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神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)671号 判決 1986年9月12日

原告

樋口勇

右訴訟代理人弁護士

宗藤泰而

藤原精吾

宮地光子

牛久保秀樹

前田茂

被告

朝日火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

越智一男

右訴訟代理人弁護士

和田良一

美勢晃一

宇野美喜子

山本孝宏

狩野祐光

太田恒久

河本毅

主文

一  原告が被告会社近畿営業本部神戸サービスセンターに勤務する地位を有することを確認する。

二  被告会社は原告に対し、金一五〇万円を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告会社の負担とする。

五  この判決の第二項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告会社近畿営業本部神戸サービスセンターに勤務する地位を有することを確認する。

2  被告会社は原告に対し、昭和五八年四月四日から原告が第一項の地位に復帰するまで、毎月末日限り金一〇万円ずつを支払え。

3  訴訟費用は被告会社の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告会社は、肩書地に本店を置き、全国主要都市に一九か所の支店と五六か所の営業所を設け、資本金二億五〇〇〇万円、従業員数約八〇〇名(昭和五八年四月現在)を有して、火災保険、自動車保険などの各種損害保険業を営む株式会社である。

(二) 原告は、昭和三五年四月一日、被告会社に雇用され、後記配転命令がなされた当時、被告会社近畿営業本部神戸支店神戸サービスセンター(神戸市中央区京町七一番地山本ビル内)に勤務していた者である。

2  配転命令

被告会社は原告に対し、昭和五八年三月一四日、右神戸サービスセンターから金沢営業所新市場開発担当に配置転換を命ずる旨の意思表示をなし(以下「本件配転命令」という)、原告は、同年四月四日、右命令に異議を留めて同所へ赴任した。

3  本件配転命令は、以下の理由により無効である。<以下事実省略>

理由

一当事者及び配転命令

請求原因1の(一)及び(二)の各事実(当事者)並びに同2の事実(配転命令)は当事者間に争いがない。

二不当労働行為について

1  本件配転前の状況

(一)  会社の状況

日本経済新聞が、昭和五三年六月二二日付朝刊のトップ記事で、被告会社が経営危機の状況にあることを報じたこと、そのころ、被告会社が「合理化実行計画(案)」を立案していたこと、同年度三月期決算で、被告会社は無配会社となつたこと、同年七月三一日、被告会社の株主総会において代表取締役三名(会長、社長、副社長)及び筆頭常務取締役の計四名の旧経営陣が退陣し、田中迪之亮社長以下の新経営陣が経営の掌に当ることになつたこと、右新経営陣は旧経営陣が後記朝日支部に対して提案していた「昭和五三年度賃上げゼロ回答」を引き継ぎ、また昭和五四年度の賃上げにおいては、賃上げ回答とともに「人事諸制度の改定」(職能資格制度の導入並びに職能給体系への移行)・「退職金制度の改定」・「定年統一」及び「定年切り下げ」を「セット提案」したこと、さらに、昭和五三年以降の賃上げ交渉において、年々、三月期臨時給与の支給月数を減らす提案を行つていることは当事者間に争いがなく、右争いのない各事実に、<証拠>によれば、以下の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 昭和五二、五三年当時、損害保険業界では経営体質の改善が求められる社会状勢下にあつたところ、ことに、被告会社は、人件費をはじめとする経費率が同業界一高く、従業員一人当りの年間正味保険料収入が損保二〇社のうち最低であつたことから、企業内容の改善を強く迫られ、昭和五三年度の朝日支部の賃上げ要求に対し「ゼロ回答」で臨んでいたが、同年三月期決算では、大蔵省の行政指導に基づく統一経理基準に従い約六七億四四〇〇万円の契約準備金の積増を行つたこともあつて約一七億七〇〇〇万円の経常損失を計上し、大蔵省の特認を得て有価証券売却益でこれを補填し、漸く当期利益を計上できる状況にあり、かつまた、無配会社に転落することも確定的であつたので、被告会社は、人件費の圧縮、要員の再配置などを内容とする「合理化実行計画(案)」を立案して同年六月二九日に朝日支部に対し提示するなど合理化対策を推進しつつあつたが、同月二二日付日本経済新聞の朝刊トップ記事をもつて被告会社の経営危機を報じられたこと(いわゆる「日経ショック」)等から経営の行き詰りが重視され、結局、同年七月三一日開催の株主総会で、代表取締役三名(会長、社長、副社長)及び筆頭常務取締役の計四名の旧経営陣は、同年三月期決算での大幅の損失発生及び無配転落並びに、右報道による被告会社の信用不安招来の責任をとつて辞任し、田中迪之亮を代表取締役社長とする新経営陣が経営に当ることになつた。

(2) 右の新経営陣は、旧経営陣の「昭和五三年度賃上げゼロ回答」を引き継ぎ、また、同年八月二五日、旧経営陣が立案した前記合理化実行計画(案)を中央労働委員会斡旋のもとに妥結させ、大蔵省の指導を背景にこれを積極的に推進し、さらに、朝日支部の昭和五四年度の賃上げ要求に対し、無条件の賃上げには応じず、「人事諸制度の改定」(職能資格制度の導入並びに職能給体系への移行)・「退職金制度の改定」・「定年の統一」及び「定年切り下げ」を条件として賃上げを行う旨の回答(いわゆる「セット提案」)をし、同年二月一九日、朝日支部に対し、退職者不補充の体制を採りながら営業戦力は強化することを内容とした「組織改正」の提案を行い、さらに、昭和五三年以降の賃上げ交渉において、年々三月期臨時給与(これは、後記全損保の組合活動上極めて重視しているものの一つである。)の支給月数を減らす提案を行い、これを了承させるなど、様々な合理化施策を打ち出し、実行した。

(3) なお、朝日支部の昭和五四年度賃上要求に対し、被告会社が行つた「セット提案」のうち、「退職金制度の改定」というのは、これまで勤続三〇年以上の場合、退職時の本俸に係数七一倍を乗じて計算されることになつていたものを、最高係数を四八倍に留め、勤続三〇年未満の場合には従来の係数に対しそれぞれ七一分の四八を乗じた額に減額するというものであり、「定年の統一及び切り下げ」というのは、旧鉄道保険部出身の従業員の場合は、同保険部時代の労働協約が引き継がれ、その後の慣行により事実上六五歳定年であり、その他の従業員の場合は、労働協約と慣行によつて事実上六〇歳定年であつたのを、定年を全て満五七歳の誕生日に統一するというものであつた。

(二)  会社と組合との関係

<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 朝日支部は、被告会社の前記「昭和五三年度賃上げゼロ回答」に対し、同年五、六月に連続してストライキを行い同年七月には、「日経ショック」の影響からストライキ中止を求める一部組合員の意見を斟酌して予定していたストライキを中止したものの、同年九月以降、壁や机にビラを張りめぐらせ、東京本社へ抗議団を数波に亘り派遣するなど、被告会社始まつて以来の労働争議活動を展開した。

(2) 一方、田中社長以下の新経営陣は、人事・労組対策面で強い姿勢でのぞみ、団体交渉において出席メンバーの人数制限や交渉時間の制限を行うなどしたばかりでなく、昭和五四年三月、朝日支部の昭和五三年度賃上げ要求につき「ゼロ」で妥結させ、また、被告会社が同支部の昭和五四年度賃上げ要求に対しなした前記の「セット提案」は、従業員にとつていずれも不利益な内容のものばかりであつたが、被告会社は、これを受け入れるのでなければ、同年度の賃上げ要求には一切応じない、という強硬な態度を示した。

(3) そこで、朝日支部は、昭和五四年六月、被告会社の前記団体交渉における人数制限等について不当労働行為救済の申立をなし、同年一二月には、同年度の賃上げ要求を「定年の統一」などの条件と切り離して実現できるよう東京都労働委員会に対し実効確保の措置の申立を行うとともに、同年一〇月以降、全損保の支援を得ながら、「朝日経営、野村証券を社会的に包囲しよう」というキャンペーンを掲げ、全国的に、被告会社やその実質的な主要株主である野村証券に対する抗議活動を行うといつた、一連の「外へ出る斗い」を遂行した。

(4) しかし、他方では、「日経ショック」により、被告会社が社会的に信用不安を招来したことから、東京営業本部の課長組合員らは、朝日支部によつて昭和五三年七月に予定されていた前記賃上要求のストライキ中止の意見を出し、また、被告会社提案の「合理化実行計画(案)」その他前記合理化施策についても、当時の被告会社の経営状況から、これに賛同するなど朝日支部推進の前記「外へ出る斗い」に批判的な組合員も出始め、昭和五四年一一月以降は営業の課所長組合員を中心に、「外へ出る斗い」の中止を求める署名運動を展開し、さらに、昭和五五年二月の臨時支部大会以降には、支部大会へ右意見に同調する代議員を送る活動を行うに至つた。

(5) 右のとおりで、朝日支部においては、昭和五四年、五五年当時、執行委員長の大田決ら、被告会社の合理化施策に反対する組合員と、右合理化に賛成し被告会社に協調的な組合員との対立があつた(原告のいう「A派組合員」、「B派組合員」なる区分けと概ね一致すると認めるので、以下でも、前者を「A派組合員」、後者を「B派組合員」ということとする)。

(6) 昭和五五年九月の定例支部大会に先だつて、被告会社の仙台支店や北九州支店長(非組合員)は、支部大会の代議員に対し、「今の委員長は共産党だ。」「今の執行部では会社がダメになる。」「今度の支部大会では良識的な態度で臨んでくれ。大田(決)委員長には投票しないように。大田(決)以外の対立候補が出たら、その方に投票しろ。」と説得し、また、東京本店では、上司(非組合員)が部下の代議員に対し支部大会で投票すべき者を暗に示しさらに、広島支店でも、支店長(非組合員)が、意にそわないA派組合員に対し代議員への立候補を断念するよう勧告し、あるいは投票すべき代議員立候補者を指名するなどした。

(7) かような経緯から、右定例支部大会で、執行委員長には大田決が再選されたものの、執行部役員一五名中六名をB派が占め、昭和五六年九月の定例支部大会においては、大田決に替わつてB派の太田忠志が執行委員長に当選し(右当選の事実は当事者間に争いがない)、執行部役員のポストもA派よりB派の方が多数を占めるに至つた。

(8) なお、昭和五四年秋頃、当時被告会社の関東営業本部長であつた松本和久は、「憂う」なる文書を一部の朝日支部組合員に配布し、その中で、「(被告会社が資本)蓄積分を食つて来た原因は権利の主張という名のもとに組合が要求した人数の増員そして人件費物件費の過大アップ」をしたことにあり、「この際組合委員長も責任をとり後進に道をゆずるべきであろう」と述べた。

(三)  会社の人事異動の概要

<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 被告会社は、昭和五四年四月期から昭和五八年四月期まで、別表(二)記載のとおり定期人事異動を行つた。

(2) その間、朝日支部執行部役員に就任したA派組合員は一三名、B派組合員は一九名であるが、そのA派組合員の全てが、役職を離れた後、本店から遠隔地のあるいは東京近郊の小規模な営業所へ配転されているのに対し、B派組合員はその役職を離れた後、本店勤務となるかあるいは営業所へ配転されている者でもその全てが所長に昇格した。

なお、被告会社は、朝日支部の執行部役員に就任した組合員に対する異動も全て人事異動の基本方針にかなうものであり、その際昇格するか否かは各人の能力差によるものである旨を主張しているが、しかしながら、たとえ右異動が被告会社主張の基本方針にかなつているとしても、地方の営業所へ転出したB派組合員が全て所長に昇格しているのに対し、等しく地方の営業所へ転出したA派組合員が誰一人として所長に昇格していないということは、いかにも奇異であり、そこには能力を超えた何らかの作為があるといわざるをえない。

(四)  単身赴任(別居配転)の取扱

<証拠>を総合すれば、全損保では、従前から本人の意に反した夫婦別居配転を重視し、その撤回につき、組合活動を展開し、解決してきたこと及び被告会社において、昭和五五年四月、橘邦昭と八木隆の二名に対し配転の内示をした(この点は当事者間に争いがない。)際、右両名がいずれも夫婦別居配転になるとして異議を唱えたときも、全損保が支援をして、朝日支部において抗議行動を行つた結果、被告会社も、これらの夫婦別居配転を強行しなかつたことが認められ、また、<証拠>によれば、被告会社では、原告の妻が大東京火災海上保険株式会社大阪支店に勤務していること(この点は当事者間に争いがない。)を認識していたことが認められ(以上各認定に反する証拠はない)、すると被告会社は、本件配転命令が原告の意に反する夫婦別居配転となる可能性も充分認識していたものというべきである。

2  原告の状況

(一)  組合歴及び組合活動の状況

原告が、被告会社に入社以降、全国の損害保険事業に働く労働者で組織する産業別単一組織の「全損保」に加入し、被告会社の従業員で構成される「朝日支部」に所属して来たこと、昭和四八年九月から昭和五五年八月までの間、組合役員に就任していなかつたこと及び原告が、同年九月以降、被告会社主張のとおり(事実摘示欄第二・二・3・(一)・(1))組合役員に就任していたことは当事者間に争いがなく、また<証拠>によれば、本件配転命令当時、原告は、全損保神戸地方協議会副書記長の役職にあつたこと、昭和五六年一一月、翌五七年九月の神戸分会委員長選挙の際、B派の対立候補があつたが、いずれも原告が当選したこと、また、原告は、A派の立場で、昭和五五年九月以降昭和五八年三月まで施行の支部定例及び臨時大会の代議員に毎回立候補し、その都度B派の対立候補が存在したにもかかわらず、連続して六回当選し、かつ、常に支部大会の場で代議員として活発に発言したこと、昭和五七、五八年当時、朝日支部の大方の分会では、前記のような潮流のもと、その役員をB派が独占するようになつていたが、ひとり神戸分会のみは、原告の影響力が強いこともあつて、その委員長、副委員長、書記長の三役を全てA派で占めており、その意味で、同分会は、朝日支部の中で目立つた存在であり、重要な組合活動の拠点として被告会社からも注目されていたこと、以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

もつとも、被告会社は、神戸分会では、原告の異動後、その委員長を副委員長であつた井崎隆が代行したから、同分会にとつて原告の異動がさしたる支障になつていない旨を主張し、なるほど、原告の異動後、右主張のとおり井崎隆が神戸分会委員長を代行したことは当事者間に争いがなく、また、<証拠>によれば、右井崎隆もA派組合員であることが認められるが、前記のとおり、原告は昭和五六年一一月以降本件配転まで神戸分会委員長に就任して活動を続けてきたばかりでなく、昭和五五年九月以降支部大会代議員に連続して六回当選し、支部大会の場で意見表明を行つてきたのであつて、すると、その組合活動における他の組合員に対する影響力は井崎隆に遙かに優るものと認められるから、被告会社の右主張はにわかに採用できない。

また、被告会社は、本件配転後、原告と同様の立場に立つ野口英機を神戸支店に配転したから、本件配転命令が神戸分会の弱体化を狙うものではない旨を主張し、本件配転後、野口英機が神戸支店に配転されたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同人(A派である。)の組合活動歴は原告に優ることが認められるが、一方、右各証拠によれば、野口英機は、昭和三六年四月に被告会社に雇用され、以来昭和五八年四月に神戸支店に配転されるまで引き続き大阪支店に勤務して組合活動を続けてきたことが認められ、すると、同人にとつては、専ら大阪分会がその組合活動の拠点であつて、こと神戸分会での組合活動については、その経歴からいつて原告とは比較にならないものと推断することができる(このことは、<証拠>からも明白である。)から、被告会社の右主張も採用することができない。

(二)  人事考課上の取扱

被告会社が、本件配転命令直後の昭和五八年四月一日から原告の給与格付けを最低のEランクに評定する旨の人事考課を行つたことは、当事者間に争いがないところ、右人事考課の理由については明確にされておらず(<証拠>によつても明らかでない)、かえつて、<証拠>を総合すると、被告会社の原告に対する昭和五二年度から昭和五七年度までの人事考課上の評定は別表(三)のとおりであつて、原告は、従前被告会社から概ね標準型(Bランク程度)の評定を受けていたものであり、かつまた、本件配転直前の原告の勤務ぶりにもさして問題となるところがなかつたことが認められる(これを覆すに足りる証拠はない。)から、被告会社の原告に対する前記Eランクの評定は、極めて不合理なものというほかはない。

(三)  金沢営業所における状況

<証拠>によれば、金沢営業所は、朝日支部の組織上、名古屋分会の金沢区会となつているが、同分会の拠点である名古屋支店から日帰りも困難な場所であり、同営業所の従業員の構成は本件配転当時別表(一)のとおりであつて、原告を除き八名が就労しているにすぎないことが認められ(これに反する証拠はない)、すると、名古屋分会での原告の組合活動は、神戸分会でのそれに比して遙かに困難になつたと認められる。

3  本件配転後の状況

<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1)  昭和五八年九月開催の朝日支部定例支部大会に関して、名古屋分会では、中部営業本部長の肝煎りで、管内の課所長会議が招集され、席上組合員ごとに投票すべきB派立候補者の割当及びその組合員の説得に当る課所長の決定がなされ、その結果、右説得が実行され、A派立候補者(主として原告)が当選することのないよう工作された。

(2)  また、神戸分会の場合は、支店長(非組合員)において、B派立候補者への投票を組合員に働きかけるなどした。

(3)  前記支部大会での選挙の結果、執行部役員は全てB派が占めた。

(4)  かねて朝日支部の執行部役員を歴任し、昭和五七年四月から秋田営業所(後記新市場開発担当)勤務となつたA派組合員である亀井恭三のことについて、被告会社の社長室の課長が、昭和五八年一〇月頃、組合活動を止めない限り秋田営業所に塩漬けにする旨の発言をした。

(5)  昭和五八年一二月ころ、被告会社の中部営業本部長(非組合員)であつた松本和久(この点は当事者間に争いがない。)は、四日市営業所の従業員に対し、全損保の組合活動を批判した後、「大田(決)は朝日火災の貧乏神だ。」「大田(決)、樋口は、癌細胞だ。会社に食らいついて離れない寄生虫のようなものだ。」などと発言した。

4  本件配転について

被告会社は、本件配転命令は「合理化計画」の実行の一環として、金沢営業所における「新市場開発担当」選任の必要性及び原告を金沢営業所勤務とする人選の合理性に基づいて発令したものである、と主張するので(事実摘示欄第二・三・3・(一)及び(二))、右業務上の必要性及び原告人選の合理性について検討する。

(一)  業務上の必要性

まず、金沢営業所に「新市場開発担当」を選任する業務上の必要性があつたかどうかについて考える。

(1) <証拠>を総合すると、「新市場開発担当」が、被告会社主張のように、田中社長以下の新経営陣になつてから、営業最優先施策の一環として営業の拡大・活性化を図るため新しく登場した被告会社独自の制度であり、昭和五五、五六年当時、被告会社によつて積極的に位置づけがなされ、以来、多くの営業所に担当者を配置し、その活動が展開されつつあつたことが認められる(これに反する証拠はない。)ところ、一方、<証拠>によれば、右乙号証は、被告会社において、昭和五八年四月当時作成され、営業本部長、部長合同会議で配布された資料であつて、これに基づき同会議において昭和五七年度の営業結果並びに昭和五八年度の基本方針及び具体的施策について検討が行われたことが認められるが、その際、新市場開発担当について格別の成果があがり今後も積極的に展開すべきものであるかにつき特別の指摘等がなされたのかについては、右書証等その他全証拠によつても明確ではなく、かえつて、<証拠>を総合すると、昭和五七、五八年頃には、被告会社は、新市場開発担当を置く営業所の選別及び担当者の選別には必ずしも確立した方針がなく、大営業所でもその配置をなさず、また担当者として適格性がない者でも、人事異動の都合により担当者として無差別に選任し、かようなことや新市場開発担当の職務の性格等から、予期した程の成果はあがらず、一部では従業員のいわゆる日銭稼ぎに堕しているところすら存することが認められ、そうだとすると、被告会社が当時、果して積極的営業展開の一施策として「新市場開発担当」の存在を重視していたのかどうか極めて疑わしいといわなければならない。

(2) また、金沢営業所の状況であるが、<証拠>によれば、被告会社において、金沢営業所は、昭和五三年六月策定の前記合理化実行計画のなかで要員削減候補の営業課所に掲げられており、昭和五六年一月策定の要員計画(第五次合理化計画(案))では、同年一月五日現在七名の人員を昭和五七年三月三一日までに男子一名を減らし、もつて、同営業所での一人当りの収入保険料を三五〇〇万円から四一〇〇万円に引き上げる計画であつたことが認められるが、前記認定のとおり、昭和五八年四月期をもつて逆に要員一名が増員されることになつたところ(金沢営業所の同年四月当時の従業員数は、前記認定のとおり、原告を除いて八名であるが、<証拠>によれば、同年六月に一名が定年退職する予定であつたことが認められるから、実質的には八名であり、一名の増員に留まる)、何故、八名に増員した体制で臨む必要があつたのか、前後の事情に鑑み、にわかに理解することができない。

この点、被告会社は、昭和五七年に新たに退職者市場を開拓しえたため増員が必要になつたと主張するところ、確かに、<証拠>を総合すれば、金沢営業所では、同年に新たに、毎年三〇〇名位の規模を持つ石川県教職員の退職者市場を開拓したことが認められるものの、<証拠>によれば、右のような市場における契約募集は三、四月という一時期に集中するものであるため、他の営業所では、その時期のみ営業担当以外の者が援助協力し、一緒に契約募集に従事するという例も多い(実際、金沢営業所でも、昭和五七年はそうした。)と認められるのであつて、そうしてみると、被告会社が、前記のような強力な合理化、人員削減施策を進めているもとで、直ちに「新市場開発担当者」として一名増員するとはにわかに考え難い。付言すると、<証拠>を総合すると、被告会社では、田中社長以下の新経営陣になつて以来、前記のとおり合理化計画が実行され、要員の削減、再配置等に意をそそいだ結果、大幅な人員の削減が実施され、昭和五三年四月に一三一六名いた従業員は、昭和五七年四月には八七八名に、さらに昭和五九年一〇月には六七七名となつたが、一方、営業重点方針による人員の効率的な運用を図り、昭和五六年一月策定の第五次合理化計画(案)においても、具体的な営業数値等を検討のうえ、昭和五七年三月三一日現在の要員の配置を計画していることが認められ、そうだとすると、過去に減員候補とされ、要員七名にすぎない金沢営業所を新たに新市場開発担当を置いて八名に増員するからには、仕事量の増量、その継続性、他の要員による非補完性その他の諸事情を仔細に検討してしかるべきである。ところが、そうした点について検討したという形跡は窺うことができない(かかる立証がない)。

してみると、本件配転命令は、金沢営業所で退職者市場を開拓しえたため、その要員補充として行われたとする被告会社の主張は認め難く、他に、金沢営業所増員の必要性について、主張立証はない。

(二)  原告人選の合理性

次に、原告を金沢営業所勤務にした人選の合理性について検討するに、被告会社における人事異動の基本方針並びに「新市場開発担当」の選任方針(人事異動一般の合理性)の点についてはさて措き、まず、原告の職能に期待して本件配転命令を行つたという被告会社の主張について考えるに、これに沿う<証拠>は具体性に乏しくにわかに措信しがたいばかりでなく、そもそも、被告会社が、本件配転命令直後の昭和五八年四月一日から原告の給与格付けを最低ランクのE評定とする人事考課を行つたことは前記のとおりであるところ、この人事考課の評定と前記配転命令発令の理由とは矛盾しているといえるし、昭和五〇年四月以降本件配転までの八年間引き続き査定業務を担当してきた原告が、すぐさま営業業務に従事し、しかもその最先端かつ新種の「新市場開発担当」に任ぜられても直ちに期待された十分な成果をあげられるとは、にわかにいい難いのみならず、さらに、原告人選の経過についてであるが、<証拠>によると、本件配転については、原告のほか二名(東京及び名古屋在勤者各一名)の候補があつたことが認められるが、右ほか二名の氏名・年令・家族構成及び社内歴等については、右証人の証言等によつても全く明白でないから、果して、原告が他の二名と比較して的確にかつ公平に人選されたか否かについても、甚だあいまいというほかはなく、そうだとすると、他の点について判断するまでもなく、原告を金沢営業所に配転した人選の合理性についても、種々疑問があるといわねばならない。

5  不当労働行為の成否

およそ、使用者の行つた配転命令が労働組合法七条一号、三号の不当労働行為を構成するか否かについては、当該配転命令が発せられた経緯、その業務上の必要性、配転候補者選定上の人選基準及び具体的人選の合理性、当該従業員の経歴並びに組合活動上の地位及び活動の状況、配転先における組合活動の難易、使用者の組合活動に対する批判、不利益扱いの有無及びその程度、その他諸般の事情を総合勘案して判断するのが相当である。

これを本件についてみると、前記認定のところから明らかなとおり、確かに、原告については、労働契約上その勤務先や職種が限定されていたとは認められないが、本件配転命令を行うべき業務上の必要性及び原告を人選した合理性は、極めて疑わしいところである。前記認定の本件配転に至つた経緯及び本件配転前後における被告会社と朝日支部との関係等をつぶさに観察すると、被告会社は、田中社長以下の新経営陣となつて以来、徹底した合理化計画を敢行するため、これに強く反対していたA派組合員が、朝日支部執行部役員及び分会役員の地位にあることが邪魔になり、A派を中傷するとともに、右合理化計画に協調的なB派組合員を支援する一方、同支部執行部役員を退任した者その他のA派組合員を地方の出先の営業所等へ配転する等の措置を採つたため、その組合活動にも著しい影響を及ぼし、昭和五八年四月頃には、朝日支部の執行部役員全員がB派組合員で占められたのみならず、分会役員もB派組合員で多数を占めるに至つたことが認められる。これに対し、神戸分会においては、A派が衰退の一途を辿る傾向のなかで、同年三月当時も、分会の三役を全てA派組合員で占め、A派最大の拠点、最後の保塁的存在となつたが、これには、原告が、昭和五五年九月、右分会委員に就任し、さらに昭和五六年一一月に同分会委員長に就任し、その活動の中心的役割を演じたことが高く評価された。原告は、一時期組合の役職を離れたことがあつたが、元来が組合活動に熱心であつて、特に、昭和五五年九月以降は朝日支部大会において同分会選出の支部大会代議員として活発にA派組合員としての意見を述べ続け、目立つた存在であつた。かくて、本件配転は、原告に対し、神戸分会という活動拠点を失わしめる意義があると同時に、神戸から遠く離れ、朝日支部の区会しかない従業員少数の金沢営業所に配転することにより、今後の組合活動を著しく困難にさせる不利益があつた。もちろん、右配転により、原告は生活上にも単身赴任(別居配転)という著しい不利益を被つている。

すると、本件配転命令は、朝日支部におけるA派組合員の活動を嫌悪した被告会社が、A派組合員がその三役を独占する神戸分会の活動に介入し、その中心的存在たる原告に対する反情からこれを敢行し、もつて、朝日支部からA派組合員の一層の排除を図ることをその決定的な理由として行われたものであると推認することができるから、本件配転命令は、労働組合法七条一号に該当する不利益取扱であると同時に、同条三号の支配介入にも該当する不当労働行為であつて無効である。

三本件地位確認請求について

そうだとすると、被告会社が右配転命令の効力を争つていること(請求原因4)は当事者間に争いがないから、原告の本件地位確認の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由があるといわなければならない。

四本件不法行為による損害賠償請求について

1  前判示のとおり、本件配転命令は不当労働行為に該当し、しかも、右配転は、原告にとつて組合活動上及び生活上著しい不利益を伴う無為なものであつて、これを企図してなされた被告会社の本件配転命令は、不法行為を構成すると認めるのが相当であり、これによつて原告の精神的苦痛は、前記三の地位の回復によつて償うことができないから、被告会社は、原告の精神的苦痛に対する損害の賠償をする義務があるというべきである。

2  そこで、右損害賠償の額について考えるに、前判示のとおり原告は、被告会社の無為な本件配転命令により従前の職務を奪われ、金沢営業所で右職務と異なる新市場開発担当に就労することを余儀なくされ、かつまた、組合活動上及び生活上著しい不利益を被り、特に、原告が、単身赴任を余儀なくされたため毎月一七万余円の出費増となつていることは、原告本人尋問の結果により認めることができ(これを覆すに足りる証拠はない)、以上の諸事情をかれこれ勘案すると、原告は、本件配転命令によつて現在まで(本件口頭弁論終結時まで)金一五〇万円の精神的損害を被つたと認めるのが相当である(なお、原告は、本件口頭弁論終結後の将来に亘る損害賠償も請求しているが、本件配転命令によつて原告が将来に亘り被るであろう損害の有無、程度については、本判決の結果をふまえた被告会社の今後の対応等により左右されるから、現時点で、これを直ちに明確にし、かつ具体的に把握することは困難であり、また、その必要もないから、右請求は認めないこととした)。

五結論

上記の次第であつて、原告の本訴各請求は、原告の地位確認を求める点及び損害賠償請求のうち、損害賠償金一五〇万円の支払を求める限度でそれぞれ理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して(なお、仮執行免脱宣言は、付するのが相当でないから、これを付さないこととする)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官砂山一郎 裁判官貝阿彌 誠 裁判官野中百合子)

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