神戸地方裁判所 平成8年(行ウ)40号 判決 2000年3月24日
主文
一 被告が、原告らに対し、平成六年六月三〇日付けでした、地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
一 本件は、中学校教諭であった原告らの子が、早朝、自宅寝室で死亡していたことについて、原告らが、右死亡は勤務先の中学校における公務に起因するとして被告に公務災害認定請求をしたのに対し、被告が公務外認定処分をしたため、その取消しを求めた事案である。
二 争いのない事実等
1 A(昭和三一年七月三日生)は、原告らの子で、昭和五五年三月に大学を卒業して服飾メーカーに勤務し、昭和五六年四月から塾の講師をしながら教員免許を取得し、昭和六二年四月、神戸市教育委員会から神戸市公立学校教諭として採用され、神戸市立γ中学校(以下「γ中学」という。)に勤務した。
2(一) γ中学においては、毎朝午前八時三〇分から一〇分間程度、朝の職員の打合せである職員朝集が行われ、午前八時四〇分から一〇分間、全校朝集、学年朝集又は始礼(ST)が行われた後、一校時五〇分間の授業が開始され、休憩時間一〇分間をはさんで午前中四校時の授業が行われる。月曜日から金曜日までは、午後零時五〇分からの昼食後、午後一時二五分から五校時目、六校時目の授業が行われ、午後三時一五分から全員清掃、午後三時三〇分から終礼(ST)が行われる。
二 平成二年度のγ中学教員の所定動務時間は次のとおりである。
平日 勤務時間 午前八時一五分から午後五時
休息時間 午前八時一五分から午前八時三〇分
休憩時間 午後四時から午後四時四五分
休息時間 午後四時四五分から午後五時
土曜日 勤務時間 午前八時一五分から午後零時一五分
休息時間 午前八時一五分から午前八時三〇分
3 Aは、平成元年度は三年生の、平成二年度は二年生の学級担任をし、平成元年度の校務分掌は就職指導及び生徒会指導で、平成二年度の校務分掌は生徒指導部長であった。また、担当教科は昭和六二年度から平成二年度にかけて英語科で、B教諭と共に男子軟式庭球部(以下「テニス部」という。)の顧問をした。
4 Aは、平成二年七月六日午前五時頃、自宅の寝室内で死亡(以下「本件発症」という。)しているところを原告Cに発見された。Aの死体検案をした医師Dは、同人の直接死因を「突然死(ポックリ病)」、発症から死亡までの期間を「即死」と判断した。Aの死体解剖は行われていない(乙二)。
5 原告らは、Aの死亡が公務に起因するとして、被告に対し、平成三年六月二八日付けで公務災害認定請求をした。被告は、平成六年六月三〇日付けで、Aの死亡を公務外と認定し(以下「本件処分」という。)、原告らに通知した。
原告らは、本件処分を不服として、平成六年八月八日付けで、地方公務員災害補償基金兵庫県支部審査会に審査請求をしたが、同審査会は平成九年三月一一日付けでこれを棄却した。
さらに原告らは、同年四月二一日付けで地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、同委員会は、平成一〇年三月一八日付けで右請求を棄却した(乙六四)。
三 主要な争点
本件発症が公務に起因するものか否か
第三当事者の主張
一 原告の主張
1 公務と疾病との因果関係について
(一) 公務と疾病との間の相当因果関係の存否の間題は、医学的な判断そのものではなく、あくまで法的な判断であり、相当因果関係の立証は、一点の疑義も許さないという自然科学上の証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討して、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることで足りる。
そこで、疾病と公務との間の相当因果関係は、公務の過重性と基礎疾患の程度とを相関的に判断して、公務が疾病の原因となっていたとみられる蓋然性が証明されるかどうか、あるいは社会通念に従い公務が基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせたかどうかにより判断すべきである。
(二) 教員の職務は、子どもを対象とする点で優れて精神労働であり、子ども、父母、同僚及び管理職等に対する気配りを要求され、各種の調査結果から見てもストレスの非常に大きい仕事である。
よって、教員の公務の過重性を判断するに当たっては、単に勤務時間の多寡や学校内における勤務状況だけを外形的、表面的に観察するだけでは足りず、勤務の実態を具体的に検討しなければならない。
2 Aの公務の過重性について
(一) 平成元年度の公務
(1) Aは、平成元年度に三年生の学級担任をした。
学級担任は、午前八時三〇分の全職員朝集、授業前のST(シヨートホームルーム)、生徒各自の提出するノートの点検、昼食指導、掃除監督、一日の終わりのSTをルーティンの職務として行う。
Aは、学級担任としての職務に加え、就職指導担当等の未経験の職務を担当したうえ、一学期の終わりから一一月下旬まで、職員や生徒の支援のない状況で新聞コンクール参加のための新聞作成の指導を担当した。
(2) さらにAは、二、三年生の英語を担当し、クラスには施設入所中の生徒や長期不登校児を抱えていたことから、部活終了後は施設や家庭訪問をするなどし、休日もテニス部の対外試合引率等に携わることが多々あったため、いつも夜遅くまで職員室に残り仕事をしていた。
(二) 平成二年度の公務
(1) 生徒指導部長
Aは、平成二年四月から生徒指導部長に就任したが、神戸市立中学校内では、生徒指導部長は、教員経験一〇年以上で保健体育科を担当し、学級担任を持たないか副担任である者が多数であり、教員となって四年目で、英語科を担当し、学級担任を持つAの生徒指導部長就任は、極めて異例の人事であった。
生徒指導部長は、生徒指導にかかわる突発的な出来事に即座に対応することが要求され、校内にあっては関係生徒の担任らとの連絡・調整をし、対外的にはγ中学の代表となるなど、教師経験の乏しいAにとって精神的負担の大きい職務であるうえ、教育委員会への報告文書の作成、会議への出席の機会も多かった。
(2) 学級担任
Aは、二年九組生徒数三六名を担任したが、日々の職務に加え、長期欠席生徒の自宅への家庭訪問をし、また、学級内でのいじめ事件にも悩んでいた。
(3) 教科指導
Aは、平成元年度に引き続き英語科を担当したが、英語科は重要な受験科目であり、学力の低い生徒には補習をし、試験問題の作成にも気を使う教科であるうえ、平成二年度からは教科書が変更され、新たに授業準備をすることが求められた。
(4) 部活指導
テニス部は、前年度の対外試合や大会における好成績をふまえてさらに練習に熱が入り、Aは、土曜日の午後及び日曜日にも対外試合の引率や練習指導のため登校し、平成二年度の始まる前の春休みも連続登校した。
(三) 本件発症前日の職務内容
Aは、平成二年七月五日、通常どおり午前七時三〇分頃から校内巡視等に従事し、Aのクラスで急遽外国人講師とのチームティーチングを実施することになったため、空き時間に外国人講師と打合せをし、四校時に右講師とともにチームティーチングを実施したが、生徒がうまく答えられず、失敗に終わった。
Aが、授業終了後のSTの際、同人としては珍しくクラス生徒を怒鳴りつけたのは、当時のAの精神的疲労が極度に達していたことの徴表である。
午後四時から午後七時まで部活指導をし、このとき来校したOBと、異常とも見える激しい打ち合いをした。
Aは、帰宅後、昼食を摂らず、激しい運動をしたにもかかわらず、好物のおでんを断り、三個のおにぎりしか食べず、翌日の球技大会の準備のため、午前五時に起こすよう原告Cに頼んで就寝した。
(四) 本件発症前一か月間の職務内容
(1) 自然教室
γ中学では、平成二年六月九日から同月一一日にかけて、二年生の生徒の自然教室が行われた。
自然教室は、山登りなど体力を消耗する活動が多く、同一場所で自然教室をする他校とのトラブル回避のための打合せ等に気を使ううえ、午前三時まで生徒の就寝指導をし、午前五時三〇分には起床するという過酷なスケジュールであった。
しかもAは、自然教室の代休日である平成二年六月一二日及び同月一三日にも出勤し、β父母の会出席、部活指導等の職務に従事した。
(2) 発症前一か月間に、変形服の着用及び万引き等の生徒指導を要する事件が八件あり、そのうち五件は発症前一〇日間に集中した。
Aが、右事件のうち平成二年六月二六日の三年生女子の二年生女子に対する嫌がらせについて、同月二七日に三年生の教諭に指導状況を尋ねたところ、他学年のことに口出しをしたとして叱責され、Aは言葉を失い、処理について気に病んでいた。
また、平成二年六月二八日の万引きの際、その生徒が学校名を偽ったため、被害者だけでなく他校にも謝罪する必要があった。
(3) Aの平成二年六月六日から同年七月五日までの総作業時間は三四二・五時間であり、所定勤務時間の合計は一八八時間であるから、所定の一・八二倍の時間勤務していることになる。
この間の休日は七日間であったが、Aは、このうち五回は部活指導等のため出勤し、二回は自宅で期末テストの問題作成、採点及び通知表の作成をしたため、疲労は回復しないまま蓄積されていった。
(五) Aは、平成元年度の就職担当としての負担の増大とともに、同僚及び家人に疲労や体調不良を訴え、病院に通院するなどするようになっており、さらに、死亡一〇日前頃からの職務多忙や精神的ストレスを増強する出来事の続発と時期的に整合する形で、Aの精神的・身体的健康状態は急速に悪化し、死亡前日の易怒性や食欲不振を示す言動にみられるように、過大なストレスにさらされた人に典型的な自己回復力の滅退を直接反映する危険な徴候が現れた。
(六) Aの死亡前の勤務状況について、精神科医師Eがストレス点数表に基づき、Aのストレス点数を控えめに推定した結果からすると、Aが死亡前に著しく過重なストレス状態にあったことは医学的に確実である。
(七) 以上のとおり、Aが従事した公務は、平均的な日本人勤労者において健康状態の著しい低下を来し得るほどの過重なものであった。
2 Aの死因について
一般的に、突然死としては心臓突然死の可能性が最も高いとされているうえ、Aの死亡時、外傷、吐血等の異常所見は全く見られなかったのだから、発症後苦しむ間もなく極めて短時間で死亡に至ったものと考えられ、また、高血圧の基礎疾患もなかったことからすると、呼吸器系疾患や脳疾患は考え難く、心臓性突然死と考えるのが最も合理的である。
心臓突然死を前提として、本件発症の原因疾患については、発症から死亡までの時間が極めて短いことから、死亡まである程度の時間を要する急性心筋梗塞の合併による死亡の可能性は少なく、冠攣縮性狭心症が致死性不整脈を誘発したか、あるいは特発性致死性不整脈又は原因不明の青壮年期急死症候群のいずれかの可能性が考えやすい。
3 本件発症の公務起因性について
(一) 前記の原因疾患のうち、いずれかをさらに推定することは、仮に死体解剖を行ったとしても判別が極めて困難なのであるから、死体解剖をしていない本件ではなおさら不可能というほかない。
しかし、本件のように職務による過労と死亡との因果関係が争点となるケースにおいて、死体解剖が行われていないため原因疾患の特定が困難又は不可能な場合、それのみで相当因果関係の主張立証が尽くされていないとすることはできず、死亡したものの既存疾病の有無、健康状態、従事した職務の性質、それが心身に及ぼす影響の程度、健康管理の状況及び死亡事故発生前後の勤務状況の経過並びに医学的知見等諸般の事情を総合勘案して、死亡と職務との因果関係について判断すれば足りるというべきである。
(二) 本件において、前記2の原因疾患に被告の主張するクモ膜下出血及び洞不全症候群を加えたいずれの疾患においても、職業性ストレスや過労はそのリスクファクターとして重要な役割を果たすことが明らかであるから、公務起因性は、原因疾患の特定もしくは推定の可否にかかわらず、公務の過重性の有無によって判断すべきである。
そして、Aは、特段の基礎疾患を有しておらず、職務以外に突然死の危険因子も存在しなかったにもかかわらず、十分な休養をとることもできないまま過重な職務に従事し続けたことによりその精神的・身体的健康状態が著しく急激に増悪し、ついには本件発症に至ったのであるから、公務起因性は認められる。
二 被告の主張
1 災害補償制度における相当因果関係の意義
地方公務負災害補償制度の対象は、あくまでも「公務上」の災害であり、「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要である。そして、相当因果関係は、公務に内在する危険が現実化したものと認められるかどうかを基準として判断することが必要であり、公務に内在する危険が現実化したと認められるためには、少なくとも公務が災害を引き起こすその他の要因との関係で相対的に有力な原因であったと評価できることが必要である。
そして、脳・心疾患は、発症の素地となる血管病変等の形成に当たって公務が直接の発症原因となるものではなく、また、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症と医学的因果関係のある特定の公務は認められていない。
したがって、労働者が日常の職務で受ける負荷による影響は、その労働者の血管病変等の自然経過の範囲にとどまるものであるが、例外的に、当該公務が精神的又は肉体的に著しい過重負荷を生じるものであったため、これにより、脳血管疾患又は虚血性心疾患等が明らかにその自然的経過を超えて急激に著しく増悪したと医学的に認められる場合には、公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病と認めることができる。
これを判断するに際しては、公務に関連する異常な出来事に遭遇し、あるいは日常の公務に比較して特に過重な公務に就労したことにより、発症前に公務による明らかな過重負荷を受けたことが認められるか否か、また過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであるか否かを考慮する必要がある。
2 Aの公務の過重性について
(一) 平成二年度の公務
(1) 生徒指導部長
Aが生徒指導部長をした平成二年当時、γ中学は生徒指導上の問題の少ない学校であった。また、Aは、平成元年度には生徒指導部の職務に就いており、生徒指導部長は全く未知の職務ではない。
生徒指導部長の職務は、各学年の生徒指導係の報告を受け、対外的な連絡調整を行うことが主要な任務で、個々の生徒指導事案は基本的に各学年で対応している。特に平成二年度は、保護者及び生徒に対する職務はできるだけ各学年で対応し、Aは対外的な職務に重点をおくよう申合せがされ、Aの授業時間数も、平成元年度の一週間当たり一八時間から平成二年度には一週間当たり一五時間に軽減されている。また、原告らが主張する八件の生徒指導上のトラブルは、仮にその事実があったとしても、Aがどのように対応したかは明らかでない。
Aは、生徒指導部長就任当時三四歳で、神戸市立中学校においては同程度の年齢の教員の生徒指導部長就任例が多数あり、生徒指導部長が英語科、学級担任及び部活指導をするのも異例ではない。また、教員経験は三年であるものの、教員となる以前に服飾メーカーや塾講師の経験があり、これらは人間性の幅を広げ柔軟な対応を可能にするものであって、生徒指導上役立つ経験である。
このように、Aの生徒指導部長としての職務は特に過重とはいえない。
(2) 教科指導
教科によって各教諭の職務内容に軽重を認めることができず、教科の重要性に特に差異が認められるものでないことは中学校学習指導要領に照らし明らかである。また、前記のとおり、Aは、平成二年度は平成元年度より授業時間数を軽減されている。
(3) 部活指導
テニス部の指導は通常二時間程度であり、生徒に練習をさせるものであって、教員が特に肉体を鍛えるなどの練習を強いられるものではなく、指導教員に精神的・身体的負荷をかける職務ではない。
また、γ中学では、士曜日・日曜日の部活動の顧問による練習指導は職務としては行われていない。部活指導の方法は、顧問の裁量によるのであり、Aは、自己の判断で指導の回数又は実技指導を減らすなどできたはずであり、それにもかかわらず毎週土曜日・日曜日の指導や実技指導が行われたということは、Aに疲労はなく、これらの指導が過重でなかったことを示唆している。
Aは、B教諭とともにテニス部の顧問をしており、平成二年度以降は指導の回数も減っていたのであるから、生徒指導部長とテニス部顧問を兼務していたからといって過重な公務であったとはいえない。
(二) 本件発症前日の職務内容
(1) チームティーチング
チームティーチングは、英語科の平成二年度の取組みとして計画的に実施され、既に一年生でも実施されていたもので、Aにとって全く未知のものではなかったし、授業前に準備は整えている。授業時間は五〇分と短く、途中でやり方を変更したものの、予定どおりの時間で無事に終了している。一般に、授業が計画通りに進まないことは教師にとって異常なことではなく、右のような出来事は日常の職務の中で通常起こりうるものというべきである。
(2) 部活指導
三四歳の男性にとって、二〇分程度のテニスの乱打は過重でなく、高校時代からテニスを続けていたAにとっては、むしろ肉体及び精神をリフレツシユさせるものである。
(3) 結局、本件発症前日にAが勤務時間を超えて従事した職務は朝の校門指導等及び午後の部活指導の合計一時間四五分と長いものではなく、内容的にも精神的・身体的な過重性を全く認めることのできないものであった。
なお、Aが夕食で食べたおにぎり三個といえば、茶碗三杯のご飯に相当する量であるから、食欲に問題があったとは考えられず、また、午後一〇時の就寝は、成人の就寝時刻として早い方である。
(三) 本件発症前一週間及び一か月間の職務内容
(1) Aの時間外勤務について
原告は、Aが自宅勤務等の多大な時間外勤務をしたと主張するが、自宅で行ったという職務内容及び時間数は根拠を欠く。
部活指導は、その時間、方法とも顧問である教員が任意に選択、実施するものであるから、土曜日午後や日曜日の練習、自ら体を動かす実技指導等は必ずしもやらなければならないものではない。
また、自宅勤務は、学校長の特段の職務命令で行われたものではなく、勤務時間、場所及び方法についての任命権者の支配可能性がないのであるから公務と認めることはできない。テストの採点等は本来学校内で行うべきで、Aを含むγ中学の教諭の一日中の担当授業時間数は三時間程度であるから、その時間的余裕もあるはずであり、生徒のテスト等を学校長の許可なく自宅に持ち帰ることは服務規程違反に該当する。
Aの成績評価や通知表の作成は、本来の期限より相当早期になされているが、これはA自身の意思によるものであり、公務の必要からではなく、これらの職務を平均的にしていれば、自宅勤務は、発生しないか、長時間に及ばないはずである。
よって、仮に原告が主張する自宅勤務等があったとしても、これらはいずれも公務に該当しない。
(2) 公務過重性を判断するに当たり、発症前一週間以内に過重な職務が継続している場合には、発症直前から前日までの間の職務が特に過重と認められない場合であっても、発症前一週間以内の職務は血管病変等の著しい増悪に関連があると考えられるとされているところ、Aが本件発症前一週間に勤務時間を超えて勤務したのは、朝の校内巡視等が一日四五分を四日間で合計三時間、平成二年六月三〇日の校区周辺指導の二時間及び学内事務の一時間並びに同年七月三日、同月四日及び同月五日の部活指導合計六時間一五分であり、その合計時間数は一二時間一五分である。
(3) さらに、Aが、本件発症前一か月間に勤務時間を超えて勤務したのは、せいぜい、朝の校内巡視で一五時間、部活指導で三二時間三〇分、校区周辺指導、生徒指導及び会議で六時間三〇分、その他の学内事務で六時間四五分の合計六〇時間四五分である。
(4) この間の職務内容は、いずれも日常的に行われているもので、精神的・身体的に過重なものではなく、またアクシデントもなかったのであるから、過重な職務が継続したとはいえない。
(五) 原告は、ストレス点数表による測定の結果に基づきAが過重なストレス状態にあった旨主張するが、E医師による右測定は、前提とする事実に誤りが多いし、ストレス点数表自体、臨床に使用されておらず、ストレスの受容の程度や身体に与える影響についての著しい個体差を反映しないなどの問題点がある。
(六) 結局のところ、現在の医学水準ではストレスを客観的・定量的に把握することはできず、公務起因性は公務による過重負荷の有無によって判断されるべきであるが、Aの職務内容や職務の量等に照らし、そのような過重負荷は認められない。
2 Aの死因について
Aは死亡時三四歳で男性であったこと及び格別の既往歴もなく、死亡前日まで特に病身であったと見られないことなどに、突然死の調査死亡分析結果を参酌して考慮すれば、Aの突然死の原因としては、虚血性心疾患、原因不明の青壮年期急死症候群、洞不全症候群及び脳血管障害が考えられる。さらに、Aの死亡の状況に鑑みると、虚血性心疾患のうち最も可能性が高いのは冠攣縮性狭心症である。また、Aに高血圧の既往がないことなどからすると、脳疾患のうち最も可能性が高いのはクモ膜下出血であると考えられる。
死体解剖の行われていない本件では、右のうちいずれが原因とも断定はできない。
3 本件発症の公務起因性について
(一) 公務と発症との相当因果関係の前提である条件関係は、本来具体的な原因疾患を前提にして判断されるべきものである。
ところが、本件では、そもそもAの原因疾患すら明らかでないのであるから、公務と発症との相当因果関係は認められない。
(二) 原告は、Aの死因として可能性のある原因疾患のいずれにおいても職業性ストレスや過労はそのリスクファクターとして重要な役割を果たす旨主張するが、これらの疾患の発症原因には、ストレス以外に多くのものがあり、ストレスにも職務上以外の様々な原因が考えられ、その程度は多様である。さらに、職務が個人にどの程度のストレスを与え、そのストレスがどの程度の健康被害をもたらすかは極めて個人差が大きいから、Aに与えられたストレスの程度やその影響について推定することはほとんど不可能である。
また、クモ膜下出血及び青壮年期急死症候群では、ごくまれに、職務の著しい過重負荷の継続がある場合に急激な増悪又は早期の発作を生じることもあるが、前記のとおり、Aに公務による過重負荷は認められない。
(三) よって、本件発症に公務起因性は認められない。
第四裁判所の判断
一 公務起因性の判断基準について
地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)三一条にいう「公務上死亡」とは、当該公務と死亡との間に相当因果関係が存在することをいうものであるところ、右相当因果関係の有無は、公務に内在する危険が、それ以外の発症原因と比較して相対的に有力な原因となったか否か、換言すれば、当該公務の遂行が精神的・身体的に過重負荷となり、それが発症の原因となった疾患を自然経過を超えて著しく増悪させるなどして傷病等を発症させ、当該被災者を死亡せしめたと認められるか否かにより判断するのが相当である。
二 Aの公務の過重性について
1 前記「争いのない事実等」及び証拠(甲一、六ないし九、一二ないし一四、二二、二三、二六、二七、三七、四一、四九ないし五三、五七、六四、八五、一〇〇ないし一〇三、一〇六ないし一〇八、一三二、一三三、乙四ないし七、一六ないし二一、二四、二五、三三、三六、四九、五〇、六一ないし六三、証人F、同B、同G)によれば、以下の事実が認められる。
(一) Aの職務内容(甲八、一二、一三、二六、三七、五七、一〇六ないし一〇八、一三二、乙四、五、二一、四九、五〇、六一ないし六三、証人F、同B、同G)
(1) 平日午前八時三〇分の始業から午後三時三〇分の終礼までの間、教科及び学級担任を持つ教員は、担当する教科の授業をし、その合間に生徒が自宅学習したノート、授業中実施した小テストの採点等を行い、生徒の昼食時、清掃時にはそれぞれ昼食指導、清掃指導をする。さらに部活動の顧問をする教員は、午後三時五〇分から部活指導をする。平日の部活動は、四月から九月までは午後六時三〇分に完全下校をすることとされていたが、実際には生徒の下校時刻が午後七時頃になることも多かった。
(2) 英語科の職務内容
γ中学における英語科の職務内容には、通常の授業に加え、授業用のプリント、単語の小テスト作成といった授業準備、補習のほか、月一、二回の学力テスト及び中間・期末考査の問題作成等があった。
平成二年度にAと同じ二年生の英語科を担当したG教諭の場合、中間・期末考査の問題作成には一日二、三時間かけて一週間程度を要した。
また、平成二年度からは、外国人講師とのチームティーチングが行われた。チームティーチングは、外国人講師と事前に授業内容を打ち合わせ、共同で授業をするというもので、γ中学における平成二年当時の外国人講師は日本語が話せないため、打合せは英語で行わねばならず、また、教員経験を有しない者が多いことや国内外の教育環境の違いから、外国人講師の生徒への対応について英語科教員が苦慮することもあった。
なお、γ中学においては、平成二年度に英語科の教科書が変更された。
(3) 部活指導
Aは、γ中学赴任当初の昭和六二年度からB教諭と共にテニス部の顧問をし、昭和六三年八月からはAが正顧問、B教諭が副顧問をした。
γ中テニス部は、昭和六二年七月及び平成元年七月の神戸市総合体育大会で優勝するなど、神戸市内外の各種大会で好成績を収めていた。このため、テニス部の練習は、平日だけでなく土曜日午後や日曜日にも行われることが多く、また、各種大会のほかに他校との練習試合が行われ、AとB教諭は、単独又は両名で、これらの練習の指導及び試合の引率をした。
Aは、高校時代からテニスの経験があり、部活指導の際は自ら実技を行う実技指導を多く取り入れていた。
(4) 生徒指導部長
生徒指導部長とは、学校における生徒指導主事(学校教育法施行規則五二条の2第三項)の呼称であり、校長の監督を受け、学校における生徒指導計画の立案・実施、生徒指導に関する資料の整備、生徒指導に関する連絡・助言等生徒指導に関する事項をつかさどり、当該事項についての教職員間の連絡調整に当たるとともに、関係教職員に対する指導、助言に当たるものとされ、教諭をもって充てられる。
生徒指導係は、生徒の情報を収集し、きめ細かい生徒指導を行う目的で各学年に設置され、学年に応じたち密な指導方法の展開を図り、生徒の問題行動に対する直接指導等を行う。
生徒指導部長の繁忙期は、生徒の問題行動が増加し、その防止を呼びかけるための配布物等の作成が増える夏休みの前後の時期である。
(二) 平成元年度のAの公務について(甲五二、五三、一〇〇、乙一六、証人F)
Aは、平成元年度に、三年生の担任、二年生と三年生の英語科を一週間当たり一八時間担当したほか、校務分掌として就職指導及び生徒会指導を担当した。同年度の就職希望者は例年の二倍ほどであった。
また、Aの学級には、養護施設に入所した生徒がおり、この生徒が数回右施設からいなくなったため、Aは、その度夜間にF教頭と共に右生徒を探し回った。
(三) 平成二年度のAの公務について(甲七、一二、二三、一〇一、乙一七、一八、四九、六一ないし六三、証人F)
(1) Aは、平成二年度に、二年九組の学級担任、二年生の英語科及び生徒指導部長を担当した。英語科の授業時間数は、生徒指導部長就任を考慮して、一週間当たり一五時間とされた。
(2) 生徒指導部長としての公務
Aを生徒指導部長に選任するに当たり、F教頭は、Aの教員としての経験年数が少ないことから、各学年の学年主任との間で、現実の生徒指導は各学年において行うよう申し合わせたが、Aは二年生の学年主任及び生徒指導係も兼任していたため、二年生については現実の生徒指導も行っていた。
γ中学では、毎朝午前七時三〇分から、教員の一週間に一回程度の輪番による校門指導が行われていたが、Aは、F教頭の勧めにより、毎朝校門指導をしたうえ、たばこの吸い殻の確認等生徒指導上の情報収集のため校内のゴミ拾いをし、その合間に、午前七時三〇分からのテニス部の朝練習に立ち会うこともあった。
また、Aは、生徒指導部長として前記(二)の各種会合への出席又は報告をしたほか、生徒指導に関し、保護者、生徒等に配布する各種の文書を作成した。
γ中学では、平成二年四月から同年七月にかけて、対教師暴力や薬物乱用といった重大な非行事件はなかったものの、万引きや生徒間のいさかい、住民の苦情等の生徒指導上のトラブルは日常的に発生し、Aに報告が寄せられていた。
(四) 本件発症前日の勤務状況等(甲一、九、五〇、乙六、七、証人B)
(1) Aは、平成二年七月五日午前七時三〇分頃学校に到着し、通常どおり校門指導及び校内のゴミ拾いをした。
(2) 同日の朝、二年生のチームティーチングを行うことになり、Aが、四校時目に担任である二年九組で実施することになった。
(3) 一校時に二年七組の授業をした後、二校時の時間に外国人講師との間で、四校時に行う英語のチームティーチングの打合せをし、三校時に二年一組の授業をし、四校時にチームテイーチングを実施した。
Aと外国人講師との事前の打合せでは、生徒全員を起立させ、外国人講師の英語による質問に回答した生徒から座るという授業方法を予定し、英語科のH教諭が見学する中でチームティーチングが行われたが、予期に反して生徒がうまく回答できず、ほとんどの生徒が座れない状態が続いたため、授業内容を生徒が外国人講師に英語で自己紹介をする方法に変更した。
(4) 午後二時一五分から午後三時まで、PTA関係者と夏休みの補導計画について打合せをした。
(5) 放課後、テニス部の指導をした。このときは、OBの高校生が練習の手伝いに参加し、Aは右OBらと二〇分程度の乱打をした。
(6) 午後七時一五分頃学校を出て、午後八時過ぎに帰宅した。
原告Cがおでんを用意していたがこれを食べず、あっさりしたものが食べたいと言っておにぎりを三個食べ、原告Cに対し、翌日の二年生の球技大会の準備のため、通常より一時間ほど早い午前五時に起こすよう頼んで、午後一〇時頃就寝した。
(7) 原告Cは、午前一時頃、ウーッという声を聞いた。原告Cが午前五時過ぎにAを起こしに行くと、同人は死亡していた。
(五) 本件発症前一か月間の勤務状況等(甲一、七、八、二七、四一、四九、八五、一〇二、一〇三、一〇六、一〇七、一三二、乙六、七、一九、二〇、二四、二五、三六、四九、六三、証人B、同G)
Aの本件発症前一か月間の勤務状況は別表記載のとおりである。
右期間中、以下の行事又は事件があった。
(1) 平成二年六月九日(土曜日)から同月一一日(月曜日)まで、二年生生徒三二九名が兵庫県養父郡<以下略>でオリエンテーリング、飯ごう炊さん等を行う自然教室が実施され、Aは、他の教員一五名と共に二年生の生徒を引率した。
初日の教員の集合時刻は午前六時三〇分頃、集合時刻は午前七時四五分で、解散日時は同月一一日午後五時三〇分であった。
期間中の生徒の消灯時刻は午後一〇時三〇分、起床時刻は午前六時三○分であったが、引率の教員は、消灯時刻後深夜まで生徒の就寝指導、翌日の打合せ等を行い、朝は生徒より先に起床して生徒を起こした。
(2) 平成二年六月一二日の全日及び同月一三日の午後は、自然教室の代休日であったが、Aは、同月一二日の午後からは後記のとおり生徒指導部長としてβ父母の会に出席し、同月一三日には、午後四時頃から部活指導をした。
(3) 平成二年六月から同年七月までのテニス部の対外試合は次のとおりである。なお、同年六月二四日から同年七月二日までは、期末考査期間のため部活動が中止された。
六月一六日(土曜日) β総合体育大会団体戦を予定していたが、雨天中止のため、午後から部活指導をした。
六月一七日(日曜日) β総合体育大会個人戦午前八時にγ中学に集合し、午後五時頃解散した。
六月二三日(土曜日) β総合体育大会団体戦午後から引率し、午後五時頃解散した。
七月中旬~下旬末頃 神戸市総合体育大会、兵庫県総合体育大会
(4) 平成二年六月六日から同年七月五日までγ中学で発生し、Aに報告が寄せられた事件は次のとおりである。
六月八日 同月四日に起こった三年生男子の自転車部品窃盗につき、加害者と被害者の親同士の示談が決裂
六月一二日 生徒が下校時に買い食いしてゴミを家の庭に放り込む旨の住民の苦情
六月二一日 三年生の長期欠席生徒の指導を検討
六月二六日 三年生の女子五名が二年生の女子一名に対し暴行等の嫌がらせ
六月二六日 二年生の変形服着用
六月二七日 一年生男子が本屋で万引き
六月二九日 三年生女子六名が女子一名に暴行
七月四日 生徒がマンションを通路がわりに通行して汚す旨の住民の苦情
(5) Aが、平成二年六月二六日の女子のいやがらせ事件に関し、同月二七日、同人より教員経験の長い三年生の教員に対し三年生の指導状況について確認したところ、右教員から、三年生の指導は三年生の教員がするからまず先に二年生の指導をするよう回答された。
(6) Aが、平成二年六月五日から同年七月五日までに出席した生徒指導上の会合等は次のとおりである。
六月五日 中部ブロック生徒指導研究協議会
六月八日 α周辺補導
六月一二日 β父母の会
六月二六日 β八校生徒指導の会
六月二九日 β父母健全育成推進委員会
六月三〇日 校区周辺補導
七月三日 中部ブロック生徒指導担当連絡協議会
七月五日 夏休み補導についてのPTAとの打合せ
(7) 平成二年六月三〇日から同年七月三日にかけて期末考査が行われた。
英語科の考査は初日の六月三〇日で、Aが問題を作成した。
平成二年六月三〇日(土曜日)午後零時一五分の勤務時間終了後、PTAとともに行う校区周辺補導が実施され、Aは、G教諭外二名の教諭とともに参加し、午後三時三〇分頃帰校して、午後四時三〇分頃退勤した。
(8) Aは、平成二年七月二日(月曜日)には、期末考査の採点及び通知表の所見欄の下書きの一部を既に終えていた。
(六) Aの性格、健康状態等(甲六、八、九、一二、一四、二二、四九ないし五一、六四、乙三三、四九、六三、証人B、同G)
(1) 上司及び同僚教員は、Aはマラソンに参加するなど体力があり運動神経がよく、性格は、責任感が強く愚痴や不平を口にしない一方で、気軽に人にものを頼めないところがあるとの印象を受けていた。
(2) Aは、平成二年三月二六日から同年六月一二日にかけて七回にわたりN眼科医院を受診し、眼精疲労等と診断され、このとき強い疲労感を訴えて、ビタミン剤の処方を受けた。
(3) Aは、平成二年四月頃からは、同僚教員に対し疲労感を口にすることが多くなり、「自分の人生は二四歳で終わった。」(同僚教員との飲み会の際)、「綱渡りをしているから。崖っぷちを歩いているような感じだ。」(平成二年七月二日、期末テストの採点等を早期に終えたことについて、G教諭が理由を聞いたのに対し)、「一週間休みがあったら大阪のホテルの最上階で休みたい。もし一年間休みがあったらニューカレドニアで眠りたい。」(本件発症前日の平成二年七月五日)との趣旨の発言をしていた。
家庭においても、平成二年一月頃から眠い、疲れたなどとこぼし、いびきがひどくなり、同年六月頃からは、ご飯が食べられないとして夕食を残すようになった。
(七) Aのストレス状況についてのE医師の所見
精神科医であるE医師は、その意見書(甲一三三)において、教職員に対し、対象となる出来事により生じるストレスを点数化したストレス点数表をもとに健康調査質問をした結果、生徒指導部長はストレスの多い職務であることが明らかとなったこと、Aの死亡一か月前、特に死亡五日前の身体症状、言動及び精神状態は、過大なストレスにさらされた人に典型的なパターンを示していたことから、Aが死亡前に極めて著しい精神的・身体的過重負荷に見舞われていたとの所見を示している。
2 Aの従事した公務の過重性
(一) 生徒指導部長就任について
(1) 生徒指導部長の職務は、学校内の生徒指導にとどまらず、各種の会合に出席し、警察及び児童相談所との連絡や住民の苦情への対応といった外部に対する窓口となり、生徒指導に関する資料を作成するといった職務に加え、各学年の生徒指導係の調整といった多岐にわたるものであること、γ中学で昭和六二年度から平成元年度まで生徒指導部長をしていたI教諭は、教員経験一二、三年目に生徒指導部長に就任したが、最初の半年くらいは過度の緊張が抜けなかった旨供述していること(甲一三)によれば、生徒指導部長は精神的負担の大きい職務であるということができる。
(2) そして、証拠(甲六〇、乙三〇)によれば、神戸市立中学校における昭和六一年度から平成二年度までの生徒指導部長の延べ人数約四〇〇名のうち、教員経験年数一〇年未満の者は約四分の一程度、五年未満の者は九名で、最も経験年数が少ない三年以上四年未満の者は、Aを含めて三名であったとの事実が認められること、前任校で生徒指導部長をしていたF教頭は、Aの年齢が高かったので、他校への転出前に色々な仕事を覚えてほしく生徒指導部長に選任したが、保護者等との対外的な関わりは発言に気を使わねばならないため難しく、育てる意味で選任したのは少し無理があった旨供述していること(乙四九、証人F)からすると、Aの生徒指導部長就任は、教員経験の点で一〇年以上の者が圧倒的多数を占める中で、極めて異例であったということができる。
右のように教員経験の少ないAが、生徒指導部長の職務を行うに当たり、対外的職務や先輩教員らとの折衝に気を使わねばならず、精神的な負担が増加したことは、前示1(五)(5)その他の職務内容から推認することができる。
また、前記認定のとおり、直接の生徒指導は各学年で担当する旨の申合せがあったものの、二年生についてはAも直接生徒指導に当たっていたのであるから、右申合せにより生徒指導部長としての負担が特に軽減されたと認めることもできない。
(3) これらの事情を考慮すると、Aの年齢が三四歳で、塾講師等教員以外の職業経験があったこと、Aが、平成元年度から生徒指導部の職務を多少手伝っていたこと(甲一三)を考慮してもなお、平成二年四月の生徒指導部長就任及びこれに伴う職務の増大は、Aにとって大きな精神的負担であったと認めるのが相当である。
(二) 自然教室
自然教室は、ハイキング、オリエンテーリングや飯ごう炊さんの際に生徒が怪我をし、あるいは他校とのトラブルが発生することのないよう注意を払わねばならず、これらの行事の際に教員自身にも身体的な負担がかかるうえ、消灯時間後も生徒の就寝指導、翌日の打合せで十分な睡眠時間がとれないなど、学校内の授業と比較して精神的・身体的負担の大きい職務であったと認められる。
(三) 部活指導について
Aは、テニス部の顧間としてB教諭と共に、勤務時間前の朝練習、平日及び土曜日の放課後の練習に加え、日曜日の練習又は対外試合の指導、引率を多く行っており、しかも、テニス経験のあるAは、実技指導という身体的負担の大きい指導をしており、昭和六二年度以来テニス部が各種の大会で好成績を収めたことには、Aら顧問教員の指導の寄与するところが大きいと窺われる。
右の指導内容に加え、平成二年六月から七月末にかけて各種の大会が相次いでいたことに照らせば、生徒指導部長に就任した平成二年四月からはB教諭が単独で指導することが増えたこと(証人B)を考慮しても、神戸市内の有力校であるγ中学テニス部の部活指導はAにとって精神的・身体的に負担となっていたと認めることができる。
(四) チームティーチング
γ中学におけるチームティーチングは、外国人講師と英語で打合せをして共同授業を行うという性質上、通常の授業と比較して負担の大きい授業であったということができ、特に、平成二年七月五日のチームティーチングは二年生で初めての授業方法で、授業当日に実施が決定したこと、授業が予定どおりに進まなかったことから、Aにとってその精神的負担はさらに大きなものであったと認めることができる。
この点につき被告は、授業が予定どおりに進まないことは通常起こりうる旨主張するが、Aの行ったチームティーチングは、二年生で初めてのもので、ほかの英語科教員も見学に来るなど周囲の関心のもとに行われたことを考慮すれば、右チームティーチングの不奏功を通常の授業における予定外の事態と同視することはできないというべきである。
(五) 時間外の勤務について
(1) 前記認定のとおり、Aは、自然教室の代休日である平成二年六月一二日にはβ父母の会に出席し、同月一三日も、午後からは自然教室の代休であったにもかかわらず午後四時頃から部活指導を行った。
また、平成二年六月一六日午後、同月一七日及び同月二三日午後には部活指導又はテニス部の対外試合の引率をし、同年七月一日には自宅で期末テストの採点及び通知表の作成をしていたのであるから、結局、Aが本件発症一か月前の土曜日午後及び日曜日のうち、完全に休息をとれた日は同年六月二四日のみである(原告Jは、Aが同日も自宅で職務をしていた旨供述しており(甲九)、その可能性も明確に否定できるわけではない。)。
(2) Aは、少なくとも別表の時間外勤務欄記載のとおりの時間数は時間外勤務を行っており、同表※3欄については、具体的な時間数は明らかでないものの、生徒指導部長としての職務や部活指導等にもかかわらず、同僚に先んじてテストの採点を終えていたことその他Aの勤務状況からすると、かなりの程度の長時間勤務を行っていたことが窺われる。
(3) この点につき被告は、部活指導は、その時間、方法とも顧問である教員が任意に選択、実施するものであるから、土曜日の午後や日曜日の練習のほか、自ら体を動かす実技指導等は必ずしも実施しなければならないものではなく、また、テストの採点等は本来学校内で行うべきであり、また、その時間的余裕もないわけではなく、生徒のテスト関係書類等を学校長の許可なく自宅に持ち帰ることは服務規程違反であるから、いずれも公務に該当しない旨主張する。
しかしながら、授業の合間にノートの点検等をしていると、自宅勤務は行わざるを得ない旨の証人F及び同Bの供述、及びγ中学テニス部のように一旦好成績をあげた有力校においては、周囲の期待に応えるため休日の部活動も行わざるを得ない旨の証人Bの供述に加えて、教員にはその指導方法について各自に広い裁量が与えられており、これをどの程度行えば十分かといった明確な基準がないことを考慮すると、教員の職務は、所定時間内の職務を充実していればそれだけで十分な教育効果が得られるとは必ずしもいい難く、より充実した教科指導や部活指導を行うため、自主的に時間外勤務や休日の部活動に従事せざるを得ない場合も少なくないと解される。
そして、Aの行った自宅でのテストの採点及び休日の部活指導は、学校外又は所定時間外に行われたとはいえ、その職務内容自体は通常の公務と異ならず、後記のとおりAの勤務態度は責任感のある誠実なもので、Aが学校内で十分に勤務せずに漫然と自宅に仕事を持ち帰っていたわけでもないことからすると、Aの部活指導や自宅勤務といった時間外の勤務は、所定時間内に通常要求される程度の勤務をしたうえでさらに教科指導、部活指導等の教育効果を充実させるべく行われたものとして、これを公務と認めるのが相当である。
(4) これらの事情によれば、本件において地公災法上の公務の過重性を判断するに当たっては、その内容において通常の公務と異ならないばかりか、Aの教育に対する熱意の具体的発現ともいうべき休日の部活動や自宅勤務をも斟酌するが相当である。したがって、これと見解を異にする被告の主張は採用することができない。
(五) Aの勤務態度
Aは、前記認定のとおりほかの教員が週一回程度の輪番で行う校門指導を毎日行うかたわら朝の校内清掃及び部活指導も行い、平日の放課後のみならず休日にも部活指導をし、テストの採点も早めに行うなど、職務への取組みは積極的なものであったと認められる。
さらに、Aが採用四年目にして生徒指導部長に選任されたのも、その人柄や職務に対する積極性を評価されたためであること(甲八三、証人F)、経験年数は浅かったものの仕事ぶりは熱心であり、相当多忙であったが自発的、積極的に公務を遂行していた旨の神戸市教育委員会教育長の意見書(甲八三)が寄せられているほか、責任感が強く、何でも一生懸命、誠心誠意する有能な教員で、提出書類の遅れもなかった旨のF教頭の供述(甲五二、証人F)や生徒らからの手紙(甲一八)その他の証拠(甲一、八、一三ないし一七、証人G、同B)に照らしても、上司、同僚教員及び生徒のAに対する信頼は厚く、同人の勤務態度が積極的かつ誠実なもので高く評価されていたことは優にこれを認めることができる。
(六) 以上のとおり、Aは、平成二年四月に生徒指導部長に就任して以来、教員経験が三年間と、ほかの多くの生徒指導部長と比較して相当少ない経験年数であったにもかかわらず、生徒指導上の問題発生に備えての連日の対応、先輩教員らとの連絡・調整、各種会合への出席・報告、外部からの苦情の窓口といった気苦労の多い職務に従事していたうえ、自然教室、チームティーチングといった、単発的ではあるがそれなりに負担の大きい職務が相次ぎ、毎朝七時三〇分からの校門指導、放課後の部活指導等の時間外の職務に従事し、休日にも部活指導、自宅勤務及び生徒指導部長としての職務等に追われ、十分な休息をとることが困難であったと認められる。
このような本件発症までの職務内容及びAの勤務態度や教員経験を総合的に観察すると、その教員経験に照らして精神的・身体的負担の多い職務に誠実かつ積極的に取り組み、十分な休息もとれなかった結果、Aには、本件発症当時相当高度の精神的・身体的な疲労ないしストレスが蓄積していたものと認めるのが相当である。
三 Aの死因について
1 死因の特定の程度について
公務と疾病との間の相当因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りると解するのが相当である。
そして、本件のように解剖所見が得られない場合において、解剖医学上一義的な原因疾患の特定ができないとしても、これをもって直ちに疾病と公務との因果関係を否定するのは相当でなく、死亡の原因となった原因疾患は、公務により当該原因疾患が発症して死亡に至るまでの因果経過を経験則及び医学的知見に照らし合理的に説明できる程度に特定されていれば足り、そのようにして特定された原因疾患が、被災者の従事した職務の内容、生前の健康状態、死亡時の状況等から判断して、公務により発症したとの高度の蓋然性が認められれば、公務起因性を肯認することができると解すべきである。
2 Aの死亡時の状況(甲六二、乙三二)
Aは、平成二年七月六日午前五時頃に原告Cが起こしに行った際、死亡しているのを発見された。
寝具の中で、着衣の乱れはなく横臥しており、外傷、吐血等の異常所見は全く見られなかった。
3 Aの嗜好及び健康状態(甲二の1、2、四八、五一、六三、六四、乙三三、三四)
(一) Aの自宅外での飲酒は月一回程度で、自宅では、夕食の際ビール三五〇ミリリツトル缶一本程度を飲むことがあったが、就寝前の飲酒の習慣はなく、たばこは、吸わないか又は一日一、二本程度であった。
(二) Aは、昭和六二年から平成二年までの毎年六月に健康診断を受けた結果、血圧、胸部レントゲン、尿たん白、尿糖、ウロビリノーゲンのいずれにも異常は発見されておらず、特に本件発症に結びつく既往症もない。
(三) Aは、平成元年八月二八日及び同月三〇日に、首の痛み、腰痛及び全身倦怠感を訴えてO医院整形外科を受診し、頸椎症、腰椎椎間板ヘルニア及び坐骨神経炎との診断を受け、また、前示のとおり、平成二年三月二六日から同年六月一二日にかけてN眼科医院を受診し、眼精疲労等と診断され、疲労感を訴えてビタミン剤の処方を受けた。
4 証拠(甲六六、乙三五、六五、証人K)によれば、Aの死因及び公務起因性についての医師の所見は次のとおりである。
(一) 医師Lの所見(甲六六)
Aの死亡一か月前の職務が、連続長時間作業で疲労が蓄積していったと判断されること、Aが生来健康で異常所見がなかったこと、発症直前に過重な筋労作があったとは認められていないこと、年齢が三四歳であったことから、冠攣縮性狭心症又は洞不全症候群の可能性が大きい。
そして、これらの発症には各種のストレスが関与しているといわれていること、Aの職務に過重な責任分担の下での作業量の増加、長時間の残業及び休日労働が認められることからすると、Aを突然死に至らせた因子として最も考えられるのは同人の過重勤務である。
(二) 医師Mの所見(乙三五)
本件の記録からは、死因としては循環器疾患死の可能性が高い。そして、災害発生前二四時間以内の著しく超過した勤務及び災害発生一週間前における過重勤務の継続はなく、一か月前においても特に今回の災害に関与すると思われる過重勤務はなかったとみられる。
(三) 医師Kの所見(乙六五、証人K)
本件で剖検所見に基づく正確な診断はできないが、Aは死亡時三四歳の男性で、格別の既往歴もなく死亡前日まで特に病身にあったと認められないこと及び従来の報告結果を考慮すると、死因としては虚血性心疾患、原因不明の青壮年期急死症候群、洞不全症候群等の致死性不整脈及び脳血管障害が挙げられ、虚血性心疾患の中では冠攣縮性狭心症の可能性が高く、脳血管障害の中ではクモ膜下出血の可能性が高い。
青壮年期急死症候群の発症原因は明らかでないが、心臓循環器系の低形成に加え、自律神経系の急激な失調が想定され、突然死する場合にまれに著しい過重負荷が認められる場合があるが、本件ではそのような過重負荷があったとは認められない。クモ膜下出血についても同様である。
5 証拠(甲七一、一三八ないし一四三、乙五七ないし五九、六五、六六、証人K)によれば、右4においてAの死因として挙げられる疾病について、以下の医学的知見が認められる。
(一) 突然死(甲七一、乙五七、五八)
突然死とは、WHOの定義によれば、瞬間死又は発症後二四時間以内の死亡をいう。
突然死の原因に関する統計資料として、①心臓・大動脈系五〇・八パーセント、呼吸器系一六・三パーセント、脳・髄膜系二一・一パーセントであったとの昭和五八年発表の報告、②三九歳以下の男子について、心血管系三二・七パーセント、脳血管系一六・四パーセント、呼吸器系一二・七パーセント、原因不明のポックリ病三八・二パーセントであったとの昭和六二年発表の報告及び③心疾患七二パーセント、脳卒中一六パーセント、その他が一二パーセントであったとの平成三年発表の報告がある(乙五七、五八)。
(二) 冠攣縮性狭心症(甲一四二、一四三、乙五九、六五、証人K)冠攣縮性狭心症とは、冠動脈が病的に収縮して心筋虚血を来す病態をいい、心筋虚血の結果、心筋梗塞により心筋が壊死するなどして致死性不整脈を合併し、死に至ることがある。冠攣縮は、動脈硬化等による有意狭窄部位に生じやすいが、正常に近い部位にも生じることがある。
冠攣縮性狭心症の発作は、主として夜間から早朝にかけての安静時に出現しやすい。
冠攣縮性狭心症の誘因としては、精神的興奮、心身の過労、飲酒及び喫煙等が指摘されている。
近年患者の体内マグネシウムが欠乏状態にあることが注目され、その欠乏の原因がストレスである旨の平成四年発表の文献(甲一四三)及び慢性疲労時に体内のマグネシウムの低下が生じ、冠攣縮が生じやすくなり、これを碁盤に急性心筋梗塞や重症不整脈を発症させる機序が推察される旨の平成九年発表の文献(甲一四二)がある。
(三) クモ膜下出血(甲一三八、乙五七)
クモ膜下出血とは、頭蓋内出血のうちクモ膜と軟膜の間に出血した状態をいい、激しい頭痛及び嘔吐等の症状を伴うことが多い。
クモ膜下出血の最大の原因は、脳動脈瘤の破裂によるものであるところ、脳動脈瘤は、高血圧症又はストレスによる血圧の上昇により脆弱化、促進し、破裂に至ることがある。
(四) 不整脈(甲一三九、乙六六)
(1) 不整脈とは、心臓拍動の調律が、異常に早くなり(頻脈)あるいは遅くなる(徐脈)など、刺激伝導系の異常や一部心筋の異常な興奮により不規則になった場合の総称である。
不整脈は、前示の冠攣縮性狭心症等、心筋の一部が虚血にさらされた場合に発生するほか、炎症や高度の肥大、繊維症、薬物中毒等によっても発生するが、そのような異常所見が認められない不整脈(特発性不整脈)もある。
(2) 不整脈の誘因としては、自律神経の変調、血行動態の急激な変化、喫煙、飲酒及びコーヒーやお茶の飲み過ぎなどが挙げられる。
精神的・身体的負荷や疲労、睡眠不足は、交感神経の緊張及び自律神経の調節異常を引き起こし、心筋の電気的不安定状態、血圧の上昇及び心拍数の増加を生ぜしめる結果、心室細動などの致死性不整脈を生じ突然死を招く司能性がある。
心臓突然死、殊に発症から一時間以内に起こる死亡の主因は、不整脈のうち心室頻泊、心室細動及び心室静止と考えられている。
(六) 洞不全症候群(甲一三九、乙六六、証人K)
洞不全症候群とは、洞結節又はその周辺の障害によって生じ、心不全等の症状が慢性的に出現する不整脈をいう。発症年齢の多くは五〇歳以上で、六〇歳代にピークがあるとされている。
洞結節の機能は、結節細胞自体の刺激生成機能のみならず、結節細胞で生成された刺激の心房筋への伝導状態及び自律神経機能等によって規定されるため、自律神経機能の異常は洞調節機能の異常に関与する。
洞不全症候群は、房室ブロック等の重篤な不整脈と比べて、突然死の危険性は少なく予後も良好とされている。
(七) 青壮年期急死症候群(甲一四〇、一四一、乙六六)
青壮年期急死症候群(ポックリ病)とは、原因不明の内因性突然死で、青年男子に多く認められ、一般的病理解剖学的所見には異常が認められず、夜間就寝中に大声を発して急死するなど状況が一定のパターンを有する病態である。
不整脈について労災補償の認定基準を検討するために設けられた、不整脈による突然死等に関する専門家会議の平成八年一月一二日付け発表「不整脈による突然死等の取扱いに関する報告書」(甲一三九、以下「専門家会議の報告書」という。)には、青壮年期急死症候群(ポックリ病)は、不整脈に起因するものかどうか確定されていないと注記したうえで、特発性不整脈の一種に分類されている。
青壮年期急死症候群の原因としては、心機能不全、ストレスによる自律神経異常及び呼吸不全等の可能性が考えられおり、未だ一定の定説はない。このため、単一の疾患として扱うことに問題があるのかもしれないとの平成五年発表の文献(甲一四〇)がある一方、原因として、臨床的には心室細動を支持する見解が多いとの平成九年発表の文献(甲一四一)もある。右文献では、過労によるストレスが症状の背景にあり、現在のところ、予防には誘因となるストレスの回避が重要とされている。
(八) ストレスと突然死の関係について、次のとおりの医学的知見がある(甲七〇、七一、一三八、一三九、一四一)。
(ア) 疫学調査の結果、発症前一週間の精神的ストレスは、すべての年齢の突然死と若年の急性心筋梗塞の発生を促し、睡眠減少も両者に関連する旨の平成六年発表の報告(甲七〇)がある。
(イ) 動物実験の結果、不快情動行動と不整脈の出現には高い相関があり、心臓基礎疾患がなくても、精神的ストレスに不眠を加えるのみで充分に突然死が起こることが示唆される旨の平成六年発表の報告(甲七一)がある。
(ウ) 脳卒中の発症例には、基礎疾患として高血圧症を有する例が多い一方、精神的負担の増大及び不規則な業務時間を訴えた例も多い旨の昭和六一年発表の報告(甲一三八)がある。
(エ) 過労によるストレスは、心臓性突然死にどのような影響を及ぼすか十分解明されていないものの、カテコールアミンの分泌亢進により血圧上昇、心拍数の増加及び心筋酸素消費量の増加を招き、冠攣縮性狭心症、心筋梗塞及び不整脈を生じさせて急死に至るといった機序が推察されている旨の平成九年発表の文献(甲一四一)がある。
(オ) 専門家会議の報告書(甲一三九)は、ホルター心電図記録中の突然死例を解析した結果、心筋虚血発作を伴わずに発生した心室頻泊、心室細動による死亡が五三パーセントを占め、そのうち約二五パーセントでは生前何ら基礎疾患が認められず、突然死例を対象とした死亡前一週間の生活調査で、仕事や家庭での精神的・身体的負荷の増加、睡眠時間の短縮傾向が認められたとの報告があることなどから、精神的・身体的負荷、疲労及び睡眠不足等が致死性不整脈の原因となることは充分考えられるが、その直接的な因果関係を明らかにすることは必ずしも容易ではなく、不整脈の業務上外の判断に当たっては、披災者がもつ基礎心疾患、既に保有していた不整脈等と、業務負荷との関係を総合的に判断する必要があり、発症前に基礎心疾患が認められないか、又はその病変がごく軽度であるために疾患の存在が明確にされていなかった不整脈の業務上外の判断に当たっては、業務による過重負荷により明らかに発生したものかどうかを判断する必要があるとしている。
6 Aの死因
(一) Aの死体検案をしたD医師は、死体検案書(乙二)において、Aの直接死因として「突然死(ポックリ病)」と記載している。
しかし、前示のとおり、突然死とは死亡状況の呼称にすぎず、本件においては、解剖を行ったうえでなお死因たる病的所見が見当たらず、死に至る経過が明確でない青壮年期急死症候群という意味で右記載がされたわけではないから、これを根拠に本件発症の原因を青壮年期急死症候群であるということはできない。
よって、本件においては、Aの生前の健康状態及び死亡時の状況等から客観的に本件発症の原因疾患を特定する必要がある。
(二)(1) 前示4の各医師が挙げる原因疾患中、クモ膜下出血は、Aに高血圧症の既往はなく、脳動脈瘤の有無も明らかでないこと、激しい頭痛及び嘔吐等の症状を伴うことが多いのに対し、Aの死亡時に着衣に乱れがなく、早朝同人を起こしに行くまで家人もAの死に気が付かなかったことからすると、クモ膜下出血の可能性は低いということができる。
また、Aの洞結節の器質的異常の有無は明らかでなく、洞不全症候群の発症年齢の多くが五〇歳以上で、不整脈の中でも突然死を引き起こす可能性は少なく予後も比較的良好である旨の医学的知見からすると、本件について洞不全症候群の可能性も少ないといえる。
右の事実と、前示4の各医師の所見及び前示5の医学的知見を考慮すると、本件発症の原因となった可能性が認められるものとして、冠攣縮性狭心症に合併した致死性不整脈、特発性致死性不整脈及び青壮年期急死症候群を挙げることができる。
(2) 冠攣縮性狭心症に合併した致死性不整脈及び特発性致死性不整脈は、そのいずれにおいてもストレスがその誘因とされており、職務によるストレスが自律神経の変調をもたらし、その結果、心室細動等の致死性不整脈を引き起こすという因果経過は、前示5の医学的知見によっても矛盾なく説明することができるから、致死性不整脈が本件発症の原因疾患であると考えることに不合理な点はない。
そして、青壮年期急死症候群は、前示5の医学的知見によれば、未だ独立した疾病としての概念が確立されたわけではなく、解剖によっても死因を特定できない場合のいわば除外診断の結果を総称したものである一方、専門家会議の報告書において、原因不明とされながらも不整脈死の一類型として挙げられており、青壮年期急死症候群の原因を心室細動等の致死性不整脈であるとする医学的知見もある。
以上の事実にかんがみれば、本件においては、Aの死因は致死性不整脈であると認めるのが相当である(本件発症の公務起因性判断における原因疾患は、右の程度の特定をもって足りるものと考える。)。
6 本件発症の公務起因性
右のとおり、Aの死因は致死性不整脈であると認められるところ、過労及びストレスが自律神経の変調をもたらし、自律神経の変調が致死性不整脈による突然死を引き起こす可能性については、専門家会議の報告書を含む多くの文献において指摘されていること、Aが本件発症当時相当高度の疲労・ストレス状態にあったと認められること、本件において、Aに本件発症の原因となるような基礎疾病は認められず、職務によるストレス以外に本件発症の原因となる事由が窺われないことからすると、本件発症は、前記認定のとおり、Aの従事した過重な職務による精神的・身体的負荷(過労によるストレス)を相対的有力原因として発症したとの高度の蓋然性を認めることができる。
なお、M医師及びK医師は、本件発症の公務起因性を否定するが、これらの所見は、Aの公務が過重でないとの前提に立脚したものであり、前示のとおり本件においてAの公務は過重であったと認められるから、いずれも採用することはできない。
7 したがって、Aの死亡は、地公災法における公務上のものと認めるのが相当であり、これを公務外と認定した本件処分は違法な処分というべきであるから、取消しを免れない。
第五結論
以上により、本件処分の取消しを求める原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松村雅司 裁判官 徳田園恵 裁判官 坂本好司)