頭頸部のMRI検査を受けたところ,頸部のC5-6に頸部椎間板の膨隆が見られた(甲10,28,29,30の1及び2)。
キ 原告は,同年5月18日,太子病院の医師Bの依頼を受けた姫路病院の医師Cから,ミエログラフィー(脊髄造影)の検査を受けたところ,C5-6の椎間板が脊髄を圧迫している所見が見られた(甲10,28,29)。
ク Bは,同年6月17日,同日をもって原告の症状が固定したと診断した(乙27)。B作成の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙27)の「傷病名」欄には,「外傷性頸椎椎間板傷害」等と記載され,「後遺障害の内容」の「他覚症状及び検査結果」欄には,頸部について「障害の程度および内容」欄の記載を引用し,その欄には,「頸椎X-Pは異常を認めない」,「頸椎MRI C5-6を中心として C4-5 C6,7に椎間板等による明らかな圧迫所見を認める」,「ミエログラフィー C5-6に圧迫所見有り」等と記載されている(乙27)ほか,前記争いのない事実(4)イの頸椎運動障害及び左肩関節機能障害の記載がある。
ケ C作成の平成4年2月21日付け自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙29)の傷病名欄には,「太子病院傷病名」として「外傷性頸椎椎間板障害」等と記載されている(甲12,乙29)ほか,前記争いのない事実(4)ウの左肩運動制限の記載がある。
コ 原告は,同月22日,八家病院を受診し,原告の訴えに基づき,外傷性頸椎椎間板障害等と診断され,また,原告の握力は,右41キログラム,左2キログラムであった(甲13の1)。
サ 原告は,同年11月7日,石川病院において,MRI検査を受けたところ,頸部のC5-6に椎間板の障害が見られた(甲13の1,甲26ないし29)。
シ 八家病院の医師Dは,平成6年5月16日,同日をもって原告の症状が固定したと診断した(乙31)。D作成の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙31)の「傷病名」欄には,「外傷性頸椎々間板」,「左上,下肢知覚運(動)不全麻痺」等と記載され,「各部位の後遺障害の内容」の「①他覚症状および検査結果 精神・神経の障害」欄には,「左上,下肢に外傷性の頑固な痺れがあり,左握力が極端に弱い(右42kg,左6.0kg)」,「左肩関節は機能障害があり,挙上不十分であり,両上肢前方挙上90°位にて両手を合すと,約3cmの差があり(左肩関節障害)」,「頸椎3/4,4/5,5/6,6/7不安定」等と記載されている(乙31)ほか,前記争いのない事実(4)エの頸椎運動障害及び左肩関節機能障害の記載がある。
(2) 上記認定のとおり,原告は,本件事故前,頸部等の痛みを訴えたことはなかったこと,本件事故の際,A車に時速約45キロメートルで正面衝突され,約2.4メートル飛ばされて転倒したこと,本件事故の10日後から頸痛を訴え始めたこと,Eが原告につき頸部捻挫と診断したことからすると,原告は,本件事故により,その頸部になんらかの衝撃を受け,頸部捻挫の傷害を負ったものと推認することができる。
そこで問題は,頭頸部のMRI検査で頸部のC5-6に頸部椎間板の膨隆が見られ,また,ミエログラフィー(脊髄造影)の検査でC5-6の椎間板が脊髄を圧迫している所見が見られたところ,それが本件事故によるものかであるが,これらの検査は本件事故の約1年後に行われたこと,本件事故は当初物件事故として処理されたこと,原告は,その後,腰の調子が悪いと訴えたが,本件事故の10日後までは頸痛を訴えた形跡がないこと,原告が本件事故当時52歳であったこと,原告の頸椎には本件事故前から変形性脊椎症があったことからすると,原告の頸椎椎間板障害が本件事故のみによるものとは解し難い。
しかし,他方,Dは,坂本病院で平成2年3月30日に撮影した頸部のレントゲン写真を見て,椎骨の後縁線にズレがあることや椎間板が狭い部分があることを指摘していること(甲26の45頁),原告は,本件事故によって怪我をする前には変形性脊椎症があったが,頸部の痛みを訴えたことはなく,本件事故を契機に頸部の痛みを訴えるようになったこと,その後症状が遷延化していることからすると,本件事故による頸部捻挫が頸椎椎間板の変性に関与し,本件事故後の原告の頸部,背部,上肢等の症状が発症したと解するのが相当である。
(3) なお,原告は,本件事故直後からすでに首に痛みとしびれがあったと主張し,これに沿う証拠(甲24,25,原告本人)がある。
しかしながら,原告は,本件事故の翌日,Aに腰等の調子が悪いと訴え,坂本病院においても腰部等の圧痛等を訴えたが,首の痛みとしびれを訴えた形跡がないこと,本件事故の6日後の取調べの際にも腰部を打ったことについて供述したにとどまることに照らし,上記証拠(甲24,25,原告本人)は採用することができない。
したがって,原告の上記主張は理由がない。
(4) 原告は,坂本病院において,首が痛い,首が腫れている,首の後ろが熱くなっているという話をしたが,Eは,首の後ろを手で触ってくれず,取り合ってくれなかったと供述し(本人調書36,37頁),別訴においても,同様の供述をしている(甲24の29頁)。
しかしながら,上記認定のとおり,本件事故の翌日に原告の左臀部や腰部の圧痛等の訴えに応じて腰椎及び左骨盤のレントゲン検査が行われたが,頸椎のレントゲン検査が行われたのはその20日後であったこと,坂本病院診療録の写し(甲8の2)には本件事故の10日後以降たびたび「頸痛」の記載があること,それ以前には「頸痛」の記載がないところ,医師が患者の訴えがあるのにあえて診療録にそれを記載しないことは通常考えられないことやEの証拠調調書の写し(送付嘱託分)(甲21,22)に照らすと,原告の上記供述等は採用することができない。
また,原告は,別訴において,首が痛いと言い出した時期はよく覚えていないが,Eに首も痛いと軽くは言ったと供述している(甲24の16頁,甲25の13項,17項)ところ,その供述内容自体あいまいであって,他に客観的証拠はなく,原告が本件事故直後から頸痛を訴えていたことを裏付けるものとはいえない。
(5) 以上によれば,原告の頸椎椎間板障害は,既往の経年性変化に外傷が転機となり発症したと解するのが相当である。
2 左肩関節拘縮の有無及び本件事故との因果関係の有無(争点(2))について
(1) 証拠(甲12,乙29,30)によれば,原告は,平成4年2月13日,姫路病院において,左肩関節造影術を受けたところ,肩関節腔の狭小化が見られ,左外傷性肩関節拘縮と診断されたと認められるから,その当時,原告には左肩関節拘縮があったと認められる。
もっとも,H作成の意見書(乙26)には,左肩関節について,「造影所見(姫路国立病院)に於ても異常はない。」との記載があるが,前示証拠と対比すると,これだけでは上記認定を覆すに足りない。
(2)ア Cは,自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙29)の傷病名欄に「当科追加病名」として「左外傷性肩関節拘縮」と記載し,「事故との関連及び予後の所見」欄に「左肩運動制限は外傷性関節炎の結果関節包の縮小拘縮に起因するもの」と記載している(甲12,乙29)ところ,この点について,別訴において,頸椎椎間板が首から肩に行く神経を圧迫し,肩関節を動かせば痛いので,肩関節を動かさなくなったため,肩関節が縮み,左肩関節拘縮に至った旨証言する(甲28の39頁,40頁)。
同様に,Eは,別訴において,もし頸椎捻挫のようなものが長く続けば,ある程度肩の運動が制限され,肩の関節に慢性の炎症や変性が少しずつ出てきて,痛みが強く出てくるということは考えられる旨証言する(甲21の13頁,14頁,16頁)。
イ また,Cは,別訴において,原告の左肩関節拘縮が,本件事故の際,原告が肩を直接打ったことから生じた可能性も指摘している(甲29の39頁)。
ウ しかしながら,原告は,上記認定のとおり,本件事故の13日後に初めて肩痛を訴え,その次に左肩痛を訴えたのはその約2か月後であることからすると,原告が本件事故の際に左肩関節拘縮が生じるほどの衝撃を左肩に受けたかは疑わしいうえ,本件事故の約2年後に診断された原告の左肩関節拘縮と上記肩痛との結びつきや原告に左肩関節拘縮が生じるに至った具体的経過は証拠上明らかでなく,本件事故後,経年性の肩関節周囲炎(五十肩)が生じた可能性も否定することができない(甲8の1,甲21ないし23,乙16)から,原告が本件事故の際に左肩を打ったり,あるいは,原告の頸椎椎間板が首から肩に行く神経を圧迫し,肩関節を動かさなくなったため,肩関節が縮んだりした結果,原告に左肩関節拘縮が生じたとはいえない。
これに対し,原告は,Eが原告の肩痛の訴えに取り合わなかった旨主張するが,坂本病院診療録の写し(甲8の2)には本件事故の13日後以降たびたび「肩痛」の記載があること,医師が患者の訴えがあるのにあえて診療録にそれを記載しないことは通常考えられないことやEの証拠調調書の写し(送付嘱託分)(甲21,22)に照らし,原告の上記主張は理由がない。
(3) 以上によれば,原告の左肩関節拘縮による左肩運動機能制限の症状が本件事故と相当因果関係の範囲内にある後遺障害である旨の原告の主張は理由がない。
3 原告の後遺障害の程度(争点(4))について
(1) 上記1で認定したとおり,原告は,本件事故により,頸部捻挫の傷害を負い,少なくとも,それが契機となり,既往の変形性脊椎症が発症したと解される。
そして,原告の障害のうち,上記の経過で発症し得る症状とすれば,頭部痛,頸部痛,疼痛性による頸部の運動障害のほか,左上肢の症状がある。
しかし,そのうち,左上肢の症状は,受傷後比較的緩やかに発症したものであるから,その発症時期(本件事故の約半年後である平成2年9月17日)からして,上記2記載の他原因(経年性の肩関節周囲炎(五十肩))による可能性も十分に考えられ,原告には原因の特定できない左下肢の症状も認められること,原告の上記症状経過からして,原告の頸椎椎間板障害は比較的軽度のものと考えられるのに比べ,原告の握力はあまりにも大幅に低下していることからすると,左上肢の障害が本件事故による傷害のみに基づくものとの立証はないといわざるを得ない。
したがって,本件事故による頸部捻挫によって原告に左上肢の障害が生じた可能性はあるが,それが本件事故による傷害のみによるものとは考え難く,原告の頸椎椎間板障害が比較的軽度のものと考えられることからすると,本件事故による原告の頸椎椎間板障害のみによって生じ得る後遺障害の程度が障害等級第12級の12(局部にがん固な神経症状を残すもの)の域を超えるものとは考えられない。
これに対し,Cは,別訴において,原告の頸椎椎間板障害の損傷の程度は軽度から中等度というところであるが,軽度のものであっても,神経が狭いところで圧迫されれば,症状が強く出ることはあり得る旨証言する(甲28の37頁)が,これは抽象的な可能性を指摘するものにすぎず,本件がそのような場合に当たるとの確証はない。
(2) 原告は,原告の後遺障害のうち,原告の労働能力に最も影響を及ぼしているのは,左手の握力の極端な低下及び左肩運動機能制限(90度以上上がらない。)に基づく左上肢の著しい機能障害であり,原告の後遺障害は,少なくとも,障害等級第5級の1の2(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの)に該当すると主張する。
しかしながら,原告の左手の握力の低下は,Cの別訴における供述(甲28の32頁ないし37頁)によれば,原告の頸椎椎間板がその後ろに飛び出して脊髄を圧迫したことによる症状であるというのであるが,原告の頸椎椎間板障害が経年性変化に外傷が転機となり発症したものであることは上記1で説示したとおりであるし,原告の左上肢の障害が本件事故のみに起因するものでないことや,本件事故による原告の頸椎椎間板障害のみによって生じ得る後遺障害の程度が障害等級第12級の12(局部にがん固な神経症状を残すもの)の域を超えるものとは考えられないことは上記(1)で説示したとおりである。
また,原告の左肩運動機能制限が本件事故によるものであるといえないことは,上記2で説示したとおりである。
したがって,原告の上記主張は理由がない。
4 心因性反応の有無(争点(3))について
被告は,原告主張の症状が存在すると認めるに足りる証拠がなく,仮に上記症状の一部が存在するとしても,これは心因性のものであるから,いずれにしても,本件事故との相当因果関係は存在しない旨主張する。
そこで,被告の上記主張の具体的内容を検討すると,被告は,結局,本件事故と相当因果関係のない原告の症状を心因性反応であると説明しているにすぎないから,原告の症状が心因性のものであることは,本件事故と原告の症状との間の相当因果関係を否定する根拠となるものではない。そして,上記相当因果関係の有無の判断は,上記説示をもって必要かつ十分であるから,それに加えて,心因性反応の有無について判断する必要はない。
5 まとめ
以上を要するに,被告が原告の本件事故による後遺障害の程度が障害等級第12級の12に該当するものと認定して本件処分をしたのは相当であって,違法ではないというべきである。
第4結語
よって,原告の本訴請求は理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松村雅司 裁判官 水野有子 裁判官 増田純平)