福岡地方裁判所 昭和29年(ナ)1号 判決 1955年1月26日
原告 大塚勇次郎 外四一名
被告 熊本県選挙管理委員会
主文
原告等の請求を棄却する。
但し、昭和二六年四月二三日施行された熊本市議会一般選挙における当選人のうち、別表第一順位から第四順位までの原告山内友記・同加川恒次・同大塚勇次郎・同黒田博之の四名は、その当選を失わない。
訴訟の総費用は、原告等の負担とする。
事実
原告等訴訟代理人は、「昭和二六年四月二三日施行された熊本市議会一般選挙について、被告が昭和二七年七月三日附を以てなした第七開票区に関する部分を無効とする、との裁決を取消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として次のように陳述した。
原告等は、いずれも昭和二六年四月二三日施行された熊本市議会議員一般選挙に立候補し、当選した者であるが、同選挙に立候補して落選した訴外前田宣雄は、右選挙当日同市第七開票区に所属する第三八投票所の候補者氏名掲示中、前田宣雄の氏名が掲示当初から選挙期日まで脱落していたとの理由で、熊本市選挙管理委員会に選挙の効力に関する異議申立を為し、又他の落選候補者である角田時雄・中島小太郎・出田伊一郎・宮崎熊次郎・西軍蔵・木部次郎・石村辰己・前田辰蔵外一〇名も、又右前田宣雄の氏名掲示脱落その他七項目の理由をあげて、同市選挙管理委員会に同様異議申立をしたところ、右異議申立はいずれも却下された。そして、右角田時雄等八名以外の落選候補者一〇名と前記前田候補は、同委員会の決定に承服し訴願提起をしなかつたのであるが、前記角田時雄以下列記の八名と前に異議申立をしなかつた落選候補者牧野宗吉・坂田大・松尾清次郎・大村宇八郎の四名との合計一二名の者は、被告に対し訴願提起に及んだところ、被告熊本県選挙管理委員会は「前記前田候補の氏名掲示の脱落は選挙の規定に違反し、且つ選挙の結果に異動を及ぼすおそれがある」との理由で、「前記選挙中第七開票区に関する部分は無効とする。」旨の裁決をし、昭和二七年七月三日これを告示するに至つた。しかし、仮に右選挙の候補者氏名掲示に前記の様な前田宣雄の氏名の脱落があつたとしても、被告の右裁決には次のような違法な点があり、取消を免れない。すなわち、
(一) 右裁決には公職選挙法第二〇二条違反の点がある。同条によれば選挙の効力に関し異議ある選挙人又は候補者のみが異議を申立てその決定に不服ある者のみが訴願をなし得るものであつて、本件選挙に関しては、氏名掲示脱落によつて不利益を受けたと推定される前記前田宣雄候補のみがこれに該当し、その他の者は異議は勿論訴願もなし得ない筋合であるのに、被告委員会が、前記角田時雄外七名と、異議申立もしないで角田等の訴願に便乗した牧野宗吉外三名との合計十二名の訴願を許容して、本件裁決をしたのは、明かに違法である。
(二) 右角田時雄外十一名の訴願書は、処分行政庁である熊本市選挙管理委員会を経由することなく、直接被告に提出されているので、右は訴願法第二条第一項に違反する不適法な訴願で、却下さるべきものである。
(三) 公職選挙法(以下単に法という)第一七三条の候補者氏名等掲示に関する規定は、選挙当日における投票人の氏名記載の誤りを無くするための後見的な手続であり、一の訓示的規定にすぎないものと解すべきである。右訓示的規定と解すべき根拠は、
(1) 氏名掲示の方法については別段施行規則の定がなく、県・市選挙管理委員会の定めるところに一任している。
(2) 現に本件選挙当時、被告委員会が昭和二六年三月二〇日告示第一一号を以つて定めるところによれば、「特別の事情があるときは、掲示の手続は中止することができる。」としてあり、掲示の手続が必ずしも選挙施行上の必須の要件ではないとの見解を示している。
(3) 法第八六条第八項は、投票所における氏名掲示とは別に、選挙長において候補者の氏名・住所・政党及び生年月日を告示すべきことを定めているが、選挙の執行に際し、一般選挙人に候補者の氏名等を周知せしめる手続は本条の規定するところであり、右手続は重要な効力規定と解すべきであるが、法第一七三条の掲示は、個々の投票所における投票人の便宜を考慮し、念のために候補者の氏名を掲示させる法意にすぎない。
(4) このことは法第一七三条の掲示について期間の定があること、殊に本件選挙当時の掲示期間十日を昭和二七年法律第三〇七号を以て掲示期間六日に短縮していること、並びに衆・参両院議員の氏名掲示が三箇所以上五箇所以内にしなければならないのに対し、市議会議員の場合は僅か一箇所を以て足るとされていることによつても窺われる。
(5) 又前掲委員会告示第一一号中、投票所における掲示の様式を定めた第一八号様式の備考として「党派別及び氏名は墨書し、ふりがなを附するものとする。」となし、法第八六条の告示と異り、住所・生年月日は記載せず、簡略に投票記載の誤りをなくする意味でふりがなを附するものとしている点によつても、推察することができる。
(四) 本件選挙においては、熊本市内四八投票所中第三八投票所のみの僅か一箇所が、前田宣雄の氏名を脱落したのであり、しかも候補者一八四名中前田一名分だけであつて、第三八投票所の選挙人三、八五一人が熊本市全選挙人数の僅か二・七%にすぎないことと併せ考えると、右手続の瑕疵はまことに軽微な事務上の手落であつて法第二〇五条の「選挙の規定に違反することがあるとき」にはあたらないものというべきである。
(1) なお乙第一号証の被告裁決書によれば、角田時雄外十一名の訴願理由中に、本件第三八投票所における前田宣雄の氏名掲示の脱落の外、第二五投票所の氏名掲示が選挙当日投票開始の当初より約四時間に亘つて、その殆んど全部が剥離破毀せられたとの事実が主張せられており、若しこの主張が事実であるとすれば、本件氏名掲示の脱落よりも現実には選挙に与える影響が遙かに大きいと考えられるのに拘らず、右主張に対し被告委員会は、「第二五投票所の氏名が剥離破棄せられたとの点に対しては、調査の結果本来規定通り掲示されたのが、第三者によつてなされたのであつて、市選挙管理委員会の管理執行の違反と判断することはできない。即ち不可抗力のものと認め、選挙規定に違反するものではないと判断する」と立論しているのであるが、斯様な判断をした所以は、もともと投票所の氏名掲示が訓示的・後見的なものであるから、止むを得ない事情または事務上の些細な過失によつて瑕疵を生じても、このため選挙の自由公正を阻害しない程度の軽微なものであれば、いまだもつて選挙の規定に違反したものと云うことはできないとの解釈に基くものであり、従つて本件第三八投票所における瑕疵についても、止むをえない些細な事務上の手落として、同様に選挙の規定に違反しないものと判断すべきものであつたのである。
殊に本件の瑕疵は、その影響を及ぼす範囲も全選挙区中の極く小部分に限定されておりその態様から見ても、第二五投票区の場合と同様に、到底選挙の自由公正を阻害するものと断ずることはできない。
(2) 更に、投票所における氏名掲示を、厳格な効力規定と解し本件の如き些細な瑕疵までも選挙を無効とすべき事由とするなら、狡猾な候補者は自己の氏名票を剥ぎ取り、写真を撮つて後日の証拠となし、当選すればその儘で済し、落選すればこれを理由として選挙の効力を争うような危険が想定せられ、多数の投票所において多大の労力と費用を費し、昼夜を分たずこれをいちいち看守しなければならない結果となる。法はかかる労力と費用とを予想してまで、投票所における氏名掲示を、完全無欠の状態で強行させようとの趣旨で規定されたものと解することはできない。
投票所における氏名掲示は、完全無欠になされることを理想とするのは勿論であるか、本件の如く多数の投票所に多数の候補者を掲示するに際し、唯一箇所の投票所において、僅か一名の氏名掲示が脱落していたとしてもこれをもつて直ちに選挙を無効となすべき規定違反とするが如きは、世の常識を無視した暴論というも過言ではないと信ずる。
(3) 次に本件選挙執行上の軽微な瑕疵をもつて選挙の規定に違反し、選挙の結果に異動を及ぼすおそれがあるものとして、一部再選挙を執行する場合は、甚だ不合理な結果と、著しく不公正な弊害とを招来することが必定である。すなわち、本件において一部再選挙を執行せんとする趣旨は、第七開票区に属する第三八投票所における氏名掲示の脱落なかりし場合に現れたであろう投票の結果を復原しようとする処にあるのに、本件選挙執行当時と現在とでは、第七開票区における選挙人の転出転入が甚しく、再選挙につき一人一票の原則違反による無効が考えられるのはもとより、投票による結果は、前回のそれと全くその質を異にすることとなり、他方候補者側においても、総数百八十四名中死亡者・転出者立候補欠格者等があり、また再選挙によつても当選の見込がないため、或は残存任期僅か一年未満のため立候補を断念、辞退する者が相次ぎ、立候補者総数が前回に比して激減することが当然予想せられ、その結果第七開票区に密接な関係を有する候補者のみが著しく有利となる反面、然らざる候補者は極めて不利となり、いたずらに困乱と不公平を惹起することとなる。
従つて本件において、選挙執行上の瑕疵をもつて選挙の規定に違反するかどうかを判定し、更に進んで選挙一部無効を宣言するに当つては、右のような再選挙により招来する結果を慎重に考慮し、当初の瑕疵によつて生じた弊害と、その後の事情の変化により、再選挙の場合生ずるであろう弊害とを比較考量し相対的に法の解釈を決定しなければならないものと考える。
然るに被告の裁決が、本件の如き些細な事務上の手落をもつて、直ちに選挙の規定に違反するとなしたのは、いたずらに法文の末梢に拘泥して合目的行政法規の条理に違背し、選挙の実情、社会の現実に遊離した解釈であると云わなければならない。
(五) 仮りに第三八投票所における氏名掲示の脱落が選挙の規定に違反するものとしても、右違反によつて、選挙の結果に異動を及ぼすおそれが全くないから、被告がなした選挙一部無効の裁決は違法である。
右選挙の結果に異動を及ぼすおそれのない理由は左の通りである。
(1) 本件氏名掲示の脱落は、熊本市四八投票所中第三八投票所のみの僅か一箇所のことであり、しかも候補者百八十四名の多数中、前田宣雄の分だけである。また、第三八投票区の選挙人は三八五一人で、熊本市全選挙人数の僅か二・七%にしか当らない。従つて右第三八投票所の手続の瑕疵は、熊本市を一選挙区とする同市議会議員選挙の結果につき、殆ど影響を与えないものと考えられる。
(2) 本件第三八投票所における氏名掲示の情況は、投票所入口より右に一尺一寸距てた処より、十五尺三寸の長さで地面より三尺四寸乃至六尺二寸の高さで、総数百八十四名の候補者を四段に掲示したものである。この場合、投票所に向う投票人にとつて、投票所入口に近い部分の掲示は別として、十五尺三寸も右方に距る部分の氏名掲示までいちいち詳細に確認することは、実際問題として不可能であり氏名脱落の発見も容易な業ではない。
然も、本件第三八投票所の掲示は、学校正面玄関より投票所に到る通路に面したものではなく、投票所入口の右脇になされているため、その掲示場はむしろ投票終了者の帰路にあたり、且つ氏名掲示の順番は抽籤で定められた結果雑然と配列されているのであるから、投票に向う投票人にとつて、氏名掲示を識別することはますます困難な情況となつている。
従つて本件においては、現に氏名掲示の脱落が何時、何人によつて発見されたものさえ詳かでなく、この点からみても投票者が氏名掲示を注視していないことが明らかであり、まして選挙の結果に異動を生ずる程の多数の投票者が、前田宣雄の氏名掲示の脱落を発見していたものとは到底考えることができない。
(3) 本件は熊本市議会議員の一般選挙であるが、候補者の選挙運動は、個人演説会は、公営の施設を利用する場合は届出を要するが、その他の場合は自由であり、街頭演説も行われ、候補の氏名連呼についても、候補者が自動車で廻つて連呼し、更に運動員がメガフオンで市内を連呼して廻り候補者のポスターにしても、市選管が検印したのが各候補者につき五百枚宛であり、一投票区に十二枚貼られている。更に有料の郵便葉書が、各候補者につき五百枚宛撒布されており、戸別訪問にしても候補者に限り、親戚、知已、その他密接な間柄にある処を訪問することは事実上許されており、非常に徹底して行われたのであり、他方新聞、ラジオ等の報道機関も候補者の氏名を一般に十分報道したことが想像される。
しかも、市議会議員の得票はすべて縁故関係に基くものであつて、前記選挙運動の徹底と相俟つて、候補者の氏名はあまねく周知せしめられ、投票人は家を出る時には既に何人に投票すべきかを決定していたのが実情である。
従つて本件選挙においては、投票所における氏名掲示の重要性は殆どなく、まして四八投票所中、僅か一箇所において一名の氏名掲示の脱落があつたとしても、これが選挙の結果に及ぼす影響は皆無というも過言ではない。
(4) 本件においては、第三八投票所における前田宣雄の氏名掲示脱落の結果、同人に投ぜらるべき票が、他の候補者に投ぜられた可能性の有無が問題であるが、同候補は、その父が第三八投票区内において浴場を経営している関係でこの地域に運動を集中したであろうことは想像に難くなく、現にその浴場内にもポスターを貼布しており、前記(2)(3)の情況と併せ考えると、本件氏名掲示脱落の結果、同人に投ぜらるべき票が他に散逸したということは、全く想像することができない。
(5) 仮りに本件氏名掲示脱落の結果、前田候補に投ぜらるべき票が他の候補者に投ぜられたものと仮定しても、問題の前田候補の総得票数は四八九票で、最下位当選者の八九二票との差が四〇三票であり(甲第八号証)、同人が第三八投票所のみで四百票もの得票を失つたであろうとは、叙上の情況から見て、常識では到底考えられない。従つて、問題は特に最下位当選者と最高位落選者との得票差十六票について異動を及ぼさないか否かである。
本件において前田候補の氏名掲示脱落の結果選挙の結果に異動を及ぼすものとすれば、同候補に投ぜらるべき票が、各当選者一名に対し、当該当選者と最高位落選者との得票差以上の数が集中していた場合のみその虞があるのであるが(前田候補に投ぜらるべき票が、当選者に対して投ぜられていたとしても、当該当選者と最高位落選者との得票差以下である場合、及び前田候補に投ぜらるべき票が落選者に投ぜられていた場合には、選挙の結果について異動はありえない。)この可能性の認定については、次のような条件を考慮しなければならない。
(イ) 前田候補に投ぜらるべき票は、同人を除いた百八十三名の多数の候補者に分散した筈である。然も本来前田候補に投ぜらるべき票で他の候補者に投ぜられたと考えられる票数自体が、極めて少数であるから、この票が百八十三名に分散すると、各候補の増加票は極めて少数である。
(ロ) この票は、当選者に投ぜられた可能性があると同時に、落選者にも投ぜられた可能性がある。然も本件選挙における当選者四十三名に対し、落選者は百四十名に達するから、当選者に投ぜられた総数よりも、落選者に投ぜられた総数の方が多数であると考えなければならない。
(ハ) 前田候補の掲示が脱落していたため、棄権された票もありうる。
次に本件選挙における最下位当選者たる荒木喜市、緒方一人について、選挙の具体的結果を検討すると、
(ニ) 緒方一人の第七開票区における得票数は二十三票・荒木喜市は七十八票である。
(ホ) 右第七開票区の当日選挙人総数は二万一千三百三十人で問題の第三八投票所の当日選挙人数は三千八百五十一人、すなわち第七開票区全体の約六分の一に過ぎない。
(ヘ) 従つて右緒方・荒木の第三八投票所における得票は、前者が四、五票、後者が十四、五票位と解され、この得票のすべてが、本来前田に投ぜらるべきものであつたと考えることは不可能である。
(ト) 次に試みに本件選挙における下位当選者四名と、上位落選者十四名とを得票順に抽出すると、右緒方の第七開票区における得票数は最も少く、荒木のそれも、緒方・内藤・友住に次いで少数であり、且つ右抽出候補者の各総得票数より、第七開票区における各得票数を控除してみると、当選者と落選者の間に異動を生じない。
以上(イ)乃至(ハ)の条件を前提として、(ニ)乃至(ト)に現れた具体的結果を考察すると、最下位当選者両名のいずれかに、前田候補に投ぜらるべき票が、十六票以上集中していた確率は零に等しく、いわんや最高位落選者と二十四票の開きを有する友住、三十票の開きを有する川俣両名を始めとする他の当選人に対し、本件氏名掲示脱落の与えた影響は絶無というも過言ではなく、選挙の結果に異動を及ぼす虞は全くありえないものと確信される。
(六) 仮に原告等の以上の全主張が容れられないとしても、昭和二八年法律第一八〇号による法第二〇五条の改正は憲法第一四条に違反し無効であるから、同条第二項以下による判断は許されない。
何となれば、前回の選挙において何等瑕疵の影響を受けずして当選したものも、不当に再選挙を強いられる結果となり、又本条の計算方法によつて当選に異動のない最少限の範囲の算出は可能であるとしても、その最大限については算定できないのであつて、再選挙の場合、本条によつて当選を失わないものと判定された候補者と他の候補者との間には不当な差別を生ずることは免れないところで、同一選挙における各候補者間に斯様な差別を設けることは、憲法第一四条の法の下における国民平等の原則に反する結果となるからである。
と述べ、法第二〇五条第四項にあたる選挙人は、本件の場合昭和二八年四月二四日施行された参議院議員通常選挙における第七開票区の有権者数とすべきであり、その数が二二、〇二五人であること及び本件選挙における第七開票区の得票数を控除した各当選人の得票数及びその順位が別表のような関係になることは争わないと附陳した。(立証省略)
被告代表者は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用はすべて原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
原告等がいずれもその主張の選挙に立候補して当選したこと、本件選挙に際し、原告等主張の第三八投票所における候補者氏名掲示中前田宣雄候補(落選)の分が、掲示当初から選挙当日まで脱落していたことを理由として、右前田外原告等主張の落選候補者から熊本市選挙管理委員会に選挙の効力に関し異議申立をしたが、いずれも却下されたこと、原告等主張の角田時雄外七名と牧野宗吉外三名との合計一二名の訴願に対し、被告選挙管理委員会が原告主張のような理由で「本件選挙中第七開票区に関する部分を無効とする」旨の裁決をなし、原告等主張の日にその旨を告示したことは、いずれも認める。しかし、
(一) 公職選挙法第二〇二条の規定は、法が民衆争訟の制度を採用した趣旨からみても、選挙人又は候補者に対し広く争訟の提起権を認めたものであることが明かであつて、原告主張のように当該選挙に関し直接不利益を受けた候補者のみに訴願の適格を限定する趣旨ではない。すなわち訴願人たる資格は、異議の決定に対し不服のある選挙人又は候補者であればよいのであつて、異議申立をしたか否かに関係ないのであるから、角田時雄等一二名の訴願も適法で原告等主張のような違法な点はない。
(二) 訴願法第二条の規定は、選挙の効力に関する訴願について適用のないことは、公職選挙法第二一六条によつて明かである。従つて角田時雄等一二名が、本件訴願に際し処分行政庁である熊本市選挙管理委員会を経由せず、直接被告選挙管理委員会にその訴願書を提出したとしても、何等違法の点はなく、これに対する裁決にも違法な点はない。
(三) 氏名掲示等について施行規則に定がないことは、公職選挙法第一七三条乃至第一七五条を以て単なる訓示規定であると解すべき根拠とはならない。又原告等の引用している被告の昭和二六年三月三〇日告示第一一号「公職選挙法執行細則」第四六条は「天災その他避けることができない事故その他特別な事情があるときは………」とし、不可抗力の場合の特別規定であつて、一般の場合は適用のない規定であるのみならず、掲示手続の中止の場合があるからといつて、一部の者の掲示脱落を許容する趣旨でないことは明白である。
又この制度は、選挙公営の一環として本件選挙直前に改正(昭和二六年法律第二五号)された規定に基くのであつて、投票所入口その他公衆の見易い場所を選んで掲示しなければならず、しかも一〇日間(現行法は六日間)継続して掲示することとしているのは、明かに公営の選挙運動の一環として重視しているのであつて、法第八六条による選挙長の告示とは全く別個の存在価値を認められているからである。
原告等は、昭和二七年法律第三〇七号を以て氏名掲示期間が一〇日から六日に短縮されたこと、及び投票区毎の氏名掲示箇所が衆・参両院議員の場合は三箇所以上五箇所以内とされているのに比し、市会議員の場合は一箇所とされていることをもつて訓示規定と解する一理由としているけれども、氏名掲示の期間が短縮されたのは、選挙期日の告示から選挙日までの期間が短縮されたことによる当然の措置であり、又氏名掲示箇所の多寡、氏名掲示方法の差異を以て、訓示規定と解する理由とはなし難い。
(四) 本件選挙における前田候補の氏名掲示の脱落は公知の事実であるが、原告は之を以て、単なる事務上の些細な手落であつて法第二〇五条の規定違反ではないとし、その理由として三つの点を挙げているけれども、(1)第二五投票所における氏名掲示の剥離破棄は、本来規定通りに掲示されたものが第三者によつてなされたのを投票当日発見後直ちに補完されたのであり、被告はこの事実を認めて、市選挙管理委員会の管理執行に違法の点はないことを判断したものであつて、第三八投票所における本件の全然当初より候補者の氏名脱落があつた場合とは頗る事情を異にしているのである。(2)又原告等は一部再選挙が行はれる場合の不合理不公正について論じているのであるが、右再選挙は判決の確定に従ひ法規に基いて管理機関である熊本市選挙管理委員会が執行するのであつて、この選挙の有効・無効については選挙執行後争われるべき問題で、本件訴訟には何等関係がない。
以上のように氏名掲示に関する法第一七三条から第一七五条までの規定は、選挙公営の重大な一環として、候補者の氏名を一般選挙人に周知せしめ、選挙人の意思を誤りなく選挙の結果に反映せしめようとする趣旨であつて、原告等が只先入的に本件の瑕疵を「些細な事務上の手落」とか或は「軽微な瑕疵」とか言つて、強いて訓示規定の根拠として主張するところは、到底正論として認めることはできない。氏名掲示の脱落は明かに選挙の管理執行について公正を欠くものであり、法第二〇五条の規定に違反するものといわねばならない。
(五) 候補者氏名等の掲示脱落が、選挙の結果に異動を及ぼす虞れがあるか否かの判定方法に関する原告等の主張は、むしろ想像にすぎない。従つて一枚の氏名掲示の脱落によつて関係選挙人の幾何に影響を及ぼしたかは全く不明であるが、該投票区の選挙人のうちには前田候補の立候補を知らない者もあり得たわけで、知つていたならば同人に投票せらるべき票が、氏名掲示の脱落によつて他の候補者に投ぜられたことも推測されるし、又同人の当選の可能性は別として、同人の得票が増加すれば他の当選者と落選者との間の得票に変更を来たし、選挙の結果に異動を及ぼすこともあり得ることは想像に難くないのみならず、本件選挙の最下位当選人の得票は八九二票、最高位落選人の得票は八七六票で、その差僅かに一六票にすぎないから、本件の場合選挙の結果に異動を及ぼす虞れありとした判断は適法妥当である。
(六) 昭和二八年法律第一八〇号による法第二〇五条の改正は憲法違反ではない。
そして同条第四項にあたる選挙人は、昭和二八年四月二四日施行された参議院議員通常選挙における第七開票区の有権者数とすべきであつて、その数は二二、〇二五人であり、本件選挙における第七開票区の得票数を控除した各当選人の得票及びその順位は別表のようになる。
と述べた。
(立証省略)
理由
原告等が、いずれも昭和二六年四月二三日施行された熊本市議会議員一般選挙に立候補して当選した者であること、右選挙に際し、同市第三八投票所(第七開票区所属)における候補者氏名掲示中、前田宣雄(落選)の分が掲示の当初から選挙期日まで脱落していたことを理由として、右前田及び他の落選候補者角田時雄等一八名が熊本市選挙管理委員会に選挙の効力に関する異議申立に及んだがいずれも却下されたこと、更に右異議申立人中の角田時雄外七名と異議申立はしなかつたが同選挙の落選候補者であつた牧野宗吉外三名の合計一二名が、被告県選挙管理委員会に訴願を提起したので、被告委員会が、前田宣雄の氏名掲示の前記のような脱落の事実を認め、これは選挙の規定に違反し且つ選挙の結果に影響を及ぼす虞れがあるものであるとの理由で、本件選挙中第七開票区に関する部分を無効とする旨の裁決をし、昭和二七年七月三日その旨告示したことはいずれも当事者間に争いのないところである。
そこで原告等が右裁決を違法とし、これが取消事由として主張するところを順次検討してみるのに、
(一) 原告等は「処分庁である熊本市選挙管理委員会がなした異議申立却下決定に対しては、氏名掲示脱落によつて不利益を受けた当該候補者前田宣雄のみが訴願適格者であつて、その他の候補者角田時雄等一二名は、法第二〇二条第二項の訴願提起の権能を有しない」と主張するけれども、同法は選挙の効力に関して選挙人又は候補者に広く異議申立の権能を認めており、その異議申立につき市町村選挙管理委員会の為した決定に不服ある選挙人又は候補者は所定期間内に都道府県の選挙管理委員会に訴願をなし得るのであつて、直接不利益を被るべき候補者に限定すべきでないのは勿論、異議申立をなした者たることも要しないものと解するのが相当であるから、被告のなした本件裁決には、原告等主張のような違法な点はない。
(二) 次に原告等は、「前記訴外角田時雄等の訴願は訴願法第二条に違反する不適法な訴願である」と主張するが、公職選挙法第二一六条によつて、選挙の効力に関する訴願の場合には、右訴願法第二条の適用が除外されていて処分行政庁経由の必要ないことが明かであるから、前記訴外人等が直接訴願書を被告に提出したとしても無論適法で、原告等主張のような違法な点はない。
(三) 更に原告等は、「公職選挙法第一七三条の氏名掲示の規定は訓示規定であり、しかも、前田宣雄の投票所における氏名脱落の如きは、仮にかような事実があつたとしても、単なる事務上の些細な手落に過ぎないものであるから、同法第二〇五条に所謂選挙の規定に違反するものと為すべきではない、のみならず、本件の場合選挙の結果に異動を及ぼす虞もないのに、被告は右第二〇五条の解釈を誤り本件選挙の一部無効を裁決したのは違法である」と縷々主張するのであるが、同法第一七三条乃至第一七五条の規定によつて候補者の氏名等を当該選挙の投票所等に提示させることとした所以は、選挙公営の立場から候補者の氏名等を一般選挙人に周知せしめ、以て選挙人の意思を誤りなく選挙の結果に反映せしめようとする趣旨に基ずくのであつて、原告等の挙示する根拠を以てしてもこれらの規定を訓示規定とは解し難い。
而して、証人前田宣雄・木崎藤吉の証言に甲第二号証乙第一号証の記載を参酌すれば、本件選挙において、第三八投票所の候補者氏名掲示中前田候補の分のみが掲示当初から選挙当日まで脱落していたことを認め得べく、これは明らかに選挙の管理執行について公正を欠くものであり、同法第二〇五条に所謂選挙の規定に違反したものといわねばならない。
原告等は、一部再選挙の場合の不合理不公正に言及し、この点からも本件候補者氏名掲示の脱落は、之を以て選挙規定の違反と目すべきではないと主張するけれども右主張も採用できない。
そこで、本件における右氏名掲示の脱落が選挙の結果に異動を及ぼす虞れがあるか何うかの点について考えてみるのに、若し選挙当日第三八投票所における前田宣雄の氏名の掲示が脱落していなかつたならば、同日同所に投票に赴いた選挙人中に前田の氏名を見て或いは同人に投票し、或いは棄権したであろう者が、右脱落の為に前田の氏名を見なかつたことに因り、他の候補者に投票したかも知れないことなども考え得らるるところである。
さすれば、前田の氏名の掲示の脱落がなかつたとすれば、候補者の得票に多少の異動を来たしたであろうことは想像に難くないのみならず、本件選挙における最下位当選者(原告緒方一人と同荒木喜市の両名)の得票は八九二票で、最高位落選者(甲第八号証によれば訴外内田幸吉)の得票は八七六票であり、その差僅かに一六票にすぎないことは本件当事者間に争いのないところであるから、右前田宣雄の氏名掲示の脱落は、結局選挙結果に異動を及ぼす虞れありとの結論に達せざるを得ない。なるほど、本件選挙における選挙運動及び投票の実情並びに候補者氏名掲示の位置方法等に関する原告主張の事実が或る程度までは立証せられたけれども、それ等の事実によつてしても、未だ右前田の氏名掲示の脱落が選挙の結果に異動を及ぼす虞が全くないものとは断定し難いのである。
従つて本件選挙の第七開票区の選挙は無効と認むるの外なく、被告の本件裁決には何等違法な点はないのであるから、原告等の本訴請求はすべて失当として排斥を免れない。
そして公職選挙法は昭和二八年八月七日法律第一八〇号を以て改正せられ、即日施行されたが、その附則により、改正後の同法第二〇五条第二項乃至第四項の規定は、従前の公職選挙法の規定による選挙の効力に関する争訟で右改正法の施行当時現に選挙管理委員会又は裁判所に係属しているものについても適用されることとなつたので、同条第二項に従ひ当選に異動を生ずる虞れのない者の有無について判断するのに、本件口頭弁論終結直前に右第七開票区で行われた選挙は昭和二八年四月二四日施行の参議員通常選挙であり、その選挙における第七開票区の有権者数は二二、〇二五人であること及び本件選挙における各候補者の第七開票区以外の区域における得票数が別表記載のとおりであることは、いずれも当事者間に争ひのないところであるから、前記第二〇五条第三項第四項に従ひ計算すれば、原告山内友記・同加川恒次・同大塚勇次郎・同黒田博之の四名が当選に異動を生ずる虞れなきものと認められるので、右四名に限り同条第二項に従ひ当選を失わない旨を判決すべきものである。
原告等は「同条第二項乃至第四項の規定は憲法第一四条(法の下における平等)に違反し無効である」と主張するけれども、右規定は、選挙一部無効の場合にその選挙に係る総ての議員又は委員に対し当選を失わしむることに因つて議会・委員会の運営に多大の支障を来すことを考慮し無用な手続をできるだけ回避せんがために設けられた規定であつて、何等憲法第一四条に違反するものでないと解するので、右主張も採用の限りでない。
よつて、訴訟費用につき、民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して、主文のように判決する。
(裁判官 森静雄 竹下利之右衛門 厚地政信)
(別表省略)