福岡地方裁判所 平成3年(ワ)796号 判決 1991年12月26日
主文
一、被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物につき、福岡法務局箱崎出張所平成二年一一月二〇日受付第二四九八〇号賃借権設定登記の抹消登記手続をせよ。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
主文と同旨
二、請求の趣旨に対する答弁
1. 原告の請求を棄却する。
2. 訴訟費用は原告の負担とする。
第二、当事者の主張
一、請求原因
1. 原告は、別紙物件目録一記載の建物(以下、本件物件という。)をもと所有していたが、第一実業株式会社(以下、訴外会社という。)との間の昭和五二年九月二〇日成立の和解により、同社に本件建物の所有権の存することを認めたが、右和解により、平成二年一一月末日、訴外会社から本件建物の所有権を無償で譲り受けた。
2. 本件建物には、被告を賃借権者とする請求の趣旨記載の賃借権設定登記(以下、本件賃借権設定登記という。)が経由されている。
3. しかし、本件建物に平成二年一〇月三一日設定された右賃借権は、本件建物の一階、三階、四階を対象にしたもので、二階と五階(機械室)は対象にしていなかったものであるにもかかわらず、本件賃借権設定登記は本件建物全部に設定されている。従って、右賃借権設定登記は実体に反するものであり無効である。
4. よって、原告は、被告に対し、本件建物の所有権に基づき、右賃借権設定登記の抹消登記手続を求める。
二、請求原因に対する認否
1. 請求原因1の事実のうち、原告が本件建物をもと所有していたが、前記和解により訴外会社が本件建物の所有権者となったことは認め、その余の事実は不知。右和解条項には、訴外会社から本件建物の所有権を無償で譲り受ける相手方は「原告等」と記載されており、右条項からは本件建物の所有権を取得するのが原告であるのか、あるいは吉野三平(以下、吉野という。)なのか明らかでない。
2. 請求原因2の事実は認める。
3. 請求原因3の事実中、本件賃借権設定登記が本件建物の全部につきなされていることは認め、右賃借権の対象が本件建物の一階、三階、五階だけとすることは否認する。右賃借権の対象は本件建物のうち二階を除く全部である。
三、抗弁
1.(1) 被告は、平成二年一〇月三一日、訴外会社との間で、本件建物のうち二階を除く建物部分につき、その期間の定めのない賃貸借契約を締結した。
(2) 被告は、原告が本件建物につき所有権移転登記を具備するまでは、その所有権を認めない。
2. 本件建物は、その各階につき構造上及び利用上の独立性が認められるから区分所有の対象となし得るものであり、本件建物の二階部分とその他の部分は別個独立の不動産である。そして、原告の所有権に基づく登記請求権は実体の存する二階部分以外には及ばない。従って、裁判所は、本件建物につき区分所有の登記手続を行った上で、その二階部分についてのみ右賃借権設定登記の抹消登記手続を命ずべきである(最高裁判例・昭和三八年五月三一日・民集一七巻四号五八八頁の主旨の適用を主張)。
四、抗弁に対する認否及び主張
1. 抗弁1(1)事実のうち、被告と訴外会社との間の賃貸借契約の対象が本件建物の二階を除く部分であること、その期間の定めのないことは否認する。
右賃貸借契約の賃貸期限は昭和六五年(平成二年)一一月末日であり、右期限は到来している。
2. 抗弁2について
本件建物は、構造上及び利用上の独立性があっても当然に区分所有建物になるものではない。本件建物を区分所有建物にするか否かは、その所有権者の意思にかかるものであるから、裁判所は、所有権者の意思を無視して、前記最高裁判例が分割登記手続をした上で、実体に反した無効な登記の抹消登記手続を命じたように、本件建物につき区分所有登記手続をした上で、二階部分についてのみ右賃借権設定登記の抹消登記手続を命じることはできない。
五、再抗弁
(1) 被告は、本件建物の所有権が訴外会社から原告に承継されたことを承認した。
(2) 仮に、そうでないとしても、被告は、原告、吉野のいずれかを所有権者と認める旨の通知書(甲第八号証)を右両名宛に送付しているから、本件建物の所有権移転登記の決缺については不問に付していると言わざるを得ず、後日になって右所有権移転登記の欠缺を主張することは禁反言ないしは信義則に反する。
六、再抗弁に対する認否
再抗弁事実はいずれも否認する。
理由
一、請求原因1(本件建物の所有権の帰属)について
1. 成立に争いのない甲第一ないし第八号証及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 訴外会社は、昭和五〇年、原告及び吉野を相手方として、福岡地方裁判所に訴え(当庁昭和五〇年ワ第九五九号)を提起し、「<1>昭和四八年二月二五日、原告との間で、本件建物の建築請負契約を締結し、同年一〇月三一日右建築請負工事を完成し、原告に引き渡したが、右建築請負工事代金を担保するため、原告所有名義の本件建物と原告代表者の吉野所有名義の別紙物件目録二記載の土地(以下、本件土地という。)に、代物弁済予約を原因とする所有権移転請求権仮登記と抵当権設定登記をそれぞれ経由していたが、原告が右請負工事代金の支払(六〇回の分割払い)を遅滞したため、昭和五〇年一月一日、原告及び吉野との間で、本件土地と本件建物を右請負工事代金債務約一億四二二〇万円に対する代物弁済として譲渡する旨の合意をなした上、原告に対し、本件土地と本件建物を賃料一か月一〇〇万円で貸し渡した(右賃料を二か月分以上遅滞したときは何らの通知催告なくして右賃貸借契約を解除できるとの約定があった)。<2>訴外会社は、右代物弁済を原因として、同年一月九日、本件土地及び本件建物につき所有権移転登記を経由した。<3>原告は、右賃貸借契約に基づき本件建物を占有し、更に、その内の四階の西側半分を吉野に使用させている。<4>しかるに、原告は右賃料の支払を二か月分怠った。<5>従って、訴外会社は、原告に対し、右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。」などと主張して、「<1>原告は本件建物から、吉野は本件建物の四階西側半分から退去して本件建物を明け渡せ。<2>原告は、未払賃料六〇〇万円を支払え。」などと請求した。
(2) 右訴訟の昭和五二年九月二〇日の期日において、右当事者間において、次の内容を含む和解(以下、第一和解という。)が成立した。
<1> 原告及び吉野(以下、原告等ともいう。)は、本件土地及び本件建物が訴外会社の所有であることを認める。
<2> 原告等は、訴外会社に対し、本件土地及び本件建物の内、本件建物の一階及び三階部分については昭和五二年九月末日限り、二階部分を除くその余については同年一一月末日限り、それぞれ退去して明け渡す。
<3> 訴外会社は、原告等に対し、本件建物の内二階部分について、無償でその使用を認める。
<4> 訴外会社は、原告等に対し、昭和六五年一一月末日を以て、本件土地及び本件建物をそのときにおける現状有姿のまま無償で譲渡し、直ちに所有権移転登記手続をなす。
(3) 右和解に基づく右(2)<4>の権利を保全するため、昭和五三年一月五日、昭和五二年九月二八日の贈与予約を原因として、原告は本件建物につき、吉野は本件土地につき、それぞれ所有権移転請求権仮登記を経由した。
(4) 訴外会社と被告との間で、昭和五四年一〇月一七日、福岡簡易裁判所において、次の内容を含む起訴前の和解(同庁昭和五四年イ第一四〇号。以下、第二和解という)が成立した。
<1> 訴外会社は、被告に対し、前同日、本件土地及び本件建物(冷暖房設備等の付帯設備を含む)を代金一億五〇〇〇万円で売り渡した。
<2> 原告及び吉野が右売買契約につき異議を申立て、または、第一和解調書記載の権利以上の請求を訴外会社または被告に対してなしたときは、訴外会社と被告は協議の上、右売買契約を合意解除する。
<3> 訴外会社及び被告は、右売買契約につき、原告及び吉野の同意を得るよう相互に協力する。
<4> 昭和六五年一〇月末日までに右売買契約につき、原告及び吉野の同意を得ることができなかった場合、右売買契約は何らの意思表示を要することなく解除されたものとする。
<5> 右条項により右売買契約が解除されたときは、本件建物(右付帯設備を含む)につき、賃貸人を訴外会社、賃借人を被告とし、賃貸借期限を昭和六五年一一月末日、賃料月額七五万円とする賃貸借契約が成立するものとする。
<6> 右賃貸借契約成立後、原告及び吉野から右売買契約の承認を得た場合、右賃貸借契約は消滅し、右売買契約が復活する。
(5) 訴外会社と被告は、平成二年一〇月末日までに、右売買契約につき原告及び吉野の同意を得ることができなかったため、同日、本件建物のうち二階部分を除く建物部分及び前記冷暖房設備等の付帯設備(以下、本件建物部分と総称する。)について、次の内容を含む賃貸借契約(以下、本件賃貸借契約という。)の成立したことを確認する旨の賃貸借契約書を作成した。
<1> 賃料 月額五〇万円(共益費、消費税を含む)とし、毎月末日までに当月分を支払う。
<2> 使用目的 居住・事務所・店舗・倉庫(使用目的を変更できる)
<3> 訴外会社は、被告が本件建物部分の全部または一部について第三者に転貸もしくは賃借権の譲渡をすること、右賃貸部分の修理及び改造を行うことを承諾する。訴外会社は、被告が本件建物一階部分を有限会社「こーでる」に転貸していることを確認する。
<4> 被告が本件建物部分の全部または一部を第三者に転貸した場合、訴外会社は直接、転借人に対し賃料を請求してはならないし、また右転貸借契約が終了した場合、被告が転貸目的物の返還を受けるものとし、訴外会社は直接、転借人から返還を受けてはならない。
<5> 訴外会社は、被告に対し、平成二年一一月末日までに右賃借権の設定登記手続を行う。
(6) 訴外会社は、被告に対し、本件賃貸借契約に基づき、平成二年一一月二〇日、本件建物につき、本件賃借権設定登記を経由した。
(7) 本件土地につき、平成三年四月一八日、錯誤を原因として、訴外会社に対する前記(1)の所有権移転請求権仮登記、所有権移転登記、吉野に対する前記(3)の所有権移転請求権仮登記の抹消登記が経由され、その結果、吉野が本件土地の所有名義人に復帰した。
2. 右認定の事実によれば、第一和解の効力により、平成二年一一月末日、その当事者間においては、本件土地の所有権は吉野に、本件建物の所有権は原告に、訴外会社から譲渡されたものと認めるのが相当である。確かに、第一和解の条項によれば、本件土地と本件建物の無償譲渡先は「原告等」とあって必ずしも明確でないが、前記1(1)ないし(3)の事実から、第一和解は、建築請負代金をめぐる紛争処理のため、一時的に、吉野所有の本件土地と原告所有の本件建物の各所有権が訴外会社に譲渡されるが、右各所有権は、一定期間後はもとの所有権者に戻されることを前提に成立したもので、右権利を保全するため、本件土地については吉野、本件建物については原告にそれぞれ前記1(3)の所有権移転請求権仮登記が経由されていることが認められるから、右無償譲渡先は、本件土地については吉野、本件建物については原告と解するのが相当である(本件土地について登記簿上の所有名義人が吉野に戻されているのはこれを裏付けるものである)。従って、現在、本件建物の所有権は、訴外会社との関係においては、原告に帰属しているというべきである。
二、請求原因2の事実(本件賃借権設定登記の存在)は当事者間に争いがない。
三、そこで、抗弁1(1)(被告の右賃借権の存否及び内容)について検討するに、前記一1認定の事実によれば、第二和解により、被告は、当時の所有権者である訴外会社との間で本件建物部分につき賃貸借契約を締結し、有効に賃借権を取得したものである。そして、同和解条項によればその賃借期限は平成二年一一月末であった。しかし、本件賃貸借契約の前記条項によれば、被告は本件建物部分につき第三者に転貸することができること、平成二年一一月末日までに本件賃貸借契約につき賃借権設定登記手続をなすように定められていることなどから、訴外会社と被告は、右賃貸借契約において、第二和解に定めた賃貸期限を期間の定めのないものに変更したものと認めるのが相当である。従って、原告の右賃貸借の期限は到来したとの主張は失当である。
そうすると、被告は、本件建物部分の賃借人であるから民法一七七条の「第三者」に該当し、本来、抗弁1(2)のとおり、原告が本件建物につき所有権移転登記を具備するまでは、その所有権を認めないと主張できるものであるが、前記甲第八号証、成立に争いのない甲第一〇号証の一ないし三によれば、被告は、平成三年三月七日以後、原告及び吉野に宛てた内容証明郵便において、本件建物の所有権が第一和解により原告及び吉野(そのいずれであるかについては言及していないが)に譲渡されていることを認め、自己の本件建物部分の賃借権を右両名に主張し、原告等に対する賃料債務と本件建物の使用に関し原告等が負担すべき電気・ガス・水道料金等を被告が立替えたことによる求償債権との相殺を主張しているもので、本件建物の所有権者が右両名のいずれであってもその承継を認めて貸主として従前の賃貸借契約の継続を主張しているものと解されるから、爾後において、原告に対抗要件の欠缺していることを主張してこれを争うことは許されないというべきである。従って、原告は、本件建物の所有権を、被告に対し登記なくして主張し得るとするのが相当である。
四、ところで、本件賃貸借契約の対象は本件建物部分であるのに対し、右賃貸借契約に基づく本件賃借権設定登記は、本件建物全体を対象とするものであるから実体関係に符合しない登記として無効と考えられるところ、被告主張のように、本件建物は区分所有の実体を備えるから区分所有登記手続を経た上で、実体関係に符合しない二階部分のみの賃借権設定登記を抹消すべきか問題となる。
そこで、以下、検討するに、前記甲第一、第四、第五号証、成立に争いのない乙第一号証の一ないし五によれば、本件建物は、鉄筋コンクリート造、陸屋根五階建の一棟の建物であり、その内部は構造上の独立性と利用上の独立性を具備するものであって区分所有権の対象適格を有するものと推認することができるものである。しかし、構造上及び利用上の各独立性を有する建物の各部分が当然に専有部分として一個の建物になるのではなく、所有権者が同一であるときは、その所有権者の意思に基づいて、一棟の建物の一部分または隣接する数個の部分を一個の建物とすることができるのである。そして、建物の一部分について区分所有権が成立するのは一物一権主義の例外であるから、その旨の特別の意思表示が必要である。それ故、各専有部分につき登記がなされたときには区分所有権が成立するのは当然であるが、未登記の段階でも、専有部分に区分されて譲渡されたときはもとより、右建物全体が一人の所有権者に属している段階であっても、右所有権者が各専有部分ごとに区分して所有するという意思を外部に表示したとき(分譲マンションとして販売する旨の広告をしたとき、区分所有建物として建物の表示の登記の申請をしたときなど)には区分所有権が成立すると解すべきである。
これを、本件について検討するに、本件全証拠によっても、本件建物の所有権者は、各専有部分ごとに区分して所有するという意思を外部に表示したという事実を認めることはできない(そもそも、本件建物の一部分を賃貸する場合、その部分を特定して賃貸借契約を締結すればよく、しかも、賃貸部分の引渡しがあれば対抗力を備えることができるから、わざわざ区分所有登記の手続をして賃貸部分につき登記を備える実益に乏しい。また、訴外会社が本件賃借権設定登記手続をしたことをもって、各専有部分ごとに区分して所有するという意思を外部に表示したということのできないことはいうまでもない)。
そうすると、本件においては、裁判所はその所有権者の意思を無視して本件建物を区分所有建物とすることはできないから、本件建物につき区分所有登記手続をした上で、右賃借権の対象となっていない二階部分のみの抹消登記手続を命じることはできないというべきである。被告主張の前記最高裁判例の事案は、それぞれ所有権者の異なる主たる建物、これと別棟の独立した物置及び事務所の付属建物が登記簿の一用紙に所有権保存登記されていたが、主たる建物につき二重登記という登記抹消の原因が存した場合に、主たる建物と付属建物の分割登記手続をした上で、主たる建物のみの抹消登記手続を命じた事案であるが、主たる建物と物置・事務所は本来別個の建物であって、しかも右事案では主たる建物と付属建物とはその所有権者を異にしていたから、その分割登記手続を経た上で、無効な主たる建物の登記部分のみの抹消登記手続を命じたものであって、本件とは事案を異にするというべきである。
そうすると、本件では、前述のとおり本件建物全体につき賃借権が成立したものとして本件賃借権設定登記が経由されており、右登記に符合する実体関係は存在しないから本件賃借権設定登記は無効といわざるを得ず、原告は、本件建物の所有権に基づき、被告に対し、本件賃借権設定登記の抹消登記手続を求め得るというべきである。
五、結論
以上のとおりであって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
物件目録
一 所在 福岡市東区千早五丁目二二七八番地一四
家屋番号 二二七八番一四
種類 店舗・居宅
構造 鉄筋コンクリート造陸屋根五階建
床面積 一階 二五六・八〇平方メートル
二階 二六二・〇〇平方メートル
三階 二六二・〇〇平方メートル
四階 二六二・〇〇平方メートル
五階 六七・三〇平方メートル
二 所在 福岡市東区千早五丁目
地番 二二七八番一四
地目 宅地
地積 二七七・五二平方メートル