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神戸地方裁判所 平成8年(行ウ)11号 判決 1999年10月28日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

松山秀樹

右同

藤原精吾

右同

増田正幸

右訴訟復代理人弁護士

大槻倫子

被告

尼崎労働基準監督署長開發晋策

右訴訟代理人弁護士

藤本久俊

右指定代理人

黒田純江

右同

吉川壽一

右同

藤田毅

右同

岡野計明

右同

小沢善郎

右同

伊藤悠治

右同

吉本秀男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告が原告に対して平成元年8月4日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金,葬祭料及び遺族特別支給金を支給しないとする処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は,工場の従業員食堂の調理師として勤務していた原告の夫甲野太郎(以下「太郎」という。)が夜勤勤務中に死亡したことが業務に起因するものであるとして,原告が被告に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補年(ママ)金及び葬祭料並びに労働者災害補償保険特別支給金支給規則に基づく遺族特別支給金の支給請求をしたのに対し,被告が太郎の死亡は業務上の事由によるものと認められないとして右各給付の不支給の処分をしたため,原告が被告に対し,右処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  太郎(昭和7年2月13日生)は,昭和26年8月1日,森永製菓株式会社に入社し,同社塚口工場(以下「塚口工場」という。)において製造業務に従事していたが,昭和55年1月1日付けの配置転換により塚口工場の従業員食堂(以下「本件食堂」という。)の給食業務に従事するようになった。そして,昭和62年に同工場の食堂担当業務が子会社の森永サービス株式会社に移管されたのに伴い,太郎は,同年4月1日付けで森永サービス株式会社塚口事業所に出向し,以後死亡するまで本件食堂で給食業務に従事していた。

2  塚口工場の従業員が3交代制であることから,本件食堂では,所定の時刻に朝食(7時から8時30分),昼食(11時から13時),夕食(15時から18時),夜食(零時から2時)の1日4食を提供することとなっており,給食担当者の勤務も,右給食時刻に合わせて,別紙の表<1>のとおり早番,中番,遅番及び夜勤の4種類の時間帯に分かれていた。

給食業務に従事していた従業員は8名で,勤務割当ては1週間ごとの輪番制であったが,そのうち本件食堂の責任者であるA課長及び女性2名は夜勤勤務を行わなかったので,夜勤勤務は,原告を含む5名の男子従業員が1人ずつ輪番で行っており,各人が5週間に1回の頻度で,5日間又は6日間連続して行うことになっていた。

3  太郎の発症前1週間の勤務状況は別紙の表<2>のとおりであり,発症前1か月の勤務状況は別紙の表<3>のとおりであり,発症前6か月間の勤務状況は,別紙の表<4>のとおりであった。

4  太郎は,昭和63年3月末ころから咳をよくするようになり,同僚や原告に対し右脇腹から右胸と背中にかけて痛みを訴えるなど体調が不良となったため,同月1日に有給休暇を取り,神田内科小児科医院(以下「神田医院」という。)で受診したところ,神田医師から感冒症候群,肝障害,糖尿病との診断を受け,安静にすること,睡眠を充分取ること,栄養を充分摂取すること等の指示を受けるとともに抗生物質,去痰剤,消炎剤及び鎮咳去痰剤を投与された。

そして,太郎は,同月2日も引き続き有給休暇を取り,翌3日の休日と合わせて3日間にわたり休養を取ったが,症状は改善せず,同月4日以降も中番の勤務を続けつつ,同月4日,8日,9日に神田医院で受診し,投薬や食事及び生活指導を受けたが,体調が不良な状態が続いた。

その後,太郎の症状は悪化し,同月13日に神田医院で受診した際は,急性気管支炎,急性扁桃腺炎症と診断され,神田医師から安静にすること,休養を取ること及び睡眠を充分取ることを指示された。しかし,太郎は同月11日から夜勤勤務の当番であったが,休暇を取ることなく勤務を続けた。

5  太郎は,昭和63年4月14日午後9時ころ,塚口工場に出勤し,1人で夜勤勤務に従事していたが,翌15日午前6時ころ,塚口工場の食堂厨房内で仰向けに倒れて死亡しているところを交代のために出勤した同僚により発見された。太郎は,死亡当時56歳であった。兵庫医科大学における解剖の結果,死亡推定時刻は同日午前3時ころであり,直接死因は急性肺炎であると検案された。

6  原告は,太郎の妻であって,その死亡により遺族となり,同人の葬祭を行った。

7  原告は,昭和63年5月12日,被告に対し,労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料並びに労働者災害補償保険特別支給金支給規則に基づく遺族特別支給金の各請求を行い,被告は,平成元年8月4日,右各給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした(<証拠略>)。

そこで,原告は,本件処分を不服として,平成元年10月2日,兵庫労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが,平成4年6月30日に棄却の決定がなされ,さらに,原告は,平成4年8月21日,労働保険審査会に対して再審査請求をしたが,審査会の裁決がなされないまま,平成8年2月29日,本件訴訟を提起した。その後,同審査会は,同年5月9日に右審査請求を棄却する裁決をした。

二  主要な争点

太郎の死亡が業務に起因するか否か。

三  争点に対する原告の主張

1  業務起因性の判断基準

表<1> 本件食堂における勤務体制及び主な業務内容

<省略>

表<2> 発症前1週間(昭和63年4月8日~15日)の勤務状況

<省略>

表<3> 発症前1か月間(昭和63年3月16日~4月15日)の勤務状況

<省略>

表<4> 発症前6か月間(昭和62年10月~昭和63年3月)の勤務状況

<省略>

業務起因性が認められるためには,疾病と業務との間に相当因果関係が認められなければならないが,相当因果関係があるというためには,必ずしも業務の遂行が疾病発症の唯一の原因であることを要するものではなく,当該被災労働者が有していた既存の疾病(基礎疾病)が条件又は原因となっている場合でも,業務の遂行が右基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させた結果,より重篤な疾病を発症させて死亡の時期を早める等,業務の遂行がその基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いたと認められる場合には,相当因果関係が肯定されるというべきである。

2  太郎の死因

太郎の死因は,重篤な急性肺炎又は肺炎から発症した成人型呼吸促迫症候群あるいは重症の肺炎に業務ストレスが加わったことによる致死的不整脈のいずれかである。しかし,いずれにしても,高度の肺炎により死の転帰を取ったものであることは明らかである。

3  業務の過重性

(一) 業務過重性の判断基準

業務の過重性について判断する場合には,一般通常人を基準とすべきではなく,被災者を基準とし,被災者が有していた個別の事情を判断資料として考慮すべきである。

(二) 夜勤の業務内容

夜食の時間は,一応午前零時から午前2時までとなっているが,実際には仕事の都合で午後11時を過ぎると食べに来る人がいるので,午後9時ころには出勤して夜食の準備作業にかかっており,太郎は発症前日も午後9時に出勤した。

夜勤者は,出勤した後,炊飯器に点火し,湯を沸かしたり,遅番が調理した味噌汁,副食,麺類の汁を加熱し,麺の湯通しをしたり,配膳をして茶の準備をする。食事の後は,残飯の処理をし,洗浄機で食器を洗浄し消毒庫に収納したり,炊飯器の釜や鍋の洗浄,食卓の拭き掃除等を行う。

午前2時を過ぎても夜食を食べに来る人がいるので,後片付けが終わるのは午前4時過ぎであり,その後,15分から30分程度休憩してから午前6時ころまでの間に朝食用の味噌汁を調理したり野菜の切断をする。

これらの作業を1人で行わなければならないので,夜勤は4種類の時間帯の勤務の中で最も重労働であった。

(三) 夜勤自体の過重性

夜勤は,昼間活動して夜は睡眠を取るという人間の本来の生理的リズムに反するために,生理的機能を乱し,睡眠不足や自律神経系の乱れを引き起こして疲労を蓄積させ,血圧上昇等の身体的な変化をもたらすので,それ自体,生体に対して大きな負担となるものであり,特に高齢者(概ね50歳以上)は,深夜交代勤務による悪影響を受けやすいとされている。また,それまで昼間の勤務であった者が夜勤勤務に移行する場合には,生活のリズムが変更され,すぐにはそれに対応できず,より一層疲労が蓄積することは明らかである。

太郎は,死亡当時56歳と夜勤勤務をするには高齢であった上に,昭和63年4月8日までは昼間の勤務である中番勤務であり,同月10日の晩から夜勤勤務に変更になったばかりであったため,悪影響の程度も大きかったのである。

(四) 1人勤務の過重性

夜勤は1人勤務であるため,途中で作業を交代して休憩することができず,午後11時以降最後の人が食事に来るまで,常に厨房で前記のような作業をしていなければならず,また,休憩も前記のように実際には15分から30分程度しかとれなかったのであり,過重な業務であった。

さらに,1人勤務でなければ,太郎が死亡当日の勤務で呼吸が苦しくなったときに交代を頼んで休憩することができたはずであったし,その時点で,あるいは成人型呼吸促迫症候群に陥り急性呼吸不全となった時点で,同僚が救急車を手配する等の措置を取れたはずであったところ,その様な措置を取れ(ママ)っておれば太郎の死亡という結果が発生しなかったことは明らかである。

(五) 作業環境

太郎が死亡したと推定される4月15日午後3時ころの塚口工場内の気温は摂氏6度と低く,また,休憩室には,ストーブとパイプ椅子が備えられているだけで,横になることはできない状態であった。

肺炎に罹患していた太郎にとって,このような温度の低い作業場所が悪影響を及ぼすことは明らかであり,しかも,体調が悪化しても横になる設備もない状態だったのであって,このような作業環境から見ても,太郎の従事していた業務が過重なものであることは明らかである。

(六) 業務起因性

以上のとおり,本件食堂における夜勤勤務は,少なくとも肺炎に罹患していた太郎にとっては明らかに過重な業務であった。すなわち,太郎は,肺炎に罹患していたところに,夜勤勤務というそれ自体人間の生理的リズムに反する上,業務量が過重で,しかも1人勤務であり,作業環境の悪い業務を遂行したことにより,右肺炎を自然的経過を超えて増悪させた結果,より重篤な急性肺炎又は致死的不整脈を発症して死亡に至ったものであって,太郎の死亡が業務に起因することは明白である。

4  業務継続による治療機会の喪失

(一) 夜勤交代の困難な勤務体制

食堂担当者は,ぎりぎりの人数による輪番制で勤務に就いており,交代要員がいなかったため,夜勤当番の際に休暇を取った場合,交代することが決まった者は直ちに帰宅して(昼間の勤務者がその時点で1名欠けることになる。),その晩から夜勤に入り,その週はずっと夜勤に就くことになっていた。しかも,夜勤を途中で交代した者が本来予定されていた週の夜勤もしなければならないことになっていたので,交代した者に予定の大幅な変更を強いることになり,同僚に大きな負担をかけることになるため,よほどのことがない限り夜勤の交代を申し出ることは事実上困難であった。

(二) 職場の人間関係

夜勤を直前になって休まざるを得なくなった場合は,本件食堂の責任者であるA課長(以下「A」という。)に電話連絡し,Aが同僚に連絡をして交代できる者を探すことになっていた。ところが,Aには強圧的な面があって,部下に対する態度がきつく,自分の考えを押しつけるところがあったため,Aに対してものを言いにくい雰囲気が職場に蔓延していた。太郎も,Aから言われたことに対しては,「ハイハイ」と言って聞いているのが常であり,同人に対し,夜勤の休業を申し出にくい状態であった。

さらに,Aは,昭和63年4月13日,太郎の同僚であるBから太郎の体調が悪いとの報告を受けていたにもかかわらず,連絡簿の中で,太郎に対し同月16日に休日出勤をするよう指示をし,「風邪ひいて大変ですがもう1日お願ひします」などと記載したため,太郎はますます夜勤の休業の申出をしにくくなったのである。

(三) 業務起因性

急性肺炎は,現在では種々の抗生物質を用いれば治りにくいものではなく,ほとんどの場合完治するのであり,適切な休養と治療が行われていれば太郎の死亡という結果は間違いなく防ぐことができた。

それにもかかわらず,太郎は,以上のとおりの勤務体制及び職場の人間関係により,昭和63年4月13日の医師の休業指示も無視して業務に従事せざるを得なかったことから,急性肺炎を重症化させ,死亡したのであって,無理して業務を続けざるを得なかったことが被災者の死亡に決定的な影響を与えたことは明らかである。

5  まとめ

以上のとおり,太郎は,肺炎に罹患していたところに,過重な業務の遂行及び業務継続による治療機会の喪失という要因が加わって,肺炎の症状を急激に悪化させ,その結果死亡したものであり,同人の死亡は業務に起因するものである。

四  争点に対する被告の主張

1  業務起因性の判断基準

労災補償保険給付の要件としての業務起因性が認められるためには,当該業務と傷病等の間に条件関係が認められることを前提として,労働者の疾病が当該業務に内在し,又は通常随伴する危険の現実化として発生したという関係(労災保険法上の相当因果関係)が必要である。

業務上の事由のほかに基礎疾病のような他の原因が認められる場合の相当因果関係の判断に当たっては,業務が災害発生の一因であり,それらの間に条件関係が認められるというだけでは足りず,業務が他の原因に比較してより重要な比重を占めている場合にはじめて相当因果関係が認められるというべきである。

2  太郎の基礎疾患

太郎には,従前から,肝障害,高血圧症,糖尿病及び不整脈(心室性期外収縮)の基礎疾患があった。

3  太郎の死因

(一) 急性肺炎

太郎は,急性小葉性肺炎から成人型呼吸促迫症候群となり,急性呼吸不全から死に至ったのである。

(二) 致死的不整脈

太郎は,冠状動脈内膜が肥厚した部分ないし大動脈が硬化した部分で狭心症が発症し,心筋への酸素供給が低下したところへ,中等度の肺炎,胸水による右肺の圧迫及び左肺水腫による呼吸機能の低下がこれを増悪して低酸素血症となり,心臓への負担が増加して心室性頻拍が生じ,これが心室細動へと移行して不整脈を生じ,死亡に至ったのである。

あるいは,太郎に生じた急性肺炎は中等度であったから,そこに胸水の圧迫,左肺水腫により呼吸機能の低下も加わってアチドーシスとなり,低カリウム状態を引き起こし,これが原因となって不整脈を生じ,死亡に至ったのである。

(三) アロドックCの服用による低血糖状態

太郎は,糖尿病の治療のため神田医院で処方されたアロドックCを服用したことにより,低血糖状態となり,そのまま死亡に至ったとの可能性も存している。

4  業務の過重性の有無

(一) 業務過重性の判断基準

労災補償を行うか否かの決定は,できる限り客観的,画一的かつ公平に行うべきとするのが相当であることに照らすと,業務の過重性の判断については当該労働者個人を基準とすべきではなく,当該労働者と同程度の年齢,経験を有し,日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある同僚又は同種労働者を基準とすべきである。

(二) 夜勤の業務内容

(1) 夜勤の業務

夜勤の業務内容は,主に調理された副食を温めて盛り付けをするほか,余裕があれば朝食の下準備,昼食用の野菜切りを行っておくというごく普通の調理業務であり,それ自体が過重な内容を有するものではない。また,太郎は,調理師免許を持ち,8年以上の業務経験を有しているのであるから,右業務そのものは困難なものではなかった。

(2) 発症当日の業務量

昭和63年2月から同年4月の夜食の提供量は,多いときは80食近くに及んでいるときもあったところ,太郎の発症当日の夜食の提供量は,普通食35食と麺食13食の合計48食であり,同日における太郎の業務は決して過重な労働ではなかった。

(3) 発症前1週間,1か月,6か月の業務量

太郎の発症前1週間(昭和63年4月8日から同年4月14日まで)の業務量は,別紙の表<2>のとおりであり,所定休日2日,有給休暇なし,中番1日,夜勤4日,時間外労働1時間であった。

太郎の発症前1か月(昭和63年3月16日から同年4月14日まで)の業務量は,別紙の表<3>のとおりであり,所定休日8日,有給休暇2日,中番16日,夜勤4日,時間外労働1時間であった。

太郎の発症前6か月(昭和62年9(ママ)月から昭和63年3月まで)の業務量は,別紙の表<4>のとおりであり,所定休日47日,有給休暇なし,日勤106日(うち休日出勤が4日ある。),夜勤30日(うち休日出勤が2日ある),時間外労働18時間15分であった。

以上によると,太郎は,たまに休日出勤はするものの,概ねきちんと休暇を取っており,時間外労働も決して多くないから,業務が太郎の精神ないしは身体に過重な負担となったことはない。

(三) 夜勤自体の過重性について

夜勤は5週間に1回,夜勤日数も1回に4日から6日の範囲で,それ以上連続することはなく,定期的であらかじめ分かっているものであり,それに合わせて体調を整えることは十分可能であった。また,夜勤は多くの業種で行われており,このような勤務を直ちに過重なものと評価することはできない。

(四) 1人業務の過重性について

夜勤の業務は昼勤に比較すればその量も少なく,十分に1人で処理可能な程度のものであるし,1人業務が特に異常な勤務ということはできない。

発見等の遅れについては,日常生活においてもこの程度のことはあり得るのであり,特に本件の場合,発症から15分ないし1時間とごく短時間で死亡しているのであるから,このような事実をもって死亡が業務に起因するものであるということはできない。

(五) 作業環境について

太郎の死亡当日の天気は,晴時々曇りで,気温は午前2時で摂氏6.9度,午後3時で摂氏6度であったが,厨房内は暖房が入っていたことから,特に厳しい作業環境であったとは認められない。

(六) 業務起因性

(1) 太郎が急性小葉性肺炎から成人型呼吸促迫症候群となり死亡したとした場合,以上のとおり夜勤の業務量は通常の範囲内であり,それ自体過重ということもできず,作業環境も特に過酷なものでもなかったことの諸事情からすれば,業務が原因となって肺炎が進行したということはできず,肺炎の進行は,太郎が有していた糖尿病等の基礎疾病の影響や神田医院において適切な治療を受けられなかったことが原因であったというべきであって,太郎の死の転帰は自然経過をたどったものであり,業務起因性を認めることはできない。

(2) また,太郎が不整脈によって死亡したとした場合でも,その原因である冠状動脈内膜の肥厚等は,高血圧症,糖尿病等の身体的素因に基づいて生じたものであるし,その機序において肺炎が重要な要因として介在したとしても,肺炎は業務とは無関係の感冒及び急性上気道炎から発症したものである。さらに,肺炎に感染し,これが進行した背景には糖尿病等により感染への抵抗力が低下していたことを指摘し得る。よって,前記のとおり業務が特に過重であったとは認められないことなども考え併せると,右不整脈は,業務とは無関係な身体的素因に基づくものといわざるを得ない。

(3) 太郎がアロドックCの服用による低血糖症によって死亡したとした場合でも,それは糖尿病という太郎の身体的素因がまず第1次的な原因であるから,この点についても業務起因性を認めることはできない。

5  業務継続による治療機会の喪失の有無

本件食堂においては,毎週金曜日の昼にミーティングを開き,希望があれば次週の夜勤当番を他者と交代するシステムになっていた。また,夜勤に入った後も,身体が悪いなどの理由で夜勤を代わってもらいたいときは,Aに連絡をすれば同人がすぐに交代可能な同僚を探して交代させることになっており,それが見つからないときはAが自ら交代して夜勤に入ることになっていたのであって,体調が悪いときには夜勤者も交代してもらえることが確実な体制が組まれていた。よって,原告の主張する夜勤の交代が困難であったというような事情はなかった。

6  まとめ

以上のとおり,本件食堂における業務は決して過重なものではなく,業務によって太郎が死亡したものとは認められず,また,体調不良の場合の夜勤の交代が困難であったことにより治療機会を喪失したとの事実も認められないから,太郎の死亡について,業務の遂行が他の原因と比較してより重要な原因となっていたということはできず,業務起因性を認めることはできない。

第三当裁判所の判断

一  業務起因性の判断基準

労災保険法12条の8第2項が引用する労働基準法79条及び80条にいう業務上の死亡とは,当該業務と死亡との間に相当因果関係が存在することをいうものであるところ,労働者災害補償保険は,保険料の主たる原資が事業主の負担する保険料とされている上,責任保険としての性格を有すること(労災保険法12条の2の2,労働基準法84条1項)からすると,当該死亡の原因が業務に内在し,随伴する危険の現実化と見られる場合に業務と死亡との間の相当因果関係が認められると解される。

よって,被災者の死亡につき基礎疾患等の他の原因が認められる場合に相当因果関係が認められるためには,当該業務が他の原因に比べて相対的に有力な原因となっていたと認められることを要すると解するべきである。すなわち,労働者が予め有していた基礎疾患などが原因となって傷病等を発症させて死亡した場合には,当該業務の遂行により自然経過を超えて基礎疾患などが著しく増悪して傷病等が発症し,死亡したと認められたときに,右の業務の遂行が死の結果に対し相対的に有力な原因になっているとして相当因果関係が認められると解するのが相当である。

二  太郎の基礎疾患

1  肝障害

証拠(<証拠略>,鑑定の結果)によれば,以下の事実が認められる。

太郎は,昭和46年2月ころ,アルコール性と思われる急性肝炎に罹患して約1か月間入院し,昭和48年8月26日から昭和61年12月12日までは,神田医院で各種ビタミン,強肝剤及び血行促進剤の投与を受けていた。昭和61年11月の森永サービスにおける健康診断では,γ―GTPの数値が上昇していたため,近医で受診するよう指示された。さらに,昭和63年4月1日に神田医院で受診した際は,肝臓の腫れが触知され,GOT,GPT,γ―GTP等の値において軽度の異常が示されたため,同月4日からビタミン剤,強肝剤等の投与を受けることとなった。同人の死亡後の解剖結果によると,活動性の肝硬変と思われる症状が見られた。

2  糖尿病

証拠(<証拠略>,鑑定の結果)によれば,以下の事実が認められる。

太郎は,昭和54年10月19日,神田医院において糖尿病であるとの診断を受けたが,内服剤の投与や注射の施行等は受けず,食餌療法のみを指示されていた。その後,昭和60年10月,昭和61年10月及び昭和62年10月の森永サービスにおける健康診断では,いずれも尿糖の値が高かったため,近医で治療を受けるよう指示された。昭和63年4月1日に神田医院で受診した際には,血糖値が高かったため,同月13日には,血糖降下剤であるアロドックCの投与を受けた。同人の死亡後の解剖結果によると,腎臓に糖尿病性腎糸球体硬化像が見られた。

3  高血圧症

証拠(<証拠略>,鑑定の結果)によれば,以下の事実が認められる。

太郎は,昭和61年1月,同年8月,昭和62年1月及び同年8月の森永サービスにおける健康診断において,血圧の値が最大170ないし180,最小87ないし96といずれも極めて高い値を示したため,近医で治療を受けるよう指示された。同人の死亡後の解剖結果によると,冠状動脈内膜肥厚その他の心臓所見が認められ,これらから高血圧の既往歴があると解された。

4  不整脈

証拠(<証拠略>)によれば,太郎は,森永サービスにおける昭和62年8月及び昭和63年1月の健康診断の際,二度にわたり不整脈(心室性期外収縮)の出現が見られ,近医で受診するよう指示されたことが認められる。

三  太郎の死亡原因

1  太郎の死亡原因についての医師の見解

(一) 医師菱田繁の見解

兵庫医科大学法医学教室教授であり,太郎を解剖した菱田医師は,死体検案書(<証拠略>)及び昭和63年7月25日付けの書面(<証拠略>)において,<1>右胸腔内では赤褐色の膿を少量混ずる胸水を約800ミリリットル容れ,右胸膜は軽度に肥厚している,<2>右肺臓は485グラムで,萎縮し,硬く,割面は実質性で出血巣をみとめ,その小片を水中に投ずると沈む,<3>左肺臓は710グラムで,膨隆し,強い肺水腫像を呈するとの解剖所見から,太郎の直接死因は急性肺炎であるとの見解を示している。

(二) 医師世良和明の見解

兵庫労働基準局地方労災医員である世良医師は,意見書(<証拠略>)において,太郎は発症後15分ないし1時間くらいの時間内に死亡したものと考えられるとした上で,死因は急性肺炎であろうが,急性心不全が加わって急死したものと考えられるとし,太郎には従前心臓の冠状動脈硬化及び心室性期外収縮が見られていたから,当日もおそらく心室性頻拍の発作があり,急性心不全となり,これに肺水腫が加わり急死した可能性が大きいとの見解を示している。

(三) 医師田尻俊一郎の見解

西淀病院の田尻医師は,平成5年10月28日付けの書面(<証拠略>)及び平成11年2月28日付けの書面(<証拠略>)において,かなり進行し悪化していた急性肺炎によって基礎体力や免疫力が低下している状態に,過労等のストレスが加わって致死的不整脈が出現し,そのための急性死亡を招いたのであり,急性肺炎が直接の死因とは考えにくいとの見解を示している。また,神田病院での受診の最終日に投与された血糖降下剤であるアロドックCによる低血糖発作により死亡したとの疑いも完全には否定し難いとしている。

2  鑑定人由谷親夫による鑑定の結果

国立循環器病センター臨床検査部長である由谷医師による鑑定の結果の要旨は,以下のとおりである。

(一) 太郎の肺臓の肉眼的所見

太郎の肺臓には,肺重量の増加,左胸水貯留が見られ,左割面において圧出血量及び含気泡沫液が多く,強い肺水腫像が見られる。

(二) 太郎の肺臓の組織学的所見

肺胞内及び肋膜面において好中球浸潤が著しく,肺膿瘍形成の初期病変及び膿胸を示している。急性肺炎と膿胸が著しい所見であるが,さらに,肺胞壁に沿って硝子膜形成が著しく,成人型呼吸促迫症候群にも陥っていたと見られる。

(三) 検討

以上の病理解剖学的所見を考慮すると,直接死因としてグラム陽性球菌による急性小葉性(気管支)肺炎が最も可能性が高い。その上,成人型呼吸促迫症候群を呈していたことからも,急性呼吸不全による突然死としても十分説明しうると思われる。

肺と胸膜の病理組織学的所見から,細菌性敗血症による血液のアチドーシスからくる不整脈も突然死の直接原因として考えられるが,病理学的には証明できない。いずれにしても,高度の肺炎により,死の転帰を取ったものと理解される。

死因に至るほどの急性(気管支)肺炎が遷延した理由として,その背景病変を形成していた糖尿病,肝硬変さらに高血圧による心肥大つまり心不全が大いに関与していたと考えられる。

急性心筋梗塞による突然死の可能性も十分考えられたが,病理組織学的所見に明らかな証拠は得られなかった。したがって,急性心筋梗塞による突然死は否定的である。

3  太郎の死亡原因についての当裁判所の判断

菱田医師及び世良医師の見解並びに鑑定の結果を総合すると,肺重量の増加,胸水貯留,強い肺水腫像等の解剖所見等から太郎の死亡の原因は急性肺炎であると判断するのが相当である。そして,鑑定の結果によれば,太郎は,急性肺炎に加えて,成人型呼吸促迫症候群による急性呼吸不全により,又は細菌性敗血症による血液のアチドーシスからくる不整脈により,突然死に至ったものと認められる。これに対し,田尻医師は,急性肺炎による死亡としては,太郎が死亡した状況があまりにも急激であったとして,急性肺炎を直接死因とは考えにくいとするが,病理解剖学的所見などから,太郎が急性肺炎から急性呼吸不全又は不整脈を発症したことによる突然死としても十分説明しうるとする鑑定の結果に照らし,右の見解は採用できない。また,田尻医師は,アロドックCによる低血糖発作が死因である可能性があるとの見解も示しているが,右の死因は,単なる可能性の域を出ず,それ以上に低血糖発作が死因であることを裏付ける的確な証拠はなく,右の見解も採用できない。

四  太郎の業務の過重性について

原告は,太郎が肺炎に罹患していたところ,業務として過重な夜勤勤務に従事していたことにより,右肺炎を自然的経過を超えて増悪させた結果,より重篤な急性肺炎又は致死的不整脈を発症して死亡したのであるから,業務起因性があると主張するので,右主張について判断する。

1  業務過重性の判断基準について

原告は,業務の過重性を判断をするに際しては被災者の健康状態をも考慮すべきであって,本件では,太郎が夜勤に従事する前から肺炎に罹患していたことを何より重視して判断すべきであるとする。

しかしながら,前記のとおり(第三の一),当該傷病の発生が業務に内在し,随伴する危険の現実化と見られる場合に業務と発症との間の相当因果関係が認められると解されることからすれば,業務の過重性を判断する際は,原則として当該労働者と同程度の年齢,経験を有し,日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある同僚又は同種労働者を基準とすべきであると解するのが相当であるから,太郎が肺炎に罹患していたことを前提として業務の過重性を判断すべきであるとする原告の主張は,これを採用することができない。

2  本件食堂における勤務体制

本件食堂における勤務体制は,第二の一「争いのない事実」2に記載のとおりであった。

3  夜勤勤務の業務内容

(一) 証拠(<証拠・人証略>)によれば,本件食堂における夜勤勤務の業務内容について,以下の事実が認められる。

夜勤者は,午後9時ころ出勤して湯を沸かしたり食器を保管庫から出すなどの準備作業をする。そして,午後11時ころから翌日の午前2時か3時ころまで,遅番が調理した料理の再加熱及び盛り付け等の配膳を行って夜食を提供する。夜食は夕食と同じ献立であるため既に調理済みであり,夜勤者が調理をすることはない。食事の後は,午前3時か4時ころまで残飯処理,食器や鍋の洗浄及び食卓の拭き掃除等を行う。食器は洗浄機で,フォークやスプーンは超音波洗浄機で,布巾は洗濯機で洗浄する。その後15分ないし1時間程度の休憩を取った後,午前6時まで朝食用の味噌汁の調理や昼食用の野菜の切断などをする。夜勤において業務として義務付けられている作業は,食器や鍋の洗浄作業までであり,食卓の拭き掃除,朝食及び昼食の下準備等は,職場の長年の慣行により行われているものである。また,Aが夜勤者に朝食等の下準備をするよう求めることもあった。

(二) 太郎の同僚であった本件食堂の従業員は,夜勤勤務について,以下のように供述する。

まず,証人C(当時56歳)は,夜勤は昼勤よりつらかった旨供述するが,その理由として,昼勤より業務量としては多くないが,1人きりで仕事をすることがつらかったからである旨供述する。また,労働事務官の本件食堂従業員に対する事情聴取に対し,D(当時45歳)は,「眠れないとかのプレッシャーがあるので夜勤はしんどい。」(<証拠略>),E(当時46歳)は,「夜勤の仕事はきつかった。」(<証拠略>),B(当時34歳)は,「夜勤がしんどいということはあまりない。」(<証拠略>)とそれぞれ供述する。

(三) 以上によれば,夜勤は昼勤と比べて調理の作業がないことなどから業務量が特に多いとはいえないこと,本件食堂の従業員も全員が夜勤をつらいと感じていたわけではないこと,つらいと感じていた者も業務内容自体がつらいというよりは,1人きりの仕事であることや夜眠れないことがつらいと感じていたものであることが認められるのであって,これらの事実からすると,夜勤の業務内容自体が過重であったと認めることはできない。

4  太郎の発症直前の勤務状況及び業務量

(一) 第二の一「争いのない事実」3に記載のとおり,太郎の発症前1週間の勤務状況は別紙の表<2>のとおりであり,発症前1か月間の勤務状況は別紙の表<3>のとおりであり,発症前6か月間の勤務状況は,別紙の表<4>のとおりであった。

また,証拠(<証拠略>)によれば,昭和63年4月11日から15日までの夜食の提供数は,いずれの日も普通の食事30食,麺食18食の合計48食であったことが認められる。そして,労働事務官の本件食堂従業員に対する事情聴取に対し,Eは,夜勤食は多い時で100食を超える時もあったこと,少ない時は30食くらいであったこと及び夜勤食は1人で十分まかなえる量であった旨を供述し(<証拠略>),Bは,夜勤の人が100人までくらいはてんてこ舞いというような忙しさではなく何とかやっていけていること及び50ないし60人くらいなら余裕を持って仕事ができる旨を供述している(<証拠略>)。

(二) 以上からすれば,太郎は,発症前1週間,1か月間,6か月間のいずれの時期を見ても概ね1か月に7日ないし10日間の所定の休暇を取っていることが認められ,時間外労働もさほど多いとは認められない。また,太郎の発症直前の夜勤の業務量も,通常に比べて特に多かったという事情は認められない。よって,太郎の発症前の業務量が通常に比して特に過重であったと認めることはできない。

5  夜勤自体の過重性について

原告は,夜勤自体が生体に悪影響を及ぼすものであると主張するが,右主張を認めるに足りる確証はなく,夜勤自体が生体に与える影響は明らかとはいえないから,右主張を採用することはできない。

6  1人業務の過重性について

原告は,夜勤が1人業務であることから食事に来る人がいる間は休憩なく作業をしていなければならないので業務として過重であると主張するが,前記のとおり夜勤の作業量は昼勤と比べて比較的少なかったことが認められ,また,1人業務であること自体が人体に悪影響を及ぼすと認めるに足りる証拠はないから,1人業務であることによって夜勤業務が過重であったと認めることはできず,右主張は採用できない。

また,原告は,夜勤が1人業務でなければ太郎が倒れたときに救急車を呼ぶなどの措置が執れたのであり,その意味で1人業務でなければ太郎の死亡という結果が発生しなかったと主張するが,本件では太郎が15分ないし1時間程度で死亡するに至ったものと推定されていることに照らすと,太郎の死亡が1人業務による発見の遅れに起因するものであるということはできず,右主張は採用できない。

7  作業環境

太郎が死亡した昭和63年4月15日,塚口工場における気温は,午前2時に摂氏6.9度,午前3時に摂氏6度であったことが認められる(<証拠略>)が,右は室外の気温であって,厨房内では夜食の再加熱に火を使うこと等からそれよりは暖かいこと,厨房にはガスストーブが1台あったこと及びホールの長椅子で休憩を取ることも可能であったことが認められるから(<証拠・人証略>),作業環境が劣悪だったとまでいうことはできず,作業環境により太郎の肺炎が増悪したと認めることはできない。

8  以上を総合して判断するに,太郎は本件発症時に肺炎に罹患しており,医者から休養を取るように指示されていたのであるから,そのような健康状態にある太郎が安静にせずに夜勤勤務に従事したことは,夜勤勤務が太郎の死亡を惹起する一原因となったと考える余地がないわけではない。

しかしながら,太郎の肺炎がその業務により生じたものと認めることはできないし,また,前示のとおり太郎の従事していた夜勤勤務が特に過重な業務であったとは認められないことからすると,夜勤勤務が太郎の肺炎を自然的経過を超えて増悪させたとまで認めることはできない。

かえって,鑑定の結果によれば,肝硬変,糖尿病及び高血圧症等の疾患は,肺炎を死因となるまで遷延させる要因となり得ることが認められるのであるから,太郎に存した右のような疾患が同人の肺炎を増悪させ,成人型呼吸促迫症候群による呼吸不全又は不整脈が発症して死亡するに至ったものと見るのが合理的であると考えられる。

そうすると,業務の遂行による過重負荷が太郎の死亡という結果に対し相対的に有力な原因となったと認めることはできない。

五  夜勤の交代の困難性について

原告は,太郎の死亡が過重な業務の遂行に起因するとは認められないとされた場合でも,適切な治療を受けていれば太郎が死亡することはなかったにもかかわらず,本件食堂において夜勤の交代が事実上不可能であったことから治療機会を喪失し,太郎は死亡したのであって,その意味から業務起因性があると主張するので,右主張について判断する。

1  夜勤交代の手続

証拠(<人証略>)によれば,本件食堂における夜勤の交代の手続につき以下の事実が認められる。

本件食堂では,毎週金曜日の昼に従業員のミーティングがあり,その時に次週の夜勤を他の従業員と交代してもらいたい旨を事前に申し出ることが可能であり,当日になって夜勤を交代してもらいたい場合でも,Aに連絡し,Aが昼勤者の中から交代が可能な者を探し,交代が可能な者がいればその者が当日から夜勤に入り,その週は通して夜勤に入る。交代可能な者がいなかった場合は,Aが自ら夜勤に入ることになる。

2  同僚との関係

原告は,前項のような本件食堂の勤務体制では,夜勤の交代により同僚に大きな負担をかけることになるため,太郎が夜勤の交代を申し出ることは同僚への気兼ねから事実上困難であったと主張する。

しかし,証拠(<人証略>)によれば,本件食堂で夜勤の交代がなされた事例がないわけではないこと並びにB及びAが自ら夜勤の交代を引き受けたこともあったことが認められる。また,労働事務官の本件食堂従業員に対する事情聴取に対し,Eは,「夜勤を代わってもらうには誰かに代わってくれと言えばそれでよい。」(<証拠略>),Cは,「身体の調子が悪いときに勤務を代わってもらいたいときは,言えばすぐAさんが何とかしてくれる。」(<証拠略>)と供述していることが認められる。右認定の事実からすれば,本件食堂において,同僚に対する気兼ねから体調が悪いときにも交代を申し出にくい状況にあったものとは認めがたい。

加えて,証拠(<証拠略>)によれば,Cは,昭和63年4月13日の朝,太郎が咳をしてつらそうだったことから,同人に対して「仕事代わってもらったら。」と声をかけたことが認められ,また,証人Bの供述によれば,Bが太郎に対し,同月14日の朝,太郎がつらそうだったことから,「1日くらいやったら交代やってもええよ。」と申し出ていることが認められる。このように,発症直前の太郎は,周囲の者からも体調のよくないことを察知され,夜勤の交代を慫慂されていたのであるから,同僚に夜勤の交代を申し出ることにつき特段の支障はなかったというべきである。

したがって,同僚への気兼ねから夜勤の交代が事実上困難であったとの原告の主張は採用することができない。

3  Aとの関係

原告は,Aが部下に対して強圧的であり,本件食堂においてAにものを言いにくい雰囲気があったことから,太郎がAに対して夜勤交代を申し出ることができなかったと主張する。

確かに,証拠(<証拠・人証略>)によれば,本件食堂においては,太郎をはじめとする従業員がAに対して気軽に話しかけられるような雰囲気ではなかったことが窺われる。

しかしながら,前記のとおりCは,「身体の調子が悪いときに勤務を代わってもらいたいときは,言えばすぐAさんが何とかしてくれる。」と供述しているのであり,また,太郎は昭和63年4月1日及び2日の中番勤務につき,前日の3月31日にAに対して体調不良である旨の電話連絡をし,有給休暇をとっていること(<人証略>),さらに,Aが本件食堂の連絡簿において太郎に対し,「4/16日,休日出勤があります。風邪ひいて大変ですがもう1日お願ひします。異常なときは連絡下さい。まつは御自愛下さい。」と記載していること(<証拠略>)が認められる。右認定の事実に照らすと,原告が主張するように,Aが部下に対して強圧的であったとか,体調不良を理由にAに対して夜勤交代を申し出ることが事実上困難な状況にあったとまで認めることはできない。

そうすると,太郎は,前記第二の一「争いのない事実」4に記載のとおり同月13日に神田医師から急性気管支炎,急性扁桃腺炎症と診断されるとともに,安静にし,休養を取るように指示されていたのであるから,Aに対して,右事情を説明して夜勤の交代を申し出ることは十分可能であり,これを妨げる事情はなかったというべきであるから,Aに対して夜勤の交代を申し出ることが事実上困難であったと認めることはできない。

4  したがって,夜勤の交代が事実上困難であったことを前提に,適切な治療を受ける機会を喪失したことにより,太郎が死亡したとする原告の主張は採用することができない。

六  まとめ

以上のとおり,業務の遂行による過重負荷が太郎の死亡という結果に対し相対的に有力な原因となったものと認めることはできず,また,治療機会の喪失により太郎が死亡したと認めることもできないから,太郎の死亡が業務に起因するものであるということはできない。

したがって,太郎の死亡について業務起因性は認められないとした本件処分に何ら違法はない。

第四結語

よって,原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行訴法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松村雅司 裁判官 徳田園恵 裁判官 宮﨑朋紀)

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