福井家庭裁判所武生支部 昭和30年(家イ)43号 審判 1956年7月02日
申立人 中田利子(仮名)
相手方 中田秋夫(仮名)
相手方 中田正明(仮名)
主文
申立人中田利子と相手方中田秋夫とは昭和三十一年七月二日離婚する。
相手方中田秋夫は昭和三十一年七月三十一日までに申立人中田利子に対して財産分与金として金弐拾四万五千百弐拾円を支払い相手方中田秋夫と相手方中田正明とが連帯して前同日までに申立人中田利子に慰藉料として金弐拾万円を支払う。
相手方中田秋夫は申立人中田利子に別紙目録第二号記載の物件を昭和三十一年七月三十一日限り引渡す。
本件申立費用は各自弁とする。
理由
申立人中田利子は昭和十九年四月○○○日相手方中田秋夫と婚約なり同年五月○日婚姻の届出をした正式の夫婦である。
両名は同月○日相手方秋夫の勤め先である満州に赴爾来今次の終戦に至るまで同地に居住していた。
終戦になるや昭和二十一年七月○○日両名は相手方中田正明方(相手方秋夫の実家)に引揚げて来たが申立人利子は正明方で非常に冷遇され遂に正明方から別居するのやむなきに至り、両名は正明方に居ること数日にして○○市○○○町○○番地に別居しそこで両名は夏期は氷水キャンデー冬期は麺類等の販売を業とし、辛苦努力の結果近年になり営業上の諸機械設備その他家財道具類等を購入し店舗の改築等(別紙目録第一号)もなし営業も相当繁昌するようになつた。
処が申立人利子は終戦当時の過労と在満時流産の後が悪るくて手術をしたが結果がよくないため病弱となり、それがため相手方秋夫は申立人利子に対して事毎につらくあたるようになり、相手方正明から申立人利子に同人の実家である松谷三郎方で養生するようにすすめられたので松谷方へ帰り病気療養に努め一日も早く全快して相手方秋夫と同棲することを願つていたところ相手方秋夫は昭和二十九年二月○○日利子との離婚の調停を福井家庭裁判所武生支部に申立て、申立人利子は調停期日に数回出頭したが、その申立の理由は不実のことばかりで納得出来ず遂に調停が不成立に終つた。
申立人利子は前記のように、相手方秋夫が調停の申立をなした当日偶々用事があつて相手方秋夫の許へ赴いた処相手方秋夫は他の婦女と同棲していることを知り驚きの余り実家へ帰り調べた結果その婦女は○○市○町山下太郎の長女美子であることがわかつた。
其の後美子は○○市○○町金子某の媒酌で相手方秋夫と婚約なり、昭和二十九年三月○日結納が取り交わされ、同年十二月○○日相手方正明方で結婚の儀式を挙げ近隣にも結婚の披露をなし、爾来両名は、相手方秋夫方で同棲夫婦生活を続けている。
以上のように申立人利子と相手方秋夫とが婚姻中であるにも拘らず相手方秋夫はこれを無視して他の婦女と公然と結婚の儀式まで挙げて同棲夫婦生活をするようなことは道徳にはずれた非人道的な行為である。
相手方正明も同様申立人利子を無視して秋夫と美子との婚姻に同意したものである。
申立人利子としては相手方と秋夫が山下美子との内縁関係を解消して申立人利子と従来通り婚姻を継続することを欲するも、相手方秋夫が敢て申立人利子と離婚しようとするならば、申立人利子がこれまでに蒙つた精神的の苦痛と物質的損害の償いとして慰藉料並びに婚姻中に蓄積した財産の分与等を包括して相手方両名より金五拾万円の支払を受けた上相手方秋夫と離婚し尚申立人の調度品として別紙目録第二号記載の物件を相手方秋夫より引渡を受けたい旨を述べ、
相手方中田秋夫は昭和十九年○月○日申立人利子と正式の婚姻をなし、終戦になるまで満州にて同棲終戦後内地に帰り現住所の○○市○○○町○○番地において飲食店業を開業今日に至つて居るが、昭和二十五、六年頃までは申立人清子との夫婦仲もよく家業の発展に双方が協力して来たがその頃から不景気のため金詰りとなり、金銭のことから双方の間に不和が絶えずその上申立人利子の性格は我儘なのに増して流産の後が悪くて手術するやその結果がよくなく病弱となつたがため実家へ帰ることが度重り又天理教信者となりて、長期間家を明ける等するので相手方秋夫としては女子がなくては営業を継続していくのに不便を感じていた折柄或る仲介人があつて山下太郎の長女美子との婚約なり双方両親の快諾を得たので昭和二十九年三月○○日頃美子と結婚の儀式を挙げ爾来相手方の現住所において同棲している。
以上のような訳で現在のところ申立人利子とは婚姻を継続していく意思はなく離婚したい、離婚に際しては申立人利子に対して相当のことはしてやりたい気持はあるが今の処景気も悪く手許不如意のため申立人の要求に応ずることは出来ない、尚申立人利子と婚姻中蓄積した財産については申立人の述べていることに異存はない旨を述べ、
裁判所は、数回に亘り調停委員会を開き、当事者双方の言分を考えると、申立人利子と相手方秋夫とは、婚姻届を完了した正式の夫婦であつて在満当時生活苦のため共に働き、又終戦後内地に引揚げ今日の飲食店を開業するに至つたのは双方が苦労を共にした結果であり偶々申立人利子が発病しその療養のため家を明けることが多かつたこととその上申立人利子の気儘勝手な行動が手伝つてか、双方の間に不和が絶えず、相手方秋夫は常に忿懣を抱いていた折、他の女山下美子との内縁関係を結ぶに至り、それも普通に見る内縁関係とは度を越えたやりかたで、公然と結婚の儀式を挙げる等して居り爾来両名が同棲し子女までもうけ今日に至つている。
以上のような関係で今の処申立人利子と、相手方秋夫とが婚姻を継続していくことは困難な状態にある。
よつて調停委員の意見を聞き申立人利子と相手方秋夫とが婚姻中蓄積した財産(別紙目録第一号記載の物件等につき鑑定を命じ鑑定価格は金六拾壱万弐千八百円であつた)幾分かを相手方秋夫より申立人利子に分与し、更に申立人利子が相手方秋夫と婚姻中に蒙つた精神的物質的の打撃の償いをした上、双方が離婚することとし、尚相手方正明は申立人利子と相手方秋夫とが正式の婚姻中であることを承知し居りながら相手方秋夫と山下美子とが婚姻することを賛同し自宅において結婚の儀式まで行わせたことは、申立人利子と相手方秋夫との離婚について、大いに責任がある
それで慰藉料については相手方秋夫と連帯して支払うのが受当であるとして主文のように決定した。
(家事審判官 伊藤泰蔵)