大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸簡易裁判所 昭和45年(ろ)705号 判決 1975年2月20日

主文

被告人は無罪。

理由

一本件公訴事実は、

被告人は、日本キリスト教団尼崎教会牧師であるが、同教団龍野教会牧師鈴木昭吾と共謀のうえ、兵庫県立尼崎高等学校生徒であるAおよびBが、先に尼崎市北大物町一八の三番地所在の同高等学校において発生した建造物侵入、兇器準備集合、暴力行為等処罰に関する法律違反および窃盗事件の犯人として、現に所轄兵庫県尼崎中央警察署が捜査中のものであることを知りながら、昭和四五年一〇月二〇日右両名を龍野市龍野町日山三九六番地の前記日本キリスト教団龍野教会に同行し、同月二八日まで同教会教育館に宿泊させてこれを蔵匿したものである。

というにある。

二そこで先ず事実につき検討する。

<証拠>を綜合すれば次の事実が認められる。

被告人は昭和二七年同志社大学神学部大学院を卒業と同時に日本キリスト教団宇和島信愛教会主任担任教師となり、以後伝道活動に従事し、昭和三六年九月同教団尼崎教会主任担任教師(牧師)に就任し、同教会敷地内の牧師館に家族と共に居住し、特に職域伝導に力を入れ、「祈つて働く」ことを実践して今日に至つたものである。

Aは同人の母Cが同教会の信徒で、被告人の赴任前から同教会附属幼稚園で働いていた関係もあつて、昭和三八年から同教会敷地内の教育会館に母子で居住し、被告人はAに父親がいなかつたので、進学時等に同人の保証人となつたり、日常の相談相手になつたりしていた。昭和四五年一月Aの在学する兵庫県立尼崎高等学校で県下一斉学カテスト反対等六項目要求の図書館封鎖やそれに続くハンストが行われた際、又、同年七月に同様のハンストが行われた際にも、Aがこれらに参加していたので、保証人である被告人は学校からの連絡でその都度学校にかけつけて説得に当り、連れ帰つたりしていた、その頃Aの友人であるBを知るようになつた。

AおよびB(ともに当時一七才)は、同高校の二年生で、昭和四五年六月同高校内に結成された叛軍闘争委員会のメンバーであつたが、同メンバーを中心とする数名の高校生らと共に、折から全国に頻発した学園紛争に刺激されて、同高校内の頽廃ムードを一掃するため学舎の一部をバリケード封鎖してたてこもることを企図し、同人らは同年一〇月一三日頃から数回にわたつて計画をねり、「二〇一教室および二〇二教室を封鎖する。事前に校務員等に見つかつたときは封鎖作業中同人をロープで縛つて教室に軟禁する。教職員が排除に来たときは脅しのため人身や建物に害を与えない所に火災ビンを投げる。警察官が排除に来たときは速やかに封鎖を解き逃走する。」等の事前の謀議を遂げ、内A、Bを含む数名が手分けして同月一六日から一七日にかけて同高校化学実験室から同校校長保管の濃硫酸入ビン四本、塩素酸カリ入ビン一本を、尼崎工業高校化学準備室から同校校長保管の塩素酸カリ入ビン三本、赤燐入ビン一本をそれぞれ盗み出し、尼崎高校内で火炎ビン約四六本を製造する等の準備をしたうえ、昭和四五年一〇月一八日同校内に集合し、かつ同校校長の看守する校舎内に故なく侵入し、同日午後九時三〇分頃机、椅子、パネル板等を運んで前記教室の封鎖作業を開始した。同夜一〇時半頃右生徒の一名が物音を聞いて校内見廻りの中の校務員坂本賢一に遭遇し、封鎖作業中おとなしくロープに縛られていてくれるよう求めたが、同校務員がこれを拒み校務員室に逃げ込み内から施錠したので、他の数名の生徒がかけつけ、同校務員を捕縛すべく「こら開けろ」と怒鳴り、校務員室の窓ガラス四枚、扉板等を叩き割る等の乱暴をしたので、同校務員は反対側の窓から飛び出して校外にのがれ警察に急報した。封鎖に当つた生徒らは校務員の逃走により警察への通報を予想して、周章狼狽直ちに封鎖作業を中止し、封鎖のため集めた器具類や火炎ビン等を放置したまゝ全員近くに在る兵庫県立尼崎工業高等学校計測実験室附属の暗室に逃避し、同夜から翌一九日夕方までそこに潜伏し以て同校校長の看守する同室内に故なく侵入し、その間に尼崎高校の様子を探査して警察の捜査開始を確知した右生徒らは、各自分散逃避することを計画し、同日午後六時頃各自思い思いに散つて行つた。

他方、右校務員から通報を受けた所轄尼崎中央警察署は、直ちに一八日午後一一時三〇分頃から捜査を開始し、翌一九日午前九時三五分頃には同校社会科研究室および二〇一教室から合計四六本の火炎ビンを発見するに至り、同月二二日頃には他の共犯の生徒が順次出頭し逐次取調べが行われ、警察はAおよびBが右事件の主導者であるとの嫌疑を抱くに至り、その所在捜査に当つていた。

これより先、同月一九日夜尼崎教会内集会室で読書会に出席していた被告人は、午後八時頃Aの母CからAの帰つたことを告げられ、「何処かへ行つてしまう。止めてくれ。」と頼まれたので、直ちに同女の部屋に行きAおよびBと対座した。被告人は同日の夕刊により右封鎖事件の概略(建造物侵入、兇器準備集合および暴力行為等処罰に関する法律違反該当の各事実。窃盗該当の事実を除く。)を知り、かつAの前からの言動および同人が前々日から帰つていないこと等を考え併せて、同人が右事件に参加しているのではないかとの不安を抱いていたので、開口一番「お前らがやつたのか」とその不当を怒声を以て難詰し、同人らが「何処かに行きたいので、紹介してほしい。」と言うのに対し、同日一〇時半頃まで諄々と説きその反省を求めた。その効あつて両少年の当初の思い詰めた表情にも幾分落着きの色が見えたので、被告人は同人らの反省に一縷の望を託し、牧師職に在る者として彼等の魂への配慮(後述の牧会)から、彼等の長い将来を誤らしめないためには、彼等に対し何より先ず暫くの間静かに労働しながら自己省察と深い思索をすることのできる場所と機会を与えることが緊急必要事であると考えた。しかしながら両少年をこのまゝ尼崎におくことは、彼等が再び同市に在る過激グループに近づいたり、過激グループの方から接触して来るおそれが非常に大きいし、年端もゆかぬ上警察に対して強い恐怖心と拒絶反応を示し、適当な監督者なしでは何時逃走して、より一層過激なグループのアジトへと走らないとも限らない状態にあつたので、被告人はこれらの危険を未然に防止しつつ適当な監督者をつけて労働による反省をさせるには、同じ信仰に立ち心の通じ合える鈴木昭吾牧師が居て、その環境も知つている龍野市龍野町日山三九六番地所在の日本キリスト教団龍野教会に託するのが最も良いと考え、同日午後一〇時半頃鈴木牧師に電話して、両少年が県立尼崎高校を封鎖しようとした事件に関係したが、労働しながら反省させるため一週間位預つてくれるよう依頼して承諾を得、両少年もこれに同意したので、被告人は翌二〇日の昼両名と国鉄三宮駅で待合わせ、午後〇時四二分同駅発本龍野駅同日一四時四分着の国鉄急行で本龍野駅に至り、出迎えに来た鈴木牧師と共に龍野教会に行き、両名の労働による反省とその監督、特にセクトと連絡をとらせないように注意してほしい旨くれぐれも頼んで引きあげた。なお、このときBは、『母には「自分は右封鎖事件に関係がない。」と言つてあるので、母や学校に所在を知らせず、又、母には保護願いを出さないように伝えてくれ』と頼むので、被告人はこれを約束した。

このようにして、鈴木牧師はその日からA、Bの両少年を教会内の教育館内に居住させ、同月二三日から昼間は龍野市龍野町日飼に在る兵友建設株式会社に自動車の助手として材木の積みおろしの作業に従事させ、夜は教会の会合に出席させるなどして実践的に両名の思索、反省の指導に当り、両名は次第に自分達の意識の浅薄さに気付き始めた。

被告人はその間、両少年に対する配慮に心を凝結し、その目的を達するためには彼等の信頼を絶対の条件とすると信じ、同月二二日尼崎教会に警察官が訪れAの所在を尋ねた際に心ならずもこれを知らないと答え、又、学校に対してもこれを知らせなかつたが、常に念頭を去らないものは、両少年の刑事処分の問題ではなく、彼等の将来特に復学の問題であつた。そこで、被告人は種々学園紛争の処分事例に当つてみたところ、条件付退学による復学という事例を見つけ出し、退学処分は一応やむをえないとしても、この事例のような復学に一縷の望を託してこれに全力を傾注することを決意した。又、被告人は捜査活動から両少年を逃避せしめる意図を始めから全く持つていなかつたので、同月二五日頃他の共犯少年がつぎつぎに帰つて来て学校と警察の取調べを受けていることを聞知し、その頃両少年もようやく反省し落着いた様子を聞いたので、こゝらが両名を学校と警察に出頭せしめるのに適当な時期であると判断した。そこで、被告人は、翌二六日朝鈴木牧師に電話をして打合わせたうえ同月二八日Cと共に龍野教会に赴き、前記処分事例を示し、鈴木牧師に尼崎へ帰るよう両名を説得することを頼んで所用のため一人先に引き返えした。その夜両名は鈴木牧師の説得に応じてCと共に尼崎教会に帰つた。被告人は直ちに学年主任の渡辺教諭およびBの母に両名が帰つた旨電話連絡し、両名は翌二九日朝それぞれ母親と共に登校し、午後尼崎中央警察署に任意出頭した。

(以上の認定に反するAの検察官に対する供述調書の記載部分は、同人が供述当時一七歳に達したばかりの少年であつたことを考え、かつ、前掲各証拠の関係部分と対比して、到底措信できない。)

ところで、被告人の指導に従い一旦は反省して過激な行動への訣別がなつたかにみえたAは、再び大学生を含む過激グループの働きかけを受けて、被告人の折角の復学への努力をよく理解せず、学校当局への深い不信感から、自己が学園から永久的に追放されることは絶対に避けられないと信じ、その絶望感から学校に対する処分撤回闘争に立上るべくBに働きかけるという事態が生じた。被告人はこれに対し必死の説得を試み、又被告人の前記努力により既に過激な行動への反省を示したBが、是非につき自己に充分納得がゆかない行動には参加しない旨拒絶の意思を表明したので、Aも気持を変えて被告人の指導に従うことに同意し、過激グループとの絶縁を受容するに至つた。

そこで、被告人は両少年の退学処分は避け難いとしても、翌春の二年への編入試験に合格すれば復学を認めるとの条件付退学を学校当局に強力に働きかけて、これを実現し、両少年は翌春美事に復学に成功し、更にはそれぞれ大学に進学して模範的な生徒・学生として生長するに至つたものである。

なお、これより先両少年は、右高校封鎖事件につき昭和四六年三月一日神戸家庭裁判所尼崎支部において不処分の決定を受けた。

三右認定の事実によれば、AおよびBの両少年は他の数名の少年と共謀の上、建造物侵入、兇器準備集合、暴力行為等処罰に関する法律違反および窃盗の各罪を犯した者であり、被告人は昭和四五年一〇月一九目両少年が尼崎教会に帰つて来た時点において、その罪名はともかく彼等が窃盗罪を除く右各罪に該当する行為をなした者達であるとの認識を得たものというべきところ、被告人はAに対する従前からの父親代りとしての立場もさることながら、牧師としての立場から自己を頼つて来た年端もゆかぬ両少年の将来を真摯に憂え、過激グループから隔離して反省の場と機会を与え、彼等の魂を救うことが緊急最優先の事項であると考え、そのために彼等を龍野教会に伴つたものである。

ところで、刑法一〇三条に所謂蔵匿とは、官憲の発見逮捕を免かれるべき隠匿場所を供給することを指称するのであるが、処罰を免かれさせる意図の存在を要件としない我国法制の下において、被告人の前記所為が蔵匿に該るか否かは一の問題である。警察に対する強い恐怖心とそれを敵視することによつて、警察に極度の拒絶反応を示し、ともすれば積極的に被告人や保護者らの手の届かない所への逃避を企てる両少年を、過激グループから切り離して反省せしめた後官憲へ出頭せしめる意思の下に、何とか説得を続けながら量的消極的に自己の手許又はその支配可能の範囲に移した行為、即ち自己の手からの逸出を防ぐための場所を提供した被告人の行為が果たして蔵匿と評価しうるものであろうか。疑なしとしない。

四それはさておき、被告人の右行為が蔵匿と評価しうるものであるとしても、当裁判所は、それは違法性を欠くものと思料する。

(一)  一般にキリスト教における牧師の職は、ある宗教団体(教会等)からの委任に基づき、日常反覆かつ継続的に、福音を述べ伝えること即ち伝道をなし、聖餐の儀式をとり行なうこと即ち礼拝を行ない、又、個人の人格に関する活動所謂「魂への配慮」等をとおして社会に奉仕すること即ち牧会を行ない、その他教会の諸雑務を預かり行なうことにある。そのうち牧会とは、牧師が自己に託された羊の群(キリスト教では個々の人間を羊に喩える)を養い育てるとの意味である。そこで、牧師は、中に迷える羊が出れば何を措いても彼に対する魂への配慮をなさねばならぬ。即ちその人が人間として成長して行くようにその人を具体的に配慮せねばならない。それは牧師の神に対する義務即ち宗教上の職責である。(証人竹中正夫の当公判廷における供述によつて以上の事実を認める。)

従つて牧会活動は社会生活上牧師の業務の一内容をなすものである。

(二)  しかるところ、前認定被告人の所為は、自己を頼つて来た迷える二少年の魂の救済のためになされたものであるから、牧師の牧会活動に該当し、被告人の業務に属するものであつたことは明らかである。

ところで、それが正当な業務行為としで違法性を阻却するためには、業務そのものが正当であるとともに、行為そのものが正当な範囲に属することを要するところ、牧会活動は、もともとあまねくキリスト教教師(牧師)の職として公認されているところであり、かつその目的は個人の魂への配慮を通じて社会へ奉仕することにあるのであるから、それ自体は公共の福祉に沿うもので、業務そのものの正当性に疑を差しはさむ余地はない。一方、その行為が正当な牧会活動の範囲に属したかどうかは、社会共同生活の秩序と社会正義の理念に照らし、具体的実質的に評価決定すべきものであつて、それが具体的諸事情に照らし、目的において相当な範囲にとどまり、手段方法において相当であるかぎり、正当な業務行為として違法性を阻却すると解すべきものである。

而して、牧会活動は、形式的には宗教の職にある牧師の職の内容をなすものであり、実質的には日本国憲法二〇条の信教の自由のうち礼拝の自由にいう礼拝の一内容(即ちキリスト教における福音的信仰の一部)をなすものであるから、それは宗教行為としてその自由は目本国憲法の右条項によつて保障され、すべての国政において最大に尊重されなければならないものである。

尤も、内面的な信仰と異なり、外面的行為である牧会活動が、その違いの故に公共の福祉による制約を受ける場合のあることはいうまでもないが、その制約が、結果的に行為の実体である内面的信仰の自由を事実上侵すおそれが多分にあるので、その制約をする場合は最大限に慎重な配慮を必要とする。

確かに、形式上刑罰法規に触れる行為は、一応反社会的なもので公共の福祉に反し違法であるとの推定を受けるであろうが、その行為が宗教行為でありかつ公共の福祉に奉仕する牧会活動であるとき、同じく公共の福祉を窮極の目標としながらも、直接には国家自身の法益の保護(本件の刑法一〇三条の保護法益は正にこれに当る。)を目的とする刑罰法規との間において、その行為が後者に触れるとき、公共の福祉的価値において、常に後者が前者に優越し、その行為は公共の福祉に反する(従つてその自由も制約を受け、引いては違法性を帯びる)ものと解するのは、余りに観念的かつ性急に過ぎる論であつて採ることができない。後者は外面的力に関係し、前者は内面的心の確信に関係する。両者は本来社会的機能において相重なることがなく、かつ相互に侵すことのできない領域を有し、性格を全く異にしながら公共の福祉において相互に補完し合うもので、同時的又は順位的に両立しうる関係にある。何故ならば、そもそも国政の権威は国民に由来し、その権力は国民の福利のために行使されるべきものであり、両者はともにそのことを目標とするものであるからである。従つて、右のような場合、事情によつてはその順位の先後を決しなければならなくなるが、それは具体的事情に応じて社会的大局的に実際的感覚による比較衡量によつて判定されるべきものである。この場合宗教行為の自由が基本的人権として憲法上保障されたものであることは重要な意義を有し、その保障の限界を明らかに逸脱していない限り、国家はそれに対し最大限の考慮を払わなければならず、国家が自らの法益を保護するためその権利を行使するに当つては、謙虚に自らを抑制し、寛容を以てこれに接しなければならない。国権が常に私権(私人の基本的人権)に優先するものとは断じえないのである。

(右のように解したからといつて、宗教活動家に治外法権的特権を与えることにはならないし、法の下の平等を定めた憲法一四条一項に反するものでもない。)

而して、牧会活動の目的が通常正当なものであることは前述のとおりであるから、具体的牧会活動が目的においで相当な範囲にとどまつたか否かは、それが専ら自己を頼つて来た個人の魂への配慮としてなされたものであるか否かによつて決すべきものであり、その手段方法の相当性は、右憲法上の要請を踏まえた上で、その行為の性質上必要と認められる学問上慣習上の諸条件を遵守し、かつ相当の範囲を超えなかつたか否か、それらのためには法益の均衡、行為の緊急性および補充性等の諸事情を比較検討することによつて具体的綜合的に判定すべきものである。

(三)  これを本件についてみると、一七才前後のA、Bの二少年が同年輩の他の数名の少年と共に学校封鎖を目的として前記建造物侵入等の過激な犯行を敢行しながらも学校封鎖に至ることができず、その直後の敗北と挫折感に打ちひしがれ、思いつめた心理状態にあり、特にA少年にとつて被告人は父親代りの立場にあつたこともあつて、両少年が被告人に何らかの救済を求めた(それが少年達にとつては、主に逃亡を志向したものであつたにしても、幾分かの心の救いを求めるものであつたことは間違いない。)のに対し、被告人は牧師としてこれに対処し、彼等が右犯罪行為(窃盗罪該当の事実を除く)をなした者であるとの認識を有したものの、彼等の人間としての救済に魂を凝結し、彼等の将来に思いをめぐらして、何よりも先ず彼等の不安定な心を静め、自己に対する反省と肉体的労働を通じて健全な人間性を取り戻させ、爾後自己の責任において対処せしめるのを最良の道と考え、そのためには彼等が手の届かない所へ逃亡することと他の過激なグループと接触することを予防しながら、労働せしめかつ礼拝への参加、教義の伝道等を通じて地道な自己省察をなさしめるため地元尼崎市から監督と指導に適当な龍野教会に一時隔離することを緊急事とし、鈴木牧師と相談の上その処置を採つたものであり、その結果両少年は八日後には心の落着きを取戻し、自己の行為を反省して自主的に所轄警察署に出頭したものであつた。

従つて、それは専ら被告人を頼つて来た両少年の魂への配慮に出た行為というべく、被告人の採つた右牧会活動は目的において相当な範囲にとどまつたものである。

又、牧会活動はその行為の性質上これをなす者と受ける者の心対心の問題であつて、これをなす者が心底からそれを信じて行なうのでなければ魂の救済に役立たないのであるから、これを他人(国家も含む)に任せるということはありえない(尤も援助を求めることは別問題である。)。従つてこれをなす者がこれを受ける者の人間的信頼を得て始めて成功するもので、如何なる事情があつても、一旦約束した秘密を神以外に漏らしてはならない場合もあるであろうから、被告人が一時的に両少年の所在を人に告げなかつたことを取立てて責めることは相当ではないし、他に被告人が教会牧師として遵守すべき道を違えたと認めることもできない。

次に、両少年を取巻く前記諸般の事情を考え、彼等の将来に思いを致せば、第三者的傍観者はいざ知らず、その渦中に身を投じ彼等と共に真摯に悩む神ならぬ通常人にとつては、被告人の採つた右処置以外に適当な方途を見出すことは至難の業であつたであろうし、それは正に緊急を要する事態でもあつたのである。

しかも、その間にあつても、右高校封鎖事犯の捜査は、他の少年達の出頭等によつて取立てていう程の遅滞もなく進展していたし、両少年も八日後には牧会が効を奏し、自己の責任を反省し自ら責任をとるべく任意に警察に出頭したことではあるし、右程度の捜査の支障は、前述の憲法上の要請を考え、かつ、その後大きくは彼等が人間として救済されたこと、小さくは彼等の行動の正常化による捜査の容易化等の利益と比較衡量するとき、被告人の右牧会活動は、国民一般の法感情として社会的大局的に許容しうるものであると認めるのを相当とし、それが宗教行為の自由を明らかに逸脱したものとは到底解することができない。本件の場合、国家は信教の自由を保障した憲法の趣旨に照らし、右牧会活動の前に一歩踏み止まるべきものであつたのである。

これを要するに、被告人の本件牧会活動は手段方法においても相当であつたのであり、むしろ両少年に対する宗教家としての献身は称賛されるべきものであつた。

(四)  以上を綜合して、被告人の本件所為を判断するとき、それは全体として法秩序の理念に反するところがなく、正当な業務行為として罪とならないものということができる。

五よつて刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(関家一範)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例