神戸地方裁判所 昭和55年(ワ)1239号 判決 1983年11月07日
原告
甲野太郎
原告
甲野花子
右両名法定代理人兼原告
甲野幸江
原告ら訴訟代理人
奥見半次
被告
国
右代表者法務大臣
秦野章
右指定代理人
饒平名正也
外三名
補助参加人
乙野次郎
同
乙野正子
右両名訴訟代理人
相馬達雄
豊蔵広倫
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用及び参加によつて生じた費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告甲野太郎(以下「太郎」という。)に対し金五〇〇万円、同甲野花子及び同甲野幸江に対しそれぞれ金二五〇万円並びに右各金員に対する昭和五五年一一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文第一項と同旨
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 被告敗訴のときは、担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 訴外A(当時五歳)は、同五五年八月三日午後〇時三〇分ころ、香川県小豆島郡内海町の東方5.5キロメートルの海上において、神戸から高松に向かつて航行中の関西汽船株式会社のジャンボフェリー生駒丸の航海船橋甲板の左舷デッキ付近から海中に転落して死亡した(以下「本件事故」という。)。
2 高松海上保安部は、同年九月二〇日ころ、右事故について記者会見を行い、「生駒丸の乗船名簿をもとに、Aがいたデッキで遊んでいたとみられる五歳から一五歳までの児童約七〇名から事情聴取をした結果、Aがデッキの手すりに腰をかけるようにして海を見ていたところへ、小学二年生の男子が近づき、『落としてやろうか』と言いながら、いきなりAの足を持ち上げて海へ突き落としたものであることが判明した。右小学生は、神戸市須磨区内において、母と姉の三人で暮らしているが、犯行を否認している。」旨発表した。
3 右発表に基づいてテレビ、新聞等の報道が行われ、原告太郎の関係者や近隣の者は、報道された犯人の年令や住所等から、同原告を犯人であると判断し、同原告のみならず、姉の原告甲野花子、母の原告甲野幸江を白眼視した。
これによつて、原告らは、精神的苦痛を受け、また、未成年の原告太郎及び同甲野花子は、今後の人生に大きな精神的負担を負わされることとなつたが、その慰謝料は、原告太郎において金五〇〇万円、その余の原告らにおいて各金二五〇万円が相当である。
4 高松海上保安部は、十分な捜査を行わずに、誤つて原告太郎を犯人と断定し、記者会見において、同原告の名誉に対する配慮を欠き、犯人が同原告であると容易に推測できる内容の発表を行つたものであるから、被告は、原告らに対し、右の慰謝料を支払うべきである。
5 よつて、原告らは被告に対し、国家賠償法に基づく損害賠償として、原告太郎において金五〇〇万円、その余の原告らにおいて各金二五〇万円並びに右各金員に対する本件違法行為後である同年一一月一五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。<以下、省略>
理由
一請求原因1の事実及び同2のうち原告ら主張の記者会見が行われた事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二右の事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。
1 原告らは、同五五年八月三日、神戸生活協同組合が企画、募集した香川県大川郡津田町への海水浴旅行に参加し、同日午前九時一〇分、神戸発高松行きの関西汽船株式会社のジャンボフェリー生駒丸に乗船した。同船には、右旅行に参加した六六名の乗客のほか、一般の乗客四五二名も乗り合わせていた。
2 同日午後〇時三〇分ころ本件事故が発生し、海中に転落したAは、同月六日、岡山県沖において、水死体で発見された。
3 本件事故直後、これを目撃した同人の遊び友達である五歳の男児が、海上保安官河野幸人に対し、Aは他人(お兄ちやん)に転落させられた旨供述したことから、高松海上保安部による捜査が開始された。
同月四日、同船の実況見分が行われ、また同日ころから、乗船申込書をもとに、主として年令五歳から一五歳までの男子児童七一名を対象とする聞きこみ捜査が行われた。
その結果、本件事故を目撃した九歳と七歳の男子児童から、それぞれの母親付添いのもとで、右の供述と同旨の供述が得られ、加害者の着衣や人相等についての記憶及び写真による面割りの結果が一致したこと並びに座席の位置等から、同船に乗り合わせた七歳の男子児童がその加害者として特定された。
なお、右の捜査は、本件事故の関係者が児童であるため、これに与える影響を考慮して特に慎重に進められ、新聞記者等に対する捜査の進展状況の公表も一切差し控えられた。
4 しかし、読売新聞が、同月二〇日、独自の調査に基づき、阪神版の夕刊紙上において、Aが他人によつて船から落とされたものである旨報道したため、他の新聞社の高松海上保安部に対する取材攻勢が激しくなつた。
5 高松海上保安部長は、同年九月一九日、それまでの捜査及び調査資料から原告太郎が本件事故の加害者であると判断し、これを理由として、児童福祉法二五条の規定により、神戸児童相談所長に対する通告を行い、さらに同月二〇日、新聞記者等の強い要望に応じて最終的結果の発表をするための記者会見を行うことにし、事前に発表内容を十分に検討したうえ、別紙記載のとおりの内容を発表したほか、船体の構造等、加害者の特定とは関係のない事項についての質問に応じた。
6 朝日、神戸、毎日、読売の各新聞社は、それぞれ同日付の夕刊紙上において、ほぼ右記者会見の発表内容に沿つた記事を掲載したが、一部の新聞は、独自の調査に基づき、右発表内容よりも詳しく、加害者が同五四年に商社員の父親をガンで亡くし、神戸市須磨区内で母及び姉とともに暮している旨報道した。
7 原告太郎は、同四八年二月一〇日生まれであるが、同五四年一〇月一六日、商社員であつた父を亡くし、本件事故当時小学校二年生に在籍し、同原告の母である原告甲野幸江及び姉である原告甲野花子とともに、神戸市須磨区内に居住していた。
三以上の事実によれば、高松海上保安部は、本件事故について、その関係者の人権に配慮して捜査及び調査を行い、目撃者の十分に信頼しうる供述に基づいてその加害者を特定したことが明らかであり、それまでの捜査及び調査資料によれば、その過程において何ら過誤はなかつたものというべきである。
また、本件事故についての記者会見も、本件事故の特異性を考えると、報道機関の強い要請に応じ、最終処分についてのみ発表をすること自体は相当でないとはいえないし、また、その発表内容も、あらかじめ十分に検討された結果、加害者の特定に関係する事項としては、年令(七歳)及び住所地(神戸市)のみであつて、これをもつて特定の児童を示すものとは到底解することができないものであるから、右の発表をもつて直ちに原告らの名誉を毀損するものということはできない。
四よつて、原告らの本訴請求は、その余について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用及び参加によつて生じた費用の負担につき民訴法八九条、九三条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)
生駒丸事件について
本年八月三日一二時二〇分頃、小豆島東方海上において、神戸から高松に向つていた関西汽船のジャンボフェリー「生駒丸」(二八一〇トン)から、乗客の宝塚市仁川団地三の一六の一〇二会社員乙野次郎さん(三八才)の長男A君(五才)が海中に転落、死亡した事件については、事件当時現場にいたA君の友人(五才)から「A君は男の児に落された」といつた内容の証言があつたため、高松海上保安部では、関係海上保安部の協力を得て、同船の乗客のうち五才から一五才までの男児七一名を中心に鋭意捜査を進めてきた。本件の場合、対象者がすべて児童であるため、成人の事件と異なる細かい配慮を必要とし、捜査は困難をきわめたが、複数の目撃者の供述から兵庫県(神戸市)在住の児童(七才)が実行行為者と判明した。しかし刑事未成年者であり、その刑事責任を問うこともできないので、一九日本人の住居地を管轄する児童相談所へ児童福祉法に基づく通告を行つた。