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神戸地方裁判所 平成3年(行ウ)20号 判決 1992年3月13日

原告

甲野一郎

右法定代理人親権者父

甲野太郎

同母

甲野花子

右原告訴訟代理人弁護士

川西譲

足立昌昭

藤原精吾

深草徹

青木佳史

松本隆行

西田雅年

被告

尼崎市立尼崎高等学校長

木津裕明

尼崎市右代表者市長

六島誠之助

右被告両名訴訟代理人弁護士

大白勝

上谷佳宏

木下卓男

福間則博

幸寺覚

右被告尼崎市指定代理人

渡部慶造

外二名

主文

一  被告尼崎市立尼崎高等学校長木津裕明が平成三年三月一九日原告に対してした入学不許可の処分を取り消す。

二  被告尼崎市は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。

三  原告の被告尼崎市に対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用中、原告と被告尼崎市立尼崎高等学校長木津裕明との間に生じたものは同被告の負担とし、原告と被告尼崎市との間に生じたものは、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は同被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一主文第一項と同旨。

二被告尼崎市は、原告に対し、平成三年四月一日以降原告が尼崎市立尼崎高等学校への入学が許可されるまで一か月につき金二〇万円の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

原告は、平成三年度の尼崎市立尼崎高等学校(以下「本件高校」という。)の入学を志願し、学力検査を受検したところ、調査書の学力評定及び学力検査の合計点において合格点に達していたが、進行性の筋ジストロフィー症に罹患していて、高等学校の全課程を無事に履修する見込みがないと判定されて、入学不許可の処分(以下「本件処分」という。)を受けた。

本件は、原告が、被告尼崎市立尼崎高等学校長(以下「被告校長」という。)に対し、本件処分が身体的障害を唯一の理由としたもので、憲法二六条一項、一四条、教育基本法三条一項などに反し違法であるとして、その取消しを求めるとともに、国家賠償法一条一項に基づき、被告尼崎市(以下「被告市」という。)に対し、本件処分後である平成三年四月一日から原告の本件高校への入学が許可されるまで一か月につき二〇万円の割合による慰謝料の支払を求めたものである。

一争いのない事実

1  当事者

(一) 原告は、平成三年三月に尼崎市立南武庫之荘中学校(以下「南武庫之荘中学」という。)を卒業したが、これに先立ち、本件高校への入学を希望し、同年二月二三日に入学願書を提出し、同年三月一五日に本件高校の学力検査を受けた。

(二) 被告校長は、本件高校への入学許否の処分をする権限を有する者である。

被告市は、本件高校を設置管理し、被告校長を任用している。

2  本件高校の入学選抜制度

(一) 入学許可権限の所在

学校教育法四九条は、高等学校に関する入学に関する事項は監督庁がこれを定めるとしており、これを受けて学校教育法施行規則(昭和二二年文部省令一一号)五九条で、高等学校の入学は、調査書その他必要な書類、選抜のための学力検査の成績等を資料として行う入学者の選抜に基づいて学校長がこれを許可するものと定めていて、本件高校の入学を許可する権限は被告校長が有する。

被告校長のする入学の許可、不許可の処分は、被告市の付与する権限に基づく公権力の行使に当たるものである。

(二) 本件高校における入学者選抜方法

兵庫県教育委員会(以下「県教委」という。)は、高等学校の入学に関する事項につき管理し、執行する権限を有する(地方教育行政の組織及び運営に関する法律二三条四号、三三条一項)。そして、県教委は、平成三年度における兵庫県の公立高等学校の入学者の選抜について、「公立高等学校の入学者選抜について」と題する通知(昭和五九年七月二〇日付文初高二八三号文部省初等中等教育局長通知、以下「選抜通知」という。)に則って、平成三年度兵庫県公立高等学校入学者選抜要綱(以下「選抜要綱」という。)を定めている。

本件高校を含む尼崎市内の八校の公立高等学校においては、同年度の入学者の選抜は、選抜要綱一〇一項の別途指示に基づき、入学者の選抜を各高等学校毎に行わず、前記八校の公立高等学校全体で総合調整の上、各高等学校の入学者を選抜する総合選抜制度によって実施された。

(三) 総合選抜制度の概要

(1) 入学志願

入学志願をする者は、一校一学科に限り、出願することができる。

出願に当たっては、志願者の中学校長が、入学願書、調査書、学級学習評定一覧表、学年学習評定配分表など所定の書類を提出する。

(2) 総合選抜管理委員会

入学者の選抜は、右の書類や学力検査の結果をもとに、総合選抜管理委員会が行うが、同委員会には、次のような委員会が設けられており、その構成、任務は次のとおりである。

① 調査書審査委員会

関係高等学校長が任命した委員で組織され、委員の互選で委員長が決定されるが、中学校長から送付された調査書の記載事項を厳格に審査し、判定資料A及びBを作成し、合否判定委員会に報告する。

判定資料Aは、調査書中、学習の評定の記録中の第三学年の「国語」「社会」「数学」「理科」「英語」の五教科の評定及び「音楽」「美術」「保健体育」「技術・家庭」の四教科の評定を一定の割合で総和したもので、「総配点五〇〇点満点中何点」というように表される。

判定資料Bは、調査書中、各教科の学習の評定の記録以外の諸記録を総合したもので、「身体の記録」もこの資料に含まれ、「各高等学校の教育課程の履修の可否についての観点から評定する」ものとされている。

② 学力検査成績審査委員会

関係高等学校長が任命した各校同数の委員で組織され、委員の互選で委員長が決定されるが、各高等学校が実施した学力検査(学力検査実施科目は「国語」「社会」「数学」「理科」「英語」の五教科で、各教科の配点は一〇〇点で、総配点は五〇〇点である。)の結果を教育委員会の定めた方法によって採点し、判定資料Cを作成し、合否判定委員会に報告する。

③ 面接委員会

受検者の進路に対する意思の確認等調査書の記載事項と関連して受検者に対する理解を一層深める必要がある場合に面接が実施されるが、平成三年度の本件高校の入学者の選抜においては、原告を含めて面接は実施していないので、右委員会は開催されていない。

④ 合否判定委員会

関係高等学校長で組織(総合選抜管理委員会の委員の中から若干名の補助委員を任命することもできる。)され、委員の互選で委員長が決定(平成三年度の当該委員会の委員長は被告校長であった。)されるが、前記資料に基づいて、入学者の選抜を行う。

(3) 合否判定委員会の判定方法

① 合否判定委員会は、中学校の校長から送付された調査書その他必要な書類、選抜要綱に基づいて実施される学力検査の成績等を資料として合否を判定する。判定に当たっては、学力検査の成績(判定資料C)と調査書の学習評定(判定資料A)との比重が同等(総配点はいずれも五〇〇点)となるようにし、合否を判定する。

その際、判定資料Bは参考として用い、総合判定になるように留意するものとされており、また、特別活動、部活動等の記録において顕著な内容がある場合にはその内容を各高等学校の特色に応じて評価して特別に取り扱ってもよい。

② 次に、各高等学校募集定員の一〇パーセントについては、成績上位の者から順に志望校を優先し、残り九〇パーセントについては、住居を優先し、交通事情・特殊事情を勘案して、各高等学校長が協議をした上、それぞれの学校の入学者を決定する。

(4) 入学許否処分

各高等学校長は、右合否判定委員会の合否判定に基づいて、それぞれ自校の入学許否処分をする。

3  本件入学不許可処分に至る経緯

(一) 原告は、平成三年二月二三日、南武庫之荘中学校長藤田辰夫(以下「藤田校長」という。)を通じて本件高校に、入学願書を提出し、さらに、同年三月一日、本件高校の校医小林六郎(以下「小林校医」という。)に紹介された国立刀根山病院の姜進医師(以下「姜医師」という。)作成の診断書(以下「本件診断書」という。)を被告校長に提出した。

藤田校長は、同年三月四日、本件高校に対し、調査書を提出した。

(二) 原告は、平成三年三月一五日、本件高校において、学力検査を受検した。

(三) 平成三年三月一八日、平成三年度の合否判定委員会が開催された。原告に関する判定資料A及びCの合計点は合格ラインに達していたものの、同委員会を構成する校長らは、判定資料B及びこれに関して原告らから前もって提出された診断書などの記載、小林校医の意見その他諸般の事情から、原告の疾患の特性、障害の程度、学校の受入れ態勢等を教育的見地から総合判断した結果、全員一致で原告の身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見通しがないものとして不合格と判定し、同月一九日、被告校長は、右合否判定委員会の判定に従って、本件処分をした。

二争点

本件の主な争点は、本件処分が被告校長の有する本件高校への入学許否の処分をする権限に基づく裁量の範囲内にあったか否かであり、その前提として、①原告の身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見通しがないと判断できるようなものであったか否か、②合否判定委員会が選抜要綱とは別個に合否判定基準を設けることが許されるか否か、③合否判定に際して手続上の瑕疵(使用してはならない資料の使用又は資料の使用方法の違反)があったか否かが問題となる。そして、賠償請求に関しては、被告校長に故意又は過失があったか否か、原告の損害の有無及び程度も問題となる。

第三争点に対する判断

一原告の高等学校における全課程の履修可能性について

1  高等学校入学許否処分の性質

(一) 地方公共団体が設置する公立の高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする(学校教育法四一条)営造物であり、高等学校への入学は、生徒と高等学校の設置者との間に、高等普通教育等を実施する目的を達成するため教育施設の利用関係を設定する行為である。

高等学校の入学に関する事項は、監督庁である文部大臣が定めるもの(学校教育法四九条、一〇六条)とされているが、法令上は、その入学の方法について、調査書その他必要な書類、選抜のための学力検査の成績等を資料として行う入学者の選抜に基づいて学校長が許可する(学校教育法施行規則五九条一項)との定めがあるだけである。これを受けて、選抜通知では、入学者選抜は、右資料に基づき、各高等学校、学科等の特色に配慮しつつ、その教育を受けるに足りる能力・適性等を判定して行うとしているが、入学選抜の方法や許可の基準については、なんら具体的に定めていない。したがって、高等学校への入学について、その許否処分自体はもちろん、どのような入学選抜方法をとるかについても、前記高等学校における教育目的実現のための教育的見地からする学校長の裁量的判断に任されているものと解することができる。

(二) しかしながら、入学許否の処分が高等学校長の裁量に委ねられているとしても、その判断が憲法その他の法令から導き出される諸原則に反するような場合には、その処分が違法となることがあるのは当然である。また、県教委では入学選抜の準則として選抜要綱を定めているが、選抜要綱自体は、兵庫県における公立高等学校の入学選抜の手続に関する内部的準則に過ぎず、右要綱に反する手続によって入学許否処分をしたとしても直ちにその処分が違法となるものではない。しかし、右要綱に定められた手続を著しく逸脱したような場合は、裁量権の逸脱又は濫用としてその処分が違法となると解せられる。さらに、処分が事実の誤認に基づいていたり、その内容が社会通念に照らして著しく不合理であったりするような場合にも、裁量権の逸脱又は濫用としてその処分が違法となることはいうまでもない。

(三) 原告は、この点について、学力が高等学校の教育を受けるに適した水準であることが、入学許可の原則的要件であって、選抜要綱に定める合否判定の方法から明らかなとおり、合格者は中学校での学力の評定及び学力検査の成績の合計点数で決定されるのが原則であり、それ以上の資料については、せいぜい合否判定の境界線上にある者についてしか判定資料になり得ない旨主張する。

ところで、学校教育法施行規則五九条一項は、高等学校の入学者の選抜において、学力検査の成績とともに中学校長から送付された調査書等を資料として用いることができると定めている。調査書には、通常、中学校における学習の評定と並んで、学力とは直接関係のない学習の評定以外の記録も記載されているが、入学者の選抜において、送付された調査書を具体的にどのように取り扱うかについて定める規定は、法令上特に存在しない。この点について、前記選抜通知では、入学者の選抜に当たり、学力検査とともに、調査書を判定の資料として重要視する必要性を強調し、調査書中の学習評定以外の記録についても、これを積極的に利用することをうたっている。したがって、入学者の選抜において、調査書に記載されている学習評定の記録とともに、学習評定以外の記録を資料として用いることが禁じられていると解することはできず、学力とは直接関係のない学習評定以外の記録をどのように扱うかについては、合否判定の権限を有する各高等学校長の裁量に委ねられていると解せられる。

兵庫県では、選抜要綱において、判定資料A(調査書中、学習の評定)及びC(学力検査の結果)とを同等に扱い、合否を判定するが、その際、判定資料B(調査書中、学習の評定以外の記録)を参考として用い、総合判定となるよう留意するとしている。そうすると、兵庫県の公立高等学校の入学者の選抜に当たっては、全ての受検者について、その合否の判定において、学力以外の判定資料である調査書中の学習評定以外の記録を用いることを認めているということができる。

むろん、高等学校の入学については、義務教育とは異なり、入学者選抜制度がとられており、その選抜は、「各高等学校、学科等の特色に配慮しつつ、その教育を受けるに足る能力・適性を判定して行うものとする。」(右選抜通知)とされているのであり、合否判定の判断基準は、高等学校教育を受けるに十分と認められる能力・適性を有しているか否かである。そして、専門教育ではない、高等普通教育を目的とする本件高校にあっては、その教育を受ける能力・適性とは、第一次的に高等普通教育を受けるに足りる学力を指しており、右学力をもって、合否判定の基準とすることが客観的な基準として合理性を有することは、原告が主張するとおりである。

しかし、教育を受けるに足りる能力・適性というのは、全人的なものであるから、それを判断するために、学力に加えて、学力以外の要素を判断の資料として用いることは認められて然るべきである。したがって、調査書に記載された学力以外の本人の記録、例えば、身体の記録、出欠の記録、特別活動の記録、行動及び性格の記録等を、学力を補充する資料として、使用することは許されないものではなく、選抜要綱で定められているように、調査書中の学習評定以外の記録を合否の判定の参考資料として用いることは可能であると解せられる。

但し、以上に述べたところからも明らかなように、選抜要綱が定めているとおり、兵庫県の公立高等学校における入学者の選抜に当たっては、第一次的に調査書中の学習の評定の記録(判定資料A)と学力検査の成績(判定資料C)とによるべきであり、調査書中の学習の評定以外の記録(判定資料B)については、原則として参考資料とすることができるにとどまり、特別の理由がないのに、判定資料A及びCを超える比重を与えて、これを重視した場合には、裁量権を逸脱し又は裁量権を濫用したとして、合否の処分が違法となることがあると解せられる。

(四) 被告らは、「高等学校の全課程を履修する見通しがある」ことを合否判定の基準として掲げている。この基準は、昭和三八年八月二三日文初中三四〇号の文部事務次官通知(<書証番号略>)が、学校教育法施行規則五九条一項につき、「高等学校の入学は、高等学校の目的に照らして、心身に異常があり修学に堪えないと認められる者その他高等学校の教育課程を履修できる見込みのない者でないかどうかを判定して許可するものである。」としていること及び県教委が定める選抜要綱の四〇六項において、「(学習の評定以外の記録のうち)身体の記録については、各高等学校の教育課程の履修の可否についての観点から評定する。」としていることによるものであると認められる。

前者は、文部事務次官から各都道府県教育委員会等に宛てて出されたもので、法的拘束力を有するものではないが、右通知にいうように、調査書に記載されたところに基づいて、一定の学力に達している者でも、他の理由により高等学校の全課程を履修できないとの見込みが認められる場合に、その事情を考慮して合否の判定をすることが、直ちに、学校長の裁量権を逸脱し又は裁量権を濫用していると解せられるものではない。また、後者の選抜要綱が定めているとおり、高等学校の課程の履修の可否の判断に際し、身体の記録を参考としたとしても、そのことから、直ちにその判断が違法不当なものとなるわけではない。

(五) ところで、被告らは、学校教育法四一条に「高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。」とあるのを捉えて、高等学校教育を受けるに足りる能力には身体的能力が含まれるとしたうえ、身体的能力が発達しているか否かを入学者の選抜において判断資料とすることができるとも主張している。一般論として、右の説示に反対するものではないが、同法四一条に「心身の発達に応じて」とあるのと同じ文言が小学校(同法一七条)及び中学校(同法三五条)の場合にも用いられており、これらの規定は、各学校がそれぞれ児童生徒の心身の発達に応じた教育を行うことを目的とすると定めた当然の規定であり、被告らの主張が、身体障害を理由として、高等学校の入学を一切拒否することができるとするものであれば、そのような考え方に与することはできない。

そもそも、学校教育法施行規則二六条は、小学校の児童が心身の状況によって履修することが困難な各教科は、その児童の心身の状況に適合するように課されなければならないと規定し、同規則六五条は、高等学校の生徒についても右二六条を準用しているので、身体障害などのため体育などの履修が困難であっても障害の程度に応じて柔軟に履修方法を工夫すべきであり、障害児の高校受入れに当たっては障害のため単位認定が困難というだけの理由でその受入れを拒否することのないようにすべきであるとの障害児教育に関する国としての指針を示しているものと解され、改定された高等学校学習指導要領の第一章第六款の六の七にも、「……心身に障害のある生徒などについては、各教科・科目の選択、その内容の取扱いなどについて必要な配慮を行い、生徒の実態に即した適切な指導を行うこと。」と規定され、障害の程度に応じた適切な指導が要求されているのである。

したがって、「高等学校の全課程を履修する見通しがある」ことを合否判定の基準とすることができるとしても、身体に障害を有する受検者について右のような基準を適用し、障害のため単位認定が困難という理由で不合格の判断をするなど、障害者に対する不当な差別を招来することのないよう留意しなければならないことはいうまでもない。

2  履修可能性を認定する方法について

(一) 被告校長は、前述のとおり、判定資料B及びこれに関して原告らから前もって提出された診断書などの記載、本件高校の校医の意見その他諸般の事情から、原告の疾患の特性、障害の程度、学校の受入れ態勢等を教育的見地から総合判断して、原告の身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見通しがないとした合否判定委員会の認定(以下「本件認定」という。)に基づいて本件処分をしたものである。

(二) 原告の身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見通しがあるか否かということは、一定の評価をしたうえで初めて認定できる評価的な事実である。そして、その評価には、教育的な専門知識が必要で、かつ、将来の予測を含んでいる点で、被告校長の教育的観点からする専門的、技術的裁量の余地があることは否定できない。

しかし、この事実は、教育的効果の有無や教育環境・条件の優劣などの純粋に教育的な評価が必要な事実とは異なり、身体的状況という日常的な経験的要素も強く、また、医学的見地からする評価も重要な要素を占める事実であるということができる。

したがって、本件認定が、事実に基づかない場合はもちろん、前提事実を評価するに際して教育的裁量の側面だけを重視して日常経験的、医学的な側面を軽視するなどその評価過程に著しい不合理があるような場合にも、事実誤認があるということができる。

3  本件認定に至る経緯等について

以上に述べた見地に立って、本件処分の前提になる合否判定委員会のした本件認定に誤りがあるかどうか、すなわち、原告の身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見通しがないと判断できるようなものであったか否かについて検討する。

証拠によると、本件認定に当たって使用した資料、本件認定に至る経緯などについて、次の各事実が認められる。

(一) 原告の南武庫之荘中学における状況

(1) 南武庫之荘中学における原告に対する受入れ態勢

(<書証番号略>、証人西澤慎の証言)

原告が昭和六三年四月に南武庫之荘中学に入学した際、職員会議で原告の受入れ態勢について話合いが行われ、施設の面については、スロープ及び車椅子の昇降を補助するに便利な手すりの設置を市に要請することにし、この要請に応じて、それらの施設、設備が設けられた。その他の面では、原告配属の学級の教室を一階とすること、原告の学級担任を体力のある若い体育の教師とすること、教室の移動を手伝ってもらえるよう原告の小学校の同級生を同じクラスになるように学級編成することなどが決められた。

二年目以降も、原告の所属する学級の編成に際しては、原告と親しくしている生徒を中心に編成するようにし、かつ、一階にある教室をホームルームとして割り当てるように配慮した。

(2) 南武庫之荘中学時代の原告の身体状況(<書証番号略>、証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎の尋問の結果)

原告は、昭和五五年にデュシェンヌ型筋ジストロフィー症との診断を受け、昭和六一年に小学校五年生に進級するころから常に車椅子を必要とする状況になった。

原告の機能障害の程度は、中学校三年間で進行し、腕を挙げることができなくなり、背柱の弯曲が顕著になり、同一姿勢の保持が困難になったほか、少し筆圧が弱くなった。しかし、頁をめくる、読む、書く等の動作には全く支障がなく、書いた文字も全て判読できる状況であった。

原告の体重は、現在は怪我をして入院したために減少し36.8キログラムであるが、本件高校受検当時は約四〇キログラムであった。

(3) 南武庫之荘中学における原告の生活状況(<書証番号略>、証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎の尋問の結果)

原告の南武庫之荘中学時代の登下校は、三年間を通して、原告の母親が車椅子を押して介助した。

右中学での原告の教室移動は、水平移動については、一階にスロープが設置されていたので誰か一人が車椅子を押せばそれで足りたが、二階以上の階にある音楽室並びに体育館、多目的教室、図書館等を利用するため垂直移動が必要な授業の際は、車椅子を扱い慣れている生徒が中心になり多数の生徒がチームを組んで介助し、三人で車椅子を支え、二名程度で学習道具を運ぶようにしていた。

原告の母親は、学校の中では、昼休みころに用便の介助をする程度で、それ以外の時間は、教室の隣の小部屋で待機していた。

(4) 南武庫之荘中学における原告の出席状況(<書証番号略>、証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎の尋問の結果)

右中学在学中、原告が風邪や腹痛のため欠席した日数は、一年生時が一九日、二年生時が一五日、三年生時が九日であり、原告の母親が健康であったため、母親の病気で登校できなかったことはほとんどなかった。

(5) 南武庫之荘中学における原告の学業履修状況(<書証番号略>、証人西澤慎の証言)

右中学では、原告をできるだけ他の生徒と同様に扱う方針を立て、実際にも、原告は、一般の教科については何の支障もなく授業を受け、週二時間の体育実技だけはその場で見学していた。

(6) その他の南武庫之荘中学での活動(<書証番号略>、証人西澤慎の証言)

原告は、文化祭などの行事についても、運動会で見学した他は全てに参加し、日帰りの遠足やハチ高原での一泊の野外活動にも参加していた。

原告は、放課後のクラブ活動については、母親の都合で参加できなかったが、一、二年生時は、社会科委員として、ペーパーテストの回収や次回の授業予定の連絡等をしていた。

(二) 本件高校における障害者等の受入れ実績について

(1) Aの本件高校への入学(<書証番号略>、証人福長修、同隅結城の各証言)

本件高校では、昭和六一年四月に筋ジストロフィー症(ただし、病名は原告と異なり、ウルリッチ型である。)のため車椅子を必要とするAを受け入れて三年後に無事卒業させたことがある。

Aの入学が決定する前に、職員会議において、当時の本件高校の校長井上徳二郎(以下「井上校長」という。)は、筋ジストロフィー症で車椅子が必要なAが受検するということを紹介し、Aの中学時代の生活状況について話したが、特にAの受検を疑問視する意見はなかった。

(2) 本件高校でのAの受入れ態勢(<書証番号略>、証人福長修、同隅結城、同小林六郎の各証言)

① 人的な受入れ態勢

昭和六一年四月の最初の職員会議で、井上校長からAが合格したから協力してほしいとの要請があり、Aの受入れ態勢について話し合われた結果、具体的なAの学校生活については主としてAの所属する学年で協力をすることになった。Aの介助に関しては、中学時代からAに協力してきた生徒が多数いることなどから、日常の教室の移動などは特に当番を決めるということをせずにできるだけ教師、生徒の自主的な協力に任せてAを支えていくことになった。

② 施設、設備面での受入れ態勢

施設面においても、本件高校には従来から身体障害者用のトイレがあり、Aの受検に際して車椅子用の通路の段差を解消するためのスロープが設置されていたが、Aの合格後、そのトイレの手すりをAにあわせて改修したり、Aのホームルーム教室のドアレールを埋め込み型にして車椅子が通り易いようにしたり、Aの体格にあった低い机を購入したりしたが、これらの改善された設備は現在もそのまま残されている。

③ その他の本件高校の配慮

Aの学習する教室については、ホームルーム教室はトイレに近い教室を当てるようにし、また、選択科目の教室もできるだけAがそのホームルーム教室で学習できるように編成する等の配慮をした。

Aの在学中三年間は、その診察、治療などの健康管理については小林校医が当たり、また、塚本医師の助言に従い、急性心不全など急性の病変がおこる事態に備えて、小林校医の紹介で近くの近畿中央病院循環器科の寺田医師に緊急時の援助を依頼していた。

(3) Aの身体状況(<書証番号略>、証人隅結城、同小林六郎の各証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

① 入学当時

Aは、入学当時、身長一三〇センチメートル、体重約二四キログラム、胸囲約六二センチメートルであり、脊柱が腰の部分から前屈が強く拘縮が見られ真っ直ぐに延びない状態であったが、背もたれを利用せずに右足を立て膝をした状態で体を支えて座位の状態を保持することは可能であった。

Aは、授業の内容をノートに筆記することができたが、本件高校入学当時から、独立して歩くこと、自分で車椅子を移動することはできなかった。

② 卒業時

Aの卒業時の状況は、身長約一四四センチメートル、体重約二〇キログラム、胸囲約六〇センチメートルで、座位を支えるのに右足だけを使っていたため股関節が腱鞘炎となり立て膝をすることができなくなり、前屈が大きくなった。

(4) 本件高校におけるAの生活状況(<書証番号略>、証人福長修、同隅結城の各証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

① 登下校

入学当初は母親がAの学校への送り迎えの介護をしていたが、二年生の初めから母親が家庭の事情でAの登校時の介護をすることができなくなったので、Aの住居に近い教師を中心として四人で毎週当番を決めてAの登校の介助をすることになった。

② 校内での移動

Aの教室は三年間を通じて二階以上の階にあったが、垂直移動が必要な場合はその場に居合わせた教職員又は生徒のうち四人が協力してAの車椅子による移動を手伝い、水平移動の場合は誰か一人が車椅子を押してAの移動を手伝った。

③ 学校生活一般

用便の介護については、一年生のときはAの母親がしていたが、二年生以降は、沢村貞子養護教諭(以下「養護教諭」という。)が中心になって協力を呼び掛け、女性教諭が自主的に協力した。

Aは、三年時には、しばしば保健室で休養をとるようになり、食事も保健室ですることが多くなった。

④ 事故等について

Aの在学中の事故としては、一年生の一〇月にチョコレートのアーモンドを喉に詰めて三〇分ほど苦しんだこと、同じく一二月に玄関近くにある五センチメートルくらいの段差のところで車椅子ごと倒れて顔面を打ち、病院へ運ばれたことがあった。幸い転倒事故によるAの怪我は軽傷で済み、その段差にはすぐスロープがつけられた。

(5) Aの出席状況(証人福長修の証言)

Aは、三年間無事通学したが、二年生の秋に虫垂炎で入院して合計一〇日ほど欠席したほかは、ほとんど欠席したことがなく、他生徒と大差なく、単位の取得、進学に影響のない程度であった。

(6) Aの学業履修状況(証人福長修、同隅結城の各証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

① 一般教科

Aの授業態度は極めて良好で、熱心に授業を受け、ノートもしっかり整理していたが、三年時には、保健室でテストを受けたこともあった。

② 体育実技

改定された高等学校学習指導要領第一章第六款の六の七は「心身に障害のある生徒などについては、各教科・科目等の選択、その内容の取扱いなどについて必要な配慮を行い、生徒の実態に即した適切な指導を行うこと。」としている。本件高校でも、生徒の身体の状況等によって必ずしも体育実技に参加できなくともその生徒にできる限りのことをさせ、その都度話合いをしてその生徒にあった方法を考えて柔軟に単位の認定をするようにしており、体育実技の見学は出席扱いにしている。過去には、身体障害以外にも内蔵疾患などのために体育実技ができない生徒が在籍していたことがあり、レポートの提出や審判員をしたり、一緒に運動場で見学したりして、体育実技に参加している。

Aの体育実技については、当初は、刀根山病院の塚本医師及びAの母親と相談の上、可能な限り参加させることにしていたが、塚本医師と小林校医から運動をすることは好ましくないとの意見がでたので、方針を変更した。

Aは、体育実技については、一年時には、巻尺を巻いたり、バレーボールやテニスボールで五メートルくらいの的当てなどを、一、二年時には、浮輪を付けて水泳などをし、また、体育大会や競技会では放送部に所属していた関係でアナウンスをする方法で体育実技に参加していたほかはほとんど見学であったが、何ら問題なく体育実技の単位の認定を受けた。

③ その他

学年末には全体の単位認定についての審議会が開催され、多い年には延べ一〇〇人くらいが問題になることもあるが、Aは、在学中三年間を通じて一度も単位認定について問題になったことがなかった。

(7) Aの野外活動等への参加(<書証番号略>、証人福長修、同隅結城、同小林六郎の各証言)

Aの野外活動参加については、二年時のスキー旅行では、主治医の塚本医師も難しいと判断したが、教職員、主治医、小林校医がトイレ、緊急時の場合の連絡方法、バス、宿舎などについて打ち合せや下見をし、旅行先で悪くなった場合にそこの医療機関で治療を受けるために塚本医師に詳しい情報提供書を作成してもらい、養護教諭に酸素吸入の仕方を教えて、校医の診療所からその道具を持参させるなどして、母親の付添いのうえAを野外活動に参加させた。

(8) A以外の車椅子の生徒について(<書証番号略>、証人福長修の証言)

本件高校では、A以外にも車椅子の生徒Bが在籍したことがあった。Bは、三年生であった平成二年五月ころ、突然原因不明の高熱によって三か月ほど車椅子の生活を余儀無くされ、その間、病院から本件高校の教師二名の介助によって通学したが、Aの入学に際して改善された施設等を利用し、Aの場合と同様に校内の移動やトイレなどについて生徒及び教師の介助を得て、体育についても見学の形で参加し、無事卒業した。

(三) 原告の本件高校受検に至る経緯

(1) 本件高校の受検希望の経緯(証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎の尋問の結果)

原告は、母親の登下校の介護の便宜上自宅から学校まで近いことが望ましいこと、また、南武庫之荘中学の同級生と一緒に勉強をしたいことなどから、住居から一番近く、右中学の多数の卒業生が受検する本件高校への進学を希望し、大学進学の希望も有している。

(2) 被告校長が原告の受検を知った経緯(証人西澤慎の証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

被告校長は、平成二年七月二日、尼崎市の課外活動検討クラブ委員会において、原告の南武庫之荘中学の担任西澤慎教諭(以下「西澤担任」という。)から、非公式に、筋ジストロフィー症で車椅子が不可欠であるが成績は良好な男子生徒が本件高校を受検する意向を持っていることを告げられて、原告の受検を初めて知ったが、この話に対し、前例もあるので検討しておくと答えた。

(3) 原告の受検を知った以後の準備(被告木津裕明本人尋問の結果)

そこで、被告校長は、Aに関する保健カード、保健日誌及び小学校・中学校から提出された種々の資料などの記録を検討したほか、養護教諭、当時の学年主任、副主任、学級担任、体育担当の教諭からAについての事情を聴取した。その中で、各教諭から、事故への対処方法及びその責任の所在が最大の問題であり、そのためには現在の施設、設備では無理があり、エレベーター、エスカレーター、階段のスロープなどの設備を設けることと、介護員、介助員を付けることが必要だと告げられた。

(4) 本件高校における総合選抜事務準備会(被告木津裕明本人尋問の結果)

その後、平成二年一〇月末ないし一一月ころ、総合選抜事務の管理校として、総務、教務の部長及び副部長並びに受検の担当者が中心になって選抜事務の準備会を開いた。その際、被告校長は、原告が本件高校を受検する希望を持っていること及び筋ジストロフィー症で車椅子が不可欠であるが成績は良好であることを話して担当者の意見を求めたところ、病名をはっきり知る必要がある、Aの三年間の生活についてAを担当した教師から話を聞いた方がよいという意見が出された。

(5) 尼崎市八高等学校の校長打合せ会(被告木津裕明本人尋問の結果)

平成二年一二月一一日に開かれた同市内八校の公立高等学校校長の第一回目の打合せ会において、被告校長は、車椅子を不可欠とする筋ジストロフィー症の男子生徒が本件高校の受検を希望していることを報告し、他の七校における類似の特別受検の例の有無を尋ねたところ、他校ではまだ中学校からそのような報告はないという回答であった。平成三年一月一〇日にも校長打合せ会が開かれたが特にその問題の進展はなかった。

(6) 本件高校での面接の申入れ(<書証番号略>、証人西澤慎の証言)

その後、藤田校長は、被告校長に対し、正式に原告が本件高校への入学を希望していることを伝えた。その結果、原告と藤田校長は、平成三年二月七日に本件高校を訪問することになった。

(7) 二月五日の校務運営委員会(被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年二月五日に開催された校務運営委員会において、被告校長は、原告の受検に関し、南武庫之荘中学の藤田校長から同月七日午後に原告を連れていくとの連絡があったので、被告校長、教頭及び養護教諭で対応すると説明した。この時点では原告の病名が筋ジストロフィー症中のどのような病型であるかが判明していなかったので、出席委員から、よく原告を観察してほしい、Aとの違いも見ておいてほしいとの意見が出された。

(8) 二月七日の原告の本件高校への訪問(<書証番号略>、証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎、被告木津裕明本人の各尋問の結果)

平成三年二月七日、南武庫之荘中学から原告、原告の母親、藤田校長、西澤担任の四人が本件高校を訪問し、本件高校では被告校長、教頭及び沢村養護教諭が応対した。藤田校長から原告が本件高校を受検したいので来校したとの説明があったが、原告の日常生活などについての立ち入った説明もなく、原告やその母親から特に発言もなかった。本件高校側からは、原告に対し、本件高校受検の希望の有無、握力の程度などについて質問があり、藤田校長及び西澤担任に対し、本件高校については、教室が二階以上にあること、選択科目の増加で教室の移動が非常に多くなること、体育実技の単位認定には難しい問題があること、尼崎市内の八公立高等学校では平成二年度から全科目について単位認定基準が厳しく変更され、各科目とも五分の四以上の出席日数が必要で、遅刻又は早退は三回で一欠課とすることになったことなどの説明がされた。その後、原告らは、本件高校の教頭らに案内されて、保健室やトイレ等の設備を見学した。

(9) 養護学校受検の手続(<書証番号略>、証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎の尋問の結果)

西澤担任は、本件高校訪問後しばらくして、藤田校長から養護学校の併願が本件高校を受ける条件であるかのような説明を受け、受検手続をするように指示された。同担任は、原告が養護学校への入学を希望しておらず、また、原告の成績であれば本件高校に合格可能であると思っていたので不審に感じたが、一応、原告の母親を通じて尼崎市立尼崎養護学校(以下「尼崎養護学校」という。)受検の手続だけはするようにと原告に連絡した。

(10) 原告の生活状況を記した書面の提出(<書証番号略>、証人西澤慎の証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年二月一二日ころ、藤田校長から、被告校長が求めていた原告の生活内容についての報告書(<書証番号略>)が提出された。同報告書には、「1病名 進行性筋ジストロフィー、2姿勢・状態 全身運動神経不全(車椅子不可欠)、3 知能・精神 温和、知的、精神状態極めて良好、4 昼食 友人と共に楽しく食べている。5 用便排便は常に母親がおこなっている。排尿は、別室で母親により容器で処理。6 教室移動 水平移動は、友人が(三年間付いてくれた友もいた)手伝ってくれていた。上下移動は二階、体育館、三階、音楽室、多目的教室も同級生が手伝ってくれた。7 授業時等 テストの時は、用紙は後ろへ配れないので、担当教師の配慮が必要。同室、同時間内で実施。8 登下校時 登下校時は、母親により、完全管理により心配はない。(雨天時用として「尼養」より車椅子を一台借用)9 母親待機 別室にて下校時間まで待機(保健室または小室) 欄外 HR教室 一、二年=南館一階、三年=北館一階」などの事項が記載されていた。

この文書には、筋ジストロフィー症の具体的な病名が記載されていなかったので、校内から、校長あるいは校務運営委員会で更に詳しく調べる必要があるとの意見が出された。

(11) 被告校長の南武庫之荘中学への訪問(被告木津裕明本人尋問の結果)

そこで、被告校長は、南武庫之荘中学へ赴いて藤田校長に会い、原告の病名など報告書の記載について、さらに詳細な説明を求めた。藤田校長は、その中で、原告の生活状況として、筆圧が弱くなってきている、握力が弱まっている、着替えその他身の回りのことができない、母親以外の者は身の回りの世話をしていない、との説明をし、また、母親が送迎できないときには登校していないのではないかと話した。

(12) 二月二〇日の校務運営委員会及び職員会議(証人福長修、同隅結城の各証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年二月二〇日に、校務運営委員会が開催され、被告校長は、原告が本件高校を訪れた際の様子、藤田校長との話の内容などを伝えた。隅教諭その他の委員は、体育実技や日常の学校生活に必要な事項について意見を述べた。

それまで本件高校では、特定の受検生について入学前に職員会議で議論になったことはなかったが、被告校長は、同日開かれた職員会議で、原告のことを初めて議題として取り上げ、車椅子が必要な筋ジストロフィー症の男子生徒が受検する予定であること、その生徒は体重五〇キログラムぐらいであり、排便の世話は母親がしていることを説明した。

この説明に対し、七〇名の職員中六、七人くらいの教職員から発言があり、無条件で積極的に受け入れるべきだという意見も一人あったが、他の意見は、現状の設備あるいは先生の力量に頼って受け入れるのは大変だ、原告を介助しながら階段を昇り降りするのは非常に危険を伴うのでエレベーターの設置は必要である、Aの場合祖母が急に倒れて母親による通学の介助ができなくなったりして最初の状況と異なった状況が多々あったので、今回は介護人員や教員の配置を増やすことを要請する必要があるとするものであった。また、教職員の方から、原告の病名についての詳しい診断や保護者の介助がどの程度見込めるかなども含めて原告に関する詳しい資料が必要だという意見が出された。

(13) 診断書提出の経緯

① 姜進医師への診断書作成の依頼(証人西澤慎、同小林六郎の各証言、原告法定代理人甲野太郎、被告木津裕明本人の各尋問の結果)

被告校長は、藤田校長に対し、職員会議での説明資料として正式の診断書及び診断した医師の意見の提出を求めた。しかし、原告がこれまで筋ジストロフィー症の専門医の治療を受けておらず、県立塚口病院の小児科の医師の診断を受けていたのみであったため、被告校長は、原告の住居近くで診療所を開いている本件高校の小林校医に専門医の紹介を受けるように藤田校長に勧めた。

藤田校長から診断書の提出方を告げられた原告は、母親と一緒に、小林校医を訪れたが、小林校医は、原告の病歴を質問した後、特に診察することもなく、直ちに刀根山病院の副院長に連絡を取って、筋ジストロフィー症を専門にしているのは姜医師であることを知り、同病院の姜医師宛に紹介状を書いた。右紹介状は、名刺に、原告が本件高校進学を希望しておるのでご高診をお願いするという趣旨を記載したものであった。

原告は、平成三年二月二八日、刀根山病院神経内科筋ジストロフィー症専門外来で、姜医師の診察を受けた。姜医師は、二〇ないし三〇分くらいの時間をかけて原告を診察したが、提出期限が迫っており、原告が診断書の即日交付を希望したので、臨床所見だけで本件診断書を作成した。

本件診断書には、「傷病名 デュシェンヌ型筋ジストロフィー症。上記疾患により、現在歩行・起立が不能で車椅子生活の状態です。内科的診察では、呼吸不全、心不全を示す徴候は見られず就学可能と考えます(高校三年間の就学は可能と考えますが、定期的に検診が必要です)。」と記載されていた。

② デュシェンヌ型の病型について(<書証番号略>)

筋ジストロフィー症は、骨格筋の筋肉そのものに異常が生じ、次第に栄養障害になる結果、上下肢などを動かすような動作ができなくなる病気であり、デュシェンヌ型はその中で症例が最も多く、最も進行が早い病型である。

デュシェンヌ型筋ジストロフィー症では、病気の進行に伴い脚や腕の筋肉だけでなく肋間筋、横隔膜などの呼吸運動に必要な筋肉群や心臓の筋肉も障害され、呼吸不全や心不全などの合併症の状態に進展していくことが多い。かぜ症侯群も、痰をだす力が弱っている筋ジストロフィー症患者の場合は油断できず、肺炎にも進展しやすく、また、かぜ症侯群などによる呼吸不全急性増悪は、若年患者の主な死因となっている。

以上のような合併症が見られない時期でも、合併症を早期に発見して対応ができるよう、三か月に一度は定期的に筋ジストロフィー症専門の医療機関で受診することが必要とされている。

③ 本件診断書の記載内容について(<書証番号略>、証人小林六郎の証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年三月一日に、西澤担任は、本件高校に、原告の病名に関する本件診断書を持参した。被告校長は、即日本件診断書を見たが、そこに記載されていたデュシェンヌ型筋ジストロフィー症という病名は初めて聞くものであったので、原告の受検及び入学後の事項に対する配慮並びにAが罹患していたウルリッチ型筋ジストロフィー症との異同を知るため、養護教諭を通じて小林校医に説明を求めた。養護教諭から説明を求められた小林校医は、ウルリッチ型は非常に遅滞型であるが、デュシェンヌ型は定型的に非常に進行が早く短命な病型の筋ジストロフィー症であると説明した。小林校医は、デュシェンヌ型筋ジストロフィー症の患者を見たのは初めてであり、原告を診察したこともなく、姜医師に診断書の記載について確認したこともなかったが、Aのときの経過、経験も踏まえた上で、文献で調べたデュシェンヌ型筋ジストロフィー症の病型から確率的に判断し、デュシェンヌ型筋ジストロフィー症の場合普通高校で三年間就学することは非常に困難で、養護学校の方が医療施設、電動車椅子及びそれに見合った施設、エレベーター、空調設備が整っていて、介助についても配慮が行き届いているので優れているという意見を述べた。被告校長は、尼崎市教育委員会(以下「市教委」という。)にもこのことを報告した。

(14) 三月二日の第三回校長打合せ会(被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年三月二日に三回目の高等学校長打合せ会が開かれ、被告校長が原告の診断書が提出されたことを報告したところ、他の校長から、その疾患の内容を詳しく知りたいという意見が出された。

(15) 三月七日の校務運営委員会(<書証番号略>、被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年三月七日に開かれた校務運営委員会において、被告校長は、原告の病名について報告し、養護教諭を介して小林校医から受け取ったデュシェンヌ型筋ジストロフィー症の分かりやすい説明書の写し(<書証番号略>)を回覧した。小林校医からは、専門的な文献(<書証番号略>)も受け取っていたが、非常に難解であったので、委員会では提出しなかった。

(16) 市教育委員会との交渉(被告木津裕明本人尋問の結果)

被告校長は、教職員から出された設備と増員の要望について市教委と三、四回交渉したが、市教委から、エレベーター、エスカレーター、二階又は体育館へのスロープの設置及び介護員の配置は無理であるが、階段の滑り止め及び手すり並びに小さな段差解消のためのスロープを設けることは可能である、トイレは座敷タイプのトイレを設置することはできるが、それを使用することができないのならば、部屋を仕切って控室を用意することができる、ステアエイド(キャタピラー付きの階段を昇る道具)が必要ならば予算に計上するが、それは、合格が決定してからの作業になるという返事を得た。

(17) 三月一三日の職員会議(証人福長修、同隅結城の各証言、被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年三月一三日の職員会議において、原告の受検が議題となったので、被告校長は、就学が可能であるとの本件診断書の内容を読み上げ、原告が車椅子に腰掛けたおとなしそうな生徒であったとの面談の際の印象、原告の体重は五〇キログラムであること、中学校では母親が送迎できないときは原告は欠席していたことの説明をしたが、小林校医から提供された医学書の写しは配布しなかった。また、被告校長は、施設、設備等の設置やステアエイドの購入など前記の市教委との交渉結果についても説明した。

そこでの職員の意見の主なものは、前回と同様、エレベーターの設備が必要であること、介護員を配置するべきであること、そのことを市教委に申し入れてどの程度の成果があったか、単位の認定は本当に可能であるのか、エレベーターは早急に設置されるのかというものであった。

(四) 本件処分の経緯

(1) 総合選抜制度の運用実態(被告木津裕明本人尋問の結果)

選抜要綱四一一項(1)アには、「判定資料Bは参考として用い」ると定められているが、実情としては判定資料Bを加えて総合的な判定となるように留意し運用されている。

判定資料Bで留意すべき事項として、実際の運用においては、身体状況以外に、特別活動の状況、欠席多数、過年度卒業その他特定不良科目が挙げられている。判定資料A、B、Cは全て一枚の成績個人票にまとめて記載され、判定資料Bのうち審議に必要な項目には付箋が付けられ、合否判定委員会の場所へは、この成績個人票だけが持ち込まれ、その作成に使用した資料は補助委員が保管して会議室で待機し、必要があれば右委員会が取り寄せるようになっていた。また、合否判定委員会の判定は、八公立高等学校長の全員一致で決定される慣行になっていた。

以前、欠席日数が非常に多かった場合などに、判定資料AとCの合計では合格ラインに達していたが、判定資料Bを加えて総合判定した結果不合格になったことがあり、逆の例もあった。

(2) 合否判定委員会(被告木津裕明本人尋問の結果)

平成三年度の尼崎学区における合否判定委員会は、被告校長が議長となり、平成三年三月一八日に本件高校の応接室で開催された。原告の場合、成績個人票の記載は、判定資料AとCのみで上位一〇パーセント以内に入っていたが、判定資料Bについて身体的状況が合否判定の審査対象となる印の付箋が付いていた。

そこで、被告校長は、原告の身体状況に関する資料を会議室から取り寄せ、右委員会で、原告の身体的状況について、原告の中学校における生活、同年三月一日に提出された診断書、受検の特別配慮、副申書等が提出された上で無事受検したこと、被告校長が原告を観察した印象、中学校の藤田校長との話合いの内容などを話した。

他の校長から原告の罹患している病名、症状、行動可能な範囲、小林校医の意見、校内の施設についての市教委の回答などについての質問が出されたので、被告校長は、本件診断書や「甲野一郎の学校での状況」と題する書面などの写しを各委員に配布した上、病名、疾患については、「家庭の医学」の該当部分を読み上げ、希望者に文書を回覧し、本件高校の受入れ態勢について、エレベーターが必要であるが現在は備わっていないと説明した。

また、他の校長から、他校での身体障害者の実例について、宝塚市内では軽度の筋ジストロフィー症で自分で着替えができ体育にも出席し弓道部にも入っている男子生徒が車椅子と松葉杖とを併用して通学していること、尼崎市内では、下半身麻痺で車椅子で通学しているが上体はしっかりしていて着替えをして体育にも参加しており訓練によって松葉杖との併用も可能な生徒がいること、過去に尼崎市内の高等学校で体育の授業中の怪我で下半身が麻痺して休学していた生徒が訓練の結果車椅子通学が可能だとして復学することになったが、本人が復学に自信がないといって辞退したことなどの話が出された。

他の校長からは、原告について、握力、体幹の点で学習に非常に困難を伴う、介助の点でも非常に困難であろう、進路を決定する時期である二年生後半から三年生にかけては原告へのボランティア活動も十分に行きかねる面も出てこないか等の話が出され、本件診断書については、「高校三年間」というのは尼崎市内の公立普通科高等学校を考えているのかという意見も出た。

以上の論議の結果、委員会では、身体障害のある受検者の合否判定の基準について、養護学校の高等部への進学基準に準じて、①自力で水平移動できること、②着替え、食事、トイレ等の身の回りのことは自分でできること、③全日制普通高等学校の教育目標に従って三年間の全過程の履修が可能であること、の三点が最低限必要であることを確認した。

合否判定委員会は、原告の合否を一旦保留とし、その後、最終的に、原告の疾患及びそれに伴う障害のため高等学校三年間の通学は困難である、本件高校の施設面及び人員面では原告の受入れが困難である、ボランティア活動では三年間の継続は困難であること等を総合考慮して、不合格とすることにした。

(3) 合格発表(被告木津裕明本人尋問の結果)

本件高校の合格発表は平成三年三月一九日午後三時に行われる予定であったが、被告校長は、原告が唯一の特別配慮を要する受検生であり、また、養護学校を併願しているので、できるだけ早く知らせる必要があると考え、合格発表の少し前に南武庫之荘中学に行き、藤田校長に原告が不合格になったことを報告した。

(五) 不合格後の被告校長への抗議(証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎、被告木津裕明本人尋問の各結果)

西澤担任らは、原告が不合格とされた後、南武庫之荘中学としてなにをすべきかを話し合い、このようなことではこれから中学校で障害者を受け入れて進路指導をすることができなくなるとして、有志で被告校長に抗議文を提出した。

合格発表の翌日である平成三年三月二〇日、原告の父親は、本件高校を訪れて被告校長に不合格の理由を尋ねたところ、被告校長は、学科の成績については申し分なかったが、諸々のことを勘案して総合判定の結果残念ながら不合格になったと答え、現状では来年受検してもだめだろうと話した。

(六) 養護学校の面接(<書証番号略>、証人西澤慎の証言、原告法定代理人甲野太郎の尋問の結果)

原告は、本件処分後の平成三年三月二三日、尼崎養護学校の面接を受け、その際、簡単なテストを受けたが満点だった。原告が、面接時に、大学進学の希望を告げたところ、養護学校側は、養護学校のカリキュラムは自立を促すことを中心にしているので大学への進学の保証及び学力修得の保証はできず、進学指導もしていないと答えた上、同学年には原告と同様の病気の生徒が一人入学するが、その生徒はかなり虚弱で週に三回程度しか出席を期待できないと話した。

(七) その後の事情(原告法定代理人甲野太郎の尋問の結果)

平成三年四月二日、支援団体の人達から原告の本件高校への入学の実現について努力することの励ましがあり、また、原告が怪我をしたため、原告の両親は、原告の養護学校への入学を断った。

4  原告の履修可能性について

争いのない事実及び前記認定事実を総合すると、次のように解することができる。

(一) 原告の南武庫之荘中学時代の学習状況に基づく判断

(1) 原告は、南武庫之荘中学において、母親の登下校及びトイレの介護、学校側のスロープ及び階段の手すりなどの施設、設備の改善や友人を中心としたクラス編成、一階の教室の割当などの配慮並びに教職員及び生徒による教室の移動その他の介護などの協力を得て無事三年間の課程を修めた。

(2) 被告らは、この点について、義務教育を施す中学校と高等学校との違いを、①高等学校では、学習の到達度が一定の水準に達しない場合や一定時間以上授業に欠席する場合などにはその教科・科目の単位修得が認められず、本件高校において体育は必修科目となっていること、②高等学校では、全科目の三分の一以上が選択科目であり教室の移動回数が多く、教師や級友などの介助にだけ期待をかけることは困難で、重大事故の発生の可能性も否定できないとして、中学校で可能であったからといって、高等学校でも同じであるということはできないと主張する。

(3) 原告の場合、出席日数は全く問題がなく、学習の到達度についても、中学三年間を通して上位の成績を維持し、入学選抜の学力検査においても十分の成績を修め、判定資料A及びCの合計点数で受検者中上位一〇パーセント以内に入っていたのであるから、問題は体育実技にあることになる。

しかしながら、既に述べたとおり、学校教育法施行規則二六条、六五条に基づき、身体障害などのため体育などの履修が困難であっても障害の程度に応じて柔軟に履修方法を工夫すべきであり、改定された高等学校学習指導要領の第一章第六款の六の七も、「……心身に障害のある生徒などについては、各教科・科目の選択、その内容の取扱いなどについて必要な配慮を行い、生徒の実態に即した適切な指導を行うこと。」として、障害の程度に応じた適切な指導を要求しているのである。これを受けて、本件高校においても、簡単な手足の運動、審判員としての参加、レポートの提出、見学などその生徒の心身の状況に適合した方法をその都度考えて体育実技の単位を認定しており、現に、前述のAも一、二年時はボールによる的当てや水泳などの方法で参加し、三年時は全て見学であったが、何ら問題なく体育実技の単位の認定を受けている。

(4) また、Aの場合、カリキュラム編成の際に、Aが選択する教科で使用する教室をできるだけAのホームルーム教室で行えるよう配慮しており、このような配慮は現在でもそれほど困難ではないと推測されるから、教室の移動回数は必要最小限に済ますことが可能であろう。

カリキュラムの内容と原告の選択科目の選択次第では、若干の教室の移動は避けられないかもしれないが、多少の移動であれば、南武庫之荘中学時代でも他の生徒らの協力によって克服してきたのであるから、高等学校において特に事情が異なるとは考えられない。

(5) 以上のように、障害を有する生徒が在籍する場合には、各教科、科目の選択、その内容の取扱いなどについて必要な配慮をすることが要求されているのであり、それは中学校と高等学校との間で基本的に変わるところはないというべきである。したがって、中学校と高等学校の違いを必要以上に強調して、原告の高等学校における履修の可能性を否定することはできない。

(二) 本件高校におけるA受入れの実績

(1) 本件高校では、過去に車椅子を必要とするAが、学校側の配慮並びに教員及び生徒の協力を得て無事卒業している実績がある。

(2) 被告らは、①Aの疾患はウルリッチ型筋ジストロフィー症で、原告の罹患している進行型のデュシェンヌ型筋ジストロフィー症とは異なること、②Aは二年生の時点でも水泳が幾分可能であり原告とは障害の程度が異なっていること、③Aでも辛ろうじて卒業したことを挙げ、Aが履修可能であったからといって原告が可能とはいえないと主張する。

(3) 右の①③については、医学的な問題となるので後に詳述するが、右の②については、たしかに、Aは高校二年生のときでも浮輪を着けて泳げるほど運動機能が残っていたが、体育実技については前述のように見学でも単位の認定を受けることができたのであるから、障害の程度で問題となるのは、むしろ学校生活を送るための日常的な機能についてであろう。

(4) この点については、Aと原告の疾患は病名が異なるもののどちらも筋ジストロフィー症に属する難病であり、中学卒業時原告は既に脊柱の弯曲が顕著で同一姿勢の保持は困難であって、Aも筋肉の拘縮により脊柱が腰の部分から強く前屈し、体を支えるには立て膝した右脚にもたれなければならず、両名とも車椅子が不可欠であり、用便の際に母親らの介助を必要としたのであるが、ノートの筆記などは両名ともできたのであるから、高等学校生活を送る上で両名の障害の程度に本質的な違いを認めることはできない。

(5) また、被告らは、原告とAとの体重差による原告の介護の困難も主張する。

たしかに、Aの体重は入学当時二四キログラム、卒業時二〇キログラムであり、他方、原告の南武庫之荘中学卒業時の体重は約四〇キログラムであるから、相当の違いがあることは否定できない。しかしながら、原告の南武庫之荘中学在学中でも原告の友人らが原告の移動の介護をしていたのであり、高校生になると体力が増加するのは公知の事実であるから、原告の介護に余裕ができこそすれ、南武庫之荘中学時代以上に困難になるとは考えられない。

(三) 本件高校における原告受入れ態勢

(1) 本件高校では、Aが入学した際、既存の身体障害者用のトイレや段差解消のためのスロープを設け、ホームルーム教室のドアレールを埋め込み式にするなどして施設、設備を改善したが、それらの施設等がまだ残されており、車椅子のための最小限の設備が備わっている。

また、Aを受け入れた際、Aの所属する学級のホームルーム教室としてトイレに近い教室を当て、Aの選択科目の教室もAのホームルーム教室に当てるなどAの移動が最小限で済むように配慮し、登校や教室の移動などについては、教師、生徒、ボランティアらの自主的な協力で、Aの近所に住んでいる教師を中心としてAの登校を介護するローテーションを組んだり、四人一組で車椅子の垂直移動を介護するなどしてAの支援態勢をとったことがあり、本件高校にはその対応の仕方が蓄積されていること、南武庫之荘中学からは毎年本件高校に多数の卒業生が入学しており、平成三年度は原告の就学に協力した級友の多くも本件高校に入学することが見込めることなどから、本件高校には、人的な面での原告受入れ態勢も備わっている。

(2) この点、被告らは、高等学校長には入学した生徒が安全に学校生活を送り必要課程を無事履修して卒業できるようにする責任があるが、職員増員の権限はなく設備を設けるにも限定的な権限しか有しないから、入学に際してはその時点における学校の受入れ態勢を前提に履修が可能かどうかについて判断できるのみだとしたうえ、①スロープがあるといっても段差を解消しうる程度のもので垂直移動を可能にするものではなく、安全な移動のためにはエレベーターが必要である、②教職員や生徒の介助は善意に基づくものであるから十分な期待をかけることはできないと主張する。

(3) たしかに、エレベーターがあることが望ましいのはいうまでもないが、南武庫之荘中学時代の原告及び本件高校におけるAは、エレベーターなしで、特に階段事故もなく学校生活を送ることができたのであるから、本件高校における原告についてのみエレベーターが不可欠ということはできず、階段の昇りについてはステアエイドの使用により、労力を低減させることも可能である。

(4) 原告の介護についても、本件高校では、Aのときの経験に照らし、生徒や教職員の自主的な協力を見込むことができ、相当数の者が原告に協力することは十分期待することができる。

(5) 被告校長は、善意の協力が期待できない裏付けとして、被告校長が職員会議や校務運営委員会で原告の受入れ態勢を確認した際、教職員全体としては消極的であったと供述する。

たしかに、職員会議等において、何らの留保もなく原告の受入れを主張した教員もいたものの、そこでの多くの意見は、エレベーターの設置等の施設、設備の改善及び原告の介護等のための人員の増加を求めるものであり、右施設等の改善及び人員の増加という要求が、全面的に直ちに実現可能なものではないという実状を踏まえると、右のような意見は、ある面では、原告の受入れにつき、やや消極的と評することもできる。

しかしながら、右の意見は受入れ自体に対するものではなく、受入れ態勢の確認に対するものであるから、施設改善等の要求という言葉の意味を超えて、全体として、原告の受入れ自体について消極的な意見であると解すべきものではなく、現に原告の受入れにつき積極的に反対する意見は全くなかったのであるから、その改善の要求等を原告受入れの条件にした意見と解することはできず、これをもって、教員の協力を期待できない根拠とすることはできない。

(6) 以上のように、本件高校における原告受入れ態勢は、従来障害者の受入れを目的としていないから十分とはいえないが、原告を受け入れるための必要最小限の態勢としては整っているということができ、現に、Aの卒業後、突然の病気で三か月間の車椅子生活を余儀無くされたBも、右改善された施設等を利用し、生徒、教師の協力を得て無事卒業しているのである。

むろん、被告らが主張するように、養護学校の方が、障害者の介護、介助のための諸設備を備えていることはたしかであり、他方、本件高校のそれは、身体に障害を有する者にとって、必ずしも十分な設備が完備されているということはできないであろう。

しかし、障害者を受け入れたときには、その障害者の障害の程度、当該学校の実状にあわせて、介護、介助のための諸設備を整えていけばよいのであって、現在不十分であるならば、それを改善するためにはどのような諸方策が必要であるかを真剣に検討する姿勢に立つことが肝要であり、現在の施設、設備が不十分なことは、入学を拒否する理由とならないことはいうまでもない。

(四) 原告の身体状況について

(1) 南武庫之荘中学卒業後の原告の身体的状況の見通しについては、筋ジストロフィー症専門の臨床医である姜医師による高校三年間の就学が可能であるとの診断書がある。

(2) この「高校三年間」という文言について、小林校医は、医師は誤解を受けないようはっきり書くように訓練を受けているから、普通高校を指すのであるなら「普通高校三年間」と書くはずであり、普通高校だけでなく、養護学校や療養施設に付属する養護学校のことをも含める趣旨であると解釈したと証言する。

しかし、本件診断書は、被告校長が専門医の診断書を希望し、小林校医に専門医を紹介させる目的で、原告に小林校医の診療所へ行くように指示し、その意を汲んだ小林校医が、本件高校の校医の肩書で、筋ジストロフィー症の専門医である姜医師に対して原告が本件高校への進学を希望しているので診察を依頼する旨の紹介状を書き、それに応じて姜医師が原告を診察のうえ作成したものであるから、その「高校」というのは、当然のことながら普通高校、それも本件高校のことを指すと解さざるを得ない。

(3) 次に、被告らは、本件診断書の「内科的診察では、呼吸不全、心不全を示す徴候はみられず就学可能」との記載について、専門医の意見は医学的見解の範囲に止まり、ひとつの判断材料として、更に教育的判断が必要だと主張する。

身体的状況の判断には、教育的判断といっても前述のように医学的見地からの判断が中心とならざるを得ないが、被告校長は、この点については、既に認定したとおり、本件診断書の記載ではなく、医学書の記載及び小林校医の意見を重視したものといえる。

しかし、小林校医は、かつては循環器、それも動脈硬化症の疫学的研究を専門にし、現在は、尼崎市内で診療所を開設する傍ら本件高校の校医をしているのであって、それまでデュシェンヌ型筋ジストロフィー症の患者を診察したことがないばかりか、本件認定に際しても原告を診察したことさえなく、被告校長に伝えたデュシェンヌ型筋ジストロフィー症の知識は医学書から得た単なる一般論にすぎない。他方、姜医師は、原告を診断した時間は短時間で、臨床所見だけで本件診断書を作成しているが、筋ジストロフィー症に関して定評のある国立刀根山病院の専門の臨床医として、呼吸音や心音の異常すなわちデュシェンヌ型筋ジストロフィー症患者の予後を左右する呼吸不全や心不全の徴候がみられないという内科的診断の結果を参考にして、筋ジストロフィー症専門の臨床医の経験から高校三年間の就学可能との診断内容を記載した(<書証番号略>)のであるから、医学書や校医の一般論でこの判断を覆すことはできない。

そもそも、被告校長は、校医の判断では足りず、専門医の医学的判断が必要であるとして、小林校医に姜医師を紹介させたのであるから、いずれの判断を優先すべきかは自ずと明白である。

なお、被告らは、Aの罹患しているウルリッチ型筋ジストロフィー症と原告の疾患であるデュシェンヌ型筋ジストロフィー症との類型的な違いを強調し、さらに、Aでさえ辛ろうじて卒業できたのであるから、急速に病状の悪化するデュシェンヌ型の原告の場合は一層高等学校の全課程を履修する見通しがないと主張する。しかし、同じデュシェンヌ型筋ジストロフィー症であっても、病状の進行の速度は患者により相当の開きがある(<書証番号略>)から、履修が可能かどうかということは個別的に検討する必要があるところ、原告の本件高校受検当時の身体状況については本件診断書があり、これを重視すべきことは前述のとおりである。

(五) 以上検討したように、原告の南武庫之荘中学時代の学習状況、本件高校におけるAの学業履修状況、本件高校における身体障害者の受入れ態勢、さらに、原告の身体状況等を総合すれば、原告が本件高校の全課程を履修することは十分可能であると認めるのが相当である。

(六) 養護学校について

(1) なお、被告らは、原告の障害の程度は、自力で水平・昇降移動ができないのをはじめ、自力で排便・排尿等いわゆる身辺の処理すらできず、昭和五五年に厚生省筋ジス班で作成されたデュシェンヌ型筋ジストロフィー機能障害度表の歩行不能期Ⅶに該当する可能性が高く、このような筋ジストロフィー症の進行状況にある患者にとっては、その生命、身体の維持が何よりも重要であり、その高等普通教育を担うのは養護学校であり、本人の成長発達のためには、そのほうが望ましいうえ、原告住居の近くには尼崎養護学校があり、同校の障害者を受け入れるための人的及び物的条件は普通高校に比べてはるかに優れていて、このような中で原告が母親等の介助から離れ、日常生活を含む社会的自立を目指した教育を受けることは原告にも望ましいと主張する。

これは、本件処分との関係でいうならば、原告には養護学校が望ましいから本件高校への入学拒否は正当であるという主張と解せられる。

(2) 憲法二六条はすべての国民に能力に応じてひとしく教育を受ける権利を保障し、これを受けた教育基本法は、人格の完成をめざし、平和的国家及び社会の形成者として、個人の価値を尊び心身とも健康な国民を育成することを目的とし(一条)、すべての国民はひとしくその能力に応ずる教育を受ける機会を与えられねばならない(三条一項)と定めている。

障害を有する児童、生徒も、国民として、社会生活上あらゆる場面で一人の人格の主体として尊重され、健常児となんら異なることなく学習し発達する権利を保障されているのであり、このことは「世界人権宣言」や「障害者の権利宣言」を待つまでもないことである。

(3) この点、被告らは、障害児の能力に応じてひとしく教育を受ける権利は、当然に普通高校で教育を受ける権利を意味するものではなく、障害の程度によっては、普通高校で教育を受けられないこともあり、身体能力の点で劣る者のうち、体幹の機能の障害が体幹を支持することが不可能又は困難な程度のものや下肢の機能の障害が歩行をすることが不可能な程度の者のひとしく教育を受ける権利を実現するための学校が養護学校であると主張する。

(4) たしかに、障害を有する個々の児童、生徒につき、具体的にどのように教育を受ける権利が実現されるべきであるかについては議論があるところであり、当裁判所も、障害を有する児童、生徒を全て普通学校で教育すべきであるという立場に立つものではない。しかし、本件に関していえば、学校教育法施行令二二条の二は、その上位規範である学校教育法七一条、七一条の二からも明らかなように、少なくとも高等学校入学の学齢に達した障害者につき養護学校等へ就学させる義務を規定したのではなく、障害者の普通高等学校への入学を否定する法令も存しない。そして、たとえ施設、設備の面で、原告にとって養護学校が望ましかったとしても、少なくとも、普通高等学校に入学できる学力を有し、かつ、普通高等学校において教育を受けることを望んでいる原告について、普通高等学校への入学の途が閉ざされることは許されるものではない。健常者で能力を有するものがその能力の発達も求めて高等普通教育を受けることが教育を受ける権利から導き出されるのと同様に、障害者がその能力の全面的発達を追求することもまた教育の機会均等を定めている憲法その他の法令によって認められる当然の権利であるからである。

(5)  以上のとおり、原告は、その中学時代の通学状況、学習能力、身体能力及び成績並びに本件高校における過去の身体障害者受入れの実績、施設及び教科履修などの点からしても、本件高校の全課程を履修することは可能であると認められるにもかかわらず、養護学校の方が望ましいという理由で本件高校への入学を拒否することは、万難を排して本件高校へ入学し、自己の可能性を最大限に追求したいという原告の希望を無視することになり、その結果は、身体に障害を有する原告を不当に扱うものであるといわなければならない。

5  結論

(一)  以上のように、本件処分は、「高等学校における全課程の履修可能性」の判断に際し、その前提とした事実又は評価において重大な誤りをしたことに基づく処分であって、被告校長が本件高校への入学許否の処分をする権限の行使につき、裁量権の逸脱又は濫用があったと認めるのが相当である。

以上について述べたところから明らかなように、本件処分は、違法な処分であるといわなければならないが、以下他の争点についても付言することとする。

(二) まず、前記第二の二の争点②の合否判定委員会が選抜要綱とは別個に合否判定基準を設けることが許されるかであるが、前記認定によれば、被告校長を始めとする合否判定委員会が設定した判定基準とは、①自力で水平移動できること、②着替え、食事、トイレ等の身の回りのことは自分でできること、③全日制普通高等学校の教育目標に従って三年間の全課程の履修が可能であること、の三点である。

しかし、右基準のうち、③については、既に述べたとおり、このことを基準とすること自体に、特に違法な点は認められない。しかし、①及び②の基準については、<書証番号略>によれば、養護学校教育研究調査懇話会が兵庫県教育委員会に提出した「精神薄弱者の後期中等教育の在り方について」と題する報告書に顕れているものであると推測されるところ、右の基準は、あくまでも障害者のうち、精神薄弱者に適用されることを念頭において作成されたものであって、一口に障害者といっても、その状況は、千差万別であって、右の報告書に記載された基準を、原告の場合にまで当てはめようとすること自体、賛成することができないし、また、その基準を具体的に見ても、かなり恣意的なものと評することができる。

よって、この点について、被告校長が設けた基準を本件に当てはめたことは裁量権を逸脱したか又はこれを濫用したといわなければならない。

(三) 次に前記第二の二の争点③について検討する。

前記に認定のとおり、被告校長は、合否の判定に当たり、判定資料B及びこれに関連して原告から事前に提出された診断書、本件高校の校医の意見、その他諸般の事情を総合判断しているところ、原告は、兵庫県の公立高等学校の入学者の選抜に当たっては、選抜要綱四一一項が合否の判定に用いることのできる資料を限定して定めているのに、被告校長が選抜要綱に定めのない資料に基づいて合否の判定を行ったと主張する。

選抜要綱は、既に述べたとおり、兵庫県の公立高等学校の入学者の選抜について、その具体的な合否判定の手続を定めたものであり、これによって、選抜方法の公正、公平を担保しようとしている。そして、同要綱では、合否判定の資料としては、調査書中の学習の記録(判定資料A)と、学力検査の成績(判定資料C)とを同等に扱い、調査書中の学習の評定以外の記録(判定資料B)を参考として用い、総合判定するとし、判定資料としては、それ以外の資料について用いることを認めていない。

本件において、被告校長が参考とした資料のうち、原告から事前に提出された診断書については、調査書中の学習評定以外の記録のうち、身体の記録を補うものとして、中学校長を通じて提出されたものであり、それ自体は、調査書の記載を補完するものに過ぎず、これを参考としたことが、直ちに違法となるものではない。

これに対し、本件高校の校医の意見や、同校医から受領した医学書の記載等は、選抜要綱に定める手続によらないで、被告校長自身が収集したものである。しかし、これらは、判定の資料を収集したというよりは、医学について専門知識を有していない被告校長が、医学上の一般的な知識を収集したものと評価することができる。そうすると、被告校長がこれらの知識を修得し、それを参考としたことをもって、直ちに違法不当ということはできない。

しかし、右のような知識は、単なる知識でしかないが、合否の判定に当たり、そのようにして得られた一般的知識を専門医の意見、判断よりも優先し、その結果、原告について、高等学校の全課程を履修することができないと判断したことは、裁量権を逸脱し又はこれを濫用したといわなければならない。

二被告校長の故意・過失について

1  前記のとおり、被告校長のした本件処分は、その前提となった事実又はその評価を誤ってされたものであり、裁量権の逸脱又は濫用により違法である。

ところで、被告校長は、原告が本件高校の全課程を履修することができない身体状況にあったと認定したのであるが、前記の履修が可能であるという認定を基礎付ける事実の重要な部分についての判断は、藤田校長の提出した「甲野一郎の学校での状況」と題する書面、藤田校長からの説明、本件診断書の記載などによっているのであり、本件処分をするに当たり違法性を基礎付ける事実の存在についての認識及びその事実の評価について誤りがあったのであるから、少なくとも過失があったものといわなければならない。

2  この点について、被告らは、障害者の教育を受ける権利が普通高校においてどこまで実現されるべきであるかという法的な基準がないのであるから、学校教育法施行令二二条の二の表に掲げる障害を超える程度の障害を有する原告について、高等学校の全課程を無事に履修する見通しがなく普通高等学校においては受入れが不可能であると認定したとしても、責任を問うことはできないと主張する。

しかし、本件において問題にされているのは、一般的な障害者の教育を受ける権利についてではなく、本件処分に際して被告校長がした事実の認識又はその評価に誤りがあったかどうかであり、前記のように被告校長が認識している事実を合否の判定権者として有すべき通常の注意を払いながら評価していくと、被告校長のとったような結論にならないはずであるから、被告校長は、本件処分をするに際し、その職務上要求される注意義務を怠ったものといわなければならない。

3  被告校長の責任

被告校長は、本件処分は、前記総合選抜制度の下において、八人の関係高等学校長によって構成された合否判定委員会が全員一致で下した合否判定の結果に従ったものであるから、故意、過失はないと主張する。

たしかに、高等学校長は、合否判定委員会の判定に基づいて合否を決定する(選抜要綱四一二項)のであるから、被告校長は合否判定委員会の判定に拘束されるという捉え方が出てくる可能性がある。

しかしながら、総合選抜制度をとっている尼崎市内の八校の公立高等学校においては同委員会の委員は各高等学校の校長であり、本来各校ですべき合否の判定を学校間格差の是正という総合選抜の目的達成のため同一の基準に基づいて八人共同して合否を判定しながら同時に各校の校長が許否の処分をする制度になっており、本件処分においても、成績個人票以外の原告の診断書その他の書類、医学文献、校医の意見、被告校長の所見は全て被告校長から委員会に出されたものであるから、実質上、合否判定委員会の判断は被告校長の判断ということができる。

したがって、合否判定委員会の判定に従ったからといって、被告校長はその責任を免れることはできない。

三原告の受けた損害

1  原告は、本来原告の成績及び身体状況であれば十分本件高校に入学できたのに、本件処分によって、平成三年四月に本件高校に入学することができなくなり、少なくとも一年間は本件高校において教育を受ける権利を侵害されたということができる。

2 原告は、健常者と一緒に切磋琢磨することが可能な普通高校で勉学し、更に大学に進学したいという通常の希望を実現するため、デュシェンヌ型筋ジストロフィー症による前記のような障害を負っていたにもかかわらず、父母の励ましと献身、教師や級友の協力のもとに、一般人の想像をはるかに超える本人の努力によって中学校の全課程を無事修了するとともに、少なくとも本件高校に十分合格することが可能な程度の学力を修得したのであるが、本件処分によって、少なくとも一年間は本来適うべきその希望の達成が遅れたのである。デュシェンヌ型筋ジストロフィー症という進行性の難病に罹患している原告にとって、この一年間の空白が原告の将来に与える影響を考慮すると、本件高校への入学を拒否されて勉学の場を奪われたことによる無念さは筆舌に尽くし難いものであることは容易に推測することができ、原告の受けた精神的苦痛は著しいものであるといわざるを得ず、この苦痛を慰謝するためには一〇〇万円をもって相当であると認める。

なお、本件口頭弁論終結後に原告が被る損害については、将来の損害賠償請求権発生の要件となる事実について、現在の事実関係及び法律関係から一義的に明確にすることができないから、これを認容することができない。

3  被告らは、原告の主張する精神的苦痛が教育を受ける権利を侵害されたものであるとしても、①高等普通教育は養護学校においても受けることが可能であるから、養護学校に入学することによって高等普通教育を受ける機会の喪失としての損害を回避することができた、②健常者とともに勉学することは教育を受ける権利の内容となるものではなく法律上保護の対象となる利益とはならない、③養護学校へ入学し卒業すれば大学進学も可能となるから、原告の主張する損害が発生する余地はないと主張する。

4  しかし、憲法、教育基本法の定める教育を受ける権利は、能力に応じて教育を受ける権利であり、原告はその能力に応じた高校として本件高校を選んだところ、その能力を十分に有するにもかかわらず、本件高校への進学を妨げられたのであるから、教育を受ける権利が侵害されたことは否定できない。

また、平成三年度の尼崎養護学校で、原告の級友となることが予定されていたのは僅か一人だけであって(<書証番号略>)集団教育の成果を期待することはできないし、また、養護学校を卒業すると大学受験資格が得られるとしても、養護学校では大学進学のための特別の指導は用意されていないのであるから、原告の精神的苦痛は養護学校に入学したとしても癒されることはないと認められる。

したがって、被告らの右主張は採用することはできない。

第四むすび

以上のとおりであって、被告校長がした本件処分は違法であるから、その取消しを免れず、被告校長を任用している被告市は、国家賠償法一条一項により、違法な右処分によって原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料一〇〇万円を支払わなければならない。

よって、原告の被告校長に対する本件請求は、理由があるからこれを認容し、原告の被告市に対する本件請求は、慰謝料一〇〇万円の支払いを求める限度で相当であるから認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九二条本文を適用し、原告の被告市に対する勝訴部分の仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官辻忠雄 裁判官吉野孝義 裁判官北川和郎)

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