福井地方裁判所 昭和24年(行)6号 判決
原告 塚本宗憲
被告 加斗村農業委員会
補助参加人 福井県知事
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「別紙目録の農地について、被告(加斗村農業委員会は、昭和二六年法律第八八号農業委員会法施行前は加斗村農地委員会であつた。以下、加斗村農地委員会を指すときも被告と称する。)が昭和二四年八月一二日に定めた農地売渡計画はこれを取消す。」との判決を求め、その請求の原因として、
別紙目録の農地は、原告が住職をしている訴外松原寺の所有していたものであるが、昭和二三年二月二日政府が自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する。)第三条第五項第四号第六条の規定によつてこれを右松原寺から買収し、被告は、昭和二四年八月一二日自創法第一六条第一八条自作農創設特別措置法施行令(以下自創法施行令と略称する。)第一七条第一項第一号の規定によつて右農地を訴外松崎源蔵に売渡す農地売渡計画を樹てこれを公告したので、原告は同月二二日被告に異議の申立をなしたところ、右異議は同年九月七日異議棄却の決定をうけ、その決定書は翌八日原告に交付せられた。
しかし、遡及売渡の基準日たる昭和二〇年一一月二三日現在においては、松崎は右農地につき耕作の業務を営んでいたものではなく、原告がその耕作の業務を営んでいたものであるから、右農地売渡計画は違法である。
仮りに右松崎が右基準日現在において右農地につき耕作の業務を営んでいたとしても、右農地の買収時期たる昭和二三年二月二日において右農地につき耕作の業務を営んでいた小作農は原告であるから、自創法施行令第一七条但書の規定によつて、被告において、右農地につき、買収の時期における耕作者たる原告を売渡の相手方と定めることが適当でないと認めるときにのみ右基準日現在における耕作者たる右松崎を売渡の相手方と定めることができるにすぎないものである。しかるに、被告は買収の時期における耕作者たる原告を売渡の相手方と定めることが適当でないと認定することなしに右農地売渡計画を定めたものであるから、同計画は、その樹立の手続において違法である。
仮りに右の認定を経て右農地売渡計画が定められたとしても、その認定の内容が違法である。すなわち、別紙目録の農地は、もと、右松原寺が右松崎に賃貸しこれを耕作せしめていたものであるが、右松崎から原告に対し昭和二〇年一〇月頃右賃貸借の解約方を申入れてきたので、原告は止むをえずこれを承諾し、当時原告と右松崎との間で右賃貸借の合意解約をなしたのであり、原告は右農地を右松崎から不当に取上げたものではなく、右解約は右松崎の要望にしたがつて適法且つ正当になされたものである。のみならず、右松崎は大工であるが、右農地を耕作しているために依頼があつても大工の仕事に行けないので右賃貸借を解約して大工や炭焼をした方が有利であるとの一方的理由で、原告の右賃貸借を続けて欲しいという嘆願を聞き入れず、右松崎において右賃貸借の解約方を申入れたのであつて、今更右松崎が右農地を買受けたい旨要求することは信義に反する。原告は、住職であるが、昭和五年頃よりそのかたわら農耕に従事してきたもので農業に経験深く、殊に右松崎から右農地の返還を受けてからは本格的に農耕を始め、電動機等の生産設備を整え、また農作物の品種改良を試みるなど農耕に精進し、昭和二一年度も翌二二年度も福井県大飯郡加斗村第一の反当り収穫量をあげ、右各年度の供出割当量も全部完納し、農耕の業務において右松崎よりも優秀な能力のあることを示した。なお、右農地を昭和二〇年一一月二三日に遡及して売渡す場合には、自創法第六条の二第二項第四号の規定の精神が充分に斟酌されねばならないものであるところ、昭和二五年度の右松崎及び原告の耕作段別の割合は、右松崎方が一町三反九畝一五歩に比し、原告方は二反八畝二九歩であり、又双方の家族関係は、右松崎方は同人の叔父叔毋と松崎夫婦の四人であるに対し、原告方は原告夫婦と子供二人の同じく四人である。しかも、戦後世人の宗教に対する感情が枯渇したため、右松原寺の経済は窮乏し、したがつて同寺の住職たる原告の生活状態はすでにわるく、本件農地売渡計画によつて右農地を右松崎に売渡すときは、原告の生活状態が右松崎の生活状態に較べて著しくわるくなることが明らかである。以上の各事実から考えて、原告は自作農として農業に精進する見込のあるものであり、右農地の売渡の相手方として適当でないと認められるいわれはない。したがつて、被告において原告を右農地の売渡の相手方と定めることが適当でないと認めたことは、その認定の内容において違法であり、右認定に基いて樹立せられた右農地売渡計画は違法たるを免れない。
以上、いずれの点からしても右農地売渡計画は違法であるから、その取消を求める。
と述べ、被告の主張に対し、
原告を売渡の相手方と定めることが適当か否かの認定は、被告の自由裁量に属する事項ではなく法規裁量に属する事項である。又右農地売渡計画が福井県農地委員会の裁決に覊束されてなされたとしても、そのことは被告のなした右農地売渡計画の違法性を阻却するものではない。
と述べた。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、
原告の主張事実中、別紙目録の農地が原告が住職をしている訴外松原寺の所有に属していたが、原告主張のように政府に買収されたこと、被告が原告主張の日原告主張の法条により右農地を訴外松崎源蔵に売渡す農地売渡計画を樹てこれを公告し、原告がその主張のごとき異議の申立をなしたけれども、異議棄却の決定を受けその決定書が原告主張の日に原告に交付されたこと、右松崎が少くとも昭和二〇年一〇月までは本件農地につき耕作の業務を営む小作農であつたこと、本件農地の買収時期たる昭和二三年二月二日において原告が右農地につき耕作の業務を営んでいたことは、いずれもこれを認める。その余の事実はすべて争う。
本件農地売渡計画は次の通りその要件を備えたものである。
まず、右松崎は遡及売渡の基準日たる昭和二〇年一一月二三日現在において本件農地につき耕作の業務を営んでいた小作農であつて、原告は昭和二一年六月頃より本件農地につき耕作を始めたものにすぎない。
次に、被告は昭和二四年三月一五日、本件農地につき買収の時期における耕作者たる原告を売渡の相手方と定めることが適当でないと認定したのであつて、本件農地売渡計画の樹立の手続に違法はない。
仮に右の主張が認められないにしても、原告主張のように本件農地が政府に買収された後、被告において昭和二三年三月二六日右農地を原告に売渡すという農地売渡計画を樹てこれを公告したところ、同年三月三〇日右松崎は右農地売渡計画に対し被告に異議の申立をなし、同年五月四日被告は右異議の申立を棄却し、同日右松崎はこれに対し福井県農地委員会に訴願し、同年九月九日右委員会は右訴願を認容する裁決をなしたので、被告は右裁決に覊束され、右裁決の趣旨にしたがつて、右農地売渡計画を取消し、松崎に売渡すという本件農地売渡計画を定めたのであつてその手続に違法はない。
次に、自創法施行令第一七条第一項第一号但書所定の、原告を売渡の相手方と定めることが適当か否かの認定は、被告の自由裁量に属する事項である。したがつて、本件農地売渡計画を樹てるにつき被告がなした、原告を本件農地の売渡の相手方と定めることが適当でないとの認定の内容が違法である旨の原告の主張はその理由がない。
仮りに右の主張が認められないとしても、被告のなした右認定は極めて正当である。すなわち、右松崎は、同人の先代のあとを継ぎ、本件農地を前掲松原寺より賃借し継続して同農地の耕作の業務を営んできたものであるところ、原告は、終戦直後の窮迫した食糧事情を打開するため、本件農地を右松崎より取上げて耕作することを企図し、昭和二〇年一二月頃、右松崎に対し右農地に対する小作料を一俵につき一二〇円の割合の金納とするか現物米四俵で納めるかするように要求するとともに若しこれに応じないならば右農地を返還するようにと申入れたので、右松崎は、右農地の返還は拒絶したが、昭和二一年二月中に米四俵を右農地の昭和二〇年度分の小作料として原告方に持参して納付した。しかるに、同年六月頃、右松崎において右農地に前年の秋作付をなしておいた裸麦や空豆の収穫を同人が済すや、原告は、不法にも右松崎に無断で訴外松見武治をして本件農地を牛を使つてすき起させ、右松崎の抗議にも耳をかさず、強引にみずから昭和二一年度の作付をなして仕舞い、引続き昭和二四年度まで右農地の耕作を続けた。かくの如く原告は昭和二一年六月頃本件農地を右松崎から不法に取上げたのであつて、右松崎において右農地の賃貸借の解約をなしたことはないのである。右農地の賃貸借の解約が適法且つ正当になされたとは、到底いうことができない。
右松崎は大工の技術を持つているが、昭和二〇年から同二四年頃までは、大工や炭焼の業務には全然従事せず、専ら農耕に従事していたものである。同人は以前から約一町五反歩余を耕作している精農であるに反し、原告は終戦後のいわゆる「にわか百姓」で素人の域を出ない住職兼農業家であるにすぎない。
右の理由により、被告において本件農地につき原告を売渡の相手方と定めることが適当でないと認定して右松崎を売渡の相手方と定めたことに何等違法はない。
更に、仮に右主張が認められないとしても、被告のなした右認定は、前記のように福井県農地委員会の前記裁決に覊束されてなされたものであるから、右認定の内容が違法である旨の原告の主張はその理由がない。
以上の次第で、本件売渡計画には原告主張のごときかしがなく適法なものであると述べた。(立証省略)
三、理 由
本件農地が、原告が住職をしている訴外松原寺の所有に属していたが、原告主張のように政府に買収されたこと、被告が原告主張の日、原告主張の法条により右農地を訴外松崎源蔵に売渡す農地売渡計画を定めて公告し、原告がこれに対してその主張のごとき異議の申立をなしたけれども、異議棄却の決定を受け、その決定書が原告主張の日、原告に交付されたことは、当事者間に争がない。
そして昭和二〇年一一月二三日現在において本件農地につき耕作の業務を営んでいた小作農が右松崎であつたことは、後記認定のとおりであるから、これに反する原告の主張はまつたく理由がない。
次に、被告が、本件農地につき買収の時期における耕作者たる原告を売渡の相手方と定めることが適当でない旨の認定を、なさなかつたかどうかについて調査しよう。
成立に争のない甲第一号証の一乃至四、乙第一号証、乙第三号証及び前掲甲第一号証の四、証人森井健太郎、同伊崎啓三郎、同土井銀蔵の各証言に徴して真正に成立したものと認める乙第二号証、並びに証人伊崎啓三郎、同土井銀蔵、同家山伝七の各証言を総合すれば、次の通り認めることができる。
被告は、昭和二三年三月二六日本件農地を原告に売渡す農地売渡計画を定めてこれを公告したところ、これに対し右松崎から異議の申立があつたので、被告において、右農地の売渡の相手方を定めるにつき、原告及び右松崎双方の事情を調査し審議を重ねたが、被告農地委員会の委員達の意見がまとまらず、結局同年五月四日右異議を容れるか否かにつき右委員達の投票に付し、その結果、被告は右異議を棄却した。これに対し右松崎は福井県農地委員会に訴願し、同委員会は同年九月九日右訴願を認容し、原告を本件農地の売渡の相手方と定めることは適当でなく、これを右松崎に売渡すべき旨の裁決をなしたので、被告は、右裁決の趣旨にしたがつて、昭和二四年三月一五日、原告を本件農地の売渡の相手方と定めることが適当でないと認めて、これを右松崎に売渡すことに決定した。
かように認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
されば、被告が原告を本件農地の売渡の相手方と定めることが適当でないと認定することなしに本件農地売渡計画を定めたものであるから同計画がその樹立の手続において違法である旨の原告の主張は理由がない。
次に被告が原告を本件農地の売渡の相手方と定めることが適当でないと認めた、その認定の内容が違法であるかどうかについて検討しよう。
被告は、原告を本件農地の売渡の相手方と定めることが適当であるか否かの認定は被告の自由裁量に属する事項であると主張するのでまずこの点から判断する。自創法第一六条第一項自創法施行令第一七条第一項第一号において、農地の売渡の相手方及び原告主張のごとき売渡相手方の順位を定めたのは、農村の民主化、農業生産力の発展、農地の不当取上からの救済の目的を達するがために外ならない。したがつて、同号所定の、当該農地につき耕作の業務を営む小作農を売渡の相手方と定めることが適当でない旨の認定は、右の目的に照らして客観的に判断せらるべき法律の解釈適用の問題であつて、もし右の目的に反して右認定がなされた場合は、もとよりその行政処分は違法であるといわねばならない。それ故、右認定が被告の自由裁量に属する事項である旨の被告の主張は採用できない。
進んで、前掲甲第一号証の一、二、原告本人の供述(第二回)によつて真正に成立したと認められる甲第三号証の一、二、証人森下修徳、同松見武治、同伊崎啓三郎、同森下鶴吉、同新崎辰之助、同土井銀蔵、同新崎銀蔵、同抜井棟四郎、同中川幸吉、同磯野義雄、同家山伝七、同松崎源蔵の各証言を併せ考えると、次の通り認めることができる。
訴外松崎源蔵は、同人の先代のあとを継ぎ、本件農地を前掲松原寺より賃借し継続して右農地の耕作の業務を営んでいたところ、昭和二〇年一二月頃、原告から、右農地に対する小作料を従前の二倍に当る一俵につき一二〇円の割合の金納にするか、現物米四俵で納めて欲しい、それができないようなら右農地を返して欲しい旨の申出を受けたので、右松崎は右農地の返還は拒絶するが、小作料の方は考慮する旨答え、翌二一年一、二月頃、自己の住んでいる部落の区長に対し、小作料を現物で納めた場合には供出割当量を軽減してくれるよう交渉するとともに、米四俵を昭和二〇年度分の小作料として原告方に持参して納付した。その後昭和二一年六月頃、右松崎において右農地に昭和二〇年の秋に作付をしておいた裸麦や空豆の収穫を同人が済ますとすぐに、原告は右松崎に無断で訴外松見武治をして右農地を牛を使つてすき返させ、みずから昭和二一年度の作付をなして仕舞い、引続き昭和二四年度まで右農地の耕作を続けた。
他面、原告は、住職であるが、傍ら農耕にも従事しており、昭和一八年及び同一九年頃の耕作面積は一反余りに過ぎなかつたが、終戦後農耕の仕事に力を入れ、農業経営に必要な機械の準備をなし、農作物の品種改良にも務め、耕作面積も昭和二一年度から昭和二四年度までは四反歩余りに増やし、供出割当量もその都度完納した。しかし、その耕作振りはまだ素人くさく、右松崎に比較し劣つていた。一方、右松崎は、大工の技術を持つてはいるが終戦当時以来、大工や炭焼の業務には全然従事しておらず、同人は以前から約一町五反歩の田畑を耕作している農業専門の精農家である。
なお、原告及び右松崎双方の家族関係はほゞ原告主張の通りであり、昭和二四年当時、前記松原寺の経済は豊かでなく、同寺の住職たる原告の生活状態も楽ではなかつたが、原告は元来右寺の住職であり、被告農地委員会の専任書記を勤めていたこともあり、農耕を専門の仕事としていたものではなかつた。
かように認めることができ、前掲甲第一号証の一、二、甲第三号証の一、二、及び成立に争いのない乙第四号証の各記載、証人森井健太郎、同森下勇太郎、同伊崎啓三郎の各証言、原告本人の供述(第一、二回)中、右認定に反する部分は信用することができない。
右認定の事実を総合して判断すると、被告において原告を本件農地の売渡の相手方と定めることが適当でないと認めたことは、正当であつて何等違法の点はない。したがつて、被告のなした認定の内容が違法である旨の原告の主張も亦理由がない。
以上の次第で、本件農地売渡計画が違法であるとする原告の主張は、いずれも理由がない。
よつて、右計画の取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 吉田彰 山田正武 海老塚和衛)
(目録省略)