神戸地方裁判所 平成9年(ワ)619号 判決 1999年4月28日
原告
金沢完治こと金淇煥
被告
吉田美穂
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、金一一三五万八七一〇円及び内金一〇三五万八七一〇円に対する平成八年三月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
原告は、後記の交通事故(以下「本件事故」という。)により負傷して損害を被ったとして、事故の相手方である被告に対し、民法七〇九条に基づき、損害賠償を求める。
一 争いのない事実等
1 本件事故の発生
日時 平成八年三月二二日午後五時五〇分ころ
場所 神戸市長田区五位ノ池町三丁目九番二二号先交差点(以下「本件交差点」という。)
原告車 原動機付自転車(以下「原告車」という。)
運転者 原告
被告車 原動機付自転車(以下「被告車」という。)
運転者 被告
態様 南から北へ進行中の原告車と同方向に進行する被告車とが接触し、原告車が転倒した。
2 被告の責任原因
被告は前方不注視の過失があり、民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負う。
二 争点
1 事故の態様と過失相殺の当否・程度
2 原告の傷害
3 原告の損害
4 過失相殺
5 素因減額
6 損害填補
三 原告の主張
1 傷害
原告は腰部打撲捻挫、左肘打撲症、外傷性頸部症候群、左足関節外果骨折の傷害を受け、アキヨシ整形外科病院において、平成八年三月二五日から同年四月二三日まで入院し、同年三月二二日と、四月二四日から平成九年三月三一日まで実日数一八三日間通院し、その後もさらに通院している。
また、左肘尺骨神経管症候群のため神戸市立中央市民病院へ平成八年九月に三日間通院した。
2 損害
次の損害を被った。
(一) 治療費 二三万六〇一七円
平成八年七月一日から同九年一月三一日までの分。
(二) 薬代 二七万七六四八円
平成八年六月一日から同九年一月三一日までの分。
(三) 診断書料 三万二四四五円
診断書九通分
(四) 入院中雑費 三万九〇〇〇円
一日金一三〇〇円の割合による。
(五) 休業損害 七七七万三六〇〇円
原告は、昼間は山真興業こと山田勲の経営する残土解体業にダンプカー運転手として稼働し、一か月三四万七八〇〇円の収入があった。
このほか、夜間は従業員八名を雇ってスナック「ごっつうええ感じ」を経営しており、少なくとも一か月三〇万円の収入を得ていた。
事故日から一年間の休業による損害。
(六) 慰謝料 二〇〇万円
前記入通院状況による。
(七) 弁護士費用 一〇〇万円
以上合計一一三五万八七一〇円及びこのうち弁護士費用を除く一〇三五万八七一〇円に対する本件事故の日である平成八年三月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める。
四 被告の主張
1 傷害
原告が本件事故により受傷したことを争う。仮に受傷していたとしても、その通院は相当期間をはるかに越えており、本件事故との相当因果関係がない。
(一) 腰部打撲捻挫は、原告の腰部痛の訴えによるが、原告の既往症である梅毒による脊髄癆の存在や症状からして、本件事故により発生したか疑わしい。仮に発生したとしても、平成八年四月二三日には軽快したとされており、せいぜいこの時期までが相当な治療期間である。
(二) 外傷性頸部症候群についても、他覚的所見はなく、、事故前に齲歯による左頸部のリンパ節腫大が見られており、本件事故により発生したものか疑わしい。仮に本件事故によって発生したとしても、他覚的所見や可動域制限はないから、極めて軽微なもので、一般的な治療期間は二、三週間であり、どんなに長くても三か月を越えることはない。
(三) 左肘打撲症は、同部の痛みを訴えていたのは三月二九日までであり、必要であった治療期間はせいぜい二、三週間である。
なお、左肘部尺骨神経管症候群は本件事故から六か月も経てから初めて診断されたものであり、その原因の殆どは変形性関節症などの退行性変化であって、本件事故と相当因果関係はない。
(四) 左足関節外果骨折は、その範囲はごく小範囲にとどまっており、ギプス固定がなされていたのも四月一六日までの短期間である。可動域制限等の症状もないから、治療に必要であった期間は三か月程度であったと見られる。原告がその後も通院していたのは既往症が原因である。
2 損害について
(一) 休業損害については争う。
原告は本件事故前に身体障害者三級の認定を受けており、平成七年八月から歩行失調の状態にあり、本件事故直前には歩行時には杖が必要でふらつきながら歩行するような状態であった。少なくともダンプカーの運転手として働くことは不可能であった。
スナック経営をしていたとしても、本件事故前、原告は既に日常生活の支障を来す健康状態であったから、本件事故により初めて欠勤の必要を生じたものではなく、従業員だけで経営可能で休業する要はなかった。
(二) その他の損害についても、本件事故により原告の治療期間はせいぜい入院一か月、通院二か月が必要であったにとどまることからして、過大な請求である。
3 過失相殺
本件事故は、原告車と被告車が並走する状態となったときに原告車が方向指示器も出さないで急に進路を左へ寄せたために発生したものである。原告には全面的と言うに近い過失がある。
4 既往症による寄与度減額
原告は梅毒による脊髄癆に罹患していた。腰仙髄部の後根と後索が障害されて下肢の深部知覚障害や膀胱直腸障害などが生じ、失調性の歩行障害や激痛も見られた。進行性の疾病であり、治癒ないしは症状改善は困難である。本件事故直前には、両下肢深部知覚障害・失調、排尿障害のため入院してペニシリンの大量療法を受けていた。
仮に原告の症状に本件事故が起因するものがあったとしても、右既往症によるところが大きいから、相当の寄与度減額がなされるべきである。
5 被告の弁済
次のとおり、本件事故に関連して合計一三八万四二五三円を原告に支払った。
(一) アキヨシ整形外科病院の治療代
(1) 平成八年四月六日 二七万四五六八円
(2) 同年五月一一日 七三万一七一四円
(3) 同年七月六日 一〇万八三〇一円
(4) 同年九月七日 四万七〇六九円
(二) 宏薬局の薬代金
同年六月二〇日 三万八二四八円
以上小計 一二〇万円
(三) 原告の原動機付自転車の購入費用
平成八年五月一一日 一八万四二五三円
第三判断
一 事故の態様と過失相殺について
証拠(乙二、一五の1ないし5、一六の1ないし7、一七、原告本人、被告本人)によると次のとおり認められる。
1 本件現場は片側一車線、その幅員三・九メートルの、北に向かってゆるやかな上り坂となっている道路である。原告車が先行して北進していた。被告が平行して北進して左後方から近づいて行ったとき、車両同士が接触し、被告は行き過ぎて停止したが、原告は転倒した。接触したのは、被告車の前輪カバーの側面に原告車の前輪カバー前部が接触したものであった。
2 この点について原告本人は、対向する大型ダンプカーが近づいてきたのでこれを避けるため左に寄ったところ、被告車に追突されたと供述する。
けれども、原告車に被告車が追突したことを裏付ける資料はない。かえって本件道路は、衝突現場付近は道路の両側に商店が並んでいること、この付近こそ双方向通行となっているものの、現場から北に少し進んだ三叉路(五位ノ池小学校敷地角)からは、東へは双方向通行であるものの、北へは一方通行となっていること、衝突現場のすぐ北で西側から合流する道路(アキヨシ整形外科南側道路)もさほど広い道路ではないことなどからして、本件現場をダンプカーが対向して進行してくることはほとんど考えられない。
3 むしろ、本件事故後すぐに原告がアキヨシ整形外科の西側にある喫茶店に入って、同店から原告の知人らしき人物が現れていること(被告本人)、原告自身、車体を左へ寄せたことを認めていること(甲二)からしても、原告が後方を確認せずに、左横の道路へ入ろうとして、進路を変えたことが、事故の原因であったと見るのが自然である。
4 そうすると、本件事故の主たる原因は原告の不注意にあると認められる。
もとより、被告にも、原告車に後方から追いつき並進状態になったのであるから、その動向に注意を払うべき義務があったことはいうまでもないが、原告には、六割程度の過失相殺をするのが相当である。
二 原告の傷害について
1 原告は、本件事故直後、事故現場の傍らのアキヨシ整形外科病院に行き、腰部打撲、左肘部打撲傷、外傷性頸部症候群と診断された。その日は帰宅したが、三日後の三月二五日になって、レントゲン写真撮影の結果、右足関節外果骨折と診断され、ギプス固定され、同年四月二三日まで入院した。そして翌九年九月まで頻繁に通院し(合計二四〇日。甲一〇)、平成九年九月二七日、頸部、腰部、右足関節部の痛みがあり、右足関節の可動域制限があるまま、症状が固定したと診断され、後遺障害診断書が発行された(甲三の1ないし8、七の1ないし七、一〇)。
2 しかし、右のような傷害が本件事故によって生じたものであるかは甚だ疑わしい。
(一) 原告は、平成二年ころから腰部の重たい感じが出現し、同年一〇月神戸西市民病院で、両下肢のしびれ、位置覚の障害、電撃痛で受診し、梅毒による脊髄癆と診断され、ペニシリン投与の治療を受けていた。そして同病院の診療科廃止に伴い、平成七年五月、中央市民病院に転院し、同年八月八日、障害診断書が発行された。脊髄癆に基づく脊髄後索障害すなわち、歩行失調、閉眼歩行の不能、転倒の反復と下肢打撲、下肢腱反射消失、両下肢の振動覚・位置覚・関節覚の低下・消失、痛覚の低下、排尿・排便の失禁状態があるというものであった。その結果、身体障害者手帳三級の発行を受けていた(乙三、四)。
(二) 平成七年八月三一日から九月一日にかけても、右の治療(ルンバール)とMRI検査のため同病院に入院し、さらに本件直前の平成八年二月一三日から三月一一日まで同病院に入院し、ペニシリン大量療法を受けた(乙五)。
(三) なお、原告は本件後の平成八年九月三〇日にも、飲酒、喧嘩して、出血性ショックを来すほどの腹部裂創(臓器の損傷には至らない季肋部の三〇センチメートルの長さの創ほか多数の外傷)を負い、二週間入院した(乙六)。
(四) アキヨシ整形外科病院の診断についてはその信憑性に疑問がある。その診療録(乙七、八)は、一年半、二四〇日間の通院が記録されているが、ほぼ同じ記載の連続である。観察経過としては、ときおり「腰痛あり」「足関節痛あり」「圧痛著明」などの記載があるものの、大半は、「N・P(著変なし、あるいは問題なし)」という記載が続く。治療としては整形外科的な療法(牽引療法)と二週間に一回の投薬があったという記載しかない。当初把握されながら一週間後に消えていた左肘痛が、九か月も後に再び訴えられたのに、その原因を調べたり、治療をした形跡もない(なお、原告は平成八年一一月五日付けで、中央市民病院で「左肘部管症候群」として外来通院で加療していた、との診断書の発行を得ている(甲五)が、どのような症状で、いつからいつまでどの程度の治療を受けたのかは不明である。)。ことに、前記のとおり腹部裂創を負って中央市民病院に入院していた平成八年九月三〇日から二週間の間にも、アキヨシ整形外科病院の診療録には、二度通院したとの記載があり、「N・P」とのみ記載されている。この通院は原告自身も否定している。同病院院長である証人鄒喨光の証言も、要するに患者が痛みを訴えて来院すれば拒まないというに近く、原告の前記の如き既往症や腹部裂創のことは知らなかったというのであって、その診断は信頼できない。
3 鑑定人佐藤徹の鑑定結果によると、次のとおり認められる。
(一) 腰部捻挫打撲に関してはレントゲン上は骨損傷を認めず、他覚的異常所見も認められない。アキヨシ整形外科病院の診療録によっても原告の自覚症状のみである。本件事故後に原告は帰宅しており、三日後に再診したことからして、少なくともその間は体動は可能であった訳であり、疼痛の程度が軽度であったと言える。
左肘痛も、レントゲン上異常はなく、三月二九日以降はその訴えの記載はなく、ごく短期間に治癒したものといえる。
(二) 右足関節外果骨折は外果先端の剥離骨折であり、転位はない。この傷は事故から三日後に発見されており、原告の既往症に見られる動作能力からして、その間に骨折を生じた可能性もあるが、原告の痛覚が既往症のため鈍麻していて、訴えもなく、レントゲンも撮られなかったところ、その後患部の腫脹を来して、三日後にレントゲンを撮った結果、発見されたとも推定される。
骨折自身は良好に治癒しており(この点はアキヨシ整形外科の診断も同じである。)、一般的には五、六週間のギプス固定で良好な成績が得られる。本件事故による傷害であるとしても、治療期間は一二週間とするのが妥当である。原告の既往症からして、その痛みが持続している(痛みを感じることができる)というのも奇妙ではある。
(三) 外傷性頸部症候群については原告の痛みの訴えのみで、他覚的神経学的異常所見はない。嘔気・嘔吐・眩暈・耳鳴り・眼精疲労等のいわゆるバレ・ルー症状は認められず、このような患者の治療期間は二週間程度と言われる。しかも原告は本件事故の二週間前に、齲歯の治療を行っており(乙四)、これによる左頸部リンパ節の腫大があり、頸部痛はこれによるものとも思われる。本件事故による外傷性頸部症候群は、その症状があったとしても、三週間程度のものである。
4 以上によると、原告に、本件事故による骨折等の傷害が生じたと一応は言えるとしても、せいぜい一二週間程度で治癒し、後遺障害は残していないものと認められる。
三 原告の損害について
1 休業損害について
(一) 原告は本件事故以前から身体障害者等級三級の認定を受けており、歩行障害は徐々に進行していたものである。平成七年八月八日の時点でも歩行失調を認め、歩行に際しては杖が必要とされており、押されると立ち直り困難で転倒するほどであった。下肢の位置覚・振動覚・関節覚も低下、消失していた(乙三ないし五、原告本人)。
こうした状況にあって、原告がダンプカー運転手として稼働していたとはとうてい考えられない。
原告は、本件事故前の平成八年一月には一九日、二月には二四日、三月には事故までに二〇日も、ダンプカーの運転手として勤務したと主張し、その旨の証明書(甲六)、出勤簿や給与支払明細書(乙九ないし一四)が提出されているが、前記のとおり、原告は同年二月一三日から三月一一日まで神戸市立中央市民病院に入院してペニシリンの大量療法を受けていたのであって、右の各書証は全く信用性がない。
(二) また、原告は、従業員八名を雇用してスナックを経営していたとも供述するが、原告本人の供述のほかは名刺(甲九)が提出されたのみで、信用できない。のみならず、仮に店を経営していたとしても、原告のこれまでの身体状況に照らせば、原告が店に出なくとも、店の営業自体を休む必要はなく、その収入に影響はなかったと言える。
(三) 結局、原告が本件事故による入院や通院によって休業をよぎなくされ、それによって損害を被ったとは認められない。
2 その他の損害について
(一) 治療費
平成八年七月一日以降の原告の治療費について、被告が加入していた保険会社と原告との間で、治療費の六割は保険会社が、四割は原告がそれぞれ負担するとの暫定的な合意ができ、原告は、原告が負担した四割分を請求するものである(甲七の1ないし7、原告本人)。
しかし、前記したとおり、原告の本件事故による傷害は受傷から一二週間程度の限度で本件事故と相当因果関係を認め得るのみであり、七月以降の治療は本件事故と相当因果関係がないというほかない。
(二) 薬代
平成八年六月一三日投薬分までの薬代三万八三四八円は、被告において支払済みである(乙二三)。他に前記した一二週間以内の治療につき、それを要したことを認めるべき証拠はない。
(三) 診断書料
原告が診断書料を要したと主張する診断書は、平成八年七月一日以降の治療に関するものであるから(甲七の1ないし7)、本件事故と相当因果関係を認めることはできない。
(四) 入院中の雑費については、一日当たり一三〇〇円として三〇日間で三万九〇〇〇円と認めるのが相当である。
(五) また、本件事故による慰謝料としては、原告の右入通院期間、症状からすると、認容できる限度は六〇万円に止まる。
(六) そうすると、右六三万九〇〇〇円の限度で本件事故と相当因果関係のある損害が残存していると言いうる。
(七) ところで、前記したとおり、本件事故の発生については原告の過失がより大きく、その被った損害については六割の過失相殺をするのが相当であるが、被告は、平成八年六月末までのアキヨシ整形外科病院における治療費やその期間の薬代を全額負担し、その合計は一一五万二九三一円(被告主張の治療費(1)ないし(3)と薬代)になると認められる(乙一八ないし二一、二三)から、その六割の六九万一七五八円は、治療費以外の損害に対する填補とみなすべきものである。
そうすると、原告は既に本件事故により被った損害の填補を受けているものということになる。
(八) よって、原告が損害賠償を求め得る損害は残存していないものというべく、そうである以上は、原告が本訴提起に要した弁護士費用についても、その賠償を求めることはできない。
三 以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないものとして棄却することとし、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 下司正明)