神戸地方裁判所 昭和34年(行)12号 判決 1962年2月23日
神戸市兵庫区東出町三丁目二二二
原告
竜川勝次郎
同区水木通二丁目
被告
兵庫税務署長
右指定代理人
山田二郎
同
関博
同
長岡日出雄
昭和三四年(行)第一二号更正決定取消請求事件について次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、判決の申立
(原告)
「被告が、昭和三三年五月二日、原告に対してした昭和三二年分の所得、同税金額の更正処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」
(被告)
主文同旨
二、主張
(原告)
(1) 請求原因
(イ) 原告の昭和三二年分の所得、同税金額の確定申告に対し、被告は更正処分をしたので、原告は、これを法定の訴願手続によつて争つたが、再調査決定の際に一部の救済をうけたにとどまつた。この経過の詳細は次表のとおりである。
<省略>
(ロ) 原告の昭和三二分の所得、同税金額は右確定申告額どおりである。従つて、それを超える金額を認めた本件更正処分は違法である。
よつて本件更正処分の取消を求めるため本訴請求に及んだ。
(2) 被告の更正処分の適法性の主張に対して
(イ) 原告の営業の種類、規模、立地条件(ただし、原告の店舗が川崎造船所正門前附近であることを除く、原告の店舗は同正門から約一五〇メートル離れている)が被告主張どおりであることは認める。
(ロ) 昭和三二年九月頃、山本事務官が、原告方に臨場調査に来た際、原告が営業に関する帳簿を作成していないといつたことはあるが、それは、それまでの原告の確定申告にあたつて兵庫税務署係員が原告作成の記帳類を不当にも一切信用しなかつたので、原告が帳簿を呈示しても無益であろうと信じていたためであつて、実際には、原告の次男芳明が帳簿(甲第一号証)を作成していたのである。もとより、その記帳に多少の不備のあることは認めるが、被告がこれを一方的に否認したことは不当であり、特別の場合に限り許さるべき推計課税を本件の場合に行つたのは違法である。
(ハ) 原告方従業員の一日の実稼働人員が少くとも三名であり、原告方店舗備付の理髪椅子が四台であること、被告主張の年間営業日数、来客一名当りの理髪所要時間、従業員一名当りの実労働時間、理髪料金(ただし子供丸刈は四〇円である)大人調髪の来客割合は認めるがその余の事実は否認する。
(ニ) 原告の昭和三二年分の営業収支は次のとおりである。
(単位は円)
A、差益金
売上(750,500)-仕入(28,500)=722,000
但し、期首、期末在庫はともに九〇〇
B、経費
一般経費 合計 一一〇、五七七
電気料金 一〇、六六六 ガス料金 一三、八二一
水道料金 五、三〇〇 消耗品 一〇、九〇〇
修繕費 二、五〇〇 組合費 五、六五〇
暖房費 一二、八〇〇 減価償却 一四、三〇〇
衛生費 六、七〇〇 公租公課 一七、三八〇
雑費 一〇、五六〇
特別経費 合計 二三七、〇〇〇
雇人費 二二八、〇〇〇 建物減価傾却 六、〇〇〇
地代 三、〇〇〇
C 所得
差益金-経費=374,423
(被告)
(1) 答弁
請求原因中(イ)の事実は認める。
(2) 本件更正処分の適法性の主張
(イ) 原告は中庸規模の理髪業者で、店舗は川崎造船所正門前附近で、新開地本通に面し、稲荷市場街をはじめ商店、工場が多く、人口密度の高い地域にあるから、理髪営業にとつて良好な立地条件にある。
(ロ) 昭和三二年九月、兵庫税務署の山本事務官が、原告方店舗に臨場調査におもむいた際、原告は、帳簿も、日日の営業記録も一切作成していないと申立てていたのに、昭和三三年三月頃行われた確定申告のための納税相談の面接のときになつて、突然、営業帳簿と称するもの(甲第一号証)を提出した。しかし、右帳簿は記載が不正確であつて、到底、原告の所得算定の基礎となりうるようなものではなかつた。しかも、それによる原告の申告は、原告と同程度の営業規模、立地条件の同業者の所得金額との均衡を失していたので、被告は推計によつて、原告の所得金額を算出調査し、その調査したところと異なる原告の確定申告に対して、本件更正処分をしたものであり、その処分は適法である。
(ハ) 被告の(再調査決定による一部の取消のなされた後の)本件更正処分は、所得金額については、次の計算によるものである。(単位は円)
収入金額 九二五、五〇〇
右金額に所得標準率七五%を乗じた額 六九四、一二五
特別経費
地代 六、〇〇〇
建物減価償却費 六、一二〇
雇人費 二二八、〇〇〇
差引所得金額 四五四、〇〇五
ところが、大阪国税局において、業種目別に、地域差、営業規模差を考慮して普遍的に収集した納税者の記帳状況などの賃料に科学的な検討操作を加えて作成した昭和三二年分の所得業種目別効率表によれば、京阪神三市の理髪業における従業一人当りの収入金効率は、三五四、〇〇〇円であり、理髪椅子一台当りのそれは、二九五、〇〇〇円である。
原告方の従業員は原告を含めて五名であるが、その作業分担、技能などを考慮しても、実稼働人員は少くとも三名は下らない。そして原告方の理髪椅子は四台である。従つて、右の収入金効率をこれに乗じて得られる原告の収入金額は、
従業員数では 一、〇六二、〇〇〇円
椅子数では 一、一七六、〇〇〇円
となるのである。
このように、原告の収入は、本件更正処分の前提として原告の認定した九二五、五〇〇円を上廻るのである。ちなみに、右認定収入金額は、原告の年間営業日数、三一五日からみれば、一日当り、二九三七円、実働従業員一人当りでは、九八〇円となるのであるが、昭和三二年における原告方の理髪料金および来客割合は、
大人調髪 一五〇円 六〇% 同丸刈 八〇円 一五%
子供調髪 八〇円 一〇% 同丸刈 六〇円 一〇%
その他 七〇円 五%
であるから、平均調髪料金は一二〇円となり、一方、来客一人当りの平均理髪所要時間四五分であるので結局、従業員一人当りの一日の実労働時間は六時間ということになる訳である。そして、当時の理髪業者の通常の営業時間は午前八時から午後九時までの一三時間であつて原告方の従業員の実労働時間がその半分以下であるとすれば、原告の営業が成立つ筈はないのである。この点からみても、被告の認定した前記収入金額が、現実の原告の収入を下廻ることは明らかである。
そして、特別経費控除前の所得金額は、前記効率表と同様の科学的根拠をもつて作成された昭和三二年分所得標準率表によれば、収入金額の七五%であるからこれによつて算定し、特別経費については、原告の確定申告額どおりとして、原告の所得金額を算定した本件更正処分には、何らの不法もない。
よつて、原告の本訴請求は失当である。
三、証拠
(原告)
甲第一号証を提出し、乙各号証は不知と述べた。
(被告)
乙第一、二号証を提出し、証人山本勉、同多田稔の各尋問を求め、甲第一号証は不知と述べた。
理由
一、(争いの対象)原告主張のとおりの経過で、被告が、原告の昭和三二年分の所得、同税金額の確定申告に対して本件更正処分をし、これについて、原告が本訴提起に必要な法定の訴願各手続を経ており、その間、再調査決定によつて、原更正額が一部取消され、所得金額四五四、〇〇〇円、所得税額二一、三八〇円、過少申告税額五〇〇円とされていることは当事者間に争いがない。従つて、本件更正処分は、右再調査決定額の限度でのみ存続するのであるから、その限度での当否が本件の争いの対象となる訳である。
二、(本件更正処分の手続的適法性)原告が、おそくとも昭和三三年三月頃、営業帳簿であるとして甲第一号証(当時の記載が現状のままであつたかの点は別として)を兵庫税務署係員に呈示したのに、被告がこれを無視して利用せず、原告の所得を推計して本件更正処分(再調査決定)をしたことは当事者間に争いがない。
原告は、先ず、この点について、右帳簿に多少の誤りがあつたとしても、これを一方的に無視して、特別の場合にのみ許される推計による課税をしたのは違法であると争う。しかし、所得税法四四条一項によれば、確定申告額が政府の調査したところと異る場合には、その調査によつて更正することが許されており、そして、原告の確定申告が、その更正のためには、同法四五条一項により、帳簿書類の調査が必要とされているいわゆる青色申告であることの主張、立証のない本件の場合、更正処分のための調査をするのに、帳簿書類などによらず、事業規模などによつて推計を行い、その推計(による調査)額で更正することは、正に、同条三項の明文の認めるところにほかならないのである。従つて、たとえ、原告が完全な帳簿を作成しており、被告がそれを調査せずに推計調査を行い、その結果を課税根拠としたとしてもそれは原告の申告が青色申告でない限り、少くとも、手続的には全く適法なのである。特に、本件の場合、証人山本勉の証言によれば、甲第一号証については、本件更正処分(再調査決定)の際に充分検討されたのであり、しかも、それは、例えば、原告方の理髪料金からみて、日計収入額の殆んど全てが一〇〇円単位であるのは不自然であり、また修正箇所が多いなどの点で到底信用できるものでなく、このことを確めた上で推計調査をしたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。従つて、被告のした推計による課税処分が手続的に不相当であるとの非難さえも加えることはできないのである。
三、(本件更正処分の実質的適法性)しかし、たとえ、本件更正処分が手続的に適法であるとしても、調査の結果、すなわち更正(再調査決定)額が現実の原告の所得を超えるならば、もとより、実質的な面で違法であつて、その点での取消は免れない。そして原告は、この面からも争うのでこの点について検討する。
(1) (争点)原告は、本件更正処分の全部を争つているのであるがその弁論の全趣旨からみて、原告は、更正各税額については、その計数をも争つているのではなく更正所得金額が過大であるから、それに基いて、それ自体としては適正に、算出された各税額も過大であるという意味でのみ争つているに過ぎないと認められるから、結局、この場合の直接的争点となつているのは更正所得金額である。つまり、更正所得金額が正しいとされた場合にも、その上で、更に更正各税額について争う趣旨ではないのである。
(2) (収入)そこで先ず、原告の所得算定の大前提となる収入金であるが、被告はこれを推計によつて主張立証しようとしている。所得税法四五条三項が推計による更正を許していることは前記のとおりであるが、だからといつて、それが、直ちに更正処分の当否が問題となる訴訟における納税者の収入の立証責任の分担を定めているものと考えることはできない。そして、この場合、被告は、あくまで、原告に被告の推計額を下らぬ収入のあつたことの立証責任を負担するものとみるべきである。
しかし、推定による立証は当然許されるのであるから、この被告の立証責任は、被告主張の推計方法およびその具体的適用の仕方が、その推計結果が現実の額に近いことの強度の蓋然性があると認められる程度に合理的であることを立証することによつても果されるというべきである。
証人多田稔の証言、同証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証によれば、大阪国税各管内の昭和三二年分所得業種目別効率表の京阪神三都市における理髪業者で、従業員二ないし三名の事業規模での従業員一人当りの収入金効率は三五四、〇〇〇円、同じく理髪椅子二ないし五台の事業規模では一台当り、二九五、〇〇〇円とされており、この効率は、被告主張の方法で求められたもので、右に述べたような合理的推計手段であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。そして、原告方店舗の立地条件の良好なことは当事者間に争いがないのであるから、右効率を原告の場合に適用することも妥当であり、合理的であるというべきである。
そこで、当事者間に争いのない原告方の実稼働従業員数三名理髪椅子数四台について、それぞれ右各効率を乗じると、
従業員数では 一、〇六二、〇〇〇円
椅子台数では 一、一八〇、〇〇〇円
となる。
そして、原告提出の唯一の証拠である甲第一号証がその成立の真否は別としても、その内容の信用できるようなものでないことは既に認定したとおりであるから、結局、原告の昭和三二年分の収入は、少くとも、右各推計結果の最低額一、〇六二、〇〇〇円を下らないものと推認すべきであり、他にこの認定に反する証拠はない。
(3) (販売原価および一般経費)原告は販売原価二八、五〇〇円、一般経費一一〇、五七七円を主張しているに過ぎないが、それらが収入の二五%を占めることは被告の自認するところであり、また証人山本勉の証言、同多田稔の証言、および同証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証によれば、大阪国税局管内における昭和三二年分営業庶業等所得標準率表の理髪業の所得標準率、すなわち収入に対する特別経費控除前の利益の割合は七五%とされていること、そして、その率は前記収入金効率と同様、合理的推計方式であつて、原告の場合に適用しても支障ないことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
これによつて、前示認定収入金額一、〇六二、〇〇〇円から販売原価および一般経費を算定推認すると二六五、五〇〇円となる(<省略>)。
なお、期首、期末在庫が共に九〇〇円であることは原告の自認するところであるから、在庫量は販売原価に影響しない。
(4) (所得)それ故、特別経費(これは収入とは無関係である)が、原告主張のとおり、二三七、四二三円を要したとしても、前記収入金額から、販売原価、一般経費とともにこれを控除して得られる原告の所得金額の最低限が、本件更正処分の更正所得金額を超えること〔1,062,000-(237,425+265,500)=559,077〕は明らかである。
従つて、原告の所得金額の範囲内で更正された所得金額を前提とする本件更正処分は、実質的にも適法である。
三、よつて、原告の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 前田治一郎 裁判官 桑原勝市 裁判官 米田泰邦)