神戸家庭裁判所 事件番号不詳 決定
少年 R(昭和一九・二・二生)
主文
この事件を神戸市児童相談所長に送致する。
同相談所長は本少年を行動の自由を制限し又はその自由を奪うような強制措置のとれる教護院(所謂特別教護院)に入所させることができる。但しその期間は入所の日より三年を超えてはならない。
児童相談所長は特に少年の知能や精神の発育状態が遅頓していることに鑑み、これを取戻し、少年に年令相応の社会適応性を賦与するため適切妥当な措置をとらねばならない。
理由
少年は十四歳未満の者であるが
(一)一、昭和三十二年十月二十六日後記(二)記載の被害者S子の叔父で少年の祖母の弟Tの妻U子の第四子であるV他二名と共謀のうえ、神戸市○○区××町△丁目映画館○○映劇前道路上に駐車中の所有者不明の自転車に取付けてあつた手提ランプ壱個単一乾電池五個を
二、同年十一月十六日、前記Vと共謀のうえ、同市同区○○通×丁目△駄菓子商W方で、同人所有のドロップ四拾個入飴玉弐拾個入各一瓶を
三、同年十二月二日、同市同区○○町×丁目○○幼稚園(自宅に近接)で、同園長所有の園児用色紙約百束を
各窃取し
(二) 前に前記幼稚園から色紙を盗み出したことがあつたが、それが又欲しかつたので同年十一月二十一日頭痛がするからと云う口実のもとに午前中の授業だけを受けて早退帰宅し、午後一時頃前記の色紙(教場の片隅の硝子張の戸棚の中に在る)を盗ろうとして上記幼稚園の木柵を乗り越えようとしたところを同居の又従兄妹に当る前記S子(昭和二十七年八月二日生で当時無籍)に見つけられ、かねがね祖父母に対して異常なまでの畏怖心を持つていた少年は若しこのことがバレたら祖父母殊に祖父のYからどんな叱責を受けるかこれが怖いし朋輩に知れても恥しいしS子さえいなければ事がバレず従つて祖父の叱責や朋輩からの辱かしめる受けないで済む、従つて自分に降りかかつたこうした不快なことから逃れるためには只S子をこの際亡きものにさえすればよいと考えここに咄嗟に同女を殺そうと決意し「柿を採つてやる」との甘言を以つて同人を吊り従前遊びに行つたことのある前記幼稚園から北方約六百メートル離れた○○山中の笹原(同市○○区××町×丁目△番地市所有地神戸市○○市民病院西方約百メートルの地点)まで連れて行き、同日午後二時三十分頃同所で佇つている同人の後方から矢庭に右腕を同人の首に巻きつけて絞扼し、次いで仰向に仆れている同人に馬乗りとなつてその頸部に自分の両手又は同女の穿いていた木履をあてがい上方より強圧したりなどしたため同人を窒息死させるに至つた
もので、以上の窃盗や殺人は何れも刑罰法令に触れる行為である。
然らばこの少年は何が故にかような非行を累ねるに至つたのであろうか。また、この要保護性の強い少年の性格矯正の方法如何。人は所詮その人個有の素質と環境の所産であり、その埒外に超然たり得るものではないが、この少年の場合ほど素質と環境とが互にダイナミックに働きかけその微妙な相関関係の循環流転が現在の人格を形成するに至つたものであることを明瞭に読取れる事例も少いであろう。
即ち少年の父は少年出生前海軍軍属として応召。昭和二十年十月ニユーギニヤで戦病死。その間少年は母の疎開先で出生し、母がチブスになつたので祖父母のもとに引取られそのまま今日まで同人等の手で養育されて来たものであるがこの祖父母の育て方に問題があり、これが生みの親からの愛情を全然受けなかつたこと等からくる欲求不満と結びつけば如何なる結果を生むかは容易に想像し得るところである。
祖父祖母(ヂヂババ)教育が凡そ無責任に流れ愛情の表現がとかく盲愛溺愛の傾向に走ることは世上よく見る例で殊に本件のように当初より親代りとして孫の養育に当るような場合は下手に責任観念が伴うだけそれだけ固くなり却つて対象者たる被養育者を悪るくひねつて了うような結果になるもので、本件は洵にその好適例と言うべきである。
祖父母にして見れば、自分達の少年に示した愛情は世間のどの親達に比べても敢えてひけをとるものではないと確信し掌中の玉とも云うべき少年が年と共に自分達から離れて行くのを見て自分達の養育の方法しつけ方等に欠陥があるのだとは悟らず、ましてやこれ等について改善工夫をして見ようともせず(実際祖父母程度の無学無教養では或は不可能であろう)一種の焦りから精々小遣銭をしげしげ与へて少年を後方から引張るか、口やかましい訓戒、叱責時には折檻を以つてその前方に立塞がる位のことしか出来なかつたのである。趣端と思はれるのは人格形成にとつて最も重要な幼児期(少年が小学校に入学するまでの)を殆んど家に閉じ込め外部との接触を断ち、他の子供と遊ばせなかつたことである。祖父母としては元より悪意があつてのことではなく可愛さの余り少年を世間の波風から庇護してやろうとの純粋素朴な考えからやつたことで、そして他に頼りにする者のない少年にとつてはこの祖父母といえども掛替のない有難い存在であつたのであろうが、総じて明白に看取しうることはこの祖父母が両親の代役として今日まで少年に示して来た愛情には祖父母の教養が低いためか知性の裏打がなく又その表現の方法を誤つていることである。
少年の知能や精神の発育が年令に比し非常に遅れ幼児性特徴を示しているのもその原因の大半はこうした祖父母によつて当事者不識の間に与えられたもので少年の物の考え方や行動が単純幼稚で自主性がなく自己中心的であるのもその素地は既に小学校入学前に出来上つてしまつていたのである。それでも小学校時代は祖父母の睨が利いたのか一回の窃盗(それも上級生にそそのかされて)二回の家出位で済んだが中学に入つてからは悪友(少年には善悪にかかわらず対等に交際の出来る友達はない。盲従関係か支配関係に立つものばかりでその中間がないように見受けられる。だから腕力の強い年上の者から虐められるか自分が君臨出来る年下の者達と遊んでいる事が多いのである。少年が鷹に憧れたり赤胴鈴之助や鞍馬天狗気取りで幼少の者を相手にチャンバラ遊びに打ち興ずるのも内では祖父母に外では腕力の強い年長者から抑圧されているために自由や強大なるものへ欲求が自然とこうした形に現れてくるのであろう)の影響も加はり家出や窃盗(調査の結果によれば少年は前記の他にも数回やつている)の度数が激しくなり遂に本件殺人にまで進展していつたのである。尤も少年の家出はいつでも消極的のもので顕はに相父母に対する反感から積極的自発的にするのではなく何かの過誤を犯したために祖父母からの叱責に逢うのを惧るるの余り帰宅を肯んじない場合ばかりでこんな時には土管の中などに夜を明かすのである。特に注目したいのはS子を殺した後でも家出をしたり窃盗をしていることで、少年をこのまま放置しておくと前述した少年の幼児的性格と相俟つて、その非行性はどこ迄発展増大していくか計り知れないものがある。なお少年が現実と夢とを混同して甚だしく空想的であつたり思考と行動との間に距離がなく極めて即行的であつたり嫌悪や不満等に対する防禦反応が単的に逃避や反抗の形となつて現れたり或は情緒の奥深くに強度の攻撃性が潜在していたりするのも少年を取巻く内外の環境が招来したものでこれ等の因子が少年をして更にこれに適応するような新しい環境世界を追求せしめ、かようにして素質が因となり果となり互いに密接な連関をもつことによつて少年今日の人格を形成したものであろう。何れにしても少年の人格はその年令に比較して著しく幼稚な状態に停頓しているのでこれを一定の水準にまで引上げ少年が周囲に順応して年令相応の社会生活を営むことが出来るようになるためには現在の環境(少年の周囲は上記祖父母をはじめとしてその親族縁者等が密集して一つの血縁的社会を作つておりこれを囲繞する地域にはスラム街や不良徒輩の溜り場やパンパン街等があつたりして甚だ不良である。その上交友関係も上記の如く面白くない)から少年を引離し初一歩から気長に性格矯正のための再教育を加える必要があり、旁々本件事案の重大性と社会に与えた影響等を彼此考慮するときは本少年を特別教護院に収容する必要があると認められるので少年法第十八条第二項少年審判規則第二十三条に則り主文のとおり決定する。
附記 少年は一般女性に対して嫌悪感を持つているようだが、これは女性の象徴とも言うべき母親が黒人兵と関係ししかもその間に一子A坊(少年から見れば実弟であり、それの色の黒い事は少年が見て知つている)を生んだ事にあるのではなからうか。
同じ屋根の下に住み、自分から見れば又従兄妹に当るS子に対して何の親しみの情を持つておらず同人殺害の場合でも、あの長い道中は勿論、現場でも終始一貫殆んど無言で押通し、その間躊躇、悛巡、憐憫等の情が介入した形跡がないように見受けられるが、これもS子が幼くても女性なるの故ではなかろうか。してみると母に対する不信、憎悪、蔑視等の観念が一般女性に対する嫌悪感にまで発展し、それが取るにも足らぬ僅かのことからS子を殺すようになつた一因をなしているのではなかろうか、この点聊か疑問であるので参考のため附記する。
(裁判官 藤田尚一)