神戸地方裁判所 昭和60年(ワ)614号 判決
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五九年四月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行の宣言。
二 被告
主文と同趣旨
仮執行免脱の宣言。
第二請求の原因
一 原告は、昭和五六年一月二七日、普通乗用自動車を運転して兵庫県道神戸明石線を東進し、同日午後一〇時二五分頃、神戸市<以下省略>先交さ点(以下、本件交さ点という。)に差しかかつたが、対面する信号機は赤色の灯火信号、及び直進と右折可とする青色の灯火矢印信号を表示していたのに、原告は、右折及び左折とも可とする青色の燈火矢印信号が表示されているものと判断し、同交さ点に進入して左折進行したところ、原告に信号機の確認義務を怠つた過失があつたとして、道路交通法一一九条二項、一項一号の二違反の刑事責任を問われた(以下、この事件を本件刑事事件という)。
二 本件刑事事件については、神戸区検察庁検察官Bが捜査を担当し、昭和五六年六月四日、神戸簡易裁判所に対し公訴を提起し、同庁検察官Cが公判を担当して公判手続が進められ、一方、神戸簡易裁判所裁判官Dは、昭和五七年四月一三日の第九回公判期日以降、右事件の担当裁判官となり、昭和五八年四月一一日の第二一回公判期日に審理を終結し、同月二五日の第二二回公判期日に原告を罰金六〇〇〇円に処する旨の判決を宣告したところ、原告が控訴したので、大阪高等裁判所裁判官E(裁判長)、F、G(以下、本件高裁三裁判官という。)は、担当裁判官として審理し、同年八月一二日の第一回公判期日に審理を終結のうえ、同月二六日の第二回公判期日において、原告の本件控訴を棄却する旨の判決を宣告した。なお、本件刑事事件については、昭和五九年三月二七日上告棄却により、既に判決が確定している。
三 しかし、本件刑事事件については、次の事実から原告に過失はなかつた。
1 道路交通法施行規則四条二項一号は、高速自動車国道及び自動車専用道路を除く一般道路においては、信号機の灯火の光度は一五〇メートル前方から識別できるものであることを要すると定められ、これは、道路交通の安全維持のため強行規定と解される。
2 一方、同施行規則二三条は、普通自動車の運転免許を取得するには一眼で〇・三以上、両眼で〇・七以上の視力を有すること要すると規定し、当時の原告の視力は両眼とも一眼でそれぞれ〇・六であつた。
3 本件交さ点における前記の対面する信号機(以下、本件信号機という。)の灯火信号の鮮明度は、当時、著しく低下し、両眼とも一眼の視力が各一・〇前後の者が右信号機を停止線手前二〇メートル(右信号機設置地点からはその前方八六・五メートル)の地点から観察しても、赤色の灯火一個と青色の灯火矢印二個の信号が点灯していることは確認できるが、その矢印信号が指示している方向は判然と確認できず、左折・右折とも進行可ともみえる状況であつて、これは、前記の道路交通法施行規則四条二項一号の規定に違反する信号機の設置であるというべきである。
4 以上のような次第であるから、本件信号機が当時左折・右折とも進行可と表示しているものと判断して本件交さ点で自動車を左折させた原告の行為は、何らの過失がないといわねばならない。
四1 検察官Bは、本件起訴前、昭和五六年四月二七日の昼間快晴時及び同年五月一二日の夜間午後八時頃に本件現場の実況見分を実施し、その際、右検察官は、自らの観察により、いずれも本件交さ点の停止線手前二〇メートル(本件信号機設置地点の前方約八六・五メートル)からは本件信号機に青色矢印信号二個が点灯していることは判明するが、右二個の灯火矢印信号がいずれの方向を表示しているかは明確に確認できないこと、また右停止線上地点では右二個の矢印信号の表示する方向を明確に確認できること、という実況見分の結果を得た。なお、右夜間見分時における同検察官の視力は、両眼とも一眼でそれぞれ〇・九であつた。
2 また、検察官Bは、同年一二月三日の本件第六回公判期日において、「前記停止線の手前五メートルの地点から、右二個の矢印信号の表示する方向が確認でき始めた。」と証言した。
3 右実況見分の結果及び証言の内容を前記三掲記の事実と対比すると、原告が行つた自動車左折進行は、明らかに罪とならないものであるのに、これを敢えて公訴提起した検察官Bの行為は、故意又は重大な過失による不法行為を構成する。
五1 検察官Cは、公判立会の検察官として検察官Bの前記実況見分の結果及び証言の内容を熟知している。
2 また、証人Hは、昭和五六年一一月一二日の本件第五回公判期日において、「夜間、本件信号機に向かい走行している普通乗用車に同乗して同信号機を観察した場合、前記停止線に停車した際、右信号機の矢印灯火信号がいずれの方向を表示しているのかを判別できるまでには、三秒程度を要した。」と証言した。
3 本件刑事事件は、昭和五七年一月一二日の第七回公判期日に一旦審理が終結された。
4 右審理終結の段階では、前記1・2の事実等から原告無罪の判決が宣言される可能性が著しく強いといわねばならない。
5 そこで、検察官Cは、敢えて弁論の再開申請を行い弁論再開決定を得たうえ、所轄の須磨警察署関係者等に働きかけ、本件信号機の灯火信号の表示を見やすいように改良させ、前記停止線の手前三〇メートルの地点からでも右灯火矢印信号が何れの方向を表示しているのかが容易に確認できる旨の実況見分の結果を得る等し、このような新資料を提出して原告を無理矢理有罪に陥れようとした。
6 検察官Cの、かかる公判手続を遷延させ、事実を歪曲した行為は、故意による不法行為を構成する。
六1 裁判官Dは、検察官に有利な資料のみを参酌し、原告に有利な資料はすべて棄捨し、敢えて原告有罪の判決を行つた。とくに、本件信号機の機能に関し、前記改良後検察官Cが行つた実況見分の結果等のみを一方的に採用し、検察官Bの行つた起訴前の実況見分の結果は、同検察官の体調不調だつたという弁疏を一方的に容認し、これを証拠から排斥した。
2 裁判官Dの、かかる裁判官としての公正中立な信念に反して原告を無理矢理有罪にした行為は、故意又は重大な過失による不法行為を構成する。
七1 本件高裁三裁判官は、非常識にも、起訴前の実況見分時の体調不調を訴える検察官Bの弁疏を採用し、最も重要な起訴前の実況見分の結果を極めて証拠価値の低いものと取扱い、原告の控訴を棄却したが、これは採証法則に違反し証拠の価値判断を誤つたものである。
2 本件高裁三裁判官の右行為も、故意又は重大な過失による不法行為を構成する。
八 原告は、前記検察官及び裁判官の不法行為により、次のとおり合計金一〇〇万円の損害を被つた。
1 本件刑事事件の公判期日出頭費用
(一) 日当 金四〇万一七一八円
(二) 交通費 金二万五三四〇円
右計算の根拠は別表(一)・(二)のとおりである。
2 本件刑事事件の訴訟費用 金四万七〇八四円
3 通信費その他の雑費 金二万五八五八円
4 慰藉料 金五〇万円
原告は、絶対に有罪とならない本件刑事事件について、不法にも起訴され、公判手続を延引されたうえ、有罪とされたため、著しい精神的苦痛を被つた。
九 本件検察官及び裁判官の不法行為は、違法な公権力の行使というべきであるから、被告は、国家賠償法一条により、右不法行為によつて原告が被つた損害を賠償する責任がある。
十 よつて、原告は被告に対し前記損害賠償金一〇〇万円及びこれに対する最終の不法行為があつた日の後日である昭和五九年四月一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三被告の答弁
一 認否
請求の原因第一・第二項記載の事実は認める。
同第三項1記載の事実は認める。但し、強行法規の主張は争う。
同項2記載の事実は認める。
同項3記載の事実は否認する。
同項4の主張は争う。
同第四項記載の事実のうち、検察官B作成の昭和五六年四月二七日及び同年五月一二日施行の各実況見分調書に原告主張とほぼ同趣旨の記載があることは認めるが、その余の事実は否認する。
同項2記載の事実は認める。
同項3の主張は争う。
同第五項1記載の事実は否認する。
同項2記載の事実は認める。
同項3記載の事実は認める。
同項4の主張は争う。
同項5記載の事実のうち、本件刑事事件の弁論が再開され、再開後施行の実況見分調書に原告主張と同趣旨の記載があることは認めるが、その余の事実は否認する。
同項6の主張は争う。
同第六項記載の事実は否認し、同項の主張は争う。
同第七項記載の事実は否認し、同項の主張は争う。
同第八項記載の事実は不知
同第九・第十項の主張は争う。
二 主張
1 本件信号機の設置の適法性について
道路交通法七条は、道路通行中の車両に対し信号機の表示する信号に従う義務を課しているから、信号は車両の前方から見やすいように設置しておかねばならないが(同法施行令一条の二第一項参照)、一方、信号は、道路における危険の防止と交通の安全を円滑に図るという目的にかなう程度の見易さがあれば十分であるというべく、この条件にかなうかぎり、当該道路の状況及び信号機の種類等諸般の事情から、当該信号機及びその表示する信号が、原告主張の同法施行規則四条二項一号にある光度に関する規定に合致しなくても、直ちに不適法なものということはできず、右施行規則の規定はいわゆる訓示規定というべきである。結局、同法施行規則二三条所定の適性試験に合格する基準に達する視力を有する自動車運転者が、最高制限速度で運転し、停止線の直前で安全に停止できる制動距離に相応する距離から対面する信号機の表示する信号を識別することができる場合は、当該信号機及びその表示する信号は適法かつ有効なものであるということができる。
この観点からすると、本件信号機の表示する信号の表示は、当時前記視力を有する者が停止線手前二〇メートルから識別することができたから、本件信号機及びその表示する信号は、適法かつ有効なものである。
2 検察官Bの処置について
本件刑事事件については、原告は、「本件信号機が当時赤色の灯火信号一個と青色の灯火矢印信号二個を表示していたことは認識したが、青色の灯火矢印信号の表示が不鮮明であつて、停止線(本件信号機前方約五〇メートルの地点)からは左折・右折とも進行可と表示しているように見えたので、自動車を停車させずそのまま交さ点に進入し左折進行したのである。」と弁解し、そこで、捜査担当の検察官Bは、捜査の結果、(1)本件信号機は交通法規に従つた正規の信号機であること、(2)本件信号機に関しこれまで所轄警察署等に対して何らの苦情も出されたことがないこと、(3)実況見分の結果、両眼の視力がいずれも一眼で一・二の立会人(警察官)Iほか一名によつて停止線の手前二〇メートルの地点で本件信号機の青色の矢印灯火信号が表示している方向を明確に観察できたこと等が判明し、これらの事実からすれば、本件刑事事件を起訴した場合有罪判決を期待できる合理的理由があると判断し本件公訴提起に踏み切つたものである。
もつとも、実況見分の際、検察官Bは、視力〇・九であつたが、前記停止線手前二〇メートルの地点からは、左右の灯火矢印信号の先端部分が何れの方向を表示しているのか、明確に確認できなかつた。しかし、同検察官は、当日自らの体調が思わしくなかつたこと及び前記立会人らによる見分の結果があることから、自ら確認していなくても、有罪判決を得るに妨げはない、と考えたわけである。
以上の次第であつて、本件起訴を行つた検察官Bの判断過程には何らの不合理は存しないから、同検察官の行為は適法であり、何らの過失はない。
3 検察官Cの処置について
検察官Cが第八回公判期日に弁論の再開の申請をしたのは事案の真相を究明し適正な判決を得ようとしたためであり、それ自体に違法性はない。
また、本件信号機の灯火矢印信号については、通達に従つた年一回の須磨警察署管内における信号レンズの一斉取替により、昭和五六年三月一六日及び昭和五六年三月一六日に、それぞれ右灯火矢印信号のレンズにつき球替えが実施された(昭和三六年三月一六日のときは、従来の一〇〇ワツト球を七〇ワツト球に替えられた。)が、これによつて、信号の明るさに大きな変化がなく、同検察官が前記灯火矢印信号をことさら見易いように変えたことは全くない。
以上の次第であつて、検察官Cの公判追行の所為は全て適法であり、何らの過失はない。
4 裁判官Dの処置について
裁判官Dの公判手続の遂行及び判決は違法、不当な目的を企図して行われたものではなく、全て適正になされたものであるから、同裁判官の行為はすべて適法であつて、過失など存するいわれがない。
5 本件高裁三裁判官の措置について
本件高裁三裁判官は、関係証拠を十分検討して控訴棄却の判決を行つたものであつて、違法・不当な目的をもつて裁判を行つた事跡は全くなく、これら裁判官の行為は適法であり、過失など存するいわれがない。
6 刑事確定判決の存在と民事責任追及の関係
刑事訴訟法は、裁判に対する不服は上訴によつて争い、是正の機会を与える一方、確定判決には強制通用力を与え、再審手続によるほかは、その効力を覆えすことはできない旨を定めている。
本件刑事事件については、判決確定後、いまだ再審判決がないばかりでなく、再審の請求すらなく、かつまた、原告の本件民事事件における主張は全て刑事手続における判断内容を争つているものにすぎず、これらは既に十分是正の機会が与えられているものばかりである。
そうすると、原告の本訴請求はそれ自体失当といわねばならない。
第四証拠
一 原告
甲第一から第四号証、第五号証の一から三、第六号証、第七号証の一から二四、第八から第六六号証。
二 被告
甲第八・第九号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立(第一から第三号証は原本の存在とも)は認める。
理由
一 請求の原因第一・第二項記載の事実は当事者間に争いがない。
二 ところで、刑事訴訟法によれば、刑事訴訟事件は厳格な訴訟手続のもとで十分に審理され、判決に対しては上訴及び再審によつてのみ不服が許されるわけであるから、刑事判決が確定した以上、再審手続によつて取消されないかぎり、一般には刑事判決は当該刑事事件に対する的確な判断として是認され、行政庁(検察庁等)を拘束し、裁判所も自縛されることになるから、当事者は、刑事判決に法律的立場から一見明白な事実誤認又は法令解釈の誤りがないかぎり、右判決に違法があるとして争い、国家賠償法に基づく損害賠償を請求することはできないと解するのが相当である。
本件刑事事件についてみると、本件刑事事件についての刑事判決が既に確定していることは前記認定のとおりであり、いまだその再審請求もないところ、原告は第一審・第二審の刑事事件担当裁判官の判断の違法を主張して国家賠償請求をしているが、その主張の骨子は要するに独自の見解に立つて右裁判官の判断内容を非難するに尽き、かような主張の許されないことは、前段所述のとおりであるから、原告の右主張は理由がない。
三 また、検察官の公訴提起及びその後の公判手続の進行についても右に準じた取扱いが相当であつて、裁判所から判決等を介してその違法不当の指摘がある等特別の事情がある場合は格別、そうでないかぎり、公訴の提起及びその後の公判手続の進行については、刑事判決の確定により適法であつたものと一応推認されるから、更に個々の非違を主張し検察官の公訴提起及びその後の公判手続の進行に違法があつたとして国家賠償法による損害賠償を請求することは、議論のむしかえしにもなり、相当でないと解される。
本件についてみると、まず、原告は、検察官(B)は明らかに罪とならない原告の行為を犯罪行為であるとして公訴を提起した違法がある、と主張しているが、本件刑事事件につき原告有罪の確定判決が存することは前記認定のとおりであるから、原告の右主張は、これと矛盾し、それ自体理由がないというほかはない。また、原告は、検察官(C)は不当な公判手続再開申請を行つて手続を遅延させた違法がある、と主張しているが、そもそも公判手続再開申請は刑事訴訟法三一三条一項により真相解明のため当事者に与えられた権利であり、検察官の行つた右再開申請が無為不要な違法不当のものであつたとは、担当の裁判所から何ら指摘されていないのはもちろん、公判手続上からもそのような事跡は窺えない(成立につき争いのない甲号各証参照)から、原告の再開申請に関する主張は理由がない。更に、原告は、検察官(C)は右再開申請による公判手続再開後に本件信号機を改良し有利な実況見分結果等を得てこれを裁判所に提供し真実の歪曲を図つた、と主張しているが、右提供にかかる資料については当然刑事判決を行う判断資料として裁判所の検討対象となるところ、右資料に関し裁判所が公判手続の経過中又は判決において格別の事実歪曲の指摘をしていないし、かかる事実歪曲の事跡を行つたとみられる徴表は記録上全く見当らない(前記甲号各証参照)のみならず、原告の右主張は、究極のところこのような事実の歪曲を遮閉してなされた本件刑事判決の不当を論ずることに帰するが、そもそも、かかる非難が一般的になし得ないことは、前掲二において説示したところであつて、すると、いずれにしろ原告の右主張も採用することができない。検察官の公訴提起等について瑕疵があつたという主張立証は他に存しないから、検察官の行為について違法不当があつたという原告の主張は、採用することができない。
四 すると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
神戸地方裁判所第六民事部
(裁判官 砂山一郎)
<以下省略>