神戸地方裁判所 昭和30年(ヨ)514号 決定 1955年12月20日
債権者 高森一枝 外一名
債務者 高森紹一
主文
債権者両名の仮処分申請を却下する。
申請費用中債権者高森一枝と債務者の間に生じた分は、同債権者の負担とし、債権者高森健と債務者の間に生じた分は、同債権者の母高森一枝の負担とする。
理由
第一申請の趣旨
債務者は、昭和三十年十二月以降本案判決の確定に至るまで、毎月二十日安田火災海上保険株式会社において、債権者高森一枝に対し金一万円づつ、同高森健に対し金六千円づつを支払え。
との趣旨の仮処分命令を求める。
第二申請の理由
債権者高森一枝と債務者は、昭和七年三月以降事実上の夫婦関係に入り、昭和十三年一月六日婚姻の届出をしたものであり、債権者健は、昭和十七年一月八日右夫婦間に出生した四男で、現在魚崎中学校の二年生である。債務者は、安田火災海上保険株式会社に勤続すること二十余年に及び、昭和二十九年六月以降同会社神戸支店次長兼庶務課長の地位にあるが、昭和三十一年六月を以て停年退職が予定されている者である。
しかるところ、債務者は、右会社神戸支店に勤務する福原富美子と約八年前からねんごろとなり、前職岡山支店長時代にはしばしば同勤務地に同女を呼び寄せ、現任地に転勤後も足しげく同女の囲われ先に通つて、これと情を通じ、また、しばしば同女に金品を供与し、これを覚知した債権者一枝の諌言に耳を貸すことなく、右不貞の行為を止めようとしない。なお右の外、債務者は、右岡山支店勤務当時、同支店の女事務員や料店の仲居達とも交渉があつた。
よつて、債権者一枝は、債務者との共同生活の将来に多大の危惧の念を抱き、この程債権者の実母、二男錦二、並びに、四男債権者健を同伴の上債務者方を去り、これと別居生活に入つたものである。
債務者の右不貞の行為は、明らかに民法第七百七十条第一項第一号所定の裁判上の離婚原因に該当し、且つ、妻たる債権者一枝に多大の精神的損害を与えたものである。しかるところ、債務者は、その資産として、月金十万円以上の給与収入の外、勤務先会社の株式五千株、居宅二棟、並びに、若干の預金什器等を保有し、なお、前記停年退職の際には退職金四百五十万円の支給を受けることになつているのにひかえ、債権者一枝は、数年間にわたつて債務者の先妻の子二人を養育したのみならず、過去二十三年間夫たる債務者に貞節に仕え、その間に生まれた三人の男子を育て上げたにもかかわらず、自らの資産としては何等見るべきものがない。かような事情を考慮すれば、同債権者が債務者から請求し得べき慰藉料並びに離婚の際の財産分与金は、共に金百万円を下るべきでない。
また、債権者健は、成年に達するまで母の債権者一枝と同居し教育を受けたいから、父たる債務者に対し、その期間内の生活費や学費として、毎月金六千円づつの支給を求め得べきものである。
よつて、この程債務者を被告として、債権者一枝は、離婚並びに慰藉料及び財産分与金合計二百万円の請求訴訟を、同健は、成年に達するまで毎月六千円づつの生活費、教育費請求訴訟を、神戸地方裁判所に提起した。
しかるに、債務者は、さきに債権者一枝が神戸家庭裁判所に申し立てた調停においても何等誠意のある態度を示すことなく、遂にこれを不調に終らせ、あまつさえ同債権者代理人弁護士山下直次に対し、「同債権者が自分の退職金を目当にしているなら、自分は、これから多額の借金をして退職金を取れぬようにしてやる。」などと放言する始末である。一方債権者等は、殆ど生活費の貯えもなく、その日その日の生活に窮している状態であるから、到底手をこまねいて右本案訴訟の勝訴判決の確定を待ついとまがない。
よつて、人事訴訟法第十五条、第十六条、民事訴訟法第七百六十条により、申請の趣旨記載のとおりの仮処分命令を求める次第である。
第三当裁判所の判断
まず、債権者一枝の申請について判断する。
同債権者が、本申請においていかなる性質の仮処分を求めているから、必らずしも明確とはいい難いが、少くとも、夫たる債務者の不貞の行為に基因する精神的損害に対する金百万円の慰藉料請求権を本案請求権とし、現在生活難で苦しんでいることを理由に、右慰藉料の一部仮払を命ずる民事訴訟法第七百六十条の仮処分を求める趣旨を包含することは、疑いない。そして、疎明資料によれば、諸般の事情を考量して、右慰藉料請求権は、金四十万円の限度において一応その存在を認めることができる。しかし、同条の仮処分は、「争アル権利関係ニ付キ仮ノ地位ヲ定ムル為」になされるものであつて、その仮の地位を定むべき必要は、本案の係争関係と何等かの意味で関連して生じたものたるを要すると解すべきであるが、かかる関連のある必要性は、何等同債権者において主張疎明するところがない。尤も、同債権者は、生活に窮しているといつているが、同債権者の受けた精神的損害の賠償の遅延のために生活に窮するというようなことは到底考えられない。それ故、同債権者の本件仮処分申請は、前記慰藉料請求権を本案の請求権とする限りにおいて、認容するに由なきものである。
更に、債権者一枝の本申請は、現に債務者との間に係争中の離婚訴訟で勝訴した場合に成立すべき財産分与請求権を被保全権利として、分与せらるべき金員の一部仮払を求める趣旨であるようにも解される。しかし、元来仮処分の内容は、債権者が本案の請求として可能であり、且つ執行し得る範囲を逸脱し得ぬものと解すべきところ、債権者一枝は、本申請において、当事者の協議又は財産分与の審判等のない限り、本案判決によつて始めて形成、実現せられる給付の対象、方法等において具体的な財産分与請求権の、現在における形成、実現を求めているものであるから、明らかに仮処分の目的を超脱するものといわなければならない。人事訴訟手続法第十六条も、かかる本案判決以上の仮処分を許容している趣旨には解せられない。よつて、同債権者の申請は、右財産分与請求権を本案の請求権とする点においても、認容の限りでない。
なお、同債権者は、夫たる債務者に対する扶助料請求権(民法第七百五十二条)を本案の請求権として、その仮払を求めているとも解し得ないではない。しかし、現行法上扶助料の請求は、地方裁判所又は簡易裁判所に事物管轄がある民事訴訟事項に属せず、家事審判法第九条第一項乙類第一号による家庭裁判所の家事審判事項とされており、扶助料の仮払を受けようとする者は、家庭裁判所に右審判の申立をした上、家事審判規則第四十六条、第九十五条第一項に基く臨時に必要な処分を求めることができる。右仮の処分に執行力が認められるかどうかについては争があるが、いずれにせよ法がかかる特別規定を設けている趣旨は、扶助料請求権を本案の請求権とする民事訴訟法第七百六十条の仮処分を排除するにあるものと解すべきである。
これを要するに、債権者一枝の申請は、これを認容するに由がない。
よつて次に債権者健の申請につき判断を進める。
記録によれば、同債権者は、未成年者(昭和十七年一月八日生)で、現に婚姻関係にある父高森紹一及び母高森一枝の親権に服する者であることが明らかであるところ、本申請は、母の一枝が単独で、同債権者の法定代理人として申請代理人弁護士山下直次を介し、同債権者の名においてこれをなしたものである。しかし、かように、親権を行う父及び母の一方のみとその子との利益が相反する行為についても、民法第八百二十六条第一項による特別代理人の選任が必要であると解されるから、右選任手続を経由しない債権者健名義の申請は、法定代理権なき者のなしたものとして、不適法であるといわなければならない。
かりにそうでないとしても、同債権者は、要するに、父たる債務者に対する扶養請求権を本案の請求権として、地方裁判所たる当裁判所に民事訴訟法第七百六十条による扶養料仮払の仮処分を求めるというのであるが、前説示と同様の理由により、かかる目的のためには、本来家事審判規則第九十五条第一項による処分を求むべきであり、それ以外の手段は、法の認めぬところといわなければならない。
よつて、債権者両名の仮処分申請を却下すべきものとし、なお、申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 山内敏彦 栄枝清一郎 戸根住夫)