神戸地方裁判所 平成11年(行ウ)40号 判決 2003年10月03日
主文
1 被告が平成10年2月3日付けで原告に対し行った,原告の平成6年分,8年分の各所得税更正及び過少申告加算税賦課決定のうち,所得金額を平成6年分について505万3429円,平成8年分について500万1832円として計算した額を超える部分をいずれも取り消す。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1原告の請求
被告が平成10年2月3日付けで原告に対し行った,原告の平成6年分,8年分の各所得税更正決定のうち,所得金額を平成6年分について505万円,平成8年分について500万円として計算した額を超える部分,及びこれに対する過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。
第2事案の概要
1 事案の骨子
本件は,塗装工事業を営む白色申告事業者である原告が,平成6年分及び平成8年分の所得税について,被告に確定申告をしたところ,被告が,原告の売上金額を基に,同業者比率によって特前所得金額を推計して原告の事業所得金額を算出し,更正及び過少申告加算税賦課決定をしたので,原告が,推計の必要性も合理性もなく,被告が推計によって算出した事業所得金額は実際の事業所得金額を上回っているとして,その実額を主張し,上記各課税処分の取消しを求めた事案である。
2 前提となる事実
(括弧内に証拠等の記載がなければ,当事者間に争いのない事実である。)
(1) 原告
原告は,A塗装工業所の屋号で塗装工事業を営む白色申告事業者である。
(2) 確定申告
原告は,平成6年分及び平成8年分(以下「本件係争年分」という。)の所得税につき,被告に対し,別表1「確定申告」欄記載のとおり確定申告をした。
(3) 更正処分等
これに対し,被告は,平成10年2月3日付けで,原告に対し,本件係争年分の所得税について,別表1「更正処分等」欄記載のとおり,更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分をした(以下「本件各処分」という。)。
(4) 審査請求等
ア 原告は,平成10年3月30日付けで,被告に対し,本件各処分に対する異議申立てを行ったが,被告は,同年6月29日付けで,上記異議申立てを棄却する旨の決定をした。
イ 原告は,これを不服として,平成10年7月21日付けで,国税不服審判所長に対し,本件各処分について審査請求をしたが,国税不服審判所長は,平成11年6月9日付けで,上記審査請求を棄却する旨の裁決を行った。
ウ 原告は,平成11年6月15日ころ,上記裁決に係る裁決書謄本を受領し(甲1),同年9月13日,本件訴えを提起した(当裁判所に顕著)。
3 争点
本件の争点は,抽象的には本件各処分の適法性であるが,具体的には次の各点である。
(1) 推計の必要性及び調査の適法性
(2) 推計の合理性
(3) 原告の事業所得金額
(4) 原告の実額反証
第3争点に関する当事者の主張
1 争点(1)(推計の必要性及び調査の適法性)ついて
(1) 被告の主張
ア 推計の必要性
被告は,本件係争年分の所得税の各確定申告書に記載された所得金額が適正なものであるか否かを確認するため,部下職員をして,原告の所得金額等の調査に当たらせ,同職員は,平成9年10月13日から平成10年1月28日までの間,原告の事業所に赴くなどして,原告に対し,再三にわたり調査に協力するよう要請した。
ところが,原告は,第三者の立会いのない状態での調査を拒否したほか,具体的な調査理由の開示を要求したり,被告が反面調査を行ったこと等について抗議するなど,調査に非協力的な態度に終始した。
そこで,被告は,やむを得ず推計により算定した金額で本件各処分を行ったものである。
したがって,本件において,推計の必要性があったことは明らかである。
イ 調査の適法性
質問検査権の行使に関する実施の細目は,税務担当職員の合理的な裁量に委ねられており,上記調査に違法な点はない。
(2) 原告の主張
ア 推計の必要性の欠如
原告は,被告の調査に際し,帳簿書類等を準備し,被告の部下職員からの質問に的確に答えるなどして,調査に協力する姿勢を示していた。
ところが,被告の部下職員は,単に第三者が同席しているというだけで,帳簿書類等の提示を求めることもなく,適正に調査を実施しなかったのであり,被告の部下職員が真摯に調査を続行していれば,原告の所得金額を実額で把握することができたのである。
したがって,本件においては,推計の必要性がなかったというべきである。
イ 調査の違法性
被告は,調査に際し,事前通知や具体的な調査理由を開示せず,原告の信頼する者の立会いを認めずに原告方での臨場調査を実施しようとした上,必要性のない反面調査を早々に実施した。
このような被告の対応は,被告が,民主商工会の会員である原告を特別視し,不利益な取扱いを企図して本件調査を実施したものであることを示すものである。
したがって,本件調査は違法である。
2 争点(2)(推計の合理性)について
(1) 被告の主張
ア 被告の採用した事業所得金額の推計方法
(ア) 被告は,原告の取引先等に対する反面調査等によって把握した本件係争年分の原告の売上金額を基礎とし,青色申告事業者の中から,原告と業種及び業態,事業規模並びに立地条件が類似している者を同業者として抽出した上,上記同業者16件(別表3,4の同業者欄記載のとおり)の本件係争年分の特前所得金額(売上金額から経費等の金額を控除した金額)の売上金額に対する割合(特前所得率)の平均値を乗じて原告の特前所得金額を算出し,その金額から事業専従者控除額を控除して,原告の事業所得金額を推計した。
(イ) 被告が上記推計に際して設定した同業者の抽出基準は,次のとおりである(以下「本件抽出基準」といい,個別には,「要件①」などという。)。
① 青色申告書により所得税の確定申告書を提出していること
② 塗装工事業を営む者であること
③ 上記②以外の業種目を兼業していないこと
④ 青色事業専従者がいること
⑤ 事業所が尼崎税務署及びその隣接税務署管内にあること
⑥ 年間を通じて事業を継続して営んでいること
⑦ 売上金額が平成6年分については3100万円以上1億2500万円未満,平成8年分については3500万円以上1億4100万円未満であること(倍半基準)
⑧ 対象年分の所得税について,不服申立て又は訴訟が係属中でないこと
イ 同業者の抽出について
(ア) 抽出基準の合理性
本件抽出基準は,被告が把握し得た原告の事業内容に基づき設定したものであり,同基準により抽出された同業者は,原告と業種,業態及び事業規模等において類似性を有するものである。
また,上記同業者は,青色申告事業者であり,また,更正等に対して不服申立てをしている者を除外しているから,その数値の正確性も担保されている。
よって,本件抽出基準は,十分に合理的なものというべきである。
(イ) 抽出過程の合理性
a 同業者の抽出は,大阪国税局長の発した一般通達に基づき,各税務署長が機械的に本件抽出基準に該当するすべてを抽出したものであるから,その過程に被告の恣意が介在する余地はない。
b 原告は,2件の事業者が本件抽出基準を満たすのに,被告の抽出から排除されている旨主張する(後記(2)イ(ア))。
しかしながら,上記2件の事業者は,本件抽出基準を満たす同業者に該当するとは認められない(主張の詳細は,後記第4の2(3)イ(ア)b〔後記22,23頁〕参照。)。
ウ よって,被告の採用した推計方法が合理的であることは明らかである。
(2) 原告の主張
ア 抽出基準の不合理性
本件抽出基準は,いずれも基準として不明確で合理性に乏しく,同基準によっては,正確な同業者の特前所得率の平均値を算定することはできない。
イ 抽出過程の不合理性
被告は,抽出基準を満たす者のうち所得率の低い者を恣意的に排除して同業者を抽出しているから,抽出過程の合理性は認められない。このことは,次の点から明らかである。
(ア) 所得率の低い同業者2件が抽出から排除されていること
原告側の調査の結果,被告の設定した抽出基準を満たすにもかかわらず抽出から排除されている者が,2件存在することが判明した。上記2件の同業者の特前所得率は,被告の抽出した同業者16件の特前所得率の平均値よりも格段に低い。
このように,何らの調査権限を持たない原告側の調査によって所得率の低い2件の同業者の抽出漏れが発見されていることからすれば,被告は,所得率の低い同業者を多数排除している公算が大きいというべきである。
(イ) 同業者の特前所得率の平均値の非現実性
被告の抽出した同業者16件の特前所得率は,いずれも20%前後という高率であり,事業者の多くが赤字の状態にある現在の社会経済情勢に照らして非現実的な数値である。これは,被告が所得率の高い同業者のみを抽出したことを裏付けるものである。
(ウ) 本件各処分時の抽出同業者の特前所得率の平均値の不自然性被告は,本件各処分時には,尼崎税務署管内から抽出した事業者4件を基に特前所得率の平均値を算出している。しかし,その数値は,被告が本件訴訟提起後に抽出した同業者のうち尼崎税務署管内の同業者5件(別表3・4)の特前所得率の平均値と大きくかけ離れており,不自然である。このことは,被告が同業者の抽出に際して,恣意を働かせたことを裏付けるものである。
3 争点(3)(原告の事業所得金額)について
(1) 被告の主張
被告が本件訴訟において主張する本件係争年分の原告の事業所得金額及びその算出根拠は,次のとおりである。
ア 売上金額(別表2-①)
(ア) 平成6年分 6219万1230円
(イ) 平成8年分 7001万2434円
イ 同業者の特前所得率の平均値(別表2-②,別表3・4)
(ア) 平成6年分 20.04%
(イ) 平成8年分 21.54%
ウ 特前所得金額(別表2-③)
(ア) 平成6年分 1246万3122円
(イ) 平成8年分 1508万0678円
エ 事業専従者控除額(別表2-④)
(ア) 平成6年分 80万円
(イ) 平成8年分 86万円
オ 事業所得金額(別表2-⑤)
(ア) 平成6年分 1166万3122円
(イ) 平成8年分 1422万0678円
カ まとめ
上記オの事業所得金額は,本件各処分における事業所得金額(平成6年分が1109万0963円,平成8年分が1167万9651円)をいずれも上回る。
よって,原告の事業所得金額の範囲内でなされた本件各処分は適法である。
(2) 原告の主張
ア 被告の上記主張のうち,(1)エ(事業専従者控除額)は認めるが,その余はいずれも否認ないし争う。
イ 原告の本件係争年分の売上金額は,平成6年分が6213万4285円,平成8年分が7001万1719円である(別表5・6の現金売上欄の年間計欄)。
ウ 原告の事業所得金額は,平成6年分が505万3429円,平成8年分が500万1832円である(別表5・6の概算利益欄の年間計欄)。
4 争点(4)(実額反証)について
(1) 原告の主張
原告の本件係争年分の売上金額及び必要経費の各費目の実額は,別表5及び6記載のとおりであり,事業所得金額は,平成6年分が505万3429円,平成8年分が500万1832円である。
(2) 被告の主張
ア 実額反証における立証の範囲と程度について
納税者が,所得金額の実額を主張して,課税庁のした推計課税の違法性を立証するためには,①その収入金額がすべての取引先からのすべての取引についての捕捉漏れのない総収入金額であること,②必要経費が実際に支出されたこと,③必要経費が総収入金額と対応すること,④必要経費が当該事業と関連性を有することを,合理的な疑いを容れない程度まで立証しなければならない。
そのためには,収入及び必要経費が日々継続的に記帳された会計帳簿によって算出されることが必要であり,その帳簿の真実性,正確性を原始記録によって確認することが不可欠である。
納税者がこのような会計帳簿を提出せず,原始記録をもって実額主張の根拠とするためには,上記資料が取引に接着して作られ,かつ完全に保存されているとともに,それが会計帳簿と同程度ないしそれ以上に信用性のあるものでなければならない。
イ 原告の実額反証が不十分であること
(ア) 日々継続的に記録された会計帳簿が存在しないこと
原告は,日々継続的に記録された会計帳簿なるものとして,「売上帳」及び「経費明細帳・給与明細」を提出している。
しかし,「売上帳」の記載に関する原告の主張が極めて不自然であること,「経費明細帳・給与明細」には本件訴訟提起後に作成されたことがうかがわれる甲号証番号が印字されていることなどからすれば,上記各書類は,日々継続的に記録された会計帳簿とは認められず,これによって原告の真実の所得金額を把握することはできないというべきである。
(イ) 原始記録の信ぴょう性
原告は,原始記録として請求書,領収書等を提出している。
しかし,これらの中には,後日作成された形跡があったり,手書きによる加除訂正が認められるものが存在するほか,領収書の支払先・支払内容等が明らかでないもの,年分の違う領収書の内容が記載されているもの,事業との関連性が明確でないものなどが多数存在し,実額反証のための書証としての信ぴょう性が低いといわざるを得ない。
(ウ) 以上より,原告の総収入金額と必要経費の実額が合理的疑いを容れない程度まで立証されたとはいえず,原告の実額反証は認められない。
第4当裁判所の判断
1 争点(1)(推計の必要性及び調査の適法性)について
(1) 事実の認定
証拠(甲9〔一部〕,乙13の1・2,乙15,証人B,原告本人〔一部〕)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
ア 本件調査の開始
被告は,平成9年10月,原告の平成6年分ないし平成8年分の所得税の確定申告書に記載された所得金額,及び平成6年ないし平成8年の各課税期間の消費税の確定申告書に記載された課税標準額が適正なものであるかを確認するため,部下職員であるB上席国税調査官(以下「B調査官」という。)をして,原告の所得税及び消費税の調査(以下「本件調査」という。)に当たらせることになった。
イ 平成9年10月から12月までの調査
(ア) そこで,B調査官は,平成9年10月13日午前10時ころ,尼崎市内の原告の事業所兼居宅(以下「原告方」という。)に赴いた。しかし,原告は不在であったため,応対した原告の妻に対し,同月22日に再度来訪する旨伝え,その旨を記載した連絡せんを投函して,原告方を辞去した。
翌14日,B調査官は,原告から日程変更を希望する旨の電話連絡を受け,平成9年11月4日午前10時ころ原告方に赴くことを約した。
その際,B調査官は,原告に対し,平成6年から平成8年までのすべての帳簿等を準備しておくよう依頼するとともに,税理士資格のない第三者の立会いは認められないことを伝えた。
(イ) B調査官ほか2名は,平成9年11月4日午前10時ころ,原告方に赴いたところ(第1回臨場調査),原告及び原告の妻のほかに,尼崎民主商工会の事務局員2名及び会員2名を同席させていたので,第三者の立会いのない状態での帳簿書類の提示を要請した。
これに対し,原告は,「調査理由を教えてもらわないとあかん。」と述べ,上記要請に応じようとしなかった。
そこで,B調査官は,調査理由について,所得税と消費税の申告書に記載された内容の確認である旨説明するとともに,税理士資格のない第三者の立会いの下に調査を進めれば守秘義務違反になるおそれがあることを指摘するなどして,約1時間にわたり説得を試みたが,原告は,第三者の立会いのない状態での調査に応じなかった。
このため,B調査官は,同日の調査を断念して,原告方を辞去した。
(ウ) B調査官は,原告の第1回臨場調査での態度に照らして調査の円滑な進展が認められないと判断し,同日(平成9年11月4日)午後1時50分ころ,原告の取引金融機関であるF信用金庫尼崎支店に赴き,反面調査を行った。
これを知った原告は,同日午後4時ころ,原告の妻及び尼崎民主商工会事務局員1名とともに,尼崎税務署を訪れ,第1回臨場調査において具体的な調査理由を開示しなかったこと,原告の承諾なしに上記反面調査を行ったことなどを理由に,調査に対して抗議した。これに対し,応対したB調査官らは,原告に対し,調査理由については消費税と所得税の申告内容の確認である旨,反面調査については原告の同意がなくても必要と認められる場合には行うものである旨説明した上,再度,第三者の立会いのない状態で調査に協力するよう要請した。
(エ) B調査官は,次回の調査日を調整するため,平成9年11月5日午前8時50分ころ,原告方に電話をかけたところ,原告が不在であったため,原告の妻に原告から連絡するよう伝言を要請した。
しかし,その後原告からの連絡はなく,B調査官が複数回にわたり電話をかけるも原告は不在であった。そこで,B調査官は,同月11日午前8時30分ころ,原告方に再度電話をかけたところ,原告が応対し,同月18日午前9時30分ころに原告方に赴くことを約した。
(オ) B調査官は,平成9年11月14日午後1時15分ころ,F信用金庫尼崎支店に赴き,前記反面調査の際に依頼していた預金口座の復元の内容の確認作業等を行っていた。
すると,同日午後2時ころ,原告及び原告の妻が,同支店を訪れ,B調査官に対し,「本人の承諾がないのに銀行調査を行うのは許されない。」などと抗議した。
このため,B調査官は,調査を中断し,同支店を辞去した。
(カ) B調査官ほか1名は,平成9年11月18日午前9時30分ころ,原告方に赴いた(第2回臨場調査)。
これに対し,原告は,応接セットのテーブルの上に帳簿書類等を用意していたが,第1回臨場調査時と同様,尼崎民主商工会の事務局員2名及び会員1名を同席させるとともに,B調査官らに対して調査理由の説明を求めた。
そこで,B調査官は,調査理由について,所得税と消費税の申告内容の確認である旨説明し,守秘義務に違反するおそれがあることから,第三者を退席させた上で調査に協力するよう要請して,約30分間にわたり,調査への協力を説得したが,原告が,「そんなんは理由になっていない。」と述べて上記調査理由の説明に納得せず,B調査官の説得に応じようとしなかったため,同日も調査を断念して,原告方を辞去した。
(キ) その後も,B調査官は,平成9年11月から12月にかけて,原告方に赴いたり電話をかけるなどして,第三者の立会いのない状態での調査に協力するよう複数回にわたり要請したが,調査理由の開示や第三者の調査立会いを求める原告及び原告の妻の態度は変わらなかった。
ウ 平成10年1月以降の調査
(ア) B調査官は,平成10年1月19日午後3時15分ころ,原告方に赴いたが,原告は不在であり,応対した原告の従業員に対し,同月23日までに連絡がなければ更正処分を行う旨を記載した連絡せんを入れた封筒を原告に渡すように依頼して,原告方を辞去した(乙13の1・2)。
これに対し,原告は,同月22日午後4時ころ,B調査官に電話をかけ,同月28日に原告方に来所してほしい旨申し立てたので,B調査官は,検討の上,原告が帳簿書類を持参して尼崎税務署に来署するよう電話で伝えた。
すると,原告は,翌日(平成10年1月23日),B調査官に対し,同月28日午前10時に来署する旨連絡した。
(イ) そして,原告は,原告の妻及び尼崎民主商工会事務局員1名とともに,平成10年1月28日午前10時20分ころ,尼崎税務署を訪れた。
その際,原告は,帳簿書類として平成8年分の領収書つづり4冊及び必要経費に係る科目ごとの合計金額を記載した集計表を持参していたが,帳簿や売上げに関する記録は持参しておらず,平成6年分及び平成7年分については,何も持参していなかった。
B調査官は,原告が持参した平成8年分の領収書つづりを検討するには,上記集計表のほかに,「経費明細帳・給料明細」(甲E59ないし121参照)のような明細がなければ,どの領収書がどの経費の科目に計上されているか不明であることなどから,原告に対し,持参した書類を預かること又はコピーを取ることの了承を求めたが,原告はこれを拒否した。
また,B調査官は,原告に対し,必要経費に計上されている給与の内容を確認するため,従業員の住所,氏名等を明らかにするよう要請したが,原告はこれも拒否した。
さらに,B調査官は,売上げ及び外注費に係る帳簿書類を確認するため,原告に対し,帳簿書類の提示を要請したが,原告はこれも拒否した。
このため,B調査官は,原告に対し,被告において調査した金額に基づき修正申告をすることをしょうようしたが,原告はこれに応じなかった。
エ 本件各処分
以上の経過により,被告は,担当職員の度重なる説得にもかかわらず,原告が一貫して調査に関係のない第三者の立会いを要求し続け,所得金額等が確認できる帳簿書類等を提示しなかったことから,平成10年2月3日,やむを得ず推計により算定した所得金額により,原告の本件係争年分の所得税の更正処分等を行った。
(2) 検討
ア 推計の必要性について
以上の事実によれば,原告は,B調査官が再三にわたって第三者の立会いのない状態での調査に応じるよう要請しても,臨場調査時には,調査理由の開示及び第三者の立会いに固執して上記要請を拒否し,尼崎税務署における調査時にも,帳簿書類の一部を提示したのみで,すべての帳簿書類の提示の要請には全く応じなかったのである。原告の上記対応からすれば,原告の調査に対する非協力的な姿勢は明確であって,原告のこのような姿勢が改められることも容易に期待し得ない状況にあったということができる。
そうすると,被告が,原告の事業所得金額について,原告に対する質問検査等によってこれを把握することが困難であると判断して,独自の調査の上,その結果を基に推計の方法によって上記金額を算出したことは,やむを得なかったものであると認められる。
よって,本件における推計の必要性はあるものというべきである。
イ 調査の適法性について
(ア) 原告の主張と一般論
a 原告は,本件調査は,①事前通知を経ずに調査が行われたこと,②調査理由が開示されなかったこと,③原告が希望する第三者の立会いが認められなかったこと,④必要性のない反面調査が早々に行われたことなどから,本件調査が違法であると主張する。
b しかしながら,質問検査権(所得税法234条1項)を行使する際の,質問検査の範囲,程度,時期,場所等の実定法上特段の定めのない実施の細目については,質問検査の必要があり,かつ,これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り,権限ある税務職員の合理的な選択,裁量に委ねられているものと解するのが相当である(最高裁昭和48年7月10日決定・刑集27巻7号1205頁参照)。
(イ) 本件への当てはめ
a ①事前通知を経ていないとする点について
前記認定のとおり,B調査官は,当初原告に事前連絡をせずに原告方に赴いたものの,原告が不在であったことから,改めて原告と調査日を調整した上で第1回臨場調査を行っているのであって,当初の事前通知がなかったことをもって,裁量の逸脱があったものとはいい難い。
b ②調査理由が開示されなかったとする点について
B調査官が,調査理由について本件係争年分の所得税等の申告内容の確認である旨告げていることは,前記認定のとおりであるから,調査理由を開示していなかったことを理由に裁量逸脱があったものとはいえない。
c ③第三者の立会いを認めなかったとする点について
質問検査は,調査対象者の資産,営業上の秘密等に立ち入るのみならず,取引先たる第三者の秘密事項等にも調査が及ぶおそれがあることなどを考慮すれば,B調査官が,原告の要求する立会人らの下での調査を拒否したことは,税務職員の裁量に委ねられた範囲内の行為であるというべきである。
d ④反面調査の違法性について
前記認定事実によれば,原告は,第1回臨場調査の時点から,調査理由の開示に固執し,第三者の立会いのない状態での帳簿書類の提示を強く拒否する姿勢を明らかにしていたのであるから,このような原告の態度にかんがみ,B調査官が,調査の適切かつ円滑な遂行の観点から第1回臨場調査の直後に反面調査を行ったことは,被告の部下職員の裁量の範囲内の行為であり,調査の方法等にも違法な点はないというべきである。
(ウ) まとめ
以上によれば,原告の上記主張はいずれも理由がなく,その他,本件調査に関して被告の裁量逸脱があったといえる事情はない。
よって,本件調査が違法であったものとは認められない。
2 争点(2)(推計の合理性)について
(1) 事実の認定
証拠(甲1,乙1~13〔各枝番を含む。〕,15,16,21~27〔各枝番を含む。〕,証人B,証人C)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
ア 本件各処分段階における推計
被告は,本件各処分をするに際し,尼崎税務署管内の事業者を対象に,平成6年分ないし平成8年分の売上金額を基に,倍半基準(原告の売上金額の2分の1から2倍の範囲内にある売上金額)等を設定した上,同業者として4件を抽出し,その特前所得率の平均値を基に,原告の事業所得金額(平成6年分1109万0963円,平成8年分1167万9651円)を算出した。
イ 異議決定段階における推計
被告は,原告の本件各処分に対する異議を受け,抽出対象署を尼崎税務署管内及び隣接署管内に拡大して,改めて18件の同業者を抽出し,その特前所得率の平均値を基に,次のとおり,原告の事業所得金額を算出した。
(ア) 売上金額
平成6年分 6219万1230円
平成8年分 6987万9854円
(イ) 同業者の特前所得率の平均値
平成6年分 20.54%
平成8年分 21.31%
(ウ) 原告の事業所得金額
平成6年分 1197万4078円
平成8年分 1403万1396円
ウ 審査裁決段階における推計
国税不服審判所長は,被告が異議決定の際に抽出した同業者18件についてその適否を検討したところ,そのうち2件については,その業態が必ずしも原告と類似しているとは認められないとし,その余の16件については,青色申告書を提出している者で,業種,業態及び事業規模が原告と類似していると認め,上記16件の特前所得率の平均値を基に,次のとおり,原告の事業所得金額を算出した(甲1)。
(ア) 売上金額
平成6年分 6219万1230円
平成8年分 6729万2668円
(イ) 同業者の特前所得率の平均値
平成6年分 20.62%
平成8年分 21.01%
(ウ) 原告の事業所得金額
平成6年分 1202万3831円
平成8年分 1327万8189円
エ 本件訴訟係属段階における推計
(被告が本件訴訟において主張する原告の事業所得金額の算出根拠である。)
(ア) 被告(具体的には,本件訴訟の元指定代理人で,大阪国税局訟務官室所属のC)は,本件訴訟係属後,再度,原告の取引先に対して調査等を実施するなどして(乙21~27〔各枝番を含む。〕),その結果を踏まえ,改めて本件抽出基準(前記第3の2(1)ア(イ)①ないし⑧〔前記5頁〕)を設定した。
(イ) 大阪国税局長は,原告の事業所所在地を所轄する尼崎税務署並びに同署に隣接する西淀川税務署,東淀川税務署,豊能税務署,西宮税務署及び伊丹税務署の各税務署長に対し,本件係争年分を通じて,本件抽出基準をいずれも満たす者をすべて抽出の上,報告することを求める旨の通達を発した(乙1~6・いわゆる通達回答方式)。
上記通達が出されるに至る諸手続にも,大阪国税局訟務官室所属のCが関与している。
(ウ) 上記通達に基づき,各税務署長から正式に回答された同業者の総数は,16件であり,これらの者の本件係争年分の売上金額,売上原価及び一般経費の額,並びに特前所得額及び特前所得率は,別表3及び4のとおりである(乙7~12)。
ところで,審査裁決段階での同業者16件の特前所得率と,本件訴訟係属段階での同業者16件の特前所得率とは異なる。それゆえ,上記両段階での同業者は,同じく16件であるが,その同業者は一部異なっている。
(エ) 被告(大阪国税局訟務官室)は,上記本件訴訟係属段階での16件の特前所得率の平均値を基に,別表2記載のとおり,原告の事業所得金額を算出した。
(2) 抽出基準の合理性
ア 当裁判所の判断
上記認定事実によれば,被告が本件訴訟係属段階において採用した抽出基準は,被告の調査等によって把握し得た原告の業種,業態,所在地及び事業規模等に基づき,所得率に影響を及ぼし得ることが経験則上認められる要素を勘案して設定されたものであり,当該基準により抽出された同業者と原告との間には,業種の同一性,事業所の近接性,事業規模の近似性等の類似性が認められるから,同業者の類似性を判別する要件として合理的なものである。
また,抽出対象となる同業者は,申告内容に一定の裏付けを有する青色申告者であって,かつ,更正等に対し不服申立て等をしている者が除外されているから,所得率等の算出根拠となる資料の正確性も担保されているといえる。
したがって,被告が採用した同業者の抽出基準には,合理性があるものと認められる。
イ 上記判断に反する原告の主張の検討
(ア) 原告は,前記第3の2(2)アのとおり,本件抽出基準の不合理性を主張し,具体的には,①原告の業種とされている「塗装工事業」は,その業態が多種多様であること,②「兼業」の基準が不明確であること,③対象地域の範囲や売上金額の範囲(倍半基準)にも合理性が乏しいことなどを理由として挙げる。
(イ) しかしながら,推計による所得金額の算出においては,業種,業態,所在地及び事業規模が類似する同業者を複数抽出し,その平均値を算出することによって,各々の同業者の営業条件等に関する個性や所得率の開差が平均化されることになるから,原告と同業者との業態等の差異が同業者率の平均化で捨象されない顕著な特殊事情等が存しない限り,推計課税の方法自体の合理性が失われるものではないところ,原告の主張する各事情は,いずれも上記特殊事情等に当たるものとはいえない。
(ウ) よって,上記原告の主張は,採用することができない。
(3) 抽出過程の合理性
しかしながら,本件抽出基準に基づく同業者の抽出過程には,被告側の恣意が介在したとの疑いを払拭することができず,抽出過程の合理性は認められないというべきである。以下,その理由を詳論する。
ア 抽出過程の合理性の主張立証について
同業者の抽出過程の合理性については,課税庁の行う抽出が,抽出基準に基づき機械的に行われ,課税庁の恣意が介在する余地のないものでなければならず,そのような恣意性が排除されれば,抽出過程の合理性が認められるということができる。
被告は,前記認定のとおり,本件訴訟係属段階において,いわゆる通達回答方式によって同業者を抽出している。このような方式は,一般的には,抽出過程における課税庁の恣意が介在する余地が少ないものと認められるから,同方式に則って抽出が行われたことが立証された場合には,特段の事情のない限り,恣意性の排除が認められるものということができる。
しかしながら,元来,抽出過程の合理性の主張立証責任は,被告が負うものであることはいうまでもなく,また,通達回答方式による抽出の機械性も絶対的なものとまではいえないから,原告において,同業者の抽出が機械的に行われたことに疑いを持たせるに足りる特段の事情を主張立証した場合には,被告において合理的な反論を行わない限り,抽出過程の合理性を認めることはできないというべきである。
イ 同業者の抽出漏れの有無について
原告は,本件において抽出過程の合理性に疑いを生じさせる事情として,所得率の低い同業者2件が恣意的に抽出から排除されたとの事実を主張する。
そこで以下,この点について検討する。
(ア) 当事者の主張立証等の内容の整理
同業者2件の抽出漏れに関する原告の主張立証,及びこれに対する被告の反論の内容は,次のとおりである。
a 原告の主張立証
原告は,抽出から排除された同業者として,D及びEの2名(以下両名を「Dら」という。)を指摘し,これらに関する書証として,次の各書類を提出している。
(a) 平成6年分
ⅰ D名義の平成6年分確定申告書控えの写し(甲21の2)及び同年分青色申告決算書控えの写し(甲4,19)
ⅱ E名義の平成6年分青色申告決算書控えの写し(甲6・甲20)
(b) 平成8年分
D及びE各名義の平成8年分青色申告決算書控えの写し(4頁中1頁目のみ〔甲5,7〕)
(c) 以下,上記(a)(b)の各書類を「本件申告書類」といい,確定申告書控えの写しを「申告書」,青色申告決算書控えの写しを「決算書」などという。
b 被告の反論
これに対し,被告は,Dらが本件抽出基準を満たす同業者に当たるとは認められない旨反論するが,その具体的な内容は,次のとおりである。
(a) 平成6年分の申告書類について
原告らが書証として提出した平成6年分の申告書類からでは,次のとおり,Dらが本件抽出基準を満たすとは認めることができない。
ⅰ Dの申告書及び決算書の原本の不存在
Dの申告書(甲21の2)及び決算書(甲19)は,申告書類控えの写しにすぎず,その原本を確認できない以上,これらと同内容の申告書や決算書が現実に所轄税務署に提出されたかは,不明というべきである。
なお,所轄税務署においても,Dらの平成6年分の申告書類の原本は,既に廃棄されている。
ⅱ Dの決算書4頁目の不存在
また,決算書(甲19)については,4頁目が写しすら提出されておらず,同頁に抽出対象から除外すべき何らかの記載がされていた可能性も否定することができない。
ⅲ Eの申告書の不存在
Eについては,その申告書が,その写しすら提出されていないから,抽出基準の該当性を確認することができない。
(b) 平成8年分の申告書類について
平成8年分の申告書類については,所轄税務署に保存されているので,原本の確認が可能である。
しかし,被告は,本件抽出基準において,平成6年分及び平成8年分のいずれについても抽出基準に該当する者を抽出することとしている。
したがって,Dらが,仮に平成8年分が抽出基準を満たしても,前記(a)のとおり平成6年分が抽出基準を満たすとは認められない以上,同業者として抽出すべき者に当たるとは認めることができない。
(イ) Dらの本件抽出基準該当性の検討
a 平成6年分について
(a) Dの申告書類の記載内容
Dの平成6年分の申告書類の記載内容を,本件抽出基準の各要件ごとに検討する。
ⅰ 要件①(青色申告書により所得税の確定申告書を提出していること)について
Dの申告書類が,いずれも青色申告者の提出する書面であることは明らかである。
ⅱ 要件②(塗装工事業を営む者であること)について
申告書(甲21の2)及び決算書(甲19)のいずれにも,「業種名」又は「職業」欄には「建築塗装」と記載され,「屋号」欄には「D塗装」と記載されている。
ⅲ 要件③(上記②以外の業種目を兼業していないこと)について
決算書(甲19)の「減価償却費の計算」欄に,乗用車等の減価償却資産に関する記載があるが,兼業をうかがわせる記載はない。
ⅳ 要件④(青色事業専従者がいること)について
申告書(甲21の2)の「事業専従者欄」並びに決算書(甲19)の「専従者給与」欄及び「専従者給与の内訳」欄に,事業専従者名等の記載がある。
ⅴ 要件⑤(事業所が尼崎税務署及びその隣接税務署管内にあること)について
申告書(甲21の2)の「住所(又は事業所・事務所・居所など)」欄及び決算書(甲19)の「事業所所在地」欄に,いずれも尼崎市内の所在地の記載がある。
ⅵ 要件⑥(年間を通じて事業を継続して営んでいること)について
決算書(甲19)の「月別売上(収入)金額及び仕入金額」欄の1月から12月までの各欄に,決算額の記載がある。他方,「特殊事業」欄には,記載がない。
ⅶ 要件⑦(売上金額)について
決算書(甲19)の「売上(収入)金額」欄に記載された金額は8282万3092円であり,いずれも倍半基準の範囲内である。
(b) Eの申告書類の記載内容
次に,Eの平成6年分の申告書類の記載内容を,本件抽出基準の各要件ごとに検討する。
ⅰ 要件①(青色申告書により所得税の確定申告書を提出していること)について
Eの申告書類が,いずれも青色申告者の提出する書面であることは明らかである。
ⅱ 要件②(塗装工事業を営む者であること)について
決算書(甲20)の「業種名」欄には「塗装」と記載され,「屋号」欄には「E塗工店」と記載されている。
ⅲ 要件③(上記②以外の業種目を兼業していないこと)について
決算書(甲20)の「減価償却費の計算」欄には,機械器具等の減価償却資産に関する記載があるが,兼業をうかがわせる記載はない。
ⅳ 要件④(青色事業専従者がいること)について
決算書(甲20)の「専従者給与」欄及び「専従者給与の内訳」欄に,事業専従者名等の記載がある。
ⅴ 要件⑤(事業所が尼崎税務署及びその隣接税務署管内にあること)について
決算書(甲20)の「事業所所在地」欄に尼崎税務署の隣接税務署管内である大阪市西淀川区内の所在地の記載がある。
ⅵ 要件⑥(年間を通じて事業を継続して営んでいること)について
決算書(甲20)の「月別売上(収入)金額及び仕入金額」欄のうち売上(収入)金額の1月から12月までの各欄に,いずれも決算額の記載がある。他方,「特殊事業」欄には,記載がない。
ⅶ 要件⑦(売上金額)について
決算書(甲20)の「売上(収入)金額」欄に記載された金額は,5723万1610円であり,平成6年分の倍半基準の範囲内である。
(c) 当裁判所の判断
以上のとおり,Dらの平成6年分の申告書類の内容を検討すると,いずれも本件抽出基準の要件①ないし⑦に適合しており,同基準から除外すべき事情等の記載も存在しない。
また,要件⑧(不服申立て等をしていないこと)に該当する事情もうかがわれない。
したがって,本件申告書類の内容等に照らせば,平成6年分について,Dらの平成6年分の申告書類は,いずれも本件抽出基準を満たすと認められるというべきである。
(d) 被告反論の検討
ⅰ 被告は,前記のとおり,本件申告書類から平成6年分の本件抽出要件該当性を判断することができない理由として,①申告書及び決算書(D)の原本の不存在,②決算書4頁目(D)及び申告書(E)の各写しの不存在を挙げる。
ⅱ ①(原本の不存在)の主張について
しかしながら,Dの申告書(甲21の2)には税務署受付印欄に尼崎税務署の受付印が付されていることからすれば,同書面が現実に税務署に提出された書面の控えの写しであることは,優に認められるところである。また,同人の決算書(甲19)も,上記申告書と同じ所得金額が記載されているなど,内容において上記申告書との間に矛盾が認められない以上,現実に税務署に提出された書面の控えの写しであると推認するのが相当である。
したがって,原本の不存在を理由とする被告の上記主張は,採用することができない。
ⅲ ②(写しの一部の不存在)の主張について
また,被告は,Dの決算書4頁目及びEの申告書の不存在を指摘するものの,提出された本件申告書類のみでは具体的にどの点を判断するに足りないのか,すなわち,上記不存在部分のうちのどの記載事項を本件抽出基準のどの要件との関係で確認する必要があるのかについて,具体的に主張していない。
ところで,前記(a)(b)における検討によれば,原告から提出された本件申告書類は,本件抽出基準の各要件の存否を具体的に判断するに足りる内容が記載されており,これによってDらの本件抽出基準該当性を推認することができることは前記のとおりである。
そうすると,Dらの申告書類の一部が存在しないとしても,当該部分の記載内容を確認する具体的必要性が明らかでない以上,このことは,上記推認を妨げるものではなく,被告の上記主張は,失当というべきである。
b 平成8年分について
(a) 本件訴訟で提出されている平成8年分の本件申告書類は,前記のとおり,D,Eいずれについても,決算書の1頁目のみである。
(b) しかし,同頁の記載は,事業所所在地,業種名及び屋号欄が平成6年分と同様の内容であり,売上金額も平成8年分の倍半基準の範囲内であり,本件抽出基準の要件に適合するものとなっている。
また,被告は,所轄税務署で平成8年分の申告書類の原本を確認しているが,その結果を踏まえた反論は特に行っていない。
(c) 以上に照らせば,平成8年分についても,本件抽出要件を満たすと認めるのが相当である。
c まとめ
以上より,Dらは,平成6年分及び平成8年分のいずれについても本件抽出基準を満たす者であるから,被告は,本来,本件推計に際して,上記両名を同業者として抽出すべきであったと認められる。
(ウ) Dらの特前所得率
そこで,本件申告書類の記載内容に基づき,Dらの特前所得率を計算すると,次のとおりとなる。
a D
(a) 売上金額
平成6年分 8282万3092円
平成8年分 1億0157万7535円
(b) 特前所得金額
平成6年分 287万4089円
平成8年分 558万1081円
(c) 特前所得率
平成6年分 3.47%
平成8年分 5.49%
b E
(a) 売上金額
平成6年分 5723万1610円
平成8年分 6773万5550円
(b) 特前所得金額
平成6年分 694万3354円
平成8年分 -21万3877円
(c) 特前所得率
平成6年分 12.13%
平成8年分 -0.31%
ウ 抽出過程の合理性の検討
(ア) 不合理性-その①
以上によれば,本件においては,被告と比べればはるかに少ない調査能力しかない原告側の調査によっても,抽出漏れの同業者が2件も発見されたのであり,これらの存在は,被告の抽出した同業者数が16件であったことに照らすと,軽視し難いものであるといわなければならない。
しかも,上記2件は,いずれも,その特前所得率が被告の抽出した同業者の特前所得率の平均値を大幅に下回っているのである。このような抽出漏れの同業者の存在は,単純な見落とし等によって通常生じ得る抽出漏れと捉えるには,不自然であり,かえって,上記2件の特前所得率の著しい低さに照らせば,抽出過程における恣意の介在をうかがわせる事情として評価せざるを得ない。
(イ) 不合理性-その②
a 抽出された同業者等の変遷過程
前記(1)で認定したとおり,本件で,尼崎税務署,国税不服審判所,大阪国税局訟務官室が抽出した同業者,同業者の特前所得率の平均値,原告の事業所得金額は,次のとおりである。
(a) 尼崎税務署(本件各処分)
ⅰ 同業者 尼崎税務署管内の4件
ⅱ 原告の事業所得金額
・ 平成6年分 1109万0963円
・ 平成8年分 1167万9651円
(b) 尼崎税務署(異議申立て)
ⅰ 同業者 尼崎税務署管内及び隣接署管内の18件
ⅱ 同業者の特前所得率の平均値
・ 平成6年分 20.54%
・ 平成8年分 21.31%
ⅲ 原告の事業所得金額
・ 平成6年分 1197万4078円
・ 平成8年分 1403万1396円
(c) 国税不服審判所
ⅰ 同業者 尼崎税務署管内及び隣接署管内の16件
ⅱ 同業者の特前所得率の平均値
・ 平成6年分 20.62%
・ 平成8年分 21.01%
ⅲ 原告の事業所得金額
・ 平成6年分 1202万3831円
・ 平成8年分 1327万8189円
(d) 大阪国税局訟務官室
ⅰ 同業者 尼崎税務署管内及び隣接署管内の16件
(前記(c)ⅰの同業者16件とは一部異なる)
ⅱ 同業者の特前所得率の平均値
・ 平成6年分 20.04%
・ 平成8年分 21.54%
ⅲ 原告の事業所得金額
・ 平成6年分 1166万3122円
・ 平成8年分 1422万0678円
b 検討
(a) 以上によると,尼崎税務署(本件各処分,異議決定),国税不服審判所,大阪国税局訟務官室が拠り所とする同業者は,すべて異なるにもかかわらず,不思議なことに,同業者の特前所得率の平均値がほぼ同一であり,そのため,原告の平成6年分,平成8年分の事業所得金額は,すべて本件各処分で認定された所得金額をわずかに上回るものである。
これは全くの偶然であろうか。上記aの(a)ないし(d)の各段階での同業者の抽出過程で,抽出作業に携わった関係者に,恣意の介在が全くなかったと断言できるであろうか。
(b) しかも,本件訴訟提起後に抽出された16件(別表3・4)については,大阪国税局訟務官室(被告指定代理人のC)が抽出に至る諸手続に関与している(前記(1)エ(ア)(イ))。そこで抽出された同業者(16件)には,2件の抽出漏れがあった。しかも,抽出漏れ2件の特前所得率は,上記同業者16件の特前所得率の平均値を大幅に下回るものである。
これでは,被告が本件訴訟で主張している同業者16件(別表3,4)は,被告が本件各処分の所得金額の存在を立証するために,恣意的に操作して集めた16件であり,原告の立証により暴露された同業者2件以外にも,本件抽出基準に合致した同業者がおり,その特前所得率は,被告が本件訴訟で主張している16件の同業者の特前所得率の平均値よりも相当低いのではないか,との疑念を払拭することができない。
(ウ) まとめ
以上によると,原告は,被告が本件訴訟係属中に行った同業者の抽出が,機械的に行われたことに疑いを持たせるに足りる特段の事情を主張立証したと認めることができる。これに対し,被告は,上記同業者の抽出漏れに関して,前記のとおり,原告の提出書証に関する消極的な反論をしているにとどまっており,積極的な反論や合理的な説明を行っていない。
そうすると,本件では,原告が抽出過程の合理性を疑わせる事情を一応立証しており,これに対して被告が十分な反論をしていない以上,抽出過程の合理性があると認めるには足りないというべきである。
(4) 小括
以上の次第で,本件各処分は,推計課税において要求される推計の合理性が認められないから,その余の点について判断するまでもなく,違法というべきであり,本件各処分のうち,原告が本件訴訟で自認している所得金額を超える部分については,取消しを免れない。
第5結語
1 原告の自認する本件係争年分の所得金額は,平成6年分が505万3429円,平成8年分が500万1832円である(前記第3の3(2)ウ,同4(1),別表5・6)。
それゆえ,本件各処分は,平成6年分の所得金額を505万3429円,平成8年分の所得金額を500万1832円として計算した額を超える部分(すなわち,本件各処分で脱漏が認定された所得金額,及びそれに対応する過少申告加算税額のほとんど全部)について,取り消すのが相当である。
2 以上の次第で,原告の本訴請求は,本件各処分のうち上記部分の取消しを求める限度で理由があるので,これを認容し,その余(ごく僅かな金額)は理由がないので棄却する。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 紙浦健二 裁判官 今中秀雄 裁判官 五十嵐章裕)