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神戸地方裁判所 平成3年(人)4号 判決 1991年8月21日

請求者 井口幸代

拘束者 井口健作

被拘束者 井口和枝

主文

一  拘束者は、被拘束者を直ちに釈放し、請求者に引き渡せ。

二  本件手続の総費用は拘束者の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求者

主文同旨。

二  拘束者

1  請求者の請求を棄却する。

2  被拘束者を拘束者に引き渡す。

3  手続費用は請求者の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の理由

1  当事者

請求者と拘束者は、昭和56年6月15日に婚姻の届出をした夫婦であり、被拘束者(昭和60年3月15日生)は、請求者と拘束者の間に生まれた次女である。請求者と拘束者の間には、他に長女である文枝(昭和58年2月14日生。以下「文枝」という。)がある。

2  拘束の経緯

拘束者は、昭和63年10月から肩書地において井口産婦人科クリニックの名称で産婦人科医院を開業し、請求者は、同医院において婦長として診療業務に従事しながら、同医院建物3階の自宅で被拘束者及び文枝を監護養育してきた。

請求者は、以前から拘束者の病的な潔癖症やその長年の愛人である長谷川聖子(以下「長谷川」という。)との関係に耐えてきたが、平成2年9月ころから拘束者より、病院の経営がうまくいかないなどの理由で生命保険に入るように勧められたり、さらには「殴り殺してやろうか。」などと脅迫を加えられたりするようになったため、身の危険を感じ、同年10月16日、拘束者方を出た。当時、文枝は○○○小学校に、被拘束者は○○○保育所の年長組にそれぞれ通学・通園していたことに加え、請求者は身一つで家を出て安住の場所もなく生計を立てられない状態であり、また、もし請求者が二人の子供を連れ出せば拘束者は半狂乱となり執拗に請求者を追及し危害を加えるおそれがあったので、請求者は、被拘束者及び文枝を拘束者方に置いたままにした。

そして、請求者は、同月31日に離婚並びに被拘束者及び文枝の親権者を請求者とすることを求める調停を、平成3年1月9日に子の引渡しを求める調停を、それぞれ○○家庭裁判所に申し立てた。

3  被拘束者及びその監護の状況

拘束者は、請求者が家を出た直後に、長年拘束者と愛人関係にあった長谷川を自宅に呼び入れ、被拘束者及び文枝の世話をさせるようになった。

拘束者宅に残した二人の子供のうち長女の文枝は、請求者が家を出て以降、登校拒否状態となり、平成2年11月には約半分、12月にはほとんど欠席し、三学期に入ってからは始業式の日に登校しただけであとは全て欠席し、平成3年1月9日にはうつ状態との診断が下され、早急に手当が必要な状態にあった。

また、被拘束者も平成2年12月ころからほとんど保育所に登園しておらず、同人についてもいつ文枝と同様の状態になるか予断を許さない状況にあった。

4  前回判決後の状況

本件について、差戻前の平成3年3月27日に言い渡された判決(当庁平成3年(人)第1号人身保護請求事件。以下「前回判決」という。)主文において、拘束者は、右言渡しの前日に一旦請求者に渡していた被拘束者及び文枝の引渡しを受けたが、同人らが抵抗したため、当日は自宅に連れ帰るのを諦め、代わって請求者が同人らを連れ帰った。

被拘束者及び文枝は、それ以降、請求者のもとで暮らすようになり、文枝のうつ状態は著しく回復し、平成元年4月8日○○○小学校に転入学し、被拘束者も同月9日から同小学校に入学し、両名とも他の児童と変わらない学校生活を送っていた。

ところが、拘束者は、判決を楯に被拘束者及び文枝の引渡しを要求し続け、家庭裁判所の調停における話合いに応じないで、請求者又は小学校の教師に断りもなく、同年4月20日には集団登校中に、同月23日には小学校の教室からそれぞれ被拘束者を連れ去り、同年6月6日には請求者が拘束者方から夏物衣料を持ち出した報復として小学校の教室から文枝を連れ去ったこともあった。

5  拘束者の監護状況と請求者の状況

請求者は、家を出てから、病院の寮で生活していたが、現在は公団住宅を借り、看護婦の職にも就き、また、被拘束者を引き取った場合に同人及び文枝の監護養育に関して、実姉及び近隣の友人の援助を得られる状況にある。さらに、被拘束者及び文枝の状態によっては、請求者は、看護婦を辞めて同人らの治療に専念することも考えている。

一方、拘束者は、被拘束者の監護養育を一切長谷川に任せており、自分では全く監護養育をしていない。また、拘束者は病的な潔癖症で消毒などに時間をとられ被拘束者と十分な接触を持つ時間がないことを考えると、請求者の環境の方が拘束者の環境よりも被拘束者の監護養育については格段に優れている。

6  拘束の違法性

以上の点からして、被拘束者をその母親である請求者のもとで監護養育するのが被拘束者の幸福をもたらすことが明らかであり、請求者の意思を無視して被拘束者を拘束者の監護に服せしめることは、違法な拘束である。

よって、請求者は、人身保護法2条及び同規則4条により被拘束者の救済を求める。

二  請求の理由に対する答弁

1  請求の理由1の事実は認める。

2  同2の事実中、拘束者が肩書地において井口産婦人科クリニックの名称で産婦人科医院を開業していること、請求者が婦長として勤務していたこと、請求者が平成2年10月16日に被拘束者及び文枝を残したまま拘束者方から出ていったこと、請求者が同月31日に離婚等を求める調停を、平成3年1月9日に子の引渡しを求める調停を、それぞれ○○家庭裁判所に申し立てたことは認めるが、その余は否認する。

3  同3の事実中、請求者が家を出た後、拘束者が長谷川に被拘束者及び文枝の世話をさせるようになったこと、文枝が平成2年11月ころから登校拒否状態になり、平成3年1月ころうつ状態との診断を受けたこと、被拘束者が平成2年12月ころから保育所に登園していないことは認めるが、その余は否認する。

4  同4の事実中、拘束者が前回判決の前日に被拘束者及び文枝を請求者に預けたこと、前回判決主文において、請求者から被拘束者及び文枝の引渡しを受けながら、当日は自宅に連れて帰らなかったこと、請求者主張の日時ころに被拘束者及び文枝を連れ戻したことは認めるが、その余は否認又は知らない。

5  同5の事実は否認する。

三  拘束者の主張

1  被拘束者の監護状況

拘束者の家出前は、拘束者と請求者が共同で被拘束者及び文枝の監護養育をしてきた。請求者が家を出てからしばらくは、拘束者がほとんど一人で同人らの面倒をみていたが、平成2年11月ころから長谷川が手伝いに来てくれるようになり、以降両名は長谷川になついている状況にある。

2  拘束者の勤務時間と被拘束者との接触状況

拘束者は、現在、医院を開業しており、仕事が終わる時間が午後9時、10時になることもあるが、夕食はほとんど被拘束者と一緒に食べている。日曜日には被拘束者と遊園地に行ったり、部屋で遊んだりして、極力接する時間をとるようにしている。

3  文枝の状況

文枝が登校拒否を始めたのは、請求者が家出した後拘束者に無断で文枝に会った平成2年11月10日前後からであり、平成3年1月には○○クリニックの西川医師からうつ状態の診断が下された。西川医師によると、その原因は文枝の望まない両親の不和の状況が生じたことによる精神的打撃ということである。文枝は、○○クリニックで月一回投薬治療を受け、○○市立の病院にも週一回カウンセリングに連れて行かれており(2回目以降は長谷川が連れて行き、後で長谷川から逐一報告を受けている。)、一時改善の方向に向かっていたが、請求者が拘束者に無断で文枝と会ったため退行現象が生じ、以前の状況に戻った。

4  被拘束者の状況

被拘束者は保育所に行きたがっていたが、文枝の状態が悪化したことにより同人に手がかかるようになったことと、保育所が拘束者の申出に反し被拘束者に請求者を面会させたことなどのために保育所に行くことを止めた。拘束者が平成3年4月に連れ戻した後は、被拘束者は、拘束者のもとで、○○○小学校に元気に通学している。

5  拘束の不存在

被拘束者は、近所の友達と行き来して一緒に遊んだりする状況であり、拘束者は被拘束者の自由を拘束してはいない。

6  前回判決後の状況

前回判決の前日に、拘束者は被拘束者及び文枝を請求者に引き渡したが、それは、拘束者が調停を依頼している弁護士から本件の人身保護請求事件では必ず負けると言われたので、最終的には調停に委ねることにして、判決期日に同人らを連れて行ってショックを与えるよりは、あらかじめ同人らを請求者に渡しておけば判決期日に同人らを連れてくる必要がなくなり両名にショックを与えないで済むという趣旨で、請求者と前回判決期日に同人らを連れて行かないと約束したうえでのことであった。

前回判決期日には、予想に反して請求者敗訴となったが、請求者の泣き叫ぶ声に被拘束者及び文枝が動揺したので、拘束者は、同人らの気持ちも考え、小山牧師の勧めに従って、同人らを小山牧師に預けた。

ところが、その後の再三の要求にもかかわらず、小山牧師は被拘束者及び文枝を引き渡さず、請求者も引渡しに応じないので、拘束者は、やむなく被拘束者及び文枝を連れ戻した。

7  請求者と拘束者の監護状況

請求者は、被拘束者及び文枝を置いて、今回と同様に家出を何度も繰り返しており、同人らの監護養育について何ら建設的なことはしていない。

一方、拘束者は経済的にも充実し、文枝のために必要な治療を受けさせており、さらに、被拘束者との接触を強めるために診察の時間の変更も検討しているうえ、被拘束者は長谷川にもなついていることを考えると、被拘束者にとっては請求者のもとよりも拘束者のもとで生活する方が幸福である。

第三疎明関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求者と拘束者は、昭和56年6月15日に婚姻の届出をした夫婦であり、その間に長女文枝(昭和58年2月14日生)及び被拘束者である次女和枝(昭和60年3月15日生)がある。

拘束者は、井口産婦人科クリニックの名称で産婦人科医院を開業しており、請求者は、婦長として勤務していた。

請求者は、平成2年10月16日に被拘束者及び文枝を残したまま拘束者方を出て、同月31日に離婚等を求める調停を、平成3年1月9日に被拘束者および文枝の引渡しを求める調停を、それぞれ○○家庭裁判所に申し立てた。

文枝は、平成2年11月ころから登校拒否状態となり、平成3年1月ころうつ状態であるとの診断を受けた。被拘束者も、平成2年12月ころから保育所に登園していなかった。

前回判決期日の前日である平成3年3月26日に、拘束者は、被拘束者及び文枝を請求者に預けたが、前回判決主文において、請求者から同人らの引渡しを受けながら、当日は同人らを自宅に連れ帰ることができなかった。しかし、拘束者は、同年4月20日及び同月23日に被拘束者を、同年6月6日に文枝を、それぞれ連れ戻した。

二  争点に対する判断

1  拘束の有無

(一)  右争いのない事実によると、被拘束者は未だ6歳5か月の児童であるから、意思能力のないことは明らかである。

(二)  そして、意思能力のない児童を監護養育する行為は、当然にその者の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、その監護自体が人身保護法及び同規則にいう拘束に該当すると解するのが相当であり(昭和32年(オ)第227号同33年5月28日最高裁判所大法廷判決・民集12巻8号1224頁)、このことは、監護方法の当不当又は愛情に基づく監護であるかどうかとはかかわりがない(昭和42年(オ)第1455号同43年7月4日最高裁判所第一小法廷判決・民集22巻7号1441頁)。

したがって、被拘束者が拘束者主張のように近所の友人と行き来して一緒に遊んでいたとしても、拘束者の被拘束者に対する監護養育は、人身保護法にいう拘束にあたる(以下「本件拘束」という。)。

2  本件請求の許否の規準

(一)  人身保護請求の要件として人身保護規則4条が掲げる「拘束が権限なしにされ」たという要件は、「拘束が違法であること」と理解すべきであるが、夫婦関係が破たんにひんしているときに、夫婦の一方が他方に対し人身保護法に基づき共同親権に服する幼児の引渡しを請求した場合には、幼児に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かも考慮しなければならず、その当不当の判断にあたっては、夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるべきである(昭和42年(オ)第1455号同43年7月4日最高裁判所第一小法廷判決・民集22巻7号1441頁)。

(二)  このことは、未成年の子の監護者の決定をめぐり、並行して家庭裁判所における調停、審判あるいは地方裁判所における人事訴訟手続が進行していたとしても同様であり、単に他の手続により監護者が決定されるまでの暫定的な手続に過ぎないと解することは相当でない。

3  本件拘束の違法性の有無について

(一)  成立に争いのない甲第8号証、第17ないし第20号証、乙第1ないし第3号証、第18号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第4号証の1ないし3、第5号証、乙第9ないし第17号証、請求者本人尋問(第1回)の結果により真正に成立したと認められる甲第6号証、第10、第11号証、第13号証、請求者本人尋問(第1回)の結果及び弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第12号証、拘束者本人尋問(第1回)の結果により真正に成立したと認められる乙第8号証、証人岩崎清美の証言、請求者及び拘束者の各本人尋問(第1、2回)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 拘束者側の事情

<1> 拘束者は、昭和63年1月に肩書地に土地(673.15平方メートル)及び鉄筋コンクリート3階建建物を購入し、右1階部分(246.55平方メートル)及び2階部分(215.20平方メートル)を医院として使用し、1階は外来患者の診察室、2階は入院者用のベッド7台、シャワールーム、厨房等が備わっており、3階部分(160・95平方メートル)は住居として使用していて、右住居の間取りは、8畳及び6畳の和室、主寝室、子供部屋2室、ダイニングキッチンの5LDKである。

右敷地は、請求者と拘束者の共有(持分は各2分の1)、建物は拘束者と株式会社○○○○△△△△・カンパニー(代表取締役は拘束者)の共有(持分は前者225分の133、後者225分の92)となっている。また、拘束者が開院に際し約2億2000万円の借入れをしたことから、右敷地及び建物には、共同担保として債務額4100万円の抵当権並びに極度額1億0500万円及び4600万円の各根抵当権が設定されている。

<2> 医院の従業員は11名、外来患者は1日約25名、入院患者は平均約3名であり、1年間の収入は約7000万円であるが、人件費は1か月約200万円以上、前記借入金の返済金として毎月220万円、その他機械のリース料、光熱費等の支出があり、経営状態は必ずしもよくない。

<3> 拘束者の日常業務は、平日は、午前8時30分に1階の診療所に下り、午前9時から午後0時まで及び午後5時から午後7時30分ころまで外来患者の診察(木曜日及び土曜日には午後の診察はない。)を、その他の時間に入院患者の診察又はコンピューターへの入力等の事務を行い、3階の住居に上がるのはほぼ午後8時から10時ころで、午後12時ころになるときもある。医院の休診日は木曜及び土曜日の午後、日・祝祭日である。

<4> 拘束者は、○○大学医学部を卒業後、医師国家試験に合格し、医師としての経験を積んでいる者である。同人は、中学生のころから強迫神経症の症状があって、一時治療を受けたこともあり、その影響もあって、診療所内および診療後の自己の身体に対する清潔に関しては非常に気を使い、医院関係者に対して、物の置場所や器具の消毒等についてかなりの程度の潔癖を要求している面が見られ、職員によっては、それに苦痛を感じる人もいる。

その他の日常生活においても、外出時に手袋を使用することがあるなど相当程度清潔に気を使っているが、拘束者の右性癖が被拘束者及び文枝に対して与える影響は不明である。しかし、診察室及び自己の身体の消毒等に費やされる時間だけ、被拘束者と接触する時間は短くなっている。

<5> 請求者が家を出てからは、拘束者が中心となって被拘束者及び文枝の日常生活の世話をしていたが、平成元年11月中旬からは以前に拘束者と情交関係にあった長谷川が手伝いに来るようになり、以後は同人が拘束者方に寝泊まりして、ほとんど中心的に被拘束者及び文枝の日常の食事や身の回りの世話をしている。

長谷川は、平成3年1月ころに文枝の表情がおかしいのに気付き、拘束者の指示で、同女を○○クリニックに連れて行き診療を受けさせたところ、うつ状態である旨の診断を受けたので、以後○○クリニックでの月1回の診療(投薬)及び○○市○○○○センターでの週一回のカウンセリング治療を受けさせていた。

拘束者は、前記のような勤務状態にあるため十分な時間とはいえないものの、できる限り被拘束者及び文枝と接触を持つように心掛け、長谷川とともに休日に被拘束者及び文枝を連れて外出したり、必要があれば文枝のうつ状態を改善させるためのカウンセリング及び遊戯治療に同行したりし、被拘束者の保育所への送り迎えもしていた。

拘束者は、文枝の病気のため人手がかかること、保育所が拘束者の申出に反して保育所内で請求者に被拘束者を面接させたことなどから、被拘束者に平成2年12月以降保育所を休ませていたが、平成3年2月28日に退園させた(出席日数は十分であったので、卒園している。)。

<6> 拘束者は、調停における拘束者の代理人である弁護士から本件の人身保護請求事件では必ず負けると言われたので、監護権者の決定は、最終的には調停に委ねることにして、前回判決の言渡期日に被拘束者及び文枝(前回判決においては、文枝も被拘束者であった。)を連れて行ってショックを与えるよりはあらかじめ同人らを請求者に預けておけば判決期日に連れてくる必要がなくなりショックを与えないで済むと考え、請求人との間で判決期日に両名を連れて行かないという約束のうえ、判決言渡の前日に両名を一旦請求者に渡した。

前回判決の言渡期日には、予想に反して請求者敗訴となり、拘束者は、同判決主文において、被拘束者及び文枝の引渡しを受けたが、同人らが動揺し拘束者と一緒に帰ることに抵抗したので、拘束者は、春休みで学校もないこと及び同人らの気持ちなどを考慮し、小山牧師の勧めに従って、同人らを小山牧師に預けた。請求者は、小山牧師から同人らの引渡しを受け、拘束者に代わって両名を連れ帰った。

ところが、拘束者は、判決を楯に被拘束者及び文枝の引渡しを要求し続け、家庭裁判所の調停における話合いもつかないうちに、請求者又は小学校の教師に断りもなく、同年4月20日には集団登校中の列から、同月23日には小学校の教室からそれぞれ被拘束者を連れ去り、同年6月6日には請求者が拘束者方から夏物衣料を持ち出した報復として小学校の教室から文枝を連れ去った。そして、拘束者は、被拘束者及び文枝を連れ戻した後、それぞれ拘束者方から○○○小学校へ通学させたが、文枝については、同人が、○○○○○小学校へ行きたいと述べたため、同年6月14日、小山牧師を通じて請求者のもとに戻された。

(2) 請求者側の事情

<1> 請求者が被拘束者と共に居住を予定している住宅は、○○市○区の○○○○○団地(五階建)の2階で、間取りは6畳、4.5畳、ダイニングキッチンの2DKであり、家賃は傾斜家賃制度が適用され、現在1か月3万8625円である。

<2> 請求者は、○○大学医学部付属助産婦学校を卒業し、看護婦、助産婦の資格を持っている。

請求者は、平成2年11月1日から○○○○○○○○病院産婦人科に看護婦として勤務していたところ、被拘束者及び文枝との接触時間を多くとるために、実家の援助を得て同病院を退職したが、平成3年5月から請求者の自宅近くの病院に勤め出した。その勤務時間は、曜日によって異なるが、午前9時から午後2時までで、給料は月額約18万円であって、それとは別に、育児相談、乳房管理、ラマーズレッスン等のフリー助産婦の仕事も始めており、収入の合計は、月額約23万円になる。

<3> 請求者は、右○○○○病院に勤務していた当時、被拘束者及び文枝の日常の生活については、できるだけ請求者自身で見るようにし、勤務時間中は、平日は午後5時まで学童保育で面倒を見てもらい、その後は幼稚園の先生の資格を有するベビーシッターである青島佐紀に依頼することとし、それ以外に緊急の場合には、請求者の知人である佐藤伸夫夫妻、小山正男夫妻の援助を受ける準備をしていた。

しかし、前回判決の言渡期日の前日に被拘束者及び文枝の引渡しを受けた後、請求者は、両名には請求者との接触が大切と考え、実家の援助を頼んで、右○○○○病院を退職し、その後は前述のように平成3年5月から自宅近くの病院で看護婦として勤務している。

また、請求者は、被拘束者及び文枝を置いて家出したときも、病院の職員や学校の教師を通じて、同人らの動静に気を配っていた。

(3) 文枝及び被拘束者の状況

<1> 文枝は、前回平成元年に請求者が被拘束者及び文枝を連れて家出したときは、○○○市立○○○小学校に転入し毎日登校していたが、今回請求者が家を出た以降の平成2年11月ころから登校拒否となり、同月は約半数、12月はほとんど欠席しており、平成3年1月からの3学期には始業式に登校したが、それ以降は欠席が多く、3日に1度程度好みの援業にのみ出席する状況になっていた。そして、文枝は、学校に出席しない日は、自宅内で被拘束者と遊んだり、テレビを見たり、人形遊びをする他、近所の友人宅へ行き遊んでいた。また、文枝は、登校拒否を開始して以降表情が優れなかったことから、平成3年1月○○クリニックにおいて診断を受けたところ、うつ状態であるとの診断を受け、それ以降は月一回右クリニックにおいて投薬治療を受けるとともに、毎週一回○○市○○○○センターでカウンセリング、遊戯治療を受けていた。

文枝は、前回判決の前日に請求者に預けられてからしばらくして、転入学した○○○○○小学校にもほぼ毎日通うようになり、近所の友人とも普通に遊ぶようになり、他の児童と変わらない学校生活及び日常生活を送っている。うつ状態も一応表面上は落ち着いており、拘束者宅にいるときにしていた指吸いも今はしていない。また、平成3年6月6日に拘束者に一旦連れ去られ、同月14日に再び請求者方に戻された後も、母親のもとで小学校に毎日通学し、安定した生活を送っている。

<2> 被拘束者は、○○○保育所退園後、文枝と同様に室内の遊戯や近隣の友人宅に遊びに行っていたが、請求者に一旦預けられた後、平成3年4月、○○○○○小学校に入学した。その後、同月23日、拘束者が被拘束者を拘束者方に連れ戻し、現在に至っている。

被拘束者は、拘束者方から○○○小学校に通学しており、現在のところ、文枝のような症状は出ていないが、予断を許さない状況である。

<3> 文枝は、拘束者のもとにいる間、主に長谷川の世話を受けていたが、両者は必ずしも良好な関係とはいえず、母親の存在との関係で葛藤があり、○○市○○○○センターの担当職員からその葛藤が文枝のうつ状態に陥った重要な原因の1つであると指摘されている。

なお、拘束者は、平成2年12月末、請求者に被拘束者との面接を認め、請求者が被拘束者を自宅に1晩連れて帰ったことがあり、また、家庭裁判所の調停において、請求者と被拘束者との面接交渉の機会が約されたこともある。

文枝は、請求者のもとに預けられた後、請求者やその代理人に対して、長谷川が請求者の服を着ていたというような事実を述べているが、その体格の違いから、長谷川は請求者の服を着ることはできない。

(二)  以上の事実及び当事者間に争いのない事実を総合すると、請求者は身の危険を感じたといいながらもその危険なはずの拘束者宅に幼い被拘束者及び文枝を置いたまま家出したものであり同人らのことを十分配慮しているとはいい難い点もあり、請求者の経済的基盤も拘束者と比べて多少弱いところがあり、拘束者もそれなりに愛情をもって被拘束者及び文枝の監護養育をしているふしも見受けられ、文枝については長谷川に頼んでうつ状態の治療を継続的に受診させる配慮もしており、また、被拘束者については平成3年4月23日以降拘束者宅で生活しそこから近くの○○○小学校にも通っているのでその生活環境の安定性も考慮しなければならないことも否定できない。

(三)  しかし、拘束者自身は前記認定の勤務状況のため被拘束者と接触する時間は少なく、さらに、拘束者の強迫神経症による長時間をかけた消毒がこれに輪をかけて被拘束者との接触時間を少なくしており、また、拘束者は子供の日常の世話をほとんど長谷川にさせているが、同女は拘束者と情交関係にあった女性で、請求者が家を出た後に拘束者が自宅に寝泊まりさせるようになったのであって、一般的に幼児に好ましいとはいい難い環境であるばかりか、被拘束者及び文枝にとっては理解できない人間関係であり、文枝が請求者に預けられた後に請求者やその代理人に対して、体格の違いにより長谷川が着られるはずもない請求者の服を着ているというおよそ考え難いような事実を述べていることからも明らかなとおり、必ずしも長谷川に好意をもっていないと推認できる。文枝は、請求者が拘束者宅を出てしばらくした平成2年11月ころから登校拒否状態となり、平成3年1月にはうつ状態であるとの診断を受けており、その原因は主に長谷川と請求者との間に挟まれた文枝の感情の葛藤にあるが、母親である請求者との縁を切ることができない以上長谷川が同居している拘束者の監護のもとにあるかぎりその葛藤から逃れることはできないものということができ、また、被拘束者も同様の心の傷を負っているはずであり、現在のところ特段の症状が現れているわけではないが、この拘束状態が続く限りは予断を許さない状況であると認められる。

他方、請求者は、看護婦の職に就き、裕福ではないものの一応の経済的基盤を確立し、監護養育についても、勤務のため自分で監護養育できない時間帯について、日中は学童保育に頼むことにし、他の時間帯は幼稚園教員の資格を持つベビーシッターと契約し、緊急の場合は近所の小山牧師夫婦に頼むというように可能な限りの準備をしており、前回判決の前日に被拘束者及び文枝を渡された後は、文枝の症状に応じて、実家の援助を得て勤めていた病院を辞めて子供の監護養育に専念し、その甲斐あって、根本的な治癒かどうかは別として、登校拒否やうつ状態は一応改善されたと見ることができる。また、被拘束者及び文枝は未だ6歳と8歳の児童であり、まだ母親の必要な年頃であるし、女児であることから、特に濃やかな配慮の可能な母親を必要としているということができる。

(四)  以上の諸事情を総合して判断すると、請求者と拘束者の夫婦関係は既に破たんにひんしており、被拘束者の監護養育については、母である請求者にこれをさせる方が父である拘束者にこれをさせるより、被拘束者の成育や幸福に適するということができる。

したがって、被拘束者に対する本件拘束は、人身保護規則4条にいう拘束の違法性が顕著である場合に該当する。

三  結論

よって、請求者の拘束者に対する本件請求は理由があるからこれを認容して、被拘束者を釈放することにし、同人が幼児であることに鑑み、人身保護規則37条を適用してこれを請求者に引き渡すことにし、本件手続の総費用の負担については人身保護法17条、同規則46条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻忠雄 裁判官 吉野孝義 北川和郎)

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