神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)1328号 判決 1985年9月25日
原告
宮本宗吉
右訴訟代理人
中村良三
被告
兵庫県
右代表者知事
坂井時忠
右訴訟代理人
前田利明
外二名
被告
池田清
被告
西畑弘
主文
一 被告池田清、同西畑弘は原告に対し、各自金一二三四万七六一三円及び内金一一三四万七六一三円に対する昭和五五年七月九日から、内金一〇〇万円に対する昭和五九年二月一一日から各完済まで、年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告兵庫県に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用中、被告池田清、同西畑弘と原告との間に生じたものは同被告らの、被告兵庫県と原告との間に生じたものは原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告らは原告に対して各自金一二三四万七六一三円及び内金一一三四万七六一三円に対する昭和五五年七月九日から、内金一〇〇万円に対する昭和五九年二月一一日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告ら(ただし、被告池田は答弁書擬制陳述)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 本件事故の発生
原告は次ぎの交通事故(以下本件事故という。)によつて傷害を受けた。
(1) 日時 昭和五五年七月八日午前二時三五分ころ
(2) 場所 神戸市生田区楠町三丁目四六番地先交差点内
(3) 加害車輛 被告池田清(以下単に池田という。)運転の普通乗用自動車(以下池田車という。)
(4) 被害車両 原告運転、訴外松島薫同乗の普通乗用自動車(以下被害車両という。)
(5) 態様 前記交差点を大倉山方面から三宮方面に向つて青信号に従い進行中の被害車両の右前部に池田車両が衝突した。
2 本件事故の結果
(1) 受傷内容
頸部挫傷、頸椎挫傷、上腹部打撲症、右両膝挫創、右手背裂創
(2) 治療経過
春日外科病院に、昭和五五年七月八日から同年一〇月一一日まで入院、同月一二日から昭和五六年一二月二八日まで通院、小原病院に、昭和五七年一月四日から昭和五八年二月八日まで通院、神戸労災病院に、昭和五八年一月二五日から同年二月八日まで通院。昭和五八年二月八日に症状固定。
(3) 後遺症
頸部神経症状、左側肋軟骨部の骨隆起
右は、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)施行令別表等級の一二級に該当する。
3 責任原因
被告らは、それぞれ次の理由により、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。
(1) 被告池田は本件交差点を北進するにあたり、同交差点の対面信号機が赤色を表示していたから、これに従い同交差点手前の停止位置で停止すべき注意義務があるのに、これを怠り、あえて同交差点に進入した過失により池田車を被害車両に衝突させ、本件事故を発生させたものである。
(2) 被告西畑は、池田車を保有しており、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任がある。
(3) 被告兵庫県は、地方公共団体であり、訴外枝尾聖一(以下枝尾という。)は、被告兵庫県生田警察署所属の警察官であるところ、枝尾は、警察官として職務を執行中、後記の過失によつて本件事故を発生させたものであるから、被告兵庫県は、国家賠償法一条による責任がある。
すなわち、
(一) 枝尾は、本件事故当日午前二時三〇分ころ、パトロールカー(以下本件パトカーという。)を運転し、同乗の警察官一名とともに警ら中、兵庫県生田警察署東川崎派出所へ立寄つた際に、同派出所前国道二号線を尾燈切れの池田車が東進するのを認め整備不良車両運転者に対する警告のため追尾を開始した。
(二) 枝尾は、国道二号線を同派出所前から東方へ約四〇〇メートル行つた地点で池田車の後方約一〇メートルに追いつき、池田車の車両番号(神戸三三せ一七〇四号)を確認し、池田車に道路左端に停止するよう指示した。
ところが、池田車はこれを無視して時速七〇ないし八〇キロメートルに加速して、国道二号線を東方に逃走し、メリケン交差点を左折北進し、栄町通一丁目交差点を左折西進し、三越百貨店前交差点を右折北進し、北長狭通七丁目交差点を左折して一方通行を逆行し、北長狭通八丁目向井ビル前を西進し、橘通一丁目神戸地方検察庁交通分室東南角交差点を右折北進して一方通行を逆行し、同分室北東角交差点を左折西進し、楠町一丁目一〇番一六号楠マンション前交差点を右折北進し、約三キロメートルを赤色信号無視を繰り返し、一方通行を逆行するなどして時速約七〇ないし八〇キロメートルで暴走して逃走中、赤信号を無視して本件交差点に進入し、本件事故を発生させた。
(三) 枝尾は、池田車の逃走開始から本件事故発生に至るまで池田車を時速七〇キロメートル以上の速度で追尾していた。
本件パトカーは本件交差点に差しかかつた際サイレンを吹鳴していなかつた。
(四) 池田車は、本件パトカーの追尾を振切るため、随所で赤信号を無視し、また一方通行道路を逆走するなど無謀運転を繰り返しており、第三者の生命身体に対し重篤な危害を加える可能性が極めて高いものであり、枝尾としても当然追尾の継続による事故の発生を予見しなければならなかつた。
また、枝尾は、池田車の登録番号を確認したのであるから、事後の捜査に待つ判断も可能であつた。
そうすると、枝尾としては、追尾の継続が第三者への危害の発生を予測させるのであるから、池田車の追尾を中止するか、追尾速度を減速する等して第三者への損害の発生を防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然、前記速度で池田車を追尾した過失により池田車を暴走せしめ本件事故を発生させた。
(五) 前記のとおり、池田車は、各交差点の安全を確認することなく信号を無視して高速度で逃走していたが、このことは枝尾においても認めているうえ、職務上枝尾は逃走方向にはいくつにもの交差点があり、交差道路から青信号に従つて進行してくる車両の運転者に道路の異常、危険を告知すべくサイレンを吹鳴すべき注意義務があつたのに、これを怠り、本件交差点手前付近でサイレンを吹鳴しなかつた過失により、折りから本件交差点に大倉山方面から三宮方面に向けて、青信号に従い何らの危険も感知するすべもなく進行した被害車両をして本件事故に遭遇せしめた。
(4) 被告兵庫県は、本件パトカーを所有し、自己のため運行の用に供していた者であるところ、本件事故は、前記のように本件パトカーが池田車を追尾したため、池田車が右追尾から逃れようとして暴走し、その結果発生したものであるから、右事故は本件パトカーの運行によつて生じたものというべきである。従つて被告兵庫県は自動車損害賠償法(以下自賠法という。)三条に基づき原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。
4 損害 金一七、三四八、三六二円
(1) 入院付添費 金二四、五〇〇円
一日三、五〇〇円、付添を要した入院日数七日
(2) 入院雑費 金九六、〇〇〇円
一日一、〇〇〇円、入院日数九六日
(3) 休業損害 金七、〇二三、九八五円
(イ) 平均月収 金一八九、二三八円(日額六、三〇八円)
休業期間 昭和五五年七月八日から昭和五八年二月八日まで九四六日
(ロ) 右期間中の賞与 金一、〇五六、六一七円
(4) 入通院慰謝料 金二、五〇〇、〇〇〇円
(5) 後遺症慰謝料 金一、七〇〇、〇〇〇円
(6) 逸失利益 金五、〇〇三、八七七円
収入金額 給与年額 金二、三〇二、四二〇円
賞与平均年額 金四二二、六四七円
合計 金二、七二五、〇六七円
労働能力喪失率 一四パーセント
就労可能年数 一九年
新ホフマン係数 一三・一一六
(7) 弁護士費用 金一、〇〇〇、〇〇〇円
5 損益の填補 金五、〇〇〇、七四九円
(1) 自動車賠償保険 金三、二九〇、〇〇〇円
傷害 金一、二〇〇、〇〇〇円
後遺症 金二、〇九〇、〇〇〇円
(2) 労働者災害補償保険休業補償給付 金一、七一〇、七四九円
6 よつて原告は被告らに対し、各自金一二、三四七、六一三円及び内金一一、三四七、六一三円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和五五年七月九日から、内金一、〇〇〇、〇〇〇円に対する訴状送達の日の翌日から、各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する被告兵庫県の認否
1 第1項は認める。
2 第2項のうち
(1) 受傷内容
「上腹部打撲症」は認め、その余は不知。
(2) 治療経過は不知。
(3) 後遺症は不知。
3 第3項のうち
(1) 前文は争う。
(2) (1)は認める。
(3) (2)は不知。
(4) (3)のうち
(一) 前文
「被告兵庫県は、地方公共団体であること」、「訴外枝尾聖一は、被告兵庫県生田警察署所属の警察官であること」及び「枝尾は警察官として職務執行中であつたこと」は認め、その余は争う。
(二) (一)は認める。
(三) (二)について
「池田車が時速七〇ないし八〇キロメートルに加速したこと」及び「池田車が約三キロメートルを時速約七〇ないし八〇キロメートルで暴走して逃走したこと」は否認し、その余は認める。
(四) (三)について
「枝尾は、池田車の逃走開始から池田車を追尾していたこと」は認め、その余は否認する。
(五) (四)は否認する。
(六) (五)は否認する。
(5) (4)のうち
「被告兵庫県は、本件パトカーを所有し、自己のために運行の用に供していた者であること」は認め、その余は争う。
4 第4、5項は不知。
5 第6項は争う。
三 被告兵庫県の主張
1 本件事故が発生するに至る経緯は、次のとおりである。
(1) 兵庫県生田警察署枝尾聖一巡査は、昭和五五年七月八日午前二時三〇分ころ、警ら用無線自動車(以下「本件パトカー」という)を運転して同乗の同署田中和正巡査部長とともに東川崎派出所へ立ち寄つたところ、同派出所前国道二号線を尾燈切れの被告池田清運転の普通乗用自動車(以下「池田車」という)が東進しているのを認め、整備不良車運転者に対する警告等のため、追尾を始めた。
(2) 本件パトカーは、国道二号線を右派出所前から東方約四〇〇メートル行つた地点で池田車の後方約一〇メートルに追いつき、田中巡査部長が池田車に道路左端に停車するようマイク等により再三指示した。
ところが、池田車は右指示を無視して走行し、メリケン交差点を左折北進、栄町通一丁目交差点を左折西進した。
(3) 池田車が停車指示に従わないこと、赤信号を無視して走行していること、池田車の同乗車(四、五名の男が同乗)が一見ヤクザ風であること等の事情から、単なる整備不良車運転違反のみでなく、他に重要な犯罪に関連しているのではないかという疑念も抱いた田中巡査部長らは、これを検挙するため、緊急走行する必要があるものと判断し、兵庫県警察本部通信指令課にその旨を無線報告するとともに、サイレンを吹鳴して、追尾を開始した。
(4) 池田車は、時速約四〇キロメートル乃至五〇キロメートルの速度で右道路を西進、三越百貨店前交差点を右折北進、北長狭通七丁目交差点を左折して一方通行を逆行、北長狭通八丁目向井ビル前を西進、橘通一丁目神戸地方検察庁交通分室南東角交差点を右折北進して一方通行を逆行、同分室北東角交差点を左折西進、楠町一丁目一〇番一六号楠マンション前交差点を北進した。
(5) 本件パトカーは、サイレンを吹鳴しながら、右経路を追尾した。当時は深夜ではあり、右道路を往来する車両、歩行者も、ほとんど皆無に近い状態であつたが、本件パトカーは交差点では一時停止し、安全を確認しながら走行したため、普通の速度で逃走する池田車ではあつたが、信号無視を繰り返すので、同車を見失うこともあつた。
(6) 池田車が楠マンション前交差点付近に差しかかつたとき、本件パトカーは池田車の後方約二〇メートル離れて時速約四〇キロメートル乃至五〇キロメートルで追尾していたが、対面信号機が赤色を表示していたので、時速約二〇キロメートルに減速した。
池田車は、信号を無視し、約六〇キロメートルの速度で本件交差点に進入し、午前二時三五分ころ、信号に従つて東進中の原告運転の普通乗用車右前部に自車(池田車)右前部を衝突させた。
2 警察官らの職務行為として適法であること
田中巡査部長らは、池田車の車両番号を確認することができたものの、運転者及び同乗車の氏名等も不明であつたから、警察官としては、追尾を継続してこれを検挙する以外に捜査方法はなかつたものであり、まして池田車は本件パトカーの吹鳴するサイレンにより緊急追尾されていることを知りながら停止命令に従わず、信号無視を繰り返して逃走を続けていたのであるから、一般的に他に重大な罪を犯しあるいは犯そうとしている場合もあり得るものと判断したことは当然であつて(現に被告池田清は無免許運転をしていた)、追尾を継続した警察官らの行為は適法である。
3 危険発生の予見可能性がないこと
池田車が逃走し、本件パトカーが追尾した当時は深夜であり、当時の逃走道路を往来する車両、歩行者はほとんど皆無の状態であり、加えてまた別に派手な逃走、追跡劇を演じたものではなく、池田車の逃走速度は、(原告の主張する最低時速七〇キロメートルとは異なり)時速四、五〇キロメートルであり、追尾する本件パトカーは、安全確認に留意しながら、追尾していたものであり、当時の道路状況、交通状況に照らし、池田車が交通事故を惹起する具体的な危険が発生すると予測することはできない。
また、前記追尾を中止しなかつた故をもつて、警察官に過失があつたとは、到底認めることができない。
4 因果関係がないこと
本件事故は、被告池田清の重大な過失によつて発生したものであり、本件パトカーは、安全を確認しながら、池田車を追尾していただけであり、池田車が信号が赤信号であるにもかかわらず、本件交差点内に進入せざるを得なかつたなどの特段の事情がないから、本件パトカーの運行と本件事故との間に相当因果関係があるものとは言い難く、原告の主張は失当である。
四 請求原因に対する被告池田の認否(擬制陳述)
請求原因第1項の事実は認めるが、その余の事実は不知。
五 請求原因に対する被告西畑の認否
1 請求原因第1、2項の事実は不知。
2 同3項の事実中、被告西畑が池田車を保有していた点は否認する。
3 第4項の事実は不知。
第三 証拠<省略>
理由
一本件事故の発生
被告池田、同兵庫県の関係では、請求原因第1項の事実は当事者間に争いがなく、被告西畑の関係では、<証拠>により、請求原因第1項の事実が認められ、原告が池田車に衝突されて、頸部挫傷、頸椎挫傷、上腰部打撲症、右両膝挫創、右手背裂創の傷害を負つたことは、<証拠>によつて、これを認めることができる。
二被告池田、同西畑の責任事由
1 <証拠>によれば被告池田は、本件事故当時池田車を運転して、事故現場である神戸市生田区楠町三丁目四六番地先交差点を北進するにあたり、同交差点の対面信号機が赤色を表示していたから、これに従い同交差点手前の停止位置で停止し、左右および前方の安全を確認すべき注意義務があつたのにかかわらず、同被告はこれを怠り、左右および前方の安全を確認せず、時速約六〇キロメートルの速度であえて同交差点に進入したため、折から同交差点を西から東に向い青信号に従つて進行中の被害車の右前部に衝突したことが認められ、右認定事実によれば、本件事故は被告池田の信号無視、左右および前方不確認により発生したものであることが明らかであるから、同被告は、民法七〇九条に基づき、原告の被つた後記損害を賠償すべき義務がある。
2 <証拠>によれば、被告西畑は、本件事故当時池田車の所有者であつたことが認められ、これに反する証拠はない。そして、車両の所有者は特段の事情がない限り、当該車両の運行供用者であると推認すべきところ、本件の場合、右特段の事情が全証拠によるも発見できないから、被告西畑は、池田車の運行供用者というべく、したがつて、同被告は、自賠法三条に基づき、被告池田と連帯して、原告の被つた損害を賠償する義務がある。
三被告兵庫県に対する責任事由の有無
1 <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 兵庫県生田警察署勤務枝尾聖一巡査は、昭和五五年七月八日午前二時三〇分ごろ、警ら用無線自動車(以下本件パトカーという)を運転し、同乗の同署田中和正巡査部長とともに東川崎派出所に立ち寄ろうとした際、同派出所前国道二号線を尾燈切れ、番号燈切れの被告池田が運転する池田車が東進しているのを認め、整備不良車運転者に対する警告等のため、池田車を追尾した。(二) 一方、被告池田(当時二八歳)は、高松市にある暴力団山口組系佐々木組内入江組高松支部の組員であつて、非行歴、前科が多数あり、同月七日神戸市兵庫区笠松通りにある入江組事務所の要請によつて、高松市から同事務所に赴き、以後兄貴分である同組員引地敏元(当時二八歳)のもとで同事務所の雑用をしていた。そして、被告池田は、本件事故当日である同月八日午前〇時過ぎごろ、右引地に誘われて同事務所から同人の運転する池田車の助手席に乗り、近隣の屋台で飲酒した後、引地の友人である熔接工山脇弘ほか二名を池田車の後部座席に乗せて三の宮に向う途中、中の島公園付近で引地と運転を交代し、前記東川崎派出所に差しかかり、池田車が整備不良車であるため、本件パトカーが追尾してくるのを知つた。しかし、被告池田は、自己の運転が無免許、飲酒、整備不良車であつたうえに、助手席にいる引地が「逃げろ」といつたので、本件パトカーの追尾を振り切るつもりとなつた。なお、被告池田は、昭和四六年ごろ普通運転免許を取得したが、その二、三か月後に飲酒運転違反などのため右運転免許を取消され、以後無免許運転を繰り返して、自動車の運転には自信をもち、本件事故まで業務上過失致死傷の前歴がなかつた。また、同被告は、前述のとおり昭和五五年七月七日神戸市に来たばかりで、本件事故当時同市の地理を知らなかつた。(三) 本件パトカーは、国道二号線を前記派出所から東方約四〇〇メートル進んだ地点で池田車の後方に追いつき、田中巡査部長が車載のマイクで道路左端に寄つて停止するよう指示した。しかし、被告池田は、右指示を無視し、それまで走つていた池田車の時速五〇キロメートルを時速六〇キロメートルに上げて国道二号線を東進し、メリケン波止場前交差点附近で時速約四〇キロメートルに減速して、同交差点を左折北進、さらに栄町通一丁目交差点を左折西進し、かつその間、交差点での赤信号を無視して走行していた。(四) 田中巡査部長らは、池田車が停止指示に従わず、赤信号を無視して走行し、池田車を運転する被告池田及び助手席の引地が丸坊主の一見やくざ風で、後部座席に男三名が乗つていたなどの事情から、単なる整備不良車運転違反だけでなく、他に重大な犯罪に関連しているのではないかとの疑いを抱き、しかも、同車の車両番号を確認したものの、運転者及び同乗車の氏名等が不明であつたところから、被告西畑らを検挙又は職務質問をするため、緊急走行する必要があるものと判断し、兵庫県警察本部通信指令課にその旨を無線報告をするとともに、栄町一丁目交差点付近でサイレンを吹鳴し、赤色燈を点燈して追尾を継続した。(五) 池田車は、その後、時速約四〇キロメートルないし五〇キロメートルの速度で栄町一丁目交差点道路を西進、三越百貨店前交差点を右折北進、北長狭通七丁目交差点を左折して一方通行を逆行、北長狭通八丁目向井ビル前を西進、橘通一丁目神戸地方検察庁交通分室南東角交差点を右折北進して一方通行を逆行、同分室北東角交差点を左折西進、楠町一丁目一〇番一六号楠マンション前交差点で右折し、幅員約八・五メートルの道路(以下八・五メートル道路という)を北進した。(六) 本件パトカーは、サイレンを吹鳴しながら、右経路を追尾した。当時は深夜ではあり、長距離トラック、タクシーの通行が僅かにあるだけで、右道路を往来する他の車両、歩行者も、ほとんど皆無に近い状態であつたが、本件パトカーは、交差点では一時停止し、安全を確認しながら走行したため、普通の速度で逃走する池田車を見失うこともあつた。(七) 池田車が楠マンション前交差点付近に差しかかつたとき、本件パトカーは池田車の後方約二〇メートル離れて時速約四〇キロメートル乃至五〇キロメートルで追尾していたが、対面信号機が赤色を表示していたので、時速約二〇キロメートルに減速した。(八) 池田車は、赤信号を無視し、左右および前方の安全を確認しないで、約六〇キロメートルの速度で本件交差点を進入し、本件交差点の中央付近で急にハンドルを左に切つたため、同日午前二時三五分ごろ、時速約五〇キロメートルで東進中の被害車両右前部に自車右前部を衝突させた。なお、池田車の逃走経路の距離は、約三キロメートルであり、本件パトカーは、本件交差点手前で一時停止をしており、その後、本件交差点に入ろうとした際、本件事故を知り、直ちに池田車の後方約三メートルの位置まで進行して停止したところ、道路が勾配であつたため、池田車が後退してきて、本件パトカーの前部と接触した。
以上の事実が認められ、これに反し、池田車が時速七〇キロメートル以上の高速度で暴走していたとか、池田車が本件事故直前に北進していた道路は、前記八・五メートル道路でなく、その東側にある宇治川商店街道路であつたとかの、<証拠>は、<証拠>と対比して、いずれも措信しない。
2 おもうに、パトカーに追跡され逃走中の交通違反車両が惹起した事故について、如何なる場合、パトカーの追跡行為に過失があるといえるかは、パトカーの緊急用務の遂行と交通安全確保との関連において、一義的に決することができず、結局、交通違反の態様、他の検挙方法の有無、追跡維持による事故発生の具体的危険性の有無程度等を総合勘案してこれを決するのが相当である。これを本件の場合についてみるに、次のとおり判断することができる。
(一) 本件パトカーの追跡行為の適法性
前記認定事実によれば、(1) 被告池田は整備不良車を運転し、しかも本件パトカーの指示に従わないで逃走を続け、他に何らかの犯罪を加し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な事情にあつたから、本件パトカーが同被告を現行犯人として検挙し、同被告及び引地ら挙動不審者に対する職務質問をする必要が存在していたことが明らかであり、したがつて、本件パトカーの池田車追跡行為は、正当な職務行為というべきである。(2) 本件パトカーは緊急体制をとつて右追跡行為中、池田車の車両番号を確認しているものの、被告池田、引地らの面識がなく、かつ当時夜間で同被告らの人相を確知できなかつた状況であつたから、前記職務を遂行するため、車両番号確認後も、追跡行為を継続したのは、最善の方法であつたといい得る。(3) また、本件パトカーは右追跡行為中、池田車の速度に合せて追尾し、交差点では一時停止をし、安全を確認しながら走行していたのであるから、その追跡行為について、職務を逸脱した廉がない。
(二) 本件パトカーの追跡行為中止義務の有無
被告池田は、赤信号を無視して本件交差点に進入し、本件事故を起したこと、同被告は本件交差点に至るまでの逃走経路中、何度にわたり赤信号を無視して交差点を通過したことは前認定のとおりであり、交差点での信号無視が事故の発生を招くおそれのある危険な行為であることはいうまでもない。しかし、パトカーに追跡された交通違反車両が信号無視を繰り返して逃走をしている場合、その信号無視が他の車両に危険をもたらすかも知れないということだけで、パトカーに追跡行為の中止義務を課することは、右逃走車両の運転者に交通違反するのを助長させ、遵法精神を喪失させる結果を招くから相当ではない。
前記1の(六)認定事実に、<証拠>によれば、(1) 本件事故当時は深夜であり、池田車の逃走経路中、長距離トラック、タクシーの通行が僅かにあつただけで、他の車両、歩行者が皆無に近い状態であり、信号無視が即事故と直結しない状況にあつたこと、(2) 池田車は、時速四〇キロメートルないし五〇キロメートルの普通の速度で走行し、同車には、被告池田のほか四名の同乗者がいて、同被告は、交差点に差しかかつても、左右及び前方の安全確認に絶えず留意していたものであり、かつ、右確認をもしないで交差点をやみくもに通過しようとするような自殺行為に等しい暴走行為をしていたわけではなかつたこと、(3) 一方、本件パトカーも、交差点では一時停止したり、池田車の速度に合せて走行しており、交差点で池田車を追いつめるようなことをしていなかつたことが認められ、右認定の事実関係のもとでは、本件パトカーの追跡によつて池田車が信号無視を繰り返して走行していても、その結果、他の車両に危害を及ぼす具体的危険が差しせまつていた状況にあつたといえず、したがつて、本件パトカーにおいて、本件事故発生以前に追跡行為を中止して検挙を断念すべき義務があつたとは、到底いえない。
ちなみに、<証拠>によれば、本件衝突事故が発生したとき、本件パトカーが本件交差点手前で一時停止していた地点から、衝突地点まで一六メートル以上の距離があることが認められ、この事実に前記1の(一)ないし(八)の認定事実を総合すれば、被告池田は、本件パトカーから停止警告を受けたのにかかわらず、逃走行為を継続し、遂に前判示一、二掲記の本件事故を惹起したものであつて、右逃走行為の継続が本件パトカーの追跡行為によるものであつても、右逃走行為中の過ちを本件パトカーに転嫁することは許されず、本件事故と本件パトカーの運行との間に、相当因果関係があるものとすることはできない。
(三) 本件交差点付近における本件パトカーのサイレン吹鳴について
本件パトカーがサイレンを吹鳴していたことは、前記1の(四)に認定したとおりである。
かりに、本件パトカーが本件事故直前すなわち、本件交差点手前でサイレンを吹鳴していなかつたとしても、そもそも、サイレンの吹鳴及び赤色燈の点燈は緊急自動車であることを示す要件であつて(道路交通法施行令一四条参照)、緊急自動車は、道路交通法三九条、四一条等において道路の通行上、数多くの優遇的な特権が与えられている反面、一般車は、同法四〇条により、交差点またはその付近において緊急自動車が接近したときは、交差点を避け、道路の左側によつて一時停止すべきなど緊急自動車に優先通行を保障すべく、避譲義務を負わされているものなのである。そうすると、緊急自動車のサイレン吹鳴は、同車が優先通行をなす場合以外に、他の危険車が存在することを警告するためになされるものではなく、実際上もパトカーがサイレンを吹鳴して走行している場合に、一般車からは、それがパトカーの単独走行なのか、他車を追跡中なのかを判別することができないものであるから、パトカーは追跡行為継続中、常にサイレンを吹鳴しなければならないものではない(<証拠>によれば、前記八・五メートル道路は、両脇に民家が密集していることが認められ、本件パトカーがこのような道路を深夜、サイレンを吹鳴して走行するのは、民家に不安と混乱を与えるだけで相当ではない)。したがつて、本件パトカーが未だ本件交差点に進入しない前、サイレンを吹鳴しなかつたとしても、同車がそのまま対面赤信号の本件交差点に進入し、本件被害車と衝突したというなら格別、そうでない本件事故については、本件パトカーに過失がないものというべきである。
(四) 被告兵庫県が本件パトカーの運行供用者であることは当事者間に争いがないが、前(一)ないし(三)に説示したところによれば、本件事故について被告兵庫県および本件パトカーの運転者において過失がなく、本件事故は、被告池田の過失によつて惹起されたものであることが明らかであり、また、本件パトカーに構造上の欠陥又は機能上の障害がなかつたことは弁論の全趣旨によつてこれを認められるから、被告兵庫県は、自賠法三条但書によつて原告に対し、本件事故につき損害賠償をする義務がない。
3 以上の次第で、原告の被告兵庫県に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
四損害
そこで、被告池田、同西畑の関係で、本件事故により原告の被つた損害について判断する。
<証拠>によれば、原告は、前一認定の受傷を治療するため、請求原因2の(2)記載のとおりの期間、春日外科、小原病院、労災病院等に入通院し、同2の(3)記載のとおりの後遺症を残して、その後遺症は昭和五八年二月八日症状固定し、その程度は、原告主張のとおり一二級に該当するものであることが認められる。そして、それを前提とした個別的損害は次のとおりであると認められる。
1 入院付添費 二万四五〇〇円
入院期間中の七日間、近親者付添費一日三五〇〇円として頭書金員を認める。
2 入院雑費 九万六〇〇〇円
入院日数九六日に対し、入院雑費一日一〇〇〇円を要したものと推認し、頭書金員を認める。
3 休業損害 七〇二万三九八五円
<証拠>によれば、原告は本件事故当時原告主張のとおり給与、賞与の収入があつたものであり、本件事故により休業(タクシー運転)を余儀なくされた九四六日間、頭書の損害を被つたことが認められる。
4 入通院慰謝料 二五〇万円
5 後遺症慰謝料 一七〇万円
6 逸失利益 五〇〇万三八七七円
後遺症による逸失利益は、原告主張のとおりこれを認める。
7 以上1ないし6の損害合計一六三四万八三六二円となる。
8 原告が自賠責保険、労災保険から合計五〇〇万〇七四九円の支払を受けたことは原告の自認しているところであり、右支払額を前項記載の損害金から控除すれば、残損害は一一三四万七六一三円となる。
9 弁護士費用 一〇〇万円
右金員を前項の残損害に加算すれば、損害合計は一二三四万七六一三円となる。
そうすると、被告池田、同西畑は、原告に対し各自、右損害金一二三四万七六一三円及び内金一一三四万七六一三円に対する本件事故発生の翌日である昭和五五年七月九日から、内金一〇〇万円(弁護士費用)に対する本件訴状送達の翌日である昭和五九年二月一一日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
五以上の次第で、原告の本訴請求中、被告池田、同西畑に対する部分は正当としてこれを認容し、被告兵庫県に対する部分は理由がないから失当としてこれを棄却し、訴訟費用について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官広岡 保)