神戸地方裁判所姫路支部 昭和41年(わ)634号 判決
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〔判決理由〕本件公訴事実
本件公訴事実は、「被告人は小型貨物船第一二明力丸の船員であるが、昭和四一年一二月一四日午後一〇時頃、飾磨郡家島小学校前路上を通行中、姫本達也(当二二年)が通行を妨害したことから喧嘩となつたが、その後同郡家島町宮郵便局前に繋留中の右第一二明力丸に帰り就寝していたところ、同日午後一〇時二〇分頃、右姫本が庖丁を持つて仕返しに来たことから再び同船内で喧嘩となり被告人も手斧を持つて応戦しているうち右庖丁を同人から取り上げるや同人が死亡するかも知れないことを認識しながらいきなり右庖丁で同人の右胸部を突き刺したが、肺に達する右前胸部刺創の傷害を負わせたのみで、その目的を遂げなかつたものである。」というのである。
右公訴事実中、本件結果発生の縁由たる前段該当事実、即ち被告人が家島小学校前で被害者姫本達也と喧嘩するに至つた経緯並びに被告人が姫本より奪い取つた庖丁で同人に対し公訴事実記載のような刺創を与えた結果的事実は、<証拠>によつてこれを認めることができる。
二、争点
弁護人は、被告人の本件刺創行為は姫本達也の急迫不正の侵害に対し、自己の生命身体を防衛するため已むことを得ざるに出でた正当防衛行為であると主張し、検察官は、本件は所謂喧嘩斗争の渦中における攻撃防禦としての暴行に帰着し被告人の所為について正当防衛ないしは過剰防衛を論ずる余地なく、殺人未遂の罪責を免れない旨論断する。
三、認定事実
(1) 被告人は、兵庫県飾磨郡家島町宮にある明勢海運所属石材運搬船第第一二明力丸(一九九・四八トン)の甲板員として平素真面目に仕事に励み、これまで喧嘩沙汰に及んだこともなく、勤務成績も良好なため船長山崎英生よりもその将来を嘱望されていたが、昭和四一年一二月一四日夕刻、同町宮の大沢食料品店で航海中の食料品を買い求めて後、同夜午後九時三〇分過頃、同町家島郵便局前に繋留され、被告人以外の乗組員は上陸し被告人一人が留守番をすることになつている第一二明力丸の宿直警備の任に就くため右食料品店員梅崎俊治運転の単車に便乗して帰船の途中、同町宮家島小学校建設工事現場附近道路に差し掛つた際、前方に顔見知りの船員姫本達也(当時二二年)外一名が歩行しているのを認めて側を通過しようとしたが、当時相当酩酊状態にあつた姫本が進路を蛇行して通行を妨害するためその様子にたまりかねて注意した。然るに同人は却つて所携のウイスキー瓶を振り上げて被告人に殴りかかる等して喧嘩を挑んできたことに端を発して同所で被告人と姫本との間に取組み合いの喧嘩が始まり、被告人は同人から右建設現場の鉄骨に頭を押えつけられる等の攻撃を加えられるに及んでその不遜な態度に憤激の余り手拳で同人の顔面を数回殴打してこれを打ち負かしたが、梅崎らの制止によつて一旦その場は納まり、被告人は再び梅崎の単車に同乗して午後九時五〇分頃同所より約一三〇メートル離れた海岸に碇泊中の第一二明力丸に帰船した。
(2) 被告人は、同船に戻つて後、就寝するため自己の寝室である船尾中甲板司厨長室で消燈横臥していたところ、約三〇分を経過した同夜午後一〇時二〇分頃、先刻の喧嘩の余憤納らぬ姫本が更に暴行を加える目的で突如刃渡約一七センチメートルの料理庖丁(昭和四二年押第二七号の一)を携行して右船内に侵入し、階段を下り被告人が横臥している右司厨長室前附近に至るや被告人を名指して怒号しながら喧嘩を挑んで来た。然し被告人は同人が酔余猛り狂つているため相手にならず右室内で不安のうちに沈黙するうち、姫本は被告人が不在と思つたのか船尾甲板上に通ずる階段を上る気配がした。
(3) そこで被告人は姫本の動静を確認するため右司厨長室で着衣を整えて後同人の後を追つて右階段を上りかけたところ、同階段最上部にいた姫本が突然「憲やん(被告人)、おつたんかい。」と叫びながら右手に前記庖丁を握り腰に擬した姿勢で右階段を一気に駆け降りて、矢庭に右庖丁を以つて被告人めがけて突き刺そうとした。被告人は同人の突然の攻撃に驚愕の余り逃げ出す余裕もなく、咄嗟に身体を左にかわしたが、同階段は傾斜約六〇度の急勾配のうえ幅員約九〇センチメートルの狭い通路であることに加えて同人と近接した距離で対峙しため、時既に遅く、同人から右庖丁で以つて左前膊部に刺創を受けた。そのため被告人は姫本の追撃を阻止するため已むく咄嗟に同人の腰にしがみ付いて同人を階段下の船室食事場で押しやつたが、更に同所で同人から右庖丁を以つて被告人の背中越しに右背部に刺創を加えられた。被告人はそのまま態勢を維持するにおいては自己の生命の危険を感じて一旦同人を突き離したが、縦約六メートル、横約七、五メートルの右船室内は寝室、食卓等が設置され狭隘を極め、活動は著しく制約されているうえ唯一の逃走口たる前記階段は急勾配に加えて幅員が狭いためそこから一気に逃げ出して難をまぬかれる余裕もなく、そのためなおも右庖丁を以つて突きかかろうとする同人のため身動きのとれない窮地に追い込まれた。そのため被告人は、この際身の安全を守るためには自らも何か得物をもつて立ち向うより他なしと考え、直じ様約四メートル離れた前記司厨長室前の下駄箱の上にあつた作業用手斧(昭和四二年押第二七号の二)を取つて右手に掴み、後を追撃して来た同人と立ち向い、右庖丁で以つて数回にわたり猛然と突きかかる姫本に対しその都度斧を振り廻して防戦したが、同人が被告人の右手を掴んだので手斧を放し、被告人も同人の庖丁を握つた右手から左手で掴んでその追撃を阻止苦斗のすえ、左手で同人の右手から庖丁を奪い取るなり咄嗟の間右庖丁で以つて同人の右胸部を一回深く突き刺し、因つて同人に対し入院加療約四〇日を要する右前胸部刺創等の傷害を負わせたが、右は一瞬時に敢行された事柄である。
(姫本供述の信憑性)
以上の認定事実に関し、第二、第三回公判調書中証人姫本達也の各供述記載部分には、「本件当夜、家島小学校前で被告人と最初喧嘩してから二〇分ないし三〇分後同所附近で被告人と再会し、再度口論喧嘩を交えて又被告人に殴られたが、別れ際に『お前みたいな奴いつでも相手になつてやる』と云われ、当時乗船中の天栄丸に一旦帰船したものの余憤納まらず、喧嘩の仕返しに行こうという気になり、同船にあつた庖丁を携えて被告人の乗船している第一二明力丸に赴き、船室に降りたが、被告人の姿が見えないので怒鳴つていたところ、暫くして船室内の電燈がつき階段上に被告人を認めたので右庖丁を振り廻しながら被告人を追つて階段を上つていく途中、甲板上へ出ようとする附近で待ち携えていたようにいきなり頭部を固い棒状様のもので二、三回喰い込むような感じで殴打された。次いで甲板上で被告人と取組み合いの喧嘩となり互に上下になつて組み合ううち自分も胸部にしびれる感覚があり受傷した。甲板下船室内で争つたことは記憶がない。」という趣旨の供述部分があるが、同供述部分は、全体として、同人が当時相当の酩酊状態であつたためその記憶が極めて瞹眛模糊として、正確性を欠いていることが認められるのみならず、前記採用した各証拠を総合すると細部においても、例えば、(一)「カシキ」という家島独特の風習に従い第一二明力丸乗組員中の最若輩者として同船碇泊中の宿直警備に専心していた被告人が一旦就寝のため船に戻つて後、その任務を放擲し、不用意にも離船して再度姫本と喧嘩を交えるということは、被告人の過去における性格行状に鑑み到底考えられないところであること、(二)同船後部船室(食事場)の二個の電燈スイッチはいずれも同食事場内部に設置されていて姫本が供述する如く被告人が前記階段上においてこれを点滅するということはありえないこと、(三)受命裁判官の証人永野秀俊に対する尋問調書によると、姫本の頭部創傷はいずれも切創であり、各受傷は兇器を上から振り下して強打した傷ではなくむしろ数回振り廻した際に生じた創傷と認められ、受傷の態様につき姫本の供述部分と著しい相違が認められること、(四)更に本件犯行直後(昭和四一年一二月一五日午前一〇時着手)に司法警察員によつてなされた実況見分の結果を記載した実況見分調書によれば、被告人が受命裁判官の現場検証の際に姫本に刺創を負わせその結果同人が倒れていたと指示する地点と略符合する地点に血液が多量に流出していたことが認められるのに反し、姫本が被害個所と主張する第一二明力丸船尾階段および甲板上に少量の血痕が点在しているのが発見されるに過ぎないところ、この事実は同人の頭部および右胸部の各受傷が瞬時に多量の出血と行動能力の喪失をもたらしたであろうことを併せ考える時、同人の供述部分が前記他の客観的証拠によつて認められる本件犯行の位置状況に反するものであることを示す等、その重要な諸点に関して幾多の矛盾撞着をはらんで追想判断の歪みを示し事実性に乏しく到底措信するを得ないものである。その他前記認定事実を覆すに足りる証拠はない。
四、当裁判所の判断
如上認定の各事実に照すと、本件においては前記弁護人の正当防衛の主張に加えて、盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律第一条該当の事実の存否が問題になるのでこの点につき検討する。
(急迫不正の侵害)
前記認定の事実によれば、被害者姫本は兇器を携帯して故なく被告人の看守する第一二明力丸船室に侵入して来たものであり同人の右船室内における暴行は攻撃の経緯および態様、兇器の種類から見て被告人に対する殺意が充分に窺えるもので、被告人の生命身体に対する急迫又は現在の危険を帯びた不正の侵害であることは極めて明白である。
検察官は、被告人は姫本の右暴行行為直前、家島小学校前で同人と再度喧嘩を交え、その際同人に対し更に喧嘩闘争を挑発する趣旨の言辞を弄しており同人の報復を十分予期していたから姫本の右暴行は「急迫不正」の要件を欠如すると主張するが、右主張は被害者姫本の前記供述記載部分を前提として本件に正当防衛の観念を容れる余地はないと論断するものであるところ、当裁判所は同供述部分を採用しないこと前認定の通りであるから結局この点に関する検察官の主張は採用できない。
次に検察官は、被告人が姫本の暴行行為に対し、手斧を以つて応戦した後の抗争は単なる喧嘩闘争であるから正当防衛の観念を容れる余地がない旨論ずるが、前認定の通り、被告人が手斧で以つて応戦したのは姫本と喧嘩を交える意図は毛頭なかつたのに狭隘な船室内で兇器を持つた同人より執拗な一方的攻撃を受けてこれを回避する余裕もなく、しかもそのまま素手で防禦することに終始していたのでは酒気を帯び興奮した姫本から庖丁で以つて致命的攻撃を加えられること必定の情況にあつたため、已むなく近くにあつた手斧を以つて防衛したものであつて、被告人の右手斧で応戦した行為が姫本の挑戦に応じて双方対等の立場で互に侵害行為を交換する所謂喧嘩闘争とは類を異にするものであることが明らかである。而してその際被告人が攻防相交えて多少積極的攻撃に転じたことがあるにしてもそれは通常人の自然本能から来る防衛行為とみるのが相当であり、被告人の右所為をもつて直ちに姫本に対する敵対的攻撃的態度とみなし、その後の経緯たる被告人の判示刺創行為を喧嘩闘争を組成する一攻撃に過ぎないとする検察官の論旨は当裁判所の採用し得ないところである。
ところで、右急迫不正の侵害が前認定の如く、被告人が姫本から庖丁を奪い取つた後においてもなお継続したと言い得るか否かについて考えるに、前掲各証拠によれば、姫本は頭部に切創を負いしかも被告人に本件庖丁を奪取されたとはいえその瞬間明らかに攻撃態勢が崩れ去つたことを示す格別の事情は認められず、かえつて当時の極度に興奮した姫本の被告人に対する攻撃意思、態様から考えると、むしろなお右時点に於ては事態を遷延すれば同人において直ちに右庖丁を奪い返して再び如何なる攻撃に出るかも図り難い情況にあつたと容易に推測しうるのみならず、一方被告人は、前段認定の如く、姫本の突然の攻撃によつて不意をつかれ身体に受傷したため抵抗力が減退しているうえ、右手は姫本に掴まれたままであり、かつ狭隘な船室内で活動力を著しく制約され逃げ出す余裕もなく速かに反撃行為に出なければたちどころに自己の防禦力を失い姫本に一方的攻撃を許す他ない切迫した事情にあつたことが認められる。叙上の諸情況に照らして両者の対抗関係を彼此比較すれば、本件の場合被告人が姫本から庖丁を奪取した後もなお被告人の生命身体に対する急迫不正の侵害(現在の危険)は継続していたものと認めるのが相当である。
(防衛行為)
そうして被告人が姫本の前記急迫不正の侵害による寸秒を争う事態に直面して、自己の生命身体に対する不安に駆られ、これを回避するため防衛行為をなすべき必要は焦眉の急であり、人間の自然防衛本能のうえから一刻も早く不法侵入者たる姫本の攻撃を排除せんものとして、同人より庖丁を奪い取るや咄嗟に防衛の目的で同人に対する刺創行為に及んだものであることは前段認定事実の経過に徴して容易に首肯しうるところである。
(結論)
以上の被告人の姫本に対する所為は形式的には盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律第一条第一項第二号及び第三号に該当するが右の規定は、刑法第三六条第一項の正当防衛の範囲を拡張しているとはいえ、その構成要件を形式的に具備する場合には常に殺傷行為を正当とする趣旨とは解されず具体的事情に照し殺傷行為が防衛行為として相当と認められる場合においてのみ、これを許容したものと解すべきである。而して前に認定したごとく如何に姫本の攻撃が連続的で激しかつたとはいえ、被告人が同人より前記庖丁を奪い取つてしまえば加害者は既に素手であり、その上当夜は相当に飲酒し、頭部に数個所の切創まで受けている身であるから客観的には被告人の生命に対する危険の現存且切迫の程度は減弱したものと認められ、姫本に対して優位に立つ被告人が右庖丁で更に同人の胸部を深く突き刺し判示の如き重傷を負わせたことは当時の情況からして許容された防衛行為としての相当な程度を逸脱したものと認められる。然しながら今一度被告人が当時おかれていた情況について考察するに、被告人は前認定のとおり、脱出の困難な、しかも狭隘な船室内で姫本の予期しない矢つぎばやの攻撃によつて自己の生命を危険に曝されたばかりでなく、逃げ出す余裕もないまま右攻撃によつて身体に受傷する等の急迫な事態に直面して驚愕の極著しい恐怖、興奮、狼狽の状態にあつたことが十分看取されるとともに姫本は酒癖が悪く、酔つては他人に乱暴する性向があり、傷害罪で罰金刑に処せられた前歴を有する者で、本件当夜もかなり酒気を帯びその執拗、理不尽なる行動よりして容易にその不法侵入又は暴行を中止すべくもない情勢に至つていたのであるからかかる状況下において被告人が右手を依然同人に掴まれていたことと相俟つて、自己の生命・身体に対する危険を多少過大に感じたとしてもやむを得ないものというべく、そのため当時被告人に対し自己を抑制して判示刺創行為をなさざるべきことを期待するのは極めて酷であつて、被告人が興奮、恐怖、狼狽の余り防衛の目的で姫本を刺すに至つたと認められる本件はその所為につき宥恕すべき事情があつたといわなければならない。
されば被告人の本件所為は盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律第一条第二項の適用によつてその責任を阻却され、罪とならないものと判断する。(同項は誤想防衛の場合について規定しているが、過剰防衛の場合にも勿論適用があると解しなければならない)。(村上喜夫 菊地博 藤田清臣)