神戸地方裁判所尼崎支部 昭和60年(ワ)465号 判決 1988年3月24日
原告 サンスイ商事株式会社
右代表者代表取締役 村尾泰廣
右訴訟代理人弁護士 田口公丈
同 新原一世
同 浜口卯一
被告 伊丹市
右代表者市長 矢埜與一
右訴訟代理人弁護士 秋山英夫
右指定代理人 西野英彦
<ほか二名>
被告 甲野春子
主文
一 被告甲野春子は原告に対し、金四六〇〇万円及びこれに対する昭和五八年二月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告伊丹市は原告に対し、金九〇〇万円及びこれに対する昭和五八年二月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告の被告伊丹市に対するその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告甲野春子に生じた費用を被告甲野春子の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告伊丹市に生じた費用は、これを一〇分し、その八を原告の負担とし、その余は被告伊丹市の負担とする。
五 この判決は、右一、二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自金四六〇〇万円及びこれに対する昭和五八年二月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告甲野春子(以下「被告甲野」という。)に対する請求原因
(一) 別紙物件目録(一)及び(二)記載の不動産(以下「本件物件」という。)は、訴外亡乙山太郎の所有に属していたところ、同人が昭和五七年一〇月二日に死亡したことにより、同人の相続人である訴外乙山一郎、同乙山二郎、同乙山三郎、同丙川秋子及び同乙山四郎の五名(以下「亡太郎共同相続人」という。)の共有となった。
(二) 訴外岩崎明(以下「訴外岩崎」という。)及び被告甲野は、昭和五八年二月初め頃、共謀して、当時亡乙山太郎名義であった本件物件を、訴外乙山一郎名義に相続登記をしたうえで、訴外岩崎において乙山一郎を装って、同人名義で本件物件に担保を設定し、貸金業者である原告から、貸金名下に金員を騙取しようと企てた。
(三) そこで、訴外岩崎及び被告甲野両名は、登記手続をするに必要な亡太郎共同相続人の印鑑登録証明書を入手すべく、
(1) 昭和五八年二月三日、被告伊丹市の市役所印鑑登録課において、訴外岩崎が訴外乙山一郎を装って、同人の印鑑登録廃止届をして、同人の印鑑登録を廃止せしめ、続いて、被告甲野を保証人として、印鑑登録申請をなし、それと同時に印鑑登録証明交付申請を行い、訴外岩崎を訴外乙山一郎本人であると誤信した同市職員から、訴外乙山一郎の印鑑登録証明書の交付を受けた。
(2) 翌二月四日、訴外岩崎及び被告甲野は、被告伊丹市の市役所において、右(1)と同様の方法で、訴外乙山二郎、同乙山三郎の各印鑑登録証明書の交付を受けた。
(3) 訴外岩崎及び被告甲野は、訴外丙川秋子については、尼崎市役所において、訴外乙山四郎については、大阪市淀川区役所において、同様の手段で右両名の印鑑登録証明書の交付を受けた。
(四) 訴外岩崎及び被告甲野両名は、前記印鑑登録に用いた印章を使って、亡太郎共同相続人名義で、本件物件を訴外乙山一郎の単独所有とする旨の遺産分割協議書を偽造したうえ、同年二月五日、右分割協議書、偽造にかかる訴外乙山一郎名義の委任状及び前記のとおり不正に取得した亡太郎共同相続人の印鑑登録証明書を用いて、本件物件につき、昭和五七年一〇月二日相続を原因として、訴外乙山一郎への所有権移転登記を経由した。
(五) そして、訴外岩崎は、原告に対し、訴外乙山一郎本人と名乗って、本件不動産を担保として、金員借用方を申し込み、原告をその旨誤信させて、昭和五八年二月二一日、訴外乙山一郎の借主名義で、原告との間で、元本五〇〇〇万円、利息年一割五分の約定による金銭消費貸借契約を締結し、翌二二日、神戸地方法務局伊丹支局において、本件物件のうち、別紙物件目録(一)記載の土地については別紙登記目録(一)ないし(三)記載の、別紙物件目録(二)記載の土地については別紙登記目録(四)ないし(六)記載の、各登記(所有権移転請求権保全の仮登記、根抵当権設定登記及び停止条件付賃借権設定仮登記)の登記申請手続を了したうえ、これと同時に原告から右元本より利息分金四〇〇万円を天引きした残金四六〇〇万円の交付を受けてこれを騙取した。
その結果、原告は右金額の損害を蒙った。
(六) 右被告甲野及び訴外岩崎の所為は、原告に対する共同不法行為であるから、民法七〇九条、七一九条により、同被告は原告に対し、損害賠償責任がある。
(七) そこで、同被告に対し、損害賠償として金四六〇〇万円及びこれに対する右不法行為の日である昭和五八年二月二二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 被告伊丹市に対する請求原因
(一) 前記1(三)(1)及び(2)記載のとおり、被告伊丹市が訴外岩崎及び被告甲野に対し印鑑登録証明書を交付するについて、被告伊丹市の担当職員に次のとおり過失があった。
印鑑登録証明書が不動産取引等に利用される重要な書類である一方で、不正に利用される可能性が高いことからすれば、印鑑登録及び同証明書の交付に携わる市町村の担当職員は、本人の意思に反して他人に印鑑証明書を交付することのないよう、印鑑登録申請等が本人の意思に基づくことを慎重に調査する義務を負っている。ところで、被告伊丹市は、同市印鑑条例五条一項、同施行規則五条二項により、印鑑登録の申請に対する本人の意思の確認方法として、書面により本人に対する照会を原則としつつ、例外的に官公署の発行した写真の貼付された免許証等により本人であることを確認する方法と本件のように伊丹市内で印鑑登録を受けている成年の保証人が申請書に連署し、登録印鑑を押印して本人であることを保証する方法を認めている。しかし、右保証人による方法は、本人の意思を確認する手段として不確実であり、保証人と虚偽の申請人が共謀すれば容易に虚偽の印鑑登録が可能となる。したがって、右保証人制度は、印鑑登録手続としては濫用される危険性の大きい欠陥のある制度というべきであるから、保証人制度により印鑑登録申請がなされた場合、担当職員は、他の方法による申請の場合と異なり、より慎重な調査を行うべきであり、本人として出頭した者や保証人となる者に対し、発問や疎明資料の提示を求める等の方法で、右申請が本人の意思に基づくものか否かを確認する義務があり、伊丹市印鑑条例一六条も、職員が、印鑑登録及び証明の確実性を確保するため、質問し、疎明資料の提示を求めることを認めている。しかも、本件の場合、訴外岩崎及び被告甲野は、前後二日間という短い期間のうちに、訴外乙山一郎ら三名の印鑑登録について、連続して手続を行い、また、印鑑登録廃止届をすると同時に印鑑登録申請と印鑑登録証明書の交付を求めているのであるから、担当職員は訴外岩崎の印鑑登録申請手続に対し当然不審を抱くべきであった。ところが、担当職員は、訴外岩崎の行った手続が形式的に要件を充たしていることから、それ以上発問等の調査義務を尽くさず、漫然と同人を訴外乙山一郎ら本人であると軽信し、印鑑登録手続を行い、印鑑登録証明書を交付する過失を犯したのである。
(二) 被告伊丹市の担当職員が、右過失によって訴外乙山一郎らの印鑑登録証明書を交付したことにより、前記被告甲野に対する請求原因記載のように、訴外岩崎及び被告甲野の詐欺行為の実行が可能になり、その結果、原告は金四六〇〇万円の損害を被ったのであるから、右損害は、右過失と因果関係を有する。
(三) したがって、被告伊丹市の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、過失によって違法に原告に損害を与えたことになるから、被告伊丹市は、国家賠償法一条により、原告の右損害の賠償責任がある。そこで、同被告に対し、損害金四六〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年二月二二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告甲野
同被告は請求原因の認否をなさなかった。
2 被告伊丹市
(一) 請求原因1(一)、(二)の事実は知らない。
(二) 同1(三)(1)及び(2)の事実のうち、訴外岩崎が、昭和五八年二月三日、被告伊丹市の担当職員に対し、訴外乙山一郎本人であると名乗って、同人の印鑑登録廃止届をするとともに、被告甲野を保証人として、新たに訴外乙山一郎の印鑑登録申請をし、即日印鑑登録証明書の交付を受けたこと、翌四日、訴外岩崎が、右同様の方法で訴外乙山二郎及び同乙山三郎の印鑑登録証明書の交付を受けたことは認め、その余は否認する。訴外岩崎が右手続を行った場所は、乙山一郎の印鑑登録については伊丹市役所南分室、乙山二郎の印鑑登録については伊丹市立共同会館内市民課分室、乙山三郎の印鑑登録については伊丹市役所本庁市民課であった。
(三) 同1(三)(3)、(四)及び(五)の事実は知らない。
(四) 同2の事実うち、被告伊丹市の印鑑条例及び同施行規則に原告主張のとおりの規定があることは認めるが、その余は否認する。
三 被告伊丹市の反論
被告伊丹市担当職員の行為は、次のとおり同被告の印鑑条例等に定められた手続に従っており、過失はない。
1 被告伊丹市において印鑑登録を受けようとする者は、印鑑登録申請書に印鑑を添えて、自らまたは代理人により、市長に申請しなければならない(伊丹市印鑑条例)。印鑑登録の申請を受理したときは、当該申請に対する本人の意思を確認するため、書面により照会することを原則とする(同条例五条一項本文)が、当該申請が確実に本人の意思に基づくものであると認められる場合は書面による照会の必要はない(同条項但書)。そして、右但書に該当する場合の一つとして、同条例施行規則五条二項(1)号は、「本人自らが出頭して提出した印鑑登録証明書に、既に伊丹市で印鑑登録をうけている成年の保証人が連署し、その者が登録した印鑑の押印があったとき」と定めている。
そして、被告伊丹市では、事務処理慣行として、印鑑登録申請書の提出があったときは、まず、右申請書の記載事項を、本人の住民登録票と照合して本人に相異ないかを確認し、また、保証人による申請があったときは、保証人が実際に市内に居住し、かつ印鑑を登録しているかどうかを調査している。
本人の印鑑登録申請にあたって、担当職員らは、右条例、同施行規則及び事務処理慣行に従って訴外岩崎の記載した印鑑登録証明書の記載と訴外乙山一郎外二名の住民登録票を照合して、その同一であることを確認し、保証人となった被告甲野についても現実に伊丹市内に居住し、印鑑登録をしていることを調査し、印鑑登録証明書に押捺された被告甲野名下の印影と登録印鑑の印影を対照したうえで、印鑑登録をおこなっている。
2 印鑑登録証明書の交付手続は、印鑑登録証明交付申請書に印鑑登録を行った者に対して交付される登録票を添えて、自ら申請しなければならない(同条例一二条)。本件では、担当職員は、右のとおり印鑑登録手続を行った後、訴外岩崎に対して登録票を交付し、同時に訴外岩崎が提出した印鑑登録証明交付申請書に基づいて、印鑑登録証明書を交付したものであり、この手続も同条例に従って行われている。
3 また、印鑑登録の廃止は、印鑑及び登録票を紛失した場合は、自ら届け出ることによってこれをすることとされており(同条例九条)、届出をした者が本人であるかどうかは、届出書の記載事項が印鑑登録原票と一致しているかどうかによって判定される。本件の場合、訴外岩崎が提出した印鑑登録廃止届出書の記載事項は、訴外乙山一郎外二名の印鑑登録原票の記載事項と一致していたのであるから、担当職員は条例及び事務処理慣行に従って同人等の印鑑登録を廃止したのである。
4 被告伊丹市の印鑑登録事務の、市役所市民課における取扱件数は、一日あたり、約四〇〇件にものぼり、同課ではその他にも戸籍、住民登録等の業務を取り扱っているのであるから、印鑑登録関係の事務を遂行するに当たっては、条例等で定められた画一的な確認方法によって、迅速に事務を処理していく外はなく、さもなければ、事務が渋滞して一般市民に迷惑をかけるばかりでなく、職員も職務の重圧に堪えられない。そして、このような迅速な事務処理の要請及び住民の便宜のために、印鑑条例及び同施行規則が定められているのであり、右制度が、自治省の通達に従って設けられ、被告伊丹市のみならず、全国の自治体においても同様の規定が設けられていることからしても、印鑑条例等に従って手続を行った担当職員の行為には過失はない。
5 さらに、訴外岩崎及び被告甲野は、訴外乙山一郎外二名の印鑑登録証明書の交付を受けるについて、同一の係(窓口)で手続をすれば不審を抱かれる恐れがあるので、訴外乙山一郎の印鑑登録については、伊丹市役所南分室(伊丹市御願塚三丁目八番一一号所在)、同乙山二郎の印鑑登録については、伊丹市立共同会館内市民課分室(伊丹市堀池字タカセキ七六番地の一所在)、同乙山三郎の印鑑登録については伊丹市役所本庁市民課(伊丹市千僧一丁目一番地所在)でそれぞれ手続を行うという狡猾な手段を取っているので、手続にあたった被告伊丹市の各担当職員が、右申請に当たって特に不審を抱かなかったのも当然のことであった。
第三証拠《省略》
理由
第一被告甲野に対する請求について
被告甲野は、請求棄却の判決を求めるのみで、原告の請求原因事実について全く答弁をしないから、請求原因事実を明らかに争わないものと認め、これを自白したものとみなす。右事実によれば、原告の請求は理由があるから、これを認容する。
第二被告伊丹市に対する請求について
一 金員詐取に至る事実の経緯
訴外岩崎が、昭和五八年二月三日、被告伊丹市の相当職員に対し、訴外乙山一郎本人であると名乗って、同人の印鑑登録廃止届をなし、同日被告甲野を保証人として新たに訴外乙山一郎の印鑑登録申請をし、即日印鑑登録証明書の交付を受け、更に翌四日、右同様の方法で被告伊丹市担当職員から乙山二郎及び同乙山三郎の印鑑登録証明書の交付を受けたことは、原告と被告伊丹市との間に争いがなく、右争いのない事実と《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められる。《証拠判断省略》
1 本件物件は、もと訴外亡乙山太郎(以下「亡太郎」という。)の所有であったが、同人が昭和五七年一〇月二日に死亡したため、亡太郎共同相続人の共有となった。
2 訴外岩崎は、太郎の末妹であった被告甲野を通じて本件物件の存在を知り、昭和五七年一一月頃、亡太郎共同相続人に無断で本件物件の所有名義を亡太郎から同人の長男訴外乙山一郎に移転したうえ、本件物件を担保に第三者から貸金名下に金員を騙取しようと企て、その方法として、まず亡太郎共同相続人の印鑑を偽造し、右偽造印鑑をもって印鑑登録を行い、印鑑登録証明書の交付を受けたうえで、右印鑑及び印鑑登録証明書を用いて、遺産分割協議書等の必要書類を整え、本件物件について登記簿上亡太郎から相続を原因として訴外乙山一郎に所有名義を移転し、しかるのちに訴外岩崎において訴外乙山一郎を装い、偽造印鑑及び虚偽印鑑証明書を利用して、本件物件を担保として第三者から金員を借り入れることを計画した。
3 そして、訴外岩崎と被告甲野は、右のように印鑑証明書を入手すべく、昭和五八年二月三日、伊丹市役所市民課南分室(伊丹市御願塚三丁目八番一一号所在)に赴き、訴外岩崎において、担当職員であった訴外中川孝幸(以下「中川」という。)に対し、印鑑登録証と印鑑を紛失したが、すぐに印鑑登録証明書が欲しい、保証人として甲野を連れて来た旨申し向けたところ、中川は、訴外岩崎に対し、印鑑登録廃止届書、印鑑登録申請書及び印鑑登録証明交付申請書を作成するよう指示した。そこで、訴外岩崎は、印鑑登録廃止届書用紙の本人及び届出人の住所、氏名、生年月日欄にそれぞれ、あらかじめ記憶していた訴外乙山一郎の住所、氏名、生年月日のとおり「伊丹市千僧2丁目220」、「乙山一郎」、「昭15年3月10日」とそれぞれ記入したうえ、「紛失(登録印鑑、印鑑登録証)」との箇所に丸印を付して、右廃止届書を作成し、次いで、印鑑登録申請書用紙の申請者住所、氏名、生年月日欄にも右同様の記入をしたうえ、訴外乙山一郎名下に偽造にかかる乙山名義の印章を押捺し、被告甲野において、その保証人欄に自己の住所、氏名である「伊丹市中野西1丁目147」、「甲野春子」と記入し、同被告が被告伊丹市において印鑑登録をしている登録印章を押捺して、印鑑登録申請書を作成し、さらに、訴外岩崎において、住所、氏名、生年月日欄に前同様の記入をした印鑑登録証明交付申請書を作成し、同人はこれらの書類に偽造にかかる乙山名義の印章を添えて、中川に提出した。
中川は、訴外乙山一郎の住民票及び印鑑登録原票の写し並びに被告甲野の住民票及び印鑑登録原票の写しを市役所本庁からファクシミリを用いて取り寄せ、訴外岩崎提出の右各書類に記載された訴外乙山一郎の住所、氏名、生年月日、被告甲野の住所、氏名が右市役所本庁から取寄の住民票等の各写しと一致していることを確認し、さらに、被告甲野の登録印鑑の印影と印鑑登録申請書の保証人欄に押捺された印影とを照合してその同一であることを確認した。そして、中川は、その訴外乙山一郎の生年月日と訴外岩崎(昭和二一年八月二四日生、当時三六歳)の年格好との間に明らかな不一致もなかったので、訴外岩崎を訴外乙山一郎本人であると信じ、訴外岩崎に対し特に確認調査のための発問をすることなく、所定の手続きにより訴外乙山一郎の従来の印鑑登録を廃止して、新しい印鑑登録原票を作成したうえで、これを複写したいわゆる間接証明方式による印鑑登録証明書三通及び印鑑登録証を訴外岩崎に交付した。
4 翌二月四日、訴外岩崎と被告甲野は、同一の窓口で手続きを行えば怪しまれると考えて、伊丹市立共同会館内市民課分室(伊丹市堀池タカセキ七六番地の一所在)に赴き、訴外岩崎において、担当職員であった訴外片山勝正(以下「片山」という。)に対し、印鑑登録証と印鑑を紛失したが、すぐに印鑑登録証明書がほしい旨申し向けた。片山が、訴外岩崎に対し、本人であるか否か及び身分証明書の有無を問うたところ、訴外岩崎は、本人であるが運転免許証を忘れた旨返答し、これに対して、片山が、身分証明書がなければ即日交付はできないが、保証人があれば即日交付できる旨説明したところ、訴外岩崎が、被告甲野が保証人である旨述べたので、片山は、被告甲野に対し、伊丹市において印鑑登録をしていることを確認したうえで、訴外岩崎に対し、印鑑登録廃止届書、印鑑登録申請書及び印鑑登録証明交付申請書を作成するよう指示した。そこで、訴外岩崎は、右3記載の市民課南分室で行ったところと同様、右各書類の所定の住所、氏名、生年月日欄にそれぞれ、あらかじめ記憶していた「伊丹市大鹿5丁目12番地」、「乙山二郎」、「昭17年7月9日」と記載し、訴外乙山二郎名下に偽造にかかる同人名義の印章を押捺し、被告甲野において、印鑑登録申請書の保証人欄に、自己の住所、氏名を記載し、印鑑登録をしている印章を押捺して、右各書類を作成したうえ、訴外岩崎が、偽造にかかる乙山名義の印章を添えて、これらの書類を片山に提出した。片山は、前記8の市民課南分室の場合に中川がしたのとほぼ同様の方法で、訴外岩崎が記載した住所、氏名、生年月日が乙山二郎の印鑑登録原票及び住民票と一致していること、被告甲野が記載したところも同人の印鑑登録原票及び住民票と一致していること及び被告甲野が押捺した印影と同人の登録印鑑の印影を照合してその同一であることを確認した。そして、片山は、訴外乙山二郎の生年月日と訴外岩崎の年格好との間に明らかな不一致もなかったので、訴外岩崎を訴外乙山二郎本人であると信じ、訴外岩崎に対し特に確認調査のための発問をすることなく、所定の手続きにより訴外乙山二郎の従来の印鑑登録を廃止して、新しい印鑑登録原票を作成したうえで、これを複写したいわゆる間接証明方式による印鑑登録証明書三通及び印鑑登録証を訴外岩崎に交付した。
5 更に、同日、被告甲野及び訴外岩崎の指示を受けた訴外山田某(年格好は訴外岩崎とほぼ等しい。)は、伊丹市役所本庁市民課(伊丹市千僧一丁目一番地所在)に赴き、訴外山田某において訴外乙山三郎(昭和一九年八月二四日生、当時三八歳)になりすまし、右3及び4記載のところとほぼ同様の方法をもって、被告甲野を保証人として、訴外乙山三郎の印鑑登録申請手続を行い、訴外山田某を訴外乙山三郎本人であると信じた担当職員から、訴外乙山三郎の印鑑登録証及び印鑑登録証明書の交付を受けた。
6 そして、訴外岩崎と被告甲野は、亡太郎共同相続人の残りの二名の訴外丙川秋子及び同乙山四郎についても、訴外丙川秋子の分は尼崎市役所において、訴外乙山四郎の分は大阪市淀川区役所において、前同様不実の印鑑登録申請手続を行って、それぞれ印鑑登録証明書を入手したうえ、これら不正入手した亡太郎共同相続人の印鑑登録証明書及び偽造印鑑を用いて、亡太郎共同相続人名義の遺産分割協議書を偽造するなど必要書類を整えたうえで、同年二月五日、本件物件につき、亡太郎から訴外乙山一郎に対する相続を原因とする所有権移転登記を了し、右登記済権利証を手に入れた。
7 そして、訴外岩崎は、本件土地を担保に金員を詐欺するため、訴外乙山一郎本人であると称して、画策を始めたが、その過程で、訴外伊塚光愛司法書士(以下「伊塚司法書士」という。)を知り、同年二月二一日、同司法書士に、訴外乙山一郎本人であると名乗って、本件土地を担保に六〇〇〇万円程度の融資を受ける相手を紹介してくれるよう依頼したところ、同司法書士は、電話で訴外西急土地建物株式会社代表取締役尾田友英(以下「訴外尾田」という。)に訴外岩崎の依頼を伝え、心当たりを尋ねた。そこで、訴外尾田は、かつてしばしば金融の仲介をしたことのある原告代表者に、伊塚司法書士の紹介で、伊丹の土地を担保に六〇〇〇万円の融資を希望している者がいる旨伝えたところ、原告代表者は乗り気になり、同日、訴外尾田及び原告代表者は本件土地を検分した。そして、訴外尾田が、原告代表者の指示により、伊塚司法書士を通じて、訴外岩崎を西急土地建物株式会社に呼び出したところ、訴外岩崎は、訴外尾田に対し、訴外乙山一郎であると名乗って、本件土地の登記簿謄本、伊塚司法書士に作成してもらった現地調査報告書、地籍図を示して、五〇〇〇万円の融資方を申し入れた。訴外尾田は、訴外岩崎を訴外乙山一郎本人であると信じ、本件土地の地目が農地であったことから早期に地目を宅地に変更する手続を取るように要請しつつも、融資を承諾し、翌二月二二日に、現金を用意するので、同株式会社に出頭するよう要請した。訴外尾田は、直ちに原告代表者方を訪れ、右交渉の経過や本件土地に抵当権が設定されていないこと等を報告し、その承諾を得た。
翌二月二二日昼頃、訴外岩崎及び原告代表者らが訴外西急土地建物株式会社に集まったが、その席上、訴外尾田は、身元確認のため、訴外岩崎に対し、運転免許証を見せるよう要求し、訴外岩崎が運転免許証を所持していない旨答えたところ、訴外尾田は、保険証をもって来るように求めた。訴外岩崎は、保険証を取りに自宅に戻るように装って、同会社を離れるや、被告甲野に電話をしてこれを呼び出し、訴外乙山一郎宅から、保険証を持ち出して来るように命じた。被告甲野は、これに従って、折から、病床に臥していた訴外乙山ハナ(訴外乙山一郎の祖母、被告甲野の実母)だけが在宅していた新外乙山一郎宅に入り込み、保険証を探したが見付からなかったので、目についたガス会社発行の訴外乙山一郎あて「ガスご使用量のお知らせ(兼)口座振替済のお知らせ」と題する文書及び生命保険会社発行の訴外乙山一郎あて保険料領収書を持ち出して、これらを訴外岩崎に渡した。訴外岩崎がこれらを持ち帰って、訴外尾田らに示したところ、訴外尾田も納得し、その場で、原告と訴外乙山一郎を名乗る訴外岩崎との間で、元本金五〇〇〇万円、利息月四分(二か月分天引き)の約定による金銭消費貸借契約を締結し、訴外岩崎は、同日、神戸地方法務局伊丹支局において、本件物件のうち別紙物件目録(一)記載の土地については別紙登記目録(一)ないし(三)の、別紙物件目録(二)記載の土地については別紙登記目録(四)ないし(六)記載の各登記(所有権移転請求権保全の仮登記、根抵当権設定登記及び停止条件付賃借権設定仮登記)の登記申請手続を了したうえ、これと同時に右元本から利息分四〇〇万円を天引きした残金四六〇〇万円の交付を受けてこれを詐取した。なお、原告代表者と訴外岩崎は直接会ったことはなく、具体的な交渉等はすべて訴外尾田が原告代表者の指示に従って処理していた。
二 被告伊丹市の印鑑登録手続について
《証拠省略》によれば、被告伊丹市における印鑑登録手続の関係規則及びその手続の実際は次のとおりであり、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 被告伊丹市では、昭和五八年当時、印鑑登録及び証明について必要な事項を定めるものとして、伊丹市印鑑条例(以下「条例」という。)及び同施行規則(以下「施行規則」という。)が制定されており、これによれば、印鑑登録証明書の交付を受けようとする者は、印鑑登録を経なければならず、印鑑登録申請は、本人自ら、または委任状を添えて代理人によりすることができる(条例三条)が、市長は印鑑登録申請を受理したときは、当該申請に対する本人の意思を確認するため、原則として、書面により本人に照会し、期限を付してその回答を求めるものとするとされていた(条例五条一項本文。以下「照会書郵送方式」という。)。但し、当該申請が確実に本人の意思に基づくものであると認められる場合は、右方式による必要はないとされている(条例五条一項但書)が、施行規則五条二項は、これに該当する場合は、次の(1)及び(2)の各方式によると定めていた。
(1) 本人自ら出頭して提出した印鑑登録申請書に既に伊丹市において印鑑登録を受けている成年の保証人が連署し、その者が登録した印鑑の押印があったとき(この方法による場合を以下「保証人方式」という。)、
(2) 本人自ら出頭して、官公署の発行した免許証、許可証または身分証明書であって本人の写真を貼付し、その上からプレスまたは印章による契印または割印したものを提示し、本人であることを確認したとき(この方法による場合を以下「写真付公的証明書方式」という。)
そして、右(1)の保証人方式の方法で印鑑登録の申請があった場合には、事務処理慣行として、出頭した者が本人であることを確認するため、印鑑登録申請書に記載された申請者の住所、氏名、生年月日の記載を、担当職員が取り寄せた住民票の写しの記載と照合すること、さらに保証人の印鑑登録原票及び住民票の写しも取り寄せ、保証人が印鑑登録申請書の保証人欄に記載した住所、氏名を照合し、かつ、同欄に押捺された保証人名下の印影が保証人の登録印鑑の印影と同一であることを確認することになっており、さらに、施行規則上の要件ではないが、保証人となる者が本人に同行して窓口に出頭しなければ、右保証人を利用した印鑑登録は認めない取扱いが行われていた。
2 右のような方法で、当該申請が本人の意思に基づくものであることを確認したときは、市長はその日をもって印鑑登録原票を作成し、これを登録しなければならず、その場合、本人に対して印鑑登録証が直接交付される(条例六条)。印鑑登録の証明を受けようとするときは、印鑑登録証明交付申請書に印鑑登録証を添えて申請し(条例一二条)、市長は、登録証および印鑑登録票の記載事項ならびに当該申請書の記載事項を照合し、当該申請が適正であることを確認した場合に印鑑登録票に登録されている印影の写しであることについて証明する印鑑登録証明書を交付する(条例一四条)。
3 また、印鑑登録を受けている者が、登録している印鑑及び登録証を紛失した場合は、印鑑登録廃止届書に登録証(印鑑紛失の場合)もしくは印鑑(登録証紛失の場合)を添えて、自ら市長に届け出なければならない(条例九条一項)。その場合、右届出をする者が本人であることないし右届出が本人の意思に基づくことの確認は、右届出書に記載された住所、氏名、生年月日の記載と、右届出の際に担当職員が取り寄せる印鑑登録原票及び住民票の記載が一致していることを確認することによりこれを行うのが事務処理慣行であった。
4 条例一六条は、印鑑の登録または証明に関する事務に従事する職員は、印鑑の登録及び証明の確実性を確保するため、必要や範囲において関係人に対し質問し、または疎明資料の提示を求めることができると定めていた。
5 被告伊丹市の右条例及び施行規則は、自治大臣の私的諮問機関である印鑑証明事務合理化研究会により、印鑑登録及び証明制度の不正使用の防止と手続の簡便迅速化を目的として、同大臣に対して提出された「印鑑の登録および証明制度の合理化に関する報告」(昭和四八年三月三一日)に沿って、同四九年二月一日、自治省行政局振興課長から各都道府県総務部長宛に発せられた「印鑑登録証明事務処理要領(自治振第一〇号)」に準拠して制定されたものであり、ほぼ全国の自治体に共通の内容のものである。
6 被告伊丹市における印鑑登録等の手続の処理件数(市役所本庁、各支所及び分室の取扱数の合計)は、別表(一)のとおりであるが、そのうち印鑑登録申請件数についての本庁、分室別の内訳数は別表(二)のとおりである。
また、その印鑑登録申請の際の本人確認が前記の三方式のうちのどの方式でなされているかについては、正確な件数は不明であるが、被告伊丹市の市役所全般では、照会書郵送方式と写真付公的証明書方式による場合がおよそ九七ないし九八パーセントを占め、保証人方式による場合は非常に少く、南分室では、照会書郵送方式以外の方式によるのが一日一、二件程度あるが、保証人方式は月に一、二件程度であり、共同会館内分室では、印鑑登録申請件数自体が少ないうえ、更にその中で保証人方式による場合は非常に少ないということである。
なお、これらの事務を処理する窓口担当職員の人員数は、本庁市民課が一四名、南分室が二名、共同会館内分室が六名である。
三 そこで、印鑑登録証明書を交付するについて、被告伊丹市の担当職員に過失があったか否かにつき検討する。
1 印鑑登録証明書は、一般に地方自治体が印鑑の登録及び証明書交付の申請をすることができる者を本人に限定していることから、実印と印鑑登録証明書を所持する者は本人であるとする人格の同一性を確認する手段として、あるいは実印の押捺された文書に印鑑登録証明書を添付することによって、その文書が真正に成立していることを担保する手段として用いられており、不動産の登記、自動車の登録、公正証書の作成等法令の規定に基づき提出を義務付けられている場合のほか、不動産取引等私人間の重要な経済取引その他国民の権利義務の発生、変更を伴う行為につき、広く利用されている状況にある。印鑑登録証明書のこのような性質から、これを不正に利用して、本人不知の間にその重要な財産について処分や取引がなされ、関係人に多大の損害を与える危険性もまた極めて高いものであるから、印鑑登録事務を行う市町村は、本人以外の者によってその意思に基づかない印鑑登録が申請され、本人以外の者に印鑑登録証明書が交付されることのないように、本人の意思を適確に確認し得るような手続準則を設定する必要があり、印鑑登録事務に当たる職員は、本人の意思にもとづかない不実の印鑑の登録をなし、不正に印鑑登録証明書が利用されることのないよう、右手続に従って慎重に本人の意思を確認する注意義務があるものというべきである。
もっとも、一方では、人口の都市集中及び流動化が進んで印鑑登録及び証明をめぐる事務量が著しく増加し、大量の事務の簡便、迅速な処理を図り、ひいては住民の利便に資するという要請が生じていることも公知の事実であり、前記二6記載の取扱い件数に照らせば、被告伊丹市もその例に漏れないが、かかる状況において、市町村が定める印鑑登録事務に関する手続準則は、印鑑証明制度の不正使用の防止と手続の簡便迅速化という双方の目的を実現するものでなければならない。
2 そして、被告伊丹市印鑑条例及び同施行規則及び事務処理慣行によって行われている同市の印鑑登録手続の概要は前記のとおりであるが、右証明制度は、印鑑登録証明書発行について、いわゆる間接証明方式を採用しているところ、右方式は、申請者が印鑑登録の際に交付された印鑑登録証を持参すれば、印鑑登録原票に登録されている印影を複写して、これが登録されている印影の写しであることを市長が証明する方法であり、右方式の採用によって、過去において多くの市町村で行われていたいわゆる直接証明方式(印鑑証明に際し、申請者に登録印鑑を持参せしめ、その印鑑と登録された印影を肉眼によって照合し、その同一性が確認された場合に証明する方法)に比べ、印鑑登録証明書交付手続が著しく簡便化され、迅速に手続を遂行することが可能になった。しかしながら、右のような間接証明方式を採用した印鑑登録証明制度においては、本人であることあるいは本人の意思に基づく手続であることを確認する機会はほとんど印鑑登録時に限られることになるから、このような制度のもとにおいては、不正使用の防止と手続の簡便迅速化という双方の目的を実現するためには、印鑑登録時において、登録が本人自身によるものか、あるいは本人の意思に基づくものであることの確認が、より慎重になされなければならない。
3 前述のように、印鑑登録申請の際の本人の同一性とその登録申請意思の確認(以下単に「本人確認」という。)の方法は、本人宛に照会書を郵送して行う照会書郵送方式によるのが原則であるが、例外として、他の二つの方法、すなわち写真付公的証明書方式と保証人方式とが認められている。原則的方法である照会書郵送方式は、登録申請の事実をあらためて本人に了知せしめる措置をとることにより、不正者が本人不知の間に虚偽の申請をすることを著しく困難にするものであって、本人確認と不正防止の方法として確実性の高い方法であるが、照会に対する回答書の到着まである程度の日数を要するため、登録申請後ただちに印鑑登録証明書を必要とするような要急事例に対処できないところから、例外的な便法として写真付公的証明書方式と保証人方式とが認められているものである。しかし、前述のような印鑑登録申請時における本人確認の重要性に鑑みれば、例外的な方法といえども、原則的方法である照会書郵送方式と同じ程度に確実に本人確認と不正防止ができるものでなければならない。その点では、写真付公的証明書方式は、偽造、変造などによる不正入手の容易でない官公署発行の身分証明書等に貼付された本人の写真によって、その場で本人との同一性を確認できるので、客観的に高度な確実性をもって本人確認のできる方法であるが、保証人方式の場合は、申請をしようとする者の方で任意に選んだ一私人に過ぎない者が、申請人が当該本人であることを証明するだけであるから、その保証人を信用するほかには、何ら客観的に真正を確保できるものがない(保証人には、被告伊丹市において印鑑登録を受けていることという資格要件があるが、その要件を充たすことはたやすいことであり、真正確保の効用に乏しい。)。したがって、保証人方式の場合は、その方式自体に照会書郵送方式や写真付公的証明書方式のような客観的な真正確保の機能が欠けているため、申請者と保証人とが通謀すれば、真実の本人が知らない間に、他人が本人になりすまして、不正に印鑑登録を受けることもそれほど困難ではなく、そのようにして替玉による不正な申請が行われる危険が少くないものであり、その意味で他の二方法に比べて客観的な真正確保の機能が劣るという弱点があるといわなければならない。そうであっても、あくまで申請人側が、即日印鑑登録及び同証明書の交付を希望し、しかも、官公署の発行した身分証明書等を所持しない場合には保証人方式によらざるを得ないし、この方式は前述の自治省通達に準拠して、全国の市町村で全面的に用いられているものであるから、右制度自体はあながち不当なものではない。しかし、右のような保証人による本人の意思の確認の方式のもつ弱点とそれに伴う虚偽申請の危険性を考えれば、保証人方式を利用した印鑑登録申請の場合には、条例五条一項但書のとおり、当該申請が確実に本人の意思に基づくものであると認めるために、担当職員は右申請のために出頭した者が本人であることを慎重に確認する必要があり、そのためには、条例一六条によって認められた関係人に対する質問調査権を適切に行使し、本人の住所、氏名、生年月日を単に書面上で照合するだけでなく、本人にこれを口頭で誦せしめ、さらに住民票記載の本人の本籍、家族構成等本人でなければ容易に知り得ない事項を質問し、場合によっては疎明資料の提出を求めるなどして、本人であることにつき調査を尽くすべき義務があると解するべきである。
被告伊丹市においては、保証人方式による印鑑登録申請をする場合の事務処理慣行として、本人の住民票並びに保証人の住民票及び印鑑登録原票の各写しを取り寄せて、登録申請書に記載された本人の住所、氏名、生年月日及び保証人の住所、氏名及び保証人名下の印影と照合することと保証人自身が出頭していることを必要としているが、そのような事務処理慣行も、それがただ形式的に履行されただけでは、不正申請者が保証人と共謀のうえ、申請書に記載する本人の住所、氏名、生年月日をあらかじめ記憶して、そのとおり記載しさえすれば、容易に他人の印鑑登録をすることができるから、その事務処理慣行も、不正登録を防止するための審査方法としてはなお不十分なものである。したがって、担当職員は、保証人方式の弱点を補うために、右事務処理慣行に形式的に従うだけでは足りず、それに加えて、前記のとおり質問権を適切に行使して、不審に点がないかどうかの調査を尽くすべきである。
4 そこで、本件の場合、担当職員が行った手続きを見るに、前記一の3、4のとおり、伊丹市役所市民課南分室における担当職員中川及び伊丹市立共同会館内市民課分室における担当職員片山は、いずれも、出頭した訴外岩崎及び被告甲野をして、印鑑登録申請書等に必要事項を記載せしめたうえ、訴外岩崎が印鑑登録申請書等に記載した事項と、本人の印鑑登録原票及び住民票の写しとを照合し、その一致していること、被告甲野が印鑑登録申請書の保証人欄に記載した事項と印影を、被告甲野の住民票及び印鑑登録原票の写しと照合し、その一致していることを確認して、所定の手続を進めたのであり、右行為は、前記二1ないし3に照らせば、条例及び施行規則所定の方式と前記事務処理慣行に従って行われていることが認められるが、それ以上、右の者らに対し、質問等による調査は一切行われていない。もし、その際、右各担当職員が、訴外岩崎に対し、前述のように本人の住所、氏名、生年月日をあらためて口頭で誦せしめたり、さらに住民票記載の本人の本籍、家族構成等の事項を尋ねたならば、その応答の内容や態度から不審を感じ、訴外岩崎が訴外乙山一郎本人ではないことを看破できた筈であり、前記質問権の適切な行使によって、虚偽の印鑑登録を防ぎ得たものと認められる。
なお、このような本人確認について、担当職員にあまりに厳格な確認調査を要求することは、それだけ窓口事務が渋滞するし、限られた人員で夥しい数の事務を処理しなければならない担当職員にとって、過大な負担を課することになるのではないかといわれるかもしれない。たしかに、《証拠省略》によって認められるように、印鑑登録等の事務を扱う市民課の窓口担当者は、印鑑登録関係の事務だけではなく、そのほか、住民登録、戸籍関係事務、その他の諸証明などの多数の窓口業務を処理しているのであるから、印鑑登録について、いちいち質問などの方式で調査することは、煩にたえないことであって、実際上無理であるかもしれない。しかし、前述のように、印鑑登録申請の際の本人確認は、その大部分が照会書郵送方式と写真付公的証明書方式によるものであって、保証人方式で、しかも即日交付を求めるという場合は非常に少いのが実情であるから、最も登録取扱い件数の多い市役所本庁の市民課窓口であっても、保証人方式の場合について特に質問調査を行うことはそれほど至難なこととは考えられないし、まして、南分室あるいは共同会館内分室の取扱件数の程度であれば、印鑑登録関係事務以外の事務量を考慮に入れても、窓口担当職員にとっても格別負担になることではない筈である。したがって、保証人方式による登録申請の場合、その方式の前述のような弱点を考慮し、これを補完するために、条例一六条の質問調査の励行を求めても、担当職員に過大な負担を強いることになるものとは認められない。
5 したがって、前記のような印鑑登録証明書の重要性とその不正利用による重大な危険性に鑑みて、その事務を取扱う窓口担当職員としては、単に条例及び規則所定の手続準則と事務処理慣行を形式的に履践するだけでは足りず、特に保証人方式により本人確認をなす場合には、発問、照会、電話連絡などの適宜の措置を行って、不実の申請を防止するように努めるべきである。しかるに、《証拠省略》によると、被告伊丹市としても、印鑑登録事務の窓口において、申請人に不審な点があれば必ず口頭質問など調査を尽すように窓口担当者らに対して指導しているとはいうものの、実際の取扱いでは、窓口に来た申請人の年格好が本人の生年月日と明らかに相違していて、一見して別人と思われるような場合以外には、保証人方式の登録申請についても、前記書面上の記載の照合だけで、それ以上に口頭質問などによる審査は全くしないですませているのである。このような窓口における事務取扱いは、前述のように関係規則所定の手続と事務処理慣行を単に形式的に履践しているだけであり、保証人方式の場合の前述の弱点についての考慮を欠いた安易な取扱いといわざるを得ない。殊に、本件の場合は、申請人である訴外岩崎の方で、はじめから保証人としての被告甲野を同行し、保証人方式で登録手続をなすことを申し出て、即日印鑑登録証明書の交付を要求しているのであり、右各証言からも、そのような事例はむしろ稀なことであることが窺われるから、その点からも、これを受理した担当職員において、不審あるいは警戒の念を抱き、適宜質問調査権による発問などして、慎重に本人確認をなすべきであったというべきである。したがって、本件各印鑑登録申請に際し、窓口担当職員が、単に書面上の照合による一致を確認しただけで、それ以上本人確認の措置を何らなすことなく、その申請を許容して、不実の印鑑登録を許容したことは、保証人方式による申請の場合になすべき必要な調査義務を尽くさなかった過失があるというべきである。
6 印鑑登録証明事務は、国家賠償法一条の公権力の行使に該当するから、担当職員に、その職務執行に際して右のように過失がある以上、被告伊丹市は、同法一条により、右過失に基づいて原告の被った損害を賠償する責任がある。
四 原告の損害について
1 前記一8記載のとおり、原告は、昭和五八年二月二二日、訴外岩崎に金四六〇〇万円を交付しているが、《証拠省略》によれば、訴外岩崎の犯行が発覚した後である同年三月七日頃、訴外尾田を通じて、そのうち金一〇〇万円を訴外岩崎から回収していることが認められるので、原告が被った損害額は、金四五〇〇万円と認めるのが相当である。
2 訴外岩崎は、前記各印鑑登録に基づき訴外乙山一郎及び同乙山二郎名義の印鑑登録証明書の交付を受け、これらを利用して、本件物件について訴外乙山一郎に対する所有権移転登記を経由し、本件物件の登記済権利証を入手したうえで、これを利用して、原告から金員を詐取したのであり、三1冒頭記載の印鑑登録証明書の機能に照らし、かかる事態の発生は印鑑登録申請があった段階で通常予想し得るから、被告伊丹市の各職員の右過失と原告の損害との間には相当因果関係があるといわなければならない。
3 ところで、原告が、訴外岩崎によって金員を詐取された経緯は、前記一8のとおりであるが、これによれば、原告は正規の金融業者であるか否かはともかくとして、過去においてしばしば第三者に金員を貸付けたことがあること、原告代表者はもとより訴外乙山一郎を名乗る訴外岩崎とは一面識もないこと、紹介者を通じて第三者から訴外乙山一郎と名乗る人物が金融を受けることを望んでいることを聞いてから金員交付にいたるまで僅か一日しか経過しておらず、五〇〇〇万円という多額の金融取引にしては性急に事が運ばれていること、訴外岩崎は当初金六〇〇〇万円の融資を希望していながら、一方的に金五〇〇〇万円に減額して融資を申し込んでいること、といった事情があり、右事情からすれば、原告代表者としては、訴外岩崎が訴外乙山一郎本人であるか否かを疑い、訴外乙山一郎本人の自宅を訪問するなり、電話をするなどして本人であることの確認をするべきであったというべきである。もっとも、原告代表者の意を受けた訴外尾田が、訴外岩崎に対して運転免許証と保険証の有無を問い質してはいるが、結局訴外岩崎が持参したものは、ガス会社発行の口座振替通知表や生命保険会社発行の領収書に過ぎなかったのであり、このような書類は一般に本人確認のため用いるべき書類ではなく、真実本人であればより適切な証明書類を提示できる筈であるから、このような書類しか提示できないことに、むしろ疑問をもってしかるべきであり、本人であることの確認に落ち度があったというべきである。《証拠省略》によれば、原告代表者は、高利の利息による有利さや、弁済がなかったときに本件物件の所有権を取得して大きな利益を収めることができることへの期待から、調査不十分のまま取引を急いだ様子が窺われるし、そのほか本件取引に関する一切の事情を損害の公平な分担という見地から総合考慮すれば、原告と被告伊丹市との間では、原告の注意義務懈怠の方がはるかに重大であり、原告が被った損害については、過失相殺により、原告の過失割合を八割と認めて賠償額を算定するのが相当である。
したがって、右過失割合による、被告伊丹市の賠償すべき損害額は金九〇〇万円となる。
第四結論
以上のとおり、原告の被告甲野に対する請求は理由があるからこれを認容し、被告伊丹市に対する請求は金九〇〇万円及びこれに対する不法行為の日(金員騙取の日)である昭和五八年二月二二日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋史朗 裁判官 平澤雄二 小野憲一)
<以下省略>