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神戸地方裁判所 平成5年(タ)98号 判決 1998年3月30日

原告(反訴被告、以下「原告」という。)

甲野太郎

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

川窪仁帥

被告(反訴原告、以下「被告」という。)

乙川正夫

右訴訟代理人弁護士

山本忠雄

右訴訟復代理人弁護士

池田崇志

主文

一  原告甲野太郎及び同丙山花子と被告との間に親子関係が存在しないことを確認する。

二  被告が原告甲野太郎及び丙山花子の養子であることを確認する。

三  訴訟費用は、本訴について生じた部分は被告の負担とし、反訴について生じた部分は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  原告甲野太郎及び同丙山花子(以下、原告甲野太郎を「原告甲野」、同丙山花子を「原告丙山」といい、両者をまとめて「原告ら」ともいう。)と被告との間に親子関係が存在しないことを確認する。

2  被告の反訴を棄却する。

3  訴訟費用は、本訴、反訴を通じて被告の負担とする。

二  被告

1  被告が原告甲野及び同丙山の養子であることを確認する。

2  原告らの本訴請求を棄却する。

3  訴訟費用は本訴、反訴を通じて原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  本訴事件

1  請求原因

(一) 原告甲野、同丙山及び被告は、いずれも中国籍を有する中国人である。

(二) 原告甲野は中国で生まれ育ち、同丙山は日本で生まれ育ったが、両者は昭和二七年ころ婚姻し、同二八年ころ来日して神戸市内において居住していた。原告らは、昭和三〇年一〇月七日付けで、被告を原告ら夫妻の長男として大阪府布施市(現・東大阪市)市長に出生の届出をした。

(三) しかしながら、被告は、真実は原告ら夫婦の子ではなく、昭和三〇年九月二六日、原告丙山の異母姉であるA(日本名・丁原春子)と丁原春夫夫婦(以下「丁原夫婦」という。)の子として出生したのを原告ら夫婦の実子として届出をして養育したものである。

(四) よって、原告甲野及び同丙山と被告との間には親子関係が存在しないことの確認を求める。

2  請求原因に対する認否

請求原因事実はすべて認める。

3  抗弁(権利濫用)

(一) 被告が原告ら夫婦の子供となったのは、原告ら夫婦の強い希望によるものであった。すなわち、原告丙山には心臓病の持病があるため子供ができず、他方、丁原夫婦には既に三人の子供があったため、原告ら夫婦は、被告を丁原夫婦からもらい受けて後継ぎとしようと考え、被告の出生以前から、丁原夫婦に対し、出生後、被告をもらい受け、嫡出子として出生届をしたのである。

(二) その後、被告は、原告ら夫婦の長男として何らの疑いもなく養育され、神戸市内の幼稚園、小・中・高校を卒業後、大阪市内の調理師学校に進学した。被告は、美術大学への進学を希望したのであるが、原告丙山からその経営するレストランやナイトクラブ等の店を手伝うように説得されて断念し、調理師学校へ進学したものである。

被告は、昭和五一年三月に右調理師学校を卒業してからは、毎朝九時から原告丙山が経営するレストランでコック等として働き、夜間は同人経営の遊技場で働き、同人の事業を助けていた。

原告丙山は、それまで営業していた右レストランや遊技場の営業を廃止して、昭和五八年一〇月ころ、神戸市内に中華料理店「○○○」(以下「○○○」という。)を開店したが、被告は、同店においても早朝から深夜までフルーツ等の食材の仕入れや接客、原告丙山の美容院への送迎のための車の運転等の雑用をして、原告丙山のために懸命に働いた。

原告丙山は、昭和六三年に奈良で開催された「シルクロード博」や平成二年に大阪で開催された「花博」にも食堂等を出店したが、被告は、その際にも、神戸から右各会場までの食料品の運搬等に従事し、さらに「シルクロード博」の際は、ラーメン店のコックとして、休日もなく、原告丙山のために働いた。

(三) 被告は、昭和五七年五月、原告甲野から紹介されたBと婚姻し(以下、被告とBとを併せて「被告夫婦」という。)、原告ら夫婦も出席して上海で結婚式を挙げた後、Bが来日した昭和五八年一〇月以降、被告夫婦は、神戸市内に居住して○○○で働くことになった。

しかし、原告らは、出産予定日の一週間前まで働かせるなどBに対して冷たい態度をとり、被告夫婦に長男が誕生した後には、原告丙山がBに子供を他に預けて昼夜を問わず働くよう強く言ったので、原告丙山と不仲になり、Bは、平成元年一二月に家を出てしまい、被告も一時○○○の仕事を辞めることになった。その後、原告丙山が被告夫婦を離婚させようと画策し、被告がやむなく平成二年六月にBと離婚してからは、原告丙山は、被告に対し、従来のように優しい態度を見せるようになり、被告は、改めて○○○の主任として働くようになった。

(四) ところが、平成三年ころ、○○○で働いていたシンガポールからの季節労働者が、仕事をしないのに丙山花子に取り入ってかわいがられ、他の従業員の反感を買っていたことから被告が○○○の営業を慮って原告丙山に注意をしたが、聞き入れないということがあり、また、同店の監査役で事実上の店長であった岩本某(以下「岩本」という。)は、長年○○○に貢献してきた被告を邪魔扱いし軽蔑する言動を繰り返していたため、被告は、その旨を原告丙山に訴えたが、同原告は、見て見ぬふりをするのみであった。

そのような状況の中で、原告丙山と被告は、平成四年三月ころ、○○○への客の入れ方をめぐって口論となり、その際、原告丙山から実の子ではないことを聞かされた被告は、ショックを受け、同年五月ころ、原告らのもとを出て行かざるを得なくなった。その二日後、○○○の事務員から離職票を手渡されるに至り、被告が原告らのもとに戻ることは不可能となった。

(五) 以上のように、原告らは、自らの強い希望で被告を丁原夫婦からもらい受けて嫡出子として出生の届出をして、その後長年にわたって被告を養育し、被告も二〇年以上にわたって原告らの事業等に多大な貢献をしてきたのに、原告らが被告の正当な忠告や訴えを受け入れず、厳しい態度で被告にあたり、その結果、被告が出ていかざるを得なくなったのである。このような事情からすれば、被告が原告らのもとを離れたという理由により、しかも被告の出生届がされてから三八年も経過した後に突如として親子関係不存在の確認を求めることは、権利濫用として許されない。

4  抗弁に対する原告らの認否及び主張

(一) 抗弁(一)について

おおむね認めるが、原告ら夫婦が一方的に被告をもらい受けるように懇願したものではない。被告の実母であるAが、何人も子供を生んで体調を崩していたことなどから、被告をもらって欲しいと原告ら夫婦に依頼したので、これに応じたものである。また、原告ら夫婦は、子供をもらい受ける場合の中国の風習にならって、被告の出生に際して、出産費用を負担し、丁原夫婦に対し金のネックレスなどを贈っている。

(二) 抗弁(二)について

被告が原告ら夫婦の長男としてなんらの疑いもなく養育されたとの点は否認する。

原告ら夫婦は、被告が実子でないことを秘していたが、被告は、実親から相当早い時期に事実を知らされ、毎年正月ごとに丁原夫婦のもとを訪れていた。

被告の学歴は認めるが、被告が美術大学進学を断念したのは、能力がなかったためである。

原告丙山が神戸市内において飲食店や遊技場を経営しており、被告がそれらの店の軽作業等を手伝ったことがあることは認めるが、被告が本格的に勤務したことはなく、仕事に不熱心で、他の従業員との折り合いも悪く、原告ら夫婦の悩みの種であった。

被告が原告丙山の経営する○○○の厨房で働いていたことは認めるが、被告は仕事が雑で、他の従業員から苦情が出たため、フルーツ等の仕入れを担当させたところ、仕入れた食材は不適切なものが多くすぐにやめさせた。その後、同店のウェイターの仕事をさせたが、競馬のテレビ中継を見てさぼるため他の従業員から苦情が絶えず、これもやめさせた。そのため、原告丙山の美容院への送迎のための車の運転等の雑用をさせていたものである。

被告が、原告丙山の「シルクロード博」及び「花博」の出店食堂等に食料品を運搬する等の作業を手伝ったことがあることは認めるが、やはり仕事の態度は良くなかった。

(三) 抗弁(三)について

被告の結婚に至る経緯及び被告夫婦が○○○で働いていたことは認めるが、その余は否認する。

Bは、被告夫婦の長男誕生後、子供を保育所に預けて午前一〇時ころから午後二時ころまで○○○で働いていたが、原告丙山が、たまたま他のアルバイト店員の都合がつかなかった日に、Bに対し夜間の時間帯に働いてほしい旨を依頼したところ、同人が怒って家を出たものである。その後の原告らの調査により、Bがそのころから浮気をしていた事実が明らかとなって被告夫婦が離婚することになったものである。

(四) 抗弁(四)について

全部否認する。

被告は、自ら出勤等の時間にルーズで無責任な勤務態度であるにもかかわらず、他の従業員に対しては無理な注文をするなど厳しく当たるため、他の従業員とのもめごとが絶えなかった。そこで、他の従業員からの報告を受けて、原告らや岩本がたびたび被告に対し注意を与えたが聞き入れず、逆に報告した従業員を逆恨みするので、ますます他の従業員とのもめごとが絶えないありさまであった。原告らは、平成四年五月ころ、警察を定年退職した知人に被告に対する指導教育を依頼したこともあったが、効果はなかった。

以上のように、被告の行状は極めて悪く、その上勝手に原告らのもとを飛び出していったのであるから、原告らの本訴請求が権利濫用であるとする被告の主張は失当である。

二  反訴事件

1  請求原因

(一) 子の実の父母と戸籍上の父母の双方が、当該子を戸籍上の父母の養子とする旨合意したのに、戸籍上の父母が自己の嫡出子と全く同様の親子関係を形成する意思のもとに、便宜その子を自己の嫡出子として出生届出をし、公簿上その旨記載され、その後戸籍上の父母と子が長期間にわたり現実に実親子関係と同様の親子共同生活を継続してきたような場合、何ら合理的理由がないのに、突如として親子関係を全く否定することが一般の社会通念に照らし信義則上不当であると認められるようなときは、例外的に右嫡出子としての出生届をもって養子縁組の届出とみなし、右出生届出の時に有効に養子縁組が成立したものと解するのが相当である。

養子縁組は戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによってその効力を生じる要式行為であるが、嫡出子としての出生届出も養子縁組としての届出も、法律上の嫡出子としての権利義務を生じる親子関係を公示する届出であることには変わりがないのであるから、嫡出の実親子と養親子の法律関係は、離縁により親子関係を解消できるか否かの点を除き全く同一の内容を有しているし、虚偽の嫡出子としての出生届により戸籍にその旨記載されていても、後日養親子関係確認の審判・判決を得て、戸籍を養親子関係に訂正することも不可能ではないから、虚偽の嫡出子としての出生届出を養子縁組としての届出とみなすことも可能である。そして、戸籍上の親が、自らの都合で自己の嫡出子として虚偽の出生届出をし、その後何らの合理的理由もないのに、一方的・恣意的に養親子関係を含む法律上の親子関係をすべて否定することができるとすることは禁反言の法理にもとる。一方、嫡出子として届出られている子にとっても、数十年の長期間にわたり戸籍上の親を真実の親と信じて養育され、実親子としての生活を継続してきたのに、戸籍上の親の一方的な意思により突如として一挙に親子関係のすべてが否定され、子としての法律上の権利を一切剥奪され、裸一貫で追い出される結果を招くことは、社会通念に照らし著しく不当である。

したがって、このような場合には、信義則上、例外的に虚偽の嫡出子としての出生届出を養子縁組としての届出とみなして、右出生届出の時に有効に養子縁組が成立したものと解すべきである。

(二) 被告の出生当時、原告ら夫婦と丁原夫婦との間で被告を原告ら夫婦の養子とすることが合意されていたのであるし、その後、原告らは、昭和三〇年一〇月七日、被告を原告ら夫婦の長男として、大阪府布施市市長に出生の届出をし、以来、本訴事件の抗弁で主張したとおり、永年にわたり実子として養育し、被告も平成四年ころまでは実子でないことを知らず、二〇年以上にわたって原告らの経営する中華料理店等で懸命に働いてその経営に日夜尽力し、実親子としての生活を継続してきたのである。このような事実関係のもとにおいて、原告らが突然親子関係不存在の確認を求めた事案であり、禁反言の法理に反する上、被告は、長年勤務した○○○を出て、生活を共にしてきた原告らのもとを離れざるを得ない状況に置かれたものであり、財産的のみならず精神的にも被告の利益を著しく害するものである。

したがって、原告らの提出した被告を嫡出子とする出生届は、信義則上、養子縁組の届出とみなされ、右出生届出時に被告と原告らとの間に有効に養子縁組が成立したものと解すべきである。

(三) よって、被告は、原告らとの間に養親子関係が存在することの確認を求める。

2  請求原因に対する原告らの認否及び主張

請求原因(一)及び(二)の主張は争う。

同(二)のうち、事実関係の主張に対する認否及び主張は、本訴事件の抗弁(一)ないし(四)に対する認否及び主張と同一であるので、これを引用する。

(主張)

(一) 原告らは、被告を成人に至るまで長年にわたり実親子関係と変わらぬ愛情をもって養育した上、その身勝手な言動から仕事の上では使いものにならない被告を、他の従業員の不満・批判にもかかわらず何かと庇って雇い、働きに見合わない高給を与えてきたものであるのに、被告が些細なことから突如として家を出てしまい、以来音信不通となったものである。すなわち、被告が原告らとの生活関係を一方的に放棄したものであって、その後は原告らを裏切って離婚したはずのBのもとへ去っていったのである。このように、被告の言動は自己中心的で、被告の原告らに対する背信性こそ重大であるから、信義則に則って例外的に虚偽の嫡出子としての出生届に養子縁組の届出としての効力を認めるべき必要性は全くない。むしろ、既に形骸化した親子関係の解消が必要である。

(二) 右のような事実関係、とりわけ被告が原告らの調査によって不貞行為が発覚したことにより離婚したBとの同居生活を再開したことが原告らに対する極めて重大な背信行為であることに照らせば、原告らと被告との間には親子としての関係を継続し難い事由、すなわち離縁事由があるから、原告らと被告との養親子関係を肯定することはできない(なお、原告らは、平成八年一一月二五日の本件口頭弁論期日において被告を離縁する旨の意思表示をした。)。

(三) 後記のように、反訴事件については中華人民共和国法が適用されるところ、同国における養子縁組に関する法例である中華人民共和国養子縁組法は厳格詳細であるから、虚偽の嫡出子としての出生届に養子縁組の届出としての効力を認めるような解釈はとりえない。

第三  準拠法についての当事者の主張

一  本訴事件について

1  原告らの主張

(一) 本訴事件は、被告が公簿上は原告ら夫婦の嫡出子として記載されているが、その記載が事実と反しているとして、右の表見上の親子関係の不存在の確認を求めるものである。そして、本件は平成元年法律第二七号附則第二条により同法律による改正前の法例(以下「旧法例」という。)が適用されるところ、旧法例一七条が嫡出親子関係の成立の準拠法について「子ノ嫡出ナルヤ否ヤハ其出生ノ当時母ノ夫ノ属シタル国ノ法律ニ依リテ之ヲ定ム(以下略)」と規定していることから、同条の類推適用ないし準用により、表見上の母の夫の本国法を準拠法として適用すべきである。

(二) 本訴事件については、表見上の母の夫である原告甲野の国籍は「中国」であるところ、同人は、現在の中華人民共和国浙江省平湖で生まれ育ち、親・兄弟等がすべて同地に居住することから、原告甲野の国籍は中華人民共和国であるというべきである。したがって、本件事件には中華人民共和国法が準拠法として適用されるべきである。

2  被告の主張

(一) 旧法例においては本訴事件の準拠法について直接の明文規定はないから、旧法例一七条の規定及び同一八条一項の「子ノ認知ノ要件ハ其父又ハ母ニ関シテハ認知ノ当時父又ハ母ノ属スル国ニ依リテ之ヲ定メ其子ニ関シテハ認知ノ当時子ノ属スル国ノ法律ニ依リテ之ヲ定ム」との規定の趣旨を類推適用して、表見上の父母についてはそれぞれの本国法を、予については子の本国法を準拠法とし、それらを重畳的に適用すべきである。

(二) そして、本国法は当事者の国籍をもとに決定されるべきところ、本件においては、当事者の国籍はいずれも「中国」というにとどまり、中華人民共和国か中華民国のいずれの法が準拠法となるかを決することはできない。そこで、本件においては、当事者双方が住所を有し身分生活が行われている地が日本であることに鑑み、例外的に日本法を準拠法として適用することが具体的妥当性を有し最も適当である。

二  反訴事件について

1  原告らの主張

反訴事件については、当事者の本国法が準拠法となるが、前述のように本件における原告ら及び被告の本国法はいずれも中華人民共和国法である。

2  被告の主張

反訴事件は養親子関係が存在することの確認を求めるものであり、その成立時は前述のように出生届時と解すべきであるから、旧法例一九条一項の「養子縁組ノ要件ハ各当事者ニ付キ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム」との規定により、当事者双方の本国法が準拠法となる。しかし、前述のように原告ら及び被告の国籍は「中国」というにとどまり、中華人民共和国法と中華民国法のいずれを本国法とすべきか決定できないのであるから、例外的に、原告ら及び被告の双方が住所を有し身分生活が行われている地である日本法を準拠法として適用すべきである。原告らが主張する中華人民共和国養子縁組法は、平成三(一九九一)年に採択され翌年四月一日から施行されたものであるから反訴事件には適用されない。

第四  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  裁判管轄権及び準拠法について

一  当裁判所の裁判管轄権について

原告らと被告の国籍がいずれも中国であることは甲一ないし三、四の2から明らかであり、本訴事件及び反訴事件は、いずれもいわゆる渉外事件であり、また高度の公益性を有する身分関係訴訟であるから、当裁判所の裁判管轄権の存否が問題となる。

我が国には国際裁判管轄を定める成文法はないから、当事者の公平、裁判の適正・迅速を期するという理念に照らし、条理により国際裁判管轄の有無を決定すべきであるところ、原告ら及び被告はいずれも神戸市内に住所を有すること、被告の出生届は日本において提出されていること、当事者双方は当裁判所での審理・判断に何ら異議がなく、本訴事件・反訴事件についてそれぞれ応訴していることは本件記録から明らかであるから、当裁判所に管轄権を認めても身分関係訴訟の公益性を害する弊害は少なく、むしろ当事者の公平・便宜に適うと解することができる。したがって、当裁判所に本訴及び反訴事件について裁判管轄権を認めるのが相当である。

二  準拠法について

1  本訴事件について

本件事件は、被告が公簿上は原告らの嫡出子として記載されているのは、虚偽の出生届によるものであり事実に反するとして、右の表見上の親子関係が存在しないことの確認を求めるものであるから、被告の出生時における実親子関係の存否が問題となる。

被告は、昭和三〇年に出生しているから、実親子関係の存否についての準拠法の指定には旧法例が適用されるところ、旧法例においては、本訴事件の準拠法を定める明文規定は存在しない。そこで条理により本訴事件に最も密接に関連する法を準拠法とするべきであるが、本訴事件は、嫡出・非嫡出を区別せず一般的な実親子関係の存否につき確認を求めるものであることからすれば、実親子関係の成立の準拠法につき規定する旧法例一七条「子ノ嫡出ナルヤ否ヤハ其出生ノ当時母ノ夫ノ属シタル国ノ法律ニ依リテ之ヲ定ム(以下略)」との規定及び一八条一項の「子ノ認知ノ要件ハ其父又ハ母ニ関シテハ認知ノ当時父又ハ母ノ属スル国ニ依リテ之ヲ定メ其子ニ関シテハ認知ノ当時子ノ属スル国ノ法律ニ依リテ之ヲ定ム」との規定の趣旨を参照し、当事者双方の本国法を累積的に適用するのが相当である。

2  反訴事件の準拠法について

反訴事件は、被告の出生届がされたことにより原告ら夫婦と被告との間に養子縁組が成立しているとして、養親子関係が存在することの確認を求めるものである。

被告の出生届がされたのは昭和三〇年であるから、養親子関係の成立についての準拠法の指定には旧法例が適用される。

養親子関係の実質的成立要件については、旧法例一九条一項が「養子縁組ノ要件ハ各当事者ニ付キ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム」と規定し、各当事者につきそれぞれの本国法が適用される。また、養子縁組の方式については、前記改正前には、法例に身分的法律行為の方式の準拠法を定める規定(法例二二条参照)はなく、法例八条一項が法律行為全般の方式について「法律行為ノ方式ハ其行為ノ効力ヲ定ムル法律ニ依ル」と規定しており、やはり各当事者の本国法が適用されることになる。

3  本件当事者の本国法について

本件においては、原告ら及び被告がいずれも中国籍であることは前記のとおりであるが、中国籍を有する者については、その本国法が中華人民共和国法か中華民国法かがさらに問題となる。

甲六、原告丙山及び被告の各本人尋問の結果によると、原告甲野は、現在の中華人民共和国浙江省平湖の出身で、現在も年に二、三度は親類や兄弟がいる同所を訪れており、仕事である貿易の取引先や友人も大陸出身者であること、原告丙山及びAは、日本で生まれ育ったが、同人らの両親は、中華人民共和国江蘚省上海市から日本に移住した者であること、被告の実の父親も現・中華人民共和国内の出身であることが認められる。右のような事情を考慮すると、本件の当事者の本国法は、いずれも中華人民共和国法であると認めるのが相当である。

4  反致について

右にみたように本訴事件及び反訴事件に適用されるのは、いずれも当事者の本国法であるところ、旧法例二九条は「当事者ノ本国法ニ依ルヘキ場合ニ於テ其ノ国ノ法律ニ従ヒ日本ノ法律ニ依ルヘキトキハ日本ノ法律ニ依ル」と規定しているから、中華人民共和国に右のような法律が存在する場合には例外的に反致が生じ、本訴事件の準拠法は日本法となる。ただし、右のような反致を認める法律が存在しないか又はその存在が明らかではない場合には、原則どおり本国法である中国法が準拠法となると解される。

そこで、右のような反致を認める中華人民共和国法が存在するか否かについて検討するに、中華人民共和国においては、平成四(一九九二)年四月一日に中国養子縁組法が施行されたが、同法には渉外養子に関する規定が全くおかれていないし、また、昭和六二(一九八七)年一月一日に施行された中国民法通則にも渉外養子に関する規定はおかれていない。このことからすると、結局、中華人民共和国においては、渉外養子縁組について反致を求める法理を採用しなかった、あるいは少なくともその存在が明らかではないといわざるを得ない。

したがって、本訴事件及び反訴事件については、旧法例二九条は適用されず、当事者双方の本国法である中華人民共和国法が準拠法となると解すべきである。

5  被告の主張について

被告は、本訴事件・反訴事件の準拠法について、当事者の国籍が「中国」というにとどまるから、その本国法が中華人民共和国法か中華民国法のいずれであるか決めることはできず、当事者双方が住所を有し身分生活が行われている地が日本であることから、本訴事件には日本法を準拠法として適用すべきであると主張する。

しかし、被告の主張は、当事者の本国法を決することができないことを理由とするにすぎないところ、右にみたように、本件の当事者である原告ら及び被告の各本国法は、いずれも中華人民共和国法であると認めることができるのであって、その主張には理由がない。

第二  本訴事件について

一  本訴事件については、請求原因事実は当事者間に争いがないところ、被告は、原告らの本訴請求が権利濫用にあたる旨主張する。

二  そこで検討するに、原告ら夫婦の養育のもと被告が神戸市内の小・中・高校を卒業し調理師学校に進学したこと、被告は右学校を卒業後、原告丙山の経営する飲食店等において仕事をしてきたこと、被告が昭和五七年五月Bと婚姻したが、平成二年に離婚したこと、平成四年五月ころ被告が○○○を出て原告ら夫婦のもとを離れるに至ったことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実及び証拠(甲六、原告丙山及び被告各本人尋問の結果《いずれも、以下の認定に反する部分を除く。》)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の各事実を認めることができる。

1  原告らは、昭和二七年ころ婚姻し、同二八年ころから神戸市内において居住し、原告甲野は貿易業や金融業等の事業を、原告丙山は神戸市内でナイトクラブ等をそれぞれ営んでいた。

2  被告は、昭和三〇年九月二六日、原告丙山の異母姉であるA(日本名・丁原春子)と丁原春夫夫婦の子として、大阪府布施市(現・東大阪市)内において出生した。被告は、丁原夫婦の五番目の子供であり、他方、原告ら夫婦には子供がなかったこと、右Aの体調がよくなかったこと等の事情から、原告ら夫婦は、被告の出生以前に、出生後は原告ら夫婦が被告を引き取って育てることを丁原夫婦と合意し、原告ら夫婦が被告の出産費用を負担し、被告の出生時には、子供をもらい受ける際の中国の風習に従い、丁原夫婦へ腕輪等を贈った。

3  右合意に基づき、原告ら夫婦が被告を養育することとなったが、その際、後で問題が起きないように原告ら夫婦が被告を実子としての届出をした上で養育することとなり、昭和三〇年一〇月七日、被告を原告ら夫妻の嫡出子(長男)として布施市市長に出生の届出をし、生後一か月程度で引き取った。

4  原告ら夫婦は、被告を実子として養育し、被告は、神戸市内の幼稚園、小学校、中学校、高校を卒業後、大阪市内の調理師学校に進学した。被告は、高校在学中美術クラブに所属し、高校卒業後は美術大学への進学も考えたこともあったが、原告丙山が飲食店を経営していたこと等から調理師学校に進学した。

5  被告は、昭和五一年三月に同校を卒業してからは、原告丙山が神戸市内で経営するレストランやスナック等の店で調理の手伝いをしたり、同じく原告丙山が経営するマージャン店等の遊技場の手伝い等をしていた。

6  被告は、昭和五七年五月、原告甲野により紹介されたBと婚姻し、原告ら夫婦も出席して上海で結婚式を挙げた。被告ら夫婦は、昭和五八年一〇月以降神戸市内に居住し、原告丙山が神戸市内で同年開店した○○○において接客係等として稼働した。

7  被告は、食材の仕入れや接客、テーブル配置などの仕事に従事し、原告丙山の美容院への送迎のための車の運転等の雑用も担当した。また、昭和六三年に奈良市で開催された「シルクロード博」及び平成二年大阪市で開催された「花博」に原告丙山が出店した飲食店に食料品を運搬する等の手伝いをしたこともある。そして、被告は、○○○の従業員や取引先、親しい顧客らから、原告らの後継ぎの息子としてみられていた。

8  一方、Bは、○○○でキャッシャーなどの仕事を担当し、被告ら夫婦に長男が誕生してからは、子供を保育所に預けて午前一〇時ころから午後二時ころまで働いていたが、原告丙山との関係はあまり良好ではなかった。平成元年一二月、忘年会シーズンに他のアルバイト店員の都合がつかなかったことがあり、原告丙山が、被告とともに、Bに対し、当日、夜間の時間帯に働いてほしい旨依頼したところ、同女が怒って家を出、被告も同女とともに原告らのもとを離れたことがあった。

9  原告丙山は、そのころからBについてあまりいいうわさを聞いていなかったので興信所を使ってBの素行を調べたところ、Bがそのころから浮気をしていた事実が明らかとなった。そこで、原告らが被告にその旨を知らせて説得したところ、被告もBと離婚する意思を固め、平成二年六月、被告ら夫婦は離婚した。右離婚後、被告は再び○○○で働くことになった。

10  その後、被告は、○○○でホール係や原告丙山の車の運転などの雑用をしていたが、他の従業員との折り合いは良好ではなく、また、客の予約の取り方などに関して、原告丙山や○○○の事実上の店長であった岩本に反発することがたびたびあった。

11  そのような状況の中で、平成四年三月ころ、原告丙山と被告との間で予約客の入れ方に関し口論となり、その際、被告は原告丙山から実子ではないと言われたこともあって、同年五月には○○○を飛び出して原告らのもとを離れ、現在は、作業船の料理係として稼働しており、時折、前妻であるB及び子供に面会に行く生活をしている。

12  原告丙山は、被告の勤務態度等については必ずしも満足していないが、被告に対する親子としての愛情を失ったわけではなく、自分が気に入らないBと被告が別れることができないことが、自分に対する被告の裏切りと感じている。

三  右認定事実に照らせば、被告の出生届から四〇年近く経過してから本訴が提起されていることなどを考慮しても、本訴請求が権利濫用にあたるとまでいうことはできず、抗弁には理由がない。

第三  反訴事件について

一  反訴請求は、要するに被告主張の事実関係のもとでは、原告らと被告との間に養子縁組が成立したというものである。

二  中華人民共和国における養子制度について

先にみたように、反訴事件の準拠法は中華人民共和国法であるから、中華人民共和国法における養子制度について検討する。

1  中華人民共和国における養子縁組(収養)法制について職権により調査したところによれば、同国における現行養子法は、平成四(一九九二)年四月一日施行の中華人民共和国養子縁組法(以下「養子縁組法」という。)であるが、それ以前には養子縁組法制は整備されていなかった。すなわち、昭和二五(一九五〇)年五月一日施行された中華人民共和国婚姻法には、一三条二項に「養父母と養子女との相互の関係は、前項の規定を適用する。」と規定し、養親子間の相互関係にも実親子間の扶養教育・扶養扶助義務及び虐待禁止規定を適用する旨定めるのみであって、養子縁組の実質的要件・形式的要件についての規定は置かれていなかった。また、昭和五六(一九八一)年一月一日に施行された中華人民共和国婚姻法も、二〇条一項に「国家は合法的な養子縁組関係を保護する。養父母と養子との間の権利及び義務については、この法律の親子関係についての関連規定を適用する。」と規定しているのみであった。

2  養子縁組法制定前の養子縁組は、最高人民法院の意見等や国務院発布の関連法規、条例などによって処理されていたところ、昭和五九(一九八四)年八月三〇日の最高人民法院の「民事政策法律の執行を貫徹するに当たっての若干の問題に対する意見」(以下「人民法院意見」という。)二七条には「生父母、養父母の同意を得、職別能力のある被収養者の同意も得、また法律手続を行った養子縁組は、法によって保護されるべきである。」と規定されている。そして、昭和五七(一九八二)年国務院発布の「中華人民共和国公証暫定条例」において、養子縁組の公証が公証期間の業務範囲と規定されたことに伴い、養子縁組に関する公証の条件と手続が「弁理収養子女公証試行弁法」に規定され、また、昭和三三(一九五八)年一月九日公布の「中華人民共和国戸口登記条例」では、基層政府機関(末端の政府機関)又はその派出機関(公安部門)が養子縁組登記を行う旨が規定されていた。これらのことからすると、中華人民共和国においても、少なくとも、昭和三三(一九五八)年以降は、養子縁組の成立のために実質的要件だけでなく、形式的要件として公証ないし登記を要する取扱いがされてきたものとみられる。

3  一方、同国法においては、従来から、法律上の手続を履践しない事実上の養子縁組が多く行われており(法制の不備、公証機関の未確立、大衆の法制観念の希薄さがその理由として挙げられている。)、人民法院意見二八条は、これをふまえて、「養父母と養子女の関係で、確かに長期間共同生活していることを親族・友人や大衆が公認し、あるいは関係組織が証明したものについては、まだ合法的な手続きをとっていなくても、収養関係によって対処すべきである。」と定めた。これによれば、同国においては、公証ないし登記を経ない事実上の養子縁組も慣習法的に認められており、人民法院意見二八条は、これを確認したものとして法規範的効力を有するものと解される。そして、被告が原告にもらい受けられた昭和三〇年当時も同様の法的状態にあったものとみることができる。

4  そして、事実上の養子縁組が適法な養子縁組として保護されるための要件としては、人民法院意見二八条の趣旨を考慮して、①(養子縁組の合意に基づき)養父母と養子との間に親子としての長年の共同生活が存すること、②これを親族、友人や大衆が公認したこと又は関係組織が証明したことを要するものと解すべきであり、また、右の要件を満たす限り、このような事実上の養子縁組を認めても、我が国の公序良俗に反することはないと解される。

(以上は、前記引用した各法例のほか、陳明侠著、黒木三郎監修、西村幸次郎・塩谷弘康訳「中国の家族法」《敬文堂、特に「第6章 家族の法制度」》、加藤美穂子「中国現行養子法(収養法)(一)・(二)」《白鴎大学法学部編「白鴎法学」第五号・第六号所収》、田中久雄・米田耕二著「中国における撫養子について」《元原利利文先生還暦記念誌「法律の現場から」所収》を主として参照した。)

三  事実上の養子縁組の成立について

そこで、本件において原告らと被告との間に、右の事実上の養子縁組の成立が認められるかについて判断する。

1 前記認定事実によれば、原告ら夫婦は、原告らには子がなく、他方、被告の実親である丁原夫婦にはすでに四人の子があり、Aの体調がよくなかったことから、丁原夫婦との間で、誕生する被告を原告ら夫婦の子として養育することを合意したものであり、右合意は養子縁組の合意に他ならない。

そして、原告ら夫婦は、被告を、右合意に基づいて、その出生当時から引き取り、自分らの長男として届け出、以降、被告が原告らのもとを離れるまで三〇年以上にわたり親子として共同生活を営んできたことが認められ、また、前記認定した事実によれば、原告ら及び被告の親族や友人、さらには地域社会も、原告らと被告とが親子であることを公認していたものと推認することができる。

そうすると、原告ら夫婦と被告との間には、中華人民共和国法上認められる事実上の養子縁組が成立していたというべきである。

被告は、要式性に厳格な日本法の適用を前提として、原告らのした嫡出子としての届出を養子縁組届出とみなし、適式な養子縁組が成立した旨主張する。しかし、反訴事件には中華人民共和国法が適用されることは先にみたとおりであり、また、昭和三〇年当時の中華人民共和国の法制では、適式な養子縁組と同じ法律関係を生じる事実上の養子縁組が認められるのであって、これを基礎付ける事実も訴訟資料中にあらわれているから、原告らと被告間に事実上の養子縁組の成立を認定したとしても、弁論主義に反するものではない。

2  原告らは、被告がBとの同居生活を再開したことが原告らに対する重大な背信行為であり、原告らと被告との親子関係を継続し難い重大な事由があり、離縁事由に該当すると主張する。右主張は、右のような離縁事由が存在する場合には、原告らと被告との間に養親子関係を認めるのは不当であるとの趣旨の主張と解することができるが、被告とBとの同居生活の再開自体、証拠上明らかでない上、仮にそのような事実があったとしても、原告らと被告との間の事実上の養子縁組の成立が認められるとの前記判断を左右するものではない。

3  なお、原告らは、離縁の意思表示をしたことを抗弁として主張していると解する余地があるので検討しておく。

本件記録によれば、原告らが右意思表示をしたのは、平成八年一一月二五日であるから、右時点における養子縁組の解消には養子縁組法が適用されるところ、事実上の養子縁組の解消についても、その性質に反しない限り、養子縁組法の養子縁組関係解消の規定を類推適用するのが適当である。そして、原告らが主張する「親子としての関係を継続し難い事由」による離縁とは、養子縁組法二六条(の類推適用)による「養父母と成年の養子女との関係が悪化し、又は共同生活をすることができない」ことを理由とする養子縁組関係の解消を主張するものと解される。しかるに、同条は、右事由があるときは合意により養子縁組関係を解消することができ、合意に至らないときは人民法院に対して訴えを提起することができる旨定めているのであって、養子縁組法は、裁判上の養子縁組の解消について、訴え(形成の訴えであると解される。)によることを要求する趣旨であると解される。したがって、訴えによることなく、抗弁として離縁を主張する原告らの反訴抗弁は、それ自体失当であるといわざるを得ない。

第五  結論

よって、原告らの本訴請求は理由があり、また、被告の反訴請求にも理由があるから、これらをいずれも認容して、訴訟費用の負担につき、それぞれ民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官赤西芳文 裁判官甲斐野正行 裁判官井川真志)

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