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神戸家庭裁判所尼崎支部 昭和35年(家)142号 審判 1960年6月13日

申立人 花本ナミ子(仮名)

相手方 山本堅也(仮名)

主文

申立人と相手方との間の二男元(昭和二六年一二月○日生)及び三男幸男(昭和二八年九月○○日生)の親権者を申立人と定める。相手方は申立人に対し上記元及び幸男の養育費として本審判確定の日から同人等が成年に達するまで一人につき一か月金三、〇〇〇円宛を毎月末限り申立人に支払え。

相手方は申立人に対し離婚に伴う財産分与として金一〇〇、〇〇〇円を支払え。

調停並びに審判費用は各自弁とする。

理由

本件申立の要旨は申立人は相手方に対し離婚等についての調停申立をしたところ、昭和三五年二月一〇日離婚の点については調停が成立したがその余の点については調停が成立するに至らなかつたので相手方との間の二男元及び三男幸男の親権者を申立人と定め且つ相手方をして相当額の財産分与並びに上記二児の養育費の支払を為さしめる旨の審判を求めるというのである。

よつて按ずるに当庁昭和三四年(家イ)第二四二号事件記録編綴の措置命令書原本、本件記録編綴の戸籍謄本、相手方に対する昭和三四年分及び昭和三五年分給与所得源泉徴収票、登記簿謄本、藤田奈美の照会回答書、調査官の調査報告書、鑑定人福田弥平の鑑定書、参考人藤田奈美、同藤川邦一、同藤井武士及び申立人本人に対する各審問調書を綜合すれば次のような事実が認められる。

申立人と相手方は昭和二五年一〇月○○日婚姻し、昭和二五年一二月○○日長男太郎を昭和二六年一二月○日二男元を昭和二八年九月○○日三男幸男を儲け(長男は昭和二六年一月○日死亡)本籍地において農業を営んでいたが、昭和二七、八年頃から相手方は単身尼崎市に赴き、同市所在の○○化学肥料株式会社大阪工場の運搬係として働き、申立人は本籍地において農業の傍ら肥料小売商を営み相手方からの月々五、〇〇〇円の仕送りを受けて上記二児を養育していた。そのうちに昭和三三年秋相手方は尼崎市南初島町○番の○○に宅地一五坪一合九勺を約八〇、〇〇〇円(このうち五〇、〇〇〇円は申立人が本籍地で蓄えた金で支弁)で買入れて同地上にバラックを建て、本籍地の家屋を申立外藤田奈美(徳島県美馬郡脇町字○○○○○○○)に売却して申立人等母子を尼崎市に呼寄せたが、当時相手方は高山某と不倫の関係を結び上記バラックに同棲していたので口実を設けて申立人等を取敢えずアパートに落着かせた。ところが間もなく申立人が相手方の不貞の事実を知るに至り申立人と相手方との間に激しい葛藤を生じ、そのため申立人等母子は相手方からしばしば暴行を受け遂には高山某と同じ屋根の下に同居を強いられるに至つて申立人は余りの屈辱に堪えかね照和三四年三月○○日二児を連れて実家へ逃げ帰り、昭和三四年六月九日相手方に対し離婚の調停を申立て、昭和三五年二月○○日相手方と調停離婚した。申立人は何らの資産も有せず相手方と別居後は実家の納屋を借りて居住しているが、相手方からは全然仕送りがないので失対人夫等による月二、〇〇〇円程度の収入と実家(四人家族で僅か五反の貧農)の援助により漸く飢をしのいでいる有様である。之に対し相手方は高山株と同棲しているが資産としては上記宅地一五坪一合九勺(坪当り時価約一五、〇〇〇円)と約四、五坪のバラック(時価約七、〇〇〇円)の外に上記藤田奈美に対する家屋売却代金残債権五〇、〇〇〇円を有し、給料とし一か月二七、〇〇〇円程度、賞与として年三五、〇〇〇円程度(昭和三四年度は三六、八〇九円)の収入を得ている筈である。

なお、当事者間の二男元及び三男幸男は小学校在学中であるが相手方を嫌い作文にすら相手方に暴行を受けた苦しさを述懐している有様であり、上記高山某も二児の引取を希望してはいない。

前述認定の諸事情の外本件にあらわれた一切の事情を綜合すれば当事者間の二男元及び三男幸男の親権者としては相手方より申立人の方が適当であること明白であり、又上記二児の養育費としては一か月一人当り金三、〇〇〇円宛(この養育費は民法第七六六条の監護費用と解すべきものであるから本審判確定の日から支払わせることとする)、申立人に対する財産分与としては金一〇〇、〇〇〇円が相当であると考えられる。

よつて主文の通り審判する。

(家事審判官 角敬)

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