神戸地方裁判所 平成8年(ワ)2391号 判決 1999年6月14日
原告
丸岡千春
被告
池本信也
主文
一 被告は、原告に対し、金五四〇万六三一七円及びこれに対する平成九年一月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の、その余を被告の、各負担とする。
四 この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の求めた裁判
被告は、原告に対し、金三三〇八万〇五六五及びこれに対する平成九年一月一日(訴状送達の翌日)から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 原告は後記の交通事故(以下「本件事故」という。)により負傷したとして、被告に対して、不法行為による損害の賠償を求める。
二 前提となる事実
1 本件交通事故の発生(当事者間に争いがない。)
(一) 発生日時 平成四年一月一五日午後一一時三〇分ころ
(二) 発生場所 神戸市垂水区塩屋町一丁目二番先路上
(三) 当事車両
(1) 訴外中谷年成が運転し、原告が助手席(左ハンドル車のため右側)に同乗していた普通乗用自動車(神戸五四ね八五〇八。以下「原告車」という。)
(2) 被告が運転していた普通乗用自動車(神戸七七ろ五二五〇。以下「被告車」という。)
(四) 事故の態様
被告車が道路左側の歩道柵に衝突しそうになり、右にハンドルを切ったが及ばず、左側車輪を縁石に衝突させ、その反動で横転したうえ、対向車線上に逸走し、折から対向してきた原告車に自車底部を衝突させた。
2 原告の傷害(治療の事実には争いがないが、眼症状については、因果関係に争いがある。)
(一) 顔面挫創、左膝挫創、頸部捻挫、頭部・右肩打撲、左味覚障害、両近視、眼精疲労、両眼調節麻痺、輻輳麻痺
(二) 治療経過
(1) 慈恵病院に通院 平成四年一月一五日、一七日(実日数二日)
(2) 新須磨病院に通院
ア 外科 平成四年一月一六日から七月二七日まで(実日数二二日)
イ 整形外科 同年一月一七日から四月二二日まで(実日数六日)
ウ 脳外科 同年一月一六日から平成五年二月一八日まで(実日数四日)
エ 神耳科 平成五年二月一七日と同年六月一六日(実日数二日)
オ 眼科 平成四年一月一六日から平成六年六月二二日まで(実日数二〇日)
(3) 県立こども病院 平成四年三月一二日(一日)
(4) 神戸大学医学部附属病院眼科に通院 平成五年一〇月一八日から平成六年六月二九日まで(実日数一一日)
(5) 神戸アドベンチスト病院
ア 平成六年七月五日に通院
次の手術の準備
イ 同年七月一二日から同月二〇日まで九日間入院
外傷性抗縮瘢痕切除・皮膚移植術を受ける。
ウ 同月二二日に通院
手術後の経過観察
(6) 県立のじぎく療育センター
平成六年七月二六日と同年八月三日(実日数二日)
(5)イの手術の執刀医が所属するため、ここで術後の処置治療を受けた。
(三) 原告は平成五年七月一二日、症状固定したものとして事前認定の申請を行った。同年八月、自動車保険料率算定会において、味覚障害、眼症状については、後遺障害に該当しないものとされ、顔面醜状痕のみが自賠責後遺障害等級一二級一三号に該当するとの認定を受けた(乙三)。
右(5)(6)の治療は、右醜状痕に対するその後の形成術である。
三 争点
1 原告の、調節麻痺等の眼の障害は、本件事故の後遺障害といえるか。
2 原告の損害。ことに眼症状等の後遺障害の労働能力に対する影響の程度。
四 争点1(後遺障害の有無、程度)に関する当事者の主張
1 原告
原告は、平成六年六月二九日、両眼調節麻痺・輻輳麻痺等を残すものとして、後遺障害診断を受けた。右症状は後遺障害等級一一級(両眼の眼球に著しい調節機能障害を残すもの)に該当し、先に認定を受けた同一二級に該当する顔面醜状痕と併合して、一〇級に該当する。
2 被告
(一) 原告の場合、前眼部、中間透光体、眼底等の異常は認められず、症状発現についての他覚的所見もない。また、事故後少なくとも六か月までは視力、調節力ともに正常であり、事故後一年以上を経てから症状が発症し、二年半以上を経てさらに増悪したことになり、この経過は、原告の眼症状が本件事故を契機に発生したとは認めがたいことを示している。
(二) このような遅発性の不可解な眼症状の原因として考えられるのは、外傷性神経症等、心因性のものであり、原告の眼症状は本件外傷に起因するものとは認められず、相当因果関係がない。
(三) 原告主張の眼症状が後遺障害に該当するとしても、自律神経系の失調による機能的異常に過ぎないから、後遺障害としてはせいぜい局部に神経症状を残すもの(第一四級)に該当するに過ぎない。
五 争点2(原告の損害)に関する当事者の主張
1 原告
(一) 治療費(未払い分) 一六万九一九〇円
(1) 新須磨病院眼科(平成五年一〇月一二日から翌平成六年六月二二日までの通院分) 一万三四三〇円
(2) 神戸大学医学部附属病院眼科 二万一六五〇円
(3) 県立のじぎく療育センター 一八一〇円
(4) アドベンチスト病院 一三万二三〇〇円
(二) 通院交通費 三万二九九〇円
右(一)の(1)ないし(4)の各通院のほか、平成四年三月一二日の県立こども病院への通院費
(三) 眼鏡等処方代金 三六万〇〇〇〇円
(四) 入院諸雑費 一万三五〇〇円
一日一五〇〇円の割合で九日分
(五) 慰謝料 四三七万〇〇〇〇円
原告は平穏な学生生活の享受が破られ、学費を得るための多大な苦労を強いられた。後遺障害は、顔面醜状障害等が後遺障害等級第一二級相当、眼の調節麻痺・輻輳麻痺等が後遺障害等級第一一級相当であって、併合して一〇級相当である。
入通院分として二〇〇万円、後遺障害分として、四六一万円が相当であるところ、うち二二四万円の支払は受けたので、残四三七万円を求める。
(六) 後遺障害による逸失利益 二五一三万四八八五円
後遺障害確定時の原告の年齢の平均賃金は年収四六七万四〇〇〇円であった。
自動車損害賠償保障法施行令による第一〇級相当の労働能力喪失率は二七パーセントである。
固定時から六七歳までの稼働年数は三五年で、新ホフマン係数は一九・九一七である。
4,674,000×0.27×19.917=25,134,885
(七) 弁護士費用 三〇〇万〇〇〇〇円
2 被告
被告は、治療費として二四万五二九九円、通院費として八万七四七〇円、後遺障害補償費として二二四万円の合計二五七万二七六九円を支払い済である。
第三判断
一 原告の受傷と治療経過(前提)
1 原告(昭和三七年二月一〇日生の男子。事故当時二九歳の工学部学生)は、本件事故により、顔面挫創、左膝挫創、頸部捻挫、頭部・右肩打撲の傷害を負った。顔面挫創は、左目の目尻から左頬にかけて約一〇センチメートルもの長さに肉が剥がれたような状態になったものである。頸部捻挫で右手が上げにくく首が右へ曲げにくかった。腰部痛も生じた。
顔面挫創は事故当日(平成四年一月一五日)慈恵病院で縫合手術を受け、翌日から新須磨病院に通院し、同年七月一七日症状固定との診断を得た。瘢痕と拘縮が著しく、左目の閉眼が不能、左表情筋の動きに制限、食餌の左頬部への貯留など、顔面神経麻痺と類似の症状があった。
受傷一年半後の平成五年七月に、外科のほか、神耳科、眼科の各科の症状固定診断を受けた。この診断に基づき、同年八月六日自動車保険料率算定会により、醜状障害については自動車損害賠償責任保険等級一二級一三号該当との事前認定があり、後遺障害補償として二二四万円を受領した。神耳科では左口角のひきつれのほか、甘さ辛さに左右差があり、味覚障害が示唆される、との診断であったが、自動車損害賠償責任保険上は味覚がすべて無反応になった場合のみが認定対象とされており、これらについては後遺障害に該当しないものとされた。眼の障害についても、本件事故と因果関係がないものとされた。
(乙三、四、一三、一七、一八、原告本人)
2 原告はその後平成六年七月に至って、アドベンチスト病院において、顔面の瘢痕を切除し、さらに皮膚移植によって欠損を補うととにも拘縮部に余裕を持たせるための手術を受けた。左外眼角部の上下眼瞼に及ぶ拘縮性瘢痕による開瞼不全は、上眼瞼より皮弁を導入することによって改善し、周辺に多少の瘢痕を残す程度になった。左下眼瞼の醜形瘢痕はW字型瘢痕形成術により改善し、左頬中央の肥厚性瘢痕は修正切除術により改善した。この結果、顔面の醜状は著しく改善した。
(甲九、一〇、原告本人、弁論の全趣旨)
二 争点1(眼症状と本件事故の因果関係)について
1 ヒトの眼は、遠方の視標を注視した後、近方の視標に自動的に焦点を台わせることができる。これを近見反応と言う。調節、縮瞳、輻輳の三要素から成り、自律神経系に支配されている。調節とは、自律神経の作用により毛様筋が緊張・弛緩して、眼球内の水晶体が厚みを増すことによって、近方についても、網膜上に焦点を合わせる現象である。縮瞳とは、瞳孔の大きさを小さくして、焦点距離を短くして近方にピントを台わせる現象である。輻輳とは、近くの物を見るために両眼が内寄せをする現象である。
2 新須磨病院眼科で原告を診断した平坂医師によると、原告の症状及びこれに対する診断は次のとおりである。(甲一一、一二の1、2、乙六の1、2、一五)
(一) 原告は受傷(平成四年一月一五日)直後から「左眼のぼやけ、視力低下」などの眼症状を自覚し、同月一七日、眼科を受診した。視力は右〇・五(矯正一・〇)、左〇・三(矯正一・〇)であったが、視力変動が大きく、神経系の障害があることを示していた。同月三一日の石原式近点計を用いた自覚的調節力検査は、左右とも七・三Dと年齢相応の正常値であった。裸眼視力が回復しないため二月二二日、遠用眼鏡を処方した。一か月後の来院を指示したが、来院しなかった。
(二) 同年七月二五日に受診したので測定したところ、視力は右〇・六(矯正〇・八)、左〇・八(矯正一・二)で、自覚的調節力は右八・九D、左六・九Dであった。一か月後の受診を指導したが来院しなかった。
(三) 事故から一年余を経過した平成五年三月三日に受診した際の検査では、視力は右〇・一(矯正〇・五)、左〇・一(矯正〇・五)と両眼とも矯正視力も低下していた。自覚的調節力も右四・四D、左三・七Dと低下し、輻輳近点は一六cmと延長していたため、調節麻痺、輻輳麻痺と診断した。その後点眼、内服療法、輻輳融像訓練を行い、定期的に遠見及び近見視力、自覚的調節検査を実施した。
(四) 同年七月五日に施行した他覚的調節検査(赤外線オプトメーター)では調節麻痺パターンを認めた。その後の種々の治療によっても改善が認められないため、右七月五日に症状固定していたものと診断し、後遺障害診断書を発行した(これに対し、自動車保険料率算定会は非該当と判定した。)。その後の同年一〇月一二日、平成六年五月五日と繰り返された右検査でも同じ調節麻痺パターンが再現された。健常者がこのような異常パターンを呈することはない。
(五) 受傷直後には他覚的調節検査は実施できず、自覚的調節検査(石原式)しかできなかった。この検査では調節痙攣等の異常があっても調節力に問題がなければ正常と判定される。当時調節痙攣があったとは断定できないが視力に動揺があったことや調節痙攣様の症状を自覚していたこと、他の類似患者の病態から推測して、調節痙攣状態にあったと推定される。
(六) 同医師の経験上、受傷直後は調節痙攣パターンを呈していたのが、数か月から一年ほどして調節麻痺パターンに移行することが多く、原告の場合も、心因的要素が否定はできないものの、本件事故と因果関係のある障害と言える。受傷後の半年間は正常であったのではなく、調節痙攣を呈していたが石原式検査では検出できないため、正常とされたに過ぎず、一年後に突然に調節力麻痺を来した訳ではない。
(七) 石原式近点計は、視標を被検者に注視させて、視標がぼやけた時点で応答させるものであるから、被検者の意思に左右されるものではあるが、原告には繰り返し行っても、再現されており、作為はなかった。
また、赤外線オプトメーターを用いた他覚的検査は水晶体の厚みの変化を連続的定量的に正確に測定できる。コンピュータ解析のため患者及び検査者の主観や作為が入らない。
(八) もっとも、原告には、前眼部、中間透光体、眼底などの所見では異常が認められず、視力の低下は器質的のものではなく、心因性のものである。
2 さらに、原告は、新須磨病院のほか、神戸大学附属病院眼科にも通院して、検査や治療を受けた。同科関谷医師の後遺障害診断書、回答書によると、症状と診断は次のとおりである。(乙七の1、2、一六)
(一) 原告は、平成五年一〇月一八日から翌六年六月二九日まで、同病院に通院した(実日数一一日)。
視力は右〇・三~〇・四(矯正〇・四~〇・六)、左〇・一(矯正〇・三~〇・五)と不安定で近視化傾向だが、矯正によっても一・〇を得ることができない。調節力はアコモドメーターによる検査では両眼とも一・四Dと著明に減少していた。この症状に通院中変化はなく、緩解の見込みがないため、同医師は平成六年六月二九日付けで後遺障害診断書を発行した。
(二) 右診断書に関する自動車保険料率算定会の照会に対して、同医師は、次のとおり回答する。
近視については、従来からあったものであるが、調節麻痺が存在しているためにさらに近視の度数が安定しないことが考えられる(毛様体筋のけいれんや緊張、麻痺のため)。完全に調節麻痺を来しているが、心因的なものが入っているか、純粋に外傷によるものかは分からない。事故が誘因となったことは考えられるが、因果関係は不明というほかない。
(三) 同医師も、原告の前眼部、中間透光体、眼底には異常はなく、対光反射も正常で、視野にも問題はない、としている。
3 以上からすると、原告が事故前に比較して、視力の低下を来しており、また現在、調節力麻痺を来していて、いわゆる老眼の状態にあることは明らかである。問題は、それが本件事故に原因しているものと言えるか否かである。
(一) 外傷による自律神経系の障害により、近見反応を担う調節、瞳孔反応、輻輳反応に障害が生じ、近見障害、めまい、眼精疲労、眼痛などが自覚症状として認められることは古くから知られている。機序として、初期には眼周囲及び頸部自律神経系のアンバランスにより調節麻痺等の過敏な反応が出現するが、後期には自律神経系全体の機能低下により調節麻痺などをきたすと考えられている。(弁論の全趣旨)
(二) 田村友記子医師(東京海上メディカルサービス株式会社所属。乙二八)は、次のように指摘する。
いわゆるむちうち症後に、調節機能障害が生ずることはあり得る。しかし、外傷によるものであれば、受傷後比較的早期に発生し、徐々に軽快して消失していくのが通常である。原告の場合、受傷後少なくとも六か月までは調節力は正常であり、症状があったとしても軽度であった。それが事故後一年以上経過してから極度に増悪して、その後も進行したのは、外傷性としては説明できない。外傷性神経症などの心因的要因が関与しているものと考えられる。平坂医師は、他覚的調節麻痺で調節麻痺パターンを示していることを過大評価している。
(三) 確かに、前記のとおり、原告の調節力は、事故後間もない一月末の時点では正常であり、約半年後においても、若干の左右差を示した程度であって、一年以上経過してから調節力の低下が確認され、次第に増悪して、調節麻痺のパターンを示すに至ったものである。
けれども、平坂医師によると、前記のとおり、事故直後は他覚的調節検査ができなかったため微細な調節異常を検出できなかった可能性があり、当時既に視力変動が大きく、眼神経系の障害が認められたことからすると、調節異常が生じていたと推定され、他覚的検査を行えば、調節痙攣パターンを示していたことが十分に考えられ、それが、時間の経過とともに調節麻痺パターンに移行した可能性が極めて高い、というのである。そして同医師は、事故後時間が経ってから症状が現れる例を経験しており、原告の場合も因果関係があるものと考えられるというのである。
右の意見に不合理な点は認められない。
(四) 被告も、直接の器質的な眼の損傷がなくても、頭頸部外傷後には自律神経系のアンバランスを生じて調節機能障害などさまざまな眼症状の出現することはしばしばあり、中でも調節障害は頻度が高いこと、発症機序は明確ではないが、事故直後ではなく事故後一定期間をおいてから出現することを認めている。結局、発症が著しく遅く、そのうえ増悪が進行した点で被告の見解に沿わないことになるが、事故の半年後には調節力の左右差が認められていたのであり、原告の症状が被告の見解と完全に矛盾した経過とは思えない。
また、原告が、六か月後、次には一年後まで、眼科を受診しなかったことは、原告本人が述べるように、その顔面挫創が酷く、生活にも不便で、その治療に気を取られていたのであれば不自然ではなく、眼の異常を自覚していなかったことを示すものとは言えない。
(五) もっとも、視力については、平坂医師も、他覚的にその低下を説明する所見がないことを認めて、心因性のものと見なしている。従って、調節麻痺についても、心因性の要因が働いたであろうことは推測できる。
(六) してみると、原告の調節麻痺は、本件事故により生じたものとして因果関係があるということができるが、原告の心因的要因が占めるところが大きいことは右に述べたとおりであるから、本件事故と相当因果関係のある眼症状は、自賠責後遺障害等級一四級に該当する程度であったというのが相当である。
また、眼の調節力は年齢とともに衰えてくるものであるから(労災における後遺障害認定基準では、三〇歳は七D、四〇歳は四D、五〇歳は一Dを基準としている。)、原告が年齢を重ねるごとに、障害の程度は減じて来ると言うことができ、結局その存続期間は一五年程度に止まると解するのが相当である。
三 争点2(損害)について
1 治療費(未払い分)
新須磨病院眼科(平成五年一〇月一二日から翌平成六年六月二二日まで計七回の通院分)の治療費は計一万〇五五〇円であり(甲五)、その後さらに診断を求めた神戸大学附属病院眼科での治療費(通院一一回)は計一万二一五〇円であった(甲三)。これを超える治療費または薬代を負担したと認めるに足りる的確な証拠はない。治療の経過や結果、右に述べた眼症状の原因等を考慮すると、計二万二七〇〇円のうち五割は原告に負担させるのが相当であるから、被告に請求できるのは、一万一三五〇円となる。
このほか、顔面醜状痕に対する形成術を受けた関係の治療費として、のじぎく療育センターに一七七〇円(甲六)、アドベンチスト病院に一三万二三〇〇円を要した(甲七、八)。これについては、全額が本件事故と相当因果関係があるものと言うことができる。
2 通院交通費
右1の各病院への通院のほか、原告は事故の約二か月後、県立こども病院を受診して、形成術を行うに適切な時期について相談した(甲四、原告本人)。原告本人及び弁論の全趣旨によると、これらの通院については、原則として電車等を利用して(一部適当な交通手段がなくタクシーを利用して)、合計三万二九九〇円を要したものと認められる。このうち眼科関係は二万三六一〇円であり、そのうち五割の一万一八〇五円を被告に請求できるとするのが相当である。その余の九三八〇円は全額本件事故と相当因果関係があると言える。
3 眼鏡等処方代金
原告が本件事故により生じた眼症状のため新たな眼鏡を要するようになったことは認められる(乙一五)。その費用を認めるべき的確な証拠はないが、繰り返し調節を要したと解されるし、将来も要するであろうことからすると、合計二〇万円は下らないものとするのが相当であり、この費用についても、五割の限度の一〇万円を被告に請求できるものとするのが相当である。
4 入院諸雑費
形成術を受けるにつき九日間入院したのであるから、一日一五〇〇円の割合で一万三五〇〇円程度の雑費を要したものと認めるのが相当である。この損害は全額請求できる。
5 慰謝料
原告は本件事故当時、大学工学部の学生である傍ら、家庭教師として働いていたが、本件事故のため、通学が苦痛な状態となったうえ、家庭教師の仕事を続けるのにも相当の苦労をした。眼症状については、老眼となって、家庭教師として自分の手元と生徒の手元を交互に見ることに困難が伴うなどの不都合がある(原告本人)。
また、眼症状については前記認定のとおりであり、顔面醜状痕については、自賠責で一二級該当との認定を得たものの、その後形成術を受けて著しく改善したことが認められる。そうすると、全ての治療期間及び全ての後遺障害を通して、慰謝料は、四三〇万円が相当である。
6 後遺障害による逸失利益
後遺障害確定(平成五年七月)時に原告は三一歳で、その年齢層の賃金センサスによる平均年収は四六七万四〇〇〇円である。原告が眼症状(老眼であり、疲れやすい。)から通常の勤務をせずに、家庭教師を主たる仕事として、友人の会社の事務の手伝いをするといった収入で生計を立てていること(原告本人)からして、原告は本件事故に遭わなければ、右平均賃金程度の収入は挙げ得たと推定できる。
原告の後遺障害のうち、顔面醜状痕により収入が減収したとは認められない。
してみると、眼症状による逸失利益のみを考慮すべきところ、右障害は、前記のとおり原告の心因的要素が寄与していることからして、本件事故と相当因果関係のある労働能力喪失の割合は五パーセントと見るのが相当である。
そして前記のとおり、右症状が障害として継続するのは一五年と見るのが相当であり、その新ホフマン係数は一〇・九八〇八である。
そうすると、後遺障害による逸失利益として賠償を求め得るのは、二五六万六二一二円となる。
4,674,000×0.05×10.9808=2,566,212
7 弁護士費用
以上によると、原告が被告に賠償を求めえる損害額は、七一四万六三一七円となるところ、原告が自賠責から既に二二四万円の補填を得たことは前記のとおりであるから、残額は四九〇万六三一七円となる。
原告が原告代理人に本訴の提起遂行を委任したことは当裁判所に顕著であるところ、右認容額のほか、本件訴訟の経緯等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係を有する弁護士費用は、五〇万円とするのが相当である。
8 まとめ
そうすると、原告が被告に対して賠償を求めえる損害額は、五四〇万六三一七円となる。
なお、被告は、後遺障害補償費のほかに、治療費として二四万五二九九円、通院費として八万七四七〇円、の合計二五七万二七六九円を支払い済であると主張するが、どの時期の分として支払われたか不明であり、原告の本訴請求にかかる時期以外の分と思われるので、控除しない。
第四結論
よって、原告の請求は主文記載の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、民事訴訟法六一条、六四条、二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 下司正明)
(別紙) 損害計算表 (8―2391)
請求額 認容額
1 治療費(未払分)
(1) 新須磨病院眼科 13,430 5,275
(2) 神戸大学医学部附属病院眼科 21,650 6,075
(3) のじ菊療養所 1,810 1,770
(4) アドベンチスト病院 132,300 132,300
2 通院交通費(未払分) 32,990 21,185
3 眼鏡等処方代金 360,000 100,000
4 入院諸雑費 13,500 13,500
5 慰謝料 4,370,000 4,300,000
入通院分 2,000,000 …………
+後遺障害分 4,610,000 ……………
-既払 -2,240,000 ……………
6 後遺障害による逸失利益 25,134,885 2,566,212
小計 30,080,565 7,146,317
既払 ………… -2,240,000
小計 4,906,317
7 弁護士費用 3,000,000 500,000
計 33,080,565 5,406,317
以上