神戸地方裁判所 昭和45年(行ウ)9号 判決 1974年2月06日
西宮市甲子園口一丁目一四番八号
原告
福武幸吉
右訴訟代理人弁護士
田井董
西宮市江上
被告
西宮税務署長
佐藤与三
右指定代理人
二井矢敏朗
同
田中晃
同
佐々木達夫
同
立川正敏
同
畑中英男
同
安岡喜三
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(当事者の求める裁判)
(一) 原告
被告が昭和四三年一一月二五日付で原告の同四一年度分の所得税につき、その所得金額を一二、七八〇、六七六円として又同四二年度分の所得税につきその所得金額を一一、九八三、二四九円としてなした更正決定のうち、右昭和四一年度分については所得金額一一、七七九、七一七円を超える部分及びその超過分に対する所得税額五五〇、〇三〇円竝びに之についての加算税三一、〇〇〇円、右昭和四二年度分については所得金額一〇、九八八、一五〇円を超える部分及びその超過分に対する所得税額五四七、二五〇円竝びに之についての加算税三一、〇〇〇円の賦課決定を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
(二) 被告
主文同旨。
(原告の主張)
一、原告は会社役員で給与所得のほか配当不動産所得がある。
二、原告は被告に対し昭和四一年度分所得金額を一一、七七九、七七一円、所得税額を三、三三四、八三〇円、同四二年度所得金額を一〇、四九七、〇〇〇円、所得税額を三、〇三四、五〇〇円として確定申告をしたところ、被告は昭和四三年一一月二五日付を以て、原告の昭和四一年度分所得金額を一二、三三八、〇〇〇円、所得税額を三、九六〇、〇〇〇円とする更正決定竝びに過少申告加算税三一、〇〇〇円の賦課決定をなし、又同四二年度分については右所得金額を一〇、九八八、一五〇円所得税額を三、六五六、四〇〇円とする更正決定竝びに過少申告加算税三一、〇〇〇円の賦課決定をなしその旨原告に通知した。
三、しかしながら右更正決定のうち、各確定申告にかかる所得金額、所得税額を超える部分は違法であり、従つて亦各過少申告加算税の賦課処分は違法であるから取消しを求める。
四、被告の主張一、但し書の事実竝びに二、の事実中、原告が被告主張不動産を所有し之を株式会社関西鋳造所に賃貸している事実は認めるがその余の事実は争う、原告は昭和三五年三月同三四年度分所得税申告に際し、不動産所得金額として金三、九〇〇、〇〇〇円と申告したところ、之に対し所轄西宮税務署長は同三七年一月二六日付で三四年度分不動産収入に対し経費が過剰につき(収入金額の二〇%が経費となる)所得率を八〇%とすることを理由として所得金額を四、八〇〇、〇〇〇円と更正決定をなした。原告は右更正決定による納税指導に従つて納税をなし、その後もこの指導を信頼して昭和四〇年度分に至る間の六年間にわたつて所得税申告には右所得標準率に従つて不動産所得額を算出しそれに基く税額を完納して来た。ところで現在の税務行政の実務にあつては、納税義務者に帳簿等の備付けが全くなかつたり、帳簿があつても不正確であるなどのため収支計算が不明な場合が少くなく、税務当局はこのような場合は業種別に標準経費率を定め、之により所得額を認定し税額を決定している。このような標準率は税務署が管内の標準と認められる納税者を対象として調査した収支計算の歩合を国税局が集計し統計的に検討を加え、可及的に信頼度の高いものとなつているもので、厳密な収支計算のできない或は計算が不明な場合に納税義務者の所得を出来得る限り近似的に捕捉するために案出された合理的方法であり、従つて推計課税において標準率が実際に営む機能に鑑ると標準率は徴税事務の単なる資料ではなく、税務当局による課税標準、税額決定のための法則的なものとして適用されているものである。
そして、前記の如き更正決定理由は納税義務者に対する行政指導と解され、原告がその指導を信頼し之に従つて五年間にわたり納税をして来たのに拘らず之を変更すべき特別の理由を通知することなく前記指導に反し自ら示した標準率を否定する課税処分をなしたことは禁反言の原則乃至信義誠実の原則に反する違法なものである。
(被告の答弁竝に主張)
一、原告主張一、二の事実は認める。
但し原告の昭和四二年分確定申告につき税額の計算に誤算あり被告は同四三年六月二九日付で申告税額二、九九七、二〇〇円を三、〇三四、五〇〇円と更正し、過少申告加算税一、八〇〇円と再更正処分をした。尚訴外大阪国税局長は原告の審査請求に基き審査の結果、原処分の経費算定を増額し、更正所得の一部を取消した。確定申告額、更正額、再更正額、裁決額は別表記載の通りである。
二、課税の根拠
原告はその所有する大阪市西淀川区御幣島四丁目九番地の二所在土地及び工場を株式会社関西鋳造所に賃貸し、同四一年分及び同四二年分とも年額六、〇〇〇、〇〇〇円の収入を得ているが、被告の所得税調査に際しその必要経費につき説明をしなかつたので被告において調査したところ、公租公課及び建物の減価償却費が判明した。即ち
(一) 公租公課
昭和四一年分 八四、三一〇円、 同四二年分 九〇、一七〇円。
(二) 減価償却費
<省略>
但し
(1) 取得価額は原告がその価格を明にしなかつたため、固定資産税台帳の評価額を取得価格と算定した。
(2) 残存価格は、減価償却資産の耐用年数に関する省令別表第一一掲記の割合により取得価格の一〇%とした。
(3) 償却方法は原告が償却方法の届出をしなかつたので所得税法施行令一二五条一号により定額法とした。
(4) 償却の基礎とする金額は取得価格より残存価格を控除した金額である。
(5) 耐用年数は減価償却資産の耐用年数に関する省令別表第一掲記の建物の木造又は合成樹脂造のものの工場用又は倉庫用のもののうち、その他のもの一六年を適用した。
(6) 償却率は減価償却資産の耐用年数に関する省令別表第一〇減価償却資産の償却率表により六分二厘とした。
以上の公租公課、償却金額の合計額を必要経費として賃料より控除し、不動産所得金額を昭和四一年分五、七二六、一六〇円、同四二年分を五、七二〇、三〇〇円と算定し本件更正処分、再更正処分をなしたものである。
三、原告主張禁反言の法理は本件の場合には適用がない。
被告は原告の昭和三四年三五年分不動産所得申告に際し、必要経費の内訳を明によるよう求めたが、協力がえられず、その実額が把握できなかつたため、已むなく一般的経費率二〇%を適用し所得税更正処分をなし、以後原告は同四二年分迄収入金額の二〇%を必要経費とする不動産所得の申告をした。そして前記の通り同四二年分の所得税につき原告の申告内容を調査した際、再び必要経費の実額の明示を求めたが原告は之に応じないため調査の上本件処分となつたものである。
ところで禁反言の法理は租税法律主義の原則の支配する租税法の分野にも妥当するとしても、本件更正処分は右法理に反するものではない。即ち
(一) 昭和三四、三五年分不動産所得についての更正処分通知書は当該各年度分の更正の理由として経費額認定の根拠を示したものに過ぎず、被告は再三その実額を明にするよう求めているのであるから、将来にわたり経費額を二〇%とする旨の意思表示をしたものではない。右通知は常に経費額を二〇%にしなければならないとの効力を生ずるものではないから、禁反言法理の表示に該らない。
(二) 原告のように被告に対し必要経費の実額を明かにしなかつた者は、事実上の行政作用を信頼し、行動したことについて何等責めるべき点のない善良、誠実な市民であるとは云えないから右法理の適用はない。
(三) 若し一般的な経費率を適用すれば必要経費額は一、二〇〇、〇〇〇円にのぼり、所得税法の法条に違反する結果になる。
(証拠関係)
原告は甲第一、二号証、第三、第四号証の各一、二を提出し、乙第一号証の成立を認めると述べ、
被告は乙第一号証を提出し、甲号各証の成立を認めると述べた。
理由
一、原告主張一、二の事実竝びに原告がその所有する被告主張土地建物を株式会社関西鋳造所に賃貸していることは当事者間に争がなく、右不動産の昭和四一年分竝びに同四二年分の賃料が六、〇〇〇、〇〇〇円であることは弁論の全趣旨に鑑み計算上之を認めることができる。
二、本事件の争点は原告の昭和三四年分の所得税申告に際し、前記不動産所得の必要経費が過剰であるから収入金額の二〇%を経費とする旨の更正決定をなし、原告は右更正決定に基き納税をなし、以降昭和四〇年分に至る迄右割合を以て必要経費を計算し納税して来たところ、同四一、四二年分については被告主張の如く右不動産に対する公租公課と償却金額の合計額を必要経費として更正決定竝びに再更正決定をなしたこと(以上の事実は当事者間に争がない)が、信義誠実の原則乃至禁反言の原則に違反し違法であるか否かに尽きるから判断する。
およそ民法第一条に規定する信義誠実の原則竝びに信義誠実の原則の倫理的原則として発展した禁反言の原則は元来私法関係を対象とするものであるが、同時にそれは法の一般原理であつてその趣旨は公法関係にも妥当するものであると解せられる。
ところで、申告納税方式における租税債権の確定は納税者自らが行う納税申告によることを基本とするから、適正な租税負担の実現は納税者の適正な申告をまたねばならない。そして、納税者自らが租税債権を適正に確定しないときは、税務官庁は、当該租税債権を確定させるために調査権を行使することになるが、租税法は他方租税収入を能率的に、簡易迅速にあげることを企図しているから、常に調査権を行使し、実額調査の方法により所得額等を決定しなければならないわけではなく、適当な合理的推計の方法によることも許されるところである。
従つて、納税者の行う納税申告に一部不明な点があるとき、適当な推計方法により所得額を確定し、その後も同様な推計の方法を利用し課税を続けた場合と雖も後に至つて実額調査の方法により所得を確定することは何等違法ではない。その推計の方法について税務官庁より示唆されるところがあり、以後納税者がその申告に右推計を使用して来た場合にあつても、本来納税者の申告自体適正を欠いているのであるから、この理はかわりがないと云うべきである。
そして甲が乙のなした表示に信頼し、それに基いて自己の地位を変更したときは、乙は後になつて自己の表示が真実に反していたことを理由としてそれを翻すことができないとする禁反言の原則は、納税者が納税申告において、自己に知れた事実を故意又は重大な過失により申告しなかつた場合に迄適用されるものではない。本件においては原告が納税申告をするにあたり、必要経費の内訳は特段の事情のない限り之を明にすることができた筈であるのに、原告において殊更に之を明かにしなかつたことを自ら考慮することなく、禁反言の原則の適用を主張する如きことは許されないと解すべきである。
そして、成立に争のない乙第一号証と被告主張事実によれば、その必要経費額の算定は正当であるから、原告の請求は之を棄却することと、訴訟費用負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 松浦豊久 裁判官 鈴木清子 裁判官 片岡博)
別表
<省略>