大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所尼崎支部 昭和49年(ワ)563号 判決 1981年10月30日

《住所省略》

原告 徳丸スミヱ

<ほか五名>

原告ら訴訟代理人弁護士 藤原精吾

同 高橋敬

同 宮後恵喜

同 上原邦彦

同(復代理人) 田中秀雄

《住所省略》

被告 昭和電極株式会社

右代表者代表取締役 大谷勇

右訴訟代理人弁護士 久万知良

同 前堀政幸

主文

1  被告は原告らに対し、各金五五〇万円及び各内金五〇〇万円に対する昭和五〇年一月九日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

4  この判決は、1項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める判決

一  原告ら

1  被告は、

(一) 原告徳丸スミヱ、同東條啓子、同徳丸敏昭に対し、各金一一〇〇万円及びこれに対する昭和四九年一月二六日から完済まで年五分の割合による金員を、

(二) 原告山本房枝、同山本豊、同山本薫に対し、各金一一〇〇万円及びこれに対する同年一一月三日から完済まで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は黒鉛電極等の製造販売を目的とする株式会社である。

(二) 原告徳丸スミヱは被告の従業員であった亡徳丸義高(以下「亡徳丸」という。)の妻であり、原告東條啓子及び同徳丸敏昭はその子である。

(三) 原告山本房枝は被告の従業員であった亡山本國三郎(以下「亡山本」という。)の妻であり、原告山本豊及び同山本薫はその子である。

2  被告工場の作業環境

(一) 黒鉛電極の製造工程

被告本社工場(当時西宮市所在。以下「被告工場」という。)における黒鉛電極製造工程は、大別すると粉砕、ねつ合、成形、焼成(含浸、黒鉛化を含む。)及び加工の各工程に分れ、原料は石油コークス、ピッチ、タール、酸化鉄を使用する。

(二) 粉砕工場

粉砕工程は、原料を粉砕して貯蔵し配合するまでの工程であり、石油コークス、タール、ピッチの粉じんが多量に発生し、職場環境としては極めて劣悪なものであった。昭和三九年に工場が新設されたが、それ以前の旧工場においては各機械が密閉化されておらず、これらが作動すると粉じんが工場内に立ちこめ、数メートル先も見えず、従業員は粉じんの中で呼吸しているような状態であった。新工場では機械化が促進され、粉砕系列、配合装置の自動化・密閉化が加えられ、その後集じん機も設置されるようになったが、これらは専ら生産性を高めるためのものであったので、発じんの抑制にはならず、生産量の増加によって設備の改善に伴う防じん効果も減殺され、環境は全くといっていいほど良くならなかった。

昭和三〇年代半ばにようやくスポンジとガーゼより成るマスクが支給されたが、ほとんど防じん効果はなく、同四二年ころより支給されたフィルタックマスクは、通気性が悪く作業中に息苦しくなるため長時間の使用は不能で、従業員は粉じんを吸引せざるをえなかった。

(三) ねつ合・成形工場

ねつ合は、主・副原料の配合物をねつ合機に投入し、これを加熱して粘土状のねつ合物を作る工程であり、成形は、ねつ合物を冷却台で冷したうえ、これを成形機で棒状にプレスする工程である。このねつ合・成形工場は粉砕工場と同じ建物内にあったので、環境的には相互にその影響を受けた。旧工場場代にはねつ合機が開放型であったため、原料投入の際に粉じんが舞上り、加熱以後の工程では蒸気やガスが発生し、タール分が気化して高濃度の三―四ベンツピレンが工場内の空気を汚染した。新工場になってからは、ねつ合機が半密閉式に改められたものの、蓋が開いて自動的にねつ合物が出たのちは蒸気、ガスが吹出すことに変りはなく、その後の工程での蒸気やガスの発生は旧工場と全く変りがなかった。新工場では、昭和四八年ころにようやく集じん機が設置された。マスクの支給及び使用状況は、粉砕工場の場合と同様であった、したがって、従業員は粉じん、ガス、蒸気を浴びたり、吸引することを避けられなかった。

(四) その他の工場

成形したものを焼成炉で焼く工程、タールにより含浸する工程でも、加熱された石油コークス、ピッチからタール分が気化して三―四ベンツピレンが空気を汚染し、焼成炉、黒鉛化炉の出し入れの際及び加工工程では、タール、ピッチの粉じんが大量に発生した。

3  職業病の発生

(一) 前記製造工程において発生するタール、ピッチの粉じんはじん肺をひきおこし、石油コークス、タール、ピッチに含まれるタール分は、そのまま又は気体となって皮膚等に付着することにより、色素沈着、日光過敏症、ガス斑その他のタール皮膚症をひきおこす。

(二) さらにタール分に含まれる三―四ベンツピレン等の成分は発がん性を有し、接触付着により皮膚がんを発生させるほか、吸引・嚥下により肺がん、食道がん等をひきおこすものである。

4  亡徳丸・山本の作業内容と罹病

(一) 亡徳丸は、大正一〇年五月一八日生まれ、昭和三一年一月被告に雇用され、被告工場変電所電気係に勤務し、同三五年五月より電気修理職場に配属され、同四六年六月再び変電所電気係となったが、同四七年一〇月より病気休業し、同四九年一月二五日肺がんにより死亡退職した。

亡徳丸が一番長く従事した電気修理作業の内容は、前記製造工程のすべてにおける電気機械の故障を修理する作業である。

(二) 亡山本は、大正六年七月二四日生まれ、昭和三〇年に臨時工、同年七月本工として被告に雇用されて以来、同四八年一〇月病気により休業するまで原料粉砕等の作業及び粉砕工場における機械修理作業に従事したが、同四九年一一月二日食道がんにより死亡退職した。

(三) 右両名が勤務した被告工場の作業環境が劣悪であったことは前記のとおりであり、同人らは長年にわたり原料、粉じん等に含まれた大量の発がん物質に暴露された結果、肺がん又は食道がんにかかって死亡したものである。

5  被告の責任

使用者は、労働契約上の義務として、自ら使用する労働者が就労により生命・健康を損うことのないよう、安全及び衛生上必要な万全の措置を講ずる義務を負う。

したがって、被告は

(1) 技術の改良、原料の変更等作業方法ないし設備の改善による発じん等の防止

(2) 密閉又は包囲、局所排気装置等による粉じん、ガス、蒸気の飛散の抑制、排出

(3) 呼吸保護具、作業時間の規制、作業強度の軽減による労働者への防じん対策

など種々の対策を実施したうえ、労働者に対する医学的管理を徹底させ、高度の内容をもった定期検診による職業病の発見に努め、これを発見したときはその結果を労働者に通知し、配置換、療養などによりその悪化を未然に防止する義務を負う。

ところが、被告は亡徳丸・山本を就労させるに当り、防じん、換気等、発がん物質よりの防護措置を講ぜず、その他右各注意義務を怠った過失により、右両名に職業性のがんを発生させ、死亡するに至らせた。

したがって、被告は右両名の死亡につき、第一次的に債務不履行、予備的に不法行為の責任を負うべきである。

6  損害

亡徳丸・山本が被った損害は、各自慰謝料三〇〇〇万円、弁護士費用三〇〇万円、合計三三〇〇万円である。

原告徳丸スミヱ、同東條啓子、同徳丸敏昭は、亡徳丸の死亡により、その余の原告らは亡山本の死亡により、右各損害賠償請求権を三分の一ずつ相続した。

なお、右各弁護士費用については、予備的に、被告の不法行為により原告らが被った固有の損害として、その賠償を請求する。

7  よって、原告らは被告に対し、右損害額各一一〇〇万円及び原告徳丸スミヱ、同東條啓子、同徳丸敏昭については右各金員に対する昭和四九年一月二六日(亡徳丸の死亡の日の翌日)から、その余の原告らについては右各金員に対する同年一一月三日(亡山本の死亡の日の翌日)から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2について、(一)は認める。(二)ないし(四)のうち、粉砕、焼成、加工の各工場である程度タール、ピッチの粉じんが発生すること、ねつ合、成形、焼成の各工場で加熱された石油コークス、ピッチからタール分が気化することがあることは認めるが、その余は争う。

3  同3について、(一)のうち、予防措置を取らないかぎり、一般的にタール、ピッチの粉じんの吸引がじん肺の原因になること、タール分がタール皮膚症の原因になることは認める。(二)のうち、三―四ベンツピレンが発がん物質であることは認めるが、その余は争う。

4  同4について、(一)、(二)は認めるが、(三)は否認する。

5  同5及び6は争う。

三  被告の主張

1  安全衛生義務の履行

被告は、従業員が労働衛生上安心して就労できるように、次のとおり工場設備を改善し、必要な安全防護措置を講じてきた。

(一) 粉じん防止の施設については、昭和三九年に粉砕、成形工場全体を建替え、各工場の機械の密閉化を図るとともに、作業工程を自動化して発じんを防止し、さらに種々の集じん機を設置して、従業員が直接粉じん、ガス等を吸引することのないようにした。このほか、防じん対策として水まき作業を励行し、昭和四七年一一月には粉砕ピッチの保管場所を二階にして防じん壁を設け、同四八年五月にはピッチを湿潤状態にするためにシャワー装置を採用した。

(二) 皮膚障害防止のために、昭和二九年ころより従業員に産業用保護クリーム等を使用させていたが、同四一年六月以降コーチゾンを支給しており、同四五年三月粉成工場に温水器を設置し、同四六年三月から洗顔時間を設け、同四七年六月以降は作業時間中でも入浴を許可している。

(三) 粉じん防護のために、昭和三二年からスポンジのガーゼマスクを支給し、同三六年にこれをフィルタックマスク(フェルト)に改善し、同四三年ころより等級マスクを使用させている。

(四) 被告は以上の対策を励行し、労働安全衛生法に基づく一般健診、じん肺法に基づくじん肺健診、特定化学物質等障害予防規則(特化則)に基づく特化則健診を必ず実施して従業員の健康管理を行い、健診結果によって職場配転を配慮してきた。

そして、特に従業員の安全衛生教育に力を入れて、昭和四四年ころ安全衛生組織を確立し、班別会議、安全パトロール等により末端まで安全衛生観念が徹底するよう努力した。

2  因果関係

(一) 亡徳丸は雇用時の精密検査の結果、右肺に異常所見が認められ、その後も肺結核で再三入院しており、生来呼吸器が虚弱な体質であった。

同人の全作業のうち、粉砕、成形関係の修理作業は一二・四パーセントにしかすぎず、清潔な電気修理工場における修理作業が四一パーセントと半分に近い。これとほぼ同じ勤務状況にあった同僚の福及び沖島は、いずれも被告福知山工場で今なお勤務しており、両名には健康被害は全くない。さらに粉砕、成形工場において常時粉砕、成形作業に従事していた従業員が、現在なお福知山工場で健康に働いている。なお、亡徳丸の肺の炭粉沈着は中等度であり、じん肺所見は認められていない。

したがって、亡徳丸の死因は、虚弱な結核性の体質に加え、一日約三〇本喫煙する習慣ないしその他の私生活の環境によるものである。

(二) 亡山本は昭和四七年九月定年を迎えたが、同人自身健康だからという理由で懇望したため、嘱託として再雇用した。ところが、同人は同四八年一〇月食道狭窄症で入院し、翌四九年一一月食道がんにより死亡したものである。同人の場合、食道上部に著変はなく、下部では軽度の食道炎がある程度であって、じん肺症は観察されていない。

粉砕、成形作業によって食道が犯されるということは未だ疫学的に証明されておらず、労働基準監督署長も亡山本については業務起因性がない旨の認定をしている。

要するに同人の死因は、同人の過度の飲酒及び喫煙の習慣ないしその他の私生活の環境によるものといわざるをえない。

3  宥恕

亡徳丸・山本の両名は、被告の従前の安全衛生義務の履行状況を熟知しており、その間これにつき格別の異議や不服を述べたり、何らの要求をしたこともなかったのであるから、仮に被告の右義務の履行に不十分な点があったとしても、これを宥恕していたものというべきである。したがって、原告らが現在に至って右義務の違反を主張して損害賠償の請求をすることは、信義則に反して許されない。

4  免責

(一) 職業病の罹患者に対し労働者災害補償保険法に基づく保険給付がされたときは、それをもってその罹患者に対する労働力減殺による財産上の損害は補償され、かつそのことによって精神上の苦痛も慰謝されることになるから、この保険給付によって使用者(事業主)の民事責任は免責されると解すべきである。原告徳丸スミヱは、亡徳丸の死亡につき労災保険給付を受給しているから、同人の死亡については被告は民事上の損害賠償責任を負わない。

(二) 仮に右主張が認められないとしても、亡徳丸と被告との間には、昭和四七年七月六日締結されたいわゆる上積み協定(労災保険給付の上積みとして従業員死亡の場合被告の負担で金五〇〇万円を支払う。)が存在するから、被告は金五〇〇万円を支払うことによって免責される。

5  損害の填補

原告徳丸スミヱは、前記のとおり労災保険給付として、すでに遺族補償年金二一八万八五九三円、遺族特別年金四四万七三三八円の支給を受けているのであるから、右の額及び将来の給付の限度において(確定額は同原告において求釈明に応じないので不明)、本訴請求額から控除さるべきである。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張はすべて争う。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者

請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  被告工場の作業環境

1  被告工場の黒鉛電極製造工程が大別すると原告ら主張の工程に分れることは、当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  粉砕工場

粉砕工場は、石油コークス、還元材等の主原料をエアハンマー(破砕機)で破砕し、次にハンマークラッシャー(中砕機)で粉砕し、振動ふるい機で選別したうえ、レーモンドミル(微粉砕機)でさらに細かく粉砕し、これを副原料のタール(液体)、ピッチ(固体を粉砕したもの)とともに配合機に入れて混合するまでが、その工程である。

昭和三九年前の旧工場では、各機械、装置が密閉化・自動化されていなく、粉砕機の作動に伴って生じる粉じんが工場内に立ちこめ、粉砕後の原料運搬作業や微細粉を袋につめる作業によっても粉じんが舞上り、数メートル先も見えない状態を呈することが珍しくなかった。従業員は、粉砕工程内のどの部門を担当しても、粉じんを浴びて顔や手が真黒になり、鼻水やたんなども粉じんのため黒色を呈していた。昭和三二年ころよりようやくスポンジとガーゼより成るマスクが支給されるようになったが、性能が悪く、マスクのガーゼも使用後三〇分もすると真黒になり、粉じんの吸引防止には余り効果がなかった。

昭和三九年に新工場が建設されてからは、粉砕系列にジョークラッシャー(粗砕機)が新たに導入され、粉砕系列及び配合系列の自動化・密閉化が図られた。しかし、集じん機は昭和四一年五月に一台設置されたのちは、同四六年八月にさらに一台設置されるまで増設されず、粉砕ピッチの保管場所に防じん壁が設けられたのが同四六年、ピッチ湿潤化シャワーの設置が同四七年、原料に対する水まき、ピッチ配合ショベルカーによる手配合の改善が同四八年ころというように、発じんの防止及び飛散の抑制措置の遅れが目立った。そのうえ、エアハンマーによる発じんは従前と同様であり、配合系列にも一部人力による運般及び手配合が残され、密閉化された機械及び装置もその隙間や継ぎ目から微粉が洩れて工場内を浮遊していた。しかも、新工場になってからは生産量が増加したため、発じんの度合は増大した。前記集じん機は工場の東西に各一台取りつけられ、各機械のそばまで吸込み口を延ばしていたが、排気口を全開すると粉じんが周辺団地に流出して苦情が出るため、排気口を全開しないで作動することもあって、工場内の発じん防止にはさほど効果がなかった。同工場の従業員には昭和四一年ころからフィルタックマスク、その後等級マスクが支給されていたが、作業中に息苦しくなるため一時これを外さなければならず、粉じんの吸引を完全に防止することはできなかった。

被告は、昭和四一年三月二二日西宮労働基準監督署長から、労働基準法四二条に違反するものとして、同工場の吸引排出装置を是正すべき旨の勧告を受けた。

(二)  ねつ合・成形工場

ねつ合は、配合された主原料と副原料をねつ合機に投入し、加熱して粘土状のねつ合物を作る工程であり、成形は、ねつ合物を冷却台で冷ましたうえ、これを成形機で棒状に成形する工程である。

同工場は粉砕工場と同一建物内にあったので、両工場の従業員は相互にその作業環境の影響を受け合った。

旧工場ではねつ合機が開放型であり、原料を上から投入すると粉じんが舞上り、加熱すると蒸気及びガスが発生した。従業員がねつ合物を取出し、冷却台の上に拡げて扇風機で冷却し、これを成形機まで運搬するが、その過程で蒸気やガスが吹き出し、タール分が気化して高濃度の三―四ベンツピレン等が同工場内の空気を汚染した。従業員は粉じん、蒸気及びガスを全身に浴びながら作業に従事していた。

昭和三八年ころからねつ合機が逐次密閉式のリボン型ブレンダーに改められ、同四三年ころ冷却台が傾動式に改善され、同四六年ころねつ合物の運搬が自動化された。しかし、リボン型ブレンダーも完全に密閉されているわけではなく、しかも蓋が開いて自動的にねつ合物が出たのちは蒸気、ガスが吹き出し、機内に残留したねつ合物を人力で取出す際にも蒸気、ガスがあふれ出し、また、ねつ合物を冷却台で押し拡げる際に蒸気、ガスが発生することは、旧工場と変りはなかった。そのうえ、増産態勢が取られたため、粉じん、蒸気等の発生度合は増加した。

昭和四二年工場北側にサイクロン式集じん機が一台設置されたが、同四八年に至るまで放置されたままで使用されず、同年にその使用を開始したものの効果は余りなかった。マスクの支給及び使用状況は粉砕工場の場合と同様であり、従業員は粉じん、蒸気、ガスを浴びたり吸引することは避けられなかった。

(三)  その他の工場

成形したものを焼成炉で焼く焼成工場では、粉じん、蒸気、ガスが発生するほか、ピッチ(液体)により含浸する工程では蒸気、ガスが発生し、黒鉛化工場では粉じん、ガスが、加工工場においては粉じんがそれぞれ発生する。

(四)  環境測定結果

(1) 近畿安全衛生サービスセンターによる測定

被告は、昭和四八年六月近畿安全衛生サービスセンターに被告工場の環境測定を依頼した。その測定結果によれば、労働省の「じん肺性粉じんの抑制目標」一立方メートル当り五ミリグラムを上回る気中粉じん濃度の平均測定値として、粉砕工場においては、石油コークスの積込運搬作業中の測定位置で三八・五七二(一立方メートル当りのミリグラム数値。以下同じ。)、生還元原料粉砕作業中の測定位置で二二・〇二三、ピッチ配合作業中の測定位置で五・二九二を示し、ねつ合・成形工場においては、原料投入作業中の測定位置で一九・四七五及び二一・三〇九を示した。

また、気中タール濃度の平均測定値は、粉砕、ねつ合・成形の各工場において、労働省通達(昭和四八年七月一二日基発四〇八号)による「コールタールの蒸気または粉じんの濃度」〇・二を各測定位置で上回った。

(2) 証拠保全時の測定

昭和四九年三月一二日の証拠保全(検証)時における鑑定人中南元の測定結果によれば、粉砕工場においては、コンベヤーに原料投入時の測定位置で気中粉じん濃度が一九、気中タール濃度が一・八二、配合機によるホッパーへの原料投入作業中の測定位置で前者が二・八、後者が〇・八四三を示し、ねつ合・成形工場においては、ねつ合機作動中の測定位置で前者が二九と二・四と一一九、後者が三・六九と〇・六八四と一六・八を示した。

また、気中の三―四ベンツピレン濃度(一立方メートル当りのミクロン数値)は、粉砕工場においてコンベヤー作動中の測定位置で一〇、ホッパー原料投入中の測定位置で七・五を示し、ねつ合・成形工場においては、ねつ合機作動中の測定位置で二四、ねつ合物冷却作業中の測定位置で四・四を示し、同業他者の三―四ベンツピレン濃度よりはるかに高い数値が測定された。ちなみに、右にあげた数値の最高値二四の職場で従業員が一日(六時間)吸入する三―四ベンツピレンの量は、フィルターなしのピースを一日二二六〇本喫煙するのと同量であり、最低値四・四の職場でも同じく一日四一〇本の喫煙と同量である。

(五)  職業病の発生等

被告の電極製造作業に従事する従業員の中には、従前からタール、ピッチによる何らかの皮膚障害を訴える者が大量に存在し、じん肺症と診断された者も四十数名存在した。しかし、粉じん及びタール、ピッチの有害性に対する被告の認識は、昭和四〇年当時においても必ずしも高くなく、管理職が粉じんは胃にはむしろ有益である旨説明していたほどである。したがって、粉じん、ガス等の発生の防止、飛散の抑制に対応する熱意も薄く、そのうえ昭和四五年ころ以降は、京都府福知山市に工場を移転する方針が立てられたため、西宮工場に対する新たな設備投資等も抑制され、粉じん及びタール、ピッチの害に対する有効な防止策を望むことはできなかった。

《証拠判断省略》

三  亡徳丸・山本の作業内容と罹病

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  亡徳丸関係

(一)  亡徳丸は大正一〇年五月一八日生まれ、大銅銅板株式会社を経て昭和三一年一月被告に雇用され、被告工場変電所電気係に勤務、同三五年五月より電気修理職場に配属され、同四六年六月再び変電所電気係に配置換えとなったが、それ以降も夜勤は粉砕、成形、含浸の故障修理業務に従事した。

(二)  亡徳丸の従事した電気修理の作業内容は、粉砕、ねつ合、成形を初めとしてすべての工程における電動機械の故障を修理する作業である。現場における修理の主たるものは粉砕、成形工場における修理であり、モーター等の修理はこれを機械本体から取り外して電気修理工場に持ち返って修理するが、成形プレスの結線、ねつ合機のヒーターの取替、冷却台の扇風機の修理、粉砕機のモーターの結線等は、いずれも現場において粉じん、蒸気、ガスを浴びながらの作業を余儀なくされた。

(三)  同人の作業中、粉砕、成形関係のみの作業時間をとると、昭和四二年から同四五年までの四年間で一四九六時間であり、その年間平均は三七四時間である。

(四)  亡徳丸は昭和四七年一〇月より病気休業し、同四八年二月気管支鏡で左肺にがん細胞が発見されたのち、同四九年一月二五日肺がんにより死亡した。

2  亡山本関係

(一)  亡山本は大正六年七月二四日生まれ、昭和三〇年臨時工として入社し、同年七月本工として採用された。そして、同三一年一二月まで粉砕工場で粉砕、原料投入、搬出等の各作業に従事した。同三二年から同四〇年一一月までは、粉砕工場内の機械修理に従事した。修理作業の内容は、粉砕機の修理、分解、組立、旧工場の機械の解体等であり、粉じんにまみれての作業であった。

昭和四〇年一二月から同人は機械修理工場に配属されたが、仕事は従前同様粉砕工場の機械修理専門であり、同四六年六月再び粉砕工場に配属され、機械修理その他全般にわたる作業に従事した。

(二)  同人は昭和四八年一〇月より病気休業し、同年一一月食道がんと判定され、応急的手術を受けたが、同四九年一一月食道がん及び慢性気管支炎による肺性心のため死亡した。

《証拠判断省略》

四  因果関係

1  タール、ピッチの粉じんの吸引がじん肺の原因となること、タール分がタール皮膚症の原因となること及び三―四ベンツピレンが発がん物質であることは、当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  職業性のがんの研究は、一七七五年イギリスのポットが煙突掃除人に多発した陰のうがんを報告したことに始まるが、このがんは、煙突の煤やタールに強度に暴露されたため発生したと考えられ、このことは一九一五年、山際勝三郎が兎の耳介皮膚にタールを塗付して偏平上皮がんを実験的に作ったことにより確認された。以後多数の化学物質の発がん性について実験が試みられ、多数の発がん物質が確認されている。とりわけ、タール等有機物熱分解産物からいくつかの芳香族多環炭化水素系の発がん物質が抽出、固定された。これらはいずれも皮膚に付着すれば皮膚がんを作り、吸入されれば、肺がんを作ることが知られている。その中でも三―四ベンツピレンは最も強力な発がん性を有し、発がん物質として代表的なものとされている。

今日、多量の喫煙によって肺がんが多発することは広く知られているが、それはたばこのタール分中に含まれる三―四ベンツピレンの発がん性によるものである。

ところで、日本における職業性の肺がんの存在については、一九三六年に黒田、川原が日本製鉄八幡工場の製鋼用発生炉ガス作業者に肺がんが多発することを報告して以来、コールタール、ピッチ等と肺がんの関連性について多数の報告がされ、疫学的、一部実験的に因果関係の存在が明らかにされている。一九六三年ないし一九六四年の同製鉄所のコークス炉周辺の気中三―四ベンツピレン濃度は冬一・五〇六、夏三・一四一と測定されている。

(二)  被告工場のような黒鉛電極工場においては、原料粉砕工程、成形ねつ合工程、タール含浸工程で三―四ベンツピレンが気中に流出するばかりではなく、強力な発がん性を有するタール粉末自体ないしその他の芳香族多環炭化水素も流出している。

また、粉じん、タール分の継続的な刺激が加えられると、気管支炎が起こるが、とりわけ粉じんによってじん肺症状を呈するに至れば、気管支炎が継続することが多く、それにより、気管支の上皮細胞が異常増殖し、発がんしやすい組織素因を形成することが知られている。

(三)  タール質は金属よりも容易に吸収されやすく、粉じんとともに気道から吸入され、吸収されて全身循環に参加するほか、咽喉頭部に付着したものが嚥下されて消化管に達する。このようにしてタールの作用は全身の臓器に及び、なかでも高度に作用されるのは肺、消化管、肝等とされる。

消化管の一つである食道は、狭い部分(生理的狭窄部)が三か所あり、その部分にがん原物質を含有する粉じんが付着して継続的に刺激を与えると、非常にがんにかかりやすい状態となる。

(四)  黒鉛電極工場における粉じんと発がんの関係については、わが国では研究が未開拓のため、まだ完全に疫学的証明がなされてはいないが、発がんの可能性を理論的に否定することはできないとされている。労働省労働基準局安全衛生部の大型人造黒鉛電極製造業務従事者の疫学調査によれば、がんと職業性因子との関連を究明するには至らなかったが、肺がん死亡者数が期待死亡者数を上回っていること及び成形従事者にがん死亡者、特に消化器がん死亡者が多いことが認められ、今後の追跡調査の必要性が強調されている。

(五)  亡徳丸は、タールピッチに暴露したため、全身に黒色面疱や白斑等の皮膚病変が存在したうえ、慢性気管支炎が存在していた。同人の肺がんは、左肺門部S3―4原発の中枢型肺がんで偏平上皮がんであり、経気道的に作用した外来性発がん物質による肺がんである可能性が考えられる。また同人の剖検記録には肺に線維増殖性変化をきたした旨の記載はないが、肺臓標本によると、じん肺に罹患していた疑いが極めて強く認められる。

(六)  亡山本は、タールピッチに暴露したため、頸胸部、両側上肢に色素沈着等の皮膚障害が存在したうえ、慢性気管支炎が存在していた。同人の食道がんは、咽頭に一番近い第一生理狭窄に原発して第三生理狭窄上部まで広がっているから、食道中最も高い濃度で発がん物質に接触する部位である第一生理狭窄部における食道上部炎が継続し、がん化に至った可能性が考えられる。同人も剖検記録上はじん肺所見はないが、肺臓標本、レントゲン写真によると、じん肺に罹患していた疑いが極めて強く認められる。

3  右認定の事実に、前記二及び三の各認定事実、とりわけ、被告工場における多量のコークス、タール等の粉じん、ガスの存在、前記認定の強力な発がん物質たる三―四ベンツピレンの気中濃度などの事実を総合すると、このような多量の三―四ベンツピレン等の発がん物質に長期間暴露され続けた場合に、発がんの確率が極めて高くなることは容易に認めることができるから、亡徳丸・山本は被告工場の粉じん中に含まれるタール分・三―四ベンツピレン等の発がん物質を吸引し、あるいは嚥下することにより、その長期間にわたる継続的な作用を受けて発がんし死亡するに至ったものと推認するのが相当である。

《証拠判断省略》

4  被告は、亡徳丸の全作業時間のうち、粉じん等に暴露される時間の占める割合は極めて少ない旨主張するが、前記のとおり同人の粉砕、成形関係の作業時間は年間平均三七四時間であり、同人の勤務期間、前記認定の被告工場の作業環境及び《証拠省略》を総合すると、右の程度の作業時間における粉じん等の暴露の継続によっても、発がんの可能性は十分にあることが認められるから、右主張は失当である。

また、疾病の罹患については個体差があることは当然であるから、同一環境で就労する者のうち発がんしない者があるからといって、それだけの理由で発がんの業務起因性を否定することはできない。

5  次に被告は、亡徳丸の発がんは結核性の虚弱体質と過度の喫煙等がその原因である旨主張するが、《証拠省略》によると、亡徳丸が生前肺結核にかかったことを認めることはできないし、その他同人が虚弱体質であったことを認めるに足りる証拠はなく、また、《証拠省略》によれば、亡徳丸は昭和三四年ころ一日二〇本吸っていたたばこをやめ、その後同四五年ころから再び一日十二、三本喫煙していたことが認められるので、この程度の喫煙では肺がん発生の因子として有意なものと認めることはできない。したがって、被告の右主張も採用することができない。

6  さらに、被告は、亡山本の発がんは過度の喫煙と飲酒によるものである旨主張する。《証拠省略》によると、亡山本は生前一日約二〇本のたばこを吸い、一日約二合の晩酌をしていたことが認められ、一方、《証拠省略》によれば、疫学的調査結果から毎日二〇本以上の喫煙に常習的飲酒を伴なった場合に食道がんの死亡者が多いことが認められる。

したがって、亡山本の右喫煙及び飲酒が食道がんの原因になりうることは否定できないが、前記認定の被告工場の作業環境、同人の勤務状況等を考慮するならば、同人の発がんの原因が業務に起因するものではなく、喫煙と飲酒によるものであると認めることはできないから、被告の右主張も理由がない。

五  被告の責任

労働契約においては、使用者は労働者に対し労働の場所を指定し、設備、機械等の手段を提供して労務の給付を受けるのであるから、労働者が安全及び衛生の保持された状態で就労できるように配慮し、労働者の生命・健康等を保護する義務を負うものと解すべきである。したがって、使用者は、労働者が就労する過程において発生する健康障害の発生を未然に防止する義務がある。

前記二及び四で認定したとおり、被告工場ではコールタール分を含有する有害な粉じん、ガス等が発生し、従業員がこれを吸引又は嚥下するとじん肺及びがんにかかりやすく、これに接触すると皮膚障害をおこすことになるのであるから、被告としては、粉じん、ガス等の発生を極力防止する措置を取り、さらに発生した粉じん、ガス等の除去、飛散の抑制をするなど可能なかぎりの措置を講じて、従業員が前記の健康障害にかからないよう配慮すべき義務があったものというべきである。

ところが、前記認定のとおり、昭和三八年ころまでの旧工場時代には右の各措置が配慮された形跡はほとんどなく、同三九年以降の新工場時代においても、機械、装置の改善はされたものの、粉じん等の発生防止及び飛散の抑制措置が不完全であり、機械、装置の自動化・密閉化その他の面でも未だ相当に改善の余地が残されていたのにその措置が取られず、その対応策も後手に回り、従業員はいぜんとして有害な濃度の粉じん、蒸気、ガスの中で就労せざるをえなかったのであるから、被告は前記健康保護義務を怠っていたものといわなければならない。

被告主張の安全衛生措置だけでは、未だ右義務を尽したものと認めることはできないから、被告の主張は採用することができない。

したがって、被告は右債務の不完全履行により亡徳丸・山本に被らせた損害を賠償する義務がある。

六  損害

亡徳丸・山本の死因、死亡に至る経緯、その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、右両名についての慰謝料額は各自一五〇〇万円と認めるのが相当である。

原告らは、このほか右両名が弁護士費用の損害を被った旨主張するが、右両名が死亡当時においてすでに弁護士費用の損害を被ったものと解することはできないから、右主張は理由がない。

そして、原告徳丸スミヱ、同東條啓子、同徳丸敏昭が亡徳丸の、その余の原告らが亡山本の右慰謝料請求権を各三分の一の割合で相続したことは、前記一の事実に徴して明らかである。

なお、被告が前記健康保護義務を怠った結果亡徳丸・山本を死に至らせたことは、右両名の妻子たる原告らに対する関係で不法行為を構成するものと解されるから、原告らが本訴の提起、追行に要する弁護士費用のうち、右不法行為と相当因果関係にあるものと認められるものは、原告ら固有の損害として、被告はこれを賠償する義務を負う。ところで、本件事案の内容、審理の経過、その他諸般の事情を考慮すると、被告に賠償さすべき弁護士費用は、原告ら各自につき金五〇万円と定めるのが相当である。

七  その他の抗弁について

1  宥恕

亡徳丸・山本が個人として、被告に対し前記健康保護義務の不履行につき異議を述べたり、格別の要求をしたことを認めるべき証拠はないが、労使の力関係から見て、個々の労働者が使用者の右義務不履行につき特段の意思表示をしなかったからといって、その義務不履行を宥恕したものと解することはできないし、本件全証拠によっても他に右宥恕の事実を認めることはできないから、これを前提とする被告の主張は理由がない。

2  免責

(一)  被告は労災保険の給付によって使用者の民事責任は免責される旨主張するが、労働者が使用者の責に帰すべき事由に基づいて、右給付の限度を超える損害又は右給付の費目外の損害を被った場合には、使用者はその損害賠償義務を負うものと解すべきであるから、右主張は失当である。

(二)  被告はまた、亡徳丸に対し上積み協定による五〇〇万円の支払によって免責される旨主張する。

《証拠省略》によると、亡徳丸が加入していた合化労連昭和電極労働組合と被告との間に、昭和四七年七月六日被告主張のようないわゆる上積み協定が成立していることが認められるが、この協定は、従業員死亡により五〇〇万円を超える損害が発生した場合においても、これを限度として使用者を免責する趣旨とはとうてい解することができないから、右主張も理由がない。

3  損害の填補

弁論の全趣旨によると、原告徳丸スミヱは被告主張のとおりの労災保険給付を受けていることが認められるが、労災保険の給付には慰謝料及び弁護士費用の補償は含まれていないものと解されるので、本訴においては右給付額を控除すべきではない。

八  結論

以上の次第であるから、原告らの請求のうち、被告に対し慰謝料及び弁護士費用合計各金五五〇万円及び各内金五〇〇万円(慰謝料)に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五〇年一月九日から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川敏男 裁判官 上原理子 裁判官 永松健幹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例