神戸地方裁判所 昭和53年(ワ)527号 判決
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【判旨】
三そこで、右解約の申入に正当事由があるか否かについて検討する。
1 次の事実は、当事者間に争いがない。
(一) 被告は、本件係争部分を、その経営するコピー業に使用する目的で賃借したものであり、現在、本件係争部分に、コピー機械三台と切断機一台を置いている。コピー機械のうち二台はアンモニアの使用を必要とするものである。
(二) 昭和五一年一月頃、原告は被告に対し本件係争部分の明渡を要求し、被告は移転先がみつかれば明渡す旨応答してそれに要する費用の計算書を示した。昭和五二年八月、原告は神戸簡易裁判所に貸室明渡方の調停を申立てた。同年一〇月一四日から昭和五三年五月一五日までの間に八回の期日が開かれ、席上、被告が、移転先さえあれば明渡す旨主張したので、原告は、七件ばかり移転先を提示したが、被告はそれぞれ理由をつけてこれを断つた。原告は、破転するならとりあえず敷金全額を返還し、移転費用として一〇〇万円支払う旨申出たが、結局、調停は不調に終つた。
(三) 原告の妻は、昭和五四年五月一四日、脳出血、蜘蛛膜下出血で入院したが、退院後本件家屋の一階に居住して生活している。
2 <証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件家屋は、貸事務所付住宅(一階が住宅、二、三階が事務所、四階が二、三階事務所の宿直室)で、外壁はボンタイル吹付(一部リシン吹付)がなされている。原告は、妻とともに一階住宅部分に居住し、本件係争部分を被告に、三階事務所を高木設計事務所に、各賃貸している。四階は、従前は居住用に使用されていた模様であるが、現在は空室となつている。
(二) 原告は、被告が本件係争部分においてコピー業を営むものであることを了承のうえで、本件賃貸借契約を締結したものである。被告は、本件係争部分において、午前八時四五分から、通常は午後八時前後まで、時には午後一一時頃まで、営業をしている。
(三) 被告は、現在、本件係争部分に、リコピーSL二(幅一四七センチメートル、奥行114.6センチメートル、重量一九〇キログラム。本体最下部の奥行が最大奥行となつており、本体を支える四本の脚部の前後の間隔はほぼ最大奥行に等しい。)、リコピーPL四(幅一七七センチメートル、奥行一一〇センチメートル、重量七〇〇キログラム。本体の最下部の奥行は最大奥行よりかなり狭く、これを支える四本の脚部の前後の間隔は最大奥行よりかなり狭い。)及びキャノンNP五〇〇〇の三台のコピー機、並びに切断機一台、仕事台二個を買き、リコピーPL四、キャノンNP五〇〇〇の二台を使用して、営業している。
リコピーSL二は、契約の当初に、原告の了解のもとに搬入したものである。
リコピーPL四は、厚強鉄板(一八二〇×九一〇×六ミリメートル)を敷いて用いている。右鉄板は、原告の依頼を受けた本件家屋の設計者進木建築事務所の係員の指導により、重量拡散の用に供するために、株式会社安英工務店に作らせたものであるが、それは、前記のリコピーSL二、リコピーPL四の各幅、本体最下部の奥行(脚部の前後の間隔)及び重量からみて、リコピーSL二用にではなく、リコピーPL四用に作られたものであると考えられるところ、その代金は、昭和四八年一一月二五日切で、同年一二月三〇日に、安英工務店から原告に請求されている。これらの事実から、リコピーPL四は、原告の了解のもとに、昭和四八年秋頃には既に、本件係争部分に搬入されていたものと推認される。
キャノンNP五〇〇〇は、昭和五二年二月二三日に、それまで使用していたキャノンNPL七(これが何時搬入されたかは定かでない。)と入れ換えて搬入されたものである。原告は、その搬入を現認しているが、その際特にこれに対して異議を述べた形跡はない(右入換えによつて特に騒音が増大したことをうかがわせる証拠はない。)
(四) 本件賃貸借の約一年後から、原告から被告に対して、機械の騒音がうるさいとの苦情が持込まれるようになつた。
原告の依頼により、財団法人兵庫県環境科学技術センターが、昭和五四年一月一〇日本件家屋一階の台所中央部にマイクロフォンを設置して行なつた原告居住部分の騒音測定の結果(九〇パーセントレンジの騒音レベル、単位はデシベル(A))は、本件係争部分の機械が稼働していた午前八時三〇分から午後七時三〇分までに三〇分毎に二三回測定したところでは、上端値が三八ないし四七、中央値が三三ないし三八、下端値三一ないし三六で、右機械が停止したのちの午後七時四五分には、上端値が三九、中央値が三一、下端値が三〇であつた。右は、車の騒音(それは、概して大きく、その上端値は五六を示している。)等をも含むものであるが、本件係争部分からの騒音は、その顕著に多く出ている午前一〇時四五分頃及び同時五七分頃において、ほぼ三五ないし三六であり、なお、単発的に、五〇を超える測定値も記録されている。
被告本人は、原告の案内で一階の原告方居室に行き、本件係争部分からの騒音を聞いたことがあるが、四六時中音がするわけではないが、よく聞えるとは思つた、旨供述している。
(五) 原告の妻は、退院後も安静加療必要と認むという診断のもとに昭和五四年五月二六日退院し、以後自宅で安静を心掛けているが、大体は起きており、掃除、買物等の日常生活上の行動に支障があるほどではない。
(六) リコピーSL二、リコピーPL四はアンモニアの使用を必要とするものであるが、被告は、これらを、本件係争部分の南端に、東西に並べて設置しており、当初、原告の許可を得て、本件家屋西側に臭気抜きの煙突を設けた。昭和四九年秋頃、被告から右煙突を高くさせてもらいたい旨の要請があつたが、原告はこれを断つた。しかし、本件家屋の西隣のアパート、ニュー永楽荘の住民から、右の煙突からの排気の悪臭に迷惑しているから善処されたい旨の苦情の苦情が持込まれたので、原告は、昭和五一年頃、これを四、五十センチメートルあけた。
(七) 現在、右煙突の排気口付近部分の本件家屋の外壁は、かなりの範囲にわたつて変色しており、その程度は、煙突排気口に近づくにつれてひどく、その近くでは、壁面の塗料が変質してひび割れができているが、それは、被告が使用しているリコピーPL四等から発生するアンモニアガスによつて生じたものである。もつとも、右外壁中、太陽の紫外線によつて光沢が失われている部分と右変色している部分との区分は必ずしも明らかではないが、アンモニアガスによつて変質、変色した範囲の右外壁全体において占める割合は左程大きなものではない。ところで、原告が豊田建築事務所に見積をさせたところでは、右外壁の吹付修復は、右変質、変色した部分のみをやり直すのではむらになるから、以前のようにするためには全体をやり直すほかはなく、そのためには費用として一五九万九〇〇〇円を要するとのことである。
(八) 原告本人は、堪えられないのは臭気よりも騒音である旨、供述している。ニュー永楽荘の住民は、その後も悪臭についての苦情を原告に持込んでいる。本件家屋三階事務所を賃借している高木設計事務所は、午前九時頃から午後一〇時頃まで営業しているが、その借主から被告係争部分の使用に関して苦情が出たことはない。
(九) 被告は、原告からの苦情に対し、防音防振のため、カーペットを敷いたり、パッキングを使用したりし、なお、建築業者に所要事項の問合せをしたうえ、原告に対して防音、防臭装置を設けたい旨申入れたが、天井の裏に梁をつけなければならないから困るという理由で断られた。また、被告は、調停の席上、騒音対策の一つとして、原告との使用階の交換を提案したが、断られた。
(十) 被告は、本件係争部分において営むコピー、製本業によつてその生計を維持しているところ、その大口の顧客は本件家屋の付近に存在しているが、遠く離れるのでないかぎり、これらを維持しえないわけではなく、したがつて、本件係争部分に事務所を置くわけでなければその営業ができなくなるわけではない。また、事務所の移転のみであれば丸一日もかければ可能である。そこで、被告としては、従前から、適当な移転先があれば本件係争部分を明渡してもよいと考えて、自らも移転先を物色してきたが、移転費用や移転先における造作に要する費用等は別としても、本件係争部分程度の建物を借受ける場合、昭和五二年頃で、安くても三〇〇万円、普通で五〇〇万円程度の敷金を必要とし、賃料は月額一二万円位となるので、経済的に可能であり、営業継続が可能な立地条件にあつて、本件と同様の紛争が起る可能性がないというような場所を見出すことができないまま、現在に至つている。なお、被告は、原告が提示した物件は全て検討したが、それらは既に自ら物色していたものが多く、その余のものも適当な移転先ではなかつたので、被告主張のような理由をもうけて、全てを断つた。<証拠判断略>
3 前記2の(二)、(三)で認定した事実からすれば、本件賃貸借により、原告は、特段の制限を付することなく、被告が本件係争部分においてコピー業を営むことを承諾したものと推認するほかはなく、また、前記一で認定した事実によれば、それは、相当長期間にわたることを予定していたものと推認される。
そうすると、賃貸人たる原告としては、本件係争部分においてコピー業を営む場合に通常生ずる程度の騒音、悪臭は当然予想し、これを甘受するつもりであつたというべきであり、したがつて、その程度の騒音、悪臭は、原告においては当然甘受すべきものであり、また、近隣居住者から苦情がでたとしても、これをもつて直ちに賃貸人、賃借人間の信頼関係を破壊する不信行為ということはできない。ただ、右騒音、悪臭が通常の予想を越える程のものであり、あるいは、その後通常の予想を越える騒音、悪臭を発するに至り、賃貸人自身あるいは近隣居住者に耐え難い迷惑を及ぼすに至つた場合には、前記の不信行為として、正当事由の一となりうるものと解するのが相当である。
ところで、前記一及び二の1・2で認定した事実関係によれば、本件係争部分において被告の営むコピー業はかなりの騒音、悪臭を発生させて原告らを悩ませていることは明らかであるが、さりとて、それが本件係争部分程度の事務所におけるコピー業から発生するものとして明らかに通常の予想を越える程のものであるとは、未だ認めがたいところであり、しかも、被告の申出にかかる防音、防臭装置を設けることによつて事態を改善する余地も残されているのであつて、前記二の1の(三)及び2の(五)の事実その他右認定にあらわれた原告・被告双方の諸事情を考慮しても、原告の本件賃貸借解約の申入に正当事由が存するものとは認めがたいところである。
(富澤達)