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福岡地方裁判所 平成7年(ワ)2613号 判決 1998年12月24日

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載一及び二の土地建物についてされた別紙登記目録記載の根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

一  事案の要旨

本件は、原告が別紙物件目録記載一及び二の土地建物(以下「本件土地建物」という。)の所有権に基づき、被告に対し、本件土地建物にされた別紙登記目録記載根抵当権設定登記(以下「本件根抵当権登記」という。)の抹消登記手続を求めた事案である。

二  争いのない事実等(証拠によって認定した事実については、末尾に証拠を摘示した。)

1  原告は、昭和四五年五月二二目、本件土地建物を前所有者から買受けて、以来これを所有していた。(甲四の一、二、証人黨澄子)

2(一)  本件土地建物には、福岡法務局平成二年二月一五日受付第六五五八号をもって、同日付売買(以下「本件売買」という。)を原因として、原告から訴外今岡義弘(以下「今岡」という。)に対する所有権移転登記(以下「本件所有権登記」という。)が経由されている。

(二)  今岡は、平成二年二月二二日、本件土地建物を、訴外日本セントラルコマース株式会社(以下「セントラルコマース」という。)に売渡し、福岡法務局同年三月二三日受付第一三八四二号をもって、同日付売買を原因として今岡からセントラルコマースに対する所有権移転登記を経由した。(今岡とセントラルコマースとの売買の事実につき、甲四九)

(三)  被告は、平成二年八月三一日、セントラルコマースに対し三〇〇〇万円を融資し、その担保としてセントラルコマースから本件土地建物について極度額三〇〇〇万円の根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)の設定を受け、福岡法務局同年九月一一日受付第四三二五二号をもって、本件根抵当権登記を経由した。(根抵当権設定の経緯につき、乙二、三)

3  原告は、原告から今岡への本件売買は原告の錯誤により無効であると主張し、セントラルコマースに対して、平成四年五月九日、福岡地方裁判所に真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続請求事件(平成四年(ワ)第一一二三号)を掲記し、同年八月五日、原告勝訴の判決を得た。

セントラルコマースは、控訴(福岡高等裁判所平成四年(ネ)第七三七号)したが、平成七年七月一九日、控訴棄却の判決がされたため、上告(平成七年(オ)第二〇六二号)したが、平成七年一二月一五日、上告棄却の判決がされた。(上告棄却の判決につき、甲五四)

三  争点

1  本件売買は原告の錯誤により無効か

(原告の主張)

(一) 原告妻黨澄子(以下「澄子」という。)は、本件土地建物に単独で居住していたが、平成二年一月末ころ、知人の今岡から「地上げ屋のため澄子にどのような危害が及ぶかもしれず、危険を避けるため本件土地建物の登記名義を形式だけ自分(今岡)に移してはどうか。」ともちかけられ、澄子及び原告もこれに同意し、同年二月一五日、原告から今岡への本件売買を仮装して、本件所有権登記を経由した。

今岡は、当初から原告を欺罔して本件土地建物を詐取し、これを転売して利益を図る意図であったが、右の意図を秘し、原告に対し、澄子を地上げ屋から守るために登記名義のみを今岡に移転するという虚偽の事実を申し向け、右事実を真実と誤信した原告が本件土地建物の仮装売買に応じたものであるから、原告の売却の意思表示には、その動機に錯誤があり、かつ右の動機は今岡に表示されたから、本件売買は法律行為の要素に関し錯誤があったもので無効である。

したがって、本件土地建物の所有権は原告にあり、本件所有権登記は無効であるから、所有者でないセントラルコマースによってされた本件根抵当権設定は無効であり、これを原因とする本件根抵当権登記も無効である。

(二) よって、原告は、被告に対し、本件土地建物の所有権に基づき、本件根抵当権登記の抹消登記手続をすることを求める。

(被告の主張)

原告は、登記名儀を一時的に今岡に移転し、その後澄子へ移転するか、又は今岡が本件土地建物を第三者に売却してその売却代金を澄子に渡すかはいずれでも良いと考えて(どちらかといえば後者を予定して)、今岡との間で本件売買を仮装して本件所有権登記を経由したもので、その主眼は、今岡に登記名儀を移せば同人が澄子の利益になるよう適宜取りはからってくれるであろうという点にあり、原告の動機において澄子を地上げ屋から守るということはきわめて希薄であった。原告には、売買契約という形式により虚偽の外観を作出するということについては、そのとおりの効果意思が存在したから、原告には、何ら錯誤はない。

原告は、今岡を信頼し、本件売買名下に本件所有権登記を経由したところ、結果的に今岡に裏切られたにすぎず、今岡の行為が詐欺にあたること、本件売買が虚偽表示であることは格別、本件売買について原告に錯誤があったとはいえない。

2  被告が善意の第三者として保護されるべきか

(被告の主張)

(一) セントラルコマースは、今岡が本件土地建物の所有者であると信じてこれを買受け、被告もまたセントラルコマースが本件土地建物の所有者であると信じて同社に融資を行い、その担保として本件根抵当権設定を受け、その旨の登記を了した。

仮に本件売買について原告に錯誤があったとしても、本件売買は同時に今岡の詐欺によるものであるから、原告は錯誤による無効と詐欺による取消の二重効を主張できるものであり、このような立場にある原告が、錯誤による無効のみを主張した場合には、善意の第三者を保護するための民法九六条三項が類推適用されるべきである。

したがって、セントラルコマースは善意の第三者として本件土地建物の所有権を有効に取得したから本件根抵当権設定も有効であり、仮にセントラルコマースが善意の第三者として保護されないとしても、被告は善意の第三者であるから、本件根抵当権設定は有効である。

(二) 不動産について真正の権利と異なる外観が真実の権利者の意思に基づいて作出された場合は、当該外観を信頼して利害関係に入った善意の第三者は、民法九四条二項の類推適用によって保護される。原告は自己の意思に基づいて、本件売買名下に本件所有権登記を作出したもので、これを信じて本件土地建物を買受けたセントラルコマースは、民法九四条二項ないしその類推適用により保護されるから、被告のした本件根抵当権設定も有効である。

仮にセントラルコマースが保護されないとしても、セントラルコマースの有する所有権移転登記を信頼してされた被告の本件根抵当権設定は民法九四条二項の類推適用により有効である。

第三  当裁判所の判断

一  争点1(原告の錯誤)について

1  第二の二1、2(一)の事実及び証拠(甲五ないし一〇、一三、一六、四七、四八、乙一の1ないし6、証人吉原正典、同黨澄子、原告本人)によれば、本件所有権登記がされた経緯は、次のとおりであることが認められる。

(一) 原告所有の本件土地建物(福岡市博多区住吉四丁目所在)には、昭和六〇年ころから、原告の妻澄子が単身で居住していたが、澄子は平成二年一月中旬ころ、近隣から本件土地建物付近にいわゆる地上げ屋が横行しているとの話を聞き不安に思い、同月末ころ、かねてから、同女が被害を受けた交通事故の示談や、商品購入についてのローンの支払いをめぐるトラブルなどについて相談していた知人の今岡に対し、本件土地建物付近に地上げ屋が横行しているらしい旨を漏らしたところ、今岡は、同月末ころ、澄子に対し、「本件土地建物の登記名義が今のままであると地上げ屋のために澄子にどのような危害が及ぶかも分からない。そのような危険を避けるために、本件土地建物の登記名義を自分(今岡)移しておけばどうか。」ともちかけ、澄子はこれに同意した。

(二) 平成二年二月八日、今岡及び澄子らは、今岡への所有権移転登記申請手続のため司法書士の事務所に赴いたが、本件土地建物の登記簿上の所有名義人が澄子ではなく、原告であったために、手続を進めることができなかった。

(三) その後澄子は、澄子と別居して北九州市に居住している夫の原告に対し、前記(一)のいきさつを話したところ、原告はいずれ本件土地建物の所有権を妻澄子に譲渡しようと考えていたことから、澄子が今岡を信頼しているのであれば手続に協力しようと思い、地上げ屋から澄子を守るために本件土地建物の登記簿上の所有名義人を形式上今岡に移転することに同意し、本件売買があったように装うことにして、同月一五日、原告、澄子、今岡の三人で別の司法書士事務所に赴き、代金額その他の約定については何ら定めることなく、今岡に対する本件所有権登記申請手続を右司法書士に委任し、その結果本件売買を原因とする本件所有権登記が経由された。

2(一)  右1で認定した事実及び今岡が本件所有権登記を受けてからわずか一週間の後に本件土地建物をセントラルコマースに転売した事実(第一の二2(二)の事実)からすると、今岡は当初から澄子及び原告を欺岡して本件土地建物を詐取し、これを他に転売して不法な利益を得る意図を有していながら、右意図を秘し、原告に対し、澄子を地上げ屋から守るために登記名義のみを今岡に移転するとの虚偽の事実を申し向けて、澄子及び原告を欺いたものと認めることができる。

そして、原告は、今岡が真実を述べているものと誤信し、その結果、今岡と合意の上で、澄子を地上げ屋から守る目的で本件土地建物の登記簿上の所有名義人を形式上今岡に移転するため、本件売買を仮装して本件所有権登記を経由したもので、原告が今岡の真実の意図を知っていれば、本件売買及びこれに基づく本件所有権登記に応じなかったであろうことは明らかである。

(二)  そうすると、原告は、地上げ屋から澄子を守るためにすると誤信し、その動機で、本件売買を仮装して登記簿上の所有名義人を形式上今岡に移転したのであるが、実際には、今岡には、地上げ屋から澄子を守る意図はなかったのであり、原告はこのことを知らなかったのであるから、原告の売却の意思表示には、その動機に錯誤があると認めるのが相当である。

そして、右の動機は、今岡の発案に起因するものであり、同人も十分知っているところであって、同人に表示されているといえるから、右の動機の錯誤は法律行為の錯誤となるが、原告に右の動機の錯誤がなかったならば、換言すれば、今岡が本件土地建物を詐取する意図の下に、澄子を地上げ屋から守るために本件売買を仮装して本件所有権登記を経由するという虚偽の事実を申し向けたものであることを知っていれば、原告はもとより、通常人においても売却の意思表示をしなかったであろうといえるから、右の錯誤は原告の売却の意思表示の重要な部分に関する錯誤として、法律行為の要素に関する錯誤にあたるというべきである。

(三)  被告は、原告には売買契約という形式を仮装して本件所有権登記を作出することについては原告の効果意思があったから、原告には錯誤はないと主張する。

確かに、原告が売却の意思表示をするにあたり、表示から推断される意思としては、原告と今岡との間で本件売買を仮装して本件所有権登記を経由するというものであることは被告主張のとおりであるけれども、右(二)のとおり、原告の真意は、澄子を地上げ屋から守るためという動機の下に本件売買を仮装して本件所有権登記を経由するというものであって、前記1で認定した事実によれば、被告主張のように、原告の右の動機は希薄であり、原告が、登記名儀を一時的に今岡に移転し、その後澄子へ移転するか、又は今岡が本件土地建物を売却してその売却代金を澄子に渡すかはいずれでも良いと考えて本件売買を仮装して本件所有権登記を経由したとはいえないから、右の表示から推断される原告の意思と原告の真意との間に不一致があることは明らかである。

そして、右の動機が表示され、今岡はこれを知っていたのであるから、右の動機の錯誤は、法律行為の内容の錯誤となるもので、その錯誤の内容からすれば、前記(二)のとおり、法律行為の要素に関する錯誤にあたると認定するのが相当である。この点に関する被告の主張は採用できない。

二  争点2(善意の第三者保護)について

1  右一でみたところによれば、原告の本件売買における売却の意思表示には、法律行為の要素に関して錯誤があったものであるが、同時に今岡の欺岡行為によってされたものであるから、詐欺による意思表示といえ、また、今岡による詐欺及び原告の錯誤の結果、原告と今岡は本件売買を仮装したのであるから、本件売買は通謀虚偽表示にも該当するものといえる。

2  ところで、ある意思表示が錯誤により無効であり、同時に詐欺により取り消されるべきものであるとした場合、右の錯誤による無効または詐欺による取消の制度は、いずれも表意者保護のために認められたものであるから、表意者が錯誤、詐欺のいずれか一方または双方を主張するかどうかは、表意者の自由な選択に委ねられていると解するのが相当である。

そして、表意者が錯誤による無効のみを主張した場合には、右の無効を第三者に対しても主張することができ、詐欺による取消の場合の善意者保護規定である民法九六条三項の適用ないし類推適用をすることはできないと解される。

けだし、右の場合には、民法九六条三項の適用を認める明文の規定が存しない上、民法が錯誤による無効の場合に善意の第三者を保護する規定を設けなかったのは、この場合には表意者の意思表示の瑕疵の程度が詐欺の場合に比して重大であり、善意の第三者よりも錯誤に陥った表意者を保護する必要が高いものと解されるが、そのように解することにも十分な合理性があるといえるからである。

したがって、被告主張のように、ある意思表示が錯誤にも詐欺にも該当する場合には、民法九六条三項を類推適用すべきであるとする解釈はとりえないというほかはない。

3  そして、この理は、表意者が錯誤に陥った結果通謀虚偽表示をした場合でも同様であるから、原告が錯誤による無効を主張している場合に、それが同時に通謀虚偽表示にあたるからといって、民法九四条二項を適用ないし類推適用することはできないというべきであり、この点に関する被告の主張も採用できない。

もっとも、被告主張のように不動産について真実の権利と異なる外観が真実の権利者の意思に基づいて作出された場合、当該外観を信頼して利害関係に入った善意の第三者は、民法九四条二項の類推適用により保護されるとする余地はあるけれども、右の法理は、外観を信頼した第三者の犠牲のもとに、自らの意思で外観を作出した帰責性のある本人を保護すべきではないという趣旨に基づくものと解されるところ、本件では、本件所有権登記がされたのは、原告が今岡に欺罔され、錯誤に陥ったことによるものであることは前記一2のとおりであって、原告に右の法理を適用すべき帰責性は認められないから、民法九四条二項を類推適用することはできない。

4  したがって、セントラルコマースが本件土地建物が今岡の所有であると信じてこれを買受けしたとしても、あるいは被告が本件土地建物がセントラルコマースの所有であると信じて本件根抵当権設定を受けたとしても、原告から今岡への本件売買が原告の錯誤によるものとして無効であり、今岡が本件土地建物の所有権を有しない以上、セントラルコマースが所有権を取得することはないし、被告の本件根抵当権設定も無効であるというほかはない。

三  結論

以上の説示によると、本件土地建物は原告の所有であり、セントラルコマースの所有ではないから、被告がセントラルコマースを所有者としてした本件根抵当権設定及びこれに基づく本件根抵当権登記は無効であるというべきである。

よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。

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