神戸地方裁判所 昭和44年(ワ)1200号 判決 1974年10月11日
神戸市兵庫区金平町一丁目一
原告
江本ふさ子
神戸市兵庫区中庄通二丁目一
原告
江本正美
神戸市兵庫区金平町一丁目一
原告
江本勝美
神戸市兵庫区金平町一丁目三六
原告
江本実
神戸市兵庫区金平町一丁目三六九
原告
大野美智子
横浜市南区笹下町一〇六九
益田荘
原告
山口カヨ子
神戸市兵庫区金平町一丁目一
原告
江本礼子
神戸市兵庫区金平町一丁目三六
原告
株式会社淡路屋
右代表者代表取締役
江本勝美
右原告ら訴訟代理人弁護士
岩崎康夫
同
松岡滋夫
東京都千代田区霞ヶ関一丁目一
被告
国
右代表者
法務大臣 中村梅吉
右指定代理人訟務部付検事
岡準三
訟務課長
坂梨良宏
訟務専門職
中川平洋
法務事務官
前垣恒夫
大蔵事務官
山口正
同
西川彰
同
山本洋
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は
(1) 原告江本ふさ子に対し五〇〇万円
(2) 原告江本勝美に対し二一〇万円
(3) 原告江本正美、同江本実、同大野美智子、同山口カヨ子、同江本礼子に対し各一六〇万円
(4) 原告株式会社淡路屋に対し一一〇〇万円および右各金員に対し昭和四三年九月二一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 訴外亡江本清次(以下清次という)は原告ふさ子の夫、その余の原告ら(会社を除く)の父で、原告株式会社淡路屋(豆腐、こんにやくの製造販売を行う。以下原告会社という)の創設者、初代社長であつたが、昭和四三年九月二〇日死亡した。
2 清次死亡に至る経緯
(1) 清次は約一〇年前結核のため病臥し、社長の地位を実弟の富永隆美に譲り、平取締役になつたが、以後病状は次第に好転し、昭和四三年九月八日当時は、会社社屋の二階の自宅で療養しながら、毎日又は隔日に一回短時間ではあるが階下事務室へ出て陣頭指揮ができるほどに回復していた。
(2) ところが、兵庫税務署は原告会社に脱税があるとして、五年前にさかのぼつて次のとおり厳重かつ苛酷な調査を実施した。
(イ) 昭和四三年九月九日、署員が原告会社を訪れ、清次に種々質問した。
(ロ) 同月一〇日、署員が再び訪れたので、原告ふさ子は自分でわかることは答えるから療養中の夫の神経を刺激するようにことはしないでくれと頼んだ。
(ハ) 同月一一日、原告会社の荒田町営業所へ署員が調査に訪れ、この報告を聞いた清次は非常に心配していた。
(ニ) 同月一三日、兵庫税務署の藤原上席調査官および小寺事務官が原告会社を訪れたので、原告ふさ子は、九日の調査以来夫は神経がたかぶり食欲も不振になつて弱つてきたので直接の質問は差し控えてほしい旨懇請した。しかるに藤原調査官らは、はじめ原告ふさ子に聞いていたが、調査が進むにつれ、個々の費目につき、この金は何に使つたか聞いて来いとか、領収証を見せよなどと追及するのみならず、遂には清次に直接質問をし、資料の提出を要求せるに至つた。清次は、その夜から殆んど食欲がなくなり、体力、気力とも著しく衰弱した。
(ホ) 同月一五日、清次は主治医であつた訴外村田玄二医師の診察を受けた結果入院を要するとの診断で、翌一六日、鐘紡兵庫病院に入院した。
(ヘ) 同月一八日、小寺事務官が訪れたが、清次が入院した事実を知つて帰つた。その夜、右事実を聞いた清次は甚しくシヨツクを受け、以後昏睡状態となつた。
(ト) 同月一九日、清次の病状悪化し、翌二〇日午前二時死亡した。
3 本件調査の違法性
(1) 税務署は調査権を有するが、調査は適法かつ妥当な方法で実施すべきである。また納税者は右調査に対し応諾、協力義務があるけれども、右応諾義務を負うのは納税者本人、会社ならば代表者、担当の役員および社員に限られるべきものであり、また仮に全役員、社員に右調査の応諾義務が及ぶとしても、健康で社業に常時従事しうるものに限定すべきである。しかして、清次は社長でも経理担当でもなく、長期療養中で一日か二日に一回短時間しかも報告や相談を受け必要な指示や助言をしていたにすぎないのであるから、右応諾義務を負うべき理由はなく、また仮に清次本人でなければわからない事項があつたとしても、療養中の身であることを考慮し、人を介して聞くとか、相当な期限を付して書面で回答を求めるなど病状を悪化させるおそれの最も少ない方法によつて調査すべきである。しかるに、本件において藤原ら兵庫税務署職員は、原告会社に社長、重役、経理部長があつて、清次に対し直接に質問や資料提出要求をしなければならない理由も必要も全くなかつたのに、前述のように原告ふさ子の懇願を無視して、敢てその挙に出たものであつて、本件調査方法はこの点甚しく常軌を逸し、単なる当、不当の域を超えて違法なものというべきである。
(2) 兵庫税務署は本件調査の結果、五年前にさかのぼり、脱税額約七、九〇〇〇万円、税額金三、〇三八万四、〇〇〇円の更正決定をしたが、右決定には事実誤認があり、この点においても本件調査は不当である。
(イ) 原告会社は年商四、二〇〇万円程度であつて、五年前にさかのぼるとしても、七、九〇〇〇万円の脱税が可能な筈はない。
(ロ) 右決定がなされた経緯は次のとおりである。すなわち、法人税に関する更正決定は昭和四三年一一月二五日、当時の原告会社の社長訴外富永隆美の単独出頭を求めてなされ、その際税理士や弁護士にはもちろん、社内にも極秘にせよと言われて、同人がこれを守り他の重役にも図らず自ら納付したものであるが、同年一二月二五日、原告会社の経理部長である訴外片山政雄が兵庫税務署に赴き、調査の進行状況を聞いた際には、藤原調査官は、いまだ調査中で決定はしていないとの返答をしていたのである。そのため、本件法人税に関する更正決定手続が右のとおり昭和四三年一一月二五日に完了し、同年一二月二五日が右決定に対する異議申立期間の最終日であつた事実は、翌昭和四四年五月三〇日に原告会社顧問税理士が兵庫税務署より富永前社長の個人確定申告の修正申告を出すようにとの連絡を受け、不審に思つて調査してみてはじめて判明した次第である。
4 因果関係
清次が九月八日まで元気であつたのに、翌九日以降急に病状が悪化しわずか一〇日余で死亡したのは、兵庫税務署職員の不当な職権濫用、療養中で執拗かつ苛酷に調査に自ら対処できない焦慮、不当な調査およびこれに基づいて行われるかもしれね苛酷な処分に対する不安、長期療養で弱つていた心身、特に精神に受けた衝撃、これらの要因の累積、相乗作用による精神的シヨツクが病状を悪化させたものであつて、兵庫税務署の調査が死期を早めたのである。
5 以上のとおり、兵庫税務署の本件調査は違法、不当であり、これによつて清次を死亡せしめたのであるから、右は国家賠償法一条一項に該当するから、被告国は損害賠償の責を負うべきである。
6 損害
(1) 清次は、明治四三年一月一二日生まれで死亡当時五八歳であつたから、昭和四一年簡易生命表による平均余命は一七・一九年、就労可能年数は八・二年であるところ、清次が原告会社から受ける給与は月額一〇万円、役員賞与年間八〇万円、合計年間二〇〇万円であり八年分として一六〇〇万円であるが、これを一時に請求するのでホフマン式計算法により中間利息を控除すると金一、一四二万四、〇〇〇円となる。これを相続分に応じて分割すると、原告ふさ子が金三八〇万八、〇〇〇円、その余の原告ら(会社を除く)が各金一二六万九、三三三円となる。
(2) 会社を除く原告らは、兵庫税務署の職権濫用による違法不当な調査によつて夫、父である清次を失つたのであるから、慰藉料として、原告ふさ子が一五〇万円、その余の原告が各五〇万円を請求する。
(3) 会社を除く原告らは清次の入院費用三万円、葬儀費用五〇万円を支出したが、右損害は原告勝美が相続人の代表として請求する。
(4) 清次は、昭和五年から原告会社の営業種目である「とうふ」、「こんにやく」の製造販売に従事し、三八年の経験を有していた。病気療養中とはいえ同人の多年の経験に基づく指示助言は貴重なものがあり、特に「こんにやく」の材防仕入は一に同人の経験に頼つていた。即ち材料の仕入は年間の分を一〇月から翌年三月の間に行うが、相場の変動が激しく、仕入の時期、価格を誤まるときは年間の利益全部を失つてなお余りある損害を蒙るおそれがある。現在「こんにやく」部門の責任者は原告勝美であつて、同人も経験一〇年に及ぶが、清次の域に達しない。したがつて原告会社は、年商の五分ないし一割の減収は避け難いので、内輪にみつもり五分として年間二一〇万円、一〇年分として二一〇〇万円、ホフマン式計算法により金一三九八万六〇〇〇円が原告会社の損害である。
7 以上集計して
原告ふさ子金五三〇万八、〇〇〇円
原告勝美金二二九万九、三三三円
原告会社金一、三九八万六、〇〇〇円
その余の原告各金一七六万九、三三三円
となるが、本訴では内金として請求の趣旨記載の各金額と、これらに対する不法行為の日の後である昭和四三年九月二一日から右各支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 1は認める。
2 2の(1)は不知。
2の(2)について兵庫税務署の職員(以下署員という)が原告会社の昭和三八年度から同四二年度までの五事業年度について過少申告の疑があるとして調査したことは認める。
2の(2)の(イ)について、署員である小寺調査官が原告会社の本店に赴き調査したことは認めるが、その余は否認。
2の2の(ロ)について、小寺調査官が赴いたことは認めるが、その余は否認。
2の(2)の(ハ)は否認。
2の(2)の(ニ)について、署員である藤原上席調査官が原告会社の本店に調査に赴いたこと、原告ふさ子から清次の病状について話があつたこと、原告ふさ子に対して質問したことは認めるが、その余は否認。
2の(2)の(ホ)は不知。
2の(2)の(ヘ)については、小寺調査官が調査に赴き清次入院の事実を知つたことは認めるが、その余は不知。
2の(2)の(ト)について、九月二〇に清次が死亡したことは認める。
3 3の(1)のうち、税務調査が適法妥当な方法で実施すべきこと、清次が現職社長でないことは認めるが、その余は否認。
3の(2)について、兵庫税務署長が昭和四三年一一月二五日、原告会社に対しその調査したところにより五事業年度について、後の三事業年度については更正(または再更正)および重加税額の決定、前の二事業年度については過少申告加算税額の決定をしたことは認める。
3の(2)の(イ)は否認。
3の(2)の(ロ)のうち、昭和四三年一一月二五日、原告会社代表取締役富永隆美の来署を求め、更正(または再更正)および決定通知書を送達したこと、同年一二月二四日更正(または再更正)による増差税額および決定通知書を送達したこと、同年一二月二四日更正(または再更正)による増差税額および決定による加算税額の全部について納付があつたこと、同年同月二五日原告会社の片山政雄が兵庫税務署において藤原上席調査官に対し調査の進行状況をたずねたこと、同日が右更正(または再更正)および決定に対する異議申立期間の最終日であることは認めるが、その余は否認。
4 4のうち清次死亡までの経過は不知、その余は否認。
5 5は否認。
6 6の(1)のうち、清次が明治四三年一月一二日生まれであつたことは認めるが、その余は否認。
6の(2)ないし(4)は否認。
第三証拠関係
一 原告ら
1 甲第一号証ないし第四号証
2 証人富永隆美、同片山政雄、同村田玄二、同池本行則、原告ふさ子本人
3 乙号各証の成立はいずれも認める。
二 被告
1 乙第一号証の一ないし五、第二号証の一、二、第三号証
2 証人藤原幸雄、同小寺桂太郎
3 甲第一号証の成立は不知。その余の甲号各証の成立はいずれも認める。
理由
一 請求原因第一項の事実および同第二項のうち、兵庫税務署が、原告会社の昭和三八年度から同四二年度までの五事業年度の法人税について、昭和四三年九月九日から調査を実施した事実は当事者間に争いがない。
二 証人富永隆美、同片山政雄、同村田玄二の各証言、原告ふさ子本人の供述によると、清次の本件調査実施までの病状等として次の事実が認められ、これに反する証拠はない。
清次は終戦後間もなく個人で豆腐、こんにやくの製造販売業を始め、昭和二八年一一月にこれを会社組織として原告会社を設立し、自ら社長となつたが昭和三一年ごろ、肺結核のため鐘紡兵庫病院に入院したので、その頃原告会社の社長を辞し、実弟の富永隆美が社長となつたが、会社の実権は尚清次にあつた。その後清次は両肺に空洞を残したまま同三四年ごろ退院し、以後は原告会社社屋(兵庫区金平町一丁目所在)の二階にある自宅で療養しながら、昭和四〇年ごろまで医師村田玄二の治療を受けていた。その後は結核治療は打切られたが、両肺に空洞を残していると云うかなりの重症であつたので月に一度か二度右村田医師の経過観察を受けていた。そして昭和四〇年頃から自宅で療養しながら、富永社長以下からの相談を受けて指示を与える等のことをするようになり、その後気分の良いときは階下の事務室に下りて帳簿等を見たり、時には取引先と商談する等のこともしていた。そして死亡直前の昭和四三年八月二五日にも前記村田医師の往診を受けたが、格別異常のある状態ではなかつた。
三 成立に争いのない乙第三号証、証人片山政雄(但し一部)、同藤原幸雄、同小寺桂太郎の各証言、原告ふさ子本人の供述(但し一部)によると、清次死亡までの本件調査の実情は次のとおりであつたことが認められる。
兵庫税務署は、<1>前年度の一般調査によつて原告会社に不正が発覚したが、その全貌が把握できないでいたところ、右不正に結びつく資料が発見されたこと、<2>他の同業者に比して原告会社の利益率が低かつたことの二点を理由として原告会社に対し特別調査を実施することとした。そして藤原調査官を上席とし、他に小寺、豊原、東の三調査官を加えて、特別調査班を組織していたが原告会社は本店を兵庫区金平町一丁目に置き、別に同区荒田町四丁目に支店を有していたので(尚支店の営業は主として富永が当つていた)、本店の方は小寺調査官が、支店の方は豊原、東両調査官が担当することとなつた。
そこで九月九日午前一一時頃、小寺調査官が原告会社本店に赴き、原告ふさ子に来意を告げた上、店舗の奥にある家族らの居間(一階)に於て、同原告および片山経理部長から現金、預金通帳、営業伝票、出納簿等の呈示を受けて調査した。その際、小寺は原告ふさ子が右部屋にあつた帳簿類を二階へ持上つたように思われたので、二階の方も調査したい旨申し入れたが、同原告より夫が二階で病臥中であることを理由に拒絶されたので、同原告に二階から書類を取つて来て貰つたり、同原告のわからないところを清次に聞きに行つて貰つたりして調査した。そして清次の個人預金としては神戸銀行、阪神相互銀行、兵庫相互銀行の預金のみであり、又有価証券は大阪ガス及び石川島播磨重工の株券のみである旨の確認書(乙第三号証)を同原告から受取つた。九月一〇日、右小寺が再び調査に赴き、片山に仕入量等について質問し、仕入明細書の作成を依頼した後、片山らの案内で工場の状況を調査し、更に原告江本勝美の案内で工場の奥の二階にある同人の部屋に上り、その際銀行員の名刺、安田信託銀行からの借入金に関する書類等を調査した。九月一一日および一二日は、右小寺および藤原調査官が安田信託銀行に調査に赴き、清次個人のものとしてイズミセツコ名義の貸金庫があり、これに清次の預金で架空名義のものと思われる多額の預金のあることを発見し、立会の原告勝美より右預金の印鑑は原告ふさ子が所持している旨の説明を受けた九月一三日、右藤原が原告会社本店に赴き原告会社の店舗の状況を調査し、さらに原告ふさ子に質問して、前記イズミセツコ名義の預金の印鑑を確認した。九月一八日は小寺調査官が原告会社に赴いたが、清次が入院した事実を聞かされたので特に調査もせずすぐ辞去した。一方荒田町の支店に付ても藤原、豊原各調査官らが調査に当つたが、これは専ら富永隆美に対して質問し或いは書類の提出を求める等の方法によつてなされた。(尚右富永の調査によつて清次死亡後の一〇月一一日に富永の日興証券株式会社に於ける貸金庫中に多額の預金、有価証券等の存することが明らかとなり、之が原因となつて、同年一一月二五日に、原告会社の前記五事業年度に於ける法人税の更正又は再更正処分及び過少申告加算税等賦課決定処分がなされた。)
ところで原告らは、藤原調査官らは右調査に当り、家族らの制止にかかわらず病臥中の清次の部屋に上り直接同人に対して種々質問する等の行為があつたと主張し、証人片山政雄の証言中には、九月一三日に藤原、小寺、豊原の三名が原告会社本店を訪れ、原告ふさ子に質問した後、同人が席をはずしている間に小寺、豊原の二名が二階へ上り、清次に直接質問した旨の証言が存し、又原告ふさ子の供述中にも、同原告が席をはずしている間に一人の署員が二階に上り直接清次に質問した旨述べている部分があるが、成立に争いのない乙第二号証の二、証人藤原幸雄同小寺桂太郎の各証言によると、九月一三日には右豊原は東京に於ける国税庁主催の会合に出席し右小寺も安田信託、兵庫相互及び阪神相互の各銀行へ調査に赴いていて、何れも原告会社に赴いていないことが認められるので、又証人片山政雄の証言では同人が後刻清次から聞いたところによれば、右署員の質問の内容は安田信託銀行の預金から払戻した一〇〇万円中の四〇万円の使途についての領収証の有無の点であつた旨供述しているのに反し、原告ふさ子の供述では、署員が二階に上つたのは二回目の調査の時、つまり九月一〇日であつたかの如く述べ、且同原告が後刻清次から聞いたところによれば、署員の質問の内容は、清次名義の預金より払戻された八〇万円の使途の点であつた旨供述していて、両者の供述にくい違いがあり、更に右証人片山の証言によれば、小寺、豊原両調査官が片山の居る処から二階へ上つたのに、同人は格別これを制止しようともしなかつたし、又自らも二階へ上がつて立会うこともしていないと云うのであつて、片山は清次の個人企業時代からの従業員で現に経理部長の地位にあり、清次の容態等について知悉しているものとしては(証人片山の証言)同人の右態度はいかにも不自然といわなければならない。
以上を考えあわせると、証人片山及び原告ふさ子の前記各供述部分は容易に措信し難い。又証人富永隆美の証言中にも、調査官が二階に上つて直接清次に質問した旨の証言が存するけれども右証言部分は伝聞であつてたやすく信用することは出来ない。そして他に右原告ら主張の事実を認めるに足る証拠は存しない。
四 右三に認定したところによると、本件調査に当り兵庫税務署の調査官らが直接清次に対して違法、不当な調査を行つたものと言うことは出来ない。ところで弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一号証と証人村田玄二の証言とによると、清次の直接の死因は肺性心(重症の肺結核症の場合肺の血液循環が悪くなり心臓が衰弱する症状)であり、同症は重症の肺結核患者が精神的シヨツクを受けた場合とか夏季の食欲不振等によつて惹起されるものであることが認められるが、清次が本件調査によつて精神的シヨツクを受け、これが右肺性心を惹起せしめる一因となつたとしても、右調査に格別違法不当の点がない以上、右結果発生の事実のみから右調査に当つた調査官らが違法に清次に損害を与えたものと言うことは出来ない。
尚仮に証人片山及び原告ふさ子らの供述するとおり、九月一三日頃の調査の際に、小寺、豊原両調査官が二階に上がり清次に直接質問したことがあつたとしても、証人片山政雄の証言及び原告ふさ子の供述によると、右調査官らが清次の部屋に居たのは五分間ぐらいであり、またその質問の内容も前記の程度のものであつたと言うのである。そして斯様に家族の承諾もなく二階に上つて清次に直接質問することは法人税法一五三条以下に認める質問検査権の行使としては行き過ぎの点のあることを否定出来ないが、当時の清次の前記の如き健康状態から考えると、右質問を受けたこと自体が前記肺性心を惹起せしめる程の大きな精神的シヨツクを与えたものとは考えられないのであつて、むしろ同人が精神的シヨツクを受けたとすれば、それは前記の如く、当初九月九日の調査官の質問に対し、妻ふさ子を介して、清次の個人資産としての預金は神戸銀行、阪神相互銀行、兵庫相互銀行の各預金のみであり、又有価証券は大阪ガス、石川島播磨重工のもののみであると答えていたのに、その後同月一二日に至り、安田信託銀行にイズミセツコ名義の貸金庫を有し、これに多額の架空名義の預金等を有することを発見せられたのであつて、右預金等の原資が、清次の全く個人的な収益のみによるものか(尤もその中には原告会社からの役員報酬とか株式配当等も含まれるが)或いは原告会社の売上げの一部も入つているのかは、本件証拠上これを断定出来ないけれども、斯る謂わば多額の隠し預金等を発見せられたことによる精神的シヨツクの方が、前記質問を受けたことによるシヨツクよりはるかに大きいものであつたと推認されるのである。
そうだとすれば、本件調査に多少不当ないしは違法に渉る点があつたとしても、そのこと自体が清次の死因である肺性心を惹起せしめる原因となつたとは断定出来ないのであるから、何れにしても国家賠償法一条に基づく本訴請求は失当であつて排斥を免れない。
五 なお原告らは前記調査の違法ないしは不当の理由として兵庫税務署のなした前記五事業年度の法人税の更正処分等に於ける事実誤認を主張するが、右処分に事実誤認があるからといつて直ちに本件調査が違法ないしは不当となるものではないし、又右処分が事実誤認に基づくものであると云う事実自体本件全証拠によるも未だこれを肯認し得ない。
六 また原告らは被告に対し、違法ないしは不当な本件調査によつて清次が死亡したことを前提として仮定的に民法の不法行為による損害賠償責任を追及するが前説示の通り本件調査に何ら違法ないしは不当の点がなく、仮に多少質問検査権の行使として行き過ぎの点があつたとしても、これと清治の死亡との間の因果関係の存在を認め得ない以上不法行為も成立する筈はなく、この点の原告らの主張も失当である。
七 結論
そうとすれば、その余の点について判断するまでもなく原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 林義一 裁判官 棚橋健二 裁判官 則光春樹)