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神戸地方裁判所姫路支部 平成9年(ワ)1074号 判決 1999年3月24日

神戸市<以下省略>

原告

神栄石野証券株式会社

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

奥見半次

兵庫県姫路市<以下省略>

被告

右訴訟代理人弁護士

山﨑省吾

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

一  請求の趣旨

被告は、原告に対し、金二〇七万五七七七円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  事案の概要

本件は、証券会社である原告が、被告が買付け注文を出した株式の代金を立替払いしたとして、その立替金及び遅延損害金の支払いを求めるのに対し、被告は同株式の買付け注文はしていないとして争うものである。

三  原告の主張

1  原告は、証券取引業を営むものである。

2  被告は、平成九年一一月一八日、原告に対し、富士銀行株一万株の買付け注文をした(以下「本件買付け注文」または「本件買付け」)。その代金は八八六万七七三一円であった。

3  被告が右代金を入金しないため、原告は、平成九年一二月一日、右富士銀行株を反対決済した。

4  その結果、原告は、被告に対し、二〇七万五七七七円の立替金債権を取得した。

よって、右立替金二〇七万五七七七円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

四  被告の主張

1  原告の主張1の事実及び被告が代金を入金しないことは認めるが、富士銀行株の代金及び原告が反対決済したことは不知。

本件買付け注文は否認する。本件は原告における無断売買である。

2  原告の損害拡大回避についての保護義務違反

(1)  原告は証券会社であり、一般投資家からの委託を受けて有価証券市場において株式の売買取引を行うことを主たる業務とするから、顧客に対しては善良な管理者の注意をもって事務を処理すべき義務を負う(商法五五二条二項、民法六四四条)。

本件買付け注文が無断売買でないと認定されれば、買い付けられた富士銀行株一万株は被告の財産となるから、原告は反対売買ができる場合であっても、他人の財産を売却するのであるから、善良な管理者としての注意義務が課されることとなり、株式の売却にあっては可能な限度で高価に売却する義務があるというべきであり、証券会社である原告に裁量が認められるとしても、そのような義務に反しない範囲で認められるものである。

(2)  本件においては、本件買付け注文後の平成九年一一月二二日に、突然に山一證券株式会社(以下「山一証券」という。)の自主廃業が発表され、富士銀行は山一証券と同じ企業グループの銀行であるため同銀行株はこの時点で急落した。本来、本件買付け注文があったとして、それが成行注文であっても、その四営業日目である同年一一月二一日までに入金されなければならず、まして被告は同年一一月一九日、同月二〇日にも無断売買であり取引は無効だと主張していたのであるから、原告は同年一一月二一日の終値(八二六円)で本件富士銀行株を反対売買により決済すべきであった。もし、右決済をしていれば、五三万円の損失で済んだはずである。原告はこれを右株価が六八七円まで下落した同年一二月一日まで放置したのであり、早期に仕切り処分をしなかった原告には、損害を拡大させた違法がある。

(3)  仮に原告が適切な反対売買をしていれば、原告の立替金は五三万円であるが、同金員は損害賠償の実質をもつことから過失相殺の対象となり、本件の株取引全般の事情に照らし、損害の公平な分担あるいは取引上の信義則の見地から、被告の負担すべき額はその半分の二六万五〇〇〇円とすべきある。

五  争点

1  本件買付け注文の有無

2  原告の損害拡大回避義務違反の成否

六  裁判所の判断

1  原告と被告との関係

(甲一二、一三、一六ないし二一、証人B、被告本人、弁論の全趣旨)

(1)  原告は証券会社であり、一般投資家からの委託を受けて有価証券市場において株式の売買取引を行うことを業務内容のひとつにしている。

被告は平成二年三月から原告の顧客として株式売買につき継続的な取引関係をもった。被告との取引を担当した原告の社員は右取引開始以来訴外B(以下「B」という。)であった。

(2)  被告は、銀行及び保険会社勤務の後、昭和六〇年から独立して損害保険代理店を営んでいる。株の取引は原告との取引が初めてであり、当初はBの勧誘に従って成行注文で売買していたこともあったが、平成六年ころからは自分の判断で売買することとし、原則として成行注文はせず、指値注文で売買していた。(注*いくらでもいいから買い、または売るという注文方法を「成行注文」といい、自分が決めた価格で注文を出す方法を「指値注文」という。)

平成六年四月以降の株式売買の件数は四二件であり、その売買の仕方は、極めて短期間に売るものと、数か月手元に置くものと様々であった。

2  本件買付け注文の有無

(1)  本件買付け注文はBと被告との電話によるやり取りであるから、これを立証する証拠は、原告の内部資料である甲六号証の注文伝票のほかは、Bの証言と被告本人の供述以外にない。よって、客観的状況からどちらの証言または供述が信用できるかということになる。

(2)  前記Bの証言と被告の供述をまとめると、次のとおりである。

(前掲各証拠、甲三、乙一)

平成九年一一月一四日(金曜日)の大引け直前に富士銀行株一万株の注文があった(以下「一回目の注文」という。)が、午後三時の大引けとなり取引ができなかったことについては当事者間に争いがなく、一回目の注文につきBは成行注文であったといい、被告は指値注文であったという。

また、同年一一月一八日(火曜日)の注文(以下「本件買付け注文」という。)につき、Bは、寄付直後に八八〇円であるとのバイカイの連絡をしたときに成行注文があり、取引手続後に八七九円で買った旨を連絡した、二日後に被告から代金全額支払えないかもしれないとの連絡があったので心配して被告方に行くと、取引は無効だといわれ、ここから紛争が始まったという。これに対し、被告は、同年一一月一八日(火曜日)の寄付直後にバイカイの連絡があった後、改めて八七〇円の指値注文をすると、Bがすでに八七九円で買ったというので、注文をしたことはないとしてこの時点から紛争になったという。

(3)  まず、富士銀行の株価の動きから検討する。

(前掲各証拠、乙三)

① 平成九年一一月一四日(金曜日)の富士銀行株の始値は八五八円であり、終値は七七四円であった。同株は同年一〇月三一日には一〇〇〇円の値をつけていたが、同年一一月六日からほぼ単調に下落してきていた。

株の一般個人投資家であれば、富士銀行は国内有数の銀行であるから、同銀行株価の下落傾向が続けばいずれ反発して上昇傾向に転じるであろうと考えるわけで、このような場合は底値で買い、高値で売って利益を得ようとするのが常套である。しかも、平成九年一一月二二日に山一証券の自主廃業が突然発表されたのであるが、同年一一月一四日時点では経営が悪化した山一証券に公的資金が投入されるかは不明であり、富士銀行は山一証券と同じ企業グループの主力銀行であるから、山一証券に公的資金が投入される公算が高くなれば、同銀行の株価は上昇に転じるであろうことが予想された。

したがって、一回目の注文は富士銀行株が底値に近いと判断して被告が買い注文を出したものと認められる。

そして、このように下落傾向が続くときは、いつ下落が上昇に転じるのか極めて微妙な時期であるから、特別の理由のないかぎり通常は成行の買い注文はしないであろう。現に、週明けの同年一一月一七日(月曜日)には急反発しストップ高(一〇〇円高値)となり、この日の終値は八七四円で週末の終値より一〇〇円高であった。

そして、このように急騰すればまた反発して下落したり、不安定な値動きになり、一日のうちでも値動きの変動幅が大きくなることは通常予想されるところである。したがって、ストップ高の翌日の寄付価格がいくらであるかは重要であり、前日の終値より高値であれば、その日の前場が高値で推移するのではないかとの一応の予想も立ち、こういう株価の動きは株式投資家にとっては極めて興味深い状況といえるが、株価の動き、バイカイの状況を逐一把握していればともかく、一般の個人投資家がこの時期に成行きで売り買いの注文をすることは危険であろう。

実際、本件買付け注文の日である同年一一月一八日(火曜日)の富士銀行株の値動きは、始値が八八〇円で、九五〇円と高値になり、八六一円に下がったあと終値が九一三円となる大荒れの一日であった。

② 以上富士銀行の株価の動き及び被告が従前から成行注文を原則としてせず、特に買付けの場合には指値注文であったことに照らすと、被告が一回目の注文も本件買付け注文についても成行注文するということは通常考えられず、いずれも指値注文したと考えるのが合理的である。

(4)  Bの証言及び陳述書(甲三)によれば、本件買付け注文の前後の経過は次のとおりである。

① 平成九年一一月一四日(金曜日)

午前九時の寄付き段階で、被告から富士銀行株について「バイカイをとってほしい。」との電話があった。同日午後二時五七分ないし五八分ころに、富士銀行株一万株の成行注文があった。被告からの注文の電話中に午後三時の大引けのブザーがなり取引ができなくなったので、その旨を被告に伝えると、一応出してみてくれとのことだったので、一旦電話を切り、コンピューターに打ち込むことなく数分後に被告に電話をして、取引できなかった旨を伝えると、被告は「仕方がない。また来週にしよう。来週は安くなるかもしれない。」と言って電話を切った。(注*証券取引所における取引は午前九時から一一時までの「前場」と午後一二時半から三時までの「後場」があり、前場と後場の開始を「寄り付き」、午前中の取引の終了を「前引け」、午後の取引の終了を「大引け」という。また、その日初めて売りと買いの売買が成立したら、「寄付いた」または「寄付き」という。*株の売り買いの注文状況を問い合わせることを「バイカイをとる」という。)

② 同年一一月一七日(月曜日)

午前八時五五分に、被告からさくら銀行株、富士銀行株、第一勧銀株のバイカイの連絡依頼があり、富士銀行株は買い注文が多く入っている旨の連絡をすると、被告は「金曜日(同年一一月一四日)の注文は間に合っていて、原告会社が握っているのとちがうか。」と言ったが、否定した。この日、富士銀行株はストップ高(一〇〇円高値)となり、午後三時すぎに大引値を連絡した。(注*株価の価格変動には相場の騰落の激化による危険性を防止するために、株の価格に応じて値幅制限措置がとられていて、一日の上限下限をいくらとする「ストップ値」が決められている。値幅制限一杯の価格変動を「ストップ高」、「ストップ安」という。富士銀行株の場合はストップ値が一〇〇円であった。)

③ 平成九年一一月一八日(火曜日)

午前九時前に、被告から富士銀行株のバイカイの連絡依頼があり、昨日のように買い注文が入っていないことを連絡すると、寄付いたら連絡してほしいとの依頼があったので、八八〇円で寄付いたことを連絡すると、富士銀行株を成行きで一万株買ってほしいとの注文があった。

その後、午前中に三回ぐらい値動きを連絡したが、堅調な動きであった。午後にも二時ころに九五〇円の値を付けたことを連絡したとき、被告は「今売れば五〇万儲かるな。」と言った。その後、九五九円の高値を付けたことを連絡し、さらに九一三円で引けたことを連絡した。

④ 平成九年一一月一九日(水曜日)

寄付から売り気配であったので、その旨連絡すると、「今日は電話をかけてくるな。」といわれた。

⑤ 平成九年一一月二〇日(木曜日)

寄付前に被告から電話があり、「あのお金いつ払うんや。」、「五〇〇万円はあるけど残りは銀行が貸してくれない。入らないかもしれない。」と言われた。

上司に相談した後、心配になり夫とともに被告方を訪ねたところ、いきなり「前受けのない商いは無効だ。」と言われた。

(5)  Bの行動について

(前掲各証拠)

① Bはさらに次のように証言する。

同年一一月一八日(火曜日)の本件買付け注文後、八七九円で買った旨の連絡をすると、被告はこれを了承し、「八〇〇円に下がったらもう一万株買おうと思っている。」と述べた。Bは、その後被告からのバイカイの依頼がないにもかかわず、株価が上がっていたので被告を喜ばそうと思って午前中に三回ぐらい、午後にも二回値動きを連絡し、最後に終値が九一三円であることを連絡した。翌同年一一月一九日(水曜日)に寄付直後、被告からバイカイの依頼もないのに、売り気配である旨の連絡し、被告から「電話をかけてくるな。」と言われた。

しかし、証券会社の担当者が、顧客からの買い注文のあと、仮にその日のうちに株価が上がり売れば儲かるような状況になっても、顧客からバイカイの依頼がない以上、その日の内に数回もバイカイを連絡をすることは極めて異例であり、B自身も普段はそのようはことはしないとも証言している。また、Bの証言によれば、被告からは八〇〇円に下がったら買いたいとの希望があった(ただし、被告はこのように言ったことはないと供述する。)というのであるから、株価が下がったことを連絡するならともかく、上がったことを連絡して被告を喜ばそうと思ったというのは不自然である。

② 株式取引においては、顧客が証券会社で株式を購入する際、初回の取引は買う前から予め株購入代金の概算金を差し入れることになっており、この差入金を「前受け」と言っているのであるが、原告会社においては、初回取引のみならずその後の取引においても、現物取引の場合は顧客に購入代金の五割の前受けを要求する取扱内規であった。Bは過去に一回だけ右内規に反し、被告からの強い要求により前受けなしで買付け注文に応じたことがあったが、その余の取引についてはいずれも現物取引の場合は前受けを要求していた。そのため、被告は前受けのない現物取引は無効であるとさえ思っていたものである。

Bは本件買付けについて、前受けがないことを知っていたはずであるから、四営業日目を待たず直ちに前受金相当額を入金してくれるよう被告に要求するのが通常と思料されるが、被告からの依頼もないのに自己の判断により社内的に前受け免除の手続をしたことが認められ、Bがなぜ被告に前受けを要求せず、前受け免除の手続をしたのか疑問である。

③ Bが本件買付けの連絡をしたときに、被告が本件買付けを了承したのであれば、被告からの四営業日目までの入金が危ぶまれる状況になったとしても、入金がなければ原告としては反対売買をして決済すればよいわけで、その後被告の信用がなくなるだけのことであるのに、なぜBが夫とともに被告方を訪ねなければならなかったのか疑問である。

④ なお、本件買付け後、それが無断売買であるかどうかはともかく、現物取引であれば四営業日目まで入金がなければ、原告は反対売買をして決済するのが通常の取扱であると解されるところ、本件においては、原告がなぜ四営業日目に反対売買をして決済しなかったのか、その合理的な理由が明らかでない。

⑤ 被告はBが手数料稼ぎのために被告から注文もないのに勝手に本件買付け注文をしたと主張し、Bの行動に不自然な点があることは前述のとおりであるが、後述のとおりBは過去に被告から無断売買と言われて個人的に損失補填をしており、被告とは緊張した関係にあったと思料されるところ、敢えて被告主張のような無断売買をするとは考えられず、前記のとおり不自然な点が認められはするが、このことだけでBの無断売買の事実を認めることはできず、その他右事実を認めるに足りる証拠はない。

結局、本件買付け注文後、Bが多数回にわたり被告に株価を連絡したことについては、Bは被告から成行きの買い注文があったと認識して富士銀行株一万円株について取引処理したのに、被告から注文した覚えはないと異議があり、B自身も成行きの買い注文があったことについて確信がもてなかったことから、慌ててこの事態をなんとか収めようと考え、被告に右成行注文を承諾してもらおうと、買ったことにして今売れば儲けが出ることを強調するために何度も連絡を入れたと解すると、Bの行動を合理的に理解することができるのである。

(6)  被告の言動について

(前掲各証拠、乙八の1、2、九の1、2、一〇、一一)

① 顧客の株売買は証券会社の担当者との電話でのやりとりによって行われ、そのやりとりには証券会社の担当者の情報の提供や勧誘行為もあり、顧客の迷いながらの発言等もあるから、ときには株の銘柄、数、売買の方法等に言い間違えや聞き間違えが生じたり、十分な意思確認がされないことなどから顧客と証券会社の担当者の互いの認識に齟齬が生じるであろうこと、しかも一日に何度もバイカイの連絡を取り合って取引する顧客との間ではより齟齬が生じやすいであろうことは容易に推測できるところである。

前掲各証拠によれば、被告とBとの間の取引において、被告は過去においてBの勧誘に従って売買して多額の損をしたが、これについては自己責任の原則上しかたがないと思いつつも不満が燻っていたこと、また売買のやりとりで互いの認識の齟齬から何度か揉めたことがあり、平成四年に一度はBが原告には内緒で被告の損失を個人的に補填したが、その他のときは被告が売買を認めたこととして処理され、被告はこれら処理についてはBの手数料稼ぎのための無断売買にちがいないと思っていたので、Bから謝りやお詫びの言葉のないことに日頃から不満を感じていたことが認められる。

② 前掲各証拠によれば、被告はBから成り行きで買ったとの連絡があった後、「今売ったら五〇万円儲かる。」、「代金のうち五〇〇万円までは用意できる。」、「前受けがないから取引は無効だ」などと本件買付けを認めているあるいは本件買付けの事実を前提としていると解されるような発言をしたことが認められる。しかし、本件全体の経緯からみると、Bからの本件買付けの連絡があったときに、本件買付け注文の事実を否定したところ、その後Bが何度も電話を架けてくるので、Bに対する今までの鬱積した不満の気持ちから、成行注文したことはないと否定しつつ、本件買付けを追認するのかしないのか明確でない態度をとったり、電話をかけてくるなと突き放した態度をとってBを焦らして苛めたものであり、Bがただならぬ気配を感じて本件買付け注文の二日後である同年一一月二〇日(木曜日)夜に、夫とともに被告宅を訪問したときには「無断売買だ」と言い、さらに無断売買であることを財務局に通報するとか、ビラを撒くなど不穏当で攻撃的な言動を示したことが認められる。

よって、前記被告の本件買付けを認めていると思われるような発言のみをもって、被告が本件買付け注文をしたことを認めることはできない。

その他、被告が本件買付けを承認ないし追認したことを認めるに足りる証拠はない。

そして、本件全証拠によるも、被告において、真実は成行注文をしたのにBを窮地に陥れるために成行注文をしたことはないと主張したと認められるような事情も窺えない。

(7)  結局、本件買付け注文について、被告が成行注文をしたことを認めるに足りる証拠が十分でないといわざるをえない。

よって、原告の本件請求は理由がない。

(裁判官 宮本由美子)

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