福岡地方裁判所 平成6年(ワ)4291号 判決 1997年2月05日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
小泉幸雄
被告
西日本鉄道株式会社
右代表者代表取締役
橋本尚行
右訴訟代理人弁護士
國府敏男
同
古賀和孝
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告が、被告に対し、雇用契約上の地位を有することを確認する。
二 被告は、原告に対し、平成五年一一月から本裁判確定に至るまで、毎月二三日限り、一か月三六万六〇八八円の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、六五万七五七〇円及びこれに対する平成五年七月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告がバスガイドに対する猥褻行為を理由として、バス運転士であった原告を懲戒解雇したところ、原告が被告に対し、右懲戒解雇理由の不存在及び解雇権の濫用(解雇手続の瑕疵を含む)を主張して右懲戒解雇の効力を争い、雇用契約上の地位の確認を求めるとともに、解雇提案期間中の夏期賞与金及び右懲戒解雇後の賃金の支払を求めている事案である。
一 争いのない事実
1 当事者
被告は、鉄道やバス等による旅客運送を営む株式会社であり、原告は、被告に雇用され、福岡観光バス営業所において観光バスの運転士として勤務していたものである。
2 M子の乗務
M子(以下「M」という。)は、平成四年三月にバスガイドとして被告に入社した者である。
原告とMはそれぞれ運転士とバスガイドとして、同五年六月二日から五日にかけて、三泊四日の日程で貸切勤務(以下「本件貸切勤務」という。)に乗務した。Mは右貸切勤務の当時未成年であった(昭和四八年六月一五日生まれの一九歳)。Mにとって原告との乗務は初めてであり、互いに挨拶をする程度の面識しかなかった。
3 本件懲戒解雇
被告は、原告に対し、平成五年一〇月二三日、被告の就業規則(以下、単に「就業規則」という。)六〇条三号「上長の職務上の指示に反抗しもしくは会社の諸規程、通達などに故意に違反しまたは越権専断の行為をしたとき」、四号「他の社員に対し暴行脅迫を加えまたはその業務を妨げたとき」及び一五号「第五九条各号の一つまたは前条に該当しその情状が重いとき」(五九条八号「社員の品位をみだし、会社の名誉を汚すような行為をしたとき」)により懲戒解雇する旨の意思表示をした(以下「本件懲戒解雇」という。)。
4 原告の給与
原告が被告から受けた平成五年四月分から同年六月分までの給与の平均月額は三六万六〇八八円である。
5 解雇提案中の者の夏期賞与金の取扱
被告は、組合に対し解雇提案中の者の賞与につき、確認書において、「25.解雇提案中の者に対する臨時給与の取扱い」として、「1、支給日には支給を一時差し止める。2、懲戒解雇、諭旨解雇に決定した時は支給しない。ただし就業規則第六〇条九号または一一号によるもの以外の場合で特に情状があるときは、労使協議により支給することがある。」と定めている。
6 労使協議会の規定の存在
被告と西日本鉄道労働組合(以下、単に「組合」という。)との間の労働協約(以下、単に「労働協約」という。)は、第九章で労使協議会について定めているところ、同協約三四条は「前条第一号から第三号までの解雇は労使協議会で決定する。」と規定し、三三条三号は「諭旨解雇または懲戒解雇処分を受けたとき」を挙げており、懲戒解雇処分については労使協議会により決定することとされている。
二 争点及びこれに関する当事者の主張
1 本件懲戒解雇の理由の有無
(一) 被告
原告は、本件貸切勤務中の平成五年六月二日の晩、バスガイドMに無理矢理キスをし、下着をたくし上げて乳房をなめる等の猥褻行為をした。
右行為は、就業規則六〇条三号、四号、一五号(五九条八号)に該当するものであり、本件懲戒解雇の理由が存在する。
(二) 原告
原告は、本件貸切勤務中にMとキスをしたことがあるが、合意の上での行為であり、本件懲戒解雇の理由は存在しない。
2 解雇権濫用の有無(解雇手続の瑕疵を含む)
(一) 原告
(1) 交通事故を起こした運転士が懲戒解雇がなされていないことに比して、本件懲戒解雇は重きに失し、解雇権の濫用として無効である。
(2) 労働協約において、組合員の解雇は労使協議会によって決定すると定められているにもかかわらず、右協議会は開催されていない。右は重大な手続的瑕疵であって、本件懲戒解雇は無効である。
(3) 夏期賞与不支給は懲戒処分としての減給処分であり、その理由は本件懲戒解雇と同一であるから、本件懲戒解雇は一事不再理の法理に反する違法・無効なものである。
(二) 被告
原告の右各主張を争う。
3 夏期賞与金不支給処分の違法性の有無
(一) 原告
被告の夏期賞与金不支給処分は、労基法九一条に反し違法である。
(二) 被告
賞与は当然に賃金とはいえず、非違行為を行った原告に不支給としても労基法九一条に反しない。
第三争点に対する判断
一 本件懲戒解雇の理由の有無
1 事実の経過
前記争いのない事実及び証拠(<証拠・人証略>)を総合すれば、以下の各事実が認められる。
(一) 原告とMは、平成五年六月二日から三泊四日の本件貸切勤務につき、第一日目である六月二日の午後八時ころ、宿泊所の旅館松月に到着し、食堂で夕食をとった。原告は夕食時からウイスキーを飲んでいたが、食堂で出されたびわを原告の部屋で食べることになり、Mは原告の部屋に入った。
(二) Mは、原告からつまみを買いに出ようと言われて共に外に出たが、店が閉まっていたので旅館に戻った。Mは、交際中の男性に電話をしたが通じなかったので、原告に挨拶をして部屋に帰ろうと思い、再び原告の部屋に入ったところ、同人はまだ飲酒していた。
Mは同僚のバスガイドから、泊まり掛けの仕事であれば、運転士の機嫌を損ねてはいけないと聞いていたので、一人で飲酒中の原告をそのままにして自室に引き上げるのを控え、同人の部屋でびわを食べていた。
(三) 原告は、しばらく飲酒を続けた後、Mの後ろに畳んである布団を枕代わりにして横になった。
その後、原告がMの手を取り、いきなり引っ張ったので、同女は重心を崩して原告の上に倒れ込むような形になった。原告は、Mに強引にキスをし、なおも、「やめてください。」と言う同女の上に馬乗りになって下着をたくし上げ、乳房に触り、首筋と胸をなめるなど、その意に反する猥褻行為をした(以下「本件行為」という。)。
(四) Mが「会社に言います。」と言うと、原告は手を止めたものの、「さみしいけん一緒に寝て」などと言ってさらにMを引き留めたが、Mはこれを断って自室に戻った。
2 原告の反論
これに対し、原告は、自分が手を差し出したところ、Mがこれを握り返し、原告の上に覆い被さってきたなど、むしろMの方が積極的であったと主張し、(証拠略)にはこれに副う部分がある。
しかしながら、右1のとおりの内容であるMの供述はそれ自体詳細かつ自然であることに加え、同人は自室に帰ってから程なく同期入社のバスガイドAに電話して本件行為を打ち明けており、右Aの聴取内容もMの供述と概ね一致していること(<証拠略>)、入社して程ないバスガイドのMが、交際中の男性がいながら、さしたる面識もない運転士の原告に積極的に誘いかけるとは考えにくく、原告自身、Mに対し「この事は二人だけのことにしとこうね。友達にも言わん方がいいもんね。」と言ったことは認めていること(<証拠略>)に照らして、(証拠略)中右1の認定に反する部分は採用できず、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。
3 本件懲戒解雇の理由の存否の検討
右1認定の各事実によれば、本件行為はバスガイドに対する猥褻行為であるが、右は貸切勤務に同乗する運転士とバスガイド相互の信頼関係を阻害するとともに、バスガイドの業務一般に対する不安を増大させ、また、表面化すれば被告の名誉・信用を低下させるものと認められる。さらに、Mが当時未成年であり、特に落ち度も認められないことからすれば、酔余とはいえ、本件行為の情状は極めて重いと評価される。したがって、本件行為は就業規則六〇条四号及び一五号(五九条八号)に該当する。
また、証拠(<証拠・人証略>)によれば、被告は、運転士に対し、再三にわたって、ガイドに対する猥褻行為禁止についての指導を行っており、原告も右指導を受けていることが認められ、本件行為は右指導に反するものであるから、就業規則六〇条三号にも該当する。
二 解雇権濫用の有無
1 実体的側面の検討
原告は、交通事故を起こした運転士が懲戒解雇されていないことに比して、原告に対する処分が重きに失すると述べて、解雇権の濫用を主張する。
しかしながら、交通事故と猥褻行為は被害法益、行為態様において異質のものであり、抽象的にその処分の軽重を論ずべきものではなく、当該具体的行為に基づき解雇権の濫用であるか否かを判断すべきである。
そこで、本件行為について検討するに、本件はバスガイドに猥褻行為をしたという事案の悪質性に加えて、運転士とバスガイド相互の信頼関係を阻害し、ひいては被告の名誉・信用を毀損するものであって、その責任は重いと評価できるから、解雇権の濫用ということはできず、この点に関する原告の主張は採用できない。
2 手続的側面の検討
原告は、本件懲戒解雇は、労働協約で定められた労使協議会の決定によらずになされており、右は重大な手続的瑕疵であり、右懲戒解雇は無効であると主張するので、以下検討する。
(一) 本件懲戒解雇の手続と労使協議会
前記争いのない事実及び証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(1) 被告は、本件行為が就業規則六〇条三号、四号及び一五号(五九条八号)に該当するとして、同規則八条七号に基づき、原告に対し、平成五年七月一日付で翌二日からの出勤禁止を命じた後、原告に対する処分として懲戒解雇を選択したうえ、労働協約三九条三項、三四条一項に基づいて、組合に対し、右処分を提案した。
(2) 組合は本件行為について独自に調査した後、被告に対して懲戒解雇を相当と判断した理由を尋ねたところ、被告は、従来からの指導教育、本件行為の悪質性及び本件行為後の原告の反省の程度について説明し、懲戒解雇相当との回答をした。
(3) 組合は右回答を受けて再度検討し、平成五年一〇月二二日、中央執行委員会の承認という機関決定の後、原告の懲戒解雇を承認する旨の回答をした。そこで、被告は翌日付で本件懲戒解雇をなした。
ところで、前記争いのない事実によれば、労働協約は第九章で労使協議会について定めているところ、同協約三四条は「前条第一号から第三号までの解雇は、労使協議会で決定する。」と規定し、三三条三号は「論旨解雇または懲戒解雇処分を受けたとき」を挙げており、懲戒解雇処分については労使協議会により決定することとされているものであるが、本件懲戒解雇の手続において、労使協議会は開かれていない。
(二) 労働協約違反の有無と本件懲戒解雇の効力
労働協約二〇二条は、労使協議会制度の目的について「協約の運用を円滑にし、紛議の予防調整をはかり、会社と組合相互の関係を円滑にするため」と定めているが(<証拠略>)、この趣旨は、労使協議会制度を人事の事前協議制として機能させ、会社と組合の関係を円滑化することにあると認められる。
そして、労使協議会への付議事項が労使の一方からの提案によって上程されるという構造をとり、決議の方法について具体的に定められていないことからすれば、右にいう労使協議会の「決定」とは、労使による意見の一致を意味するものと解すべきである。
したがって、正式に労使協議会を開くことなく行われた懲戒解雇処分であっても、その前段階として組合に対する提案がなされ、これに関する組合の独自調査、会社への質問と会社の応答など、実質的に協議が行われたと評価できる過程を経て、組合による同意がなされた場合は、右懲戒解雇に関する労使間の意見の一致を労使協議会の決定に代えたとしても、事前協議制としての労使協議会制度の趣旨に反するとまではいえず、右懲戒解雇の効力に影響を及ぼすものではないと考えられる。
これを本件懲戒解雇についてみれば、被告の組合に対する原告の懲戒解雇の提案から組合の質問、被告の回答という一連の経過は、実質的に協議が行われたと評価するに足りるものであり、最終的に組合による承認があったのであるから、右をもって労使協議会の決定に代わるものと解すべきである。
よって、右の観点からも本件懲戒解雇が無効であるとまではいえない。
3 一事不再理の主張については、夏期賞与金不支給処分の効力と関連するので、三において一括して判断することとする。
三 夏期賞与金不支給処分の効力
原告は、夏期賞与も労働の対価であり、賃金としての性質を有しているから、夏期賞与金の不支給は懲戒処分としての減給に該当し、労基法九一条に反する違法なものであると主張し、また、仮に右不支給が適法であれば、その懲戒理由は本件懲戒解雇の理由と同一であるから、本件懲戒解雇は一事不再理の法理に反し、違法・無効であると主張するので、以下検討する。
1 本件夏期賞与金に関連する規定
証拠(<証拠略>)によれば、被告の就業規則が「社員の給与に関する事項は、別に定める給与規則による。」(五三条)と定めていること、及び、労働協約が「会社が第四九条に基づいて組合員の出勤または就業禁止をしたときはその期間中、平均賃金の一〇〇分の六〇を保障する。」(一七二条)と定めていることがそれぞれ認められる。
他方、前記争いのない事実のとおり、会社と組合の間の確認書においては、「解雇提案中の者に対する臨時給与の取扱い」として、「1 支給日には支給を一時差し止める。2 懲戒解雇、論旨解雇に決定したときは支給しない。ただし、就業規則第六〇条九号または一一号によるもの以外の場合で特に情状があるときは労使協議により支給することがある。3 2以外の処分に決定したときは支給する。」と定められており、右臨時給与には夏期賞与金が含まれると解されることから、右確認書の条項と労働協約及び就業規則(給与規則)との関係が問題となる。
2 解雇提案中の者に対する夏期賞与金の性質
賞与といえども、労働協約、就業規則などの規定に従って支給が具体化されたものは労働の対償となった賃金といえるのであるが、支給するか否か、額、算定方法などが使用者の裁量に委ねられ、具体化されていない段階では未だ賃金としての性質を有していないというべきである。
これを本件についてみるに、確認書25の規定は、解雇提案中の者に対する臨時給与については労働協約及び就業規則(給与規則)に定める給与ないし賃金と別に取扱い、支給自体の有無、支給額、その算定方法等についての被告の裁量権を留保することを定めたものと解するのが相当である。
したがって、出勤禁止を命じられ解雇提案中であった原告の夏期賞与金は、未だ賃金としての性質を有するに至っておらず、確認書の定めに従って右賞与金の支給をしなかったとしても労基法九一条違反の問題は生じないと考えられる。
また、同様に右賞与金の不支給は給与の減額とはいえず、夏期賞与金の不支給処分自体が懲戒処分としての性質を帯びるものでもないから、不支給が本件行為を理由とするものであったとしても、本件懲戒解雇との間で一事不再理の問題を生じないことも明か(ママ)である。
よって、夏期賞与金に関連する原告の主張はすべて採用できない。
第四結論
以上のとおり、本件懲戒解雇を無効とする事情はなく、原告の被告に対する労働契約上の地位は存在しないから、本件懲戒解雇後の原告の被告に対する賃金支払請求権も認められず、夏期賞与金の支払請求権が存在しないことも右のとおりであるから、原告の請求はいずれも理由がない。
(裁判長裁判官 草野芳郎 裁判官 岡田治 裁判官 杜下弘記)