大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和35年(わ)810号 判決 1962年5月08日

被告人 大島之房

明三六・一二・二一生 貿易商

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は

被告人は合名会社大島商店の代表社員であるが、かねて大島商店が賃借していた神戸市葺合区八幡通三丁目五番地の一宅地五六二坪のうち約一六〇坪が昭和二九年一一月頃土地区劃整理の施行により同区八幡通五丁目四番地の宅地一〇七坪一勺に換地されたが、整理事業施行者(神戸市)より大島商店が法定の借地権の指定を受けていないので同商店には該宅地の賃借権の存在を主張することができないのに賃借権ありとしてこれを占有し、昭和三三年五月中頃より右宅地上に倉庫(建坪約二四坪)及び物置(約六坪)の建築を開始した。これに対し同月二八日右宅地の所有者である三共生興株式会社の申請による(被申請人大島郁夫に対する)神戸地方裁判所の決定に基き執行吏木村良修より「右宅地及び建築中の建物に対する占有を解いて執行吏の占有保管に移す。但し右物件の現状を変更しないことを条件に被申請人にその使用を許す。前記倉庫につき現状を変更する一切の工事をしてはならない。」旨の仮処分が執行され、現場地内南端中央部にその要旨を明記した公示書を立てて標示されたに拘らず、被告人はその趣旨に違反して右執行後同年六月二日頃までの間に工事を続行して右倉庫内の床板を全部張りつけ、その東半分にベニヤ板をもつて内壁を張るとともに天井を設けて事務所及び作業場を設備し、かつ右宅地の周囲に高さ約一間の板塀を設けて仮処分の現状を変更し、もつて公務員の施した差押の標示を無効ならしめたものである。

というにある。

よつて審理するに

被告人が神戸市から三共生興株式会社に対し換地指定(仮換地)のなされた前記神戸市葺合区八幡通五丁目四番地の宅地一〇七坪一勺の内一二〇坪につき大島郁夫(個人)が賃借権を有することを主張し昭和三三年五月中頃より同宅地上に木造スレート葺平家建倉庫一棟建坪約二四坪、同平家建物置一棟建坪約六坪の建築を開始し右土地を占拠するに至つたこと、同年同月二八日右宅地の所有者である三共生興株式会社の申請による被申請人大島郁夫に対する前記仮処分決定に基き神戸地方裁判所執行吏木村良修により右宅地及び建築中の建物に対し前記内容の仮処分が執行され、現場地内南側中央部附近にその要旨を記載した公示札を立てその標示がなされたこと、しかるに被告人は右土地建物を使用するため執行後同年六月二日頃までの間に前記倉庫内の床板南西隅の約一坪半を除く(この部分は仮処分執行当時既にできていた)その他の約一八坪に床板を全部張りつけ、その東半分に仕切用の柱を立てベニヤ板を用いて内壁を張ると共に約一〇・五坪に天井を設けて二室に区切り事務室等を設備し、右宅地の周囲三方に高さ約一間の板塀を設けたことは

(証拠省略)

により明らかなところである。(もつとも公訴事実によると、従前の土地は合名会社大島商店が賃借していたもので、同商店は整理事業施行者より本件換地につき法定の借地権の指定を受けていないので該宅地の賃借権の存在を主張することができないのに賃借権ありとして云々とされているのであるけれども、被告人は本件換地につき従前の土地につき登記した建物を所有し賃借権を有していた大島勇市の三代目相続人で、かつ合名会社大島商店の社員となつている大島郁夫(被告人の甥)が個人の資格で賃借権を有することを主張しこの賃借権を援用しているものであり、また大島商店及び大島郁夫が本件換地につき賃借権の指定を受けていないことは明らかであるけれども、その故に当然に同人に賃借権がないものと即断することはできないものと解する。)

そこで被告人の前記所為が刑法第九六条の標示無効罪を構成するかどうかを検討するに

第一、まず問題の第一点は、本件仮処分命令及びその執行の被告人に対する効力如何の点である。

本件仮処分命令は被申請人大島郁夫に対しなされたものであるところ、裁判の効力は形成権に関する裁判の如き当事者間に限られるのが原則であるから、被申請人に不作為を命ずる本件仮処分の効力も申請人と被申請人大島郁夫間に限られ第三者に及ばない(但し執行吏が右命令を執行し占有を取得した場合に、その占有の効果が国家機関の行う執行作用ないしは占有の性質上対第三者的効力をもつに至ることは別論である)から、右命令(自体)は被告人に対しては効力を及ぼさないものといわなければならない。そしてまた右仮処分命令の内容は「本件土地建物に対する被申請人大島郁夫の占有を解きこれを執行吏に移し、現状不変更を条件に同人にその使用を許す」趣旨のものであるが、右土地建物は被告人において、大島郁夫が右土地に対する賃借権を有することを主張しこれを援用し(援用し得べき要件を備えているか否かは別として)同地上に本件建物を設けこれを占有使用しているもので、賃借権の利用について大島郁夫の同意を得たことは認められるけれども、同人と共同して右土地建物を使用占有していた事実は認められないから、右仮処分は実体に副わないものといわなければならないけれども、しかし本件土地建物に対し現実に執行吏による前記仮処分の執行がなされ、異議その他の方法により右命令ないし執行が取消されることなく存続する限り(むしろ被告人はその無効を主張し得ない実際上の立場にある)有効なものと同様に取扱うの外なく、本件土地建物の占有者である被告人は事実上右命令ないし執行の拘束を受けるものとみなければならない。

第二、問題の第二点は、被告人の本件造作行為が前記仮処分命令の趣旨に反し、執行吏の標示の効力を無効ならしめた場合にあたるか否かの点である。

(一)  本件仮処分は三共生興株式会社の有する土地所有権に基く建物収去、土地明渡請求権を被保全権利として発せられたものであるところ、本件の如き係争物に関する仮処分は「現状の変更に因り当事者の一方の権利の実行をなすこと能わず、又はこれをなすに著しい困難を生ずるおそれのあること」を要件とすることは民事訴訟法第七五五条の明定するところである。そしてここにいう「現状の変更」とは、これを本件についていえば、将来土地所有者の行う本件土地に対する建物収去、土地明渡の強制執行を不能または著しく困難ならしめる程度の変更を指すものと解すべく、従つて本件仮処分命令に示された「現状変更」の語義も右と同意義のものであつて、仮処分執行の時を標準としてその後の現状の変更により仮処分の効用を滅却しまたは著しく減殺するような変更を意味し「現状を変更しないことを条件に被申請人にその使用を許す。前記倉庫につき現状を変更する一切の工事をしてはならない」旨の命令も、その趣旨とするところは「収去明渡の強制執行を不能または著しく困難ならしめる程の変更を加えないことを条件に被申請人にその使用を許す。前記倉庫につきその程度に変更する工事をしてはならない」ことを命じたものであると解するのが右仮処分の性質目的に合致するものといわなければならない(むしろそれ以上に厳格な仮処分命令は特段の事情のない限り仮処分の必要性の範囲を超えるものとして発し得ないものというべきところ、本件にはかかる特別の事情は認められない。なお本件のような土地建物の収去明渡を求める仮処分命令は被申請人の不法占有を理由とするものであるから仮処分執行後において被申請人に使用上必要な或程度の変更を許容することは却つて不法占有を保護する結果を生む感がないではないけれども、しかし仮処分命令は将来における強制執行による実体的請求権の実行を保全するため、暫定的仮定的に一応の疎明によつて発せられるものであつて、必ずしも実体的請求権に合致するものでないという仮処分命令の本質から、仮処分命令による被申請人に対する拘束は必要の最小限度に止めらるべきである)から、右意義における現状変更にあたらない変更は仮処分命令に違反せず、また従つて該命令に基く執行吏の差押(占有)を侵害し、その標示の効力を無効にするものではないと解する。もつともこのように解するときは仮処分執行後、当事者の判断により上記意義における或程度の変更が許されることになり、かくては処分の権威ないしは安定を害し、かつその変更の適否につき新たな紛争を惹起するおそれがあるとして反対説の生まれることは勿論であり、むしろ現状の変更は原則として禁止し、たゞ仮処分の目的を害しないもので、必要やむを得ない変更に限り執行吏若しくは仮処分裁判所の許可を得てこれを認めるべきだとするのが穏当な見解であるかの感があるけれども、しかし仮処分が前記の如き要件のもとにその必要の限度(範囲内)において許容されるものである点に鑑みれば(執行吏等の許可という例外を認めるにもせよ)原則的に一切の現状変更を禁止することは仮処分の必要性の限界を超えるものというべきであり、法律上そのような許可権をもち得るかどうか甚だ疑問であると考える。また上記意義における現状変更であるかどうかを変更後の事後審査に任ねるとしても、命令に反する変更行為は行為自体民法上無効のものとして違法効果が与えられるものであり、また差押(執行吏の占有)を伴うものについては刑法上標示無効罪をもつて取締り得るのであるから違法行為が放任される訳ではなく、またそれ自体予防効果をもつものであるから、将来行われるかも知れない無効行為違法行為を事前に防止するために適法行為をも原則的に禁止することは却つて違法を犯すことになるのではなかろうか。

(二)  しかしこの問題について、刑法九六条に規定する標示無効罪は仮処分命令等執行命令自体を直接に保護するものではなくて、これ等執行命令に基き行なわれた執行機関の差押(占有)処分をその封印標示の保護という形態で保護しようとするものであるところから「刑法九六条にいわゆる公務員の施したる差押の標示を損壊以外の方法をもつて無効にするとは、公務員が職務上保管すべき物として強制処分によつて自己に取得した物の占有権を他人において侵害し、それによつて公務員の施した占有取得の標示を有名無実のものにすることを指すものである。………これを仮処分の場合についていえば………執行吏が仮処分の執行として物の占有を自己に移し、その旨の標示を施した場合において、若し他人が権限なくしてその占有権を侵害する行為をしたとすれば、それによつて直ちに差押標示無効罪が成立するのであつて、この場合その他人の行為が仮処分によつて禁止された行為であつたかどうか、またその行為の結果仮処分本来の目的を達することが不能若しくは困難になつたかどうかは、いずれも同罪の成否に消長を来すものでない」との判例(名古屋高裁昭和三三年六月一六日判決。法曹時報一三巻一二号一二〇頁以下、最高裁判例集一五巻九号一五六七頁以下参照)があるけれども、この場合における目的物に対する執行吏の占有も所詮仮処分命令の授権に基く占有(被申請人に使用を許す占有にあつてはその実質は管理権の取得)である点に鑑みれば、仮処分命令以上の占有権を取得することはできず、命令の範囲内における占有とみるべきであつて、その仮処分命令の中に現状変更につき前記の如き制限(上記意義における現状不変更とその範囲内での使用許可)を包含しているものと解するならば執行吏の取得する占有も内容的にその制限を受ける(管理権的な占有であるから内容の制限が可能である)とみるべきであろうし、また刑法第九六条に「標示を無効たらしめた」というのは標示を外形的に損傷し、若しくは内容的に侵害してその効用を滅却し、または著しく減殺することをいうものと解する(若しそうでないとすると、民事法規上変更に該当せず仮処分命令に違反しないと認められる行為が、その命令の執行段階で占有侵害となつて刑事罰を受ける結果を生み不合理である)から、前記判例の説示するように、いやしくも執行当時の現状に許可なく変更を加えるにおいては直ちに執行吏の占有侵害が成立し、その標示の効用を無効たらしめたものとみて「その侵害行為が仮処分によつて禁止された行為であつたかどうか、またその行為の結果、仮処分本来の目的を達することが不能若しくは困難になつたかは同罪の成否に消長を来すものでない」と結論づけることには疑義があるから、にわかに従いがたいところである。

(三)  次に被告人の前記所為(造作)が本件仮処分命令で禁じられた前記意義における「現状変更」にあたるかどうかの点につき、その命令において認められた使用許可との関連において考察するに、被告人が本件宅地上に建設した前記倉庫は本件仮処分当時その外郭が出来上つていた段階で、内部は僅かに南西隅約一坪半に床板を張り宿直室を設けていた程度であつたため、右建物の使用を許されたとしても大島商店の営業である紙箱を扱うには湿気等の関係で使用できないため、その必要上前認定の造作を行い簡単な事務室と商品置場を作つたもので、床張の部分は高さ三、四〇糎位の根太を設けて五分板程度の板を張りつけ、間仕切及び天井はベニヤ板を粗雑に仮設的に取付けたもので(これは被告人が必要最少限度の変更に止めようとしたためと考えられる)その除去は比較的容易なものと認められるものであつて鑑定人五百蔵長一の鑑定書及び同人の当公判廷における供述によれば右造作部分をその部分のみ(建物はそのままにして)取り外すとすれば経費合計八、九〇〇円、労力は宅地周囲の板塀の除去を含め一人五日間、建物と共に同時に収去する場合には経費労力とも右造作の附加されていない場合とほとんど変りのないことが認められる。(これは建物をそのままとして造作部分のみを除去する場合には建物等を損傷せしめないよう丁寧に取外さなければならないのに反し、建物と共に再使用を考慮せずに収去する場合には格別の手数を要せず建物と共に乱暴に順次取壊せばよいからである。)なおこの点について、取壊しに特別の費用と労力を要しないとしても、取壊した造作材料を宅地外に搬出するにつき、右の造作がない場合に比し、かなりの費用と労力を要することとなり本案の執行を困難にするのではないかとの疑問があるけれども、申請人において本案判決により本件建物を強制的に収去する場合(本案判決により直ちに収去し得られるかどうか問題のあることは第一で判断したとおりである)被告人がその建築材を任意に引取らないときは他に保管場所を求める必要があり、かくてはその保管に不相応な費用を要することとなるから換価処分を命じその場で換価し得る(民訴第七三一条五項)と解するから、その搬出に当然に特別の費用を要するとはいえない。よつて被告人が本件建物に右造作を附加したことにより仮処分により保全せられた被保全権利の実現が著しく困難になつたものとは認め難いところであり、また従つて本件建物につき執行吏の取得した占有、これを公示した標示(内容)を実質上滅却し又は著しく減殺したものとみることはできないものと解する。

(四)  次に被告人が公訴事実にある如く本件宅地の周囲(三方)に高さ約一間の板塀を設置し(南側道路に面した部分には一部開閉式の出入口とした比較的丈夫な板塀が現存する)ことは前掲検察官作成の実況見分調書及び当裁判所の検証により明らかなところであるけれども、右板塀は本件宅地を仮処分命令により許容されたとおり現状のまま使用するについて、第三者の侵害を防ぎ盗難等を予防するうえにおいて、その保存ないしは使用上必要な最少限度のものというべきであるから、仮処分命令に違反して現状を変更し執行吏の占有を侵害したものと認め得ないこと明らかであろう。

以上の理由により、被告人に対する本件公訴事実は結局刑法第九六条に該当せず罪とならないものと認め、刑事訴訟法第三三六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 原田久太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例