神戸家庭裁判所 昭和49年(家)1315号 審判 1975年1月22日
申立人 池田武久(仮名)
相手方 東灘区長原田健(仮名)
主文
東灘区長原田健は、申立人が昭和四九年六月二一日到達の書面で行つた本籍神戸市東灘区○○町○丁目橋本和美の戸籍抄本の交付請求について、同人の委任状、承諾書又は代理権授与通知書の提示がないこと、その他同請求を拒みうる正当な理由があるとしてこれを拒んではならない。
理由
(申立の要旨)
申立人は申立外橋本和美から同人の婚姻届出の依頼を受けたので、昭和四九年六月四日付の書面で東灘区長に対し、同人の戸籍抄本の交付請求を行つたところ、同区長から同月七日付の書面で同人の委任状、承諾書等の提示がないことを理由に交付を拒絶された。その後申立人は前記請求戸籍の筆頭者名の誤記に気づいたので、筆頭者名を訂正のうえ、同月一九日付の書面で前記戸籍抄本の交付請求を行つたが、同月二一日付の書面で前同様の理由で交付を拒絶された。
しかしながら、本人の委任状、承諾書等の提示がないことを理由に申立人の昭和四九年六月一九日付の書面による交付請求を拒絶するのは、戸籍公開の原則を定めている戸籍法一〇条に違反し不当なものであるから、同法一一八条により同区長の右処分に対し不服の申立を行なう。
(当裁判所の判断)
本件記録中の戸籍の抄本等交付申請書(昭和四九年六月四日付、同月一九日付、同月二九日付)、戸籍謄抄本等の請求について(おねがい)と題する書面(昭和四九年六月七日付、同月二一日付、同年七月二〇日付)、申立人作成の東灘区長に対する書面および同書面に対する同区長の回答書、東灘区長の橋本和美宛の書面、戸籍謄抄本の交付等取扱要領、神戸家庭裁判所調査官奥山克一作成の調査報告書(昭和四九年一〇月七日付、同月一一日付)、申立人および東灘区長指定代理人ら各審問の結果、その他本件記録、当庁昭和四九年(家)第一一九九号、第一四五五号各市町村長の処分に対する不服申立事件記録を総合すれば、次の事実が認められる。
1 申立人は肩書地で行政書士の業務を営むものであるところ、申立外橋本和美から同人の婚姻届出の業務依頼を受けたので、昭和四九年六月四日神戸市東灘区長に対し、郵送で手数料等納付のうえ、用途を戸籍事件と明記して橋本和美の戸籍抄本の交付請求を行ない、同書面は同月六日東灘区長に到達した。
2 東灘区長は、戸籍法一〇条一項本文に基づく戸籍の公開が婚姻、就職等において差別行為に利用された過去の事例に鑑み、差別行為防止のため、戸籍謄抄本の交付等取扱要領(以下要領という)を定め、要領三条において、本人、親族以外の第三者(弁護士、官公吏を除く、以下同様)が戸籍謄抄本の交付又は閲覧請求をなす場合には、本人の委任状、承諾書、又は代理権授与通知書を提示することによつて、正当な代理権を有することを証明しなければならず、右証明ができない限り、請求に応じない旨規定し、唯差別事象に利用されるおそれがないことが明白であると区長が認めたときは請求に応ずるものとし(要領四条)、昭和四九年五月二〇日から施行した。そこで、同区長は要領に基づき、申立人の前記1記載の請求に対し、本人たる橋本和美の委任状、承諾書等の添付がなかつたので、同月七日付で申立人に対し、「戸籍謄抄本等の請求について(おねがい)」と題する書面(以下おねがいという)を送付して要領の定める要件を充たした請求をなすよう指示し、申立人の請求には応じなかつた。
3 申立人は前記1記載の請求後、請求戸籍の筆頭者名の誤記に気づいたので、筆頭者名を訂正のうえ、同月二一日到達の書面で手数料等納付のうえ目的を戸籍事件と明記して、交付請求を行つた(以下本件交付請求という)が、東灘区長は同日前同様「おねがい」を送付して請求には応じなかつた。
4 申立人はその後も新たに交付請求を行なつたが、東灘区長は前同様「おねがい」を送付して請求には応じない一方、橋本和美に対し、同年七月一五日付の書面で、要領で規定するように、本人たる同人の委任状、承諾書等を申立人に渡すよう指示した。尚右指示後同人から同区長に対し、申立人に対する戸籍抄本の交付請求の依頼の事実を否定してきたことはない。
5 東灘区長は現在まで申立人に対し要領六条で規定する拒否の証明書を交付していないけれども、本件交付請求を含む申立人の交付請求には応じていない。
6 要領施行後現在まで要領四条の例外規定の適用があつた事例は僅かながら存するが、いずれも委任状等に代りうるものの存在等が必要とされており、本件のような形式の請求に適用されて戸籍の公開が認められた事例はない。
最初に、東灘区長は本件においては未だ本件不服申立の対象たる処分は行なつていない旨主張するので、この点につき判断する。
いかなるものが本処分に該当するかについては法は何ら規定していないが、戸籍謄抄本の交付請求の拒絶は当然本処分に該当するものと解される。
そこで、本件交付請求の拒絶があつたか否かについてみるに、東灘区長は、単に要領で規定している要件を充足した請求をなすように申立人を行政指導しているだけにすぎず、明白に交付請求を拒絶したものではないから、未だ処分は行なわれていない旨主張し、同区長指定代理人らは右主張に添う陳述をしているが、前記認定事実によれば、本件交付請求以来既に相当日数を経過するにもかかわらず、現実には未だ請求戸籍は未交付なのであるから、申立人は、同区長が交付請求に応じないことによつて既に不利益を被つているものというべきであつて、右事実をもつて単なる行政指導の継続中とみるのは相当ではなく、たとえ同区長が申立人に対し、要領六条に規定する拒否の証明書を交付していなくても、同区長は実質的には本件交付請求を拒絶したもの、すなわち本件不服申立の対象たる処分を行なつたものというべきである。
進んで、東灘区長が申立人の本件交付請求を拒絶したことが許されるものであるか否かについて審究する。
戸籍法一〇条一項本文は戸籍公開の原則を定めているが、これは人の身分関係の公示、公証を目的とする戸籍の性質から要求されるものであり、公開の原則を定めていることの故をもつて、本規定が直ちに憲法一三条、一四条等に違反すると解しえないことは勿論である。
しかしながら、戸籍公開の原則は絶対無制限なものではなく、戸籍法一〇条一項但書は、戸籍事務管掌者たる市町村長は正当な理由がある場合は請求を拒むことができる旨規定しているので、結局戸籍公開の原則が貫かれるか否かは正当理由の存否によつて決定されることになる。
ところで、いかなる場合が右正当理由がある場合に該当するかであるが、みだりに多人数の戸籍謄抄本を一時に請求される場合、あるいは災害等のため執務が困難であるような場合等戸籍公開の障害となる客観的な事情が存在する場合のみならず、請求が差別行為につながつたり、あるいはつながるおそれがある場合の如く、請求の目的が違法、不当なものである等の実質的な事情が存在する場合も正当な理由がある場合に該当し、市町村長は戸籍の公開を拒みうるものというべきである(このことは何も市町村長の戸籍公開についての形式的審査権と矛盾するものではないと解する)。
しかして、原則はあくまでも公開なのであるから、正当な理由の存否の認定は、個々の請求毎に具体的・個々的になされるべきであつて、戸籍法が予想していない、戸籍公開の原則と二者択一の関係に立つような、単なる請求の形式的な手続要件の有無のみによつて画一的、一律的になされるべきではない。
そこで、以上の点から要領を検討するに、要領は前記認定のとおり、本人又は親族以外の第三者からの戸籍謄抄本の交付等の請求には本人の委任状、承諾書又は代理権授与通知書の提示を要件としているのであつて、たとえ要領の性質が東灘区内における内部通達であつても、現実には第三者は前記要件を充たさない限り、原則として請求に応ぜられないのであり、唯規定上は要領四条の例外規定によつて、三条の要件を充たさなくても請求が認められる余地は残つているけれども、同規定の内容自体やや疑問があるのみならず(同規定では、差別事象に利用される恐れが「ないこと」が明白であると区長が認めたとき、となつている)前記認定の、同条項のこれまでの適用例から考えると、本件のような形式をとつた請求に同条項が適用されることは殆んどないと思料され、結局要領のもとでは本人又は親族以外の第三者からの戸籍謄抄本の交付等の請求が認められるか否かは、他の要件の点をしばらく措くと、個々の請求毎に具体的、個々的に判断されるのではなくて、本人の委任状、承諾書又は代理権授与通知書の提示の有無という、戸籍法が予想していない単なる形式的な手続要件の有無のみによつて、画一的、一律的に決定されるということになり、委任状等の提示がない限りは、たとえ他の要件は具備していても、第三者からの請求は認められないことになる。この点で要領は戸籍公開の原則に重大な制約を加えているものであつて、戸籍公開の原則を形骸化するものであると認めざるをえない。
もとより、国から戸籍事務の機関委任を受けている東灘区長の要領作成の動機が差別行為の防止の目的にある点は正当であり、十分評価さるべきものであるが、要領が戸籍公開の原則の形骸化を招来する以上は、現行戸籍法を前提とする限り、要領は戸籍法一〇条に違反する無効なものであるといわざるをえない。
したがつて、東灘区長は要領を理由に申立人の本件交付請求は拒絶できないものである。
尚東灘区長指定代理人らは本件審問において、同人らは、申立人が交付請求している戸籍謄抄本の用途が不明であること、申立人は従来から婚姻届に戸籍謄抄本を添付しない場合が多いので、交付請求の理由が婚姻届に添付のためということであつても、直ちには信用し難いこと、あるいは○○区長から申立人に対し橋本和美の戸籍抄本の交付はなされていないにもかかわらず、申立人が橋本和美に既に交付を受けた旨伝えてきたと同人からきいた事があること等を理由に、実質的にも申立人が本件戸籍抄本を差別行為に利用し、もしくは利用するおそれがあると判断したと陳述しているが、一方前記認定したところによれば、申立人は請求戸籍の用途を戸籍事件と一応明らかにしており、また同区長は申立人およびその職業は十分知悉していたうえ、本件交付請求が申立人の業務上の必要性によるものであることも当初から承知していたこと、申立人はこれまで交付を受けた戸籍を差別行為に利用した事実はないことが認められ、以上に、同区長から橋本和美宛に書面を送付した後、同人から同区長に対し、申立人に対する戸籍抄本の交付請求の依頼は否定してきたことはなかつたことから考えて、申立人の本件交付請求は本人たる橋本和美の意思に基づくものとの推測が十分可能であること等を併せ考えると、東灘区長指定代理人ら指摘の前記事実をもつてしては未だ本件交付請求が差別行為につながつたり、あるいはつながるおそれがあると認定することは困難であり、その他本件においては本件交付請求を拒絶すべき正当な理由に該当すべき事実は見当らない。
以上によれば、結局本件においては申立人の本件交付請求を拒みうる正当な理由があるとは認められないから、東灘区長がこれを拒絶したのは不当であり、申立人の本件申立は理由があるので、特別家事審判規則一五条を適用して、主文のとおり審判する。
(家事審判官 武田和博)