福山簡易裁判所 昭和41年(ろ)45号 判決 1967年9月18日
被告人 加藤正人
主文
被告人は無罪。
理由
第一、公訴事実
本件公訴事実は、被告人は、昭和四一年三月三〇日午前九時四五分頃、福山市三之丸町三〇番八号国鉄福山駅構内運転本部前広場の電車線引止柱「止構九号」に、管理者である国鉄岡山鉄道管理局岡山電力区長藤沢武重の許可がないのに、「最賃制を確立しスト権を奪還しよう公労協」と印刷した縦三七センチメートル位、横一七センチメートル位の大きさのビラ一枚を糊ではりつけ、もつて、他人の工作物にみだりにはり札をしたものである、というのであり、検察官は、被告人の右行為は軽犯罪法第一条第三三号に該当すると主張している。
第二、当裁判所の判断
一、<証拠省略>によれば、国鉄労組は、昭和四〇年一一月国鉄当局に対し、賃上額八、七〇〇円等を内容とする新賃金を要求し、その後数回にわたる団体交渉を行つたが、まとまらず、翌四一年の春の闘争にまで持越されたこと、国鉄労組岡山地方本部は、中央本部の指令に基き、右春闘態勢を強化し、新賃金等を含む諸要求を貫徹するため、同年三月傘下各支部に順法闘争等を指示し、同労組福山支部は右岡山地方本部の指導により、同月二九日、三〇日の両日にわたり、ビラ貼り闘争を企図し、施設管理者の承諾を得ることなく、右二九日には、約八〇〇枚のビラを福山駅構内の陸橋、建屋に貼付し、翌三〇日にも同程度のビラ貼りをする予定であつたこと、被告人は福山保線区に勤務し、右福山支部の組合員であるところ、同三〇日はじめて右ビラ貼りに動員され、同日午前九時過頃、ほか一〇余名の組合員とともに、岡山地方本部の向井執行委員を班長とするグループに入り、ビラ三〇数枚を携行したこと、右向井班は、福山駅構内運転本部前広場の構副九の電柱にビラ一枚を貼り、その隣の公訴事実記載の止構九号の電柱にビラ一枚を貼り、さらに、右電柱の裏側に、ほか一名の組合員が糊バケツの糊を塗布したので、被告人が所携の公訴事実記載のビラ一枚を地上約九一センチメートルの所に貼りつけたこと、この時、ビラ貼りの取締に当つていた私服の福山警察署員が現認し、無許可のビラ貼り禁止を警告したが、被告人にまで徹底しないままに、右向井執行委員ら数名の組合員が現在しているにも拘らず、被告人に対してのみ誰何し、被告人が応答しなかつたので、軽犯罪法違反の現行犯として被告人のみを逮捕するに至つたこと、被告人は国鉄保線係員として二〇年余りまじめに勤務し、前科はもとよりこの種違反により処分、取調を受けたことはなく、労組の末端の一員にすぎないのに、指揮者を始め他の組合員はすべて不問に付され、被告人のみひとり起訴されたこと、国鉄当局は、昭和二四年に、国鉄の施設に管理責任者の許可なく、文字、絵画等を記載し又は掲示することを禁止する旨部内に通達しており、これに基いて労組の行うビラ貼りは全面的に禁止し、違反者に対する取締を行つてきたこと、及び福山駅構内では職員の各詰所に一個ずつ掲示板があり、そこには組合関係の文書の掲示も許されていることがそれぞれ認められる。
二、ところで、労組の行うビラ貼りは、労使間の紛争が生じた場合に、組合員に対し、情報、宣伝を行い、労働者意識を維持、昂揚させて組合の団結を固め、使用者に対し示威し、第三者に対し理解と協力を求める等多様な目的を持つと考えられ、右目的それ自体は、労働者の権利を確保するためであるから正当である。そして、その方法は、できる限り人目につき易い場所に、注目をひく仕方で行うことが効果的であろうが、決して無制約ではなく、憲法上の権利をめぐる他のあらゆる社会活動と同様に、現在の法秩序を尊重して行わなければならない。いつたい、ビラ貼りは、労組の闘争手段として世上広く行われ、かなり重要な役割を果していることは否定できないけれども、労働者の目的を達する補助的な手段の一つにすぎず、これがなければ労組活動が成り立たない程の必要、不可欠な活動とはいえないから、他人の財産権が当然にビラ貼りを受忍すべき義務はなく、また、労働基本権或いは表現の自由といえども、労働者ないし労働組合が、他人の工作物に管理者の承諾なく自由にビラ貼りする権利までも保障していると解すべきではない。この理は、ビラ貼りの対象が労働者の所属する企業内の施設である場合にも変りないはずである。蓋し、工作物の他人性は失われていないし、労働者は、企業の本来的ないし附随的目的を達する場合のほか、管理者の明示もしくは黙示の意思に反して、企業内の施設を自由に使用しうる権利はないからである。しかしながら、労働基本権の行使は、わが国の労組が企業内組合であるため、企業内の施設をある程度利用することを余儀なくされているのが実情である。従つて、労働者が組合活動として企業内の施設を利用する場合は、その利用によつて業務の正常な運営を阻害せずまたは阻害するおそれのない限り許されるべきであり、このような施設の利用は、たとえ管理者の意思に反していても、労働者の正当な行為として違法性を欠くものと解される。右のような前提に立つて、労組の行う企業内のビラ貼り行為の正当性の要件を考えてみると、(イ)その時期は労使間の紛争が生じている期間に限られる、(ロ)その目的は労働者の権利を確保するためである、(ハ)ビラの内容、形状、貼り方は健全な社会通念に照らし相当でなければならない、(ニ)ビラを貼ることによつて施設の本来の機能を害さないし、美観を害する程度も少ない、(ホ)ビラ貼りの手段は暴力等を用いてはならず平穏でなければならない、以上の五点を挙げることができる。
三、そこで、本件について考察するに、先に認定したとおり、被告人のビラ貼りは、新賃金の要求をめぐつて国鉄労使の間に紛争が生じていた期間であり、被告人の目的は国鉄労働者の経済的地位を向上させるためであり、ビラの内容、形状、貼り方は健全な社会通念に照らし相当と認められる。そして、電柱の下の部分は、巷間では掲示、ビラ貼り等に日常利用されており、通常の利用方法であるのみならず、本件の電柱に本件の如くビラ一枚を貼つたことによつて、電柱の本来の機能が害されたものと認められないし、また、美観を害する程度も極めて少ない。さらに、ビラ貼りの手段も暴力に訴えたものでなく、平穏に行われたものである。もつとも、被告人を現行犯逮捕した警察官らの証言によると、ビラを貼れば検挙する旨被告人に警告したにも拘らず、被告人はこれを無視したというのであるが、警察官らは私服であり、現場には数名の組合員が現在しており、かつ、騒音の生じ易い駅構内であり、警告と逮捕までの間に押問答らしいものもない事実をみれば、被告人も搜査段階以来終始一貫して供述しているとおり、「警察官の警告を聞いておればビラ貼りをやめたであろう」と考えられ、警察官の警告はたんに逮捕のきつかけを作つたにすぎず、被告人にまで徹底しなかつたものと認めるのが相当である。以上の如く、被告人の本件ビラ貼りは、国鉄当局のビラ貼り等を禁止する通達に違反し管理者の承諾なく行われた行為ではあるが、前記ビラ貼りの正当性の要件をそなえ、国鉄業務の正常な運営を阻害せず、または阻害するおそれもなく、労働者の正当な行為の範囲を逸脱していないというべきである。
四、確に、国鉄のように大衆が出入りし、多数の人命を預る公企業の施設に、その目的を達する以外のビラを無鉄序に多数貼ることは、保安、美観、その他の角度から見て望ましいものではなく、企業内の労組活動といえども違法であると判定される場合も生じ易いであろうし、また、労働者の各詰所に組合関係の掲示が許されている場合には、他の施設に対するビラ貼りの必要性は、全面的に否定することにならないとしても、軽減されることにはなろう。しかし、本件の訴因は、被告人が多数のビラ貼りをしたというのではなく、公訴事実記載の如く電柱の根もとにわずか一枚のビラ貼りをした事実についてである。軽犯罪法第一条第三三号はこのような場合までも処罰する趣旨とは解されず、結局、被告人の行為は、先に説示したように、労働者の正当な行為の範囲内にあり、同法条にいう「みだりに」の構成要件に該当しないか、或いは、これに当るとしても違法性がなく、犯罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 山本博文)