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神戸地方裁判所 昭和62年(モ)263号 決定 1988年9月30日

破産者

堀内博勝

右代理人弁護士

古殿宣敬

主文

本件免責を許可しない。

理由

一破産法第三六六条ノ九第二号の該当事由

1  破産原因の発生時期

一件記録によれば、申立人は、昭和六〇年八月にいわゆる交通反則青切符を切られた場合に備えての自動車運転者を会員とする救済互助組織である「関西運転企画」を個人で開業したが、僅少の会員しか集めることができず、同年一二月にはその経営を断念せざるをえなくなり、そのため、その時点で、全額他からの借入にて調達した開業資金約五八〇万円及び右営業期間中の営業資金等に起因する借金合計七〇〇万円ないし八〇〇万円が残ったこと、申立人は、それ以降昭和六一年暮れまでトラック運転手のアルバイトとして稼働し、月額一五万円ないし二〇万円の収入を得ていたが、妻と三人の子を有することもあり、これでは自己の毎月の生活費にも足りなかったこと、申立人は、特に資産を有することなく、また、遺産の取得などの自己の稼働による収入以外の臨時収入を有せず、そのため、右のアルバイトとして稼働していた期間中は、それまでに発生した負債を自己の収入の中から返済することができないため、他からの借入金により右の返済に充てるしかなかったことが認められ、すると、申立人は、遅くとも右関西運転企画の経営を断念した時点すなわち昭和六〇年一二月には既に支払不能の状態にあったと認めることができる。もっとも、一件記録によれば、申立人は、昭和六〇年一二月以降も他から借金をし、これをもって、債権者に対し、現実に一部弁済をしていることが認められるけれども、以下一の4項に述べるように、右借金は債権者が申立人の借入時における言動から申立人に返済能力があると誤信したためであり、「自己の有する信用によった」ものとは言えず、また、高利借金による無理算段で支払を継続しても申立人の客観的経済状態は前叙のとおりであり、前記支払不能の認定を何ら左右するものではない。

2  破産原因が発生した後の借入

本件免責事件記録中の債権者一覧表及び本件破産事件記録中の債権者からの意見聴取書によれば、申立人は、破産宣告時である昭和六二年二月一八日午前一〇時前一年内に多数回にわたって新たな借入をしていることが認められる。すなわち、申立人は、右債権者一覧表の債権者合計一七名中番号1、5及び16以外の債権者からは破産宣告前一年内に借入しており、その延べ借入回数は三二回(同表記載の総借入回数三九回の約八二パーセントに相当する。)に上り、これは負債総額九五一万円余の三分の二強を占めていることが認められ、また、右の破産宣告前一年内の期間は前項で検討したとおり支払不能状態にあったのであるから、右の負債は破産原因が発生した後の借入金(以下、「当初支払不能借入金」という。)と言うことができ、これが負債総額のうちの大部分を占めていることが認められる。

3  当初支払不能借入金の借入時における申立人の内心

一件記録によれば、申立人には、債権者一覧表記載の負債以外の負債もあるが、その詳細は不明であり、それは、借金の発生・返済状況等についてのメモをしていないことに起因することが窺われる。一般に、借主は、その当然の責任としての返還約束を果すために、自己の収入の予定、借金の発生、支払期限、支払方法、利率、利息の金額、これまでの支払額及び支払残額等について、各債権者毎に区分して、かつ、毎月の収支の均衡が分かるように工夫したメモを記すであろう。なぜなら、もしこれを怠れば、毎月の収支の詳細が鳥瞰しにくくなり、少し気を許せば毎月の収支が赤字であることに気付いてそれまでの返済計画の甘さを反省して右返済計画を改善していく等の対応が遅れがちとなり、ひいては、自己の経済的破綻を招来するであろうことは、特別の学識を必要とせず、通常の社会生活を送っている人にとっては、極めて見やすい道理であるからである。それなのに、申立人は、前記のとおり、多数の借金を抱えているのに、このようなメモを記していないのであるから、借金をした当初から、返済計画は念頭になかったことが推測され、そのことは、とりもなおさず、借金の返済の意思の欠如を著実に物語るものと言う他はない。また、一件記録によれば、申立人は、当初より換金目的をもって、借金で新幹線の回数券を購入し、直ちにこれらいわゆる金券を売買している業者へ持ち込んで換金していること、しかも、債権者一覧表中、番号15の借入金額二八八〇円を除き、借入金額に端数のある借金すなわち番号4の三八万三一〇〇円、番号7の二七万八四〇〇円、番号8の二九万〇四〇〇円、番号10の六万九六〇〇円及び七万二六〇〇円、番号12の二九万〇四〇〇円、番号13の一四万五二〇〇円、番号14の二〇万八八〇〇円及び七万二六〇〇円、番号15の二七万八四〇〇円及び一四万五二〇〇円、番号16の七五万六六〇〇円がこれに該当し、その延べ回数は12回に及び、そのほとんどが前記のとおりの支払不能状態の下での行為であることが認められ、すると、申立人は、いわゆる取り込み詐欺と同様の批難は免れえないものである。以上見てきたように、客観的に明らかに支払不能状態の下での借金についてはそのこと自体申立人に支払意思が欠如していたことを強く推認させるうえに、返済計画の立案に不可欠な前記メモを申立人はつけていないこと、取り込み詐欺まがいの行為をしていることをも合せ考慮すると申立人は、前項で述べた当初支払不能借入金を借入れする際には、返済の意思はなかったものと認めるほかはない。なお、免責事件の破産者審尋において、右と同様の状況の窺える破産者が、他から借りた金でそれまでの借金を返済する(いわゆる自転車操業)つもりであったので、返済の意思はあった旨弁解する例が多いので一言するに、右の如き自転車操業を続けていけば、少なくともその間の金利の分だけ負債は増大する道理であり、いつかは負債全部について支払不能となるであろうことは自明であって、それを承知のうえでなお新たな借金をつくるのは、自己の不特定の負債につき支払不能となることの認識・認容があったことの証である以上、返済の意思のなかったこと(すなわち、詐欺の故意)は極めて明らかである。

4  当初支払不能借入金の借入時における申立人の言動

一件記録によれば、申立人は、前記の多数回に及ぶ当初支払不能借入金の借入申込から実際の金品の交付を受けるまでの間に、債権者に対し、自己が現に支払不能状態にある旨を告知しなかったことが窺われる。申立人は、右借入時には、前記のとおり、自己の収入では家族の生活費にも足らない状態にあったのだから、債権者に対し、自己の支払能力の欠如の事実を告知する義務を負っていたと言うべきであるから、不作為の詐術を用いたとも言いうるが、無銭飲食の事例と比較すると、これは作為による詐術(詐欺)と構成することができ、むしろこの方が事案の真相を捕えた直截なかつ常識的構成というべきである。すなわち、無銭飲食においては、注文者が、代金支払の意思も能力もないにもかかわらず、その事情を相手に告げず、人を欺く意思をもって注文をなすときは、その注文行為自体をもって詐欺罪における欺罔行為であるとされている。これと同様に、申立人が、支払期限における借入金元利を支払う意思も能力もないにもかかわらず、その事情を債権者に告げず、債権者を欺す意思をもって借金を申し込んだ行為自体をもって詐術の着手と言うことができる。なお、申立人は、右借金の申し込みをした時点では明示的な詐言を弄しているのではないようにも見えるが、消費貸借契約とは返還約束がその不可欠の要素であるから、申立人は、右の時点で借金の申し込みをした以上返還約束の当然の前提である弁済期における返還能力がある旨を黙示で述べたものと認められ、作為による詐術の構成を左右するものではない。

本件の如きいわゆる消費者破産の事例においては、債権者である貸金業者は借主の返済能力を越えた過剰貸付を行ない、借主の返済能力のないことを承知のうえでなお貸付けているので借主が自己の返済能力について詐術を用いたとしてもその点につき錯誤に陥ることはない旨の主張が見受けられるが、過剰貸付の点は後述するとして、一般に、貸主は、借主と親兄弟等の親族関係または特別の恩義のある場合等のごく例外的場合を除けば、貸した金は返済してもらいたいと考え、そのため、貸す際に借主の返済能力についてぜひとも知りたいと考えるであろうところ、まして、貸金業者は営利のために借主に金員を貸し付けるのであるから右の点はなおさらであろうから、貸金業者が借主の返済能力のないことを承知のうえで貸付けていることは認めることはできない。なお、貸金業者も、銀行や一般企業と同様に、経験上一定の貸倒れが発生することを予定している(いわゆる貸金業者の高利息とは、このような貸倒れによる危険に耐えうるためという趣旨をも有していると考えられる。)としても、それは、企業が営業を永続していくために当然に必要な配慮であり、すなわち自己保存のためであって、決して借主の返済不履行を許容する趣旨とは考えられない。

5  まとめ

以上によれば、申立人は、破産宣告一年内に、破産原因たる支払不能の事実があるにかかわらず、あたかもその事実がないかの如く装って、債権者多数に借金の申し入れをし、そのため、申立人に返済能力があると誤信した債権者が貸し渡した金員をそのまま受領したことは明らかであり、これは、破産法第三六六条ノ九第二号に該当する事由と言わざるをえない。

二申立人の負債に関する誠実性

破産法第三六六条ノ九の各号の免責不許可事由に該当する場合は、裁判所は、免責を許可するか否かの裁量権を有するので、その裁量権行使に必要な検討を申立人の負債に関する誠実性を中心にして行なう。

1  破産法第三六六条ノ九第二号該当事由に内在する事情

第一に、申立人の当初支払不能借入金を借り入れたときの内心について見ると、申立人は、自己に返済能力があると誤信した債権者が貸してくれるという金員を黙ってそのまま受け取っているが、その結果、債権者は丸損となることがほぼ決定したことになるのであり、申立人は、自分さえ金員を手にすることができれば相手にいかなる損害を与えてもかまわないというあきれ返るばかりの自己中心的思考の実行に憂き身をやつしていたと言うことができる。換金する目的で新幹線の回数券を多数購入している申立人の姿を思い浮べると、そこには唯々目的のためには手段を選ばないという紛れのない悪徳が支配していて、良心のとがめはいささかも感じられない。第二に、申立人による詐術の内容を見ると、それは外見上は単なる借金の申し込みであり、極めて「良心的な詐術」のように見える。詐術という用語が何やら怪しげな奇術、忍術の類を連想させがちであるが、単に相手を欺岡する行為を言うのであり、具体的には詐欺における欺罔行為と同様に考えることができる。一考すると、申立人の氏名詐称などは詐術として把握しやすいが、債権者にとってみれば、申立人の氏名の真偽自体はどうでもよく、それは借主が申立人であることを詐称された氏名を記入した借用証では立証できずに結局その貸金を回収することができなくなる可能性がある点で黙過することができないのである。このことからも分かるように、申立人から借金の申し込みを受けた債権者がその承諾の是非について知恵を廻らすとき最も重点を置くのは申立人に返済能力があるや否やについてであろう。すると、返済能力がないのにあるかのように嘘をつくことは、債権者の最も重点を置く事項について欺罔することであるから、右の氏名の詐称等の形式的部分の欺罔と比べてより悪質である。実際、申立人は、債権者に対し、単に借金の申し込みをしただけで、申立人の返済能力がないのにこれがあるかのように債権者を錯誤に陥れているのを見ても、申立人のした右の単なる借金の申し込み自体、債権者を錯誤に陥れるのに十分な威力を発揮していると言うことができ、それがいかに危険な陥穽であるかが分かるというものである。いわゆる釣り銭詐欺すなわち相手が誤解から釣り銭を本来のものより多く出したことを知りつつ黙ってこれを受領することを相手が既に陥っている錯誤状態をそのまま利用して財物を取得した点をとらえて不作為による詐欺と構成しうるが、これと比べると、申立人の単なる借金の申し込みが積極的行動を伴っている点でより悪質と見ることができる。第三に、借入の金額・回数を見ると、一2項で述べたとおりであって、申立人の当初支払不能借入金の借り入れについて、いかに貪欲で執拗、形振かまわず性懲りもない態度で一貫していたかが看取される。特に、破産申立のなされた昭和六一年一一月二一日に接近した時期の借り入れをみると、債権者一覧表中の同年九月には、国内信販株式会社神戸営業所(番号10)から七万二六〇〇円を、株式会社ライフ(番号13)から一四万五二〇〇円を、株式会社オリエントファイナンス(番号14)から二回に分けて二〇万円及び七万二六〇〇円を、近畿日本信販株式会社(番号15)から一四万五二〇〇円を借り、同年一〇月には、株式会社住友クレジットサービス(番号4)から三八万三一〇〇円を、太陽神戸カードサービス株式会社(番号8)から二九万〇四〇〇円を、ユニオンカード大阪支店(番号12)から二九万〇四〇〇円を借り、さらに同年一一月に入ってから出口与治兵衛(番号17)から五万円を借りていることを考慮すると、申立人の責任感と誠実性の欠如に唖然とするばかりである。第四に、債権者側の事情として、この種の消費者破産の事例では、債権者である貸金業者が借主の返済能力について十分調査せず、過剰貸付をしているとの主張が往々にしてなされる。なるほど、貸金業者は、貸金業の規制等に関する法律第一三条により、顧客となろうとする者の信用状況等について調査する義務を負い、過剰貸付を禁止されている。貸金業者としては、その営利のために金員を貸し付けるという本質上、法により命ぜられるまでもなく、また、人に言われるまでもなく、自ら進んで借主の返済能力を調査し過剰貸付を回避しようと試みるであろうが、それはなかなか困難なことと考えられる。業者間のいわゆるブラックリストへの登載の有無等を調べ、借主に各種申告を求める程度のことは経済的に引き合う程度の手間をかけるだけで実行可能であるが、それ以上に借主の懐ぐあいを調査することは借主のほとんどが一見の客であることからしても、借主が自らこの点につき正直に申告するのでなければほとんど不可能と言ってよい。それにもかかわらず、貸金業者に対し、右の実行の可能な程度を越えた行動を求めることは、不可能を強いることになる。翻って考えるに、借主の返済能力について一番良く知っている者は他ならぬ借主自身であるのだから借主に自己の返済能力を越えた借り入れを行なうことのないように求める方がより合理的である。また、貸金業者の組織内において、出資者が経営担当者に対し、経営担当者が貸付担当者に対し、顧客の信用調査の甘さを追及するのは道理であるが、債務不履行を続ける免責申立人にその資格はない。故に、貸金業者に対する前記批判は理由なく、本件では考慮しない。第五に、免責不許可事由に形式的に該当する場合でも、それが軽微であって、申立人の信用が疑われる程度にまで不誠実ではないときは、裁量により免責を許可するのが相当である。しかし、この「軽微」をあまり安易に認めることは相当でない。なぜなら、「軽微」という用語例自体免責事件のほとんどがその範囲内に含まれてしまうような事態を予想しているとは言えず、また、借主が返すというからこれを信じて貸したにもかかわらず踏み倒されてしまった債権者の痛みを思うべきだからである。すなわち、免責が許可されればたとえ将来申立人の返済能力が十分回復することがあったとしても法律上は申立人は返済しなくてよいということになるのであるから右免責の許可について最も痛みを感じるのは債権者であり、国家も裁判所も申立人代理人も自分の痛みでないからと言って右の債権者の痛みを等閑視してはならない。誰でも債権者の立場に立てば踏み倒された金額の多少にかかわらずそのこと自体長期間あるいは生涯忘れることはできないであろう。債務者の窮状を見かねた債権者が借金を返さなくてよいと言ったとしてもそれではあまりに人の善意に甘えすぎであるから将来少しずつでも返済するというのが責任感のある債務者の当然とるべき態度である。逆に債権者が債務者を宥恕する旨の意思を表明していないのに債務者の方から進んで免責不許可事由は「軽微」である旨俗に言えば「大して悪いことはしていない。」旨主張するのは、債務者の無反省の証であり、居直りと言うほかはない。

以上検討してきたように、一般に、免責不許可事由が「軽微」であるとの判断は安易にすることは相当でないうえに、本件では、申立人の当初支払不能借入金を借り入れたときの内心における良心の欠如、申立人のした詐術の危険性、詐術の実行回数及びこれにより獲得した金額、債権者側の事情と痛みを総合考慮すると、本件申立人についての前記免責不許可事由は「軽微」であるとはとうてい言うことはできない。

2  その余の事情

申立人の支払不能に陥った原因は関西運転企画の経営の失敗によるものであるが、右の開業自体客観的に勝算のあったものか否か疑問であるのにその開業資金全額を借入金で賄っており、それだけでもかなり無謀な開業であったと言うことができ、さらに、申立人には被扶養家族がいるのだから右の経営が失敗したときの次善の策を講じておく位の周到さは当然必要であるのにそのような配慮は全く見られない点をも考慮すると、申立人が支払不能に至った経緯に同情すべき点を見出すことはできない。

申立人は、本件破産申立後現在に至るまで、債権者に対し、何ら弁済をしていない。本件免責事件記録の申立人代理人作成の上申書によれば、申立人の収入は現在月額手取約二〇万円であり、申立人の妻の収入は月額約六万円であって、その合計約二六万円の中から少しずつでも返済するのが申立人の借主としての当然の責務である。それとも、申立人は、免責許可になる前に返済しては損だとでも思っているのだろうか。

申立人の本件審理に臨む態度に自己の無責任な借金に対する反省心は見られない。申立人は、破産者審尋において、右当初支払不能借入金を借り入れるに際し、あくまで自己が働いて返そうと思っていた旨述べているが、それが客観的におよそ不可能であることは前叙のとおりであり、申立人自身もそのことを百も承知のうえでなお右のとおり空しい弁解を繰り返しているとしか考えられず、申立人の反省心の欠如が推察される。加えて、申立人代理人作成の前記上申書には、破産法第三六六条ノ九第二号該当する行為なし、破産者はこれまで誠実に生活してきており、更生に努力し(ている)旨の記載があるが、先に見たとおりの詐術、債務不履行、返済努力の欠如、しかもその回数の多いこと等に照らせば、申立人は、これらの当初支払不能借入金の借り入れにまつわる行為の危険性、反社会性をはじめとして、自己の生活態度全般の無責任さ、非について何も理解していないと言うほかなく、この状態では、申立人は、右の自己の行為につき真摯な反省をし、道義的にも心底反省悔悟したうえ、更生していくことは望むべくもない。

申立人は、破産者審尋において、当初支払不能借入金の借り入れは、それまでの借金を返済するためにやむなくしたかの如き口吻を漏らすが、債権者が頑迷に債務不履行を続ける悪質な債務者に対し、やや強く支払の催促をするのは当然でありまた権利の行使として適法であり、債務者がこの支払に充当すべき金員を獲得する一手段として、取り込み詐欺、当初から支払いの意思も能力もないのに借金をする形式の詐欺、その他窃盗、強盗を敢行したとしても、債権者の支払の催促と債務者の詐欺等の行為とは相当因果関係がなく、常識的に見ても前者は後者を敢行する正当な理由であるとはとうてい言うことはできない。よって、申立人の右弁解は理由がない。

次に、債権者の本件免責についての異議について検討する。債権者特に当初支払不能借入金についてのそれは、申立人が返済を約束し黙示で返済能力のあることを示したのを信じて申立人に貸したのにもかかわらず、申立人は不履行を繰り返し、しかもそれは借入当初から承知のうえでのことであるのだから、今に至っては免責許可により法律上も返済しなくてよいようにしようとしている申立人に対し、条理上何ら異議のない債権者がいるはずはなく、潜在的にはすべての債権者に異議があると考えるべきである。そうすると、債権者が、申立人の引き続く債務不履行と破産決定の事実を知って諦めきってわざわざ手間をかけてまで異議を述べる気にならないのも無理からぬことであり、ましてや異議を述べても裁判所がほとんどこれを入れない傾向の下ではなおさらであって、仮に免責事件において債権者に異議がない場合でもこれを債権者が申立人を宥恕しているとみなして申立に有利に斟酌することはできない。それは、財産犯(たとえば詐欺罪)の刑事裁判において、単に被害者が処罰感情を積極的に表明していないというだけでは被告人に有利な事情とは言えず、被害者が被告人を宥恕し減刑を嘆願する旨まで述べて初めて被告人に有利に斟酌するというのと同様のことである。それにもまして、本件では、免責手続上の正式の異議申立ではないが、本件破産記録中の意見聴取書において、昭和六〇年一一月に三〇万円、昭和六一年八月に八万円を申立人に貸した債権者株式会社西武クレジットは、「借入をしてから一年以内に破産の申立をしたので免責にしないでください。」旨述べて、明らかに本件免責に対し異議を述べている点に注目すべきである。

次に、免責の許否の結果生ずる事態について検討する。まず免責を許可した場合について見ると、利するのは申立人であり債権者は丸損する(申立人に対する債権の経済的価値は既にほとんど皆無となっているのを法律上の効果にまで高めるという趣旨である。なお、申立人は、右債権の無価値化を招来した張本人であるから、免責前に既に右債権の無価値化していることを理由に、免責は債権者に対して経済的損失を与えるものではない等と言う立場にはないことは言うまでもない。)。しかし許可の影響はそれのみには止まらない。本件程度の悪質な当初支払不能借入金をつくっても結局何らの対価を求められることもなくつまりただですべて棒引きにすることができるという前例として社会に知られ、人々の行動の予想の一資料となるであろう。この結果、債務者は生活費を節約してまで借金の返済で苦労するのが馬鹿らしくなり、債務者の責任感を低下させ、ひいては与信の発達した現在の経済的秩序を蝕む危険を増大させると言わなければならない。

すなわち、免責に寛容な姿勢は、信用取引が発達したためその利用者は与信を受ける自由を享受するのと引換えにそれに応じた責任を自覚することが不可欠となっている現在の時代の要請に真っ向から反するのである。古今東西を問わず、「借りたものは返さなければならない。」というのは自明であり、右命題を実現すべく司法府や強制執行制度を設け貸主の権利を擁護する国家には、自ずと国民の信頼と尊敬が集まる。逆に、右命題の実現を阻止する策を採れば、国民の右命題に見る素朴な正義感、公平感を裏切り、ひいては、法の威信、国家への信頼と尊敬を損なう結果となろう。いわゆる徳政令の発付により時の権力が人心を失なったことを例に引くまでもあるまい。また、金融の閉塞により、善良なるも銀行に縁なき人々がかえって経済的に困窮する事態にもなろう。これに対し、免責を不許可にした場合について見ると、申立人は、別段いわれなき新債務を負担させられるわけではなく、自らつくった負債を今後も返済していくことになるだけのことである。この間、申立人の生存権確保には遺漏がないことが認められる。すなわち、民事執行法上の差押の禁止された動産、債権の規定、生活保護法等の社会政策的立法がそれである。たとえば、申立人の収入月額手取約二〇万円のうち差押禁止範囲は民事執行法第一五二条一項により、その四分の三に相当する額約一五万円であり、これと妻の収入月額約六万を加えて合計約二一万円で何とか生活は維持しうると考えられる。そして、今後申立人としてもいつまでも現在のアルバイトに満足することなく夫婦の努力により収入が増加すれば、差押を受けない収入分も増加するのであって、生存権の維持に何の問題もない。もちろん、人の欲望をそそる消費財が市井に氾濫している現今、申立人の主観的満足を得るにはなお不十分ではあろうが、多くの債権者の痛みを思えばこの程度の生活で満足すべきである。

3  総合的検討

以上検討したように、本件申立には破産法第三六六条ノ九第二号に該当する事由があり、しかも右事由は「軽微」であるとはいえないうえに、破産に至る経緯に同情の余地はないこと、返済のための真摯な努力の欠如、申立人が支払不能とわかりつつなお借金を次々と重ねていった等の負債形成全般について自己の非を悟らず、反省もしていないこと、従って、更生の意欲もないこと、債権者から明示の異議があること、免責を許可した場合は社会に深刻な悪影響を与えるが、不許可にした場合でも申立人の生存権の確保に何ら支障のないことが認められる。

さて、これらをもとにして申立人の負債に関する誠実性の程度を判断するが、その判断基準は、通常人の素朴な正義感、公平感に立脚した健全な社会通念に求めるべきである。これを、本件に即して若干具体化すると、「借りたものは返すべきである。」という命題を公理として行動の指針とし、もしこの命題に従うことができなくなる可能性があるときは与信の申し込みの際に正直に相手にその旨告知し、相手に将来迷惑をかけることのないよう十分注意し、それでもなおやむをえない事情で結果的に右命題に従うことができなくなった場合でも、相手の被る損害を可能な限り少なくするため真摯な努力をすることが債務者として最低のあるべき姿として想定することができる。申立人がもしこの立場に立って行動していたとすれば、支払不能になってからは良心にとがめを感じて新たな借金はできず、仮に、一度右の新たな借金をしたとしても、あまり度重ねることはいくら何でも良心の重みに耐えきれず途中で中止し、結局多数回には至らないであろうし、破産宣告の前後を問わず、少しづつでも返済(自転車操業でなく)するよう種々の工夫を凝らすであろうし、それまでの債務不履行という違法行為の連続であったことを思えば本件免責事件での審理に臨んで、自己は誠実であった等と居直ることなど思いもよらず、一応生存権が確保されているのであれば、債権者に対し、まさに恩を仇で返す、また、踏んだり蹴ったりの仕打ちとなる免責の申立てをするのは良心に阻まれて長らく躊躇するであろうことが予想されるが、先に見たとおり、実際の申立人の態度は悉くこの予想とまるで逆を示しており、申立人の誠実性はほとんど見る影もない有様である。

なお、「債務者(あるいは弱者)救済」の標語を呪文の如く唱え、免責は自動的に許可すべきであるとの考えもあるやもしれないが、弱者であっても不誠実なものは応分の制裁を受けるのが公平であり、実際、相手に与える財産的損害は本件の借金の踏み倒しによる場合よりはるかに小さいであろう無銭飲食も度重なれば懲役刑の実刑が科せられていることに照せば、右の考えは採用することはできない。また、破産事件を多く担当する法曹関係者等には、本件申立人に類似した当初支払不能借入金を平気でつくる破産者を少なからず日々目の当りにしているために慣れてしまって、「この位のことはよくあること。」、「この程度の事案で不許可とするなら免責事件の大部分は不許可となってしまう。」、「破産者の中にはより悪質な者もいる。」等と主に多数の免責申立人の中での相対的比較から免責を寛大に認める考えもあるやもしれないが、無銭飲食の犯人の相互の間で情状の比較はできるとしても詐欺罪が成立する点すなわち健全な社会通念を基準としてとうてい許容することのできない程度の違法性を具有していることはそのすべての犯人に共通していることは争いがないのと事は全く同じで、悪者仲間の「悪比べ」は免責許容の基準にしてはならない。近時、消費者破産の事例が増加してきているが、右破産者は所詮国民全体から見ればほんの一握りの不誠実債務者というにすぎず、これら破産者の増大をもって、前記の健全な社会通念はいささかも揺らぐものではない。赤信号は、多数人で渡っても、青信号にはならないのである。

三結論

よって、本件申立には、破産法第三六六条ノ九第二号に該当する事由があり、その事由が軽微とは言えないこと、その他の事情を見ても申立人の不誠実さは覆うべくもないこと等を総合考慮すると、裁量により免責を許可するのは不相当であると認め、主文のとおり決定する。

(裁判官井上薫)

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