神戸地方裁判所 昭和54年(ヨ)29号 判決 1981年3月13日
債権者
森田能彰
債権者
古高義則
右債権者両名訴訟代理人弁護士
永田徹
(ほか三名)
債務者
株式会社丸大運送店
右代表者代表取締役
見満正信
右訴訟代理人弁護士
竹林節治
(ほか二名)
主文
債権者らが債務者に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定める。
債務者は、債権者森田能彰に対し金三四万六〇六〇円及び昭和五四年一月一日から本案判決言渡しに至るまで、毎月末日限り月額二〇万四三一〇円の割合による金員を、同古高義則に対し金一一四万一八八八円及び同日から本案判決言渡しに至るまで、毎月末日限り月額一五万二六一六円の割合による金員をそれぞれ仮に支払え。
訴訟費用は債務者の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
主文同旨
二 申請の趣旨に対する答弁
1 債権者らの申請をいずれも却下する。
2 訴訟費用は、債権者らの負担とする。
第二当事者の主張
一 申請理由
1 債権者らは、いずれも債務者に雇用され、その従業員として勤務してきたものであり、債務者は、貨物自動車運送事業を目的とする資金二〇〇〇万円の株式会社である(以下「債務者会社」という)。
2 債務者会社は、債権者森田に対して昭和五三年一一月一三日以後、同古高に対して同年五月一五日以後、各従業員たる地位を争ってその就労を拒否し、賃金を支払わない。
3 債権者森田が債務者会社から支給を受けた同年八月から一〇月まで三か月分の賃金の平均月額は、二〇万四三一〇円である。したがって、同債権者が債務者会社から前記就労拒否以後支払を受けるべき賃金は、右平均月額の同年一一月と一二月の二か月分合計金四〇万八六二〇円から既に支払を受けた金六万二五六〇円(同年一一月分の一二日間分)を控除した金三四万六〇六〇円と昭和五四年一月一日から一か月当り金二〇万四三一〇円となる。
債権者古高が債務者会社から支給を受けた昭和五三年二月から四月まで三か月分の賃金の平均月額は一五万二六一六円である。したがって、同債権者が債務者会社から右就労拒否以後支払を受けるべき賃金は、右平均月額の同年五月から一二月まで八か月分合計金一二二万〇九二八円から既に支払を受けた金七万九〇四〇円(同年五月分の一四日間分)を控除した金一一四万一八八八円と昭和五四年一月一日から一か月当り金一五万二六一六円となる。
4 債権者らは、いずれも賃金のみを生計の手段とする労働者であり、扶養すべき家族も多い。近年の長期構造的不況の下で労働者の生活は著しく切り詰められており、特に高令者男子にとって再就職の途も固く閉されている。したがって、債権者らは本案判決を待っていては回復し難い損害を被ることになる。よって申請の趣旨のとおりの裁判を求める。
二 申請の趣旨に対する答弁
1 申請理由1は認める。
2 同2は認める。
3 同3のうち、債権者ら主張の各三か月間の賃金の平均月額及び各一部支払済金額は認めるが、その余は争う。
4 同4は争う。
三 抗弁
1 債務者会社は、昭和五二年八月就業規則を改正し(右改正就業規則を以下「本件就業規則」という。)、新たに、「従業員が次の各号の一に該当する場合は退職とする。(略)(2)定年に達したとき」(三七条)、「定年は男子満五七才、女子は満五二才とし、離職は定年の日から一年後とする」(三八条一項)、「定年到達後も業務上必要と認められた場合は再雇用されることがある。但し期間は一年とする」(同条二項)との各規定(以下、これらの各規定を「本件定年制条項」または「本件定年制」という。)を置いた。
2 債務者会社は、債権者らに対し、次のとおり本件定年制条項を適用した。
(一) 債権者森田は昭和五二年一一月一二日をもって満五七歳に達するものであったので、債務者会社は、同月八日同債権者に対し、同月一二日をもって定年退職となり、右退職後一年間を再雇用期間として右期間経過後離職せしめる旨通知した。
(二) 債権者古高は、本件定年制制定当時既に満五七歳の定年を超え、昭和五三年五月一四日をもって満六〇歳に達する者であったので、債務者会社は、経過措置として、同債権者を右同日まで再雇用として扱うこととし、昭和五二年一一月八日同債権者に対し、右の旨及び右再雇用期間満了により離職せしめる旨通知した。
したがって、債権者森田は昭和五三年一一月一二日をもって、同古高は同年五月一四日をもって、それぞれ前記各再雇用期間の満了により債務者会社の従業員の地位を喪失したものである。
四 抗弁に対する答弁
1 抗弁1の事実は認める。
2 同2の(一)の事実は認める。
同2の(二)の事実のうち、債権者古高の年令及び債務者会社が、その主張のころ同債権者に対し、本件定年制所定の定年経過及び再雇用の通知をしたことは認めるが、債務者会社主張の、再雇用期間を示しこれが経過後は離職せしめる旨通知したことは否認する。
3 同3は争う。
五 再抗弁
債務者会社が本件就業規則において新たに採用した本件定年制は、次に述べるとおり、合理性のないものであり、債権者らは、いずれもこれに同意していないから、本件定年制の効力を受けず、したがって、これの適用によって債務者会社の従業員たる地位を失うものではない。
1 本件定年制は、債務者会社の経営上、必要性のないものであるだけでなく、定年退職者に対する退職金の支給措置を講じないという過酷なものであるから、合理性のないものというべきである。
2 また、本件定年制の制定及びその債権者らに対する適用は、不当労働行為に該当する。
すなわち、
(一) 昭和五二年六月二六日、債務者会社の運輸部門事業場従業員全員で全国自動車運輸労働組合神戸支部丸大運送店分会(後に「全日本運輸一般労働組合神戸支部丸大運送店分会」と名称を変更、以下「分会」という。)が結成され、債権者らもその組合員となった。
(二) 債務者会社は、社長の見満正信ほか見満一族の牛耳るワンマン的同族会社であるが、右分会結成直後からこれを嫌悪し、社長以下一族が分会の切り崩しを開始し、分会員一人ひとりを呼び出しては「組合ができたら会社がつぶれる」「どうせやるなら同盟系の組合になれ」、「組合に入れば妻子が困るぞ」等と申し向けて分会からの脱退を勧奨した。その結果、債務者会社の意に従った二〇余名の分会員が分会から脱退して同月三〇日ころ同盟交通労連丸大運送労働組合(以下「交通労連」という。)を結成し、分会は、組合員が債権者らを含めて九名(現在は六名)に減少し、重大な打撃を受けた。
(三) さらに、債務者会社は、分会員に対しては残業手当等多くの収入がある長距離運行や、運転手らの作業負担が軽く長距離運行による割増賃金も期待できる東洋製罐の荷の運送業務等に就かせないなどの賃金差別を加えるとともに、分会に所属する債権者らが高令であることに着目し、交通労連には高令者がいないのを奇貨として、本件定年制を新設したのである。
(四) 以上のとおり、債務者会社の本件定年制条項の新設及びその債権者らに対する適用は、分会の破壊を目的とするものであって、労働組合法七条一号の不当労働行為に当る不合理なものである。
六 再抗弁に対する答弁
1 再抗弁冒頭部分は争う。
2 同1は争う。
3 同2について
(一) 同(一)のうち、昭和五二年七月に分会が結成されたこと及び債権者らが分会員であったことは認めるが、債権者古高の分会加入時期については否認する。同債権者が分会に加入したのは同年一二月二〇日過ぎである。
(二) 同(二)のうち、債務者会社が社長見満正信ほか見満一族の同族会社であることは認めるが、その余は争う。
(三) 同(三)のうち、債務者会社が分会員に東洋製罐の荷を運送させていないことは認めるが、その余は争う。
(四) 同四は争う。
4 本件定年制の合理性について
(一) 債務者会社の従前の就業規則は、昭和二八年四月一四日作成のもので、それから既に二〇年以上経過しており、定年制を採用していなかった点を含めて現在の社会経済情勢にそぐわない点が多かったので、債務者会社は、昭和四九年頃から就業規則の改正の検討に入り、翌五〇年三月、定年制条項を含む改正原案を作成した。
(二) 債務者会社は、昭和四八年以前は好況で運転手の出入りが頻繁にあったため、任意退職のほかに自然減としての定年制を導入しなくとも特に問題なかったが、昭和四八年のいわゆるオイルショック以後の構造不況下で、仕事量が減少するとともに運転手、作業員の勤務年数の長期化、高令化とそれによる労働能率の低下を来し、業績が悪化してきていたところ、特に昭和五一年度の決算において収益が激減したことから、人件費削減のため定年制を実施しなければ会社が存続できないような事態に追い込まれた。
(三) そこで、債務者会社は、同業他社や兵庫県下における中小、零細企業等の定年制実施の実態調査をするとともに労働基準監督署の指導を受けて、前記改正原案を基に、昭和五二年七月二八日本件定年制を定めるなどの就業規則の改正を行い、同年八月一二日債務者会社従業員で組織する分会及び交通労連の意見を聴取した後、同月二九日労働基準監督署に就業規則変更届をした。
(四) ところで、昭和五二年当時、運輸業においては八六・五パーセントの企業で定年制が実施され、その定年年令も五五歳を採用するものが最も高い比率を占めている情況にあったのである。このような社会情勢において五八歳定年制を採用することはなんら不合理ではなく、むしろ、職務内容や作業環境が高年令者に適していないと思われる自動車運転業務については、定年制を実施して事故を未然に防止し、安全運転に心がけることこそが社会的責務を全うするゆえんである。
(五) また、債務者会社が定年制実施の検討に入ったのは分会結成前のことであったから、そこに不当労働行為意思が介在する余地は全くない。しかも、債権者古高が分会に加入したのは本件定年制実施後であったから、定年制の実施が同債権者に注目した分会破壊を目的とするものであるはずがない。さらに、債務者会社は、本件定年制の新設を含む就業規則の改正について昭和五二年八月、分会に意見の開陳を求め、分会から定年年令を六〇歳に改めるべきである旨の意見書の提出を受けたが、同年中に分会から本件定年制につき抗議、団体交渉の申し入れ等を一切受けなかったので、分会において本件定年制もやむをえないと了解したものと判断し、これを債権者らに適用したのである。また、全日本運輸一般労働組合兵庫県地方本部並びに傘下二九分会と兵庫運輸経営協議会を中心とする二九社との間には、昭和五四年春闘交渉の結果成立した統一協定において、債務者会社における定年年令より低い五六歳定年制が採用されているのである。
(六) 以上、いずれの点よりしても、本件定年制制定が合理性を有するものであることは疑う余地はないし、その制定手続も適法でなんら問題なく、もちろん不当労働行為に当るものではない。
第三疎明関係(略)
理由
一 申請理由1の事実は、当事者間に争いがない。
二 債務者会社が昭和五二年八月就業規則を改正して新たに本件定年制を定めたことは、当事者間に争いがない。
また、債権者森田は同年一一月一二日をもって本件定年制の定年年令満五七歳に達するものであり、同古高は、右定年制制定当時既に定年年令を超える満五九歳で、昭和五三年五月一四日をもって満六〇歳に達するものであったこと、債務者会社は、昭和五二年一一月八日、債権者森田に対し、同月一二日をもって定年退職となり、その後一年間を再雇用期間として右期間経過後離職せしめる旨通知し、同古高に対し、既に定年年令に達しているので再雇用として扱う旨通知したことは、当事者間に争いがなく、(人証略)によれば、債務者会社は、債権者古高に対する右再雇用通知の際、併せて、満六〇歳に達するまでを再雇用期間とし、右期間の満了により離職せしめる旨通知したことが一応認められ、この認定に反する疎明資料はない。
三 債権者らは、就業規則の改正によって新たに定められた本件定年制は、合理性のないものであり、債権者らはこれに同意していないのであるから、債権者らに対して効力のないものである旨主張するので、以下この点について検討する。
1 一般に就業規則は、当該事業場内での社会規範たるにとどまらず、法的規範としての性質を認められるに至っているものと解されるから、当該事業場の労働者は、就業規則の存在および内容を現実に知っていると否とにかかわらず、また、これに対して個別的に同意を与えたかどうかを問わず、当然にその適用を受けるものというべきであり、このことは新たに作成、変更された就業規則についても同様であって、個々の労働者においてこれに同意しないことを理由としてその適用を拒否することは許されないが、新たな就業規則の作成、変更によって、労働者の既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、それが合理的なものでない限り、信義則に反し、権利の濫用に当るものとして許されないというべきである(最高裁判所昭和四三年一二月二五日大法廷判決、民集二二巻一三号三四五九頁参照)。
ところで、労働契約に定年の定めがないということは、ただ雇用期間の定めがないというだけのことで、労働者に対して終身雇用を保障したり、将来にわたって定年制を採用しないことを意味するものではないから、就業規則で新たに定年制を定めたからといって、労働者の既得の権利を侵害するものとはいえない。しかし、使用者の労働者に対する解雇は、客観的にみて相当と認められる事由がない限り、解雇権濫用その他の法理によって許されないことが判例法としてほぼ確立するに至っているといえるのであって、雇用期間の定めのない労働者であっても、実質上、右のような事由のない限り、使用者から解雇によって一方的に労働契約関係を解消されることのない法的地位を保障されているというべきであるから、ただ定年に達したというだけの理由に基づいて労働契約関係が解消されることになる定年制は、労働者にとって不利益な労働条件を課するものといわざるをえない。
したがって、債務者会社が本件就業規則において本件定年制を定めたことは、就業規則を一方的に労働者に不利益に変更したものといわなければならない。
2 そこで、右就業規則の不利益変更に合理性が認められるかどうかについて、以下検討する。
(一) 一般に、定年制は、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化のために行われるものである。そして、(証拠略)によれば、兵庫県労働部が行った兵庫県下の運輸業(調査対象事業所数一二二)における定年制実施状況についての調査結果によれば、昭和五二年七月三一日現在、定年制は八六・五パーセントの事業所で実施され、その定年年令は五五歳と定めるものが最も高い比率(三八パーセント)を占め(もっとも、これに次いで高い比率を占めるものが七〇歳で二六・一パーセントあり、傾向として五五歳から六〇歳への移行過程にあると指摘されている。)、また、運輸一般兵庫地方本部(分会の上部団体)と兵庫運輸経営協議会との間に昭和五四年五月一一日締結された統一協定においては、定年制の最低定年年令は五六歳とする旨定められている(もっとも、債務者会社は右協定に参加していない。なお、右協定には、退職金規定のない企業は同年中に規定を確立することも定められている)ことが一応認められ、右事実に照らせば、本件定年制の定年年令自体も必らずしも不当なものとはいえない。また、本件定年制には、再雇用の特則が設けられ、一応同条項を一律に適用することによって生ずる苛酷な結果を緩和する途も開かれている。これらの点からすれば、本件定年制は、一応合理性を有するものといえなくもない。
(二) しかしながら、(証拠略)を総合すると、以下のとおり一応認めることができる。
(1) 債務者会社には設立以来労働組合はなかったが、昭和五二年六月二六日、債務者会社の運転手ら運輸部門の従業員二〇数名が同じく債務者会社の従業員の富岡隆宅に集り、分会結成の誓約書にそれぞれ署名して分会を結成し、分会は、その後、右運輸部門の従業員三五名のうち三二名を組織するに至った。ところが、これを察知した債務者会社は、分会が所属する全自運は過激な運動を展開する労働組合であり、会社にとって好ましくないと考え、同年七月八日頃から、社長の見満正信ら役員において、分会員に対し「全自運に入ったら次の就職にも困るし、子供らの就職にも困るぞ」、「同盟系の組合ならともかく、全自運はやめてくれ、片岡事件(全自運系組合の役員が他の組合員に殺害された事件)のようなことになってもいけない」、「分会をやめてくれないか」等と言って分会の全自運からの脱退や分会からの脱退を勧奨するようになった。しかし、分会は、同月一八日債務者会社に対し、分会結成の通告をするとともに、賃金等労働条件の改善、団体交渉の開催等を求める要求書を提出し、活動を開始した。ところが、同月三〇日、二六名の分会員が分会から脱退して前記富岡隆を委員長とする交通労連を新たに結成し、債務者会社にその届出をなすに至った。その結果、分会員は九名に激減した。
(2) 債権者森田は、タンクローリーの運転手であったところ、分会結成当初からこれに加入し、前記見満正信から同月一〇日と一三日の二回にわたって「若い者が組合をつくったが君はやめてくれないか」と分会からの脱退を求められたが、これを拒否し、交通労連の結成にも参加しないで分会にとどまっていた。債権者古高は、運転助手であったところ、当初は分会及び交通労連のいずれにも加入していなかったが、前記債務者会社からの定年退職、再雇用の通告を受けた後、これについて分会に相談に行ったのを契機に、同年一二月二〇日頃になって分会に加入した。
(3) ところで、債務者会社には、その前身であり、前記見満正信が個人で経営していた丸大運送店が昭和二八年四月作成し、労働基準監督署に届出ていた就業規則(以下「旧就業規則」という。)があったが、これが存在することは前記分会結成当時の従業員に対しては全く知らされていなかった。ところが、債務者会社は、同年七月下旬男子の満五五歳定年制を含む就業規則改正案を作成し、同月二八日労働基準監督署に相談に行くなどして、右改正案に右定年年令を含む一部修正を加えた後、同年八月一二日突然分会及び交通労連に対して本件就業規則を示し、これについての意見を求めた。本件就業規則は、旧就業規則にはなかった定年制(本件定年制)を採用するとともに、旧就業規則に比べて従業員の服務規律、懲戒事由等を一層強化する等、旧就業規則の規定を全面的に改定したものであった。そして、債務者会社は、同月二三日まず交通労連との間で、次いで翌二四日分会との間で各小委員会を開催し、さらに翌二五日右両組合合同の小委員会を開催してそれぞれ本件就業規則についての説明を行ったが、その際、分会が本件定年制条項の男子定年五七歳を六〇歳に引き上げるよう要求したのに対し、「再雇用制度があるのだから、年々再雇用していったらよい」旨答えた。その後、分会は男子定年を六〇歳に引き上げる旨の意見書を債務者会社に提出したが、債務者会社は、これを容れず、同月二九日本件就業規則を旧就業規則の変更として労働基準監督署に届出た。
(4) ところで、昭和四八年当時の債務者会社には多数の高年令従業員がいたが、その大半は倉庫作業部門の作業員で、主要取引先であった本州製罐株式会社の倉庫作業に従事していたものであったところ、債務者会社は、右会社が加古川市内に工場を移転したために右取引を打ち切られ、右倉庫作業部門が不要となったのでこれを廃止し、同年九月、二人を除くその余の右倉庫作業員約一二名に自主退職を求めてこれを整理し、また、同月以後、運転手一六名、運転助手一四名の退職者が出る一方、他方で新たに一〇名の運転手を採用した。その結果、債務者会社の高年令従業員は大幅に減少し、昭和五二年六月の分会結成当時には、従業員総数約四五名(運転手三二名、運転助手三名、事務員約一〇名)のうち五〇歳以上の者は四名、そのうち五五歳を超えていたのは債権者ら二名だけとなったが、この間、前記従業員の各退職について労使間に問題が生じたことはなく、従業員の削減、入れ替えは格別の支障もなく行われてきた。また、債務者会社の運転手及び運転助手の賃金は基本給と諸手当で構成されているところ、在職年数が影響するのは基本給だけであり、その基本給は、完全日給制で、在職年数による格差はそれほど大きいものではなかったし(なお、本件定年制制定後の昭和五二年一〇月に定められた債務者会社の賃金規定によると、基本給である日額は、最低三二一〇円から最高四一四〇円までの間の九段階の内から、能力、経験、作業内容等を勘案して決定するものとされている)、債務者会社は独自の退職金制度を置かず、昭和三九年に加入した中小企業退職金共済事業団の退職金制度によっていた(なお、これによる債権者らの退職金額は、在職二三年の債権者森田において約三八万円、在職一八年の同古高も右と同額程度である)。したがって、分会結成当時、債務者会社においては、従業員の年令構成上、人事の刷新、人件費削減等のために定年制を採用しなければならない程の事情は存在しなかった。
以上の事実を一応認めることができ、(証拠略)中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして措信できない。
右認定の事実関係に照らして考えれば、債務者会社は、分会が結成されたことにより、全自運の指導下で激しい分会活動が展開されるようになるのではないかと恐れ、分会の破壊ないし弱体化を狙って分会員に対する脱退勧奨等を行う一方(前記認定の交通労連結成の経過に照らせば、交通労連は債務者会社の影響のもとに結成されたものと認めることもできる。)、他方で、右のような分会活動に対処すべく、企業秩序の維持、強化を図って本件就業規則を制定したものと認めることができる。そして、これに、本件就業規則制定当時既にその定年を超え、あるいはこれを間近に控える従業員は債権者らのほかにはなく、そのうち債権者森田は債務者会社の脱退勧奨を拒否して分会にとどまっていたものであり、同古高はまだ分会には加入していなかったもののこれに加入する可能性のあったものであること(このことは、交通労連結成前には運輸部門従業員三五名中三二名もが分会に加入し、交通労連結成後は、同組合が債務者会社の影響下に結成されたものであるにもかかわらず、同債権者はこれに加入せず、後に分会に加入したことから認められる。)、その他債務者会社における定年制導入の必要性の程度等を合わせ考えれば、本件定年制もまた、人事の刷新、人件費の削減等経営の改善を目的としたものというよりは、むしろ前記分会対策の一環として、分会の弱体化を企図し立案、制定されたものと認めるのが相当である。
債務者会社は、旧就業規則が社会情勢に適合しなくなったので、昭和四九年頃からその改正の検討に入り、翌五〇年三月本件就業規則の基になった定年制を含む改正原案を作成していたのであるから、本件就業規則の制定は分会対策となんらかかわりない旨主張するところ、(証拠略)及び川端証言は右主張に沿うものであり、また、同証言が右改正原案であるとする(証拠略)は、本件就業規則(<証拠略>)と対比すると定年年令、再雇用期間等一部を除き殆んどこれと同一内容のものであり、その作成日付として「昭和五〇年三月」との記載もある。しかしながら、右(証拠略)及び川端証言中には、同時に、右改正原案は同人が作成したものであるが、同人はこれを上司の指示を受けて作成したのではなく、同人自身の判断で作成の必要性を感じ作成した旨の部分もある(右作成について、同人が上司の指示を受けたことを窺わせる疎明資料は他にない。)ところ、(人証略)によれば、右川端は、昭和五〇年三月当時、債務者会社の社会保険、給与計算等の事務担当者であったことが認められるのであって、このような立場の者が、上司の指示もないのに、独自の判断で、旧就業規則を全面的に変更する就業規則を作成するとは通常考えられないことである。また、もし仮に、右改正原案が昭和五〇年三月に作成されていたとすれば、本件就業規則が分会及び交通労連に示されたのは前記認定のとおり昭和五二年八月であるから、右改正原案作成から約二年五か月もの長期間改正手続がとられなかったことになり(その間、いかなる方法であれ就業規則改正についての債務者会社の意向が従業員に漏れたことを窺わせる疎明資料はない。)、このことは、債務者会社の主張及び川端証言にかかる前記の改正原案作成の理由に照らしても、余りに不自然なことといわざるをえない。したがって、前記債務者会社の主張に沿う(証拠略)の信用性は極めて疑わしく、これを採用することはできない。
また、債務者会社は、分会からは、昭和五二年八月に本件就業規則について意見書の提出を受けて以後、同年中に本件定年制につき抗議、団体交渉開催等の申し入れを受けなかったので、本件定年制については分会において了解したものと判断していたものであって、本件定年制を分会対策として利用する意図はなかった旨主張する。なるほど、(証拠略)によれば、分会は、昭和五二年八月前記認定の意見書を債務者会社に提出して以後、同年中に、本件定年制について債務者会社に抗議あるいは団体交渉の開催を申し入れたことはないことが一応認められる。しかし、(人証略)によれば、分会が右のような態度をとったのは、分会において本件定年制条項中の再雇用条項が年々再雇用を認める趣旨のものである旨の、前記認定の小委員会における債務者会社の説明を信用していたためであったところ、債務者会社が債権者らに対して右説明と異なる扱いをするに至ったので、分会は昭和五三年一月一四日本件定年制につき債務者会社に団体交渉の開催を申し入れたことが一応認められる。そして、本件定年制条項に徴すれば、本件定年制条項は、一方で、定年後一年間はなんらかの形で労働契約関係が当然に存続するような規定の仕方をしながら(三八条一項)、他方で、定年到達後は債務者会社の判断によって再雇用するか否かを決定し、再雇用する場合にはその期間を一年とする規定(同条二項)も置いているのであって、右各規定の関係はそれほど明確なものではなく、債務者会社が分会に説明したように、定年後の年々再雇用が可能であると解する余地もある不明瞭さを残しているものである。したがって、分会が、右再雇用条項について、債務者会社の前記説明を信じたことには無理からぬ点があったというべきであるから、分会が意見書提出後に前記のような態度をとったからといって、これによって、債務者会社の本件定年制の制定が分会対策を目的とすることの前記認定が左右されるものではない。
(三) そして、旧就業規則を変更し、本件就業規則によって定められた本件定年制は、前記認定のとおり分会対策の一環として設けられたものである以上、合理性を有しないものといわざるをえない。
そうすると、債務者会社における本件定年制の制定は、信義則に反し、権利の濫用に当るものであって、これに同意していないことの明らかな債権者らを拘束するものではないから、債権者らと債務者会社との間の雇用契約関係は、依然として存続しているものというべきである。
四 債務者会社が債権者森田に対し、昭和五三年一一月一三日以降就労を拒否し、金六万二五六〇円を支払ったほか同月分以降の賃金を支払わないこと及び同債権者が債務者会社から支払を受けた同年八月から一〇月まで三か月分の賃金の平均月額は金二〇万四三一〇円であることは、当事者間に争いがない。そうすると、同債権者は、債務者会社に対し、同年一一月及び一二月分合計金四〇万八六二〇円(204,310×2=408,620)から支払済の金六万二五六〇円を控除した金三四万六〇六〇円と昭和五四年一月一日以降一か月当り金二〇万四三一〇円の賃金債権を有するというべきである。
また、債務者会社が債権者古高に対し、昭和五三年五月一五日以降就労を拒否し、金七万九〇四〇円を支払ったほか同月分以降の賃金を支払わないこと及び同債権者が債務者会社から支払を受けた同年二月から四月まで三か月の賃金の平均月額は金一五万二六一六円であることは、当事者間に争いがない。そうすると、同債権者は、債務者会社に対し、同年五月から一二月までの八か月分合計金一二二万〇九二八円(152,616円×8=1,220,928)から支払済の金七万九〇四〇円を控除した金一一四万一八八八円と昭和五四年一月一日以降一か月当り金一五万二六一六円の賃金債権を有するというべきである。
五 債権者らは、いずれも、債務者会社から支給される賃金によって生活を維持してきたものであることは弁論の全趣旨によって一応認めることができるから、本案判決の言渡しを待っていたのでは回復し難い損害を被るものというべきであり、本件保全の必要性は認められる。
六 以上の次第で、債権者らの本件申請はいずれも理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 竹中省吾)