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神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)811号 判決 1991年4月22日

原告

益田実

右訴訟代理人弁護士

木村澤東

福本富男

山田康子

被告

鷲谷理

右訴訟代理人弁護士

米田泰邦

主文

一  被告は、原告に対し、金五八九万〇二三九円及びこれに対する昭和五八年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一億円及びこれに対する昭和五八年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、結核患者が、その治療中に視力が低下し始め、やがて失明したのは、治療中に投与された薬の副作用が原因であるとして、主治医に対し、診療契約の債務不履行あるいは不法行為に基づく損害賠償を請求した事件である。

一争いのない事実

原告は、昭和四九年に同志社大学法学部を卒業し、日本通運株式会社に勤務していた。被告は、肩書地所在の須磨裕厚病院において、医療行為を行っている医師である。

原告は、昭和五五年一月七日から昭和五六年一月三一日まで、肺結核の治療のため、同病院に入院し、被告の診療を受けた。

被告は、昭和五五年七月三日から同年一二月二六日までの間、抗結核剤であるエタンブトール(日本レダリー株式会社製エサンプトール錠)を毎日1.00グラム、合計一七七グラム原告へ投与した。

原告の視力の変化は、次のとおりであった。但し、かっこ内は裸眼時の視力、かっこ外は矯正時の視力を示す。

年 月 日   右    左

(昭和五五年)

七月七日  1.2(0.1) 1.2(0.3)

八月八日  (0.15)  (0.1)

九月二日  1.0(0.15) 1.5(0.2)

一〇月七日 1.5(0.15) 1.2(0.2)

一一月一一日 0.6   1.2

一二月一〇日 0.5   1.2

(昭和五六年)

一月一七日 0.5   0.3

原告は、昭和五五年一二月中旬に至って新聞の小文字が見えにくくなり、同月二六日、その旨被告に訴えたため、翌二七日から、エタンブトールの投与は中止された。

エタンブトールの投与によって、その副作用として、時に視神経障害による視力低下、中心暗点、視野狭窄、色神異常などの視力障害が現われることは広く知られている。この視力障害は、早期に発見し、エタンブトールの投与を中止して集中的に眼科治療を行えば、視力が回復するが、進行すると非可逆となる傾向にある。

二争点

因果関係、被告の過失、損害等。

第三争点に対する判断

一エタンブトールの投与と視力障害との因果関係

エタンブトールの副作用としての視力障害については前記のとおりであり、その使用期間が三月程度でも視力障害は発生しうる(<証拠略>)。原告は、六か月間にわたって毎日エタンブトールを投与され、その総量が一七七グラムに達することから、民事訴訟における立証責任の分配の趣旨に鑑み、エタンブトール以外の原因を疑わせる特段の事情のない限り、原告の視力障害はエタンブトールの副作用が原因と推認するのが相当である。

ところで、当裁判所の鑑定の結果(鑑定人湯浅武之助)によれば、右の因果関係は否定され、その理由として、①投薬の中止時点では軽度であった視力低下が中止後も非常に進行したこと、②視神経乳頭に強い浮腫があったこと(<証拠略>)はともにエタンブトール視神経症としては非常に珍しい現象であり、これが重複することは希有であるからと説明する。しかしながら、前記のとおりエタンブトールによる視力障害は進行すると非可逆となるものであるから、①は右の因果関係を否定する理由とはならず、また、②の視神経乳頭にあった強い浮腫の原因は不明であり、右の因果関係を積極的に否定する根拠としては足りないから、結局、右鑑定の理由は合理的な疑いの余地を残す。よって、右鑑定の結果は、採用しない。

よって、右の因果関係は、最終的に肯認すべきである。

二被告の過失

視神経障害の副作用を有するエタンブトールを患者に投与するに際しては、医師は、患者の視力に注意を払い、もし異常があれば直ちに投与の中止等の臨機の対応をなすべきである。特に、本件では、昭和五五年一一月一一日の段階で、右眼の矯正視力が前月の1.5から0.6に急激に低下しており、被告としては、少なくとも原告をして眼科の専門医に精密検査を受けさせるべきであった。そうすれば、視力の低下を防止しあるいは視力の回復により原告の視力(現在はほぼ全盲)をより向上した状態に維持することができた可能性が高い。しかるに、被告は、一一月一一日における右視力の低下を単なる検査の誤差によるものと軽信し(被告の供述)、漫然とエタンブトールの投与を続けた。これは、被告の過失と評価すべきである。

三損害

1  逸失利益

原告は、昭和六二年から、佐藤整形外科診療所に勤務し、平成元年には二〇五万八七六〇円を給与として取得し、その後も同程度の給与取得が見込まれ(<証拠略>)、この限度で現在原告に労働能力が残存していると言うべきである。平成元年賃金センサス第一巻・第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・大学卒・全年齢平均の年収額は五八〇万八三〇〇円であるから、原告の労働能力の喪失率は、次のとおりである。

原告は、失明しなければ、昭和五八年(原告の請求起算点。原告三二歳)から六七歳に達するまでの間、少なくとも昭和五八年賃金センサス前同平均額四七二万三九〇〇円を得ることができたと推認されるので、その額を基礎として、ホフマン方式により中間利息を控除して三五年間の逸失利益の昭和五八年当時の価格を算定すると、次のとおりである。

×19.917=60,737,040(円)  このうち、被告に負担させるべき金額は、以下①ないし③の事情を考慮のうえ、衡平の原則に従って判断するに、右金額の四割である二四二九万四八一六円とするのが相当である。

①  被告が、昭和五五年一一月一一日の視力低下に即応して原告をして眼科の専門医の精密検査を受けさせる等の対策を講じたとしても、相当程度の視力低下の状態で固定した可能性が相当程度あると考えられる。

②  右昭和五五年一一月一一日の時点が医学的に見て非可逆的な視力低下の段階に至っていたか否かの点については、必ずしも明らかでなく、被告がエタンブトールを投与し続けた過失は軽度と評価すべきである。

③  結核が個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止するために(結核予防法一条参照)、結核の治療にあたる医師は、その治療薬に副作用が知られていても、なおその一定の危険を冒してもこれを使用しなければならず、その限度で社会的に許された危険と評すべきである。医薬品副作用被害救済・研究振興基金法の制定は、右のような場合にもなお患者の救済を意図したものと言うことができる。本件でも、後述のように、同法の規定に基づく金員が原告に給付されている。

2  慰謝料

以上認定の諸般の事情を考慮すると、八〇〇万円が相当である。

3  損益相殺

(一) 医薬品副作用救済給付金

原告は、現在、医薬品副作用救済給付金の支給を受けており、現在までの給付内訳は別表1のとおりであり、合計金一六二七万三〇〇〇円である(<証拠略>)。

(二) 厚生年金

原告は、現在、身体障害者福祉法に基づく二級の身体障害者と認定され(<証拠略>)、厚生年金の支給を受けている。その現在までの内訳は別表2のとおりであり合計金一〇一三万一五七七円である(<証拠略>)。

(三) 弁論終結までの損益相殺の合計額

二六四〇万四五七七円

4  よって、被告が原告に賠償すべき損害額は、次のとおり、五八九万〇二三九円である。

24,294,816+8,000,000−26,404,577

=5,890,239(円)

四結論

よって、本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償として、五八九万〇二三九円を請求する限度で理由がある。

なお、原、被告間に診療契約が締結されたと認めるに足りる証拠はない。

(裁判長裁判官林泰民 裁判官岡部崇明 裁判官井上薫)

別紙<省略>

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