福岡地方裁判所 平成7年(ワ)4338号 判決 2000年3月13日
原告 亡A
訴訟承継人 X3 ほか二名
被告 国 ほか一名
代理人 佃美弥子 齊藤一道 飯塚浩昭
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、原告X3に対し、連帯して金六二七万円及びこれに対する平成八年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告X2に対し、連帯して金六四三万七〇九〇円及びこれに対する平成八年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告らは、原告X1に対し、連帯して金八八〇万円及びこれに対する平成八年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件の発端となった事件は、原告X1(以下「原告X1」という。)が、別紙一<略>記載の収賄罪の容疑により逮捕され、別紙二<略>記載の事実により起訴された刑事事件(以下「本件X1事件」という。)である。
原告X1は、本件X1事件第一審において、公訴事実中、賄賂の授受があったとされる昭和六三年三月一七日(起訴状公訴事実の犯行日の記載は別紙二<略>のとおり「昭和六三年三月一七日ころ」とされているが、検察官は、冒頭陳述において、犯行日を「昭和六三年三月一七日」と特定して主張している。)に、JR天道駅前の万福食堂(以下「万福食堂」という。)で食事をしていたというアリバイを主張し、証拠として、右主張に沿う内容が記載された原告X2(以下「原告X2」という。)作成の日記帳(以下「本件日記帳」という。)及び昭和六三年の衆議員手帖(以下「本件手帖」という。なお、本件日記帳及び本件手帖をまとめて「本件日記帳等」という。)を提出した。また、原告X3の被相続人亡A(以下「亡A」という。)及び原告X2は、本件X1事件の公判廷において、証人として出廷し、宣誓の上、原告X1の右主張に沿う証言をした。本件日記帳には、改変と見られる異常な糊付けがあり、本件X1事件第一審は、右糊付けの存在等を理由として、本件日記帳の信用性を疑い、これに沿う内容の本件手帖の記載内容並びに亡A及び原告X2の証言の信用性を排斥して、原告X1を有罪とする判決(以下「X1事件原審判決」という。)をしたが、原告X1はこれを不服として控訴し、控訴審において無罪判決(以下「X1事件控訴審判決」という。)を受け、右判決は確定した。
一方、亡A及び原告X2は、別紙三<略>記載のとおり、本件日記帳に係る証拠湮滅罪及び本件X1事件における前記証言に係る偽証罪の容疑により逮捕、勾留された後、亡Aは、起訴猶予の処分を受け(以下、亡Aに対する被疑事件を「本件X3事件」という。)、原告X2は、別紙四<略>記載の事実により、起訴されたが、(以下、原告X2に対する刑事事件を「本件X2事件」という。)、第一審で無罪判決(以下「X2事件判決」という。)を受け、検察官の控訴及び同取下げを経て、右判決は確定した。
本件は、原告らが、本件日記帳の異常な糊付けは、原告X2によるものではなく、福岡地方検察庁検事であり、本件X1事件の公判立会検察官であった谷岡孝範検事(以下「谷岡検事」という。)が本件X1事件第一審を担当した福岡地方裁判所第二刑事部(以下「地裁第二刑事部」という。)から本件日記帳を借り出し、同庁検事であり、本件X1事件の主任捜査検察官であった石井政治検事(以下「石井検事」という。)に引き渡し、石井検事が福岡県警察本部科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)の古賀秀技術吏員(以下「古賀吏員」という。)にこれを預けている間に生じたものであるとした上、地裁第二刑事部の金山薫裁判長(以下「金山裁判長」という。)の違法行為として、本件日記帳を違法に貸し出し、本件日記帳が改ざんされる機会を作ったという事実、地裁第二刑事部の違法行為として、本件日記帳の糊付け等の改変の跡が公判提出前に存在したものであることは証拠調べの結果明らかである旨の事実に反する認定をして原告X1に有罪判決を言い渡したという事実、石井検事の違法行為として、本件日記帳を違法に科捜研に預け、本件日記帳が改ざんされる機会を作ったという事実並びに亡A及び原告X2が本件日記帳を改ざんしていないことを知りながら、又は重大な過失により知らずに右両名を逮捕、勾留し、原告X2を起訴したという事実、科捜研の古賀吏員及び若松豪吏員(以下「若松吏員」という。)の違法行為として、自ら本件日記帳に異常な糊付けを行い、もしくは、第三者が行うことができる状況で本件日記帳を保管した事実をそれぞれ主張し、被告らに対し、共同不法行為の関係にあるという右各違法行為(ただし、亡A、原告X2及び原告X1それぞれに対する違法行為の特定は、後記三2ないし4の各(原告らの主張)のとおり。)による損害賠償として、慰謝料、刑事弁護費用及び本訴弁護士費用の連帯支払を求めた事案である。
二 争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実(認定に供した証拠は、適宜文中に掲げた。)
1 当事者
(一) 亡Aは、本件X1事件発生当時、福岡県失業者労働組合連合会(以下「福失連」という。)会長及び福岡県稲築町議会議員の職にあった。
(二) 原告X2は、当時、福失連の事務局次長として、亡Aの直属の部下の地位にあった。
(三) 原告X1は、当時、特別地方公共団体(一部事務組合)である福岡県稲築町ほか三か町衛生施設組合(以下「本件組合」という。)の局長の職にあった。
(四) 亡A及び原告X2と原告X1及びその妻B(以下「B」という。)とは、当時、親しく交際していた。
2 本件X1事件の発生及び同事件の経緯
(一) 原告X1は、本件組合の局長として、同組合第二清掃センター(し尿処理施設。以下「本件清掃センター」という。)の昭和六三年度運転管理業務を委託する業者の調査、選定等の職務に従事していた。
(二) 原告X1は、平成二年五月一二日、別紙一<略>記載のとおり、C(以下「C」という。)から前記本件清掃センターの運転管理業務の委託業者として選定されるなど有利な取り計らいを受けた謝礼等の趣旨のもとに現金二〇万円の供与を受けたとの疑いで通常逮捕され、同月一四日、勾留の裁判を受け、同年六月二日、別紙二<略>記載の公訴事実(収賄罪)により起訴された。本件X1事件は、地裁第二刑事部に係属し、同月八日、合議体で審理及び裁判する旨決定された(裁判長は金山裁判長)。
(三) 本件X1事件の審理等の経過は、概要以下のとおりであった。
(1) 平成二年六月二一日、第一回公判(以下、特に断らないで公判の回数を示すときは、第一審の回数を指す。)が開かれた。検察官は、冒頭陳述において、本件X1事件の公訴事実中、原告X1がCから現金二〇万円の供与を受けた日について、「昭和六三年三月一七日ころ」とされていたものを、「昭和六三年三月一七日」と特定して主張した。
(2) 本件X1事件における原告X1の弁護人徳永賢一弁護士(以下「徳永弁護士」という。)ら(以下「本件X1事件弁護人」という。)は、原告X1のアリバイ証拠として、同年八月三一日、期日外で本件日記帳等の証拠調べを請求した。本件X1事件の公判立会検察官であった谷岡検事は、同年九月三日、本件日記帳等を徳永弁護士から借り受け、翌同月四日、返還した。
(3)ア 本件日記帳には、原告X1がCから現金二〇万円の供与を受けたとされる昭和六三年三月一七日の欄に、別紙五<略>のとおりの記載があり、右記載中の「ホルモン店」は万福食堂、「田中局長」は田中実、「正司」は花元正司、「私達2人」は原告X2及び亡Aをそれぞれ指すところ、右記載が真実であれば、検察官において犯行日時と主張する同日午後六時ころ、原告X1が、犯行場所とされる同人の自宅ではなく、万福食堂にいたことになり、同人のアリバイが成立する状況であった。
また、本件手帖にも、同日の欄に、午後四時すぎより天道駅前ホルモン店において、田中実、石見美津子、花元正司、原告X2、亡Aが、原告X1及びCに会った旨の記載がある。
イ 本件日記帳に使用されたノートは、糸を使用しない無線綴じの方法により製本されており、B4大の用紙の中央にミシン目を付けて、そこから二つ折りに畳んだもの(以下「枚葉」という。)を五〇組重ねて糊で背固めして背クロスを巻いた構造になっていた。
後記(5)の平成二年九月二五日の時点で、本件日記帳は、綴じ部に変形が生じていて、表紙が裏表紙より全体に右に歪んだ状態になっており、また、枚葉間の糊付けについて、昭和六三年三月一七日欄の記載のある組の用紙(以下「本件枚葉」という。)の一組前の用紙(以下「前枚葉」という。)まで及び本件枚葉の一組後の用紙(以下「次枚葉」という。)以降は、通常の幅の糊付け状態であったが、本件枚葉と前枚葉との間では、上方から中央部にかけて最大約八ミリメートルという異常な幅で接着されていて、前後の頁の罫線が重なった状態になっており、本件枚葉と次枚葉との間では、中央付近で約一一ミリメートルというこれまた異常な幅で糊付けされており、前後の頁の罫線が重なる状態となっていた。
なお、本件日記帳は、本来五〇組の枚葉で一〇〇枚綴りであり、当時九七枚しかなかったが、途中で三枚が剥ぎ取られた痕跡があることから、枚数について不自然なところはなかった(以下、本件日記帳の右糊付けをまとめて「本件異常な糊付け」という。)(<証拠略>)。
(4) 同年九月一三日、第四回公判が開かれ、地裁第二刑事部は、亡A及び原告X2の証人尋問を行うとともに、本件X1事件弁護人から刑事訴訟法三二三条三号の証拠物たる書面として証拠調べ請求のあった本件日記帳等を採用して、取調べの上領置した。
亡A及び原告X2は、宣誓した上、それぞれ、本件日記帳の前記記載とほぼ同旨の別紙三<略>、同四<略>記載の証言をした。
(5) 本件X1事件の公判立会検察官であった谷岡検事は、同月一八日、本件日記帳等を地裁第二刑事部から借り出し、同日これらを石井検事に交付した。
石井検事は、本件日記帳等を科捜研に持参し、同研究所文書心理課の古賀吏員に対し、筆記用具の異同等に関する鑑定を依頼し(<証拠略>)、古賀吏員は、同課の若松吏員とともに、本件日記帳等の鑑定を行った。
古賀吏員は、同月一九日、石井検事に対し、本件異常な糊付けを発見した旨報告した。
同月二五日、本件日記帳等は地裁第二刑事部に返還された。
(6) 地裁第二刑事部は、平成三年五月九日、原告X1に対し、懲役一〇月、執行猶予三年、追徴金二〇万円の有罪判決(X1事件原審判決)を言い渡した。
(7) 原告X1は、右判決を不服として控訴を申し立て、福岡高等裁判所は、平成七年六月二一日、右判決を破棄して、原告X1に対し無罪の判決(X1事件控訴審判決)を言い渡し、右判決は、同年七月六日確定した。
3 本件X3事件及び本件X2事件の発生及び右事件の経過
(一) 亡Aは、平成二年一一月一四日、別紙三<略>記載のとおり、原告X2との共謀による本件日記帳に係る証憑湮滅罪及び前記2(三)(4)の証言に係る偽証罪の疑いで通常逮捕され、同月一五日、勾留の裁判を受け、同年一二月四日、処分保留のまま釈放され、平成三年三月二九日、起訴猶予とされた。
(二) 原告X2は、平成二年一一月一四日、別紙三<略>記載のとおり、本件X3事件と同旨の証憑湮滅罪及び偽証罪の疑いで通常逮捕され、同月一五日、勾留の裁判を受け、同年一二月四日、別紙四<略>記載の事実を公訴事実とする証憑湮滅罪及び偽証罪により起訴された。
(三) 平成三年一月一八日、原告X2の保釈許可決定がなされ、同月二三日、原告X2は釈放された。
(四) 本件X2事件を担当した福岡地方裁判所第三刑事部は、平成六年一一月二八日、原告X2に対し、無罪の判決(X2事件判決)を言い渡した。
(五) 検察官は、右判決を不服として、同年一二月九日、控訴を申し立てたが、平成七年七月四日、検察官が控訴を取り下げたため、X2事件判決は確定した。
4 被告国は、公権力の行使として福岡地方裁判所及び福岡地方検察庁を設置、管理、運営し、裁判及び検察事務の公務に同被告の公務員を従事させている。
被告福岡県は、公権力の行使として福岡県警察本部を設置、管理、運営し、警察事務の公務に同被告の公務員を従事させている。
5 亡Aは、平成一〇年一〇月一六日に死亡し、子である原告X3は、平成一一年四月一九日、その余の相続人らとの遺産分割協議により、本訴において亡Aが主張していた損害賠償請求権を単独で相続した(<証拠略>)。
三 争点
1 本件異常な糊付けの発生時期及び作成主体について
(原告らの主張)
(一) 本件異常な糊付けは、以下の点から平成二年九月一三日の本件X1事件の第四回公判後に発生したことが明らかである。
(二) 本件日記帳中、本件異常な糊付けが存する部分は、本件X1事件第四回公判において右日記帳が地裁第二刑事部に領置されるまでの間に、徳永弁護士により数回コピーされているが(<証拠略>)、本件異常な糊付けの存在を推認させるような映像は、右コピーには写っていない(右糊付けがあるとすれば、その痕跡は顕著に現われるはずである。)。また、本件日記帳は、右コピーの後は本件X1事件第四回公判後地裁第二刑事部に領置されるまで徳永弁護士により同弁護士事務所の金庫内で保管されており、この期間に右糊付けが生じたとは考えられない。
そして、本件X1事件において、本件X1事件弁護人が、平成二年八月三一日、期日外で本件日記帳等の証拠調べを請求した後、谷岡検事は、同年九月三日、本件日記帳等を徳永弁護士から借り受け、翌同月四日、これらを同弁護士に返還しており、石井検事及び谷岡検事は、その間本件日記帳の外形的な不自然さを含めて丹念に点検したはずであるのに、本件X1事件における原告X2に対する反対尋問では、本件日記帳の外形的不自然さは全く触れていないこと、本件日記帳について本件X1事件弁護人が刑事訴訟法三二三条三号に基づいて証拠調べを請求した際、検察官は異議を述べたが、異議の理由として本件異常な糊付け等に関する主張は全くしていないことなどからして、本件X1事件第四回公判の時点において本件異常な糊付けが存在していたと仮定すると、石井検事らには、右異常な糊付けを発見するための十分な機会があったにもかかわらず、これを発見できなかったことになり、いかにも不自然であって、むしろ、本件X1事件の第四回公判に証拠として提出された時点において、右異常な糊付けが存在していなかったため、検察官が右異常な糊付けを発見できなかったと考える方が自然である。
(三) 被告国は、本件日記帳は、右コピー時までに第一次的に本件枚葉等の差替えによる偽造が行われており(以下「一次改変」という。)、右コピー後、糊付けが剥がれるなどして偽造部分が明らかとなったことから、本件X1事件第四回公判までの間に第二次的に本件異常な糊付けが行われた(以下「二次改変」という。)旨主張する(以下、被告国の右主張を「二段階改変説」という。)。
しかし、二段階改変説によったとしても、本件X1事件第四回公判において、検察官が本件日記帳を手に取るなどした際に、本件異常な糊付けが発見されなかったのは不自然である。そして、本件日記帳のうち本件枚葉と次枚葉との間の下辺の上約四・五センチメートルからその上部約七センチメートルの間において、山線の部分で接合していること、本件枚葉についての異常な糊付けがなされる直前の時点において前枚葉と本件枚葉、本件枚葉と次枚葉の各山線の下方部分の山線は、前記以外の部分においても互いに接合し、かつ背クロスに接合していた蓋然性が高いこと、本件枚葉が他の枚葉と同一のロットで製造された可能性が高いことから考えると、本件枚葉は本件日記帳が製造された時点からその一部を構成しており、公判廷に証拠として提出されるまで背クロスから完全に剥離したことは一度もなかったと考えざるを得ず、被告らの二段階改変説は、理由がないというべきである。
(四) 以上によれば、本件異常な糊付けは、本件X1事件第四回公判以後に発生したと考えるのが相当である。
そして、検察官又は科捜研技術吏員には、本件日記帳のアリバイの成立により、本件X1事件の立証が困難となるという危機感から本件日記帳を改ざんする動機が存するといえるから、右改ざんの主体は、検察官又は科捜研の技術吏員と考えるのが自然である。
(被告国の主張)
(一) 原告らは、本件異常な糊付けは、本件日記帳が本件X1事件第四回公判において裁判所に提出された後に発生したと主張するが、原告らの主張は合理的な根拠に基づくものとはいえない。
(二) 一般に検察官、科捜研吏員において本件日記帳を改ざんする職務上の動機があるということはできず、検察官はもとより、科捜研の吏員が証拠物に対する改変を加えるというような事態は想定し難い。また、原告らは、本件X1事件第四回公判の時点で本件異常な糊付けが存在したのであれば、右時点までに石井検事らがこれを発見できなかったのは不自然であると主張するが、本件X1事件第四回公判の審理は、主に本件日記帳の記載内容に関して行われたものであって、その形状について行われたわけではないこと及び本件異常な糊付けが一見して容易に発見できるほど顕著ではないこと等からすれば、同公判において検察官等の訴訟関係人がこの痕跡に気付かなかったとしても不自然ではなく、この時点で本件異常な糊付けを発見できなかったからといって、直ちに右異常な糊付けが同公判後に行われたということはできない。
したがって、本件異常な糊付けの時期が本件X1事件の第四回公判前であることも十分考えられる。
(三) 以上のとおり、検察官及び科捜研吏員が一般的に証拠を改ざんする動機がないことに加え、本件異常な糊付けに本件日記帳として使用されたノートの製造会社が使用した糊以外の二種類の糊が使われているとの鑑定結果、平成二年八月ころの本件日記帳のコピー上、次枚葉と次々枚葉との間の部分に本件枚葉の差替え挿入を疑わせるような曲線や、背割れの存在を疑わせる黒色縦線等が写し出されていること等からすると、右改ざんは、二段階改変説のとおり、二段階にわたっていずれも本件X1事件第四回公判以前に行われた可能性が高いというべきである。
(四) そして、二段階改変が、本件X1事件第四回公判以前に行われたとすると、その主体は検察官又は科捜研吏員であるとは考えられず、原告X2と考えるのが自然である。
(被告福岡県の主張)
(一) 原告らの主張は否認ないし争う。
(二) 古賀吏員が平成二年九月一八日に石井検事から本件日記帳を受領した時点で既に本件異常な糊付けは存在していたのであり、古賀吏員又は若松吏員が右糊付けを行う動機もなく、そのような事実もない。
2 被告国の責任原因1(金山裁判長又は地裁第二刑事部の違法行為)の存否
(原告らの主張)
(一) 金山裁判長の本件日記帳の違法貸出し
(1) 金山裁判長は、平成二年九月一八日から同月二五日までの間及び同年一〇月一五日から同月一九日までの間、本件日記帳を検察官に貸し出すことを承認した。右承認は、以下に述べるとおり違法である。
(2) 検察官は、刑事訴訟法二七〇条によって訴訟に関する書類及び証拠物を閲覧し、且つ謄写できるとされ、閲覧は裁判所の庁外でもできると解されているが、他方、刑事訴訟規則三〇一条一項により、「裁判長又は裁判官は、訴訟に関する書類及び証拠物の閲覧又は謄写について、日時、場所及び時間を指定することができる。」とされ、同条二項により、「裁判長又は裁判官は、訴訟に関する書類及び証拠物について、書類の破棄、その他不法な行為を防ぐため必要があると認めるときは、裁判所書記官、その他の裁判所職員をこれに立ち会わせ、又はその他適当な措置を講じなければならない。」と規定されていることからすると、検察官が原則として証拠物等を裁判所外(検察庁)に借り出すことが許されるとしても、閲覧方法には相応の制約があり、証拠物等の管理を裁判長又は裁判官にゆだねて、その管理責任を全面的に裁判所に負わせる趣旨と解される。
(3) したがって、裁判長又は裁判官が、検察官に何らの制約もせず証拠物を貸し出し、あるいは変造防止の適切な措置をとらなかったことにより、証拠物が変造され、その結果、被告人が有効な防禦活動ができずに有罪判決を受けるなどの不当な結果が生じたり、右証拠物の提出者が証憑湮滅罪等の罪に問われ、逮捕、勾留あるいは起訴される等の不利益を被った場合、裁判所が管理責任を問われ、損害賠償の責めを負うというべきである。
(4) 本件X1事件において、被告人である原告X1のアリバイ証拠である本件日記帳が、原告X1の無罪立証の有力な証拠であったことは明らかである。
このような証拠は、一般に、偽造又は変造されたものか否か等その作成、記載内容、記載方法等が検察官や裁判所の厳しい吟味の対象となることが予想される。
そして、検察官が証拠物を変造する等の恐れが一般的にあるといえないとしても、本件X1事件のように弁護人から提出されたアリバイに関する極めて重要な証拠である日記帳等について、検察官がその証拠物を裁判所外に借り出した後でこれに異常があることを発見したとすれば、弁護人、被告人が右異常は借り出した後に作出されたと主張することが容易に予想されるから、このような証拠物について、提出者である弁護人と対立する当事者である検察官が閲覧を申し出た場合、裁判長は、貸出しに先立って検証を行うなど保全措置を講じるか、又は、閲覧の場所を裁判所内と指定し、場合によっては裁判所書記官等を立ち会わせるなどの措置を講じる義務がある。
しかるに、金山裁判長は、本件日記帳について、貸出し前に検証することも、貸出しに当たり場所の指定や裁判所書記官等の立会いをさせることもなく、漫然と谷岡検事に貸し出し、本件日記帳が改ざんされる機会を作ったものであり、証拠物の管理義務の懈怠は明らかである。
(二) 地裁第二刑事部の証拠調べなき違法な事実認定
(1) 地裁第二刑事部は、本件X1事件における原告X1のアリバイ主張(原告X1がCから現金を受け取ったとされる日時に、同人らが万福食堂で食事をしていたとする主張)について、「手帖(本件手帳を意味する。)及び大学ノート(本件日記帳を意味する。)の該当部分には、頁の張り直し、書き加えなど、いずれも明らかに何人かによって手が加えられた痕跡が認められるのであって、これらの改変が、右手帖等が裁判所に提出前になされたことは、当裁判所の右手帖等の証拠調べの結果明らか」であると認定して、本件日記帳等の証拠を排斥し、原告X1に対して有罪判決を言い渡した。
原告X1は、その後の控訴審において、本件X1事件弁護人による原告X1のアリバイ主張が採用され、地裁第二刑事部の事実認定が誤認であったとして無罪判決を言い渡されたが、地裁第二刑事部の事実誤認は、以下のとおり、同裁判所の悪意又は重大な過失に基づくものである。
(2) 地裁第二刑事部は本件異常な糊付け等の改変が公判提出前に存在したものであることは証拠調べの結果明らかであるとしているが、本件異常な糊付けの発生時期についての証拠調べは行われていない。
(3) にもかかわらず、地裁第二刑事部は、あたかも本件異常な糊付けの発生時期についての証拠調べがなされたかの如き判示をして、悪意又は重大な過失により、原告X1のアリバイを裏付ける本件日記帳の信用性に関する判断を誤り、原告X1に対し有罪判決を言い渡した違法がある。
(被告国の主張)
(一) 原告らの主張に対する認否
原告らの主張のうち、以下の部分は認め、その余は全て否認ないし争う。
(1) 原告らの主張(一)(1)のうち、金山裁判長が平成二年九月一八日から同月二五日までの間及び同年一〇月一五日から同月一九日までの間、本件日記帳等を谷岡検事に貸し出すことを承認したこと
(2) 同(一)(2)のうち、刑事訴訟法二七〇条及び刑事訴訟規則三〇一条一項、二項の規定内容
(3) 同(二)(1)のうち、地裁第二刑事部の判決内容及び原告X1が本件X1事件の訴訟審において無罪判決を言い渡されたこと
(二) 金山裁判長の本件日記帳の貸出しについて
(1) 刑事訴訟規則三〇一条一項及び二項によれば、訴訟に関する書類及び証拠物の閲覧又は謄写について、日時、場所及び時間をどのように指定するか、また、裁判所書記官その他の裁判所職員を右閲覧、謄写に立ち合わせるかどうか等については、裁判長又は裁判官の裁量による判断に委ねられている。
(2) ところで、本件日記帳は、本件X1事件弁護人から原告X1のアリバイを証明する証拠物たる書面として証拠調べの請求があり、平成二年九月一三日の本件X1事件第四回公判で、地裁第二刑事部が刑事訴訟法三二三条三号の証拠物たる書面として取り調べたものであるから、検察官にとって本件日記帳等の内容を仔細に検討する必要が生じるのは明らかである。
したがって、本件X1事件第四回公判後、検察官が、本件日記帳の閲覧のためその借出しを申し出た経緯に何ら不自然な点はなく、また、検察官らが本件日記帳の形状を変更させるなど証拠物の破棄その他の不法な行為を防ぐため必要があると認めるべき状況は存在しなかったのであるから、金山裁判長が、平成二年九月一八日から同月二五日まで検察官に本件日記帳を貸し出した行為及びその貸出しに当たり、裁判長の裁量により、日時、場所及び時間の指定、閲覧、謄写への裁判所書記官等の立会いなどの特段の措置をとらなかったことに何ら違法はない。
(三) 地裁第二刑事部による事実認定について
(1) 裁判官がした争訟の裁判についての国家賠償法(以下「国賠法」という。)上の違法性の有無の判断基準
裁判官は、裁判官としての客観的良心(憲法七六条三項)や職業倫理に従い、憲法、法律、政令、条例及び規則等の客観的法規を含む全法体系の中から、当該事案に適用されるべき法原理を発見し、自己の信ずるところによって結論を導くのであり、この職責を全うすることが保障されなければならない。そのためには、裁判官の職務権限の行使に対し、事前又は事後のいずれを問わず、干渉あるいは圧力を加えるなどこれに影響を及ぼし又はこれを制限するおそれのある行為は極力排除される必要があり、事実認定及び法令の解釈に関する判断の結果は、上訴制度及び再審制度という当該手続に内在する適法な不服申立手続を経て変更され得ることが制度上予定されているにとどまる。
したがって、刑事事件の公判裁判所が、その職務権限の行使として行った事実認定や法令の解釈適用等の判断については、上訴制度及び再審制度により変更が加えられることは格別であるが、それ以外には、右の公判裁判所の事実認定が論理則、採証法則又は経験則に違背しているとか、法令の解釈適用に過誤があるなどとして、その判断を違法と評価することは、通常は国家賠償請求事件の受訴裁判所であっても許されない事柄である。
以上によれば、裁判官の職務行為が国賠法上も違法である場合とは、当該職務行為の性質・内容、不服申立手続の有無、当該裁判確定の事情等の諸事情を総合的に考慮した上、裁判官の職務権限の行使が著しく不当、不法であって、かつ、合理性のないことが一義的に明らかである場合をいうと解するのが相当であり、裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国賠法一条一項にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生じるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。
(2) 地裁第二刑事部の証拠調べ及び判断について
ア 本件異常な糊付けに関連する証拠調べとして、本件X1事件第四回公判において本件日記帳が証拠として取り調べられた後、検察官作成の平成二年一〇月三一日付け実況見分調書謄本(<証拠略>)、古賀吏員作成の同月二日付け鑑定書謄本(<証拠略>)、科捜研技術吏員福山晴夫作成の同年一二月一日付け(二通)及び平成三年一月一一日付け(二通)各鑑定書謄本(<証拠略>)等が取り調べられており、地裁第二刑事部は、これらの関係証拠を総合した上、本件日記帳の改変は、本件X1事件第四回公判において裁判所に提出される前になされたものであるとの認定をしたものであると解される。
イ 地裁第二刑事部の判断について
審理の過程において取り調べた証拠をどのように評価するかといった証拠の証明力についての評価は、自白の補強証拠に関する例外を除き、公判裁判所の自由な心証に委ねられており、その専権に属する事項である(刑事訴訟法三一八条)。心証形成は、個々の証拠に対する評価や、関連する各証拠に対する評価等が複雑かつ微妙に絡み合ってなされるものであって、事後的にその内容を検証することは事実上不可能であるし、刑事事件についての上訴や再審制度の限定的な仕組みの趣旨に照らすと、法制度上許された上訴や再審によって、原裁判の結果や心証形成の当否を争うことは格別として、これとは別に裁判所の判断を論難することはみだりに許されるべきものではない。
本件異常な糊付けがなされた時期が、原告らが主張するように第四回公判後であったか、それ以前であったかという事実認定は、まさに裁判所の自由な心証形成に委ねられた事柄である。そして、この点に関する地裁第二刑事部の判断は、あくまでも同部の審理において取り調べられた範囲の証拠関係を前提としたものであり、またその判断についても十分合理性が認められる。
以上によれば、原告らが論難する地裁第二刑事部の判断について、裁判所がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があるとはいえず、地裁第二刑事部の右事実認定が国賠法上違法とされる余地はないというべきである。
3 被告国の責任原因2(石井検事の違法行為)の存否
(原告らの主張)
(一) 本件日記帳の保管義務違反
(1) 前記二2(三)(5)のとおり、本件X1事件における原告X1のアリバイに関する証拠である本件日記帳等は、平成二年九月一八日、谷岡検事の請求により裁判所から借り出され、石井検事に渡された。石井検事は、同日、本件日記帳等を科捜研に持参して、古賀吏員に、本件日記帳等の記載のうち、原告X1がCから賄賂として現金を受け取ったとされる昭和六三年三月一七日前後の部分の記載に使用された筆記具に異同がないかどうか等の鑑定を依頼し、本件日記帳等を古賀吏員に預けたところ、翌同月一九日、古賀吏員から本件異常な糊付けにつき連絡を受けた。
(2) 検察官の書類・証拠物の閲覧・謄写権
公訴提起後裁判所に領置すなわち押収された証拠物については、原則として、裁判所が破壊その他不法な行為を防ぐため必要な措置を講じる義務を負うが、他方で、検察官には、書類・証拠物の閲覧・謄写権(刑事訴訟法二七〇条)が認められている。
検察官の右閲覧・謄写権については、原則として日時場所の制限はないが、自ら閲覧謄写する以外には、検察事務官に証拠物を交付して閲覧謄写させることができるにとどまり、証拠物の保管については、直接占有保管する義務を負うものと解される。すなわち、検察官は、閲覧謄写権が認められているに過ぎず、閲覧謄写のためにのみ借出しができるのであり、証拠物を鑑定したり、第三者に交付したりするなど閲覧謄写以外の取扱いをしたり、自らの管理下から離脱させたりすることは、この証拠物保管義務に違反するというべきである。
(3) 石井検事の違法行為
本件において、石井検事は、本件日記帳等を科捜研に預け、自らの管理下から離脱させ、本件日記帳が改ざんされる機会を作ったものであり、右証拠物保管義務違反行為があることは明らかであるが、更に本件では、石井検事が本件日記帳等が借り出された当日にそれらを科捜研へ持参して鑑定を依頼していることからして、当初から閲覧のためではなく科捜研で鑑定を行うことを意図して借り出されたものというべきであり、閲覧謄写権を濫用するものであるから、この点からも石井検事の行為の違法性は明らかである。
(二) 亡A及び原告X2の違法な逮捕、勾留及び起訴
(1) 石井検事は、平成二年一一月一四日、亡A及び原告X2を証憑湮滅罪及び偽証罪の疑いでそれぞれ逮捕し、翌同月一五日、勾留請求して、更に、原告X2については、同年一二月四日、右証憑湮滅罪及び偽証罪で起訴した。
(2) 右逮捕等の根拠となった主たる証拠は、本件異常な糊付けであるが、前記二2(三)(5)のとおり、右異常な糊付けは、本件X1事件第四回右公判後、谷岡検事により本件日記帳が閲覧謄写以外の目的で借り出され、かつ、違法に科捜研に預けられた結果発見されたものであり、更に、本件日記帳が公判廷に提出されたときには存在せず、谷岡検事が裁判所から借り出した後、石井検事が古賀吏員から右糊付けについて連絡を受け、確認するまでの間に行われたものであることが明らかである。
したがって、石井検事は、亡A及び原告X2が本件日記帳を改ざんしていないことを知りながら、又は重大な過失により知らずに両名を逮捕・勾留し、かつ原告X2を起訴したというべきである。
(被告国の主張)
(一) 原告らの主張に対する認否
原告らの主張(一)(1)のうち、石井検事の古賀吏員に対する鑑定依頼の点(鑑定依頼ではなく、検査依頼である。)を除くその余の事実、同(一)の(2)のうち、刑事訴訟法二七〇条により検察官の書類・証拠物の閲覧・謄写権が認められていること、同(二)(1)は認めるが、その余は全て否認ないし争う。
(二) 本件日記帳等の保管義務違反の点について
(1) 検察官は、刑事訴訟法二七〇条に基づく書類・証拠物の閲覧・謄写権を行使するに当たっては、検察事務官などの補助者を用いることができると解するのが相当であるところ、本件では、石井検事は古賀吏員を補助者として用いているのであるから、検察官に証拠物の保管義務があるとしても、石井検事が補助者である古賀吏員に本件日記帳等を預けたことは何ら証拠物の保管義務に違反しているとはいえない。
(2) また、石井検事が古賀吏員に依頼した本件日記帳等の非破壊的方法による検査とは、肉眼による外観検査、赤外線検査、蛍光検査及び透過光検査など、証拠物の性状を損なうことなしに行う検査方法をいうのであって、それが証拠物に与える物理的影響は、謄写のためにコピー機を使用し、ページを広げて光を当てるという一般的な作業方法と比較してみても、それ以下又は同程度のものに過ぎない。
そして、刑事訴訟法二七〇条において検察官に認められている書類・証拠物の閲覧・謄写権が、検察官がその職務を遂行するに当たり、証拠物を裁判所から借り出した上、証拠能力や証明力等の検討をする趣旨から認められたものであることからすると、当該証拠物に改変等の不自然な部分がないかどうかを確かめるため、これを肉眼による観察その他の非破壊的方法を用いて検査し、不審個所の有無を把握することは、同条に基づく閲覧、謄写権の範囲に含まれる事柄である。
(3) 以上によれば、石井検事が、本件日記帳等を補助者である古賀吏員に預けたことを及び古賀吏員に対し非破壊的方法による検査を依頼したことは、刑事訴訟法二七〇条に基づく検察官の閲覧・謄写権の範囲に属する適法な職務行為であって、国賠法上も何ら違法とされる点はない。
(三) 亡A及び原告X2に対する逮捕、勾留及び起訴の点について
(1) 検察官がした逮捕・勾留請求についての国賠法上の違法性の有無の判断基準
検察官には、刑事訴訟法上、逮捕及び勾留請求(延長請求を含む。)をする権限が与えられている(一九九条一項、二〇七条一項、六〇条一項)。そして、検察官がした逮捕、勾留請求及び勾留延長請求(以下「勾留請求等」という。)に対しては、いずれも裁判官の審査を経て逮捕状が発布され、あるいは勾留又は勾留延長の許可決定が出されることが制度上予定されており、勾留及び勾留延長の裁判については、適法な不服申立手続をとることにより、変更される余地も残されている。また、検察官の勾留請求等に当たって要求される犯罪の嫌疑の程度は、公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の程度よりは低いもので足りるとされており、右犯罪の嫌疑の有無は、客観的かつ一義的に定まるものではなく、法の予定する一般的検察官を前提として通常あり得る個人差の範囲内に対応する一定の幅が許容されているといわざるを得ない。更に、勾留請求については、原則として被疑者が身柄を拘束されたときから二四時間以内(司法警察員から送致された被疑者の身柄を受けた場合は、その身柄を受け取った時から二四時間以内)に裁判官に被疑者の勾留を請求しなければならないとされていて、請求の要否の判断に時間的な制約が課されている(刑事訴訟法二〇四条一項、二〇五条一項)。
以上のような勾留請求等の刑事手続内での是正の可能性、その判断作用の性質及び時間的制約を考慮すると、検察官の勾留請求等は、無罪判決が確定した場合であっても直ちに国賠法上違法となるものではなく、検察官として事案の性質上当然すべき捜査を著しく怠り又は収集された証拠についての判断、評価を著しく誤るなどの合理性を欠く重大な過誤により、これを看過して勾留請求等がなされた場合にはじめて国賠法上も違法であると評価されると解するのが相当である。
(2) 検察官がした公訴提起についての国賠法上の違法性の有無の判断基準
刑事手続は、動態的かつ発展的な性格を有するものであって、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示であり、公訴提起自体において犯罪の成否や刑罰権の存否を確定させるものではないのであるから、公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の程度は、有罪判決に要求される合理的な疑いを容れない程度の確信よりも低いもので足りることは当然である。
したがって、検察官が公訴提起をするに当たって、その行為規範として要求される犯罪の嫌疑の程度は、有罪判決の得られる可能性、すなわち検察官の主観においてはもちろん、客観的にも犯罪の嫌疑が十分であって、有罪判決を期待しうる合理的根拠の存することが必要であり、また、これをもって足りる。そして、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証も、その性質上、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案した上、合理的な判断過程をたどれば有罪と認められる程度の嫌疑があれば足り、有罪判決を得られる可能性(有罪判決を期待し得る合理的根拠)の存することで足りると解すべきである。
以上によれば、検察官の公訴提起は、有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が、法の予定する一般的検察官を前提として通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達している場合にはじめて違法とされるものであると解すべきである。
(3) 検察官がした亡A及び原告X2の逮捕及び勾留請求の適法性について
ア 本件X1事件の第三回公判段階における原告X1の嫌疑の程度
本件X1事件において、公訴事実を裏付ける最も重要な証拠は贈賄者であるCの供述である。Cの供述の骨子は以下のようなものである。
<1> Cは、原告X1の計らいによって本件組合との間でし尿処理の委託契約を締結できることがほぼ確実となったことから、原告X1に礼をしなければならないと考え、その発表があった昭和六三年三月一五日の夜に妻のD(以下「D」という。)と相談し、妻名義の貯金から二〇万円をおろし、これをお礼として原告X1に贈ることとしたこと
<2> Cは、同月一六日は宿直勤務であったため、同日中にDがその勤務する会社に置いていた銀行印を持って帰り、通帳と共に自宅の所定の場所に置いておくこととし、宿直明けの同月一七日朝帰宅したCがこれを受け取ることとしたこと
<3> 同月一七日朝宿直を終えて帰宅したCは、Dが約束どおりの場所に置いていた通帳と印鑑を所定の場所から取り出して銀行に出かけ、その開店直後にD名義の通帳から二〇万円の払戻しを受けたこと
<4> Cは、銀行からいったん帰宅した後、パチンコ店に行って遊び、夕方帰宅して前記二〇万円を白封筒に入れた上、午後五時半ころ原告X1方に自動車で向かったこと
<5> それから一〇分もかからないくらいで、原告X1方に到着し、原告X1方の奥の八畳間で委託業者になった礼などを言ってしばらく原告X1と話した後、辞去する際に「お世話になりました。これは気持ちです。」などと言って封筒に入った前記二〇万円を同人に差し出し、原告X1はいったんその受取りを拒んだものの、大して入っていない旨を伝えたところ、それ以上の拒否はしなかったこと
本件X1事件の犯行日(昭和六三年三月一七日)及び同日の行動に関するCの自白内容は、Dの供述及び原告X1の供述の一部と符号していたこと、D名義の口座から二〇万円が出金された日及び同月一六日がCの宿直日に当たること及び同月一七日が宿直明けに当たることは、客観的な証拠によって裏付けられていたこと、また、その背景事情の説明等も関係者の供述と合致していたこと、その他の事情から、極めて信用性が高いと考えられた。
また、原告X1においても、Cから三月一七日に現金二〇万円の供与を受けた旨の自白をした供述調書があり、それによると、稲築町の現職の助役から指示されて、次期町長選挙での資金協力を要請する話をしたことなどC及びEらの供述に沿う供述をしていたこと、長年同町役場等に勤務してきた原告X1にとって右事実を明らかにすることは耐え難い事柄であったにもかかわらず、自らこのような事実を自白したことなどからすると、同人の自白供述の信用性も高いものと考えられた。
そして、原告X1の三月一七日のアリバイを確認するため、同人の昭和六三年三月一七日の行動について、同人自身から確認するとともに、町内会への出席の有無、通夜、葬式への参列の有無、病気見舞いの有無、タクシー使用の有無等の確認を行ったが、捜査を尽くしても、原告X1が三月一七日夕方に自宅を離れていたという事実は現われなかった。
以上のとおり、原告X1の嫌疑を裏付ける十分な証拠が存在し、Cが自ら大きな不利益を受けるにもかかわらず、あえて原告X1に不利益な供述をするような事情も認められず、その供述の信用性に疑いを差し挟むような事情を認めることはできないこと、本件X1事件の公判廷においても、原告X1は起訴事実を否認しているものの、C及びDは、捜査段階と同様の贈賄事実に関する証言をしたこと等から、本件X1事件の公訴事実は、第三回公判までに捜査を尽くして収集され、検察官が知り得た証拠及び資料によってほぼ疑いなく証明され、余程のことがなければその有罪は動かないほどの嫌疑が存在するものと考えられた。
イ 本件X3事件及び本件X2事件の任意捜査段階における証拠
<1> 検察官からの嘱託によってされた古賀吏員の鑑定及び検察官の実況見分により、本件日記帳の本件枚葉を含む前後の頁には、裁断面からの突出、段差、ズレあるいは枚葉間の異様な貼付けなどが見られること、本件手帖における原告X1のアリバイに相当する記載部分とその余の部分は、異なる筆記用具により記載されたと推定されることが確認された。
<2> コクヨ株式会社(以下「コクヨ社」という。)に対する捜査により、本件枚葉及び次枚葉は、同社の製造・販売後において、故意その他の何らかの原因によって、ユーザーの手元で背クロスから剥離し、ユーザーの手によって再び背クロス及び背固め部に糊付けされたものと思われ、通常の使用方法にのっとり普通に使用すれば、一部の枚葉だけが背固めから剥離する可能性は著しく低いとする意見を徴した。
<3> 万福食堂の実況見分を行い、万福食堂の内外の状況の写真撮影、関係箇所から万福食堂までの所要時間・距離の実地踏査などを行った。また、同食堂経営者曽我部スナ子を取り調べたところ、その供述は、一人当たりの飲食金額、滞在時間等の点で、亡A及び原告X2の本件X1事件第四回公判における供述にそぐわなかった。
<4> 原告X2や亡Aの供述を前提として、昭和六三年三月一七日午後五時から午後一〇時までの間に、原告X1及びCが万福食堂の行き来に利用した可能性のあるタクシー会社について、その利用関係の調査を行ったが、加地タクシー株式会社の乗務記録に午後五時二五分から午後五時三〇分の間に次郎五郎(C方付近の地域の通称)から天道という記録がかろうじて一件発見されたものの、これを記載した若狭博美は、原告X1もCも知っているが、二人を天道まで乗せていった記憶はないと供述していて、原告X1のアリバイあるいは亡A及び原告X2の証言を裏付ける証拠はなかった。
<5> 科捜研による鑑定の結果、本件異常な糊付け部に使用された糊は、メーカーが使用していた糊(酢酸ビニル系の糊)とは全く別のポリビニルアルコール系の糊であることが判明した。
ウ その他の捜査等
以上のほか、原告X2の供述に基づいて本件枚葉の下段部分にある焼抜けの穴の再現実験を行ったが、同人の供述に沿う結果は得られなかったこと、亡Aの供述によれば、同人は、原告X1とは親密な仲であり、原告X1の起訴から本件X1事件第四回公判までの間に、福岡拘置支所まで九回面会に行っていること、原告X2は原告X1の妻と親しい間柄であった上、亡Aは福失連の会長、原告X2は事務局長であって、両者は職務上共に行動することが多く、極めて親密な関係にあることがうかがわれることなどからして、原告X1と親しい亡A及び原告X2が、原告X1を救おうと考えて虚偽の内容を記載した日記帳、手帖等を提出したり、公判で虚偽の内容の証言をする動機は十分に認められた。
エ 亡A及び原告X2の逮捕及び勾留の適法性
以上掲げた本件X1事件の第三回公判までに収集された証拠及び本件X3事件及び本件山中事件の任意捜査段階における証拠等を総合考慮すると、亡A及び原告X2の逮捕及び勾留事実についても、これを犯したと認めるに足りる合理的な理由があったというべきであるし、本件が計画的犯行である疑いが濃厚であること、亡A、原告X2と同X1夫妻との親密度、亡A、原告X2の両名が否認していることからすると、罪証隠滅及び逃亡のおそれがあると考えられ、その必要性及び勾留の要件は十分に充たしていたと考えられる。
したがって、前記(1)で掲げた基準に照らし、右逮捕及び勾留請求が国賠法上違法と評価される余地はないというべきである。
(4)検察官がした原告X2に対する公判請求の適法性について
ア 本件X3事件及び本件X2事件に関連する捜査内容
前記(3)以外の本件X3事件及び本件X2事件に関連して行われた主な捜査内容は、次のとおりである。
<1> 谷岡検事が受領していた本件日記帳のコピーの分析等により、本件日記帳には二次改変前に既に一次改変が加えられており、これが十分なものでなかったため、二次改変が加えられたことが疑われた。
<2> 亡A及び原告X2の取調べの結果、両名とも偽証及び証憑湮滅の嫌疑を否認しているものの、その供述相互間には本件日記帳等の発見状況という重要な事実のほか、細かい点でいくつかの矛盾点があることが判明した。
<3> 石見美津子、田中実、花元正司の取調べにより、同人らが万福食堂で飲食し、そこで原告X1及びCと会ったことは認められたが(ただし、花元庄司は全く記憶がない旨供述していた。)それが本件X1事件の犯行日である昭和六三年三月一七日であるかどうかは不明であり、亡A及び原告X2の本件X1事件における証言が偽証でないことの裏付けにはならないことが判明した。
<4> 原告X1は、「Cとホルモン店へいった日はCの宿直明けの日ではない。」と自らのアリバイを否定する供述をした。
<5> 本件日記帳と同様のノートで枚葉の差替え挿入実験を行ったところ、これが困難なことではないこと、糊付け箇所の一部はコピーなどをして上から強く押さえると剥離してしまうことなどが確認された。
<6> Cの再度の取調べによっても、Cは亡A及び原告X2の供述する日時に万福食堂で飲食したことを否定する供述をした。
<7> タクシー会社の捜査、関係者の取調べなどによって、昭和六三年三月一七日の犯行時刻前後に関係者が万福食堂を起点あるいは終点としてタクシーを利用したとする証拠がなかったことが確認された。
<8> 亡A及び原告X2の勤務先である福失連の捜索により、亡Aの机の中から、本件X1事件の起訴状の写し、証人尋問及び被告人質問のメモが発見された。
また、その際差し押さえた亡白土の平成二年度の議員手帖に、原告X1の起訴後二日目に当たる平成二年六月四日欄に、「(三月一七日ころ)二〇万円(B)」との記載が、また、同年六月一一日から一七日欄のページの最下段に「六三年三月一二、一三、一四、一五、全日本選手権」という記載があり、亡A及び原告X2が本件X1事件の証人として公判出廷した同年九月一三日の欄に「三月一七日は、C、X1と一緒に万福食堂に一緒にいた」という記載があることが判明した。
更に、嘉飯地区労働組合協議会事務局の事務所の捜索により、同局局長である田中実の机の中から昭和六三年三月開催の全日本オートレース優勝戦と同年一〇月一二日開催の全日本オートレース選手権の二つのレースの日程及びレースの結果が記載された不審なメモが発見された。
<9> その他の捜査により、本件日記帳は外形的にも、その記載内容も不自然であること、原告X2が本件日記帳と同種のノートを持っている可能性が高いこと等も判明した。
ウ 原告X2の起訴の適法性について
以上のとおり、Cの供述等から考えて本件X1事件における原告X1の嫌疑が極めて強いものである一方、その後の本件X2事件及び本件X3事件に関する捜査の結果、亡A及び原告X2の供述相互に食い違いがあり、裏付けがないことなどから、右各供述は到底信用できないと考えられたことなどからすると、本件X2事件の起訴時において、同事件に関し、原告X2がその起訴事実について有罪であるとした検察官の判断が、合理的な根拠を欠くということはできない。
したがって、前記(2)で掲げた基準に照らし、検察官による原告X2の起訴が国賠法上違法と評価されることはないというべきである。
4 被告福岡県の責任原因の存否
(原告らの主張)
(一) 本件日記帳の改ざんの違法
(1) 前記1の(原告らの主張)のとおり、本件異常な糊付けは、本件日記帳が、本件X1事件第四回公判において、証拠として裁判所に提出された後に発生したものであることは明らかである。そうすると、右異常な糊付けを発生させたのが検察官でないとすれば、以下のとおり、古賀吏員又は若松吏員によって行なわれたものと考えられる。
(2) 本件異常な糊付けの発見経緯
石井検事は、平成二年九月一八日、谷岡検事が裁判所から借り出した本件日記帳を受け取った後、即日科捜研にこれを持参し、古賀吏員に対し本件枚葉部分を開いてこれを示し、筆記具の異同に関する鑑定を口頭で依頼した。そして、若松吏員の供述によれば、石井検事が科捜研を去った後、若松吏員がふっと本件日記帳には枚葉の差替えなどの偽造があるのではないかと疑い、古賀吏員から本件日記帳を受け取って検分したところ、本件枚葉の糊付けの異常を発見したとのことであり、翌同月一九日に石井検事に右異常発見の報告がなされている。
(3) しかし、本件日記帳を科捜研に持ち込んだ石井検事は、右糊付けの異常を指摘しておらず、筆記具の異同に関する鑑定のみ依頼し、糊付けに関する鑑定を依頼はしていなかったのであり、古賀吏員及び若松吏員としては、石井検事が右糊付けの異常を問題にしていなかったことを知っていたはずであるから、右異常に気付きながら、直ちにその報告をせず、一日おいてから石井検事に報告するなどとはあまりに不自然であり、若松吏員の前記供述は到底信用できず、右供述は、科捜研への持込み後本件日記帳の改ざんが行われたことを隠蔽するためのものと考えられる。
また、福岡県警察には、本件X1事件を有罪に持ち込むためには、本件日記帳に記載された原告X1のアリバイが障害になるという本件日記帳改ざんの明らかな動機が存在する。本件日記帳を改ざんしたのが検察官でないとすれば、古賀吏員又は若松吏員と考えるのが自然である。
(二) 本件日記帳の保管義務違反
仮に本件日記帳を改ざんしたのが検察官でも古賀吏員又は若松吏員でないとすれば、古賀吏員及び若松吏員が本件日記帳を保管中に第三者が改ざんしたものであるから、右両名には、科捜研における証拠物保管義務違反がある。
(被告福岡県の主張)
(一) 原告らの主張は全て否認する。
(二) 前記1の(被告福岡県の主張)(二)のとおり、古賀吏員が平成二年九月一八日に石井検事から本件日記帳を受領した時点で本件異常な糊付けは存在していたから、古賀吏員及び若松吏員には、本件日記帳改ざんの動機も改ざんの事実もなく、証拠物保管義務違反もなかった。
5 原告らの損害の存否
(原告らの主張)
(一) 亡Aの損害
(1) 亡Aは、前記2(一)、3及び4の(原告らの主張)における金山裁判長、石井検事、古賀吏員及び若松吏員の各違法行為の積み重ねにより不当に逮捕され、平成二年一一月一四日から同年一二月四日までの間身体を拘束された。
右各違法行為は、競合して亡Aに損害を与えた共同不法行為であるから、被告らは、亡Aに生じた左記損害を連帯して賠償する責任がある。
(2) 損害の額 六二七万円
(内訳)
ア 慰謝料 金五〇〇万円
亡Aは、当時福失連会長及び稲築町議会議員の職にあったものであり、マスコミは右事件を大々的に報道し、亡Aの社会的信用は著しく失墜した。
その精神的苦痛を慰謝するためには少なくとも金五〇〇万円が相当である。
イ 刑事弁護費用 金七〇万円
亡Aは自分の身の潔白を証明するために、美奈川成章、吉岡隆典の両弁護人を選任し、弁護士費用合計金七〇万円を支払い、同額の損害を被った。
ウ 弁護士費用 金五七万円
(二) 原告X2の損害
(1) 原告X2は、前記2(一)、3及び4の(原告らの主張)の金山裁判長、石井検事、古賀吏員及び若松吏員の各違法行為の積み重ねにより、平成二年一一月一四日に逮捕されて以来、同年一二月四日福岡地方裁判所に起訴後も引き続き勾留され、平成三年一月一八日の保釈の決定を受けて同月二三日に釈放されるまでの七一日間にわたり身体を拘束された上、右逮捕時以降、平成七年七月四日に検察官が本件X2事件の第一審判決に対する控訴を取下げ、これにより無罪判決が確定するまでの間被疑者又は被告人の地位におかれた。
右各違法行為は、競合して原告X2に損害を与えた共同不法行為であるから、被告らは、原告X2に生じた左記損害を連帯して賠償する責任がある。
(2) 損害の額 六四三万七〇九〇円
(内訳)
ア 慰謝料 金五〇〇万円
原告X2は全く身に覚えのない容疑により、長期間身体の拘束を受け、多大な精神的苦痛を被った。また、マスコミは右事件を大々的に報道し、原告X2の社会的信用は著しく失墜した。
被疑者、被告人の地位におかれた原告X2の右精神的苦痛に対する慰謝料としては少なくとも金五〇〇万円が相当である。
イ 刑事弁護費用 金八三万七〇九〇円
原告X2は自分の身の潔白を明らかにするために、徳永賢一、美奈川成章、林優、間かおる、吉岡隆典の各弁護士を弁護人に選任し、着手金、報酬及び必要経費として、合計三五〇万円の費用を支払い、平成八年三月一八日、福岡地方裁判所において、金二六六万二九一〇円の無罪事件費用補償の決定を受けている。したがって、右差額である八三万七〇九〇円が刑事弁護費用相当額の損害となる。
ウ 弁護士費用 六〇万円
(三) 原告X1の損害
(1) 原告X1は、前記2、3(一)及び4の(原告らの主張)の金山裁判長、石井検事、古賀吏員及び若松吏員の各違法行為の積み重ねにより、自己の無罪を証明するアリバイ証拠を破壊され、あるいはその信用性を排斥され、その結果、地裁第二刑事部により、平成三年五月九日、有罪判決の言渡しを受け、その後平成七年六月二一日に福岡高等裁判所において無罪の判決を受けるまでの間、約四年間、被告人の地位におかれた。
右各違法行為は、競合して原告X1に損害を与えた共同不法行為であるから、被告らは、原告X1に生じた左記損害を連帯して賠償する責任がある。
(2) 損害の額 八八〇万円
(内訳)
ア 慰謝料 金五〇〇万円
裁判所の有罪判決はマスコミが大々的に報道し、原告X1の社会的信用は著しく失墜した。
その精神的苦痛を慰謝するためには少なくとも金五〇〇万円が相当である。
イ 刑事弁護費用 三〇〇万円
原告X1は福岡高等裁判所において自分の身の潔白を証明するために、江上武幸、上田國廣、村井正昭、林優の各弁護人を選任し、着手金及び報酬として合計金八〇〇万円の費用を出費したが、平成八年三月一四日、福岡高等裁判所において、金一七二万五六八八円の無罪事件費用補償の決定を受けており、その差額である金六二七万四三一二円が刑事弁護費用としての原告X1の損害となるが、本件ではその内金三〇〇万円を請求する。
ウ 弁護士費用 金八〇万円
(被告らの主張)
原告らの主張は全て否認ないし争う。
第三当裁判所の判断
一 前記第二の二の事実並びに<証拠略>によれば、判断の前提として、以下の事実が認められる。
1 本件X1事件の捜査経過
(一) 原告X1は、平成二年五月九日から同月一一日まで、福岡県飯塚警察署において、本件X1事件について任意の取調べを受けた。原告X1は、同月九日及び同月一〇日は、本件X1事件の被疑事実を否認していたが、同月一一日、司法警察員に対し、昭和六三年三月下旬ころ、Cを昭和六三年度の本件清掃センターの運転管理業務の委託業者として選定するなど有利な取り計らいをした謝礼等の趣旨で、同人から現金二〇万円の供与を受けた旨の供述をして、本件X1事件の内容を概ね自白した(<証拠略>)。
同日、Cも、同所において任意の取調べを受け、昭和六三年三月下旬ころ、原告X1から昭和六三年度の本件清掃センターの運転管理業務の委託業者として選定されるなど有利な取り計らいを受けた謝礼として、同人に二〇万円を供与した旨の供述をした(<証拠略>)。
(二) 平成二年五月一二日、原告X1は、別紙一<略>記載の被疑事実にかかる本件X1事件の被疑者として逮捕された(なお、Cも、同日、原告X1に現金二〇万円を供与した贈賄罪の疑いで逮捕された。)。その後、原告X1は、検察官により勾留請求され、勾留質問において被疑事実を否認したが、同月一四日、勾留する旨の裁判を受けた(右勾留は延長された。)。原告X1及びCは、勾留中である同年六月二日、別紙二<略>記載の公訴事実により、福岡地方裁判所に起訴された。
(三)(1) 原告X1は、右逮捕後の本件X1事件に関する取調べにおいて、逮捕日である平成二年五月一二日及び同月一三日の弁解録取時には被疑事実を概ね自白していたが(ただし、後者については、当初黙秘の態度を示していたが、検察官の説得により自白するに至った。)、同月一四日の勾留質問において否認に転じ、同月二二日に再度自白、同月二四日に否認と態度を転々とさせ、翌同月二五日から起訴時までは自白をするという供述経過をたどっている。原告X1が、本件X1事件の犯行状況について自白した内容は、概要以下のとおりである(<証拠略>)。
昭和六三年三月一七日午後六時ころ、Cが自宅を訪れた。そこで、Cを自宅の応接用の和室に通した。Cは、小一時間ほど話しをして、帰りがけに、Cを昭和六三年度の本件清掃センターの運転管理業務の委託業者として選定したことに対するお礼として、現金の入った白封筒を差し出した。私は「こげなことせんどもよかとに。」と言って、一度は断ったが、Cが「大したものは入っていません。」というようなことを言ったので、もらうこととし、Cが帰った後、封筒の中身を確認すると二〇万円入っていた。
(2) また、原告X1は、同年五月二九日、本件X1事件の被疑事実中、現金二〇万円の授受の事実を認める旨の自筆の上申書を福岡地方検察庁及び福岡地方裁判所あてに書いた(<証拠略>)。
(四) Cは、逮捕前の同年五月一一日から起訴まで、一貫して本件X1事件における贈賄の事実を自白し、本件X1事件の犯行に関して、概要以下のとおり供述した(<証拠略>)。
(1) 私は、原告X1の推薦を受けて本件清掃センターの昭和六三年度のし尿処理の受託業者となることがほぼ確実となったことから、原告X1にお礼をしようと思い、その発表があった昭和六三年三月一五日の夜にDと相談した上、現金二〇万円を原告X1に贈ることに決めて、西日本銀行の妻名義の預金から二〇万円をおろして原告X1に贈ろうと考えた。
(2) 私は、お礼をするなら早い方がよいと思い、同月一六日に原告X1の職場を訪れて都合を聞いて、同月一七日に原告X1方を訪れて現金を贈ることとした。西日本銀行のD名義の預金通帳は、自宅にあったが、銀行印はDの職場に置いてあったことから、同月一六日にDが銀行印を職場から持ち帰ることとなった。私は、同月一六日が当直勤務であったことから、Dが通帳と銀行印とを自宅の引出しに用意しておくことにして、当直明けの同月一七日に自分がそこから通帳と銀行印を持ち出して、現金の払戻しを受けることになった。
(3) 同月一七日の朝、私は、当直勤務を終えて帰宅した後、Dが約束どおり引出しに置いていた通帳と印鑑を取り出して、西日本銀行飯塚支店に出かけ、その開店直後ころD名義の通帳から二〇万円の払戻しを受けた。
(4) 同支店からいったん帰宅した後、パチンコ店に行って遊び、夕方帰宅して前記二〇万円を白封筒に入れた上、午後五時半ころ原告X1方に自動車で向かった。
(5) 原告X1方の和室の八畳間で、私は、原告X1に対し、受託業者に選ばれた礼などを言ってしばらく会話をしていたが、約一時間程度経って同人方を辞去しようとした際、「お世話になりました。これは気持ちです。」などと言って白封筒に入った現金二〇万円を原告X1に差し出した。原告X1は「そげんことせんでいいが。」と言って一度は拒んだものの、大して入っていない旨を伝えると、その白封筒を受け取った。
(五) Dも、平成二年五月二二日以降、検察官に対し、Cの右(四)の供述に沿う供述をした(<証拠略>)。
(六) 平成二年五月二二日、石井検事は、西日本銀行飯塚支店の従業員である竹田二三男から事情聴取を行った。同人は、同支店のD名義の普通預金口座から、昭和六三年三月一七日午前九時三分に、窓口において現金二〇万円が払い戻された旨供述した(<証拠略>)。
(七) また、Cが、本件X1事件の犯行日である昭和六三年三月一七日に立ち寄ったと供述するパチンコ店の開店状況(<証拠略>)や、原告X1が同日外出したかどうかに関する捜査(通夜、町内会等への出席状況、原告X1のタクシー利用状況等。<証拠略>)を行ったが、同日原告X1が外出したなど、同日の原告X1の犯行に疑問を抱かせるような事実は現われなかった。
2 本件X1事件の公判経過
(一) 前記1(二)のとおり、原告X1及びCは、平成二年六月二日、別紙二<略>記載の公訴事実により福岡地方裁判所に起訴された。同裁判所は、原告X1の収賄事件とCの贈賄事件の弁論を分離する旨の決定をし、前者は地裁第二刑事部へ、後者は同裁判所第一刑事部(以下「地裁第一刑事部」という。)へ配点された。地裁第二刑事部は、本件X1事件について、合議体で審理及び裁判する旨の決定をした。
(二) 地裁第一刑事部は、右Cの贈賄事件について審理した上、同月二五日、Cに対し懲役八月、執行猶予三年の有罪判決を宣告し、同年七月一〇日、右判決は確定した。
(三) 本件X1事件については、同年六月二一日、第一回公判が開かれた。
原告X1は、罪状認否において、「起訴状記載の日時、場所においてCから金銭を受け取ったことはありません。その他の公訴事実についてはそのとおり間違いありません。」と陳述し、本件X1事件主任弁護人は、「起訴状記載の日時、場所において被告人は現金二〇万円を賄賂の趣旨を持って授受した事実はありません。その他は被告人の述べたとおりです。」と陳述した。
検察官は、冒頭陳述において、公訴事実の犯行日が「昭和六三年三月一七日ころ」とされていたのを、「昭和六三年三月一七日」と特定して主張した。
検察官は、引き続き<証拠略>までの書証の取調べを請求した。本件X1事件弁護人は、C、D及びE(Cの叔父)の<証拠略>一四通の取調べに不同意の意見を述べ、その余の書証の取調べに同意した。
右同意書証として、昭和六二年度まで本件清掃センターのCの前任の委託業者であった伊藤武一が解任され、Cが選任されるまでの経緯に関し、右伊藤武一(<証拠略>)、本件X1事件発生当時の福岡県嘉穂郡稲築町長秋穂孝輝及び同町助役木村一守(<証拠略>)、当時の同郡庄内町長であった白土和元(<証拠略>)、本件清掃センターの従業員であった山本敏博(<証拠略>)らの供述調書が証拠として採用され、右経緯については、特に争点とはされなかった。
検察官は、右不同意書証の取調べの請求を撤回して、C及びDの証人申請をし、地裁第二刑事部はこれを採用した。
(四)(1) 同年七月一九日、第二回公判が開かれ、Cの証人尋問が行われた。同人に対する証人尋問は、同日中には終了しなかったので、次回に続行されることとなった。同年八月二三日、第三回公判が開かれ、Cの証人尋問及びDの証人尋問が行われた。
右両名の公判における証言は、前記1(四)及び(五)の両名の捜査段階の供述とほぼ同内容であった。
(2) 第三回公判におけるDの証人尋問終了後、本件X1事件弁護人は、弁第一号証及び第二号証として、亡A及び原告X2の証人尋問を申請し、地裁第二刑事部はこれを採用し、第四回公判において、両名の証人尋問が行われることとなった。
(3) 第三回公判の終了後、徳永弁護士は、同弁護士事務所において、公判立会検察官である谷岡検事に本件日記帳等を開示し、その際、昭和六三年三月一二日欄から同月二〇日欄までのコピーを作成して交付し、平成二年八月下旬ころ、同検事の申出により、本件日記帳全体のコピーを作成して交付した。
本件日記帳及び本件手帖は、徳永弁護士が、本件手帖については平成二年六月一八日、本件日記帳については同八月一〇日にそれぞれ原告X2から預かり、同弁護士事務所の金庫において保管していたものであった。
(五) 本件X1事件弁護人は、同年八月三一日、期日外において、弁第三号証として本件手帖を、同第四号証として本件日記帳の取調べを請求した。
谷岡検事は、同年九月三日、徳永弁護士から本件日記帳等を借り受け、福岡地方検察庁公判部長に報告するとともに、これを石井検事に渡し、同検事による検討後その日のうちに返してもらい、翌同月四日、徳永弁護士に返還した。
(六) 谷岡検事は、本件日記帳等の記載についての補充捜査として、原告X1及びCが、昭和六三年三月一七日に、万福食堂へ赴くに当たり又は万福食堂から福岡県飯塚市内又は同県嘉穂郡稲築町方面へ向かうに当たり、タクシーを利用した事実があるかどうかについて、関係各タクシー会社に対する捜査を実施させたところ、右事実は現われなかった(<証拠略>)。
(七) 同年九月一三日、第四回公判が開かれ、亡A及び原告X2の証人尋問が施行された。
右両名は、宣誓した上、それぞれ別紙五<略>の本件日記帳の昭和六三年三月一七日欄の記載(以下「本件記載」という。)とほぼ同旨の別紙三<略>(第三)、同四<略>(第二)記載の証言をした。
右両名の証人尋問後、本件X1事件弁護人は、刑事訴訟法三二三条三号に基づき本件日記帳等の証拠調べを請求し、これに対し、谷岡検事らは、「内容につき信用性を争う。存在につき異議がない。」旨の意見を述べ、地裁第二刑事部は、本件日記帳等を証拠として採用して取調べの上、領置した。
(八)(1) 谷岡検事は、石井検事の指示を受け、平成二年九月一八日、金山裁判長の承認を得た上で、刑事訴訟法二七〇条に基づき、閲覧のため、地裁第二刑事部で領置保管中の証拠物である本件日記帳等を借り出した。
(2) 谷岡検事は、本件日記帳等を福岡地方検察庁に持ち帰った上、これを石井検事に交付した。
同日、石井検事は、これを科捜研に持参し、古賀吏員に対し、口頭で非破壊的方法による筆記用具の異同等の鑑定を依頼し、本件日記帳等を預けたところ、翌同月一九日、古賀吏員から、本件異常な糊付けがあることの報告を受けた。
石井検事は、右報告を受け、同月二〇日、再び科捜研を訪れ、古賀吏員に対し、改めて、同月一八日付け科捜研所長宛て鑑定嘱託書により本件日記帳の改ざんにつき非破壊的方法による詳細な鑑定を依頼した。古賀吏員は、右鑑定を実施し、同月二五日、本件日記帳等は、古賀吏員(科捜研)から同検事ないし谷岡検事の手を経て地裁第二刑事部へ返還された。
(3) 本件日記帳には、遅くとも右日記帳が福岡地方裁判所に返還された同月二五日の時点で、綴じ部に変形が生じていて、表紙が裏表紙より全体に右に歪んだ状態になっており、また、上方綴じ部において、昭和六三年三月一七日欄の記載がある用紙から後の部分にズレ(紙端の乱れ)が生じており、これら綴じ部にズレが認められる用紙において、綴じ部の反対側の紙端にも綴じ部のズレ幅分のズレがあった。また、枚葉間の糊付けについて、昭和六三年三月一七日欄の記載のある組の用紙(本件枚葉)の一組前の用紙(前枚葉)まで及び本件枚葉の一組後の用紙(次枚葉)以降は、通常の幅の糊付け状態であったが、本件枚葉と前枚葉との間では、上方から中央部にかけて最大約八ミリメートルという異常な幅で接着されていて、前後の頁の罫線が重なった状態になっており、本件枚葉と次枚葉との間では、中央付近で約一一ミリメートルというこれまた異常な幅で糊付けされており、前後の頁の罫線が重なる状態となっていた。
なお、本件日記帳は、本来五〇組の枚葉で一〇〇枚綴りであり、当時九七枚しかなかったが、途中で三枚が剥ぎ取られた痕跡があることから、枚数について不自然なところはなかった。
(九) その後、本件X1事件第一審の審理は、同年一〇月五日の第五回公判から平成三年三月一八日の第一〇回公判まで行われ、右同日終了した。
右審理は、原告X1が犯行日である昭和六三年三月一七日に万福食堂でCとともに飲食していたかどうかを中心に争われ、これに伴って、本件日記帳等の記載の信用性も争点となった。
右審理期間中、右争点に関する証拠として、前記(七)のとおり、本件日記帳等の作成者である原告X2の証人尋問が行われ、かつ、本件日記帳等が証拠として採用されたほか、本件日記帳について外観上不自然と思われる点を明らかにした石井検事作成の本件日記帳の平成二年一〇月三一日付け実況見分調書(実況見分当時、本件日記帳の綴じ部と反対側において、概ね上半分の範囲で本件枚葉及び次枚葉が若干飛び出しており、綴じ部付近において、本件枚葉と前枚葉が直接的に糊付けされ、そのため本件日記帳の昭和六三年三月一二日欄から同月一六日欄の記載のある部分を開くと、前枚葉のうち同月一二日欄の記載がある頁の左端は、ノート左側部に約一・二ないし一・五センチメートル届かない状況に、本件枚葉のうち同月一五日欄の記載がある頁の右端は、ノート右端部に約一・三ないし一・六センチメートル届かない状況にあり、本件枚葉と次枚葉の間においては、綴じ部付近において直接的に幅約七ミリメートル(中段やや上の付近)にわたって糊付けされているため、同月二一日欄から同月二五日欄を開くと、本件枚葉のうち、同月二一日欄の記載がある頁の左端は、ノート左端部に約一・五ないし一・七センチメートル届かない状況にあった。<証拠略>、古賀吏員作成の平成二年一〇月二日付け鑑定書(本件手帖の昭和六三年三月一七日の記載が二種類の筆記用具で記載されたものと推定されること、本件日記帳の同日欄の記載は同一の筆記用具で記載されたものと推定されること、本件日記帳には、綴じ部から剥がれ再糊付けされたと推定されるズレ及び本件異常な糊付けが認められるが、これらが枚葉の差替え等の改ざん・改変により生じたものかどうかは不明であることが鑑定結果として記載されている。<証拠略>)、科捜研技術吏員福山晴夫(以下「福山吏員」という。)作成の平成二年一二月一日付け(二通)及び平成三年一月一一日付け(二通)鑑定書(概要は、「本件日記帳の前枚葉以前及び以後の背クロスに使用された糊は、本件日記帳の製造元であるコクヨ社が使用しているコクヨブレンドNO11というコクヨ社専用糊(ポリビニルアルコール#五〇〇を若干含むポリ酢酸ビニル系エマルジョン接着剤)と同種であるが、前枚葉と本件枚葉とを直接糊付けするのに使用された糊、本件枚葉と次枚葉とを直接糊付けするのに使用された糊及び次枚葉と次々枚葉とを直接糊付けするのに使用された糊は、いずれもコクヨブレンドNO11とは異質のポリビニルアルコール系#二〇〇〇に類似する糊である。本件日記帳背綴じ上部の無色透明の糊状の固着物は、コクヨブレンドNO11とは異質のポリビニルアルコール系#五〇〇である。」(なお、右にいう次枚葉と次々枚葉間の直接の糊付けは、本件異常な糊付けに比較すると、かなり狭くあるいは短く、前記石井検事作成の実況検分調書及び古賀吏員作成の鑑定書においては気付かれていない。)<証拠略>)、コクヨ社従業員である村上栄治郎の平成二年一二月二六日、二七日付け供述調書(概要は、「本件日記帳と同一の製品であるコクヨ社製造のノートは、糸を使用しない無線綴じの方法で製本されており、B4大の用紙を中央にミシン目を付けてそこから二つに折り畳んだものを五〇組重ねて糊で背固めした構造となっている。各用紙の糊付け幅は、二ミリメートル以上にならないようにされているが、仮に製造過程で糊の深入りが生じる場合は一部の枚葉のみならず、全枚葉に及ぶ。糊付けの後、紙片の断裁が行われるため、本件ノートの一部の用紙が突出するということは製造工程ではあり得ない。」というもの<証拠略>)、本件日記帳のコピー(<証拠略>)が取り調べられた。また、贈賄日である昭和六三年三月一七日の前日は宿直であった旨のCの証言に関連して、Cの昭和六三年三月分の出勤簿のコピーが取り調べられた(Cが同月一六日当直勤務をし、翌同月一七日は出勤していないという内容。<証拠略>)。
(一〇)(1) 平成三年五月九日、第一一回公判が開かれ、地裁第二刑事部は、原告X1に対し、懲役一〇月、執行猶予三年、追徴金二〇万円の有罪判決(X1事件原審判決)を言い渡した(<証拠略>)。
(2) X1事件原審判決は、理由中の(罪となるべき事実)において、犯行日時を「昭和六三年三月一七日午後六時ころ」と特定し、(証拠説明)において、Cの自白供述の信用性を高く評価し、原告X1の自白供述についても、供述が変遷したり、検察官に不用意な行動があったものの、自白の任意性については、疑いを容れる余地はないと判示した。
原告X1のアリバイに関する原告X1本人の供述や亡A及び原告X2の証言並びに本件日記帳等の信用性については、万福食堂で原告X1とCが共に飲食をし、その際亡A及び原告X2らと一緒になった事実があるとしても、その日が昭和六三年三月一七日であると証言する亡A及び原告X2の根拠は、結局のところ、原告X2が当時備忘のために使用していたという本件手帖及び本件日記帳の当該日付欄の各記載に依存するものであり、原告X1本人の供述はX2らの証言によって記憶を呼び起こされたというものにすぎないとした上で、「同人らの供述を前提とすると、Cが宿直明けの非番の日に、被告人(原告X1)がC方を訪れ、共に飲食に赴いたこととなるが、非番の日に被告人と飲食に赴くこと自体不自然の感を免れないところである。更に、右手帖(本件手帖)及び大学ノート(本件日記帳)については、その保存及び発見の経緯に不自然な点が窺われる上、関係証拠によれば、右手帖及び大学ノートの該当部分には、頁の貼り直し、書き加えなど、いずれも明らかに何人かによって手が加えられた痕跡が認められるのであって、これらの改変が、右手帖等が裁判所に提出(される)前になされたことは、当裁判所の右手帖等の証拠調べの結果明らかであり、右改変に関与したと思われるX2(原告X2)若しくはその関係者から何らの合理的説明がなされていない以上、当該部分の記載の信用性は著しく低いというべきである。」として、本件日記帳等の信用性を排斥し、原告X1と亡A、原告X2との関係及び右両名の供述が本件日記帳等に依拠していることに照らすと、右両名の証言を軽々に信用することはできず、右両名の証言及び原告X1の供述によっては、Cの証言の信用性はいささかも揺るがない旨判示した。
(二) 平成三年五月九日、本件X1事件弁護人より控訴が申し立てられた。
控訴審の審理は、平成四年二月六日の第一回公判から平成七年三月一日の第一八回公判まで行われ、同年六月二一日の第一九回公判において、原判決を破棄し、原告X1を無罪とする判決(X1事件控訴審判決)が言い渡された。
右判決は、同年七月五日、上告期間満了に伴い確定した。
3 本件X3事件及び本件X2事件の経緯
(一) 石井検事は、亡A及び原告X2の逮捕日である平成二年一一月一四日までに、前記2(九)の同年一〇月三一日付け実況見分調書(<証拠略>)及び前記古賀吏員作成の鑑定書(同月二二日付け。<証拠略>)を入手し、自ら作成した同年一一月六日付け実況見分調書のとおり本件枚葉の下段部分にある焼け抜けの穴について再現実験を行い、原告X2が証言したように煙草を落としただけでは発生せず、右穴は故意に作出されたものと推定したほか、同年一〇月二六日、本件日記帳の差押許可状及び鑑定処分許可状の発付を得て、これを差し押さえた上、科捜研に鑑定を嘱託した結果、同年一一月九日、電話聴取りにより、同研究所の福山吏員から、<1>本件日記帳の背クロス部分の糊は、コクヨ社専用糊と同一である、<2>本件日記帳綴じ部上端に近い紙端に付着していると認められた若干量の糊は、コクヨ社専用の糊とは別のものである、<3>本件日記帳の本件枚葉と前枚葉とが直接的に糊付けされていた部分の糊及び本件枚葉と次枚葉とが直接的に糊付けされていた部分の糊は、いずれもコクヨ社専用糊とは別のものであるとの鑑定結果を聴取した。
また、コクヨ社八尾工場第二製作部長である村上栄治郎ら同社関係者から、<1>本件日記帳の本件枚葉及び次枚葉は、同社によるノートの販売後、故意に引き裂かれたか、あるいはその他何らかの原因によって背クロスから剥離し、再び背クロスに糊付けされたものと認められる、<2>本件枚葉とその他の枚葉の紙質の違いは格別見当たらない、<3>通常の使用方法による限り、一部の枚葉のみが背固めから剥離する可能性は著しく低く、特定の一部の枚葉のみに力を入れて引き剥がすには、一六キログラム以上の力が必要であり、相当の力を込めなければならない旨の意見を徴した。
石井検事は、更に、本件X1事件におけるCの証人尋問において、Cが、昭和六三年三月一七日は、原告X1方で現金二〇万円を贈賄しており、原告X1と万福食堂に飲食に行っていない旨証言したこと、犯行日である昭和六三年三月一七日の原告X1のタクシーの利用状況等の捜査により、原告X1が同日タクシーを利用した形跡はないと思われたこと、万福食堂の実況見分調書の結果(<証拠略>)などを総合考慮して、別紙三<略>のとおり、亡A及び原告X2に、共謀による証拠湮滅罪及び偽証罪が第四回公判において虚偽の証言(前記2(六)(2)及び(3)の証言)をした偽証罪が成立すると疑うに足りる相当な理由があると判断し、平成二年一一月一四日、亡A及び原告X2の逮捕状を請求した。
(二) 石井検事は、同月一五日、亡A及び原告X2に罪証隠滅及び逃亡のおそれがあるとして、福岡地方裁判所に対し、右両名に対する勾留請求をし、同日、福岡地方裁判所により、右両名を勾留する旨の決定がなされた。
(三) 亡Aの逮捕及び勾留後、福岡地方検察庁の安田高英検事が、亡Aの取調べを行った。亡Aは、本件X3事件の容疑を否認し、昭和六三年三月一七日の万福食堂における状況及び本件日記帳等の発見状況等について、以下のとおり供述した。
(1) 昭和六三年三月一七日の状況について(<証拠略>)
昭和六三年三月一七日の夜、万福食堂で原告X1とCが一緒にいるところを見た。同日午後八時三〇分ころ、万福食堂を出ると、原告X1とCが二人一緒にタクシーに乗り込んだ。原告X1は、私に手を振って、飯塚方面に走り去った。
(2) 本件手帖の発見について(<証拠略>)
平成二年七月一〇日から同月一二日までの間に、原告X1の妻であるBが福失連の事務所に来て、原告X2に、「昭和六三年度の手帖はないでしょうか。」と尋ねた。
原告X2は、さっそく机の引き出しを捜し、一〇分くらいかかって、昭和六三年の衆議員手帖を捜し出した。原告X2は、私とBに対し、手帖を広げて、「ありましたよ。三月一七日、やっぱりX1さんとCが会うちょるばい。」と言った。
私は、Bや他の来客が帰った後に、原告X2から本件手帖の昭和六三年三月一七日欄を見せてもらった。
(四) 原告X2の逮捕及び勾留後、石井検事は、原告X2の取調べを行った。原告X2は、本件X2事件の容疑を否認し、昭和六三年三月一七日の万福食堂における状況及び本件日記帳の発見状況等について、以下のとおり供述した。
(1) 昭和六三年三月一七日の状況について(<証拠略>)
昭和六三年三月一七日、亡A、田中実、石見美津子、花元正司及び私の五人で、午後五時すぎに万福食堂に行き、そこで原告X1とCに会った。途中、石見美津子及び花元正司が次々と帰宅し、最後に亡A、田中実及び私が残った。私達は、午後八時ころ万福食堂を出た。私は、車で亡Aを同人の自宅まで送り、それから知人の吉田方に立ち寄ってから自宅に帰った。田中実は、「タクシーを拾って帰る。」と言っていた。
(2) 本件日記帳等の発見状況について(<証拠略>)
平成二年五月下旬ころ、Bが福失連の事務所に来て、私に「昭和六三年のことを書いた手帖を持っていませんか。手帖に主人と一緒に飲んだりしたことを書いてないですか。」と尋ねた。私は、「昭和六三年の手帖なら探したらあると思いますから、帰って探してみましょう。」と答えた。その後二、三日は手帖のことを忘れていたが、Bから明日事務所に伺いたい旨の電話を受けたことから思い出し、自宅を探して電話台の引出しの中から昭和六三年の手帖を発見した。
手帖を発見したことは、翌日Bが福失連の事務所に来た時に、亡Aと三人で会って伝えた。Bが、「三月一七日前後を見て欲しい。」と言ったので、私が三月一七日の記載を見ると、同日、私、亡A、田中実、石見美津子、花元正司の五人で万福食堂に行ったところ、原告X1とCに出会ったことが書かれていた。Bにこれを伝えると、同女は、「ああよかった。」と声を出して喜び、三月一七日にCがX1方に来て現金を渡したことが問題になっていることを話した。
私は、本件手帖を平成二年六月ころ徳永弁護士に提出した。
その後同年八月上旬ころ、自宅で亡Aのズボン吊りを探していたところ、タンスの中から本件日記帳を発見した。Bが福失連を訪ねて来た際、同女及び亡Aに対し、本件日記帳を発見したこと、本件日記帳に本件手帖と同様のことが記載されていたことを伝えた。その後、平成二年八月一〇日に、本件日記帳を徳永弁護士に提出した。
(五) 平成二年一一月一〇日、同月二二日は、福岡地方検察庁の吉瀬信義検事(以下「吉瀬検事」という。)が、同月二七日は、同庁の小島副検事が、それぞれ石見美津子の取調べを行った。石見美津子は、右取調べにおいて、以下のとおりの供述をした(<証拠略>)。
私は、亡A、原告X2、田中実及び花元正司の五人で万福食堂に食事に行ったことがある。その時期ははっきり覚えていないが、田中実がオートレースで当たったのでおごろうということになり、皆でホルモンを食べることになった。当日は、午後五時ころに万福食堂へ向かったと思う。店に入ってから一時間前後位過ぎたころ、原告X1とCが一緒に店に入ってきた。私は、原告X1達が来てから三〇分位経った午後六時半ころ、一足先に店を出て帰宅した。
万福食堂で、原告X2にCのことを話してはいない。原告X2は万福食堂で会うまではCを知らなかったような口振りだった。それから何日か経ったころ、地区労事務所(勤務先。原告X2の勤務先と同一ビル内にある。)で原告X2からCとの間柄を聞かれ、主人の弟(本件記載中の「石見秀」と同一人物)の同級生と話した。
(六) 平成二年一一月二〇日及び同年一二月一日、吉瀬検事が、田中実の取調べを行った。田中実は、右取調べにおいて、以下のとおりの供述をした(<証拠略>)。
私は亡A、原告X2、石見美津子及び花元正司の合計五名で万福食堂に行ったときに、原告X1及びCと会ったことがある。そのとき私たちが万福食堂に行ったのは、私が滅多に買わないオートレースの券を買ったところ、これが当たったので、亡Aらを誘ったからである。オートレースのレース名は覚えていないが優勝戦のレースだった。また、万福食堂に行ったのは、レース当日ではなく、その翌日か翌々日であったが、正確な日は覚えていない。
私たちは、午後五時を過ぎてから万福食堂に行き、店に入って三〇分ないし一時間位経ったころ、原告X1とCが来店した。
万福食堂には長くて二時間程度いたのではないかと思うが、はっきり覚えていない。石見美津子は一足先に帰った。私は万福食堂からまっすぐ自宅に帰ったが、タクシーを利用したのか原告X2に送ってもらったのかについてもはっきりしない。
(七) 平成二年一一月二三日、福岡地方検察庁の小島副検事が、花元正司の取調べを行った。花元正司は、右取調べにおいて、以下のとおり供述した(<証拠略>)。
私は、亡A、原告X2、田中実及び石見美津子の五人で万福食堂に行ったことが一回ある。その時期については、二月から四月の間であったように記憶しているが、昨年か一昨年かも含めて日にちは、はっきりとは覚えていない。当日は、午後五時過ぎに万福食堂に向かった。その席で、田中実がオートレースで勝った話も出たように記憶している。私たちが店に入ってから、二、三人連れの男が来店したが、この男たちと亡Aらが挨拶や会話を交わしたという記憶はない。石見美津子は先に帰宅したが、他の四人は二時間位店にいた。
(八) 石井検事は、亡A及び原告X2に対する偽証教唆の被疑者として、平成二年一一月二五日、原告X1を取り調べた。原告X1は、右取調べに対し、以下のとおりの供述をした(<証拠略>)。
私は、Cと二人で二回位万福食堂に行ったことがあるが、その機会に一回亡A、原告X2らと同店で会ったことがある。私たちが万福食堂に行くことになったのは、前日か当日に私がCを誘ったからである。私は、当日勤務を終えると、通勤用のバイクで東方に行った。Cは勤務を終えて帰宅しており、私が着くと、タクシーを呼んで二人で万福食堂へ向かった。到着したのは午後五時三〇分過ぎころだったと思う。万福食堂には、既に亡A、原告X2、田中実と見知らぬ二名(内一名は女性)が和気あいあいと飲んでいた。私たちは、亡Aと挨拶を交わした後、奥の席に座って飲食をした。
私とCは、亡Aらよりも先に万福食堂を出た。帰りがけに、一緒に飲みに行かないかと亡Aを誘ったが、飲むのが続いているということで断られたので、Cと二人でタクシーに乗って飯塚に向かった。亡Aに見送ってもらったかどうかについては記憶がない。
(九) 石井検事は、谷岡検事が平成二年八月下旬に徳永弁護士から受領した本件日記帳のコピーのいずれにも本件異常な糊付けが写っていないことを認識した上、検察事務官をして本件日記帳と同様のノートを使用した枚葉の差替え挿入実験を行わせ、右差替え挿入後のノートを見開き状態にした際の左右の頁の上端から下端までの接合個所(以下「のど」という。)に微細な糊剥がれの亀裂を作ったものをコピーしたところ、同弁護士から受領した本件枚葉前後のコピーに写っている、のど部の黒色縦線と同様の線が再現されたので、平成二年一二月三日、科捜研から聞き出した、右コピーの背割れ(背固め部から枚葉の剥離)が写っているとの鑑定的意見を裏付けとして、同弁護士から入手したコピー作成当時、既に原告X2により本件枚葉について差替え挿入による一次改変が行われており、右コピー時点で生じていた背割れが前記のど部の黒色縦線として写し出され、その後、何者かによって本件異常な糊付けという二次改変が行われたと判断して、後記(一三)(2)のとおり、翌同月四日原告X2を起訴した。右実験結果等をまとめたものが検察事務官作成の平成二年一一月二九日付け及び同年一二月三日付け各捜査報告書(<証拠略>)である。なお、石井検事は、起訴後、右の点に関する証拠化のため、キャノン株式会社に鑑定を依頼した。
(一〇) 本件日記帳の昭和六三年三月一五日欄には、亡Aも田中実と同じ的中車券を購入した旨記載されているが、亡A、田中実らは右事実を否定し、原告X2も取調べにおいて誤りであることを認めたが(<証拠略>)、自ら場外車券売り場で田中実や亡Aの車券を一括購入したというのに、その直後の日記に右のような誤りを記載するのは不自然であると、石井検事らは考えた。
(一一) 原告X1がよく利用する加地タクシー株式会社の乗務記録に昭和六三年三月一七日午後五時二五分から午後五時三〇分の間に次郎五郎(C方付近の地域の通称)から天道という記録が一件あったが、これを記載した運転手若狭博美は、原告X1もCも知っているが、二人を天道まで乗せていった記憶はないと供述した(<証拠略>)。
(一二) 福岡拘置支所長に対する捜査関係事項照会により、亡A及び原告X2が、原告X1の起訴後である平成二年六月六日から右両名が逮捕される前日である同年一一月一三日までの間に、原告X1に一三回接見していることが判明した(<証拠略>)。
(一三)(1) 亡Aは、同年一二月四日、処分保留のまま釈放され、平成三年三月二九日、起訴猶予処分とされた。
(2) 原告X2は、平成二年一二月四日、別紙四<略>記載の証憑湮滅罪及び偽証罪の公訴事実により福岡地方裁判所に起訴された。
平成三年一月一八日、原告X2の保釈許可決定がなされ、同月二三日、原告X2は釈放された。
本件X2事件を担当した福岡地方裁判所第三刑事部は、平成六年一一月二八日、原告X2に対し、無罪の判決(X2事件判決)を言い渡した(<証拠略>)。
検察官は、同年一二月九日、右判決を不服として控訴を申し立てたが、平成七年七月四日、右控訴を取り下げたため、X2事件判決は確定した。
4 X2事件判決の理由中、本件に関係があると思われる部分を抜粋すると、次のとおりである。なお、意味を損なわない限度で、表現を適宜改めた。また、< >内は、当裁判所による補記である。以上は、後記5についても同様である。
(一) 「九 右の各事実を総合すると、平成二年九月一八日から同月二七日の時点において、本件日記帳は、綴じ部に変形が生じていて、表紙が裏表紙より全体に右に歪んだ状態になっており、また、上方綴じ部において、本件枚葉以降の部分にズレ(紙端の乱れ)が認められ、また、枚葉間の糊付けについて、本件枚葉と前枚葉との間では、上方から中央部にかけて最大約八ミリメートルの幅で、本件枚葉と次枚葉との間では、中央付近で約一一ミリメートルの幅でそれぞれ製造工程で使用されたものとは異なる糊で接着されており、いずれも前後のページの罫線が重なる状態となっており、さらに、同年一〇月二九日の時点においては、本件日記帳の背の反対側及び下端から本件枚葉と次枚葉が飛び出しており、上端においては、窪みがみられるという状態になっていたことが認められ、このような外観が、通常のノートの製造及び使用の過程で生じるものではないことは、前記村上栄治郎の検察官調書から明らかである。」<<証拠略>>
(二) 「検察官は、弁護人が被告人から本件日記帳を渡された後に作成したコピー(<証拠略>)の次枚葉と次々枚葉の間の中央部の縦線が緩やかな曲線を描いているとして、これを被告人による一次改変の痕跡であると主張するが、右コピーの縦線が、異常な糊付けを推測させるほどに湾曲しているとみることはできない上、古賀鑑定書(<証拠略>)によると、平成二年九月二〇日から同月二七日<正確には二五日>までの間において、前枚葉と本件枚葉との間、本件枚葉と次枚葉との間以外には異常な糊付け箇所はなかったというのであるから、前記各コピーの縦線の湾曲をもって、被告人による一次改変の痕跡とみることはできない。」<<証拠略>>
(三) 「しかし、背綴じ上部の糊が、枚葉間の糊が付着する以前に付着したという証拠は何ら存在しない上、仮に、一次改変の際、背綴じ上部の糊が付着したとすれば、前枚葉と本件枚葉との剥離部分からも背綴じ上部の糊と同一のポリビニルアルコール系接着剤の成分が検出されるのが自然であるのに、前記第三の八で認定したとおり、右剥離部分にポリビニルアルコール系接着剤の混在は証明できないのであるから、背綴じ上部の糊の付着をもって一次改変の存在を推認することはできない。
四 本件日記帳がX1事件の公判裁判所に提出される以前に作成されたコピー(<証拠略>)のうち、前枚葉と本件枚葉との間を写したものの中央部には黒色の縦線が写し出されていることが認められるところ、検察官は、これが一次改変で接着した糊が剥がれたことによる背割れを示すものであると主張する。
キャノン株式会社複写機開発センター技術評価室徳原満弘作成の鑑定結果報告書(<証拠略>)、右徳原満弘外二名作成の「鑑定書に対する御質問事項(平成三年二月七日付FAX)に対する解答書」と題する書面<<証拠略>>及び第七回公判調書中の証人三宅信行の供述部分(<証拠略>)は、<証拠略>については、同コピーにはミシン目が写っていること及び同コピーの中央部の縦線はシャープな黒線であって、線の両側にハーフトーン(白色と黒色の中間色)が出ていないことから原稿がコピー機原稿台ガラスに密着した状態かこれに近い状態であったと考えられるが、右縦線が太いので、右縦線は原稿である本件日記帳に糊剥がれによる背割れがあったことを示すものと考えられ、<証拠略>の中央部の縦線についても、太い黒線の右端がシャープであることから、これをハーフトーンとは考えられず、やはり、原稿である本件日記帳に糊剥がれによる背割れがあったことを示すものと考えられるという検察官の右主張に沿うものである。しかし、右の鑑定等は、本件日記帳全体の歪みや左右の頁の最上部の罫線間の距離あるいは罫線の湾曲等本件日記帳に特有の事情を捨象して、各コピーと同様の画像を得るためには原本がいかなる状態である必要があるかを単に一般的に考察しているに過ぎないきらいがあり、右の鑑定結果を直ちに採用することはできない。
他方、前記小倉鑑定書及び小倉証言は、平成二年八月一〇日に作成されたコピー(<証拠略>)のうち、前枚葉と本件枚葉との間を写したもの、<証拠略>、<証拠略>のそれぞれの中央部の縦線については、各コピーの左頁の最上部罫線右端と右頁の最上部罫線左端との距離がほぼ一定であること及び各コピーの最上部罫線と最下部罫線が湾曲していることから、各コピーの中央部の縦線が原稿である本件日記帳に背割れがあったことを示すものとは考えがたく、<証拠略>の中央部の縦線は、右各コピー作成の際使用された複写機キャノンNP―三八二五が右斜め下方向から光線を照射する作動機構を採用しており、原稿である本件日記帳の背が特異な変形をしていて、左頁の枚葉接着部分が綴じ目よりも右に傾いたために生じた紙の折れ返り部分のふくらみの一部の傾斜が約六五度の角度を超えたために生じたふくらみの影(右片影の現象)及び綴じ目に合わされる原稿の左右の紙面相互の間の光線が反射を繰り返し吸収されてコピーに細線を作る現象(光トラップ現象)によるものと考えられ、<証拠略>及び<証拠略>の中央部の縦線は、左頁の小さな折れ返りによる段差あるいは光トラップ現象によるものと考えられるというものである。右小倉鑑定にも、各コピー作成の際、使用された複写機キャノンNP―三八二五を使用した時間はわずか二〇分くらいであったことなど時間不足の感は否めず、また、最上部罫線の湾曲の程度から同所のコピー機原稿台ガラスからの浮き上がり量を計算して右片影の現象が生じる紙面のふくらみの角度を作図により算出しているが、右浮き上がり量及び角度について誤差が生じる余地がある上、枚葉の上部と下部とにねじれ(コピー機原稿台ガラスからの浮き上がり量が異なること)が存する可能性があるにもかかわらず、最上部罫線の湾曲の程度から算出した浮き上がり量を枚葉中段及び下部にもそのままあてはめて計算していることなどの問題点を指摘できるが、同鑑定は、本件日記帳全体の歪みや左右の頁の最上部の罫線間の距離あるいは罫線の湾曲等の本件日記帳に特有の事情及び各コピー作成の際、使用された複写機キャノンNP―三八二五の特性を考慮したものであって、その推論過程も合理的なものということができ、右の合理性は前記実験誤差により減殺されるものではないことに鑑みると、同鑑定の信用性を否定することはできないというべきである。
以上を総合すると、平成二年八月一〇日に作成された前枚葉と本件枚葉との間のコピー(<証拠略>)、同月二三日に作成された同じ箇所のコピー(<証拠略>)、同月下旬から同年九月上旬ころに作成された同じ箇所のコピー(<証拠略>)のそれぞれの中央部の縦線をもって、原本である本件日記帳の当該部分に当時背割れがあったと認定することはできない。」<<証拠略>>
五 以上のとおり、本件日記帳の外観及び形状、異常な糊付けの状態及び糊の成分、日記帳のコピー等からは、被告人による一次改変を直接的に認定することはできない。
しかし、前記第三の二、三で認定したとおり、平成二年九月二七日<正確には二五日>までの時点において、本件日記帳は、本件枚葉以降の部分に紙端の乱れがあり、同年一〇月二九日の時点において、本件枚葉と次枚葉の二枚葉がノート本体から飛び出しており、丸茂鑑定書及び丸茂証言によれば、<平成五年一一月一六日から平成六年一月一〇日までの時点において、>本件枚葉と前枚葉は、異常な糊付けにより接着された以外の部分では剥離しているが、本件枚葉と次枚葉は、下端の上約四・五センチメートルの位置からその上約七センチメートルの間において互いに背の部分のみで接合された状態であることが認められるというのであるから、これらの事実を総合すると、<1>本件日記帳の本件枚葉と次枚葉に相当する二枚葉と引き剥がし、別のノートから接合したまま引き剥がした本件枚葉と次枚葉を本件日記帳に糊付けしたか、若しくは、<2>本件日記帳から本件枚葉と次枚葉の二枚葉を接合したまま引き剥がし、再び以前の位置に糊付けしたという可能性が最も高いということができる。なお、右<1>、<2>のほかにも、本件枚葉のみ(又はこれに相当する一枚葉)をノート本体から引き剥がして、再び(又は別のノートの一枚葉を差し替えて)糊付けし、あるいは、本件枚葉と次枚葉の二枚葉を接合したまま上端から途中まで引き剥がして再び糊付けした可能性も一応考えることができるが、前者は、本件枚葉と次枚葉が背の部分のみで接合されていたという丸茂鑑定書、丸茂証言と矛盾し、後者は、本件日記帳の本件枚葉と次枚葉の二枚葉ともノート本体から飛び出しているという異常な状態と矛盾するものであって、いずれもその可能性は低いと考えられる。
そして、丸茂鑑定書によれば、前枚葉と本件枚葉の剥離部分からは、本件日記帳(大学ノート)の製造工程で使用された糊と同種のポリ酢酸ビニル系接着剤しか検出されなかったというのであるが、丸茂証言によると、市販されているポリ酢酸ビニル系接着剤としてはセメダインやボンドがあり、これらの接着剤が前枚葉と本件枚葉との接着に用いられたとすれば、その剥離部分から<背綴じ上部及び異常な糊付けに使用された>ポリビニルアルコール系接着剤の混在は証明できないというのであるから、被告人が、本件日記帳を徳永弁護士に渡す前に、前記<1>の方法で、別のノートから剥ぎ取った二枚葉をセメダインやボンドを用いてノート本体に接着させていたという可能性を否定することはできないこと、改ざん前の次枚葉に相当する枚葉のどこかに万福食堂でCらと出会った旨の記載があった場合や、改ざん前の本件枚葉に相当する枚葉の末尾の記載と次枚葉に相当する枚葉の最初の記載が一文で連続していた場合など、二枚葉とも剥ぎ取って差し替える必要がある場合も考えられること、前記四で指摘したとおり、小倉鑑定書及び小倉証言は、<証拠略>の中央部の縦線は、本件日記帳の背が特異な変形をしていることによって生じたものであるというのであるから、被告人が、前記<1>の方法で改ざんしたことにより本件日記帳が変形したという可能性も十分に考えられること、以上の諸点に徴すると、被告人が一次改変を行ったとする検察官の主張も一応は合理性を有するということができる。
しかしながら、本件枚葉と次枚葉の接着にセメダインやボンドが用いられた、あるいは、本件枚葉のほかに次枚葉をも改ざんする必要があったというのは単なる可能性に止まるもので、これらを窺わせる証拠は皆無であり、複写機でコピーを繰り返すことにより大学ノートに変形が生じることは一般に有り得ることであって、小倉鑑定書及び小倉証言のいう本件日記帳の特異な変形を一次改変に起因するものと断ずることはできない。
また、沢村貴和作成の鑑定書(<証拠略>)及び証人沢村貴和に対する尋問調書(<証拠略>)によれば、製造月の異なるノートの枚葉間の紙中無機元素と同じノートの枚葉間のそれでは、前者の方が標準偏差の値が大きいという結果が出ているが、これは製造ロット(抄紙機で一回巻き上げた約二〇トンの単位)の異同によるものと推定することができるところ、本件枚葉と他の枚葉との紙質を比較すると、厚さ、坪量、酸性度、蛍光反応、紙表面のフェルトマーク(きめ)等において有意な差異は認められず、汗等による汚れの影響を受けないマグネシウム量について、本件枚葉の値が平均値プラスマイナス標準偏差の三倍を超えているものの、これは有効数字の取り方によるものであって、結論としては有意な差異はなく、本件枚葉が本件日記帳の他の枚葉と同一のロットで製造された可能性があるというのであるから、本件枚葉が元々本件日記帳の一部を構成していたものである可能性も相当程度に存在するということができ、このことは、被告人による一次改変の可能性を減殺するというべきである。
したがって、本件日記帳の形状、糊付け等からは、被告人が一次改変を行った事実を推認することもできないというべきである。
六 検察官は、二次改変の時期及び主体について、被告人又はその共謀者が、本件日記帳をX1事件公判裁判所に提出する前にこれを行ったと主張するが、そのことを窺わせる証拠はなく、むしろ、古賀鑑定書及び実況見聞調書(<証拠略>)によれば、前枚葉と本件枚葉、本件枚葉と次枚葉との間の糊付け幅はその他の枚葉間の糊付け幅に比べて異常に広く、ノートが完全には開かない状態なのであるから、比較的容易に気付くはずであると考えられるのに、X1事件第四回公判期日における本件被告人の証人尋問調書謄本(<証拠略>)によると、同証人尋問において、検察官はしばしば本件日記帳の本件枚葉及びその前後の頁を開いて尋問しているのに、糊付けの異常さに気付いていないことが窺われることに照らすと、右の異常な糊付けは、右公判期日の時点では存在していなかったのではないかという疑いを抱かざるをえない。
七 以上の次第で、本件日記帳の異常な形式や糊付け等からは、被告人が一次改変・二次改変によってかかる状態を作出した旨の検察官の主張を採用することはできないというべきである。
なお、弁護人は、一次改変・二次改変はともに本件日記帳がX1事件公判裁判所に提出された後になされたものである疑いが強いとして、捜査関係者による改ざんの可能性を示唆するので、付言するに、本件日記帳の枚葉間の異常な糊付けが裁判所提出後になされた疑いがあることをもって、直ちに、検察官や福岡県警察本部科学捜査研究所係官らの捜査関係者が、前記<2>の方法によって本件日記帳の改ざんを行った可能性が高いとの結論を導き出すことはできない。すなわち、捜査関係者が、本件枚葉のほかに次枚葉をも剥ぎ取る合理的な理由は見出しがたい上、前枚葉と本件枚葉との間を糊付けする場合において、本件日記帳が裁判所に提出される前に弁護士によってコピーが取られていることを知りながら、枚葉間に一見して異常な糊付けと分かる糊付けをし、下端から約八センチメートルもの部分を糊付けしないで剥離したまま放置する(前記第三の八で認定したとおり、右の剥離部分からは枚葉間の異常な糊付けに使用されたポリビニルアルコール系接着剤の成分は検出されていない)というのは極めて不自然と考えられ、また、セメダインやボンドを用いた前記<1>又は<2>の方法による改変の後、糊の乾燥等によって枚葉間が一部剥離し、裁判所提出後に本件日記帳を手にする機会のあった者が、単に修復の意図で枚葉間の剥離部分に糊付けしたなどの可能性も否定できないからである。
したがって、本件日記帳の改変が前記<1>、<2>のいずれの方法によるものか、その時期及び主体、枚葉間の異常な糊付けをした主体及び理由は、いずれも証拠上不明というほかはない。
八 検察官は、本件手帳及び日記帳の昭和六三年三月一七日欄の記載が虚偽であることは明らかであるから、同日欄を含む本件枚葉が改ざんされたこともまた明らかであると主張する。
確かに、X1事件におけるCの証人尋問調書謄本(<証拠略>)、第三回公判調書中の証人Cの供述部分のうち、宿直明けの昭和六三年三月一七日の午前中に銀行から二〇万円を下ろし、同日の午後五時半過ぎにX1方を訪れて現金二〇万円を手渡した、同日にはX1と一緒に万福食堂に行っていない旨の供述部分は預金の引出し及び宿直明けなど客観的根拠に基づくものである上、X1の検察官調書(<証拠略>)中のCの宿直明けの日に同人と一緒に万福食堂に行ったことはないとの部分とも符合していて、信用性が高いと考えられる。また、本件日記帳の同月一七日の欄には、それまで面識のないCについて、「Cさんは石見秀さんと同級で友達との事、美津ちゃんと顔なじみだった。」と記載されているが、石見美津子の検察官調書(<証拠略>)によれば、石見美津子が被告人からCとの間柄を尋ねられて教えたのは、万福食堂でX1、Cと会った数日以上後のことであるというのであるから、本件日記帳の右記載は当時知りえなかったはずの内容であり、後日改ざんされたということになる。これらの点に照らすと、公訴事実第一の本件日記帳の記載は虚偽であり疑いがあり、右記載部分は何らかの方法により改ざんされたものではないかとの疑いを抱かざるをえない。
しかし、X1事件におけるCの証人尋問調書謄本(<証拠略>)によると、同証言では、X1に現金二〇万円を渡した日の特定が曖昧になっており、第四回公判調書中の証人石見美津子の供述部分によると、同証言でも、万福食堂でCらと会った際に、同人のことを被告人に話したかどうかがやや曖昧であること、石見美津子の検察官調書(<証拠略>)によると、同人は、Cと挨拶を交わしたというのであるから、被告人に対してCとの関係を話した可能性もあると考えられることなどに徴すると、当裁判所で取り調べた証拠によっては、本件公訴事実第一の本件日記帳の記載が虚偽であるとまで断定することはできないというべきである。
検察官は、本件手帳の発見の日時・場所、手帳の記載内容をBやAに説明した際の状況、本件日記帳を弁護士に提出するまでの状況について、被告人とAの供述が大きく齟齬することをもって、被告人の右供述が虚偽であるというが、これらの点に関する被告人のX1事件第四回公判期日における証言、本件の捜査段階における供述、本件第一二回公判期日における供述はほぼ一貫しており、他方、Aの供述が被告人のそれよりも信用性が高いということは必ずしもいえないのであるから、両者の供述の齟齬をもって、被告人の供述が虚偽であると断定することはできない。なお、検察官は、被告人が第一二回公判において、Bから昭和六三年三月分の手帳のことを聞かれた時期が、X1事件の起訴前である平成二年五月下旬であると供述していることをもって不自然であるというが、被告人のX1事件第四回公判期日における証言では、同年五月終わりか六月初めころからという幅のある供述をしており、X1の妻であるBが、夫が収賄の日として嫌疑をかけられている日を弁護人から聞いて知っていたとしても必ずしも不自然ではないというべきである。
その他、検察官は、被告人の平成二年度の手帳に、本件手帳及び日記帳の発見状況やこれらをめぐるBとのやり取りが記載されていないこと、本件手帳及び日記帳には、万福食堂に行った時間が「四時すぎ」と記載されていて、これが真実と異なること、本件日記帳の昭和六三年三月一五日の欄にはオートレースの購入車券の番号やレース結果が記載されているが、そのように詳しい記載は同日のみであり、しかも同日欄には、田中のほかにAも的中車券を購入していた旨の事実に反する記載があること、本件手帳と日記帳では、同月一七日の天候の記載がやや異なること、以上の諸点は、本件手帳と日記帳の同日欄の記載が虚偽であることを示すものであると主張するが、これらの点はいずれも右主張の決め手となるものではなく、これらを総合しても、本件手帳と日記帳の記載が虚偽であると断定することはできないというべきである。
九 以上のとおり、本件日記帳の改ざんに関する検察官の主張はこれを認めることができない。
第五被告人による本件手帳の改ざんの有無
検察官は、本件手帳の三月一七日欄の記載は、その途中で別の筆記用具により記載されていることから、その部分については、後から書き加えられたものと考えられる旨主張しており、確かに、前記古賀鑑定書及び古賀の証人尋問調書写しは、本件手帳は外観的には紙端のズレや綴じ部の状態等に不自然なところは認められないが、三月一七日欄の記載文については、「ひる市役所に…行った」の文字(以下「前段部分」という)と、「四時すぎより天道駅前…X1とCさんに逢う」の文字(以下「後段部分」という)とでは、色調に相違がみられ、赤外線の吸収率及び透過光線の透過率にも差異が認められることから、両者を記載した筆記用具(ボールペン)のインクの成分が異なっている可能性が極めて高く、断定はできないが、両者は異なる筆記用具により記載されたものと推定されるとしている。
しかしながら、第一二回公判調書中の被告人の供述部分、被告人に対する証人尋問調書謄本(<証拠略>)及び被告人の検察官調書(<証拠略>)によると、被告人は、本件手帳を記載する時間・場所について、当日の昼休みまでの出来事は、当日の昼休み時間中に勤務先の事務所で記載し、それ以降の出来事は、翌日の朝事務所で記載する(なお、<証拠略>においては、当日の昼休み以降の出来事は、当日の帰宅後夜自宅で記載すると述べている)のであって、三月一七日欄については、前段部分は当日の昼休み時間中に記載したが、後段部分は翌日の朝事務所で記載した(なお、<証拠略>においては、後段部分は当日の帰宅後夜自宅で記載したと述べている)、事務所には筆記用具が複数あると述べており、前段部分と後段部分は異なる機会に記載したものであって、それぞれ使用した筆記用具が異なることは不自然ではないし、後段部分の記載内容は、本件日記帳の昭和六三年三月一七日の記載内容とほぼ同一であって、前記のとおり、本件日記帳が改ざんされたものと認められない以上、後段部分も改ざんされたと認定することはできない。」<<証拠略>>
5 X1事件控訴審判決の理由中、本件に関係があると思われる部分を、X2事件判決理由と重複する部分を適宜省略して抜粋すると、次のとおりである。
(一) 「しかしながら、所論が主張する被告人のアリバイは、C及びDの各原審証言及び任意性が認められる被告人の自白調書と両立しないものであるから、このアリバイ主張を排斥できないことには、右各供述の信用性は担保されないといわざるをえない。当裁判所は、原審記録及び証拠物を精査し、併せて当番における事実取調べの結果を検討した結果、被告人には所論の主張するアリバイが成立する蓋然性を排斥できず、したがって、その余の問題点について判断するまでもなく、C、Dの各原審証言及びこれに符合する被告人の任意性の認められる右各供述調書について、信用性に疑問があり、被告人が原判示のいう日時にCから現金二〇万円を受け取ったというには、合理的な疑いが残るという結論に達した。以下、このアリバイの成否の点を中心に判断を示すことにする。」<<証拠略>>
(二)「 2 本件枚葉についての異常な糊付けがなされた時期について
<1> 本件枚葉についての異常な糊付け及びその前提となる剥離について
関係証拠によれば、本件ノートのコピー(符号3ないし8)は、本件ノートが原審に提出された原審第四回公判により前の八月、徳永弁護士の事務所で何回かの機会にコピー機により作成されたものと認められるところ、その当時においても、本件枚葉についての異常な糊付けが存在したのであれば、糊付けの存在する頁を開いてコピーをとった場合、本件枚葉についての異常な糊付けのために生じた不自然なずれのため、左頁に記載されている文字の右端と右頁に記載されている文字の左端の間隔が相当狭く写るはずであるが、右各コピーはいずれもそのように狭く写っておらず、本件枚葉についての異常な糊付けがなされていない状態でコピーがなされたものと理解すべき間隔で写っている。したがって、右各コピーの写り具合からみて、徳永弁護士が本件ノート全体のコピーを作成して谷岡検察官に渡した八月下旬の時点において、本件枚葉についての異常な糊付けが存在していなかったことは証拠上動かしがたいものである。
次に、八月下旬に右最後のコピー作成後、原審第四回公判までの間に三枚葉についての異常な糊付けが生じたかどうかについて検討する。紙端の乱れ、本件枚葉についての異常な糊付けなどについては、詳細な点は別としても、古賀による鑑定あるいは石井検察官による実況見分において指摘された本件ノートの外形的に不自然な状況は一見して気付きうるものであること、しかも、原審第二回(七月一九日)、三回(八月二三日)公判に検察官立証の中核となる証人C、同Dの各証人尋問が終了し、右両名の証言内容は、原判示認定に沿う内容のものであるところ、本件ノートの三月一七日欄に記載されている内容は後述するように被告人のアリバイに直結する内容であって、これが認められれば本件犯行が不可能となって公訴事実の立証が極めて困難になることが予想されるので、検察官としては重大な関心を寄せざるをえない性質のものであることから考えると、本件ノートを検察官が弁護人から借り受けた場合、その時点で前述した不自然な点が存在していたのであれば、これを検察官が見過ごすものとは考えられない。原審第三回公判から第四回公判にかけての時期は、弁護人が、第三回公判(八月二三日)において、立証趣旨を「被告人とCが、昭和六三年三月一七日午後五時三〇分ころから午後九時ころまでの間、JR篠栗線天道駅前所在万腹食堂<万福食堂。以下同じ。>において飲食していた事実等」として申請したX2の証人尋問が採用されて、次回(第四回)公判において同女の証人尋問が行われることに決まっており、しかも、八月三一日に、弁護人から本件手帖及び本件ノートの証拠請求も行われていたのであるから、検察官としては右証人尋問に際しての詳細な反対尋問の準備をする必要があり、また、右本件手帖及び本件ノートの証拠請求に対する意見も次回(第四回)公判で述べる必要が生じるなど、弁護側のアリバイ立証との関係で、本件ノートの形状、記載内容等が当然重要な問題になっていたものであるから、検察官において、本件ノートの重要性を十分に認識していたものと考えられる。そのような状況下で、谷岡検察官は、原審第四回公判(九月一三日)を間近に控えて、弁護人から受け取っていたコピーでは不十分で原本を検討しておく必要があると考えて、九月三日、わざわざ一晩本件手帖及び本件ノートを徳永弁護士から借り受けて手元におき、福岡地方検察庁の公判部長にも報告し、本件を起訴した石井検察官にも見せて検討してもらい、同検察官の方からは、本件ノートの書き加え等の有無について同月三日に科捜研の技術者にみてもらうため連絡するという話が出て、谷岡検察官は、同日のうちに科捜研から本件手帖及び本件ノートを取りに来ると考えたほどであったというのである(谷岡の当審証言)。弁護側によるアリバイ立証を崩すには、本件手帖及び本件ノートに外形的な不自然さがあるのかどうかをまず検討し、それが存在するのであれば、それによりX2側が証拠を捏造したとしてX2証言の信用性を弾劾することが最も容易である。原審第四回公判において、弁護人が、主尋問において、X2に対して、本件手帖及び本件ノートを示して尋問するなかで、同女はそれらの記載内容に符合する事実及び右記載内容が真実である趣旨を証言しているところ、谷岡、石井の両検察官は、反対尋問のなかで、本件手帖及び本件ノートの三月一七日欄等を示しながら多岐な事項について尋問し、反対尋問の予定時間三〇分を大幅に超過したため裁判長から再三にわたって注意されあるいは尋問時間を制限されたほどである。そのような反対尋問を行うためには、本件手帖及び本件ノートの入念な点検が不可欠となるから、谷岡、石井の両検察官は、九月三日から四日にかけて徳永弁護士から借り受けた本件手帖及び本件ノートについて、外形的な不自然さの有無を含めて丹念に点検したものと思われる。それにもかかわらず、X2に対する反対尋問の中で、検察官は、本件ノートの外形的な不自然さについては全くふれていない。また、原審第四回公判において、X2の証人尋問後、本件手帖及び本件ノートについて、弁護人が、刑訴法三二三条三号に基づいて証拠調べを請求する旨、検察官が「内容につき信用性を争う。存在につき異議がない。」という意見を述べ、裁判所がこれを証拠として採用し、検察官がいずれの証拠採用についても異議を述べているが、検察官作成の異議中立書においても、本件ノートについての紙端の乱れ、本件枚葉についての異常な糊付けに関する主張は全くしていない。これらの点から考えると、原審第四回公判に証拠として提出された時点においては、本件枚葉についての異常な糊付けが存在しなかったために、検察官もこの点にふれることができなかった可能性が高いものと考えられるから、前記最後のコピーが作成された八月下旬から原審第四回公判までの間に、本件枚葉についての異常な糊付けが作出されたものということはできない。また、前述した本件枚葉についての異常な糊付けの大きさから考えて、原審第四回公判において、証拠として提出された当時、右異常な糊付けの前提となる剥離が生じていたのであれば、それはかなり大きかったことになり、この剥離に訴訟関係者が気付いた形跡もないから、右の期間内において、本件枚葉についての異常な糊付けの前提となる剥離が生じなかった可能性が高い(右期間以前も同様である。)ことを意味するものである。」<<証拠略>>
(三)「 <3> 証拠物の貸出しに関する所論について
所論は、原審は、検察官に本件手帖及び本件ノートの閲覧を許す場合、閲覧場所を原裁判所構内に限定すべきであり、検察官に貸し出すとしても、その場合は、その提出者である弁護人の同意を得るか、第三者に交付してはならない等の制限を付けるべきであったのに、原審がそのような措置を講ずることなく、九月一八日から同月二五日までの間、本件手帖及び本件ノートを検察官に貸し出し、その結果、本件手帖及び本件ノートが、右の期間、検察官を通じて科捜研に預けられたのは、証拠物の保管に関する法令に違反したものであり、また、検察官は、本件手帖及び本件ノートを借り受けた場合には、自らの責任で管理すべきであるのに、前記の期間、本件手帖及び本件ノートを科捜研に預けたのは、証拠物の保管に関する法令に違反したものであるから、本件ノートの不自然な形状に関する証拠を本件証拠から排除すべきである、と主張するので、この点についても検討を加えておく。
<証拠略>によれば、原審は、九月一八日本件手帖及び本件ノートを検察官に閲覧のため貸し出し、九月二五日その返還を受けたが、それらを貸し出した当時は、まだ、本件ノートの異状に訴訟関係者の注意が向けられておらず、弁護人からも、本件手帖及び本件ノートの保管について格別の申し出がなされていた形跡もない上、検察官が本件手帖及び本件ノートを科捜研に預けることを、原審があらかじめ知っていた形跡もないことが認められる。
ところで、刑訴法二七〇条によれば、検察官は、公訴の提起後、裁判所の保管する証拠物を閲覧することができるのであり、同条と同法四〇条とを対比すると、検察官の閲覧場所は裁判所に限られていないと解されるから、検察官は、閲覧のため、証拠物を借り受けて裁判所外に持ち出すこともできる。したがって、原審が、本件手帖及び本件ノートを、検察官に閲覧のため貸し出したこと自体を、違法、不当とはいえない上、前記のような事実関係のもとでは、その貸出しに当たって、所論のように、原審が、その提出者である弁護人の同意を得なければならないとか、第三者に交付してはならない等の制限を特に付けなければならないと解すべき根拠はない。そうすると、そのような措置を講ずることなく、九月一八日から同月二五日までの間、本件手帖及び本件ノートを検察官に貸し出した原審の措置を、証拠物の保管に関する法令に違反したものであるとはいえない。
もっとも、検察官は、裁判所の保管する証拠物を借り受けた場合には、原則として自らの責任で管理すべきであり、刑訴法二七〇条、刑訴規則三〇一条の趣旨に照らすと、裁判所の許可を受けない限り、他に預けることまでは許されていないと解すべきである。そうであるところ、<証拠略>によれば、検察官は、本件手帖及び本件ノートを原裁判所から借り受けた後、九月一八日から同月二五日までの間、原裁判所に格別断ることなく、鑑定のためこれらを科捜研に預けたことが認められるので、検察官の右措置は、証拠物の保管に関する法令に違反したものであるといわざるを得ない。しかし、古賀の当審証言、古賀鑑定書及び若松豪に対する証人尋問調書(<証拠略>)等の関係証拠によれば、本件ノートについての紙端の乱れ、本件枚葉についての異常な糊付けは、本件ノートを検察官が九月一八日科捜研に持ち込んだ時点で既に存在していたことが認められる上、関係証拠を調査しても、本件手帖及び本件ノートが科捜研に預けられていた間に、これらの形状等が変わったことを窺わせる証跡はない。そうすると、検察官の措置に右のとおりの法令違反があるからといって、同措置が三枚葉についての異常な糊付けの原因となったものとまでは認めがたいから、控訴審において、原審が証拠として採用したものを証拠排除できるかどうかという法解釈上の問題について検討するまでもなく、所論は採用できない。
<4> まとめ
本件枚葉についての異常な糊付け及びその前提となる剥離は、原審第四回公判において証拠として提出された後に生じた可能性が高いものと考えざるをえないが、いつ誰によって作出されたのかという点について、前述した以上は確定できない。弁護人から原審第四回公判において、証拠として提出された後は、山中側において、本件ノートに手を加える機会はなかったものである。
3 本件枚葉についての異常な糊付けの位置等について
平成五年一一月一六日から平成六年一月一〇日にかけて、科学警察研究所警察庁技官丸茂義輝が本件ノートの鑑定を行ない、その際、本件枚葉についての異常な糊付け部分を剥離した上で観察した。丸茂作成の鑑定書(写し、<証拠略>)及び同人に対する証人尋問調書(写し、<証拠略>)(以下両者を併せて「丸茂鑑定」という。)によれば、前枚葉と本件枚葉の間には、本件ノート上辺の約〇・七センチメートル下方から下辺の上約八七センチメートルまでの間のみに最大幅約八ミリメートルの連続した接着痕が認められ、右鑑定当時、右接着痕の下端から下部は前枚葉と本件枚葉が剥離していたこと、本件枚葉と次枝葉の間は、本件ノートの上辺先端から下辺の上約一一・五センチメートルまでの間のみに最大幅約八ミリメートルの連続した接着痕があり、下辺からその上部約四・五センチメートルにわたって、本件枚葉と次枚葉は剥離しているが、下辺の上約四・五センチメートルからその上部約七センチメートルの間(下辺の上部約四・五センチメートルから同約一一・五センチメートルの間の約七センチメートル)において、山線(枚葉の折目の外側を意味する。)の部分で接合していたことが、認められる。このように、丸茂鑑定の時点において、前枚葉と本件枚葉の間における不自然な糊付け部分の下方は剥離しているが、本件枚葉と次枚葉の間における不自然な糊付け部分の下方は、右糊付け部分の下端から七センチメートルの間本件枚葉と次枚葉が山線部分で接合していた(但し、接合部分より下方は剥離していた。)ことに注意を払う必要がある。
そこで、本件枚葉についての異常な糊付け部分の下方にある右剥離がいつ生じたのかについて、検討する。本件ノートについては、X2から徳永弁護士に渡された八月以降丸茂鑑定までの約三年三か月間に、関係者が形状の観察、コピーの作成等を行っているので、X2から徳永弁護士に渡された当時と比較すると、右鑑定に伴う破壊以外の点においても、形状にある程度の変化を生じた可能性がある。古賀鑑定書によると、同人が鑑定に着手した九月一八日あるいは同月二〇日の時点における本件ノートの形状について、下方綴じ部に異常は認められないが、上方綴じ部において、本件枚葉から後の部分にずれ(紙端の乱れ)が認められ、そのずれが認められる用紙については、綴じ部の反対側の紙端にも綴じ部のずれ幅分のずれが認められ、最も大きくずれているのは本件枚葉と次枚葉であり、それ以降は順次ずれが小さくなっていた、とされている。古賀による鑑定の報告を受けて次に本件ノートの形状を観察した石井検察官作成の実況見分調書(謄本、<証拠略>)によると、本件ノートの下端から本件枚葉と次枚葉が一部飛び出しており(これは、古賀鑑定書で指摘された、上方綴じ部は紙端の乱れがあり、綴じ部と反対側に綴じ部のずれ幅分のずれが生じていることの物理的な影響と理解できる。)、綴じ部と反対側において、本件枚葉と次枚葉の概ね上半分の一部が本件ノートから若干飛び出しているが、概ね下半分にはそのような状況が認められない、とされている。前枚葉と本件枚葉、本件枚葉と次枚葉の間のうち、丸茂鑑定により認められる不自然な糊付けがなされていない部分のうちの剥離していた部分は、古賀による鑑定や石井検察官による実況見分時においても剥離していたのであれば、観察し、指摘できたと思われるのに、古賀鑑定書や右実況見分調書にそのような結果は記載されていない。
本件枚葉についての異常な糊付けがなされる直前において、前枚葉と本件枚葉の間、本件枚葉と次枚葉の間が完全に剥離していたのであれば、上辺から下辺まで綴じ部付近のほぼ全体を連続して糊付けするのが自然かつ合理的と思われるから、前者については、上辺の約〇・七センチメートル<下方>から下辺の上約八センチメートルの位置までの間のみ連続して、後者については、上辺の先端から下辺の上約一一・五センチメートルの位置までの間のみ連続して糊付けし、その他の部分に糊付けしないことは極めて不自然であること、前述したように、本件枚葉と次枚葉の間においては、不自然に糊付けされている部分に続いて、山線が互いに接合している部分があることなどを考えると、何らかの原因により右各糊付け部分のみが剥離したために、剥離した部分のみが連続して不自然に糊付けされたのではないかと考えられる。
また、丸茂鑑定によれば、本件枚葉中央折目(最深部)の部分の二か所(下部からその上方約八センチメートルにかけて)から(同鑑定の試料3、4)、更に背の下方部分を剥がしてその部分(同鑑定の試料9)から、それぞれ試料を採取し糊の成分を鑑定した結果、いずれも、本件ノートの製造時に使用されたポリ酢酸ビニル系エマルジョン接着剤が顕著に認められ、ポリビニルアルコール系接着剤が混在することを証明できない(この部分には、メーカー出荷時と異なる糊の付着が証明できないことになる。)ことが認められる。したがって、丸茂鑑定の時点においても、本件ノートの背の部分のうち、少なくとも本件枚葉の下辺から上方に約八センチメートルの範囲においては、メーカー出荷時のコクヨ社専用糊のみしか付着していなかった蓋然性があるものと認められる。加えて、丸茂鑑定の時点において、本件枚葉は、下辺の上方約四・五センチメートルからその上方約七センチメートルの範囲において、次枚葉と山線の部分のみで接合された状態にあったこと、前枚葉と本件枚葉、本件枚葉と次枚葉が山線部分のほぼ全体において接合し、かつ背クロスにも接合した状況下で上方部分が背クロスから剥離され本件枚葉についての異常な糊付けがなされたとしても不合理ではないことを考えると、本件枚葉についての異常な糊付けがなされる直前の時点において、前枚葉、本件枚葉、次枚葉の各山線の下方部分(本件枚葉についての異常な糊付けがなされていない部分)の山線は、前述した接合していた部分以外の部分においても、互いに接合し、かつ背クロスに接合していた蓋然性が否定できない(次枚葉と次々枚葉の間も同様に評価できる。)。
4 本件ノートの紙端の乱れについて
古賀鑑定書及び実況見分調書謄本(<証拠略>)によると、古賀による鑑定あるいは石井検察官による実況見分当時における本件ノートの紙端の乱れは、本件枚葉及び次枚葉の上方部分において生じており、上辺のそれが最も大きく、下方へ向かうにつれて次第に小さくなり、本件ノートを表側から見た場合の右端の裁断面中央付近で突出部分がなくなっていたことが認められる。この紙端の乱れは、本件枚葉及び次枚葉の上方部分が背クロスに若干届かない位置において本件枚葉についての異常な糊付けにより固定されたため生じたものと理解できる。
紙端の乱れ自体の正確な大きさは、計測されていないので不明であるが、古賀鑑定書の別添13の写真に写っている本件枚葉及び次枚葉についての紙端乱れ(本件ノートを表側から見た時に右端の裁断面から突出している長さ)を本件ノートの背クロスの大きさと比較しても約一ミリメートルあるいはせいぜい約二ミリメートルと思われるし、それも本件ノートを表側から見た場合の右端の裁断面全体から突出しているわけではなく、概ね上方部分のみが突出しているにすぎない。しかも、前述したとおり、本件ノートが原審第四回公判で証拠として提出された時点において、本件枚葉についての異常な糊付け及びその前提となる剥離が存在せず、同公判後に右異常な糊付け及びその前提となる剥離が作出された可能性が高いこと及び前述した丸茂鑑定の結果から考えると、同公判後に何らかの原因により右異常な糊付けが存在する部分のみが、剥離されて剥離された部分のみに右異常な糊付けがなされ、その際、剥離部分が背クロスに若干届かない位置において糊付けされたことにより、紙端の乱れを生じ、そのため右異常な糊付けがなされていない部分のみが、メーカーによる製造時のまま山線が互いに接合し、かつ背クロスとも接合した状態にあり(本件枚葉についての異常な糊付けの前提となる剥離から右異常な糊付けまでの期間はかなり短かかったものと考えられるので、右異常な糊付けがなされていない部分のみが背クロスと接合した状態のままで右異常な糊付けがなされた結果紙端の乱れを生じることは、不自然ではない。)、その後本件及びX2に対する証憑湮滅、偽証被告事件(福岡地方裁判所平成二年(わ)第一二一六号)における関係者が本件ノートを取り扱うなかで、前枚葉と本件枚葉の間では不自然な糊付けが存在しない部分において、自然に山線部分の剥離が進行し、本件枚葉と次枚葉の間でも、不自然な糊付けが存在しない部分の一部が自然に剥離した後、丸茂鑑定に至った可能性がある。
更に、本件ノートが、X2側において、被告人のアリバイ立証のため、原審第四回公判において証拠として提出されるまでの間に改変されたものと仮定すれば、本件枚葉の部分に位置していた枚葉が(あるいは同時に次枚葉の部分に位置していた枚葉も同時に)完全に剥離された後に本件枚葉(あるいは次枝葉も同時に)がそこへ接合され(以下「一次改変」という。)、その後それが剥離しかかったので本件枚葉についての異常な糊付けが行われた(以下「二次改変」という。)ということになると思われるところ、一次改変が行われたとした場合には、それに伴う糊付けは少なくとも一見して明らかな不自然さが残った形跡がないのに対し、二次改変は前述したとおり一見して明らかに不自然な状態にあるから、証拠の捏造を目的とした場合に、一次改変と比較してそのように目立つ、あるいは粗雑な二次改変をするものとは考えにくい。
本件枚葉についての異常な糊付けが粗雑に行われ、その結果、本件ノートの外形的な不自然さが目立つことから考えると、三枚葉についての異常な糊付けが、X2側による被告人のアリバイ立証を目的とした証拠の捏造によってなされたものとは考えられない。しかも、仮に、X2側において、本件枚葉を差し替えたのであれば、前述したとおり、紙端の乱れが本件枚葉と次枚葉に生じていることから考えて、この二枚葉が互いに山線全体においてメーカー出荷時のまま接合していた状態でひとまとめにして同時に差し替えたものと考えるのが合理的であるところ、証拠の捏造を目的とした場合、ひとまとめに扱った本件枚葉と次枚葉の間において、わざわざその部分に不自然な糊付けをしないといけないほどの剥離を生じさせるものとも考えにくい。
このような点から考えると、本件ノートの紙端の乱れをもって、本件枚葉及び次枚葉の位置にあった枚葉が完全に剥離され、本件枚葉及び次枚葉と差し替えられたことの徴表とみることはできず、本件枚葉及び次枚葉についての異常な糊付けは、本件枚葉がメーカー出荷時から本件ノートの一部を構成しており、本件ノートから完全に剥離したことは一度もなかったことの徴表と考えるのが合理的である。」<<証拠略>>
(四)「 8 まとめ
本件ノートの物理的な問題については、以上述べたとおりであり、本件枚葉は、本件ノートが製造された時点からその一部を構成しており、原審公判において証拠として提出されるまで背クロスから完全に剥離したことが一度もなかったのではないかという疑いが残る、といわざるをえない。」<<証拠略>>
(五)「 3 本件ノートの記載内容の不自然さの評価
前述したとおり、本件ノートの記載内容には、Aが的中車券を購入した旨の客観的な事実と齟齬する内容が記載されるなど、不自然さが全くないとまではいえない。しかしながら、そのことから本件ノートについて本件枚葉の差替えが立証されることにはならないし、前述したとおり、本件ノートと形状を検討しても、物理的に本件枚葉の差替えが行われたものとまではいえない以上、右記載内容の不自然さの証拠価値も過大には評価できないものである。」<<証拠略>>
(六)「七 タクシーの乗務記録について
若狭が記載した右乗務記録が、直ちに被告人とCの両名をC方から万腹食堂へ乗車させたことを意味するとまではいえないし、被告人は、Cと万腹食堂で飲食して山中らと会った後、被告人とCの両名でタクシーに乗車して飯塚へ飲みに出かけたというのに、そうであれば、乗車する可能性が高い穂波タクシーの乗務記録には、それに相当する記録が残っていない。しかしながら、万腹食堂付近から飯塚までタクシーに乗車したという乗務記録が残っていないことから直ちに乗車した事実がなかったとまでいえるのか疑問も残るところであり、C方から万腹食堂の所在するJR天道駅付近まで本件手帖及び本件ノートの記載内容に符合すると理解できる乗務記録が残っていることは、原審におけるX2証言、本件手帖及び本件ノートの記載内容を裏付けるものとして軽視できない。
八 被告人がCと万腹食堂へ行った日がCの宿直明けの日だったかどうかについてのCの供述との整合性について
証拠品の抄本作成報告書(<証拠略>)、原審におけるC証言によれば、本件手帖及び本件ノートに山中らが万腹食堂で被告人及びCに会った旨記載されている昭和六三年三月一七日は、Cにとって宿直明けの公休日であったことが認められるところ、Cは、被告人と万腹食堂で飲食したことは二回はあり、そのうち一回はX2らと会ったがその日は通常勤務の日だった(<証拠略>)旨供述している。
しかしながら、本件当時あるいはその前後、被告人とCは頻繁に二人で飲食を共にしており、同人も、原審第三回公判において、昭和六三年三月は、一七日までの間かなり被告人と飲みに行き、その後月末までの間も被告人と飲みに行ったと思う、当時五日に一回宿直していた旨供述しており、被告人とCが一緒に飲酒していた頻度、Cの宿直の多さから考えると、万腹食堂へ行きX2らと会ったのが通常勤務の日だったというCの前記供述(<証拠略>)も、信用性が担保されているとはいえず、本件手帖及び本件ノート外の信用性を減殺するものとはいえない。」<<証拠略>>
(七)「一一 まとめ
以上のとおりであり、本件手帖及び本件ノートの各三月一七日欄の記載が被告人のアリバイを仮装するために捏造されたものとは認めがたく、右各欄に記載されたとおり、被告人は本件当日の夕方Cと共に万腹食堂(福岡県嘉穂郡穂波町大字天道七一番地)へ出かけたのではないかという合理的な疑問が残る。」<<証拠略>>
二 争点1 (本件異常な糊付けの発生時期及び主体)について
1 本件異常な糊付けの発生時期及び主体について、原告らは、その発生時期を平成二年九月一三日の本件X1事件第四回公判後、その主体を検察官又は科捜研の技術吏員などの捜査機関である旨主張する。
これに対し、被告国は、その発生時期について、本件X1事件第四回公判以前、その主体は原告X2である旨主張し、本件日記帳は、一次的に本件枚葉等が差替えられ、その後差し替えた枚葉が剥離するなどしたため、二次的に本件異常な糊付けが施されたと主張する。
2 被告国の主張する一次改変について
(一) 被告国は、一次改変の根拠として、<1>平成二年八月下旬に谷岡検事が徳永弁護士から受領したコピーに写された次枚葉と次々枚葉間ののど部に緩やかな縦の曲線が描き出されていること、<2>前記コピーに写された本件枚葉と前枚葉間ののど部の黒色縦線は背割れと推定できること、<3>本件日記帳の背綴じ上部に、コクヨ社専用糊とも本件異常な糊付けに使用された糊とも異なる糊が検出されたことを主張する。
しかし、当裁判所も、前記一4(二)、(三)(但し、「五」以下を除く。)のとおりの理由により右各主張は採用できないと考える。
一次改変の存否については、X2事件判決は、前記一4(三)(「五」)のとおり、古賀鑑定時の本件枚葉以降の部分の紙端の乱れにより、存在した可能性が高いと考え、X1事件控訴審判決は、前記一5(三)(「3」、「4」)、(四)のとおり、紙端の乱れを一次改変と結びつけず、一次改変は存在しなかったのではないかという疑いが残るとしており、いずれの判断にもそれなりの根拠があるといえるが、仮に一次改変が存在したとしても、これを原告X2が行ったと認めることができないのは前記一4(三)(「五」)のとおりである。
3 本件異常な糊付けの発生時期及び主体について
(一) 本件異常な糊付けの発生時期及び主体について検討するに、この点に関するX2事件判決及びX1事件控訴審判決の各判断は、それぞれ前記一4(三)(「六」、「七」。但し、「七」のうち、一九枚目裏三行目の「前枚葉」から同一〇行目の「考えられ、」までの説示は、古賀吏員ないし若松吏員が、本件日記帳が裁判所に提出される前に弁護士によってコピーがとられていることを知らなかった場合には、あてはまらない。)、五(二)、(三)(「二2<4>」)のとおりであり、当裁判所の判断も、以下のとおり、実質上右両判断と同一である。
(二) 本件異常な糊付けの発生時期について
(1) 前記一2(三)(3)のとおり、本件日記帳は、本件X1事件第四回公判において証拠として提出される以前である平成二年八月に、徳永弁護士の事務所において少なくとも二回コピーされている(<証拠略>)。
仮に、右コピー時に本件異常な糊付けが生じていたとすると、糊付けの存在する頁を開いてコピーした部分は、右異常な糊付けのために生じた頁の不自然なずれのため、左頁右端に記載されている文字と右頁左端に記載されている文字との間隔が相当狭く写るなど、不自然な状態が生じるはずであるが、右コピーには本件異常な糊付けの存在を窺わせるほどの不自然な状態は見受けられない。
したがって、右コピー当時、本件異常な糊付けが存在していたとは認めがたい。
(2) 次に、右コピー作成以後、本件X1事件第四回公判までに本件異常な糊付けが生じたかどうかについてであるが、前記一2(八)(3)の事実及び<証拠略>によれば、本件異常な糊付けは、一見して明らかといえるまで目立つものではないが、ある程度の注意をもって当該部分を見れば、容易にその存在を認識できる程度に不自然なものであったといえる。
ところが、谷岡検事は、平成二年九月三日から同月四日にかけて、徳永弁護士から本件日記帳等を借り出し、これを福岡地方検察庁公判部長に報告し、石井検事にも見せて検討してもらっており、同検事及び石井検事は、本件X1事件第四回公判における原告X2の証人尋問に際し、本件日記帳の昭和六三年三月一七日欄を示しながら、多岐にわたる事項について反対尋問を行ったにもかかわらず、本件異常な糊付けについては一切触れておらず、また、原告X1弁護人による本件日記帳等の証拠申請に対する意見においても、本件異常な糊付けについては何ら意見を述べていない(前記一2(五)、(七)、4(三)(「六」)、5(二)、甲二一)。これらの事情からすると、本件異常な糊付けは、本件X1事件第四回公判後、本件日記帳が証拠物として地裁第二刑事部に領置された後に生じた可能性が高いというべきである(前記一5(三)(「二2<4>」)。
ただし、石井検事らは、同公判に際し、本件日記帳の原本を同月三日に確認済みと考えていて、反対尋問の時間も三〇分と制限されており、主たる関心をその記載内容等の不自然さに向けていたため、当時既に存在していた本件異常な糊付けに気付かなかったという可能性も否定できない(<証拠略>)。
(三) 本件異常な糊付けの主体について
(1) 前記(二)のとおり、本件異常な糊付けが本件X1事件第四回公判後に生じた可能性が高いと考えられることを前提とすると、同公判後原告X2側において、本件日記帳に手を加える機会はなかったから、原告X2側が本件異常な糊付けの主体ではない可能性が高いことになる。
(2) しかし、原告らが主張するように、検察官又は科捜研技術吏員等捜査関係者が本件異常な糊付けを作出したか否かについては、一般に、検察官等捜査関係者が、証拠物に手を加えるとは考え難いところであって、<証拠略>に照らしても、本件において、前記捜査関係者が本件異常な糊付けを作出したと認めるに足りる証拠はないというべきであり、原告らの右主張は採用できない。
したがって、本件異常な糊付けの主体は不明というほかない。
三 争点2(被告国の責任原因1―金山裁判長又は地裁第二刑事部の違法行為の存否)について
1 金山裁判長の本件日記帳の貸出し承認について
原告らの主張(一)(1)の金山裁判長の本件日記帳貸出し承認の事実は、原告らと被告国との間において争いがなく、刑事訴訟法二七〇条及び刑事訴訟規則三〇一条は、原告らの主張(一)(2)のとおり規定されている。
ところで、刑事訴訟法二七〇条によれば、検察官は、公訴の提起後、裁判所の保管する証拠物を閲覧することができるのであり、同条と同法四〇条とを対比すると、検察官の閲覧場所は裁判所に限られていないと解されるから、検察官は、閲覧のため、証拠物を借り受けて裁判所外に持ち出すこともできる。
また、前期一2(七)のとおり、本件X1事件弁護人は、本件X1事件第四回公判において、原告X1のアリバイ証拠として本件日記帳の証拠調べを請求し、これに対し、地裁第二刑事部は、これを証拠として採用する旨決定して、取調べの上領置したのであるから、当時、検察官(石井検事、谷岡検事)としては、本件日記帳の形状及び内容等について仔細に検討するため、これを裁判所から借出す必要があったというべきであり、検察官が、地裁第二刑事部に対し、本件日記帳の借出しを申し出た経緯に不自然なところはなく、当時、検察官が本件日記帳の形状を変更させるなど証拠物の破棄その他不法な行為を行うおそれがあったとも認めがたい。
そうすると、金山裁判長の本件日記帳の貸出し承認を違法、不当とはいえない上、前記一2(四)ないし(八)の事実関係の下では、その貸出しに当たって、金山裁判長ないし地裁第二刑事部が、その提出者である弁護人の同意を得なければならないとか、第三者に交付してはならない等の制限を特に付さなければならないと解すべき根拠はない(前記一5(三))。
したがって、金山裁判長に刑事訴訟規則三〇一条二項所定の措置を講ずるべき義務があったとはいえず、金山裁判長の証拠物の管理義務の懈怠をいう原告らの主張は採用できない。
2 地裁第二刑事部の事実認定について
裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国賠法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である(以上につき、最判昭和五七年三月一二日民集三六巻三号三二九頁、最判平成二年七月二〇日民集四四巻五号九三八頁)。
これを本件についてみるに、前記一の事実関係の下においては、地裁第二刑事部の裁判官らにつき、右にいう特別の事情があったということはできないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
右の説示に照らし、地裁第二刑事部の事実認定に国賠法一条一項の違法があるという原告らの主張は採用できない。
四 争点3(被告国の責任2―石井検事の違法行為の存否)について
1 本件日記帳の保管義務違反について
(一) 前記一2(八)の事実及び<証拠略>によれば、谷岡検事は、平成二年九月一八日、金山裁判長の承認を得て、本件日記帳を借り出し、これを福岡地方検察庁に持ち帰って石井検事に交付し、石井検事は、これを科捜研に持参して、古賀吏員に対し、口頭で非破壊的方法による筆記用具の異同等の鑑定を依頼した上これを預け、同日、古賀吏員の上司である若松吏員が偶然本件異常な糊付けを発見し、翌同月一九日、石井検事は、古賀吏員から右異常な糊付け発見の報告を受け、改めて同月一八日付け科捜研所長宛て鑑定嘱託書により本件日記帳の改ざんにつき非破壊的方法による詳細な鑑定を依頼し、同月二五日、本件日記帳は、古賀吏員(科捜研)から同検事ないし谷岡検事の手を経て地裁第二刑事部に返還されたことが認められる。
(二) ところで、前記一5(三)のとおり、検察官は、裁判所の保管する証拠物を借り受けた場合には、原則として自らの責任で管理すべきであり、刑事訴訟法二七〇条、刑事訴訟規則三〇一条の趣旨に照らすと、裁判所の許可を受けない限り、他に預けることまでは許されていないと解すべきである。そうすると、本件において、石井検事は、地裁第二刑事部から貸し出された本件日記帳を、平成二年九月一八日から同月二五日までの間、同裁判所に格別断ることなく、鑑定のため科捜研(古賀吏員)に預けたのであるから、同検事の右措置は、証拠物の保管に関する法令に違反したものであるといわざるを得ない。
しかし、<1> <証拠略>によれば、石井検事の本件日記帳借出しの目的は、非破壊的方法による筆記用具の異同等改ざんの痕跡と思料される状況が存在するか否かの検査にあったのであり、非破壊的検査方法とは、肉眼による外観検査、紫外線検査、蛍光検査及び透過光検査など証拠物の性状を損なうことなしに行う検査方法であって、それが証拠物に与える影響は謄写のためにコピー機械を使用し、頁を広げて光を当てるという一般的な作業方法と比較してみてもそれ以下又は同程度のものであると認められること、<2><証拠略>によれば、本件日記帳についての紙端の乱れ及び本件異常な糊付けは、本件日記帳を石井検事が平成二年九月一八日に科捜研に持ち込んだ時点で既に存在していたことが認められる上、本件日記帳が科捜研に預けられていた間に、その形状等が変わったことを窺わせる証拠はないこと(前記一5(三)、)<3> 古賀吏員に対する本件日記帳の預託が違法であって、その期間中に本件異常な糊付けが発見されたからといって、X1事件控訴審判決においても、X2事件判決においても、本件異常な糊付けの存在を証拠排除するまでの違法があるとまでは考えられていなかったこと(前記一5(三)、<証拠略>)に照らすと、石井検事が本件日記帳を科捜研に頂けた行為に国賠法一条一項の損害賠償責任を肯定するに足りる違法があったとは認めがたい。
したがって、また、石井検事の右行為がきっかけとなって本件異常な糊付けが発見され、最終的には亡A及び原告X2の逮捕、勾留並びに原告X2の起訴に至ったとしても、だからといって、右逮捕、勾留、起訴に国賠法一条一項の違法があるということもできない。
2 検察官による亡A及び原告X2の逮捕、勾留及び原告X2の起訴について
(一) 検察官による逮捕、勾留及び起訴に対する国家賠償
刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮捕・勾留、公訴の提起が違法となるということはない。けだし、逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められるかぎりは適法であり、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であるからである(最判昭和五三年一〇月二〇日民集三二巻七号一三六七頁参照)。
(二) 亡A及び原告X2の逮捕、勾留について
亡A及び原告X2の逮捕、勾留前に、石井検事は前記一3(一)のとおり捜査を行い、証拠を収集していたほか、本件記載と矛盾する、原告X1事件の捜査段階におけるC及び原告X1の各供述調書並びにその裏付け証拠を保有していたこと、同検事は、亡A、原告X2、原告X1夫婦相互間の親密な人間関係を知っていたこと(<証拠略>)並びに(<証拠略>)を総合すれば、右逮捕、勾留には、その時点において、犯罪の嫌疑について相当な理由があったと認められ、また、当該事案の性質、内容、これに関わる人間関係に鑑み、右両名につき少なくとも罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由はあったということができ、したがって、逮捕、勾留の必要性が存在したと認められる。
そうすると、亡A及び原告X2の逮捕、勾留に国賠法一条一項に違法があったということはできない。
(三) 原告X2の起訴について
石井検事は、原告X2の起訴前に、前記(二)の逮捕、勾留前に収集・保有していた証拠に加え、前記一3(三)ないし(三)のとおり、捜査をして証拠を収集していたものである。
すなわち、前記一3の事実、<証拠略>によれば、石井検事は、Cと原告X1間の贈収賄の事実を、Cが捜査、公判(本件X1事件の公判を含む。)を通じて一貫してこれを認めていたこと及び原告X1の捜査段階の自白によって動かしがたいものと考え、Cの「自分の当直明けの日である昭和六三年三月一七日に、D名義の西日本銀行の預金通帳から二〇万円の払戻しを受け、同日午後六時前後ころ原告X1方において原告X1に右二〇万円を交付した。」旨の供述がCの当時の勤務状況、D名義の前記預金口座の払戻し状況及びDの供述等により一応裏付けられていたことから、犯行日時を昭和六三年三月一七日午後六時ころと判断していたもので、これと両立しない、亡A及び原告X2の本件X2事件第四回公判での原告X2のアリバイに係る各証言の信用性を疑い、かつ、本件日記帳等の記載についても改ざんの疑いを抱いたため、本件日記帳等を借出して科捜研に預けた結果、本件異常な糊付け及び本件日記帳の紙端の乱れ等が発見され、これをきっかけとして、コクヨ社関係者らから一次改変の存在等を指摘する意見を聴取し、また、科捜研吏員からコクヨ社専用糊以外の二種類の糊の検出報告を得るなどして、亡A及び原告X2を逮捕、勾留し、その後、右両名は一貫して容疑を否認したものの、取調べによって得られた右両名の洪述間に本件手帖及び本件日記帳の各発見状況等につき看過しがたい矛盾があることを、また、石見美津子、田中実及び花元正司の取調べにより、同人らが万福食堂で飲食した日時を明確に記憶していないことを、石見美津子にあっては、本件記載と一部矛盾する供述をしていることを、原告X1の取調べにより、原告X1とCが万福食堂に行った日は、Cの勤務の日であって、当直明けの日ではないことをそれぞれ確認するなどし、最終的には、徳永弁護士から受領した本件枚葉前後のコピーのいずれにも本件異常な糊付けが写っていないことを認識した上、右コピー中央に写っている黒色縦線を原告X2による一次改変の痕跡である背割れと捉えて、原告X2に有罪と認められる嫌疑があると判断したことが認められる。
右認定事実並びに前記コピー中央の黒色縦線を背割れの線とする検察官の主張に沿うキャノン株式会社複写機開発センター技術評価室徳原満弘作成の鑑定結果報告書(<証拠略>)等は、山中事件判決において、小倉鑑定書及び小倉証言と対比して採用されなかったものの(前記一4(三)「四1)、それなりの証拠価値を有するものあったことはその内容及び判決内容に照らし明らかであること、コクヨ社専用糊と異なる、本件異常な糊付けの糊及び本件日記帳背綴じ上部の糊が、いつ、誰によって、どのようにして使用され、あるいは、付着したかについては、結局のところ、X2事件判決及びX1事件控訴審判決において解明されないままであったといわざるをえないこと(<証拠略>)、以上の事実を総合すれば、前記一4、5のようなX2事件判決及びX1事件控訴審判決の各理由中の原告らに有利な部分を考慮に入れたとしても、石井検事の原告X2に有罪の嫌疑ありとした判断は、前記起訴時点を基準にすれば、その過程においても、結論においても、合理的なものであったと認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はないというべきである。
したがって、原告X2の起訴に国賠法一条一項の違法があったということはできない。
(四) 原告らは、右(二)、(三)につき、本件異常な糊付けが本件X1事件第四回公判後、谷岡検事の借出し後に行われたことを前提として、石井検事は、亡Aび原告X2が本件日記帳を改ざんしていないことを知りながら、又は重大な過失により知らずに両名を逮捕、勾留し、かつ原告X2を起訴したとして、石井検事の右逮捕、勾留、起訴に国賠法一条一項の違法があったと主張するが、右主張は、前記(一)ないし(三)の認定判断に照らし採用することができない。
五 争点4(被告福岡県の責任原因の存否)について
1 本件日記帳の改ざんについて
前記二のとおり、本件異常な糊付けは、本件X1事件第四回公判後本件日記帳が地裁第二刑事部に領置された後に生じた可能性が高いと考えられるが、同公判以前に生じた可能性も否定し去ることはできない上、その主体については不明というほかなく、本件日記帳の改ざんが科捜研の古賀吏員又は若松吏員によって行われたと認めるに足りる証拠はない。
かえって、前記四1(二)<2>のとおり、本件異常な糊付けは、石井検事が平成二年九月一八日に本件日記帳を古賀吏員に預けた時点で既に発生していたと認められ、右預けられていた期間内に本件日記帳の形状等が変わったことを窺わせる証拠もない。
したがって、本件日記帳の改ざんが、古賀吏員又は若松吏員によって行われたとする原告らの主張は理由がない。
2 本件日記帳の保管義務違反について
古賀吏員及び若松吏員が本件日記帳を保管中に、第三者が右日記帳の改ざんをしたことを前提とする原告らの証拠物保管義務違反の主張も、右1の認定判断により、理由のないことが明らかである。
六 結語
以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないから、これをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 田中哲郎 武田美和子 棚澤高志)
別紙一<略>
別紙二<略>
別紙三<略>
別紙四<略>
別紙五<略>