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神戸地方裁判所 平成6年(ワ)1742号 判決 1999年2月18日

原告

塗木紀明

右訴訟代理人弁護士

前哲夫

深草徹

増田正幸

佐伯雄三

高橋敬

羽柴修

西田雅年

被告

株式会社神戸製鋼所

右代表者代表取締役

亀高素吉

右訴訟代理人弁護士

山田長伸

清水英昭

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が、原告に対し、平成六年三月三一日付けで行った出向命令が無効であることを確認する。

第二  事案の概要

本件は、被告の従業員である原告が、被告から、平成六年三月三一日に被告の関連会社に出向することを命じられたことについて、右出向命令は無効であると主張して、被告に対しその無効確認を求めた事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  当事者

(一) 被告は、鉄鋼、非鉄、機械の総合メーカーとして、明示四四年六月二八日に設立された株式会社である(被告は、昭和四〇年四月に尼崎製鉄株式会社(以下「尼崎製鉄」という。)を合併し、同社尼崎製鉄所は、被告尼崎工場となった。)。

(二) 原告(昭和一五年一二月六日生まれ。)は、中学校を卒業後、昭和三八年一一月三〇日に尼崎製鉄に尼崎製鉄所臨時工として採用され、昭和三八年に本工に登用され、その後、被告尼崎工場の閉鎖に伴い、昭和六二年一〇月一六日に被告神戸製鋼所鋼片室(以下「鋼片室」という。)に配属された。そして昭和六三年一月からは右鋼片室一加工係に配属された。

2  被告における出向に関する規定について

被告の就業規則四四条には、「業務の都合で従業員に転勤、勤務替、出向、職種の変更、あるいは休業を命ずることがある。」と定められている(乙一)。

また、被告は、平成五年二月三日付けで、神戸製鋼所労働組合(以下「神鋼労組」という。)との間で、出向の形態、出向期間の決定方法、出向の際の勤務条件の基準等について定めた出向協定書(乙三)及びその細部事項を定めた出向協定の細部事項に関する確認書(乙四)を作成した(以下、右各協定を「本件出向協定」という。)。右出向協定書のⅥには「会社は出向を命ずるときおよび復職させるときは、あらかじめ組合にその趣旨・内容を説明する。ただし、多人数に亘って出向を行う場合は、労働協約第二四条第二項の取り扱いによる。」との定めがある。

そして、被告と神鋼労組との間で、平成五年四月一六日付けで締結された労働協約の二四条第二項には「多人数に亘って採用・異動を行ない、または第三二条第四号(業務の都合)によって解雇を行う場合は、その基準について、会社は組合または支部と協議する。」との定めがある(乙五)。

3  本件出向命令に至る経緯

(一) 被告は、平成六年二月三日、神鋼労組に対し、原告の所属している鋼片室一加工係及び同室三加工係の業務を株式会社島文(以下「島文」という。)の鋼片加工及び技術室に業務移管し(以下「本件業務移管」という。)、係員全員を同社に出向させる(以下「島文への出向」という。)との提案をし、同月七日には、神戸製鋼所労働組合神戸支部(以下「神鋼労組神戸支部」といい、神鋼労組と合わせ、「労働組合」ともいう。)に対して同様の提案をし、同月二三日には神鋼労組神戸支部との間で第二次製鉄所労務協議会を開催した。神鋼労組神戸支部は、同年三月七日、被告総務部長に対し文書で島文への出向を了承する旨回答した。

また、被告は、労働組合の要請により職場における説明会を行うとともに、同年三月七日から同月一四日にかけて、出向対象者九五名に対して個人面接を行ったところ、原告を除く九四名が出向に同意した。

(二) 右の当時、鋼片室一加工係の従業員の大部分は交替勤務に就いており、交替勤務は、三交替による二四時間操業を、四つの組で順次交替して行うというものであった(以下「四直三交替勤務」という。)。

これに対し、出向先の島文における交替勤務は、同じく三交替による二四時間操業を、三つの組で行うというものであった(以下「三直三交替勤務」という。)。

三直三交替勤務においても、公休指定休日の増加により、休日日数を四直三交替勤務における場合に近づけることは可能であるが、組ごとの一斉休日が減少し、規則的なサイクルによる休日を取ることが困難になるほか、連続勤務が生じることもある。

出向前の原告の年間労働時間は一九〇六時間、年間休日は一〇二日であるのに対し、島文における年間労働時間は一九五二時間、年間休日は九六日を予定していた(甲一一)。

(三) 原告は、島文に業務移管されると、それまで四直三交替勤務であったものが三直三交替勤務になることから、平成六年二月二一日、油谷鋼片室長(以下「油谷室長」という。)及び安長鋼片室一加工係長宛に、右出向に同意できない旨の請願書を提出した。これに対して、被告は、原告に対して数回にわたり右出向についての説得を重ねたが、原告はこれに応じなかった。

(四) 原告は、同年三月三一日、油谷室長から、左記のとおりの条件による出向(以下「本件出向」という。)を命ぜられた(以下、右命令を「本件出向命令」という。)。

出向先 神鋼総合サービス株式会社(以下「神鋼総合サービス」という。)

勤務地 神戸事業所

出向の種別 在籍出向(出向期間中の被告における所属は被告事業所労働担当室付)

従事業務 主に被告神戸製鋼所内の緑化業務

勤務形態 常昼勤務

基本給・一時金 被告の基準により被告が支払う。

始終業時間 午前八時から午後五時(休憩時間四五分)

年間休日 一一七日

年間所定労働時間 一九二四時間

出向に伴う諸手当 なし

出向期間 平成六年四月一日から平成一一年三月三一日

(五) 原告は、本件出向命令に対して異議を留めた上で、同年四月一日から神鋼総合サービスに出勤した。

(六) 神鋼総合サービスの概況

(1) 本店所在地 神戸市中央区脇浜町二丁目一〇番二六号

(2) 資本金 五七〇〇万円

(3) 持株比率 被告93.7パーセント 神鋼興産株式会社6.3パーセント

(4) 主たる業務内容 建設・工事事業、製品事業、機器整備事業、施設サービス事業、環境サービス事業等

(5) 年間売上実績 平成五年度 六五億三九〇〇万円 (うち被告に対する売上げ比率八〇パーセント)

(6) 従業員 平成六年四月一日当時八五六名 (被告からの出向者七二六名、被告の退職者八四名)

二  争点

本件出向命令は有効か否か

三  争点に関する被告の主張

本件出向命令は、業務上の必要性に基づくものであり、また、就業規則四四条及び本件出向協定に基づいてなされたものであって、有効である。

1  本件出向命令の根拠について

本件出向命令に際しては、就業規則四四条及び本件出向協定により、いわば包括的同意を得ているものであって、何ら問題は存しない。

2  業務上の必要性について

(一) 本件出向は、島文への出向と合わせ、本件業務移管により生じた余剰人員の雇用確保のために行われたものであるところ、業務移管をするか否かは、専ら被告の経営判断に委ねられ、その適否が法律上問題となりうるのは、右判断が著しく合理性を欠くと客観的に認められる場合にとどまるものである。本件業務移管については、以下のとおり、そのような事情は認められない。

(二) 被告においては、昭和六〇年以降、業績不振の状況下において、業績回復に向け要員計画を柱とする合理化に取り組むこととなった。

そのため、被告においては、要員合理化の一環として、従前その一部を協力会社に請け負わせていた業務(いわゆる直・協接点業務)につき、相当なものについて、協力会社に右業務そのものを順次移管していき、鋼片室においても、平成元年三月その業務の一部が島文に業務移管された。

そして、平成四年末ころから平成五年ころの業績悪化を背景に、被告は、平成六年四月一日付けをもって本件業務移管に至った。

(三) 被告は、合理化によって生ずる余剰人員については、労使間の協定に基づき、最大限出向で対応するという形でその雇用確保を図った。

平成元年四月一日付けの島文への業務移管においては、六五名の従業員が同社に出向しており、本件業務移管においても、これに伴い右業務に携わっていた原告を含む九五名の従業員のなすべき業務が存在しなくなるため、雇用確保の観点から右九五名を同社に出向させるべく出向打診を行い、そのうち、原告を除く九四名がこれを了解し、同日付けで出向に応じた。

原告は、被告の再三の説得にもかかわらず、「鋼片室の加工業務の係員全員を四直三交替制のもとに出向させるか、それができなければ原告を鋼片室に残し、原告だけを四直三交替制のもとで島文へ応援に出せ。」との要求を繰り返し、被告が打診した条件での出向を拒んだ。

(四) 本件業務移管に伴って、原告の行うべき業務が存在しなくなり、また、原告の要求する四直三交替勤務の受入可能な職場が鋼片室内に一切存在せず、今後も要員合理化が予定されていたことから、被告は、原告に対し、同年三月二八日、被告の子会社である神鋼総合サービスへの出向を打診し、同月三一日に、同年四月一日付けをもって、就業規則四四条及び本件出向協定に基づき、原告を神鋼総合サービスに五年間に限り出向させることを内容とする本件出向命令を出したのである。

(五) 以上のとおり、本件出向の契機となった業務移管は、被告の直近の業績悪化を背景に、要員の合理化、直・協接点業務の省力・効率化等を目的に行われたものであって十分な合理性を有し、これに伴う島文への出向及び本件出向には業務上の必要性がある。

3  出向による不利益の程度について

(一) 原告の出向中の賃金、勤務時間、勤務場所等の労働条件については、出向によって低下することのないように配慮されている。

(二) 神鋼総合サービスでの業務内容について

原告が神鋼総合サービスにおいて行っている被告神戸製鉄所構内の緑化業務は、もともと被告の業務として行っていたものを業務移管したのであり、製鉄所を運営する上で必要不可欠な重要な業務である。

また、本件出向によって交替手当及び深夜業割増金の支給が受けられなくなったことによる減収は、原告の勤務形態が四直三交替勤務から常昼勤務になったことによるもので、かかる結果は、出向の有無とは関係なく、従業員の勤務形態の変更に伴って一般に生じる変動の範囲内のものであり、特別の不利益と評価される性質のものではない。

(三) 組合活動上の不利益について

出向者であっても、組合員である以上、意見表明等の権利が失われたわけではない。

また、原告の場合、少なくとも昭和六二年に被告神戸製鉄所に配属となって以降、労働組合の役員選挙に立候補したこと自体なかったもので、本件出向により労働組合の役員選挙に立候補できなくなったなどという原告の主張は当を得ないものである。

4  手続上の問題について

(一) 被告は、島文への出向については前記のとおりその基準について神鋼労組との間で協議を行っている。

また、平成六年四月一日付けで原告に対して本件出向を命じるに先立ち、同年三月二八日、神鋼労組に対し、島文への出向を拒否している者(原告)については、別の出向先としえ神鋼総合サービスを合わせて検討している旨説明するとともに、同月三一日、同月二八日に説明した内容どおり、同年四月一日付けで原告を神鋼総合サービスに出向させる旨説明した。

(二) このように、被告が原告に対して本件出向を命じるに際しては、本件出向協定に基づき、労働組合に対し、あらかじめその趣旨・内容を説明している。

5  以上のとおり、本件出向命令は、①就業規則及び労働協約に基づくものであること、②出向先が被告の子会社であって、被告と密接な関係を有すること、③本件業務移管による余剰人員の雇用確保のために行われたもので、業務上の必要性があること、④出向によって原告の労働条件が低下することは一切なく、出向期間も五年間と限定されていること、⑤人選の妥当性も問題となり得ないことから、その有効性は明白である。

四  争点に関する原告の主張

本件出向命令は、以下のいずれの理由によっても無効である。

1  本件出向命令の根拠について

(一) 労働契約の内容(あるいは広義の労働条件)は、賃金、労働時間等を中心とする就業条件と、労働者の地位や身分に関する労働契約上の利益としてその内容を構成する雇用条件の二つに分けることができるところ、雇用条件は、出向先に「携行」することが困難で、出向により雇用条件が不利益変更ないし消滅すると、この面において労働契約が終了したのと同様の不利益が生じることになる。

このように、出向は、配転と異なり労働者に対する指揮命令権を変更し、出向者に右の不利益を生じさせるものであるから、労働者の承諾を要求してその不利益の防止を図る民法六二五条の趣旨に照らし、出向命令においては、出向先、出向先での労働条件、勤務条件等があらかじめ明らかになっていることを要し、そのような限定のない、就業規則や労働協約による事前の包括的同意には効力を認めるべきではない。特に、出向期間が明確でなく復職の保証のない場合は、より厳格な要件を定立しなければならない。

そもそも、労働協約は、労働条件の基準の定立を目的とするもので、労働商品の処分についての取り決めではないから、労働力を提供する相手方の選択という重要な事項について、組合員の個別的授権なくして労働協約により決定し、個々の組合員の出向義務を創設することはできないというべきである。

また、資本や業務の面で密接な関係を有する関連企業や系列会社への出向の場合であっても、就業条件ないし雇用条件の低下は避けられないのであるから、事前の包括的同意で足りると解することはできない。

(二) 原告は、本件出向命令について異議を留めており、原告の具体的な同意がなかったことは明らかである。

そして、被告の就業規則四四条は、「業務の都合で」出向を「命ずることがある」と抽象的包括的に定めているにすぎず、仮に原告の採用時に出向に関する就業規則の規定がなかったのであれば、右の包括的な出向規定の創設は、合理的のない就業規則の不利益変更に当たり、従前からの労働者である原告には右規定は適用されないというべきである。

また、本件出向協定は、出向に同意した労働者の労働条件についての定めにすぎず、前記の理由により、個々の組合員に対する出向命令の根拠とすることはできない。

なお、本件出向については、出向命令が出された後の平成六年四月一日になってから神鋼労組神戸支部に通知されたもので、手続的に本件出向協定の規定に違反している。

(三) 以上により、原告の同意のない本件出向命令は、その根拠がなく無効である。

2  本件出向命令は、人事権の濫用に当たり、無効である。

(一) 本件業務移管の必要性

(1) 本件業務移管は、必然的に被告従業員を余剰人員化するもので、島文への出向及び本件出向と一体不可分のものとして行われているのであるから、単に被告の経営政策の問題であるとはいえず、本件出向命令の業務上の必要性を判断するためには、本件業務移管自体の必要性を検討しなければならない。

そして、島文への出向及び本件出向は、定年に至るまで復帰できる可能性のない、要員合理化策としての出向であるところ、このような出向は、結局は整理解雇に準じた人員整理・削減なのであるから、整理解雇の法理に準じて、業務上の必要性の判断は、企業の存続維持が不可能になるほどの経営危機に現実に陥っているか否かの観点から検討すべきである。

(2) 被告の鉄鋼生産量及び経常利益率は、景気変動に応じた循環をしており、一九九〇年代に入ってからも高度経済成長期の水準と比べて大差はなく、粗利益の絶対額は、最近年度はバブル期に迫る高水準に達しており、粗利益率は一九九六年度には史上最高水準に達している。また、被告は、固定資産の償却を進め、自己資本比率を増やし、固定負債を減少させ、経営体力を大幅に強化している。

よって、被告の経営・財務実態は良好であり、経営危機に陥っているとはいえない。

そもそも、本件業務移管は、従業員の士気を低下させ、技術の継承を断つとともに、二次下請・三次下請が進み、品質管理面で大きなリスクを負うことになり、結局のところ被告の国際競争力の低下をもたらすものであるから、経営政策としての合理性がない。

(二) 島文への出向の不利益性

島文への出向により、原告も含め出向対象者の大部分を占める交替勤務者の交替勤務シフトが、従来の四直三交替勤務から、昭和四五年以前に被告で行われていた三直三交替勤務となり、著しい労働条件の低下をもたらす。

(三) 本件出向命令の不利益性

(1) 経済的不利益

原告の収入は、本件出向により、月額五万円ないし六万円程度減少している。このことは、家庭内において、夫婦間のいさかいの原因にもなっている。

(2) 雇用条件等の不利益

前記のとおり、出向により雇用条件が不利益変更ないし消滅すると、出向者は、その面において労働契約が終了したのと同様の不利益を受けることになるのであるから、仮に出向による労働条件の不利益がわずかであっても、それだけで労働者の被る不利益を評価することは許されない。

原告が長期間在籍を重ねたことにより蓄積された雇用条件についての利益も、労働契約の内容をなすものとして保護されなければならず、定年まで数年を残す段階で「定年まで被告で勤務し、現在の収入を維持する」利益は、定年が近づくほど重要かつ具体的になる利益というべきであり、賃金や休暇について被告と出向先との格差を是正する措置がとられているとしても、それだけで本件出向の不利益性が償われていると安易に評価されてはならない。

また、原告は、昭和三五年に被告との合併の尼崎製鉄に入社して以来、本件出向まで一貫して鉄鋼生産に直接従事していたのに対し、本件出向後は、被告神戸製鉄所内の緑化業務に従事しており、右緑化業務は、原告にとって初めての経験で、それまで培った製鉄作業における知識、経験及びアーク溶接等の資格、技能は全く役に立たないものとなってしまったのであり、本件出向により、原告が利益を奪われ、やりがいを喪失し、誇りを傷つけられたことは明白である。

本件出向後、被告から原告に対し、神鋼総合サービス内の四直三交替勤務の職場への配転の打診があったが、右の不利益を考えれば、右配転では原告の不利益は解消されるものではなかった。

(3) 組合活動上の不利益

原告は、昭和三九年に労働組合の青年婦人部の幹事になったのを皮切りに、昭和四一年には選挙で職場委員に選出されるなど労働組合活動をするとともに度々役員選挙に立候補してきたが、本件出向により労働組合の役員選挙の被選挙権を失い、組合活動をする上でも大きな不利益を被った。

(四) 本件出向命令は、本件出向協定に違反する。

前記1の(二)のとおり、原告が所属する神鋼労組神戸支部が原告に対する本件出向命令の説明を聞いたのは、本件出向命令の翌日である。

本件出向命令は、島文への出向と一体のものであるから、本件出向協定Ⅵの但書及び労働協約二四条第二項に従い、被告は事前に神鋼労組又は神鋼労組神戸支部と本件出向の基準について協議する義務があったにもかかわらずこれを怠っており、そうでないとしても、本件出向協定Ⅵの本文により、本件出向の趣旨・内容を説明する義務があったにもかかわらず、事後報告と事後説明しかしていない。

第三  当裁判所の判断

一  本件出向命令の根拠について

1  前記争いのない事実及び証拠(甲七、一二、乙一、三、四、一六、一七、証人花岡、原告本人)によれば、本件出向命令が出されるまでの経緯に関し、次の事実が認められる。

(一) 被告は、昭和五八年ころから、要員合理化を含むコスト削減計画を推進しており、その一環として、出向を伴う業務移管を行ってきた。

被告は、要員合理化計画について、神鋼労組との間で協議し、神鋼労組は、右計画について理解を示す旨の見解を示し、出向先の開拓による雇用確保への取り組みを要請している。

(二) 被告は、平成六年二月三日、神鋼労組に対して島文への出向を提案し、同月七日には、神鋼労組神戸支部に対し、第一次製鉄所労務協議会において同様の提案をし、同月二三日には神鋼労組神戸支部との間で第二次製鉄所労務協議会を開催した。神鋼労組神戸支部は、同年三月七日、被告総務部長に対し、文書で島文への出向を了承する旨回答した。

また、被告は、労働組合の要請により、労働組合との協議と並行して、同年二月八日から同月一二日にかけて第一回の、同月二三日から同月二六日にかけて第二回の職場における説明会を行うとともに、同年三月七日から同月一四日にかけて出向対象者九五名に対して個人面接を行い、原告を除く九四名が出向に同意した。

(三) しかし、原告は、島文に業務移管されると、それまで四直三交替勤務であったものが三直三交替勤務になり、業務が加重されることから、右出向に同意できないと回答し、鋼片室内での四直三交替勤務の職場への配転を申し出たが、被告は、鋼片室内に人員の余裕がないとして了承しなかった。さらに被告は、島文における常昼勤務を提案したが、原告は、常昼勤務になると減収になるとして応じなかった。被告は、その後も原告の個人面接を実施し、数回にわたり出向について説得を重ねたが、原告は、右出向に応じなかった。

(四) 被告は、平成六年三月二八日、労働組合に対し、島文への出向人員が当初予定の九五名から九四名になることを連絡し、原告については神鋼総合サービスへの出向を検討中である旨説明するとともに、同日、原告に対し、神鋼総合サービスへの出向を提案し、出向条件について説明したが、原告は右提案に応じなかった。

(五) 油谷室長は、同年三月三一日、原告に対し、同年四月一日付けで本件出向を命じ、原告は、これに対して異議を留めた上で、翌四月一日から神鋼総合サービスに出勤した。被告は、同年四月一日、神鋼労組神戸支部の坂本書記長に対し、原告に神鋼総合サービスへの出向を文書により発令した旨報告した。

2  前項(四)、(五)の認定事実に関して、原告は、被告が本件出向について労働組合との間で事前の協議をしておらず、同年四月一日になって事後承諾を得たと主張し、原告本人も、陳述書(甲七)及び本人尋問において、神鋼労組神戸支部の坂本書記長から、同日に至って初めて被告から労働組合に対する連絡があったので事後承諾をしたと教えられた旨供述している。

しかし、前掲各証拠により、被告は、同年三月二八日、原告に対し、出向先の神鋼総合サービスにおける勤務条件等を記載した「出向に関する細部内容」と題する書面(甲二)により出向内容を説明して出向を打診するとともに、労働組合に対して島文への出向予定者のうち九四名の了承が得られたことを報告していることは明らかであり、このときに、残る一名である原告の処遇について説明していないとは考え難いこと、証人花岡は、本件出向命令を出したことを同年四月一日に坂本書記長に連絡したと供述しており、原告が坂本書記長から聞いたのはこのときの話であると考えられることから、原告の前記供述は採用できない。

3(一)  前記争いのない事実等の2項のとおり、被告においては、出向に関する規定として就業規則四四条及び労働協約である本件出向協定があるところ、2項で認定した事実によれば、本件出向命令は、就業規則四四条及び本件出向協定を根拠として行われたものと認めることができ、右規定による包括的合意に基づくものであると認めるのが相当である。

(二)  原告は、出向には労働者の個別の同意を要することを前提に、労働力を提供する相手方の選択という重要な事項について、組合員の個別的授権なくして労働協約により決定し、個々の組合員の出向義務を創設することはできず、そのような個別的授権のない本件出向協定には規範的効力がない旨主張する。

しかし、労働協約は、労働組合が組合員の意見を公正に代表して締結したと認められれば、特定の労働者に著しい不利益を課すなど著しく合理性を欠き、いわゆる協約自治の限界を超えるようなものでない限り、規範的効力を有し、出向義務の根拠ともなると解するのが相当であり、組合員の個別的授権を要するとの原告の主張は採用できない。

(三)  そして、本件出向協定の締結については、組合員の意見が適切に反映されず、労働組合が組合員の意見を公正に代表していないことを窺わせる事情はない。

また、本件出向協定には、出向の形態ごとに、出向の際の労働条件について詳細な規定が定められており、島文への出向及び本件出向は、そのうちの基幹出向Aに該当するところ、基幹出向Aの場合、労働条件は概ね被告の基準によっており、出向期間については、出向の都度労働組合と協議する旨定められている(乙三、証人花岡)。また、出向先について具体的に定められてはいないものの、要員整理及び雇用確保の手段として関連会社及びその他の会社への出向を行うことについては、労働組合も理解を示し、むしろ積極的に新たな出向先を開拓するよう要請している(乙一六)ところ、前記第二の一の3の(六)のとおり、原告の出向先である神鋼総合サービスは、被告と密接な関係のある会社である。

以上の点に照らすと、本件出向協定が、著しく合理性を欠き、協約自治の限界を超えるものであると解することはできない。

また、本件出向は、原告一人を神鋼総合サービスに出向させるものであるから、本件出向協定にいう多人数の出向には該当せず、本件出向協定Ⅵの本文に従い、労働組合への説明をすれば足りるところ、前記認定のとおり、被告は労働組合に対し、平成六年三月二八日に本件出向について説明していると認められるので、本件出向命令は、本件出向協定に規定する手続に従って発せられたものといえる。

なお、原告は、本件出向は、島文への出向と一体のものであるから、多人数の出向に当たり、労働協約二四条第四項所定の手続により労働組合との協議をすべきであると主張するが、本件出向自体は原告一人を対象とするものであるから、そのように解することはできない。

(四)  よって、本件出向命令は、就業規則四四条及び本件出向協定に基づくものであり、法的根拠を有しており、原告の同意のない本件出向命令は無効であるとの原告の主張は採用できない。

二  出向命令権の濫用について

原告は、本件出向命令は、業務上の必要性がない一方で原告に重大な不利益をもたらす上、本件出向協定で定めた手続に違反していることから、人事権の濫用であって無効であると主張するので、この点について判断する。

1  出向命令に法的根拠がある場合、それを発するか否かは、基本的には使用者の人事権の行使としてその裁量に委ねられるものであるが、出向により、労働者に対する指揮命令権の主体が変更し、勤務先の変更に伴う労働条件の低下やキャリア・雇用についての不利益又は不安を生ずる可能性があることに鑑みれば、出向命令の発令を恣意的に行うことは許されるべきではなく、業務上の必要性があり、出向先の労働条件が大幅に低下するなど、労働者に著しい不利益を与えるものでなく、出向の際の手続に関する労使間の取り決めがある場合には右取り決めを遵守することが必要であって、これらの要件に該当するか否かを総合的に判断して、出向命令が人事権の濫用に当たると解されるときには、当該出向命令は無効となると解すべきである。

2  業務上の必要性について

本件出向は、本件業務移管により原告を含む鋼片室一加工係及び同室三加工係の従業員の就労場所が失われることに伴って行われているので、本件業務移管の必要性について判断する。

(一) 証拠(項一二、三〇、三一、三六、乙八、九、一二ないし一六、証人花岡)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は、平成四年一〇月一日付けで、雇用保険法施行規則一〇二条の三第一項第一号イに規定する労働大臣が指定する不況業種に指定され、本件出向当時も右指定は続いていた。

被告の経常利益は、平成二年度には約五六億円であったのが、平成四年度には約一四五億円に落ち込み、平成五年度には約三四億円の損失を計上している。また、被告神戸製鉄所における年間粗鋼生産量は、昭和五五年度には約一五八万トンであったのが、平成五年度には約一〇一万トンまで下落した。

(2) 被告は、昭和五八年ころから、要員合理化を含むコスト削減計画を推進しており、その一環として、従来他の会社に請け負わせていたいわゆる協力会社との直・協接点業務について、省力・効率化、被告及び協力会社の全体での競争力の強化等を目的として、出向を伴う業務移管を行ってきた。

平成五年一二月には、中期ローリング計画と題し、総コスト削減を中心とした収益改善のために、主に出向を手段として、平成七年度末までに被告神戸製鉄所及びその関連会社を含め一八〇五名の要員合理化を目標とする計画を策定し、さらに平成六年初めには、要員合理化目標を約三八〇〇名と修正した改定中期ローリング要員計画を策定した。

被告は、右改定中期ローリング要員計画について、同年二月二五日と三月三日に神鋼労組との間で協議し、神鋼労組は、右計画について理解を示すとの見解を述べ、出向先の開拓による雇用確保への取り組みを要請している(乙一六)。

(3) 被告は、島文に対し、昭和六三年に棒鋼加工クレーン業務を移管したのを初めとして、平成元年三月以降数回にわたり、鋼片加工業務及び分棒加工業務の一部等を島文に移管し、本件業務移管に至っている。島文への業務移管の目的は、①業務の統合化により、要員の効率化を図ること、②生産量の変動に対応した要員配置の弾力的運用と固定費の変動費化を図り、コスト競争力を強化すること、③協力会社の技術力の向上、経営基盤の強化により、協力会社を含めたトータルとしての被告の競争力の強化を図ることであり、本件業務移管も同様の目的で行われた。

(4) 島文への出向については、被告と労働組合との協議において、出向期間は定めないこととなり、平成六年二月九日の労務協議会において、会社側は、出向者のうち入社数年の若年層を除き、定年まで出向先で勤務させることを予定している旨発言している。また、本件出向において、出向期間は五年間と定められているが、本件出向は、前記のとおり、本件業務移管によって鋼片室内に原告の就労場所がなくなったことにより行われたもので、被告は本件出向後もさらに業務移管及びこれに伴う出向を推進していることから、原告が被告社内の職場に復帰する見通しは立っていない。

(二)  右の事実によると、平成六年三月当時、被告は、経常利益の減少、粗鋼生産量の減少といった経営困難な状況にあって、要員の合理化を図る必要があり、また、被告は、経営方針として、協力会社を含めたグループ全体での競争力の強化を図っていたことが推認できるから、要員合理化の方法として被告従業員の雇用を確保しつつコストを削減し、あわせて業務移管先である関連会社も含めたグループ全体としての競争力の強化を図る本件業務移管は、企業経営の方針として合理性があり、業務上の必要性があると認められる。

これに対し、原告は、本件出向は、定年に至るまで復帰できる可能性のない出向であるから、整理解雇の法理に準じて検討すべきである旨主張する。

しかし、島文への出向については出向期間が定められておらず、本件出向も、一応五年間の期間が定められてはいるが、確たる復帰の保証がないことは前記認定のとおりであるものの、これらの出向においては、整理解雇の場合とは異なり、従業員は被告に在籍し、雇用は確保されているし、賃金等の労働条件については、本件出向協定により概ね被告の基準によっているのであるから、整理解雇と同程度の業務上の必要性を要すると解するのは相当ではない。

また、原告は、被告における粗利益の絶対額は、高度経済成長期及びバブル期に迫る高水準に達していること、経常利益率が高度経済成長期と大差ないこと、負債をなくし、自己資本比率の充実が進んでいることなどを理由に、被告の経営状態は良好であると主張するが、鉄鋼産業のように大規模な設備投資が必要で減価償却の絶対額の大きい業種において、償却額と経常利益を合算した粗利益をもって直ちに経営状態の指針とすることは適当ではないこと、平成六年当時、被告が不況業種に指定されており、経常利益の絶対額も減少傾向にあることを考慮すると、被告の経営内容が、原告の主張するような良好な状態であると認めることはできない。

また、原告は、本件業務移管は結局のところ国際競争力の低下をもたらすもので、経営政策としての合理性がないから、本件業務移管には業務上の必要性がない旨主張するが、企業の競争力を強化するためにいかなる方法が適当であるかについての判断は、その判断が著しく合理性を欠くなどの特段の事情のない限り、被告の経営判断における裁量事項であり、要員整理によりコストダウンを図ることにはそれなりの合理性があると認められるから、右主張は採用できない。

3  原告の不利益について

(一) 前記争いのない事実及び証拠(甲一、二〇の1ないし3、二二の1ないし3、二三、乙三、四、証人花岡、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件出向前の原告の所属する鋼片室一加工係における勤務形態は四直三交替勤務で、年間休日は一〇二日で、年間所定労働時間は一九〇六時間であった。

本件出向後の原告の収入は、出向前と比較して月額五万円ないし六万円程度減少している。

(2) 神鋼労組の組合規約には、組合役員の被選挙権について、出向者を除く旨の規定がある。

(3) 被告は、本件出向後の平成六年七月ころ、原告に対し、神鋼総合サービス内で、四直三交替勤務の勤務場所への配置換えを提案したが、原告はこれに応じなかった。

(二)  右認定のとおり、本件出向により、原告の収入が減少した点を見る限りでは原告の労働条件が低下したことは否定できないが、前記のとおり本件出向においては、基本給・一時金については被告の基準が適用されていること、収入の減少は、三交替勤務から常昼勤務への移行に伴い交替手当がなくなるとともに、時間外勤務がほとんどなくなり時間外勤務手当が減少したためであること(乙三、原告本人)、被告神戸製鉄所においては、年間数十名が常昼勤務と交替勤務の間で勤務態様を変更していること(乙一八、証人花岡)、被告から、本件出向直後に四直三交替勤務への配置換えについての打診があったにもかかわらず原告がこれに応じていないことを考慮すると、本件出向により、原告労働条件が大幅に低下し、著しい不利益を受けているとまでは認められない。

(三)  原告は、右の賃金等の不利益の他に、①定年まで数年を残す段階では、定年まで被告で勤務し、現在の収入を維持する利益は、重要かつ具体的な利益というべきであること、②緑化業務は、原告にとって初めての経験で、それまで培った製鉄作業における知識、経験は全く役に立たないものとなってしまったこと、③本件出向により労働組合の役員選挙の被選挙権を失い、組合活動をする上で大きな不利益を被ったことから、本件出向により著しい不利益を受けた旨主張する。

しかし、①の点については、前記のとおり、原告は被告従業員としての地位を失ったわけではないし、原告の労働条件は概ね被告の基準によっていること、②の点については、右緑化業務は、神鋼総合サービス設立以前は被告内部の業務であり、工場立地法により生産設備の一部の緑化が義務づけられていることから、被告にとって必要な業務であること、本件出向は、前記二の2の(一)のとおり、要員整理の一環として原告の就労していた鋼片室一加工係の業務が島文へ移管され、原告のそれまでの担当業務が喪失したことにより行われたものであること、原告が島文への出向に応じていれば、労働条件は四直三交替勤務から三直三交替勤務に移行することにより若干低下するものの、原告の主張する不利益は回避できたこと、鋼片室内に原告の受入先として適当な部署はなく、右状況において、原告を他の部署に配置し、それにより生じる別の余剰人員を出向させるのはかえって人選の合理性に疑問が生じること、③の点については、原告は、これまで一般組合員としての立場で、労働組合執行部に対して請願書を提出するなどの意見表明を行っていたところ(甲五、六)出向先においても、組合員としてこのような意見表明をする権利は失われていないこと、原告は、昭和六二年一〇月に被告神戸製鉄所に配属されて以降、組合員としてこのような意見表明をする権利は失われていないこと、原告は、昭和六二年一〇月に被告神戸製鉄所に配属されて以降、組合役員選挙の際に立候補していないこと(原告本人)に鑑みれば、原告の主張する①から③の点は、前記2の業務上の必要性を勘案してもなお本件出向命令を無効とすべきほどの著しい不利益とまでは認められない。

4  本件出向の手続について

前記認定のとおり、本件出向は、島文への出向について再三労働組合との協議及び原告への説得を尽くした後で、その代替手段として行われたもので、被告は労働組合に対し、平成六年三月二八日、本件出向について事前の説明をしていること、労働組合が右説明に対し異議を述べたとの事実は窺われないことに照らすと、被告が本件出向の際に行った手続が、本件出向協定に違反しているとは認められない。

5  よって、本件出向命令が、人事権の濫用に当たり無効であるとの原告の主張は採用することができず、その他本件全証拠によっても、本件出向命令が人事権の濫用に当たると窺わせるような事実を認めることはできない。

三  以上によれば、本件出向命令は有効というべきであって、これが無効であることを前提とする原告の本件請求は理由がないから、これを棄却する。

(裁判長裁判官森本翅充 裁判官徳田園恵 裁判官坂本好司)

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