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神戸地方裁判所 昭和57年(ワ)34号 判決 1984年6月25日

原告

鄭雲峯

原告

許順

右両名訴訟代理人

大搗幸男

今後修

被告

右代表者法務大臣

住栄作

右訴訟代理人

滝澤功治

右指定代理人

小巻泰

外三名

主文

一  原告らの各請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告鄭雲峯に対し金一三八四万四〇九六円、原告許順に対し金一三一四万四〇九六円及び右各金員に対する昭和五七年一月二八日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言<以下、事実省略>

理由

一吉秀が死亡するまでの経緯について

1  吉秀が、昭和五六年一〇月二〇日葺合警察署代用監獄から神戸拘置所に移監され、翌二一日覚せい剤取締法違反及び外国人登録法違反被告事件により当庁に起訴された後も同拘置所内に勾留され、同年一一月二日同拘置所の医師に対し糖尿病の持病があることを告げたうえで身体の不調を訴え、同月九日にも右医師の診察を受け、同月一三日午前一一時三〇分監獄法施行規則一一八条による重症指定を受けた後、同日午後四時ころにされた勾留執行停止決定に基づいて同五時同拘置所から釈放され、富子が手配した寝台車により市立伊丹病院に搬送され、翌一四日午前一〇時四四分死亡したこと、右搬送については同拘置所の医師、看護婦等の職員は付添わず、また同拘置所の職員が右病院に対する紹介状を持参させなかつたこと、以上の事実はいずれも当事間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  吉秀は、朝鮮国籍を有するが日本で生れ育ち(同三二年三月二一日生)、同四七年三月尼崎市内の朝鮮初級中学校を卒業後、二、三の会社で稼働する等していたが、同五三年七月ころ無免許運転の容疑で警察の取調を受けて以来、仕事もせずに無為徒食の生活を送るようになつた。

吉秀は、大柄で体格もよく(身長約一八五センチメートル、体重約九〇キログラム)、幼時より健康であつたが、同五四年一一月ころ突然倒れて意識不明となり、同月一三日市立伊丹病院に搬送されて手当を受けた結果、約一週間で昏睡状態を脱したものの、糖尿病により引続き約三か月同病院に入院し治療を受けた。

その際吉秀は、同病院の医師から糖尿病に関して食事上の注意等を受けるとともに、今後再び意識不明となつて倒れるようなことになれば、生命が失われるおそれがある旨の警告を受けた。

吉秀は、右退院後もしばらくは同病院に通院して治療を受けていたが、その後も仕事をせず、両親や姉の富子から小遣いをもらつて無為徒食の生活を送つていた。

(二)  吉秀は、同五六年一〇月一〇日覚せい剤取締法違反(覚せい剤所持)及び外国人登録法違反(外国人登録証明書の不携帯)の容疑により兵庫県葺合警察署警察官に現行犯逮捕され、引続いて同署代用監獄に勾留された後、同月二〇日午後五時すぎに神戸拘置所に移監され、翌二一日同容疑により当庁に起訴され、同日以後いわゆる起訴後の勾留として同拘置所に拘禁されていた。

吉秀が同拘置所に移監された際、新入手続にあたつた担当看守は、吉秀を連行して来た警察官に吉秀の健康状態等に関する引継事項の有無を尋ねたが、特段の引継事項はなかつた。

吉秀は同拘置所医務課において直ちに身体検査を受け、担当准看護士から既応病歴の有無を尋ねられたが、前記糖尿病の病歴を告げる等せず、また身体検査後、担当看守から身体の調子が悪いときの受診方法等の教示を受けた際にも、身体の不調を訴えることはなかつた。

(三)  吉秀は、同拘置所入所後同月二二日から同年一一月一一日までの間、ほとんど毎日のように飲食物を購入し、また同月五日及び一二日に富子からの飲食物の差入を受けており、拘置所の給食も同月一一日までは残さず食べ、食欲を示していた。

(四)  吉秀は、同年一〇月二九日母親の原告許順と富子が面会した際には顔色もよく元気であつたが、同年一一月二日身体がだるいと訴えて診察を願い出た。

同日同拘置所医務課長の和田清医師が診察したところ、吉秀は、三年ほど前に身体がだるく入院して糖尿病と診断されたこと、夜間尿が多いことなどを告げた。

そこで、和田医師は吉秀の尿を検査した結果、蛋白及びウロビリノーゲンはマイナスで酸性度もほぼ中性であつたものの、尿の色がやや濃く、尿糖がツープラス程度であつたため、糖尿病ではあるがそれほど進行したものではないと判断し、それ以上に空腹時の血糖検査などをすることなく、血糖降下剤のジメリン錠二五〇ミリグラムを処方して毎朝一錠服用するように指示し、その四日分を投与した。

同月五日富子が面会したところ、吉秀が少しやせたように見えたので、薬をもらうように助言した。同日引続いて原告許順も面会し、糖尿病の様子を尋ねたところ、吉秀は拘置所にも医者がいるから心配ない旨答えた。

その後吉秀は、同月六日さらに前記ジメリン錠四日分の投与を受けたが、同月九日再び診察を願い出て和田医師に対し、痰に血が混じることがある旨訴えた。同医師は診察の結果、唇のあれと歯ぐきの炎症を認め、後者が出血の原因と判断して止血の目的で肝散三グラムを処方するとともに、ビタミンCを補給するためシナール三錠を処方して、いずれも三日分を投与した。しかし、この日には吉秀から身体がだるい等の訴えはなかつたので、同医師もそれ以上の診察はしなかつた。

吉秀は、翌一〇日前記ジメリン錠三日分を投与され、翌一一日には不眠を訴えて睡眠薬のスリーブエの投与を受けた。

翌一二日原告許順と富子が面会したところ、吉秀は顔色が悪くやつれており、給食をあまり食べられないので牛乳を差入れるよう求め、また面会室まで出向くと疲れるから今後面会に来ないようにして欲しい旨述べた。

吉秀は同日前記肝散及びシナール三錠を二日分投与されたが、診察の願い出をせず、拘置所の三回の給食のうち副食の半分と主食の全部を食べ残した。

(五)  翌一三日午前〇時すぎころ、吉秀は房中において担当看守に対し胸が苦しい旨訴えて嘔吐した。

右の状況の報告を受けた宅直の准看護士は、直ちに登庁し同日午前〇時二〇分ころ吉秀の状態を見たうえ、その状況を和田医師に電話で報告し、同医師から、制吐のため精神安定剤セルシン一グラムを投与し経過を見て異常があれば再び連絡するよう指示を受け、これに従つて投与したところ、吉秀は眠りにつき、その後朝まで異常は認められなかつた。

ところが、同日午前七時四〇分ころ担当看守が朝の点検をしようとしたところ、吉秀は下半身は肌着を足首までずらした状態で、掛布団をはねのけて眠つており、担当看守が舎房の中に入つて名前を呼んでもうなずくのみで、起きようとはしなかつた。

同日午前八時ころ右の状況の報告を受けた和田医師は、直ちに自宅から登庁し、同八時三〇分ころ吉秀の舎房で同人を診察したが、名前を呼んでもかすかにうなずくのみなので、危篤状態にあると判断し、直ちに同人を担架で病舎へ搬送させたうえ、血圧の測定などをした後、同九時三五分五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴注射を開始した。その時点の吉秀の状態は、脈搏は弱く、心音は小さいが規則正しく、瞳孔反射は少し鈍いという状態であつた。

その後同一〇時二〇分ころには、吉秀は血圧の最高値六二、最低値四〇で、脈搏は弱く、心音は小さいが規則正しく、瞳孔反射は消失し、瞳孔の散大が認められるが、眼角膜に湿潤が認められるという状態となり、さらにその後血圧の最高値四八で最低値が触れない状態となつたため、同医師は引続き五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットル、四〇パーセントブドウ糖二〇ミリリットル、エホチール(昇圧剤)一ミリリットルの点滴注射をしたが、症状の改善は認められなかつた。

そこで同医師は、吉秀の生命の危険が大きく、専門医による治療を緊急に必要とするものと判断し、同人を虚脱症と診断してその旨の診断書を作成したうえ、同一一時三〇分同人に監獄法施行規則一一八条による重症指定をした。

(六)  そこで、同拘置所庶務課長笠松秀雄は、同日正午前ころその旨を当庁及び神戸地方検察庁に通報し、吉秀について勾留執行停止決定を得て釈放する方針で手続を進めようと考えていたところ、同日午後〇時二〇分ころ、原告許順、富子及び吉秀の叔母の三名が同拘置所に到着したので、同原告らに右方針を告げるとともに吉秀を入院させる病院を決めるよう求めた。

その際、笠松庶務課長は富子に対し、救急車によれば不便な病院に搬送されることもあるので家族も看病に困ることになりかねないなどと述べた。

同原告ら三名は、同一時すぎころ医務課長室で和田医師から吉秀のその時点における病状の説明を受けたが、同医師はその際同原告らから、吉秀が二年程前にも約一週間意識不明状態となつたことがあり、当時医師からそのような状態が再発したときは生命が失われると警告された旨告げられ、右事実を初めて知るとともに、吉秀が突然前記のような症状に陥つたことに一応の納得を覚えた。

同原告ら三名は、続いて病舎で寝ていた吉秀と面会した後、富子が市立伊丹病院に連絡をとつたうえ、同二時ころ笠松庶務課長に吉秀を同病院に入院させる旨告げた。

これを受けて同課長は、当庁に対し勾留執行停止の上申をした。

同四時前ころ、富子は同課長に対し、救急車の手配を依頼したが、同課長は、救急車を呼ぶと面会人やたまたま房外にいる被収容者が救急車を見て不安感を抱くおそれがあるので避けてもらいたい旨述べ、さらに確実な根拠がないのに、救急車は神戸市外へは運んでくれないのではないかと述べたため、富子はやむなく救急車を呼ぶことを断念し、吉秀を寝台車で搬送することとして自らその手配をした。

同四時ころ、神戸地方検察庁から同拘置所に対し、吉秀について勾留執行停止決定がされた旨の電話連絡があり、直ちに同人の釈放手続事務が開始された結果、同四時三五分検察官の釈放指揮書が電送により同拘置所に届いたときには、いつでも同人を釈放できる態勢となつていたが、まだ寝台車が到着していなかつたため、その到着を待つてから釈放が行われる運びとなつた。

(七)  一方、吉秀は、同一時ころにはやはり意識はなく、瞳孔反射も消失し、心音は清澄ではあるが微少で、脈搏は触れず、顔色は赤く、爪床チアノーゼはみられないものの、四肢末端は冷たく、腹部は陥凹し、腹部を圧迫すると顔をしかめるようにはするが確かな反応はないという状態で、和田医師は、吉秀を以上のような昏睡状態から回復させるため、前記の点滴注射に続いて一〇パーセントキシリット五〇〇ミリリットル、ペルサンチン(強心剤)二ミリリットル、二〇〇ミリグラムグルタチオン(肝臓保護剤)二ミリリットルの点滴注射をし、エホチールを皮下注射した。

吉秀は、同二時ころには少し身体を動かし、時々顔をしかめたりするようにはなつたものの、相変わらず意識はなく、瞳孔反射も消失したままであつたが、同二時三〇分ころから「ウーン、ウーン」とうなるようになつた。同三時ころには心音は相変わらず微少で、あくびが多くなつたため、同医師は酸素吸入をし、同四時ころから前同様の点滴注射を実施した。

(八)  同四時五五分ころ、寝台車が同拘置所に到着したので、吉秀は直ちにこれに担送されたが、その直前、富子が笠松庶務課長に対し診断書の交付を求めたところ、同課長は、治療内容については先方の医師から電話で問合せがあれば医務課長から説明する旨答えたので、富子もこれを了承した。

吉秀を乗せた寝台車は、同五時神戸市北区の同拘置所を出発し、同六時三〇分ころ伊丹市の市立伊丹病院に到着したが、寝台車には医療設備はなく、吉秀は点滴注射もはずされて、ただ寝たまま搬送されただけであつた。

吉秀は、同病院に搬送されたころには身体を動かして暴れたり、うめいたりしており、同病院の外来で同人の診察にあたつた奥野魏一医師は、付添つて来た富子から吉秀が覚せい剤取締法違反の容疑で拘置所に拘禁されていたことを知らされて覚せい剤の禁断症状の疑いも持つたが、やはり富子から吉秀が以前糖尿病で同病院に入院していたことを聞き、同六時三〇分同人の血糖検査をしたところ、血糖値は二一八であつた(正常値は七〇ないし一二〇)。同医師は、同六時四〇分吉秀に強心剤を注射し、さらに同人が暴れるのを鎮めるため、同六時五〇分鎮静剤を注射した。

その後吉秀は同七時五分外来から入院病室に移されたが、そのときの状態は、意識はなく、全身に冷感があり、爪床チアノーゼもみられ、脈搏も微弱であつたものの、対光反射はあり、うめき声をあげ、しきりと首をふるという状態で、血圧は最高値が八〇、最低値は不明であつた。

吉秀は、その後同病院医師による種々の手当を受けたが、ついに意識を回復することなく、翌一四日午前一〇時四四分死亡と判定された。

(九)  同病院医師の作成した吉秀の診療録には、傷病名として急性心不全と記載されており、同じく死亡診断書にも直接死因として急性心不全と記載されているが、厳密な意味では同人の死因は不明である。

吉秀の同月一三日午前六時三〇分の時点における血糖値は、前記のとおり二一八であり、その後同病院において二回検査したところ、結果は三五一と四〇〇以上とであつた。この検査結果からすると、吉秀は相当重症の糖尿病であつたこととなるが、いわゆる糖尿病昏睡の患者の血糖値は六〇〇ないし七〇〇以上であるところから、吉秀が糖尿病昏睡に陥つたものとは考えられない。

和田医師は、吉秀が昏睡状態に陥つた原因につき、前記ジメリン錠を飲みすぎたため低血糖となつたことによるものと判断したが、糖尿病患者には通常一日五〇〇ないし一五〇〇ミリグラムのジメリン錠を投与するところ、吉秀が投与を受けたのは前記のとおり一日二五〇ミリグラムであるため、同人がその飲みすぎにより低血糖となつたものと断定することはできず、結局、同人が昏睡状態に陥つた原因も不明である。以上の事実を認めることができ<る。>

二神戸拘置所職員の過失について

原告ら主張のとおり、拘置所職員には被収容者の生命身体の安全を確保するため、これに対して適切な医療措置を講ずべき職務上の注意義務があるものと解するのが相当である。

そこで、具体的に原告らの主張する神戸拘置所職員の過失の有無について検討する。

1 請求原因2(一)の主張について

前記認定事実によれば、吉秀は、同月二日には身体のだるさを訴え、糖尿病の持病がある旨を告げて和田医師の診察を受け同月九日にも同医師の診察を受けたが、同日は痰に血が混じることがある旨訴えたのみで、他に身体の不調を訴えていないことが明らかである。そして、右の最初の診察時における検査によれば尿糖はツープラス程度であるから、直ちに専門医による診察や病院への入院等の措置を必要とするほどの症状ではなかつたものというべきであり、その他右各時点において同医師がとつた措置が明らかに不十分であつたことないし吉秀の症状が専門医による診察や入院等の措置を必要とするほどのものであつたことを認めるに足りる証拠はない。

また、吉秀は、その後同月一一日には不眠を訴えて睡眠薬の投与を受け、翌一二日には初めて同拘置所の食事を食べ残すなど体調を崩し、ある程度身体の衰弱をきたしていたものと認められるが、他方、その間自ら診察の申出をしていないのであるから、直ちに同人に精密検査をし、同人を専門医に診察させ、あるいは病院に入院させる等の措置をとるべきであつたものとまでは認めることができず、他に右のような措置をとるべき状況が存在したことを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、この点に関する原告らの主張は理由がない。

2 請求原因2(二)の主張について

前記認定事実によれば、吉秀は同月一三日午前一一時三〇分には生命の危険が大きく、専門医による治療を緊急に必要とするものと判断されて監獄法施行規則一一八条による重症指定を受け、その後も症状はほとんど改善されていなかつたことが明らかであるから、同拘置所職員としては、検察官の釈放指揮書の到着後は吉秀を一刻も早く病院に搬送して適切な治療が受られるように万全の措置をとるべきであり、そのためには少なくとも、救急車の手配をし、かつ、吉秀の症状及びこれに対する治療の経過を記載した書面を持参させる義務があつたものと認めるのが相当である。

そして、前記認定事実のもとでは、吉秀の家族が右の措置をとらないことを了承したからといつて、右義務が左右されるものとは解することができないし、他に本件においては同拘置所の職員が右の措置をとることができないような特段の事情があつたものとも認められないから、同拘置所の職員には、右の措置をとらなかつた点において、過失があつたものというべきである。

三因果関係について

証人奥野魏一の証言によれば、仮に吉秀が救急車によつて搬送され、同拘置所内における治療措置等を記載した書面が持参されていたとしても、同人の症状及びこれに対する治療措置は結果的には異ならなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

そうすると、同拘置所職員の前記過失と吉秀の死亡との間には因果関係が存しないものというべきである。<以下、省略>

(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)

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