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神戸地方裁判所 平成11年(行ウ)33号 判決 2001年12月03日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告が原告に対し平成10年8月19日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の各処分(以下「本件各処分」という。)をいずれも取り消す。

第2事案の概要

本件は,原告の現傷病である腰椎椎間板ヘルニアは,交通事故による業務上の負傷である旧傷病が再発したものであるとして,原告が被告に対し,労災保険法による療養補償給付及び休業補償給付の支給を求めたところ,被告が本件各処分をしたので,原告が被告に対して本件各処分の取消しを求める事案である。

1  争いのない事実等(証拠を掲記した事実以外は,当事者間に争いがない。)

(1)  原告は,神戸市a区b町c字de番地所在の訴外F株式会社(以下「会社」という。)にタクシー運転手として勤務していたが,平成8年5月25日午前3時40分ころ,客を乗せたタクシーを運転して勤務中,兵庫県明石市f町g丁目h番i号先交差点路上において,訴外A運転の軽四輪乗用自動車と出会い頭に衝突するという交通事故(以下「本件事故」という。)に遭った。

(2)  原告は,同日から,同市j町k番l号の医療法人社団G会B病院において通院治療を受け,同月30日から同年6月11日までの間,同市mn丁目o番p号の医療法人H会C病院において入院治療を受け,その後,平成9年5月3日までの間,同病院において通院治療を受けた。

B病院の医師である訴外Bは,意見書の提出書(乙2の2)において,原告の傷病名を「頚椎捻挫」と記載し,C病院の医師である訴外C(以下「C医師」という。)は,意見書の提出書(乙3の2)において,原告の傷病名を「頚部及び腰部捻挫」と,治ゆ年月日を「平成8年12月27日」とそれぞれ記載している。

(3)  原告は,平成8年9月16日まで会社を休業していたが,同月17日,職場に復帰した(乙3の2,乙21)。

(4)  原告は,自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責」という。)の損害賠償を請求したところ,後遺障害等級第14級10号の認定を受け,平成9年3月26日,75万円の損害賠償金の支払を受けた(乙4)。

(5)  原告は,平成9年12月17日から平成10年1月16日までの間,C病院において入院治療を受け,同月23日から同年3月15日までの間及び同年6月29日から同年7月20日までの間,神戸市q区r町所在のD病院において入院治療を受け,これら2回の入院の間にも,同病院において通院治療を受けた。

(6)  原告は,被告に対し,同年1月21日,障害補償給付の請求をしたところ,被告は,労災保険法施行規則14条1項別表第一に定める障害等級第14級9号(局部に神経症状を残すもの)に該当すると判断し,原告に対し,同年3月19日,同等級に応ずる障害補償給付の額から前記(4)の金額のうち逸失利益相当分を控除した37万8416円を支給した。

(7)  原告は,被告に対し,同年4月3日から同年7月31日までの間,腰痛症,頚部痛による療養補償給付の請求(同年4月23日受付,同年7月7日受付,同月31日受付及び同年6月19日受付)及び休業補償給付の請求(同年4月3日受付,同年5月12日受付,同年6月1日受付,同年7月7日受付及び同月31日受付)をしたところ,被告は,同年8月19日付けで本件各処分をし,同月21日,原告にその旨を通知した(受付日につき,乙5の1ないし3,乙6,7の1ないし5)。

被告は,本件各処分の理由として,「①旧傷病とその後に発生した傷病との間に医学上の相当因果関係が認められないこと。②旧傷病の治癒時の状態に比して,その症状が悪化していると認められないこと。③治療効果が期待できるものであると認められないこと。」と述べた。

原告は,兵庫労働者災害補償保険審査官に対し,本件各処分を不服として審査請求をしたが,同審査官は,同年10月27日,これを棄却する旨の決定をした。

原告は,労働保険審査会に対し,同年12月21日,再審査請求をした。

2  争点

(1)  現傷病と業務上の傷病である旧傷病との間に医学上の相当因果関係が存在するか否か。

(2)  治ゆ時の症状に比し現傷病の症状が増悪しているか否か。

(3)  治療効果が期待できるか否か。

3  当事者の主張

(1)  現傷病と業務上の傷病である旧傷病との間に医学上の相当因果関係が存在するか否か(争点(1))について

(原告の主張)

ア 原告は,平成8年5月25日の本件事故後,一度仕事に戻ったが,1日でとても仕事ができる状態ではないことが分かったため,同月30日,C病院に入院したが,このときの傷病名は,頚部及び腰部捻挫であった。原告は,同年6月11日に同病院を退院した後,同病院において通院治療を受けたが,同年12月27日,第6及び第7頚椎と第4及び第5腰椎に圧痛ないし叩打痛を残した状態で「治ゆ」とされた(乙1)。

イ(ア) この腰椎における痛みの原因を特定できる証拠は存在しない。しかし,腰椎椎間板ヘルニアは,腰痛の重要な原因の一つであり,臨床症状は坐骨神経痛とともに最も多いこと(乙18),理学的所見のうち脊柱所見として圧痛,叩打痛が認められること(乙17),平成10年6月8日に撮影されたMRIによって第4及び第5腰椎の間にはっきりとヘルニアが認められたこと(甲4,乙10の2)からして,原告は,本件事故によって,椎間板ヘルニアを発症した蓋然性が高い。

(イ) 被告は,交通事故によって椎間板ヘルニアを発症することは少ないとか,急激な腰痛を訴えなかったことがヘルニアを発症していないことの証左であるなどと主張するが,ヘルニアが日常生活動作やスポーツを誘因として発症することがあるなら(乙17),これらの場合を交通事故による外形力の負荷によってヘルニアが発症する場合と区別することはできず,更に,とくに誘因なく徐々に発症するヘルニアもあることから(同),ヘルニアを発症したからといって,必ずしも急激な腰痛を伴うとは限らず,被告の上記主張は理由がない。

また,被告は,原告にはラセーグ徴候がなかった(乙12の2,乙1)ので,椎間板ヘルニアは発症していなかったと主張するが,同徴候がないことがヘルニアの発症がなかったことの証明にはならない(証人C医師)。

ウ 前記アのとおり「治ゆ」と判断されたのは,C医師の医学的判断ではなく,原告が保険会社と示談をし,労災補償を受けるための方便であった(甲13に「中止」と記載されていること,同証人)。その当時,原告の首と腰の痛みは相当程度残っていたのであり(第4及び第5腰椎に痛みがあった。),その後も,C病院において「頚・腰部捻挫」の病名で治療を継続していた(乙12の4,同証人)。同病院における治療は平成9年5月3日に終了したが,原告の首と腰の痛みが治まったから治療を終了したのではなく,同病院に行っても投薬を受けるだけであったので,自分で薬を飲んで自宅で安静にしていても同じだと考えて,同病院に行かなくなっただけのことである(原告本人,乙13の1,4)。

すなわち,原告の頚部腰部痛は,平成8年12月27日に「治ゆ」とされたときから,平成9年12月12日に痛みが増悪し,再発したときまで,継続的,間歇的にあったのである。

エ 平成9年12月12日ころに再発した腰部痛の原因は,椎間板ヘルニアである(甲4)。これは,平成10年6月8日撮影のMRIの読影によって,第4及び第5腰椎の間に確認できたものであって,原告が訴えた腰部痛の明確な根拠である。

オ 一旦発症した椎間板ヘルニアの痛みが対症療法によって鎮静化し,その後,同ヘルニアを原因として痛みが再発することは,ままあることである(乙17)。

カ 以上によれば,旧傷病(本件事故による頚部・腰部捻挫)と現傷病(平成9年12月12日に発症した腰椎椎間板ヘルニア)との間には,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信をもちうる因果関係が存在する。

仮に本件事故後原告に腰椎椎間板ヘルニアがなかったとしても,痛みの発症部位が同一であること,原告は「治ゆ」と診断されたときから程度の差こそあれ同部位に継続的に腰部痛があったことなどからして,本件事故による腰部捻挫が後にヘルニア発症の一要因になった可能性を医学上否定し得ない。

(被告の主張)

ア 本件事故により腰椎椎間板ヘルニアが発症したという原告の主張は,腰椎椎間板ヘルニアの発生機序,発症に伴う症状等の医学的知見に照らして,不自然である。

すなわち,まず,腰椎椎間板ヘルニアは,腰椎部の椎間板が退行性変性を基盤として,後方又は後側方へ膨隆,脱出した状態をいうのであって(乙17),交通事故等の外傷を契機として発症することはほとんどない(乙18)。

また,腰椎椎間板ヘルニアが発症した瞬間は,ものすごい腰痛と坐骨神経痛を突然に起こし,臥床を余儀なくされる(乙19)というにもかかわらず,原告は,本件事故の約35分後ないし65分後までの,本件事故の直後に行われた実況見分に立ち会い(乙20),この間,特に激痛を訴えて救急車を呼んだということはない。

さらに,腰椎椎間板ヘルニアの主な症状は,腰痛と下肢への放散痛(坐骨神経痛)で,腰椎の可動制限が著明となり,下腿から足部にかけて筋力低下,知覚傷害を伴うことがあるというのであって(乙16,17),そのため,神経伸展試験(ラセーグテスト)においては,腰椎椎間板ヘルニア患者の実に90パーセント又はそれ以上が陽性となり,臨床上最も重要な徴候の一つとされている(乙18)。しかるに,原告は,本件事故当日に受診したB病院においては特に腰痛を訴えることもなく,腰痛に対する治療もされていない。この点,原告は,同病院において,腰が痛い旨言ったなどと供述するが,同病院における診療録(乙15)にその旨の記載が全くない以上,信用できない。また,原告は,平成8年5月30日のC病院の初診時に腰痛を訴えてはいるものの,同日に行われたラセーグテストは陰性(マイナス値)で,特に異常は認められなかった(乙12の2)うえ,その後の同年6月には,腰痛の訴えは軽減し,下肢のしびれもなく(同),同年8月には,毎夜ジョギングができるようになるほど回復し(乙12の1),同年9月からはタクシー乗務に復帰して,特に支障なくこれに従事し(乙21),同年10月以降には,腰痛の訴えすらもなくなり,こと腰痛に関しては順調に回復していったものである。なお,原告は,毎夜ジョギングしていると申告したことはないし,逆に,同年10月から同年12月までは腰が痛かった旨申告したなどと供述するが,これは,C病院における診療録(乙12の1)の記載と明らかに矛盾するものであり,原告の治療に当たったC医師が原告から申告がないことを診療録に記載するとは考えられず,原告の上記供述は信用できない。

以上の事実のほか,原告が腰椎椎間板ヘルニアが確認されたと主張するMRI検査が行われたのが,本件事故から2年余り,治ゆ(症状固定)時からは1年6か月も経過した後であることや,C医師が,治療期間中,原告に腰椎椎間板ヘルニアの発症をうかがわせるような症状は全く認めなかった旨証言していることをも併せ考えれば,診断書(乙1)貼付の付箋に,第4腰椎に叩打痛が,第5腰椎に圧痛がそれぞれ認められた旨の記載があることなどを考慮しても,原告が本件事故により腰椎椎間板ヘルニアを発症したとは認められない。

イ そして,原告に腰椎椎間板ヘルニアがあるとしても,これは加齢による退行性変性が基盤となり,自然経過によって発症したものと認めるのが相当である。

すなわち,腰椎椎間板ヘルニアは,前記のとおり,腰椎部の椎間板が退行性変性を基盤として,後方又は後側方へ膨隆,脱出した状態をいう(乙17)ところ,40歳ころの初老期以降になると,腰椎の椎間板が変性に陥ってきて,ごく些細な動作,例えば洗顔時に上体を前屈したとき,あるいはゴルフの球を拾うような動作でも発生することがあり,その年齢層に腰椎椎間板ヘルニアが多く発症する(乙19)というのである。原告は,平成9年12月12日(原告は,この時期に現傷病が「再発」したものと主張しているとうかがわれる。)当時,49歳という腰椎椎間板ヘルニアの好発年齢に属していたのであり,現に,兵庫労働基準局(当時)地方労災医員のE医師は,画像診断上,原告には頚椎にも腰椎にも著明な退行性変性の所見が認められ,愁訴はこれに起因すると考えてよい旨の意見を述べている(乙10の2)。

また,腰椎椎間板ヘルニアは,第4腰椎と第5腰椎間に最も多く発生する(乙19)が,原告が発症したと主張する腰椎椎間板ヘルニアも,この部位に発症したというのであり,腰椎椎間板ヘルニアが最も発症しやすい部位に発症したと認められるのである。

そして,前記のとおり,原告は,本件事故当初,腰痛を訴えた時期はあったものの,本件事故から5か月後の平成8年10月までには,腰痛の訴えはなくなり,こと腰痛に関しては順調に回復していったものであることや,上記MRI検査は,本件事故から2年余り,治ゆ時からは1年6か月が経過した後にされたものであることをも併せ考えれば,原告に腰椎椎間板ヘルニアがあったとしても,加齢による退行性変性が基盤となり,自然経過によって発症したものにすぎないというべきである。

ウ 以上によれば,原告に腰椎椎間板ヘルニアがあったとしても,それは,単に加齢によって自然発症したものにすぎず,それに基づく現傷病は,本件事故とは無関係のものであって,現傷病と旧傷病との間の医学上の相当因果関係は認められない(なお,C医師も,その証言において,同様の見解を示している。)。

(2)  治ゆ時の症状に比し現傷病の症状が増悪しているか否か(争点(2))について

(原告の主張)

原告は,平成9年12月12日,C病院に受診して,首と腰の痛みの増悪を訴えており(乙12の4),同月15日からは,本件事故後一旦復帰したタクシー乗務の休業を余儀なくされており(乙21),その痛みの程度は,同月17日から入院を必要とするほどであったことから,旧傷病(頚・腰部捻挫,乙1)の増悪は明白に認められる。

なお,上記入院の際の病名は,自律神経失調症などとなっているが(乙12の3),原告は,首と腰の痛みを訴え,同月13日には,同病院において整形外科の診療も受けており,同月25日には,労災へ提出する診断書の発行を同病院から受けた(乙12の4)ことからして,原告は,本件事故による頚部・腰部捻挫が再発して,痛みが増悪し,仕事もできなくなるほどの状態であり,それを理由として同病院に入院し,労災保険適用によって治療費の支払や休業補償をしてもらおうとしたが,原告の訴えは同病院に聞き入れてもらえなかったことが明らかである。

上記入院中,腰痛頚部痛のため投薬(ソレトン,ミオナール)もしており(乙12の4,証人C医師,原告本人),原告は,実際に整形外科の受診をしており(乙12の3),カルテ(同)の記載によると,同月20日の診察では腰痛と背痛がプラスになっており,平成10年1月17日には腰椎と頚椎のレントゲン写真を外来扱いで撮っていることからしても(乙12の4),原告の主張は認められるべきである。

(被告の主張)

原告は,治ゆ後である平成9年12月17日から平成10年1月16日までの間,C病院に入院して治療を受けていたが,治ゆ前から原告の頚部痛や腰痛に関して治療をしていたC医師は,原告の退院時においても,原告の頚部痛や腰痛の程度は従前と同じであり(乙12の3),その病状悪化に関しては,原告の挙措動作から判断し,その程度は不明である(乙3の2)としている。

これらの事実から,原告の現傷病が治ゆ時に比べて増悪しているとは到底認められない。

(3)  治療効果が期待できるか否か(争点(3))について

(原告の主張)

旧傷病再発後の原告の頚部・腰部痛は,治療効果が期待できるものであった。

被告は,これについて,原告が受けてきた処置が対症療法の域を出ず,その効果も上がっていないことから,治療効果が期待できるものではないと主張するが,そもそも原告の本件再発の主訴である腰痛「治療」のほとんどは,消炎処置,湿布,ホットパック,牽引,ハリ,腰痛体操,運動による腹筋・背筋の強化などの対症療法である(乙12の1,2,乙13の1ないし4,乙14,証人C医師,原告本人)。原告に限って対症療法しか受けなかったということではなく,そもそも腰痛に対する治療そのものが一般的に対症療法なのである(乙17,18)。また,本件で,原告は,日常生活が不自由になるほどの痛みがあって入院し,安静にしつつ対症療法を受けることで日常生活ができるようになって退院し,その後,通院治療によって(乙14),平成11年3月5日に再び症状固定しており(甲12),治療効果が期待できるものであったことは明白である。

(被告の主張)

原告が受けていた治療内容は,単に対症療法にすぎず,腰痛が強いときは,非ステロイド抗炎症剤の投与により,除痛効果は期待可能であると指摘されるにとどまり(乙3の2),労災保険法における「再発」の要件である治療効果とは認められない。また,C医師が診断書に「中止」と記載したのは,原告に治ゆ後も社会保険に切り替えて治療を続けたいという意思があったことから,その意をくみつつ,以後は健康保険での治療に切り替えるためであった(証人C医師)と了解可能な説明をしており,この記載のみから直ちにC医師もさらなる治療の余地を残すものと考えていたとみることはできず,治療効果が期待できなかったことは明らかである。

第3当裁判所の判断

1  事実経過

前記争いのない事実等に加え,証拠(甲4,5,11,14の1ないし9,甲18,乙1,2の2,乙3の2,乙12の1ないし4,乙13の1,2,乙15,20,21,証人C医師,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

(1)  本件事故の発生等

原告は,会社にタクシー運転手として勤務していたが,平成8年5月25日午前3時40分ころ,客を乗せたタクシーを運転して勤務中,兵庫県明石市f町g丁目h番i号先交差点路上において,訴外A運転の軽四輪乗用自動車と出会い頭に衝突するという本件事故に遭った。

原告は,本件事故の直後である同日午前4時15分ころから同日午前4時50分ころまでの間,本件事故の実況見分に立ち会い,指示説明をした。

(2)  原告の治ゆ(症状固定)に至るまでの治療経過,症状等

ア 原告は,同日午前5時10分ころ,B病院において受診し,「頚椎捻挫」と診断され,同月29日まで,同病院において通院治療を受けた。

同病院の診療録(乙15)には,腰痛に関する記載はない。

イ(ア) 原告は,同月30日,C病院において受診し,「頚部及び腰部捻挫」と診断され,同日から同年6月11日までの間,同病院において入院治療を受け,退院後も同病院において通院治療を受け,同年12月27日,治ゆ(症状固定)と診断された。

(イ) 同年5月30日,原告の腰部に叩打痛が認められたが,ラセーグ徴候は陰性であった。

原告は,C医師に対し,同年6月6日,同月7日,腰痛がましになった旨申告した。

原告は,C医師に対し,退院後である同月12日,腰がだるいと訴え,同月25日にも,腰痛を訴えたが,同年7月23日,同年8月6日,同年10月8日,腰痛がましになった旨申告した。その後,治ゆ(症状固定)と診断された同年12月27日までの間,同病院の外来診療録の写し(乙12の1)には,腰痛に関する記載はない。

診断書(乙1裏面)に貼付された原告作成の同年11月19日付け付箋には,原告の自覚症状が記載されているが,そこには,腰痛に関する記載はない。同診断書に貼付された別の付箋には,原告の第4腰椎に叩打痛が,第5腰椎に圧痛がそれぞれ認められる旨が図示されているが,他方,ラセーグ徴候は陰性であることや腰痛の悪訴がないことが記載されている。

ウ 原告は,同年9月16日まで会社を休業していたが,同月17日,タクシー運転手として職場に復帰し,治ゆ(症状固定)と診断された同年12月27日までの間,欠勤したことはなかった。

(3)  原告の治ゆ(症状固定)後の治療経過,症状等

ア 原告は,治ゆ(症状固定)と診断された平成8年12月27日以降も,平成9年5月3日までの間,引き続きC病院において健康保険により通院治療を受けた。原告は,その間,投薬を受けていたが,同病院の外来診療録の写し(乙12の4)には,腰痛に関する記載はない。

また,原告は,同年7月16日から同月26日までの間,「右頚部粉瘤」により,同病院において通院治療を受けた。その間,同病院の外来診療録の写し(乙12の4)には,腰痛に関する記載はない。

さらに,原告は,同年12月12日,「感冒,腰痛症,頚部筋膜炎」により,同病院において受診した。原告は,同日,腰痛を訴え,腰部に叩打痛が認められ,ラセーグ徴候は陽性であった。原告は,同月13日,整形外科を受診して,寒いと腰痛が出現する旨訴え,同月16日にも,腰痛を訴えた。

そして,原告は,同月17日から平成10年1月16日までの間,「自律神経失調症,高脂血症,高尿酸血症」により,同病院において入院治療を受けた。原告は,平成9年12月20日,腰痛を訴えた。また,原告は,退院後である平成10年1月17日,腰椎のレントゲン写真撮影を受けた。

イ 原告は,治ゆ(症状固定)と診断された平成8年12月27日以降も,平成9年12月15日までの間,タクシー運転手として欠勤することなく勤務したほか,公休出勤をすることもあった。

しかしながら,原告は,その後,会社を休業した。

ウ 原告は,平成10年1月23日,「腰痛症,頚部痛」により,D病院において受診し,同月24日から同年3月15日までの間,同病院において入院治療を受け,退院後,同病院において通院治療を受けた。

原告は,同年5月12日,「腰痛症」により,体幹腰椎装具の装着の必要が認められ,同月19日,同装具を装着し始めた。

同年6月8日,MRI撮影により,原告の第4及び第5腰椎間に椎間板ヘルニアが認められた。

原告は,同年6月29日から同年7月20日までの間,「頚・腰椎捻挫(椎間板ヘルニア)」により,同病院において入院治療を受け,退院後,同病院において通院治療を受けた。

(4)  損害賠償金の支払,障害補償給付の支給と本件各処分

ア 原告は,自賠責の損害賠償を請求したところ,後遺障害等級第14級10号の認定を受け,平成9年3月26日,75万円の損害賠償金の支払を受けた。

イ 原告は,被告に対し,平成10年1月21日,障害補償給付の請求をしたところ,被告は,労災保険法施行規則14条1項別表第一に定める障害等級第14級9号(局部に神経症状を残すもの)に該当すると判断し,原告に対し,同年3月19日,同等級に応ずる障害補償給付の額から前記アの金額のうち逸失利益相当分を控除した37万8416円を支給した。

ウ 原告は,被告に対し,同年4月3日から同年7月31日までの間,腰痛症,頚部痛による療養補償給付の請求(同年4月23日受付,同年7月7日受付,同月31日受付及び同年6月19日受付)及び休業補償給付の請求(同年4月3日受付,同年5月12日受付,同年6月1日受付,同年7月7日受付及び同月31日受付)をしたところ,被告は,同年8月19日付けで本件各処分をし,同月21日,原告にその旨を通知した。

被告は,本件各処分の理由として,「①旧傷病とその後に発生した傷病との間に医学上の相当因果関係が認められないこと。②旧傷病の治癒時の状態に比して,その症状が悪化していると認められないこと。③治療効果が期待できるものであると認められないこと。」と述べた。

原告は,兵庫労働者災害補償保険審査官に対し,本件各処分を不服として審査請求をしたが,同審査官は,同年10月27日,これを棄却する旨の決定をした。

原告は,労働保険審査会に対し,同年12月21日,再審査請求をした。

2  「再発」の意義

労災保険法は,労働者が業務上負傷し,又は疾病にかかった場合には,必要な療養に関し,療養補償給付を行い,労働者がその場合における療養のため,労働することができないために賃金を受けない場合には,休業補償給付を行う旨規定している(同法7条1項1号,同法12条の8第1項1号,同2号,同条2項,労働基準法(以下「労基法」という。)75条1項,同法76条1項)。療養補償給付及び休業補償給付は,業務上の傷病について療養を必要としなくなるまで,すなわち「治ゆ」の状態まで行われ,業務上の傷病が治ゆした場合に,労働者の身体に障害が存するときは,その障害の程度に応じて障害補償給付が行われる(労災保険法7条1項1号,同法12条の8第1項3号,同2項,労基法77条)。上記の「治ゆ」とは,業務上の傷病を負う前と同じ健康状態に戻ったことを意味する「完治」を指すものではなく,症状が安定して医療効果が期待し得ない状態になったこと,すなわち「症状固定」の状態をいうものと解される。

もっとも,業務上の傷病が一旦治ゆしたと認定された後,これが再発して,再び療養を必要とするに至った場合には,労災保険法による療養補償給付及び休業補償給付を行う必要がある。

そして,「再発」が治ゆによって一旦消滅した労災保険法による療養補償給付義務及び休業補償給付義務を再び発生させるものであることや上記の「治ゆ」の定義からみて,「再発」とは,①現傷病と業務上の傷病である旧傷病との間に医学上の相当因果関係が存在し,②治ゆ時の症状に比し現傷病の症状が増悪しており,かつ,③治療効果が期待できるものをいうものと解される。

そこで,上記の見地に立って,以下検討する。

3  現傷病と業務上の傷病である旧傷病との間に医学上の相当因果関係が存在するか否か(争点(1))について

(1)  前記認定のとおり,平成10年6月8日,MRI撮影により,原告の第4及び第5腰椎間に椎間板ヘルニアが認められた(以下「本件現傷病」という。)。

そこで,本件現傷病と本件事故による原告の業務上の負傷(以下「本件旧傷病」という。)との間に医学上の相当因果関係が存在するか否かについて検討する。

(2)  まず,腰椎椎間板ヘルニアは,腰椎部の椎間板が通常退行性変性を基盤として,後方又は後側方へ膨隆,脱出した状態をいうところ(乙17),これは,日常生活動作が誘因となって発症することが多く,本件のような交通事故等の外傷を契機として発症することはほとんどないとされている(乙18)。

また,腰椎椎間板ヘルニアが発症した当時は,ものすごい腰痛と坐骨神経痛を突然に起こし,臥床を余儀なくされるところ(乙19),前記認定のとおり,原告は,本件事故の直後である平成8年5月25日午前4時15分ころから同日午前4時50分ころまでの間,本件事故の実況見分に立ち会い,指示説明をしたし,その後受診したB病院においては,「頚椎捻挫」と診断され,腰痛を訴えた形跡がみられない。

さらに,腰椎椎間板ヘルニアの臨床症状は,腰痛と坐骨神経痛が最も多く,また,椎間板ヘルニア患者の90パーセント以上は,神経伸展試験(ラセーグテスト)において,ラセーグ徴候が陽性となるから,これは臨床上最も重要な徴候の一つとされているところ(乙18),前記認定のとおり,原告は,C病院において受診した同月30日,「頚部及び腰部捻挫」と診断され,原告の腰部に叩打痛が認められたが,ラセーグ徴候は陰性であった。その後,原告は,腰痛を訴えたことはあったが,たびたび腰痛がましになったと申告し,同年10月9日から治ゆ(症状固定)と診断された同年12月27日までの間,原告が腰痛を訴えた形跡がみられない。加えて,原告は,同年9月16日まで会社を休業していたが,同月17日,腰部に負担のかかるタクシー運転手として職場に復帰し,治ゆ(症状固定)と診断された同年12月27日までの間,欠勤したことはなかった。

そして,前記認定のとおり,本件事故から約2年が経過した平成10年6月8日,MRI撮影により,原告の第4及び第5腰椎間に椎間板ヘルニアが認められたところ,原告は,平成9年12月12日,腰痛を訴え,腰部に叩打痛が認められ,ラセーグ徴候は陽性であったから,その後の治療経過や症状をも併せ考慮すると,そのころ,腰椎椎間板ヘルニアを発症したものと認められるが,その時点において,治ゆ(症状固定)と診断されたときから約1年が経過していたし,それまでの約7か月間,原告は,腰痛により病院において受診したことはなかった(原告が「右頚部粉瘤」によりC病院において通院治療を受けた際に,腰痛を訴えた形跡がみられない。)。また,原告は,治ゆ(症状固定)と診断された平成8年12月27日以降も,平成9年12月15日までの間,それまでと同様に,タクシー運転手として欠勤することなく勤務していた。

以上によれば,本件旧傷病(腰部捻挫すなわち第4腰椎の叩打痛及び第5腰椎の圧痛,乙1)が本件現傷病と同じ腰椎椎間板ヘルニアであったと認めることはできないし,本件旧傷病である腰部捻挫が誘因となって本件現傷病である腰椎椎間板ヘルニアが発症したと認めることもできない。

以上に加えて更に検討すると,40歳ころの初老期以降になると,腰椎の椎間板が変性に陥ってきて,ごく些細な動作でも腰椎椎間板ヘルニアを発症することがあり,腰椎椎間板ヘルニアはこの年齢層に多くみられるところ(乙19),原告は,本件現傷病を発症したと認められる平成9年12月12日ころ,49歳であったことや,E医師が画像診断上腰椎に著明な退行性変性の所見が認められる旨の意見を述べていること(乙10の2)からすると,むしろ,本件現傷病は,加齢による退行性変性を基盤として発症したものであることが窺われる。

(3)ア  これに対し,原告は,交通事故によって椎間板ヘルニアを発症することはほとんどないことや,急激な腰痛を訴えなかったことに関して,ヘルニアが日常生活動作やスポーツを誘因として発症することがあるなら(乙17),これらの場合を交通事故による外形力の負荷によってヘルニアが発症する場合と区別することはできず,更に,とくに誘因なく徐々に発症するヘルニアもあることから(同),ヘルニアを発症したからといって,必ずしも急激な腰痛を伴うとは限らないと主張する。

しかしながら,日常生活動作やスポーツは自発的な動作であるから,これらが誘因となる場合を交通事故等の外力が誘因となる場合と区別することは,それなりの合理性を有する。また,原告は,本件事故を誘因として腰椎椎間板ヘルニアが発症したと主張しているにもかかわらず,本件現傷病が「とくに誘因なく徐々に発症するヘルニア」であることを前提とする主張もしており,原告の主張には矛盾がみられる。

したがって,原告の上記主張は,採用することができない。

イ  また,ラセーグ徴候が陰性であったからといって,直ちに腰椎椎間板ヘルニアの発症がなかったと断言することができないのは,原告の主張するとおりであるが,他方,前記のとおり,ラセーグ徴候が腰椎椎間板ヘルニアの臨床上最も重要な徴候の一つであることは否定することができないから,ラセーグ徴候が陰性であったことは,本件旧傷病が腰椎椎間板ヘルニアであったか否かに関する重要な判断要素の一つであるというべきである。

ウ  次に,原告は,原告の腰部痛は,平成8年12月27日に「治ゆ」とされたときから,平成9年12月12日に痛みが増悪し,再発したときまで,継続的,間歇的にあったと主張する。

しかしながら,前記のとおり,原告は,本件事故の直後に腰痛を訴えた形跡がみられないし,C病院において受診した平成8年5月30日以降,腰痛を訴えたことはあったが,たびたび腰痛がましになったと申告し,同年10月9日から治ゆ(症状固定)と診断された同年12月27日までの間,原告が腰痛を訴えた形跡がみられないことからすると,原告の腰痛は徐々に回復していったものと考えられ,本件旧傷病が発症したと認められる同年5月25日から本件現傷病が発症したと認められる平成9年12月12日ころまでの間,原告の腰痛が継続していたとは認め難いものというべきである。

これに反する原告の供述は,診療録等の前掲各証拠,ことに診断書(乙1裏面)に貼付された原告作成の付箋に腰痛に関する記載がないことに照らし,採用することができない。

また,第4腰椎の叩打痛と第5腰椎の圧痛が継続していたとしても,これらは腰椎椎間板ヘルニアに特有の症状ではないことからすると,この点を重視することはできない。

なお,平成8年12月27日付け診断書の写し(甲13)において,「治ゆ」ではなく,「中止」に丸印が記載されているのは,原告がその後も健康保険により治療を受けられるようにするためであり(証人C医師),このことからC医師が将来の再発を予測していたということはできない。

エ  さらに,原告は,本件現傷病と本件旧傷病の発症部位が同一であることを指摘するが,本件現傷病である腰椎椎間板ヘルニアが発症した第4及び第5腰椎間は,腰椎椎間板ヘルニアが最も多く発生する部位であること(乙19)からすると,発症部位が同一であることから直ちに本件現傷病と本件事故との因果関係を肯認する理由とはなり得ない。

オ  そして,原告は,一旦発症した椎間板ヘルニアの痛みが対症療法によって鎮静化し,その後,同ヘルニアを原因として痛みが再発することは,ままあることであると主張するが,本件旧傷病が腰椎椎間板ヘルニアであったと認めることができないのは前記のとおりである。

(4)  D病院の医師である訴外Dは,被保険者症状調査票の写し(甲18)において,本件事故による腰椎捻挫と椎間板ヘルニアとの関係について尋ねられたのに対し,「腰椎捻挫にてヘルニアの悪化を来した事は否定できない。」との意見を記載し,同病院の医師である訴外Fも,「意見書の提出について」と題する書面(乙9の2)において,「原傷病との因果関係がないとは言えない。」との意見を記載しているが,これらは,医学上の客観的な根拠が明らかでないばかりか,前示のとおり,因果関係を否定する知見も存することからすると,同医師らの意見のみから因果関係を肯定することはできないし,他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(5)  したがって,本件現傷病と本件旧傷病との間に医学上の相当因果関係が存在すると認めることはできない。

4  結論

そうすると,その余の点について判断するまでもなく,本件現傷病が本件旧傷病の「再発」に該当するとはいえないから,原告の労災保険法による療養補償給付の請求及び休業補償給付の請求はいずれもその支給要件を欠くものとして,これらを支給しない旨の本件各処分は相当であって,違法ではないというべきである。

第4結語

よって,原告の本訴請求は,いずれも理由がないからこれらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松村雅司 裁判官 水野有子 裁判官 増田純平)

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